飲み会で隣に座る先輩がずるい

9 サークル一大イベント!
[陽くん、荷造り終わった?]
[はい。先輩は]
[今やってるよ]
 [頑張れ]ってスタンプを返し、星川先輩とのテキスト会話を終わらせる。ノー勘違い。
 夏休みも折り返し、九月になった。
 明日から毎年恒例、サークルの一大イベントが始まる。
 十日間かけて東日本一周するのだ。
 ちなみに去年の行き先は西日本。一昨年は北海道。その前年は四国・九州だったという。
 大学四年間で日本一周できるってわけだ。
 大きなサイドバッグをぽんと撫で、布団にもぐり込む。まだ二十二時前だけど、長旅に備えないと。
(十日あれば、先輩たちとの距離を縮められるよな。――ん?)
 ぱちりと目を開けた。
 アパートの薄暗い天井に、星川後輩の横顔が星のごとく浮かんで消える。
(星川先輩には、気兼ねなく親切にさせてあげられるよな、だろ)
 先輩に感じていた違和感や謎は、もう解消された。
 今回の旅の目標を再確認した上で、目を瞑った。

 翌朝。東京から東北方面へ向かう自動車道にある、パーキングエリアに集合した。
(あ゙っつぅ~……)
 ちょっと前は、この頃になれば長距離ツーリングにぴったりな気候だったという。
 最近はまだまだ残暑がきつい。だが声に出して呻くのは耐えた。
「絶景と温泉、それから宿での親睦を楽しむ、がうちのモットーな。体調に気ィつけて、安全運転で行こうや」
 なぜならまとめ役を務める佐藤先輩が、みんなの前で話している。
 おっさん声で邪魔しては、スタート前に恋愛対象からコースアウトだ。
(あっちはスタート前にレース開始してる?)
 今回は講義期間中の週末ツーリングと違い、サークルに所属するほぼ全員が参加する。
 ただ、二十歳以下のライダーは高速道路ではタンデム(二人乗り)できない。今年新しく入った女子はほとんどが上級生の後部シートに跨る形になる。
 星川先輩の後ろは争奪戦、と思いきや。
(荷物、多)
 タンデムできるスペースがない。
 何割が僕への親切用だろう。十日間親切にされ続けようと勘違いしない、も目標に加えようか。
「んじゃ、グループごとに出発ー」
 五、六台ずつ五グループに分かれる。
 一人だけ遅れて迷子になったりしないよう、走行歴ごとだ。
 夏休み前半に免許を取った下級生は、長距離を走るのははじめてだから、上級生がリーダーとしてつく。
 僕と星川先輩は、同じ真ん中のグループになった。
「陽くん、隣いい?」
「はいはい」
 順調に北上する。
 初日の目的地は、日光(にっこう)だ。
 一般道に降りて名所をめぐる。
 まずは、いろは坂。峠道で、急なカーブが四十八個もあるから、四十八文字の「いろは」って名前になったんだって。
(走り甲斐あるなあ)
 登った先には、日光東照宮(とうしょうぐう)とかのパワースポットが目白押しなんだけど。
「ちょっと疲れたー。俺のバイク、握力使うんよ」
 インカムから、星川先輩のわがままが聞こえた。
 互いのヘルメットに機器を取りつければ、走行中も会話できる。
 グループリーダーの四年生が「しょうがないな」って、坂の途中の休憩エリアに寄った。
 僕は水分補給して、手洗いを済ませ――星川先輩のハーレーにもたれ掛かる。
「後ろがついてこれてないの、よく気づきましたね」
 内緒話みたいに指摘した。
 先月の二人旅で、先輩のスタミナは知っている。そう疲れていまい。
 それより、後ろの初心者グループがじりじり離れてしまっているのを心配したんだ。
 日光の山はちらほら紅葉が始まりつつあって、観光客が多い。グループ間にどんどん車が入ってきたんだろう。まだ休憩エリアに現れない。
 つまりわがままのふりをした、優しさ。
「ばれた?」
 先輩が面映ゆげに微笑む。
「ぐわ。またびんたされた」
「びんたじゃありません」
 ずるい顔を、押し退けただけ。胸がきゅうっとしたじゃないか。
(ずるいが憧れの裏返しだって認めたら、先輩のいいところが目について困る)
 勘違いして好きになったりしないのが、先輩に借りを返す条件だ。
 そう再確認して、走行を再開した。

 夜は温泉街に泊まる。学生でも泊まれるリーズナブルな宿があるのだ。
「全員トラブルなく到着できて、幸先よーし」
 ツーリングは明日以降も続くので、部屋飲みは各自コップ一杯(一年生はもちろんソフトドリンク)、ささやかに乾杯のみ。
 先輩たちの輪と星川先輩を、交互に見る。
「星川先輩、失礼します」
「え。うん」
 はじめて僕から隣に座ったら、先輩は目を見開いたのち、僕のコップにビールを注いできた。
 初日だし、他の先輩たちと話すチャンスはまだあるってことで。存分に世話を焼くがいい。
 ――なんて思っていたら、事件は二日目にして起きた。


 福島まで進み、磐梯(ばんだい)山っていう、風光明媚な山に入った。
 山岳道路が整備されていて、市街地より涼しい。
 気持ちいい山風に吹かれ、パノラマを楽しんでいたときのこと。
「今、熊いませんでした?」
 同じグループの、三年男子とタンデムする一年女子が、不意につぶやいた。
(熊!?)
 言われてみれば、道沿いの木ががさがさ揺れている。冬眠前に食べ物を求めて下りてきたのかもしれない。
「大丈夫だよ。熊を驚かせないよう、ゆっくり離れよう。……先輩?」
 インカムを通じて、星川先輩が対策を共有する。
 それと前後して、リーダーの四年生が一人でぐんぐん加速してしまう。
 あっと言う間に置き去りにされた。
(嘘でしょ。そりゃ、襲われる前に逃げるのがいちばんですが)
 代わりに星川先輩が隊列を変える。
 女子を後ろに乗せている二台は木々から遠い側に寄ってもらい、僕と先輩で警戒しながら走り抜ける。
「陽くん、もう少し道の中央寄って。お願い」
「叶斗先輩も、ね」
「おっ。うん」
 幸い、遭遇はせずに宿まで辿り着けた。
 リーダーの四年生は「悪い。怖くて頭真っ白になった」って謝ってくれた。そもそも熊の姿を見たわけじゃなく、野生の猿とかの可能性もあるけれど。
 星川先輩のほうが、何倍も頼もしくてかっこよかったのは、否めない。
(……思わず名前で呼んじゃった)
 夜のアルコールなし宴会でも、他のグループの女子がここぞと顛末を聞きにきて、先輩を褒めたたえる。
(女子のみなさん、長距離ツーリングで星……叶斗先輩と話そうって目標なんだろうな)
 先輩は優しさを打算と受け取られるのを好まないだけで、女子自体を嫌ってはいない。
 邪魔しないよう、芋の菓子を手にそっと立ち上がる。僕は僕の目標を果たそう。
「……ん?」
 そのつもりが、部屋着の高校ジャージをきゅっとつままれた。
 移動を阻んだのは、叶斗先輩だ。
 黙って上目遣いで見つめてくる。これは相変わらず、ずるい。
(わかりましたって)
 平和を守ってあげるべく、サークル一イケメンの隣に居座る、空気読めない後輩になる。
 ……叶斗先輩に世話を焼かせてあげるのと、先輩たちと話すの、両立が難しい。
 明日はどうしようか。


 三日目は、仙台へ。
「やっぱ牛タン食べないとな」
 今日の夜は部屋飲みじゃなく、飲食店を予約した。座敷席貸し切りだ。
「いただきま~す」
 皿が運ばれてくるや、みんなスマホを取り出す。
 最初は肉を撮ってたのに、佐藤先輩が叶斗先輩を画角に入れた途端、叶斗先輩との撮影会みたいになる。
 先輩は律儀に応じてあげている。僕はその陰で肉を頬張った。
(うま。厚いのにやわらかくて、食べごたえある)
 佐藤先輩たちは、叶斗先輩をだしに女子と話している。
 僕もその輪に入れないか窺っていたはずが。
 叶斗先輩の皿が、美味しそうな湯気を立てているにもかかわらず未だ手つかずなのが、気に掛かった。
 先輩の誰も「食べな」って言ってあげない。うーん……。
 たまにはこっちが世話を焼いてやろう。
 叶斗先輩が一日目の走行中に見せたのと同じやり方で。
「辛っあぁ!」
 青唐辛子入り調味料を乗せた牛タンを、口に運ぶ。それによって、さり気なく叶斗先輩をこっち向かせようとしたんだけど。
(ほんとに辛い。乗せ過ぎた)
 鼻奥がつんとして、涙目になる。
 叶斗先輩はくすりと笑い、辛さ中和のためにとろろご飯を差し出してきた。
「ありがと」
 僕じゃなく先輩のほうが、御礼を口にする。
 僕の意図が伝わっている。胸にほわりと熱が灯った。
(確かに、親切心を受け取ってもらえるのって、嬉しい)。
 とにかく、叶斗先輩の周りの面々は「食べよう」って空気になった。
 僕もひと仕事終えた気分で、腹いっぱい詰め込む。
「陽くん? 宿まで頑張れるかな」
 そのせいか、食べ終えた途端、瞼が重くなった。
 今回のツーリングは一日二百キロメートル目安と、無理のない行程が組まれている。それでも三日目ともなると、知らず体力ぎりぎりだったか。昨日は熊騒動もあったし。
「だいじょ、ぶ、です」
 しゃべっていれば、意識が持つ。
 飲食店から宿まで、たった徒歩数分だ。
「叶斗先輩、何か、しゃべって……」
 夜闇の中、脚を動かして。身体を前へ。
 とん、とちょっと硬くて温かいものに頬が当たった。白い。たぶん宿の布団だ。
 規則的に揺れるのは、同部屋の男子が近くを歩いているから? 目を開けて確認するのがめんどう……。
「石田くんって、星川のこと名前呼びだったっけ」
 女子の先輩の声も聞こえる。
 ただの先輩後輩なのに馴れ馴れしいですか。でも、本人の希望なんです。
「――俺の気も知らないで」
 すぐ近くで聞こえたのは、誰の声だろう。



10 先輩が過保護
 ぐっすり眠って復活した四日目は、岩手を目指す。
 ここまで山道を通ってきたから、今日は海岸線を辿る。海は混じりけのないきれいな青だ。
(真夏ほどは濃くない)
 なんて思いながら叶斗先輩を見れば、先輩も僕を見ていた。シールド越しに目が合う。
 同じことを考えたのかも。
(先月、一緒に海沿い走ったし)
 ずるいが憧れの裏返しだと認めるきっかけになったペアツーリング。
 あれ以来、先輩を見ていても、見ていなくても、胸の奥が引き絞られるみたいになる。
(なんでだろ?)
 絶景を続けて浴びて、感受性が鋭くなってるからかな。

 今日の宿は山荘だ。
「陽くん、溺れちゃうかもだから俺の近くにいてね」
「いくら長風呂でも溺れはしません」
「……とは限らないんよ」
 温泉は、なんと天然のエメラルドグリーン。
 インスタでも見たけど、実際目にするともっと鮮やかに感じる。
「めっちゃグリーン!」
 叶斗先輩の謎の忠告は気にせず、浴槽で手足を伸ばしてくつろぐ。
 硫黄の湯なので換気のため、山の緑に面した窓は開け放たれている。こっちの気持ちも開放的になる。
 普段だったら端っこにいるけれど。
「湯、飲みませんか」
 ここの温泉は、飲泉可能だ。胃に効くとか。
 叶斗先輩を誘い、かけ流しの湯をカップに注ぐ。乾杯して、ぐびりと呷る。
「卵が……熟成したみたいな香りで……、人生の渋みが、溶け込んでます」
「酔ってる?」
「じゃあ何て言うんですか」
「硫黄臭がして苦い」
 独特な味をオブラートに包んで表現したのに。先輩のほうは気遣いを発揮しない。
「でも、陽くんと飲むと美味しい」
 と思いきや、イケメンスマイルを無駄遣いしてきた。反射的に湯の中で拳をお見舞いしてしまう。
 先輩は「ぐえ」って呻いたけど、腹筋に跳ね返された感触しかしない。
(先輩の筋肉触っちゃった)
 顔は何度も触っているけれど。意識すると体温が上がってしまう。
 もともと湯が四十五℃と熱く、とても長湯できない。早々に退散した。
(ていうかこの三日間、叶斗先輩とばっかりしゃべっちゃってる)
 代謝がよくなったのか、汗が止まらない。
 浴場と宿泊棟の間の道をうろうろして夜風に当たりながら、反省会する。
「ひゃう?」
 不意に、夜風より冷たいものを項に当てられた。
 振り返れば、Tシャツ姿の叶斗先輩が瓶を三本抱えている。
「湧き水だって。こっちは湧き水で冷やした瓶牛乳と、山ぶどうジュース」
 僕が好みそうなのをぜんぶ買ってきたようだ。世話焼きが過ぎる。
 何だか可笑しくて、「ひへへ」と吹き出す。
「陽ちゃん?」
「ちゃん付けやめてください」
「酔ってないのか……その割に……」
 もごもご言う叶斗先輩の手から、牛乳の瓶を受け取った。
「ありがとうございます」
 世話を焼かれるのは、かっこよくないと思っていた。
 でも、ちょっとだけ楽しくもある。
 このツーリング中は毎日叶斗先輩と一緒だからか、新しい気持ちが芽生えつつあった。
 そんな場合じゃないのに。
(明日の部屋飲みこそ、先輩たちと距離縮めよう)


 五日目、ついに青森に到達した。
 今回のツーリングコースの最北地点だ。
「こうやって走ってみると、日本って山の国ですね」
「うん。山あり谷あり」
 もはや当たり前に隣にいる叶斗先輩と、感想を語り合う。
 僕の目標への道のりみたい、なんて。
 奥入瀬(おいらせ)渓流っていう、水辺まで足を延ばした。大小の岩が転々とした、すごく澄んだ川がある。
 木陰にバイクを停めて、徒歩で岩場へ降りていく。
 みんな着くなりバイクブーツを脱ぎ、ライディングパンツの裾をめくって、水に素足を浸した。
「はあ゙ぁ……沁みる」
「冷たくて気持ちよくても、おっさん声出るんだね」
「え、そんな声出てました?」
「出てた。無意識なんだ」
「聞き耳立てないでください」
「ちょあ」
 ぱしゃりと水をかけてやる。
 叶斗先輩は切れ長の目を悪戯っぽく細め、水をかけ返してくる。
「フェイント、ずるい」
「陽くんも不意打ちしたでしょ」
 親切してないときの叶斗先輩も、眩しい。
 跳ね上げた水が木洩れ日に反射してきらめいてるからかな。
 じゃあ、また胸がきゅっとする理由は?
(――もしかして)
 唐突に顎を上げ、周囲を見渡した。
「ここ、推し俳優の写真集のロケ地かも」
 スマホの画像フォルダに保存したデジタルカット(※初版特典)を引っ張り出し、目の前の風景と照らし合わせる。
(やっぱり、同じだ)
 ってことは、推し活に嵌まっていたときのときめきがよみがえったに違いない。
 こういう自然豊かなロケーションだと、人がきれいに見えるんだな。うん。
 四年生の先輩たちにスマホカメラを向けてみる。
(あれ? それほどきらきらして見えない)
 今回のツーリングで、「うーん」って思う面を垣間見たからか?
 そもそも、サークルの先輩たちとなら恋愛が始まりそうって前提自体、ふわっとしていた気がする。
 でも、叶斗先輩の言葉を借りれば「平和」と言うか。
「誰撮ってるの」
「……別に誰も」
 はっとしてごまかしたら、先輩は唇を固く結んだ。口もとのほくろがむにってなるから、真顔とは違うとわかる。
 隣を離れたのを、拗ねた? 僕以外にも世話を焼けるメンバーはいるだろうに。

 夜は、ツーリング折り返し飲み会だ。
 明日の出発は午後に設定してある。多少羽目を外しても大丈夫。
(叶斗先輩は……)
 民宿の宴会場で、習慣のように先輩の姿を探す。
 別に、世話を焼かせてやるため以上の意味はない。
 と思っていたら、「石田、こっち座れや」と佐藤先輩に手招きされた。
(え、こんなのはじめて。先輩たちとしゃべれる!)
 佐藤先輩の横には、同じグループの三年生もいる。走行中は事務連絡以外なかなか話せずにいたけれど、興味を持ってくれたのかな。
 気づけば部屋飲みはあと五回。
 このチャンスは逃せない。先輩たちとの距離を縮める目標のほうを優先させてもらおう。
 日中よぎった引っ掛かりは頭から追い出す。
「お邪魔、します」
 いそいそ先輩の間に正座する。
 入れ違うように、佐藤先輩が「乾杯すっぞー」と立ち上がった。
 慌てて近くにあった缶ビールを持ち上げる。
 叶斗先輩が、つまみの皿を挟んで正面に来た。
「……」
 目が合う。物言いたげだ。「強い酒じゃないから大丈夫」って目くばせする。
「行程前半、お疲れ。初長距離のメンバーも慣れてきたか? 後半も事故なく走り切ろうな」
 佐藤先輩の一言で、みんなわーっと一杯目を呷る。まだ半分だけど、バスツアーと違って「自分で走ってきた」って達成感が大きい。
(僕もこの飲み会で、自信持って先輩たちと話せたら、ツーリング前と変われたって言っていいよな)
 がぜん意気込む。
 この旅の間に「この人!」を見つけ直すまでは欲張らないから、うまくいきますように。
「石田。地酒飲んでみるか?」
「あ、はい。いただきます」
 佐藤先輩に勧められたら断れない。紙コップに透明な酒を注いでもらう。
 長芋の焼酎だって。そんな酒もあるんだ。
「ん~、飲みやすいです」
「だろ」
 まろやかで、少なくとも岩手の温泉より苦くない。
 酒を片手に、先輩たちのバイク談義に耳を傾ける。ふわふわしてきた。いや、まだ頑張れる。
「陽……、もう一杯、飲みたい()す」
「お! 何飲む?」
 空にした紙コップを掲げれば、先輩たちがわっと沸いた。嬉しくて「何()も!」と応じる。
「普段とのギャップよ」
 佐藤先輩がにこにことスマホを構える。
 先輩、それは酒の瓶じゃないですよ――と伝える前に、視界を遮られた。
 意外と着やせする、ちょっと硬くて温かい、叶斗先輩の背中に。
「飲み物の消費ペース早いから、買い出し行くわ」
「お、おお。助かる。荷物持ちいる?」
「陽くんについてきてもらう」
「や、石田は、」
「まさか歩けないほど飲ませてないよね」
 ……なんだ? 叶斗先輩は微笑んでるのに、他の先輩たちはトーンダウンしてしまう。
 せっかくの盛り上がりが、と抗議する間もなく、叶斗先輩に手を引かれ外に連れ出された。
「うう」
 夜の渓流沿いは、半袖Tシャツだと涼しいを通り越して、寒い。
「はいどうぞ」
 そう口にする間もなく、ふわりと白いジャージを着せ掛けられた。
 指先しか出ない。陽ちゃんのじゃない。いい匂いがして、くん、と鼻を近づける。
 そのジャージの袖越しに、叶斗先輩が顔を覗き込んできた。
「みんなのために、飲み物、買いに行こ」
 ああ、なるほど。それで駐輪場に来たのか。
 親切の手伝い、してあげますとも。
「いいよ。陽ちゃん、おつかいできる」
「あはは。よかった」
「ふえ?」
 なんで笑ったんだろう。
 首を傾げる間に、先輩がハーレーのエンジンを掛ける。
 陽ちゃんは後部シートに跨ろうとして、よろけた。おっとっと。先輩に半ば抱えられて乗せられる。
「十五分走るから、絶対手を離さないでね」
()いじょぶ」
 それくらいできる。
 ただ、いざ走り始めたら、片手を先輩の腹から離さずにいられなくなった。
「ほし!」
「ん? つかまってな」
 先輩は陽ちゃんのほうを振り返るばかりで、もどかしい。空を見てほしいのに。
「せんぱい、ほし!」
 再度指差して訴えれば、やっと先輩も上を向いてくれた。
 一本道にもたれかかるような木々の枝の、さらに上。満天の星空が拡がっている。眩しいほどだ。
「大学の百倍はよく見えるね」
 先輩の声がほころぶ。でもまだ話は終わってない。
「ここにも、ほし」
 叶斗先輩を指差す。
 夜でも眩しく感じる。それはもう、陽ちゃんにとって星だからとしか言えない。
「あったかい色、きれいだなあ」
 先輩の背中にヘルメットをくっつけて、つぶやく。
 先輩は「……はは」と、泣き笑いみたいに笑った。



11 先輩がめろ過ぎる
 六日目は、秋田へと南下する。
 出発前にメンバー同士でアルコールチェックした。先輩たちといい感じに話せて成長した僕は、余裕でクリアしてみせる。
「焼酎飲んだけど、ぜんぜん残ってない」
「ほんと何にも残ってないみたいだね」
「はい、元気です。って、誕生日のときより憶えてますってば」
 すっと寄ってきた叶斗先輩が、思わせぶりに目を細める。信じてないな?
「焼酎飲んだあと、宴会場から自分の部屋にちゃんと戻って、しっかり布団掛けて寝ましたもん」
 昨夜の行動を証言すれば、先輩はようやく「……そうだね」と微笑んだ。
 僕が飲み会に慣れると、先輩が親切を発揮する機会が減ってしまうかもしれない。でも。
「平和は保証しますんで」
 先輩の肩をぽんと撫で、愛車に跨る。
(僕は、叶斗先輩を好きにならないから)
 条件を確認したら、胸がずんと重くなった。二日酔いはないのに……?
 グループリーダーの合図で発進しても、収まらない。察知したのか心配げに佇む叶斗先輩が、バックミラーに映る。
 ツーリング後半はメンバーシャッフルして、先輩とはグループが分かれた。
 僕は真ん中のまま、先輩はひとつ後ろ。
 世話を焼かせることは考えず、同じグループになった他の先輩に話し掛けるのに集中できるとも言える。
 それに、今日は日本海を拝める――はずが。
 今回のツーリングではじめて、雨が降り出した。
(うわわ)
 小雨ならともかく、結構な勢いだ。路面が滑るし、視界も悪くなる。
 リーダーの先輩が速度を落とす。でも雨脚は弱まらない。
(線状降水帯か?)
 休憩予定より手前でパーキングエリアに逃げ込む。
 僕たちの他にもライダーが雨宿りしていて、屋根のある売店はぎゅうぎゅうだ。
 上級生が頭を寄せ合い、天気予報を確認しながら、この後のルートを相談する。
 端っこで待っていたら、叶斗先輩たちのグループもパーキングエリアに入ってきた。
 口々に「びちょびちょだよ~」「スマホ死んだかも」と嘆く。叶斗先輩だけは、
「陽くん、そのウェア防水?」
 と僕に駆け寄ってきた。
「え? 撥水、のはずです、たぶん」
 小雨を狙って再出発するならまた濡れるし、と思ってタオルで拭いたりせずにいた。
 ぽたり、と水滴が僕の足もとに落ちる。
「腕とか肩に染みてるでしょ。その状態で風浴びたら、あっと言う間に風邪引いちゃうよ」
 先輩は学校の先生みたいに険しい顔で、荷物からレインコートを引っ張り出した。
 それもアウトドアブランドのしっかりしたやつ。
 先輩はすでに着てるから、予備のものだ。
 濡れた上着を剥ぎ取られ、タオルでわしわしされ、着せ替えられる。
「わ、ぁ、りがとう、ございます」
 小動物並みにされるがままの僕の仕上がりを見て、先輩が「よし」と笑う。
 今まででいちばん強く、胸がきゅっとした。
 世話を焼かれるのも楽しい、を越えている。
 これって、もしかしなくても――。
 見て見ぬふりしていた感情があふれそうになる。
「おーい、出発しよう。予報だと、秋田方面は雨雲少なくなる」
 その寸前で、佐藤先輩が各グループに号令を出した。みんな準備に動き出す。
 大人数で飛び込みは難しいから、予約してある宿に辿り着きたいって思惑もあるんだろう。
 僕も「助かりました」と叶斗先輩に告げて、自分のグループに合流する。
 ただの後輩の顔、できてたよな?

 夜闇に呑まれる直前、何とか秋田県内の宿に着いた。
 行程後半は雨がやんでくれたおかげだ。
(花火、できそうでよかった)
 濡れたウェアやタオルをコインランドリーに放り込み、乾ききらないぶんは部屋中に干したのち、宿の駐車場に集まった。
「一年、オーナーさんにバケツ借りてきてくれる?」
「もう借りて水入れてあるよ、……誰かが」
 四年生の指示を、叶斗先輩がしれっと先回りする。「気が利く~」ってモテてしまわないよう、一言付け加えるのが健気ですらある。
「……」
 僕は「あなたがでしょ」って指摘する代わりに、先輩の腕に拳を当てた。
 先輩が「ぐえ」ってはにかむ。僕もつられて笑う。
 その間にも、二年の先輩たちが雨から死守した手持ち花火を、みんなが取っていく。
「あ、なくなっちゃうかも」
「もう各種確保してあるよん」
 焦る僕まで叶斗先輩はお見通しで、Tシャツの下からカラフルな花火を取り出してみせた。
 ありがたく受け取り、火を点ける。
「きれいですねー」
「陽くんってこういうの好きだよね」
「? はい」
 こういうのって……どういうのだろ?
 駐車場のあちこちで、色とりどりの光が瞬く。はしゃぐメンバーが照らし出される。
 もともといるカップル以外にも、いい雰囲気の男女が見受けられた。
(毎年、この長距離ツーリングでいくつもカップル誕生してるって聞いた。いいなあ)
 佐藤先輩も一年女子と肩を並べている。
 サークル内でも、結局は遠い。
「陽くん、女子と花火したい?」
 しゅうん、と持っていた花火が燃え尽きるタイミングで叶斗先輩に切り出され、息を呑む。
 また考えを当てられたから。
 厳密には女子とじゃなく、好きな人とだけど……。
「声に出てました?」
「うん。いいなあって」
 まじか。居たたまれずしゃがみ込む。
 そりゃあ、うらやましくないって言ったら嘘になる。でも。
「僕、いつも思うだけで、行動しないできたんです」
「……うん」
 叶斗先輩も長い脚を折り畳んだ。みんなの歓声にまぎれそうな僕の話を、聞いてくれる。
「なかなか変われなくて。酒の力を借りて、飲み会中に先輩たちとしゃべるので精一杯だし」
「うんうん」
 叶斗先輩の態度も勘違いしないって、言い聞かせてきたし。
(言い聞かせてきたし?)
 本人には明かせないと、心の中でのみ続けた一言を、繰り返す。
 僕は叶斗先輩を好きにならない。そう言い聞かせないといけないってことは、つまり。
 おずおず叶斗先輩を見遣る。
 優しい表情で、悩みを打ち明ける僕を見守っている。僕が黙り込んだからか、「ん?」って小首を傾げさえした。
 新しく花火に火を点けていないのに、眩しい。胸がきゅっとする。
 この「きゅっ」の正体は。
(僕、叶斗先輩を、好きになっちゃったんだ――)
 言葉にしたら、みるみる実感が湧く。
 気があるから優しくしてくれてるって勘違いしたわけじゃなく。誤解されてもなお優しい行動ができるところに、惹かれた。
 むずむずも、もやもやも、そのせいだ。
 やっと見つけた「この人!」って相手が、よりによって一軍のイケメン先輩とは。
「あ゙ー……」
「あはは。行動しようとしてる陽くん、じゅうぶん可愛いよ。……ぐわ」
 先輩の笑顔を手で押し退ける。でも自覚した気持ちは消えない。
(こんなんじゃ、親切にされてあげるのはできないか?)
 それは寂しい。
 できるのは僕だけ、って自負もある。
 先輩は僕が「同性が好き」って知らないから、本音を打ち解けてくれたんだと思う。
 その信頼を、平和を、壊したくない。
(これまでどおり、隠しておけばいい)
 先輩は、二.五軍の僕とも分け隔てなく話したり、一緒にバイクで走ったりしてくれる。
 でも、同じ想いを返してくれるのはさすがにあり得ない。
 叶うことはない片想いだ。
 そう思い直したら意外とすっきりして、残りの花火を楽しめた。


 七日目は朝一で、宿のそばの牧場を訪ねる。
「もし雨でこの予定流れたら泣いてた」
「そんなにですか?」
 大げさな叶斗先輩に苦笑した。もふもふに目がないらしい。
 他の先輩たちが濃厚なソフトクリームを食べにいく中、僕は叶斗先輩とふれあい小屋に向かった。
 この牧場は、放牧されているジャージー牛に加え、うさぎやモルモットもいる。
 八畳ほどの小屋は、もふもふたちが快適に過ごせるようクーラーが設定されていた。
 スタッフの姿はない。
「ふれあいはマナーを守ってご自由に。だって」
 先輩がきらっきらな目で張り紙を読み上げる。
「どの子から行きます?」
「俺、犬より猫よりネズミ派なんよ」
「えっ、僕もです」
 顔を見合わせる。正反対の叶斗先輩と、思わぬ共通点があった。
 しっかり手指消毒し、「失礼します」とモルモットエリアにお邪魔する。先輩も「あはは、そっちのマナー」とか笑いつつ続く。
「おいでー」
 人懐っこいモルモットたちが、いっせいに駆け寄ってきた――僕の膝に。
「動物にはモテないんですか、叶斗先輩?」
 いちはやくもふりながら、先輩を揶揄う。こんな状況めったにないし。
 動物は、可愛い。こっちのスペックを気にせず愛でられる。
「仲間だと思われてるんじゃない? この黒毛の子とか、陽くんに似てるし」
「はい? 撫でるのに忙しくて聞こえませんでした」
「いいよ、俺はこの子もふるから」
「……」
「ほんとに聞いてない」
 動物たちが疲れない程度にもふらせていただいた。
 自由時間はまだ少し残っている。
 それで思いきって、
「昨日はレインコート、ありがとうございました。荷物に余裕あるので僕が持っておきます」
 と先輩に伝えた。
 先輩は「何も返してくれなくていい」って言ってたけど、感謝は返してもいいよな。
「いや、俺が勝手に貸したから」
「また雨降ったら着させてもらいます」
「じゃあ……、うん」
 頷き合う。
 気持ちを自覚しても、自然に振る舞えてる。この調子でいこう。
 牧場を満喫したら、再びグループに分かれて、山形を縦断する。
 昨日のリベンジで海沿いを走った。
 風力発電の風車が建てられるほどの強風のせいか、荒波という印象だ。
(僕の恋愛事情っぽい……なあんて)
 夕方には、新潟に突入した。
 今日泊まるのは、日本海に面するひなびた温泉街。
 海の幸をいただく。
 全員アルコールなしと定められた日なので、早めに就寝――とはいかない。
「童貞諸君、先輩に聞きたいことあるか?」
 大部屋に敷き詰めた布団に入るや、四年生の先輩が口火を切った。



12 割り切ったはずが苦しい
「童貞諸君、先輩に聞きたいことあるか?」
 男子部屋の恒例行事らしい。
 気が重い。
 僕だけでなく、一年男子が雑魚寝する辺りは緊迫感に包まれた。みんなうつ伏せになって、薄闇の中、視線で探り合う。
 まず童貞かどうか、お互い把握してるわけじゃない。たとえば僕に経験がないのを土橋は知ってるけど、僕は土橋と彼女がどこまで進んでいるか知らない。
「あの! うまくそういう空気に持ち込むコツってありますか?」
 それを、一年生の一人が打破する。
 社交的だし童貞には見えないけど、上級生をしらけさせないよう話を広げた感じだ。
 実際、彼女持ちの先輩が成功談を語る。質問した一年生の好みとかをいろいろ聞き出しながら。
(これ、一人ずつお悩み相談のていで、自分の経験話さないといけないやつじゃ)
 寝たふりを決め込んで逃れるか。
 恋愛の助言はほしい。でも……。
『――くんて、BL仕事乗り気じゃなさげだよね』
『わかる。そういう目で見られると困るみたいな』
 俳優の推し活現場で聞いた、他のファンの一言が耳によみがえる。
 単なる推測話。
 とはいえ数年経っても、他のいい思い出で覆っても忘れられないくらい、胸に刺さった。
 今の時代、「同性が好き」って感情をあからさまに嫌悪する人は少ないけれど。ふつうに異性が好きな人には、大なり小なり戸惑いがあるだろう。
(僕だって、僕に好かれたら迷惑だよなって思うし)
 順番が回ってきて、経験はありませんって言ったとする。
 なんで? って返ってくる。
 女子に興味がないからです。とは言えない。
 それを明らかにしないと何も始まらないだろ。
 頭でそう思っても、やっぱり行動できない自分がいる。
「おまえは?」
 対応を思いつく前に、順番が回ってきてしまった。
 どうやって切り抜けよう。うう……。
「俺は聞きたいこと特にないかなー」
 枕を握り締めていたら、別の男が答えた。
 この声、叶斗先輩だ。
(なんで三年生なのに答えてんの? ていうか、隣は土橋だったはず。いつ入れ替わった?)
 びっくりして、先輩の横顔を見やる。先輩は一切こっちを見ない。
 僕に注意が向かないように。
「イケメンは言うこと違うなぁ?」
 狙いどおり、他のみんなは一軍中の一軍である叶斗先輩の経験談に興味しんしんだ。僕が飛ばされたのを誰も気に留めない。
 正直、救われた。
 ただ、ひとつ間違えばマウントと取られて殺伐としないか、はらはらする。先輩は平和を好む男なのに。
「経験人数どんくらいなの」
「んー。憶えてない」
 四年生に問われ、考えるそぶりをしてみせたのち、事もなげに言う。
 数えきれないくらいというニュアンスに聞こえ、いっせいに「うぇーい!」と湧いた。女子部屋まで聞こえる、と慌てて薄い掛布団を被る。
 どうやら、次元が違い過ぎると争いにならないようだ。
 他のメンバーが興奮の笑いを噛み殺す中、僕は掛布団の下で先輩のくるぶしをちょんと蹴った。
 先輩が「なんで?」って目を向けてくる。
 庇ってくれたのは嬉しい。一方で、先輩のそんな話聞きたくなかった。
(ほんとは何人なのか、わかんないけど)
 彼女百人はいなくとも、一人や十人はいたかもしれない。
 叶わない恋心が邪魔をして、素直に御礼を言えなかった。


 八日目は、新潟中部の渓谷へ足を運ぶ。
 ここは歩行者用トンネルの出口に薄く水が張っていて、切り立った渓谷とトンネルのアーチと観光客自身の姿が鏡みたいに映り込む。
 とにかく映えるのだ。
「ウユニ塩湖の人工トンネル版ですね」
「行ったことある? ウユニ塩湖」
「ないです」
「ここは歩行用だけど、あっちはバイクで走れるよ」
「へええ、行ってみたいな」
 なんて外国に思いを馳せつつ、写真をいっぱい撮った。いろんなポーズで、いろんな組み合わせで。
 叶斗先輩とも撮りたかったけど、女子の行列ができていたから、弁えた。

 今日も今日とて、温泉旅館にチェックインする。
 有名武将ゆかりの薬湯らしい。
 学生なので値段優先で宿を選んできたが、今日の旅館はロビーに囲炉裏があったりと雰囲気がいい。
 部屋飲み前に一緒に館内を探検しようと、叶斗先輩を探す。でも見当たらない。
(別に、ひとりで回ればいっか)
 むしろ適切な距離を保ててちょうどいい。
 日中の走行グループだって違うのだし、「誰と何してるのかな」とは考えないようにして、年代物の階段を下りていく。
「……急に呼び出してごめんね、叶斗。東京帰る前にどうしても話したくて」
 たちまちつま先立ちになって、二、三段戻った。
 叶斗先輩が女子に呼び出されてる――!
 考えずにおいた矢先に、間の悪い。
(後半に先輩と同じグループになった、三年生だ)
 手摺りの陰から窺う。後ろ姿だけど、ロングヘアをかけた耳が真っ赤になってる。
 そういう「話」なら、盗み聞きはよくない。
 ただ、この階段は軋みやすくて下手に動けない。
 それに、二人がいるのは郷土資料コーナー。他に人がこないとも限らない。
 見張り役として留まる。
 話は聞かないように、聞かないように……。
「好きなの。ひと目見たときから。もしよければ付き合って」
 無理だ。聞こえてしまう。女子の勇敢な、それでいていとけなく震える声が。
「君のことは友達だと思ってるから、ごめん」
 決死の告白にもかかわらず、叶斗先輩はばっさり断った。希望の欠片も残さない言い方だ。
(誰でもいいわけじゃない、だっけ)
 じゃあ誰ならいいんだろう?
 すんすんと鼻を啜る音が聞こえる。
 それでも叶斗先輩は「これ使って」とハンカチかティッシュを渡すのみで、去っていく。
(中途半端に優しくしないのも、優しさか?)
 取り残された女子は、「うー……」と声を殺して泣き続ける。
 僕はその場から動けず、胸を押さえた。
 彼女はきっと、ツーリング中親切にしてもらい、好きって気持ちがあふれたに違いない。ライバルに一歩リードしたと勘違いもして、勝負に出たのかも。
『二軍とか三軍のワンチャン狙いって正直、迷惑だろ』
 彼女は僕のような二.五軍じゃない。なのに中学のとき、一軍の男子グループが溜め息まじりに言っていたのを思い出してしまう。
 可能性0なのに、無下にしたら一軍側がひどい、みたいになる。
 そう、迷惑だ。僕が片想い以上のことをしようとしたら。
 行動できない短所が活きる場面もある。
 改めて、想いを行動には移すまいと誓う。
[陽くんどこいる?]
 同時に、LINEメッセージが届き、叫びかけた。スマホをマナーモードにしていてよかった。
 送り主は、叶斗先輩。
 さっきの今で何の用だ。さすがに未読スルーさせてもらった。


 九日目は、長野まで戻る。
「あれ、星川こっちのグループ移動?」
「うん。タンデムせず思いっきり走りたくて」
 叶斗先輩が、僕と同じ真ん中のグループに加わった。こう言ってるけど、昨日玉砕した三年女子を気遣ったと思われる。
 彼女は昨日の部屋飲み不参加だった。今朝もヘルメットで表情が見えない。
 何だか叶斗先輩に「ぐえ」って言わせたくなる。
 でも、僕にその権利はない。
 発散も兼ねて、日本アルプスを望む高原をひた走った。
「陽くん、今こだまいなかったー?」
「……いたとしても、もふれないでしょ」
 叶斗先輩はこちらのもやもやを知る由もない。
 古い宿場町に立ち寄る。
 趣があるものの、メンバーは今夜の部屋飲みのほうに気がいっている。もちろん僕も。
(今回の長距離ツーリング、最後の夜だ)
 宿では夕飯もそこそこに、新たに調達した地酒やご当地つまみを大部屋へ持ち寄った。
「家に帰るまでがツーリング、とはいえ。長旅ご苦労さん。おまえらが助け合ってくれたおかげで、楽しい旅になったよ」
 まとめ役の佐藤先輩がしみじみ挨拶して湿っぽくなりかけたのを、
「こーしてほぼ全員揃うのは年に一・二回だから、飲みなー!」
 四年女子の花村(はなむら)先輩が軌道修正する。
 それが効いて、九日間でいちばん賑やかな飲み会になった。
「石田、飲んでる~?」
「あ、はい」
 なのに僕は、昨日の告白玉砕を自分のことみたいに引き摺って、テンションが上がらない。
(せめてふつうにしないと)
 先輩が傾けてきたビール瓶に紙コップを差し出す。
 でも、注がれたのは隣の――叶斗先輩の紙コップだ。
「いただきまーす」
 先輩がくいっと、喉仏を上下させる。
 他の先輩や同級生が注いで回る酒も、ことごとく代わりに飲んでくれた。
(僕が酒の力借りる気分じゃないの、察してる)
 僕が普段と違う理由を聞き出そうとはしない。ただそばを離れずにいる。
 まさか告白を盗み聞きしたとは知るまい。
 先輩の横顔をちらりと見れば、やっぱり胸がきゅっとした。
 ただし――昂揚でなく苦しさで。
(前に、イケメンだから親切にできないのは理不尽だ、って思ったけど。今は、先輩の優しさは罪だなあって思います)
 叶わないのに諦められなくなる。
 胸が詰まって、結局ほとんど呑めなかった。



13 大事故ですけど?
 長距離ツーリング最終日。
 山梨の果樹園に立ち寄って、帰京する。ただしアルコールチェッカーに引っ掛かった組は後から時間差出発で、東京に直行だ。
 叶斗先輩は昨夜僕のぶんも飲んだせいだろう、チェックをクリアできなかった。
「陽くん、忘れものない?」
「……、はい」
 できれば「叶斗先輩が好き」って自覚してしまった気持ちを置いていきたいと思ったけれど、そうもいかない。
 果樹園で好物のぶどうの食べ比べをしても、走りながら大迫力の富士山を目の当たりにしても、「叶斗先輩と毎日会えるのは今日が最後」って惜しさで頭が占められる。
 解散地点に近づくにつれ、悪化した。
(会えないほうが、無駄にきゅんとしなくて済んで楽なのにな)
 叶斗先輩に世話を焼かれるのは、同じくらい楽しくて苦しい。
 この十日間でもらった優しさや、頼もしい横顔なんかを思い返した上で、そっと記憶の箱に収める。
 夕方、出発地点と同じパーキングエリアに辿り着いた。
 山中で過ごしてきた身には、暑い。
 溶けそうになりつつ待ち、後発組と合流する。
 全員点呼したら、「家まで気ィ抜くなよー」で終わりだ。
(ちょっぴり、あっけない)
 まあ、また大学で会えるし、その前に連絡を取って飲みに行ったりもできる。
 ただの先輩後輩でも。
 ……片想いしてたら、ただの先輩後輩とは言えないか?
「陽くん、何か食べいかない? 今日帰ってつくるのめんどうでしょ」
 叶斗先輩は僕の葛藤も知らず、合流するなり腹具合を心配してくる。
 僕が十日の間に叶わない恋を自覚し、他の先輩との距離を縮めるのも一時停止したのに対して、この世話焼き先輩は初日と変わっていない。
 気が利くし、二.五軍にも優しい。
「いや。家の布団恋しいんで」
 僕は首を横に振った。
 こっちも変わらず、単なる親切を含みのある誘いとは受け取っていませんよ、って顏で。
 もう少し一緒にいたいのは、隠す。
 それくらいできる。
 先輩は水分量の多い目でじっと見つめてきたものの、僕を飲食店へおせっかい連行はしなかった。


 残りの夏休みは、実家に帰省する。
 俳優の推し活にぎりぎり日帰りできる、微妙な田舎だ。
 慣れ親しんだ一軒家の、二階角部屋。
 本棚の教科書や参考書を眺める。中学のも捨てられず取ってある。
(はあ。「恋愛」って科目があればいいのに。この片想いを後期も続けるのかとか、それでいいのかとか、教えてほしいよ)
 冷房の効いた自室でごろごろしていると、現実味のないことを考えてしまう。
「……ちょっと県道走ってこよ」
 まだ昼過ぎで暑いけど、持て余している気持ちの発散を選んだ。
「行ってきまーす」
「陽、帰りに畑に寝かせてるお芋持ってきて」
「ええ……」
「食べるの陽ちゃんでしょ」
「はいはい」
 母さんのお遣いもしぶしぶ引き受ける。
 アパートから一緒に帰省した愛車で、走り出した。
 舗装された県道に出るなり、加速する。
 電柱と民家と田畑。代わり映えしない景色がびゅんびゅん流れていく。
 これまでなら、悩みもこうして過ぎ去っていくものとして、走るうち気にならなくなった。
 それが今は。
(叶わない片想いなのは、俳優や中学の先生のときと同じだよな。なんで叶斗先輩だとざわざわするかな)
 一向に断ち切れず、気が晴れない。
(恋愛したいのに、想いを隠してるから? でも、叶斗先輩は僕が好きにならないことを望んでる。僕の「好きな人」だけど、「恋人」にはなってくれない)
 それとも、きちんと順序立てて伝えれば、合宿中の女子みたいに瞬殺にはならない?
 いやいや。僕は二.五軍の男。叶斗先輩はふつうに異性と付き合ってきた一軍だ。
(好きな気持ちを抑えられれば、世話焼かれるのを楽しめる。でもそれだと恋愛経験0のまま……、あ!)
 思考がループする間に、県境まで来ていた。
 これ以上走るとアパートに戻るときのガソリンが心許ない。
 慌ててUターンする。僕の考えと同じ行程。笑えない。
[陽くん、いつ東京戻ってくる?]
 ハンドル横のホルダーに固定したスマホに、LINE通知が表示された。
 叶斗先輩だ。どきりと心臓が跳ねる。
[予定合ったら、また流しに行こ]
 走行中は画面操作できないから、ぽこぽこメッセージが送られてくるのを見るのみだ。
(取引じゃなく、僕とツーリング行きたいって思ってくれてる)
 たった一行で、簡単に浮かれてしまう。通知はなおも続く。
[じいちゃんのバーもおいでよ]
[帰りハーレーで送ってあげる]
 じいちゃんのバー?
 叶斗先輩は、じいちゃんのバーでバイトしている。
 プライベートに近い場所に誘われて、嬉しくないわけがない。
 でも、先輩の望む言動を保てる自信がない。
(ほろ酔いでタンデムなんてしたら雰囲気よ過ぎて、気持ちがあふれ兼ねない)
 変わりたかったけど、叶斗先輩に対しては変わらずにいたい。
 赤信号で停まる。
 手早く[ごめんなさい]ってスタンプを返す。
 もったいないけど、好きって気持ちがばれて引かれるよりましだ。


 叶斗先輩への想いを手放すことも進めることもできないまま、十月になる。
 後期の授業が始まった。
 長袖のコットンジャケットを羽織り、大学構内を歩く。
(三限終わり、中庭ね)
 叶斗先輩と待ち合わせている。
 といっても、ふたりで遊ぶとかじゃない。
 長距離ツーリングのとき借りたレインコートを返しそびれていた。それを渡すだけ。
(それだけ、それだけ)
 歩調に合わせて唱えていたら、「石田どこ行くん?」って声を掛けられた。
 授業終わりの佐藤先輩だ。
 長距離ツーリング後半くらいから、雑談できるようになった。恋愛にはつながらなかったけど、努力は無駄じゃなかった。
「中庭です」
「何かあんの」
「叶斗先輩に用事がありまして」
「おお。最近仲良いよな。飲みのときとか」
「それほどでも……」
 返答を濁す。佐藤先輩の目に「仲良く」見えるのが、いいんだか悪いんだか。
「おまえの誕生日の飲み会でさ、星川に告白したから構うんだなぁ」
「……、え?」
 佐藤先輩は顎に手を当て、うんうんと頷いている。訳知り顏だ。
 こっちはざーっと血の気が引いた。
 告白、した?
(僕が、叶斗先輩に?)
 認めないで、見て見ぬふりしていたこの気持ちを?
 じゃあ叶斗先輩は、六月の時点で知っていたのか。大学や飲み会やツーリングでの言動は、すべて知った上でのこと?
 気が気じゃなく、よたよたと走り出した。