1 先輩が詐欺
助けて。東京の大学ってこわい。
なんていう僕のSOSは、誰にも届かない。
「男は六千円って言ったよな。早よ払え」
四月から通い始めた大学そばの、居酒屋の裏手。
テニスサークルの新歓から帰ろうとして、暗がりで先輩に呼び止められ――喝上げされています。
外灯の下、わいわい二次会の店へ移動する他の一年生を、恨めしく見やる。
(なんで僕だけ)
別に爆食いしたり、この先輩の機嫌を損ねたりはしていない。
数日前に大学の廊下で聞いた誘い文句を思い返す。
「新歓、一年生は無料、って聞いたんですが」
「だから何?」
おそるおそる指摘するも、先輩は譲らない。アルコールのにおいのする鼻息をふんと吐き、威圧的に見下ろしてくる。
(僕なら押しきれそうだって?)
僕は石田陽って名前どおり、その辺の石ころみたいな男だ。
身長は平均に数センチ足りない。顔面はふつう。前髪が目にかからないようにしただけの髪型もふつう。
頭の回転は、大学合格に一年多くかかったレベル。
性格も事なかれ主義というか、行動力に欠ける。
甘く判定して「二.五軍」ってところだ。
(そんな自分を変えたくて、勉強頑張って上京したんだけど……。あとであることないこと言われて、せっかくの新生活がつまずいたらいやだ)
小さく溜め息を吐く。財布からなけなしの仕送りを取り出そうとした、瞬間。
「おーい。かわいこちゃん困らすなよ」
朗らかな男の声が割り込んできた。
かわいこちゃん、って。まさか僕のこと?
「あ? 星川か、新歓の会費徴収してるだけだわ」
星川、と呼ばれた男を振り仰ぎ、息を呑む。
(なに、この――超絶イケメン)
顔が俳優並みに整っていて、アッシュブラウンに染めた髪を無造作に下ろすだけで様になっている。
小さなほくろのある口もとも、やたら水分量の多い切れ長の目も、何か物語が始まりそう。
おまけに身長も確実に百八十センチ以上ある。
まごうことなき「一軍」だ。
「会費」
イケメン先輩は喝上げ先輩の言葉を繰り返し、ふむ、と顎に手を当てた。
「この子おれが連れてきたから、サービスしたげて」
かと思うと、笑顔で僕の腰を抱き寄せる。
不意打ちで「ひょ」って変な声が出た。
(いやいや、初対面ですが。ていうかこんなイケメン先輩、さっきの新歓の席にいたっけ……?)
たとえ広い座敷の端と端でも気づくだろう。
近づいた横顔をぎこちなく見上げたら、
「これ、君の?」
低く囁かれる。
視線で示されたのは、外壁沿いに停めてある250ccバイク。
信じてもらえないかもしれないけど、僕の愛車だ。
こくこく頷けば、イケメン――星川先輩は長い脚でひらりと跨った。
映画の一場面みたい。
と見惚れる間に、エンジンも掛ける。
「行こ」
(えっ? バイクのキー、いつの間に)
ズボンの尻ポケットに手を当てる。ない。
抱き寄せたとき引き抜いたのか。
先輩は悪戯っぽく笑い、戸惑う僕にヘルメットを手渡してくる。――ええと。
「は? そうはいくかよ」
どこへ、って疑問がよぎったものの、喝上げ先輩の追及に縮みあがり、後部シートに飛び乗った。
「待て、……名前なんだっけ」
ぶつくさ言う喝上げ先輩を置き去りにして、大通りに出る。
星川先輩はバイクのスタンドを上げるのも、アクセルコントロールもスムーズだ。
(夢……?)
冷たい夜風に煽られる。
それでもこの数分の出来事が現実だと思えない。
超絶イケメンが、彼氏みたいに駆けつけて、石ころの僕を助けてくれた。
儚く消えてしまいそうで、背中にも掴まれない。
「ふう。たぶん二年生って勘違いされてたね」
少しして、信号待ちのタイミングで話し掛けられた。びゃっと肩が跳ねる。やっぱり僕の妄想じゃなく現実らしい。
って、勘違い?
規模の大きいサークルだと、メンバーの顔も曖昧なのか。それとも結構酔ってたとか?
どちらにしても、星川先輩が間に入ってくれなかったら、理不尽にお金を失うところだった。
「とりあえず駅のほう来ちゃったけどよかった?」
……あ。続く問いで我に返る。
「実は、大学の近くに、下宿してまして」
申し訳なさいっぱいで答えた。早く言えって感じ。
「まじ? じゃ、ちょっと流して大学戻ろっか」
なのに先輩はいやな顔ひとつしない。
「いえ。自分で運転して戻ります」
それでも丁重に辞退する。
先輩ともっとドライブしたくないって言ったら嘘になるけど。親切な人だからこそ、これ以上時間を取らせられない。
「……。了解」
バイクを路肩に停めてもらう。ヘルメットを預かり、先輩に替わってハンドルを握った。
「気をつけてね」
その作業まで見守ってくれていた星川先輩を、おずおず見上げる。
「あの」
「うん?」
ほら言え。変わりたいんだろ。
心の中で自分を焚きつける。
「あの……先輩はテニサーのメンバーですか?」
先輩にまた会いたかった。
先輩が所属しているなら、喝上げされかけたサークルに入るのも厭わない。
つい深刻になる僕と対照的に、星川先輩は軽い調子で笑う。
「や、隣の座敷でやってたツーリングサークルの新歓に顔出してたんよ」
なるほど、隣の座敷。謎が解けた。
それと発見がひとつ。
(うちの大学、ツーリングサークルがあるんだ)
知らなかった。それほど熱心には新入生勧誘していないのかもしれない。
ツーリングっていうのは、バイクであちこち旅すること。
先輩がバイクの扱いに慣れていたのも納得だ。
「そうだったんですね。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、発進する。
加速するとともに、期待がふくらんでいく。
(趣味が合うのは――運命なんじゃない?)
さっき「彼氏みたい」とか思ったけど、彼氏がいたことはない。恋愛経験0だ。
自分に自信がなくて、一度も「好き」って言えないできた。
大学で「この人!」って人を見つけたら、今度こそ「好き」って言って、相手にも好きになってほしい。
好きな人の隣で「大好き」があふれるまま振る舞って、好きな人にも丸ごと受け止めてもらいたい。
(そのために心機一転、新しい環境に飛び込んだ)
早速出会えた気がする。
もちろんあんな親切な一軍イケメン相手なんて、身の程知らずなのもわかっている。
それでも今までのように何もせず終えたくない。
新歓帰りの集団といくつもすれ違いながら、心を決めた。
星川先輩と同じサークルに入ろう。
翌週の講義後。足取り軽くサークル棟へ向かう。
ずらりと並ぶ扉のうち、「ツーリングサークル」の表札が掛かったひとつを、思いきって開けた。
心なしかガソリンのにおいがする。
「あの……入会したいんですが」
「お、一年生? こっち来な」
手前の長テーブルでくつろぐ男子の先輩が、気さくに手招いてくれた。
ほっとして足を踏み入れる。
「新歓は一回も来てないよな?」
「はい。でも、ツーリングが好きで」
「いいねぇ。俺は三年の佐藤。これ書いて」
促されるまま、入会届に連絡先を記入した。
それで終わりでなく、活動の説明もしてくれる。
全体ツーリングは月一回。でも強制参加じゃなく、楽しく走るのがモットー。
平日の飲み会も不定期で開催。などなど。
(この先輩も優しいし、いい雰囲気っぽい)
引き合わせてくれた星川先輩に会えたら、改めて御礼を言おう。
……と、わくわくしていたけれど。
数日後、日課のごとくサークル部室に立ち寄ると、女子があふれ返っていた。
驚いて、開けた扉をすぐ閉める。
(え、何!? メンバーはぜんぶで二十人くらいって聞いたけど、僕と先輩二人以外全員女子なの?)
女子にはとっつきにくいツーリングサークルで、その比率になることはなかなかない。
見間違いか、と再度扉を開けてみる。
やっぱり女子だらけ。それもみんなきれいに着飾って、圧がすごい。
男は唯一、奥のソファに腰掛けた――
「星川先輩、今度バイクの後ろ乗せてください♡」
「えー私が先だよ。ね? 星川くん」
星川先輩だ。
「順番に乗せてあげるから、喧嘩しないで」
満更でもなさげな笑顔。
ていうか、両隣の女子の腰抱いてませんか?
……そりゃあ、これだけのイケメンだし、モテるだろう。もう恋人がいるかも、と自戒もした。
でもこういうのじゃなくて。
「うわ。あいつ、彼女百人いるんだよなぁ」
立ち竦んでいたら、後ろから佐藤先輩の声がした。部室を占拠されて困り顔だ。
彼女、百人?
日替わりでも一年に三回しかデートできませんが。
耳を疑う間にも、星川先輩の両隣がさっきと別の女子に交代している。
もはやファンサ通り越して色恋ホスト。
(遊び人過ぎる! 僕の腰抱き寄せたの、先輩には何でもないことだったんだ……)
不意の温もりを感じた瞬間のときめきが、みるみるしぼむ。
親切な人だから恋人にも一途、って思い込んでしまった。そうであってほしかった。
いきなり入会するんじゃなく、新歓に参加して、先輩の人となりをもっと知っておくべきだったか?
(いやでもこんな落差あるとは思わないよ。詐欺だろこれ)
はっきり言って、僕の理想からいちばん遠い。
「あ、石田くん。サークル入ったんだ。よろしくね」
星川先輩がやっと僕に気づいて、呑気に手を振ってくる。
僕は石ころのごとき無の表情で会釈だけして、部室を後にした。
先輩とはこれきり深く関わらない。
……はずだった。
2 二十歳の誕生日
理想の彼氏になってくれそうと思った星川先輩は、期待と正反対の遊び人だった。
つくづく、東京の大学ってこわい。
でも、サークル副代表の佐藤先輩に「ツーリングが好き」と話した手前、
「やっぱりやめます」
というのも憚られる。
(ツーリングが好きなのは事実だし)
他の先輩や同級生とも話してみよう。ちゃんとした出会いがあるかもしれない。
そう気持ちを切り替え、五月の連休の全体ツーリングに参加した。
新入生初参加ってことで、お台場までの短距離コース。
星川先輩にはこれ以上がっかりしたくないから、なるべく距離を取る。
「星川さん~♡、こっち見て」
「叶斗くん、あっち行こうよ」
入会受付を打ちきるくらい集まった女子に囲まれていて近づけないとも言うが。
下の名前、「叶斗」っていうらしい。芸名か。
(あの中の何人が彼女なんだろ。まさか全員?)
つい先輩について考えてしまい、気が塞ぐ。
とはいえ、悪いことばかりじゃなかった。
「なんかおまえら、似てない?」
同級生の土橋と雰囲気が似てる、って佐藤先輩に並べられた。
顎が丸いほうが石田、四角いほうが土橋。
なんて揶揄われつつ話してみたら、学部は違うけれど同じ一浪とわかり、意気投合した。
「石田、肉取ってきたぞ」
「ありがとう」
お台場到着後、メンバーで入ったBBQ店でも、並んで肉を頬張る。
二.五軍仲間って感じで、落ち着く。
「星川先輩、すごいなー」
土橋はもぐもぐ咀嚼しながら、中央に陣取る先輩に言及した。
ぴくりと指が跳ねる。
土橋に他意はない。ただ目が吸い寄せられるだけ。
「確かに、な」
先輩は肉や野菜をせっせと焼き、群がる女の子たちに分け与えている。いつもの笑顔で。
(よくやるよ)
僕はあんなふうにモテなくていい。
たった一人が振り向いてくれたらいい。
そのためにも。
「自分を変えたいけど、何から手ぇつけたら……」
「単純よ。酒の力は、偉大」
むせた。青臭い悩みが声に出ちゃってた?
土橋は僕の羞恥も構わず、力説してくる。
二十歳になってすぐのサシ飲みで告白に成功し、めちゃくちゃ可愛い彼女ができた、と。
――それだ!
金曜、十八時。大学そばの居酒屋、サークル飲みでおなじみの座敷。
週に一・二回開催される、いつもの飲み会――ではない。
「石田、誕生日おめでと。はじめての酒、何飲む?」
入会届に書いた生年月日を覚えていてくれた佐藤先輩が、オーダー端末を差し出してくる。
「ええと……」
今日六月六日は、僕の二十歳の誕生日だ。
うちはツーリングサークルなのもあって、「お酒は二十歳になってから」をきっちり守っている。
飲酒運転は危険だし、そもそも交通違反。
(家でこっそり味見してみたこともないから、ほんとにはじめて)
つまり土橋に二.五軍の希望を伝授されて以来待ちに待った、酒を飲める日ってわけだ。
「カシオレとかにしといたら?」
僕が手間取るのを、人生初の一杯を迷っていると受け取ったのか。
隣に座る星川先輩が、端末をすいっと操作した。
色とりどりのカクテルメニューを示す、長い指。
目が吸い寄せられる。
しかも端末画面を覗き込んでくるせいで、僕の肩に二の腕が当たっている。
(……ずるい)
このサークルに落ち着いたはいいが、遊び人先輩とうまく距離を取れていない。
先月のBBQでも、突然水を持って寄ってきた。『むせてたよね』って。
そんな親切を実行できるのは、周りに好かれ受け入れられてきた自信があるからに違いない。
自信があれば恋愛なんて簡単で、し放題。
(やっぱり、ずるい)
少しの反発も込めて、星川先輩が指差したのとは違うものを選ぶ。
「もう決めてます。この、スピリタスってやつ」
「えっ」
「えっ?」
「結構、てか、かなり度数高いよ。一杯目は別のにしといたほうが」
先輩は酒解禁済みの三年生だからって、知ったことを言う。
まるで僕の意気込みを削ごうとするみたいに。
――酒の力を借りて、まだあまり話せていない先輩たちとの距離を縮める。そして、恋愛対象として見てもらう。
これが、今日の目標だ。
一緒に過ごす機会の多いサークル内は、はじめての恋愛が始まる可能性が高い。
自分を変えたい。酒力が大きいほど、変わり方も大きいはず。
「いいんですってば」
「いくない」
「いい」
「いくなーい」
僕が端末を右にスワイプしては、星川先輩が左にスワイプする。
他の先輩たちは、「石田強いかもしんないじゃん」って笑ってるのに。
(そうそう。僕は酒に強い、気がする。何となく)
星川先輩が「いやいや」と諫める間に、ぽちっと注文を済ませた。
先輩は一瞬眉をひそめたけれど、取り消して注文し直すおせっかいはしない。
開店直後の居酒屋はまだ混んでいなくて、すぐスピリタスが運ばれてきた。
「ストレートかい……」
星川先輩がぼそっと吐いた一言そっちのけで、僕を変えてくれる魔法の液体を見つめる。
テーブルに並ぶビールジョッキやウーロン茶のグラスよりずっと小さなショットグラス入りだ。
――変われますように。
「じゃ、石田の誕生日を祝って、かんぱーい!」
佐藤先輩の一声で、グラスを呷った。
(うわ、)
目を見開く。喉が焼けるような感覚がする。少量なのに飲み干しきれない。
「石田、どう? いけそう?」
せっかく先輩たちと話を広げるチャンスも、うまく声が出ない。
美味しいか不味いか、の前に。
「あつ、い、です……」
「ほおら。言ったでしょ」
すかさず星川先輩がショットグラスを取り上げ、テーブルの反対側へ避けてしまった。
アルコール臭がぶわっと鼻に抜けて涙目の僕は、なす術がない。
まだ酒の力を手に入れていないのに。
(まだ変われてない、よな?)
土橋の話を信じたものの、飲むのがはじめてなので、酒の力で変わる感覚もわからない。
「佐藤先輩、」
「桂花陳酒のお客様ぁ」
とにかく話の輪に加わろうとしたら、店員が再び歩み寄ってきた。
「あ、こっち。ありがと」
星川先輩が微笑み、丁寧にグラスを受け取る。
途端、女性店員の頬が上気した。
(無駄にきゅんとさすな)
じとりと先輩を睨む。
何より、先輩の恵まれているゆえの無駄な優しさが――ずるさが、好きじゃない。
でもちっとも効いた感じはなく、新しいグラスを目の前に置かれた。
「はい、口直し」
「……けいか、何です?」
「桂花陳酒。金木犀のお酒。ソーダ割りね」
複雑な気持ちを抱えたまま、先輩の良過ぎる顔と、淡い金色の液体を交互に見る。
スピリタスと異なり、花の薫りがやさしく漂った。
(まあ、酒ならいっか)
妥協の二杯目に口をつける。
おっ、これは――。
「美味しい。ジュースとも違うけど、飲みやすいし」
「でしょ」
さっぱりしていて、女子の先輩が頼む「甘くてジュースみたい」なカクテルとはまた違うようだ。
ただ、他の誰も頼んでいない。
「よくこんなの知ってますね」
「じいちゃんがバーテンダーなんよ」
先輩がほくろのあるほうの口角を上げてみせる。
(家族までお洒落か)
胸焼けした。
そんな一軍イケメン様が、どうして僕なんかの隣に座って世話を焼いているんだか。
次の全体ツーリングはどこ行く? といった話にまぎれて、疑念がふくらむ。
(食べ物目当てにしては、あんまり食べてないし)
首を傾げたら、佐藤先輩と目が合った。「そのまま星川の相手しとけ」って視線を送ってくる。
佐藤先輩はバズカットが似合う、精悍な印象の人だ。乗ってるバイクのセンスもいいし、マスツーリングを先導する姿は頼もしい。
にもかかわらずフリーで、新しく入った女子と仲良くなろうとしているらしい。
僕の誕生日祝いよりそっちが目当てとみた。
(荷が重いし、佐藤先輩たちと話したいんですが。って、先輩のほうはこんな僕より女子と話したいよな。いや、今日こそ……)
ぐるぐる考えるうち、桂花陳酒を半分消費していた。何だか指先がふわふわする。
「土……、星川せんぱい」
箸をうまく持てない。
佐藤先輩の指令もあるしで仕方なく、好きじゃない先輩を呼ぶ。
「うん? あ、明太マヨポテト取ってあげる。何か腹に入れたほうが酔い回りにくいよ」
星川先輩は逆隣の女子との会話を切り上げ、僕の取り皿にせっせとつまみを盛り始めた。
それも僕の視線に気づいたのか、好物のポテト多めで。
(遠くて手が届きそうになかったから嬉しい、けど)
先輩の、憎らしいくらい整った横顔を見上げる。
カメラアプリのエモいぼかしエフェクトがかかっている気がする。
「……なんで、僕の隣いるんですか」
御礼じゃなく、絡むみたいな問いがこぼれた。
思えばこれまでの飲み会も、気づいたら隣にいた。女子に呼ばれて席を外しても、またふらっと戻ってくる。
先輩は箸の動きを止め、顎に手を当てる。
「石田くんの隣は、平和だからかな」
――あ、ああ、そうですか。
答えを噛み砕くのに、少し時間がかかった。
(僕はいないも同じ、どうれもいいってことれすか、へえ)
桂花陳酒の残りとともに、やるせなさを喉に流し込む。
どうでもいい存在に甘んじない、と今日の目標を立てた。邪魔されたくない。
もう一杯酒を飲んで、仕切り直そう。
片手で顔を扇ぎながら、もう片方の手でオーダー端末を引き寄せる。なんか暑い。
(けいか……なんらっけ)
「チェイサーはこのタブの下のとこに、」
また先輩がおせっかいしようとしてきた。させまいと、ばっと端末を裏返してしまう。
ここはひとつ、はっきり言おう。一軍相手だろうとこわくない。
「陽ちゃんはなぁ」
「え、自分のこと陽ちゃん呼びなん?」
「ふえ?」
先輩が目を見開く。
何だその反応。陽ちゃん、日本語しゃべってるよな?
「『ふえ』って言う子、だいたいわざとらしいけど、君は違和感ないね。狙ってないからか」
「陽ちゃんのはなし、聞け」
「はいはい」
びしりと人差し指を突きつけてやるつもりが、指先が定まらない。
先輩が分身しているせいだ。
完璧な微笑み顔の星川先輩と。笑ってるのにぜんぜん笑ってないように見える星川先輩に。
「陽ちゃんはなぁ、ほしかわせんぱいのことが――」
3 先輩がずるい
「酔い醒めた? 石田くん」
「……ほし、川先輩?」
やわらかな声。ゆっくり目を開けたら、イケメンフェイスが視界を占めた。
下アングルでも整っている。背景できらきら瞬くのは本物の星だろうか。
(下、アングル?)
って、星川先輩に膝枕されてる!
慌てて起き上がる。
先輩の高そうなバギーデニムによだれを垂らしていないか、素早く確かめた。セーフ。
(それはいいんだけど、)
芝生に囲まれている。座っているのは居酒屋の座敷じゃなく、大学の中庭のベンチだ。
大学構内に入れるってことは、まだ日付は変わっていない。
……それしかわからない。混乱でいっぱいになる。
「いつの間に、どうやって、ここに、先輩と」
「三十分前に、俺のおんぶで。君ん家どこか知らないから、起きるの待とうと思って。はいどうぞ」
先輩がすべての疑問に的確に答えてくれた。
移動中に買ったのか、冷たいミネラルウォーターのペットボトルまで差し出される。
(う、うう、うわ~っ)
両手で顔を覆った。
何でもないふうに微笑まれるほど、申し訳なさで押し潰されそうになる。
酒に呑まれ、よりによって好きじゃない先輩に借りをつくってしまうなんて。
――ていうか、今日の目標。
「他の先輩たちは……」
「女子を駅まで送ってったよ」
うちの大学は、最寄り駅まで結構歩く。
路線バスも運行してるけど夜は本数が少ないから、飲み会後は男子が女子を護衛する流れになる。
(隣に座ってた星川先輩だけ残って、僕を介抱してくれたってわけか)
さぞ女子はがっかりし、男は僕に感謝したはず。
星川先輩にとっては、とんだとばっちりだ。
好きじゃないとか言っていられない。まだ少し火照っている頭を、勢いよく下げる。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ」
先輩は嫌味なく笑う。
はあ、それがずるいんですって。
(しっかし僕、あの二杯で潰れたのかよ)
頭が痛いとか吐きそうとかは、ないものの。潰れた瞬間をまったく思い出せない。
ちょっと、気になる。
学生が行き交う昼間と打って変わって静かな中、おそるおそる訊いてみる。
「……あの。僕、どうなってました?」
「酔っ払った石田くん? 可愛くなってた」
「はァ゙!?」
予想外過ぎる返答に、野太い声が出た。
可愛くなってた、だと?
途端、長い脚を投げ出した星川先輩が、「あはは」と吹き出す。
(この無駄イケメン、石ころで遊ぶな……!)
先輩は「可愛い」なんて「おはよう」並みに言い慣れてるだろうけど、僕には刺激が強い。冗談はやめてほしい。
(ふつう、男が男に可愛いとか言わないんだよ)
ぺち、と頬に手の甲を当て、切り替える。
「そうじゃなくて。変なこと言ったりしてなかったですか」
「変なこと……」
先輩は、今度はじっと見つめてきた。
何ですかその間は。そわそわするじゃないか。切り捨てるならひと思いにやってほしい。
かと思うと、無駄にさわやかな笑みを浮かべる。
「心配するようなことはなかったよ」
「そ、うですか」
何も憶えていないので、納得するほかない。
先輩がわざわざ嘘を言う理由もない。よな?
とりあえず、もらったミネラルウォーターをひと口飲む。ほっと息を吐いた。
でも、気持ちは沈んだままだ。
……結局、星川先輩以外の先輩とほとんどしゃべれなかった。
可愛い女の子ではないし、面白い話もできないしと行動しないできた僕にとって、今日は大きな転機だったのに。
(スピリタスは強過ぎたっぽい)
うなだれていたら、「それより、はい」と透明なプラスチックフォークを握らされた。
「何です?」
戸惑う僕をよそに、先輩は僕の反対側に置いたビニール袋をあさる。
薄暗い中、上下逆さまのジップロックコンテナを取り出した。
なんで逆? とますますいぶかしむ僕の前で、ぱかりと開けてみせる。
皿代わりの蓋に載っていたのは――大きなイチゴのショートケーキ。
「サプライズで、……三年生が用意してたんよ。捨てちゃうのもったいないから、店員さんに頼んで容れ物貸してもらった」
サプライズ。僕のために? ぜんぜん気づかなかった。
先輩たちは女子目当てばかりじゃなかったとわかって、じんわり胸が温まる。
「まだ当日だね。改めて、二十歳おめでとう」
星川先輩は、僕にこのケーキを渡すために残ってくれたに違いない。
イケメン効果で、中庭が映画のロケ地みたく見えてきた。
「……ありがとうございます」
蓋ごとケーキを受け取る。
甘い匂いのするスポンジに、いそいそフォークを差し入れ、口に運ぶ。
コンビニで調達したと思われる、いたってふつうのカットケーキだけれど。
「美味しいです」
「あは。クリームついてる」
不意に先輩が、僕の口の横を親指で拭った。当然のように、その指をぺろりと舐める。
(ま、またずるいムーブを……!)
頬か熱い。酔いがぶり返しかけている。
まぎらわすべく、ケーキをもくもくと食べ進めた。酒に潰れた後の胃に、もう少し頑張ってもらおう。
「石田くんって、ショートケーキのイチゴ最後に残す派なんだね」
なぜかにこやかに僕を眺めていた先輩が、おもむろに言う。
……訂正、「僕を」じゃなく「赤いイチゴを」だ。好物なので躊躇いつつも、フォークに刺す。
「食べます?」
「それは君のでしょ」
その割に食いついてこない。それもそうか。
自分で頬張る。甘酸っぱい。
言われてみれば、いつも好物は最後に食べる。食べ終わってもしばらく余韻を楽しめるのがいい。
ふとしたとき思い返せるよう、楽しい時間とか嬉しかったことだけ憶えておくのと似ている。
ケーキの最後のひとかけを、こくんと呑み込んだ。
「じゃ、帰ろっか」
僕が食べ終えたのを見計らって、先輩が立ち上がる。僕も腰を上げた。
ひとり暮らしのアパートに帰ったところで、誕生日を祝ってくれる人はいない。星川先輩のおかげで、ちょっと特別な思い出ができた。
意を決して声を掛ける。
「あの。今日の御礼も、まとめてしますから」
「いや、いらない」
(え――?)
外灯に照らし出されるのは相変わらずの笑顔なのに、有無を言わせない声だ。
何だか距離を感じる。
アクシデントで僕と一緒にいただけで、これ以上はわずらわしいとみた。
(それもそうだよな)
僕はその辺にいる大学生。
サークル一イケメンとの恋が芽生えたり、しない。
何なら星川先輩は、いちばん遠い存在だ。
(ふたりでいると忘れそうになるけど、遊び人だし)
食い下がりはせず歩き出す。
先輩は駅へ、僕は徒歩十五分のアパートへ。飲み会だからバイクは置いてきた。
正門前で分かれる。
「おやすみ、石田くん。飲み直しはしないでね」
「しませんよ」
こっそり振り返ったら、タイミングを読まれていて、ひらひら手を振られた。まっすぐ帰るんだよ、とばかりに。
(目標はぜんぜんだめだったけど。いい思い出だけ憶えとこ)
星川先輩のずるさを差し引いた気遣いと、好物のイチゴのケーキ。そのふたつを胸に刻んだ。
4 先輩は世話焼き
保育園時代、男の保育士さんに「陽ちゃんね陽ちゃんね」と一生懸命話し掛けていたらしい。
恋愛として同性が好きなんだな、と自覚したのは、中学生のときだ。
初恋の相手は――地理の先生。
先生は芯の通った声をしていて、他の授業の最中にその声を思い出しては胸がきゅんとした。
バレンタインに、先生に手づくりチョコを渡す子もいた。
けれど僕は、それに乗っかることもできず。
地理の成績トップを目指すわけでもなく。
(テストで一番取りました! で? って感じだもんな)
先生にとっては大勢いる教え子の一人のまま、中学を卒業した。
高校では俳優にどハマりして、推し活に勤しんだ。若手なのに演技が堂々としてるのがいいなと思った。
カレンダーお渡し会とかファンミーティングとか、直接会えるイベントはあるものの、そこで印象に残ることをするでもなく。
リアコが駄々漏れそうで手紙も書きづらい。
大学受験時のブランク以降は、出演作やSNSのチェックだけしている。
(ともかく、僕って歳上好きみたい)
実際、サークルの先輩たちは大人っぽくてかっこいいと思う。某遊び人を除き。
でも、なかなか輪に入っていけない。
(向こうは僕を単なる同性の後輩って思ってるし、迷惑はかけたくない)
僕が「好き」って言うには二重のハードルがある。
自信のない自分と、同性相手だとより勇気が必要な世界。
せっかく今までの僕を知る人のいない都会に出てきたのに、それらを乗り越えられそうな気配がない。
(飲み会も失敗に終わって、次はどうしよ)
はあ、と溜め息を吐いて教室に入る。
とりとめもなく片想い歴を思い返していたのは、この水曜一限の授業のせいもある。
学部を問わない一般教養科目で、土橋も履修していて、先月は一緒に受けていた。
寝坊したら助け合おう、なんて言っていたのが。
『石田ごめん。愛季ちゃんと一緒に受けさせて』
昨日、土橋にぱん! と手を合わせられた。
例の可愛い彼女は、この大学の二年生だったんだ。
愛季ちゃんのほうは「三人で受けようよ」と言ってくれたが、さすがにそこまで空気読めなくない。
(同じ高校出身の愛季ちゃんのが付き合い長いし、彼女との時間を優先したいのもわかるけどさ)
うらやましいような、切り捨てられたような……。
振られる格好になった僕は独り、教室中ほどの長机にリュックを置いた。
三人掛けのはじっこ。かつ、横にカップルや二人組の先客がいない席。
友達は多くない。同じ教育学部の面々が固まっているところに加わる気も起きない。今週からぼっち席――と思いきや。
「おはよ、陽ちゃん」
タブレットノート用のペンやらミニマウスやらを、盛大に落っことす。
(陽ちゃん!?)
聞き違いでなければ、この声は。
こわごわ振り返る。予想どおりの人物――朝でもさわやかな星川先輩が、背を屈めていた。
(先輩もこの授業取ってたんだ)
僕の落とし物を拾い、三人掛けの真ん中に置く。
「はいどうぞ」
……席を詰めろって? 僕のことはわずらわしいんじゃないのか。
先輩は社会学部で、学年も違う。手間をかけまくった誕生日の夜以降、顔を合わせるのははじめてだ。
「なんで、わわ」
腰でもぐいぐい押された。仕方なくはじっこを明け渡しつつ、小声で困惑を表明する。
「急なちゃん付けやめれます?」
「急でもないけど」
先輩は悪びれず笑った。
その肩越しに、教室の扉のそばとか窓際で立ち話していた女子が、ぞろぞろ席に着くのが見える。
あーあ、って残念そうな顔。
(みんな先輩の隣狙って、座らないで待ってたんだ)
僕が悪いみたいで居たたまれず、さらに声をひそめて告げた。
「彼女さんたちのお相手してください」
「彼女いないよ、今は」
「あ、え?」
思いもよらない答えに、頬を引き攣らせる。
(それ、モテる人間の答え方)
今はいないだけで基本います、みたいな。
いつでも彼女つくれますけど今は求めてません、みたいな。
(って、彼女百人いるんじゃ?)
そのずるさで勘違いさせてるってこと?
じゃあ、恋人でもない女の子の腰を抱いたりしてたのか。そっちのほうがたちが悪い。
……僕を転がして遊んでるんじゃなく、本当に?
(なんでだろ)
追及はできない。教授がやってきて、星川先輩は前に向き直った。
彼女と連番指定の土橋と違い、どこに座ってもいいのに、僕の隣で講義に耳を傾けている。
(なんか、どの女子も選ばず済ませる言い訳に使われた気がする)
そういうことか。やっぱりずるい男だ。
講義後、そーっと荷物をまとめ、星川先輩の反対側の通路から立ち去ろうとする。
遊……イケメン先輩の隣に居座る理由はない。二限は別々だし。
「陽くん、今日のサークルミーティング出る?」
でも、先輩に顔を覗き込まれ、いやでも目が合う。
(この仕草、癖なのかな。それに、ちゃん付けじゃなくなったけど名前呼び……)
「近づくとめんどう」判定されたら、たとえ相手が好きじゃない先輩でも、へこむ。
でもふつうに話されたら話されたで、罪悪感が募る。弱みを握られた気分で、神妙に答えた。
「今日は五限まで教職科目が入ってるので、出れないです」
「え、すごいね」
「別に……」
忙しいだけで何もすごくはない。視線が泳いだ。
「今週末の全体ツーリングの行き先決めるみたいだけど。ツーリングは来るよね?」
「あー、あとで、土橋に聞いときます」
なおも濁す。
実は今、サークルに顔を出すのが少々気まずい。
飲み会で潰れた僕を、星川先輩は「心配するようなことはない」って言ったけど。
月曜、佐藤先輩に行き合うなり「あの後だいじょぶだったんか?」って爆笑された。
やっぱり記憶のない間、陽気になって踊ったりとか、暗くなって呪詛を唱えたりとかしたんじゃないか。
もしそうなら、恋愛対象として見てもらうどころじゃない。
「土橋くんはデートで今日も週末も不参加だってよ」
「え」
しかし友は頼りにならないと、先輩の口から聞かされる。
うちは部活系サークルと違ってゆるい。ミーティングも毎回出席しないといけないわけじゃない。
でもそんな予定、聞いてないんですけど? 友よ。
口を尖らせていたら、先輩がすっとスマホを差し出してきた。
「俺が結果教えてあげる。LINE交換しよ」
「えっ?」
今日も今日とて整った先輩の顔とスマホ画面を、交互に見る。
その代わり、と何か要求してくるでもない。するなら介抱の時点でできるか。
「……はい」
もったいぶるのも自意識過剰みたいなので、ぽちぽちとIDを提示した。
先輩が素早く登録する。[叶斗先輩だよ]と初メッセージが届いたところで、
「おーい叶斗、教室移動すんぞ~」
社会学部の友達だろう、いかにも一軍な男子グループに連行されていった。
また独りになった僕は、スマホ画面に目を落とす。
(叶斗先輩だよ、だって。本物だ)
サークル一イケメンの連絡先を入手してしまった。
でもやっぱり、恋につながる予感はしない。
先輩はずるいし、地上の石と空の星では遠過ぎる。
[行き先、箱根に決まったよ]
その夜、先輩がミーティング結果を知らせてきた。
ああ見えて世話焼きだ。印象を少し改める。
シンプルな一文に、僕も[ありがとうございます]スタンプのみ返す。
(箱根かあ。絶景スポットも温泉もあって、鉄板だよな)
高校時代に繰り出したことがある。楽しい思い出がよみがえった。
(愛車、メンテナンスしとこ)
弾む足取りでアパートの駐輪場へ出向く。
ここだけの話、自動二輪の免許は、推し俳優が出演したドラマの影響で取った。
(教職といい、僕って単純)
少しでも好きな人に近づけたら、と考えのだ。
バイク本体はレンタルで足りるかと思いきや、ツーリングに出てみて、マイペースに寄り道したり季節を肌で感じたりできるのに惹かれた。もっと出掛けたくなって、バイトを頑張って購入した。
(それで浪人しちゃったかもだけど)
国産の、250ccタイプ。
高速道路も走れる中型バイクの中では、初心者でも扱いやすい。
都会では電車のほうが便利だとしても、連れてきてよかった。
「ん?」
チェーンを磨いていたら、ポケットのスマホが震えた。
見れば、今回のサークルツーリング参加者用のLINEグループがつくられている。
[星川と陽くん、参加ね]
先輩が僕のぶんも参加表明していた。
そこまでは頼んでいないが、まあいいか。
週末を使った全体ツーリングは一泊だから、夜は宿で部屋飲みだ。
(二.五軍な僕の恋は、自分から動かないと進まない。よし!)
一回の失敗でめげてはいられない。
先輩たちとの距離を縮める目標に、再挑戦しよう。
世話焼き先輩には邪魔されませんように。
5 二回目の飲み会
土曜朝。箱根山麓のコンビニ駐車場に、サークルメンバー十五人が集まった。
梅雨真っただ中だけど、晴れてよかった。
なんて空を見上げていたら、
「陽ちゃん、晴れ男だったりする?」
つなぎのバイクウェアが様になる星川先輩が、気安く話し掛けてくる。
「だからちゃん付けやめてくださいって」
いくら世話焼きでも、目標を邪魔されては困る。
なのに僕の愛車を「よく手入れされてんね」とか、しげしげ眺めている。
それだけに留まらず。
「後ろ乗せて」
「はァ? なんでですか」
このお願いには、さすがに目を丸くした。
うちのサークルは、自動二輪の免許がなくても、バイクを持ってなくても、ツーリングに興味があれば入れる。
特に一年生は教習所に通い中だったり、バイト代を貯めているところだったりする。
そういう子は上級生が後ろに乗せてやって、タンデムするそうだ。
(でも星川先輩はとっくに免許取得済みで、洋画みたいなでっかいバイクも持ってたよな?)
むしろ先輩の後ろに乗りたい女子だらけのはず。
「先輩のハーレーは?」
排気量1000ccもある、外国製の大型バイクをきょろきょろ探す。
「じいちゃんと共有で、今週はじいちゃんが乗ってんの」
「はあ、そう、ですか」
「ってわけで」
まだ「いいですよ」とは言っていないのに、先輩は僕の愛車の後部シートに跨った。
電車集合組の女子は当てが外れたような面持ちだ。
それを横目に、先輩が僕の手から鞄を取り、車体のサイドにするする括りつける。
「はいどうぞ」
革張りのサドルをぽんと示された。僕のバイクですってば。
(余計なことを……、でもないか)
先輩たちは、それぞれこだわりのカスタムバイクに乗っている。僕が後ろに乗せてあげる必要はない。先輩の誰かの後ろに乗ることもできない。
(だからってなんで僕?)
疑問は募るものの、断る理由もなかった。
しぶしぶハンドルを握る。
途端、星川先輩の長い腕にすっぽり包み込まれる。
(なんか、)
後部シートには、つかまるところがない。
走行中のバランスを取るため、運転手と同乗者はくっついたほうがいい。とはいえ。
(バックハグみたいだな)
体格差を見せつけられ、唾を呑み込まざるを得ない。
実際、この自然な密着によって、カップルに発展することが少なくないという。
(いやいや、先輩は僕なんか好きになるわけない。ていうか、僕だって別に好きじゃないし)
「彼女いないよ」というのが事実だったとしても、先輩は選り取り見取りだ。
小さく首を振る。運転に集中しないと。
背後で、先輩がくすりと笑った気配がした。
(石ころ転がして遊ばないでください)
別の意味でも遊び人め。
腹に回った大きな手をぺしりと叩いてから、エンジンをかけた。
四年の先輩を先頭に、風を切る。
峠道はうねうねとカーブが続くけど、スピード控えめで運転すれば問題なし。
先輩たちが全体を見てコントロールしてくれている。おかげで快適だ。
途中のパーキングエリアで、腹ごしらえがてら休憩を挟む。
「陽くんって、すごく安全運転だね」
ヘルメットをしていたのに、イケメン魔法なのか髪がぺちゃんこになっていない星川先輩が、当たり前のことを言ってきた。
「ふつうでしょう。後ろに先輩乗せてるんですし」
当たり前に返せば、ほんのり微笑みもする。
……それ、ずるいからやめてほしい。
また抱き込まれ――じゃない、つかまられ、走りを再開する。
見通しのいい道に差し掛かった。
今回のツーリングの、いちばんの見どころ。
(見えた!)
快晴の空を背景に、雄大な富士山がくっきりとそびえる。
「富士山ー!」
「富士山!」
ん? 被った。
ヘルメット越しでも、複数のエンジン音に囲まれていても耳に届いたのは。
意外にも、星川先輩のはしゃぎ声だ。
ひとつも共通点がなさそうな一軍イケメンが、同じ反応をするなんて。一ミリだけ親しみを感じた。
夕方には無事、温泉宿に到着した。
山間部に位置し、緑豊かで気持ちいい。
「運転お疲れさま、陽くん」
「これくらいぜんぜんです」
労いを口にする星川先輩の前では、見栄を張ったものの。
バイクの運転は結構筋力と体力を使う。
ハンドルはもちろん、車体も腿でしっかりホールドしておかないと安定しないんだ。
客室に荷物を置き、早速大浴場へ行く。
(目標に挑む前に、回復しないとな)
ここは学生やバックパッカー向けの簡素な宿だけど、浴場は広くて窓が大きい。
陽が暮れかけで、雰囲気二割増しだ。
「はあ゙~~~」
「誰だ、おっさんじみた声出したの」
佐藤先輩の笑い声がタイルに反響して、はっと口をつぐむ。
(二十歳、おっさんになっちゃった)
この湯は筋肉痛に効くとかで、アパートの風呂とはぜんぜん違うから、つい。
浴槽の縁に顎を乗せ、緑を見ながら静かに堪能することにする。
今日のツーリングで出会った、鮮やかな景色や先輩たちの頼もしさを思い返した。
星川先輩の体温とか胸板の感じ……は憶えとかなくていいんだってば、僕の脳みそよ。
「陽くん、のぼせてない?」
「え」
まさに星川先輩の声がして、ざばりと波を立ててしまう。
振り返れば、最後の一人になっていた。ゆっくり堪能し過ぎた。
「だ、だいじょうぶです」
着やせするのか、想像以上に立派な星川先輩の胸筋はなるべく見ないようにして、脱衣場へ逃げ込む。
(見せびらかすな、ずるいでしょうが)
火照った身体を浴衣で包み、早足で客室に取って返した。
男子の客室は、畳の大部屋だ。
泊まりならではの部屋飲みのために、缶ビールやサワー、ジュースをいっぱい持ってきてある。パーキングエリアでつまみ用のご当地菓子も買った。鞄から出さないと。
座布団を並べて、紙コップも配って……。
「遅いよ、星川くん」
「ごめんごめん」
視界の隅で、星川先輩が女の子たちに文句を言われている。女子部屋まで呼びに行く約束だったらしい。
(僕の長湯を心配したせいで、遅れた?)
ちょっと引っ掛かった。またも隣に座ってきた先輩の横顔を窺う。
けろりとしている。
(単に先輩ものんびり浸かってただけか)
意識し過ぎな気がして、素直に謝れない。
「先輩、あっち座ったらどうですか」
代わりに女子のほうを指さした。僕の世話を焼く必要はないです、と暗に示す。
「ここがいい。平和に飲みたいもん。だめ?」
しかし当の先輩は、こてんと小首を傾げる。
平和に、飲みたい……。
そうだ、僕は都合よく使われてるんだったな! 気を回して損した。
「好きにしてください」
「あ、ちょ、陽くん」
佐藤先輩の乾杯の音頭とともに、缶ビールをぐびぐび呷る。
……苦い。
(先輩たち、これを美味しそうに飲んでたんだ?)
怯むものの、目標を果たすべく、隣の無駄に甘いイケメンフェイスで中和して飲み進める。
今日こそ酒の力を借りる。そして、片想い歴を終わらせるきっかけをつかむのだ。
メンバーは今日の感想を話したり、バイクのカスタムを語り合ったりと、盛り上がる。
こじんまりした宿で、今夜は僕たちサークルの貸し切り。多少騒いでも構わない。
どうにか一缶飲みきった僕も、輪のひとつにお邪魔して、四年の先輩に「就活どうれしたか?」って尋ねてみた。
「石田は学校の先生目指してるんじゃないの?」
「実はまだ迷ってるんれす……へへ」
「面接、その調子でいけば勝機あると思うよ」
「そうれすか~?」
先輩たちがどっと笑う。
こんなにウケたの、はじめて。横にいた佐藤先輩の肩に頭をぐりぐり擦りつけて喜びを表す。
そこに、星川先輩が割って入ってきた。
「陽くん、次これ飲んで」
「らにこれ?」
いい感じだったのにまたあんたか、と透明な液体を睨みつける。
「ミネラルウォーター、の、お酒」
「あ、美味ひい。芋の菓子に合いそう。陽ちゃんが後で食べようって取っといたやつ……」
「はいどうぞ」
好物のスナック菓子を、さっと手渡された。気が利くじゃないですか。
その後もこまめにおかわりを注いでくれて、酒が進む。
「今日はぁ、後ろ乗っけたひとが、じゅーしんいどー上手かったから、山のカーブもよゆーらった!」
「陽ちゃんが運転上手だったんだよ」
「やっぱり~?」
楽しく話せてる。ありがとう酒の力。
――いつ寝たかは、定かじゃない。
でも翌朝、ぱちりと目を開けると、きっちり浴衣を着てきっちり布団に収まっていた。
その辺に芸術的な体勢で行き倒れている先輩たちとは違う。体調も良好だ。
「僕、結構酒強いかも!」
度数の高いものさえ避ければ、いい感じになれる。話の内容はぼんやりしているけど、ウケた覚えはある。
(この調子で、先輩たちとどんどん話そう。うん)
ふと、隣の布団に横たわる星川先輩の寝顔が、にやけているのに気づいた。
さては昨日、女子の誰かと仲良くでもなったんだろう。平和に飲むと言う陰で。
「……」
「ぐえ。ちょ、なんでいきなり殴ってきたの?」
他はまだ誰も起きていない部屋に、先輩の小さな悲鳴が響く。
無意識に手が出ていた。たぶん、にやけててもイケメンでずるい先輩が好きじゃないから。
「何となくです」
「ひど」
寝起きにしてはやたらはっきりした抗議は、受け流す。
(いくら優しくしたって、そうそう利用されてやりませんからね)
ひとつ前に進んだ手ごたえと、世話焼きぶる先輩に対する教訓を得て、帰路に就いた。
6 勘違いしない
バイクで思いきり走ると、自分の悩みがちっぽけに思えて、気持ちがすっきりする効果がある。
加えて、「酒の力を借りようと変われない」疑惑が晴れた。
どうにか恋愛の一歩目を踏み出せそうで、大学の廊下を歩く足取りも軽くなる。
「陽ちゃん」
出し抜けに呼び止められた。
この呼び方をするのは、大学中ただ一人。
教室のほうに身体を向ければ、扉際の最後列席に、案の定のイケメン――星川先輩が陣取っていた。
二限が終わってもそのまま残って、男友達と昼ごはんを食べていたらしい。学食だと女子に熱く見られて食べにくそう、ってのはさておき。
「だーかーら、ちゃん付けやめてください」
じとりと睨む。
誕生日の飲み会以来、何なのだ。
「あはは、むくれた顔可愛いからつい」
「はあァ゙?」
「出た、おっさん声」
一転、羞恥でかあっと顔が熱くなった。
前回のサークルツーリングで、佐藤先輩に「おっさんじみた声」って突っ込まれたの、掘り起こすな。
しかもまた「可愛い」とか揶揄ってくる。
僕で遊ばないでほしい。
「何の用ですかっ」
半ば喧嘩腰に問えば、先輩はすっと目を細めた。
「必修のプリント、見たくない?」
と、文系の一年生が履修しなければならない授業名を挙げる。ふむ。
「あれですか。担当教授が気難しくて」
「そ。テストミスると、出席足りてても容赦なく再履になるあれ」
手強い授業があるのだ。
噂を聞いたのに甘く考えた二年生の先輩が、見事に履修し直していた。
あと十日で、七月。
前期試験がすぐそこに控えている。
(あっと言う間に過ぎてくな)
ろくに進歩しないまま時間だけ経つかのようで、焦りがよぎった。
その隙に先輩に手首をつかまれ、どきりとする。
「御礼は、テスト終わったあと、俺のとっておきのツーリングコース一緒に行くのでいいよ」
内緒話みたいにささやかれた。
(……親切の押し売り?)
ただ要求されたのは金銭でなく、ツーリングの約束。
先輩にメリットがないように思う。何か裏があるんじゃないか。
「とっておき?」
腕を組み、詳細を求める。
「そ、海が見えんの。インスタとかには情報流れてなくて、渋滞少ない」
「はあ」
「美味いポテト専門店がある。トッピングの種類が多いんよ」
揚げたてポテトの香りを錯覚した。芋好きにはたまらない。
「あと、食べ放題の果樹園もある」
今度は果物の甘酸っぱさを思い出して、舌がとろける。好きな食べ物ツートップをちらつかされ、取引するほうに傾く。
ていうか、すごく食いしんぼうだと思われてないか?
(今、腹が減ってるのがいけない。学食に行こうとしてたんだ)
そこで、先輩の友達が「誰と話してんのー?」と身を乗り出してきた。
「後輩」
先輩は上体を伸ばして、僕の姿を隠そうとする。
……二.五軍な後輩と話してるところなんて、見られたくないか。友達のほうも、「さっさと切り上げて」と暗に言っているのかもしれない。
「考えときます」
短く言い置き、本来の目的地である学食へと急いだ。
教室で笑い声が起こるのを、背中で聞く。
(僕を、嗤ってるわけじゃ、ない)
そう自分に言い聞かせ、悪い想像を断ち切る。
先生が好き。俳優が好き。同性が、好き。誰にも言っていないから、誰にも嗤われたりしない。
『――くんて、――だよね』
『――って正直、迷惑だろ』
それでも耳に複数の声がよみがえる。いい思い出以外は捨てたはずなのに。
深呼吸して、星川先輩から持ち掛けられた取引のみ考える。
(プリントは魅力的だけど。見せてもらったら、実質的に借りが増える)
現時点でも、借りがひとつ多い。
喝上げから助けてくれたのは、授業時に隣を狙う女子避けで埋めた。
(誕生日に介抱してもらった御礼も、先輩はいらないって言ったけど、するとして。今回は……そうだ!)
頭を捻った末、小さく頷いた。
[明日、プリントお願いします]
数日後。星川先輩にLINEを入れた。
件の必修科目を担当する教授は、未だにアナログ派だ。資料を紙でしかもらえないので、ブツをやり取りする必要がある。
僕も僕で、タブレットノートのとあるデータを編集してから、布団に入った。
翌日、四限の教職の授業後にスマホを確認する。
[ラウンジにいんね]
先輩からメッセージが入っていた。
(待たせちゃったかな)
足早に校舎を移動する。
構内中央に位置するラウンジは、壁が全面ガラスになっていて、カフェみたいで居心地がいい。
飲食も作業も会話も可能で、学生の姿が多い。
それでも星川先輩はすぐ見つけられた。
暖色の照明が一人だけ多く当たっているかのごとく、浮かび上がって見える。
「先、ぱ……」
先輩が独占する四人掛けテーブルの手前で、はたと足を止めた。
真顔でスマホを見ているからか? 近寄りがたい。
(イケメンってそういうもんだよな)
そう思い込もうとしても、女子にも囲まれていないし、知らない人みたいだ。
……いや、僕が星川先輩の何を知ってる?
学年も学部も、生きる世界も違う。遠い一軍。
同じサークルに押し掛けて、ちょっとしゃべるようになっただけ。
ふと、夜の中庭での横顔が思い出された。
親切かと思ったら、線を引く。
「あ、陽くん。おいでおいで」
先輩は僕に気づくと、ぱっとワイヤレスイヤホンを外して笑みを浮かべた。いつもの星川先輩になる。
(考え過ぎだ、うん)
違和感を呑み込み、歩み寄った。
先輩が鞄からプリントの束を取り出すと同時に、僕もUSBメモリをテーブルに置く。
「水曜一限の授業の、メモ入り資料です。交換ってことで。では」
データで配られた資料に、ネットで調べた内容や教授が口頭でしか話さなかった補足もきちんと書き留めてある。
これを提供することで、貸し借りイーブンにしようと考えたのだ。
(先輩が真面目に授業受けてたら、たいした価値ないけど)
突っ込まれる前に帰ろうとした。
でも、きゅっとシャツの裾をつままれる。
「時間あるなら、座ってよ」
「っ、」
ずるい上目遣いをすな。
今日に限って五限はないし、家庭教師のバイトもない。咄嗟にうまい嘘を吐くトーク力も僕にはない。
「あー……」
緩慢に、先輩のはす向かいの椅子を引く。
よくよく見ると、セルフサービスのお茶のコップがふたつあった。僕のぶんも用意していたらしい。親切なことで。
その世話焼き先輩は、嬉々としてノートパソコンにUSBを差し込む。
「お、代返だけしてもらった週のもある」
やっぱり不真面目だった。
おおかた、前夜遅くまで女子と遊んでいて寝過ごしたに違いない。
「書き込みの字も可愛いし。さっすが陽くん」
字も可愛いし、だと? ふつうです。
呼吸みたいに吐かれる「可愛い」を、勘違いしたりしない。「はァ゙?」の声はお茶ごと飲み下す。
先輩は僕の気も知らず、メモを熟読している。
ラウンジは勉強するには気が散る、って人が多いけれど。
「話し声、気にならないんですか」
「ん? 俺は雑音あったほうがはかどるよ」
雑音て。
BGMとして何かしゃべってほしくて、僕を引き留めたのだろうか。
(それこそ、仲良いグループの人たちのほうが適任だよな。今日はひとりなんだ)
僕は先輩を眺めるくらいしかできない。
集中すると唇が尖るらしい。ほくろが際立つ。伏せた睫毛は長い。
「ふたりでツーリング行くの、楽しみだね」
切れ長の目が急にこちらを向いた。
反射的に顏を逸らす。目が合ったら危険な気がする。
「その資料……」
「これはこれ」
ガラス壁に映る先輩が、さらりと流す。
誰しも自分とツーリング行きたいに決まってる、って感じ。たいした自信だ。
そう、誰しも。なのになんで僕が誘われたのか。訊いてもさっきみたいに流されそうで、訊けない。
それにしても、ふたりか。
(デートみたい。……なんて! ないない)
自分で自分に突っ込む。そんなわけない。単なる取引です。
ていうか、「これはこれ」だと、依然として借りがある状態じゃないか?
「で、陽ちゃんはいつになったら俺を『叶斗先輩』って呼んでくれるのかな」
「え゙っ?」
今度は顔を覗き込まれる。
頭の中をお見通しかのようにねだられ、むせた。
そう言えばLINEでも、「叶斗先輩だよ」って強調してたっけ。
先輩はしてやったりの顔で、手のひらを返す。
「はいどうぞ」
「今ですか?」
親切な先輩。とはいえ利用されるだけの関係。名前呼びするほど親しくない。
だいぶ躊躇われる。
「今」
でも、借りがある。何より、切実な目と目が合ってしまった。
「叶斗、先輩」
「うん」
「……」
「ぐわ。ちょ、なんで今度はパーで殴ってきたの?」
「こっち見たからです」
「ひど」
先輩が頬をさするが、びんたしたわけじゃない。思わず押し退けたのだ。
名前を呼んだだけで、はにかむように微笑むのがいけない。遊び人は呼ばれ慣れているだろうに。
石は星に手が届かない。
では、星から近づいてきた場合は?
いやいやいや。二.五軍に勘違いさすな。
◆
――一時間後。
「陽くん、やっぱりぜんぜん俺のこと好きになんないな」
人影もまばらなラウンジで、椅子の脚を浮かせて揺らしながらつぶやく。
帰るなら送ると申し出たものの、あっさり断られた。
確かに俺は実家住みで電車通学。あの子はひとり暮らしでバイクか徒歩通学だけれど。
(女の子とは違う?)
俺は高校でも中学でも、同性から告られた経験がある。そういう人もいるんだなって感じで、嫌悪感とかはない。
ただ、男が好きなわけでもない。
(でも、ああ言われちゃったらね)
本人は憶えていないらしい、居酒屋での一言。
酔っ払って表に出た、本心に違いない。
かたん、と椅子をもとに戻す。
プリントの礼を口実に取りつけたペアツーリングは、久しぶりに楽しめそうだ。
7 取引デート?
大学の前期試験を片づけ、八月を迎えた。
※これからイケメンと会いますが取引です、恋愛の相手から最も遠い存在です。努力の方向を間違えないように。
……って注釈を自分で自分につけて、家を出た。
愛車でパーキングエリアにすべり込む。
途端、居合わせた人たちの目が集まる。
僕の隣に。
駐輪スペースに並ぶバイクの中で、いちばんでかいハーレー。
アメリカ製で、パーツもごつい。ガソリンタンクとタイヤの泥除けは、鮮やかな赤だ。
それに跨っているのが、目の覚めるようなイケメンときた。プロテクターが仕込まれたナイロンジャンパーと赤いライダーグローブが、また似合っている。
(待ち合わせただけで、この注目されよう)
今日は星川先輩との約束の日だ。
試験期間中お預けだったツーリング自体は楽しみだが、正直怯んでしまう。相棒の国産バイクとともに縮こまった。
「おはよ、陽ちゃん」
ヘルメットのシールドを上げた先輩のほうは通常運転で、僕の顔を覗き込んでくる。
「……次ちゃん付けしたら叶斗先輩って呼びません」
「え、それは困る」
憎まれ口に被って、いいなー、と僕をうらやむ通りがかりの女の子の声が聞こえた。
客観的には、僕は幸運な男だ。
(ほんとに、先輩とふたりでツーリングするんだな)
春先はこっちが距離を取っていた。
飲み会で迷惑をかけてしまって、避けられるかと思いきや、不思議なものだ。
「行こ。まずはポテト屋さん」
先輩がフェイスシールドを下ろす。きらりと午後の陽光が反射した。
「おはよう」って言ったけど、指定された集合時間は、日帰りにしても遅めだ。コンパクトな行程なのだろう。
(それはそう。単なる取引だし)
がっかりはしていない。
ただ、心臓の辺りがむずむずする。
試験期間中はラウンジや大学図書館でたまに見かけるくらいで、イケメンを間近にするのは久しぶりだからかな。
それより、とっておきだというポテトだ。
(この際だから、楽しませてもらおう!)
切り替えて、でかいハーレーについていく。
二台で走るときは、斜めに位置取る。お互いよそ見せずとも視認できて、距離も近い。
沿岸の国道に出た。
(真夏のぬるい風でも気持ちいいな)
クルマでのドライブと違い、走行中会話しなくても済むのは助かる。
「着いたよー」
目当てのポテト専門店は、入り組んだ道の先の丘に、ぽつんと建っていた。
見晴らしがいいが、国道からは死角だ。
なのに知る人ぞ知る店らしく、駐車場はほぼ埋まっている。
「陽くんはテーブルで座って待ってて」
「いやなんでですか」
「なんでって……」
田舎者でも、注文くらい自分でできる。
世話焼きが過ぎる先輩は無視して、蛇行する行列の最後尾に着いた。
ただ、小さなスタンドで、自然の中でのんびり経営するつもりだったのか、店員は二名のみ。
列の進みは早いとは言えない。じりじりする。
「ママぁ、まだ食べられないの?」
後ろに並ぶ家族連れの子どもが、ついにぐずり出した。
(すぐそばで香ばしい匂いがしてるのになかなかありつけないの、つらいよな)
列は日陰だけど、屋外だから暑いし。
なんて思っていたら、
「陽くん。順番譲ってもいい?」
星川先輩が、ハンディファンの音に隠して耳打ちしてきた。
はっとする。心の中で思うばかりの僕とは違う。
僕がこくこく頷けば、颯爽と振り返った。
「お先どうぞ」
「え、いいんですか?」
「俺たち急がないんで。あと、大人なので」
「ふふ。ありがとう、助かります」
悪戯っぽい声色で母親を笑わせ、申し出を受け入れやすいようにもする。
「やったー!」と喜ぶ子どもを、にこにこ見守る先輩が――眩しい。
真夏の日差しのせいだけじゃない。
先輩は、いつでもどこでも誰が相手でも、自信を持って行動する。
(こんなふうに、なりたかった)
でも、なれない。
僕には自信の素になるものがない。
バイクが好き。芋が好き。それと同じように、ふつうのことみたいに「同性が好き」っていうのは、僕には難しい。「陽ちゃんね」って無邪気でいられたのは遠い昔の話。
現実のしょっぱさをまぎらわすように、先輩の袖まくりした二の腕をはたく。
「先輩、イケメンで優しいとか何なんです?」
冗談めかして称えれば、先輩は少し考えるそぶりをした。
「……じいちゃんの教えなんよ」
「へえ、先輩はじいちゃん子なんですね。――あ」
バーテンダーでバイク乗りのじいちゃんだっけ。
どんな教えか聞いてみようとしたところで、メニュー表が回ってきて、話を中断した。
注文でもたつかないよう、外国の絵本みたいなメニュー表を熟読する。
「形は何だかんだプレーンタイプだよな。トッピングは二十種類もあって迷う……オリジナルBBQソースとガーリックパウダーで。飲み物は、うーんと、バニラシェイクにしよ」
「もっとさっぱりしてるのがよくない?」
先輩が口を挟んできた。じ、と見返す。
「しょっぱいポテトと甘くてクリーミーなシェイクの相性のよさ、知らないんですか」
「……前は水が合うって言ってたのに」
「はい?」
それから順番が来るまで、ポテトで頭がいっぱいになった。
前に並ぶお客さんがトルネードタイプとかアボカドマヨソースとか買っているのを見ると迷うけれど、初志を貫く。
「お願いします!」
ついに僕たちの番だ。よどみなく注文する。
会計を済ませ、窓越しに作業の様子を眺める。暑い中、頑張ってくれている。
ほくほくと湯気の立つポテトを受け取った。
(美味しそう)
トレイを手に、パラソルつきガーデンテーブルに着く。
「いただきます。……! ……っ!」
スマホで写真を取るのも待ちきれず、頬張った。
噛むと芋の甘さが染み出し、トッピングと引き立て合って、期待以上に美味しい。手が止まらない。
「気に入った?」
それはもう。はるばる食べに来たくなるのも納得だ。口いっぱいなので、何度も首を縦に振る。
「あはは。頬袋あるみたい」
先輩のほうは優雅にアイスコーヒーを飲みながら、さっき子どもに向けたような――何ならもっと優しい眼差しを向けてくる。
僕が喜ぶのを、喜んでいる。
(だから、それがずるくて、……)
先輩は僕にないものを持っていて、ずるくて好きじゃないなんて思って。
でも、ほんとうは、憧れてしまっている。
そう認めるや、胸がきゅうっとした。こうはなれないって口惜しさに違いない。
これ以上、可愛くもかっこよくもなく、そのせいで恋愛の一歩目も踏み出せない自分自身を突きつけられたくない。
もくもくとポテトを口に押し込んだ。
桃狩りもして大満足で果樹園を発つ頃には、空の色が変わり始めていた。
来た道を引き返しながら、ふと思う。
(サークルの先輩のうち、よりによって遊び人先輩とペアツーリングしたの、何これ)
酒の力を借りようとした結果、勢いよく横道に逸れている気がしてならない。
それがツーリングの醍醐味ではあるけれど……。
その間に、見通しのきく一本道に差し掛かった。
道路と地平線が並行する。空も海も茜色に染まっている。アスファルトも、先輩のバイクも、僕の身体も何もかも。
もやもやが一発で吹き飛ぶ、壮観だ。
「すご……!」
「でしょ」
感嘆の声を上げれば、聞きつけた叶斗先輩が得意げにする。
帰りにこの光景を見られるよう、逆算して集合を遅めにしたんだとわかった。
(こういう道はだいたい「サンセットライン」とか名づけられて、観光客がいっぱい集まるけど)
ここは単なる国道の一部で、地元民が仕事や買い物帰りに通るきり。こんなにきれいなのに。
それを先輩は、僕にだけ見せてくれた。
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
空の色が替わっていくさまを目に焼きつけつつ、御礼を言う。
「……うん。何か食べて帰ろ」
新たな提案の前に、妙な沈黙があった。
きっと夕陽に見惚れていたんだろう。「どうしました?」と口には出さず、後を追う。
(寄り道に異論はないし、な)
8 先輩が寂しげ
星川先輩とじいちゃんの行き着けだという、国道沿いのダイナーに入った。
カウンターのハイスツールに着く。オールドアメリカン風の内装だ。
メニューもハンバーガーとかワッフルとか。そのいかにもな二種類を注文した。
「どっちもでっかいから、半分こしよっか」
「え、……はい」
なんで僕が誘われて、こんな世話を焼かれてるんだか。先輩に微笑まれ、疑問が再燃する。
(遊び人だけど憧れを認めたのもあって、落ち着かない)
そわそわテラス席を見やれば、ハーフパンツにサンダルというラフな恰好の、近くに住んでいるのだろうおじさまが、豪快に生ビールを呷っていた。
「ツーリングだから酒飲めなくて残念ですね」
「そうだね。せっかく俺と一緒なのに」
「?」
どういう意味だ。
首を傾げるうち、縦にも横にもでっかいハンバーガーが運ばれてきた。
ひとまずナイフで切り分けにかかる。……結構難易度が高い。
「ちょっとごめん」
悪戦苦闘のさなか、先輩がするりと立ち上がった。カウンターの陰に積まれたブランケットを手に取る。
店内はクーラーがしっかり効いてるけど、寒くはないよな……?
先輩は僕を通り越し、背後のソファ席に近づく。
「これどうぞ」
女性二人組が、驚きと嬉しさの入り混じった笑顔になった。細い腿にブランケットを広げ、安心したように食事を再開する。
ソファの座面がかなり沈むので、ミニ丈スカートで座ると下着が見えてしまうと困っていたらしい。
(ハンバーガーばっかり見てて、ぜんぜん気づかなかった)
気づいたとて、二.五軍に話し掛けられたくないかと躊躇って、僕には何もできなかったに違いない。
「交代」
席に戻ってきた先輩はひけらかしたりせず、ハンバーガーの残りを切ってくれた。
挟んだパティや野菜が飛び出しもせずきれいだ。
「……いただきます」
ありがたく齧りつく。美味しい。
お世話されて終わりにはしたくない。
でも、僕は先輩を見習うことすらできなくて。
ひたすらもそもそ咀嚼していたら、さっきの女性二人組が声を掛けてきた。
「あの。インスタ交換しませんかぁ?」
会計を済ませて帰りがてら、さらりと。
それでいてうっとり先輩を見つめている。
(ドラマかよ)
いつものごとく喜んで応じるだろう。
と思いきや、先輩は一瞬「しまった」みたいな表情を浮かべた。
「ごめん、インスタやってないんだ。スマホもナビに使ってバッテリー切れちゃって」
嘘だ。地図は先輩の頭にきっちり入っていた。
二人組はすごすご引き下がる。
彼女たちに同情せざるを得ない。一軍にあしらわれるの、死ぬほど居たたまれないんですよ。
華奢な背中が扉の向こうに消えてから、先輩の腕をつつく。
「夏休み中に彼女できたんですか」
「うん?」
確認しただけなのに、圧強めに聞き返された。知らせるほど仲良くないって? それはそう。
「その、断ってたので。それなら僕も配慮しますし」
歯切れ悪く弁明する。
優先すべき存在がいるなら、謎の取引だって今後は受けない。
「ううん。誰でもいいわけじゃないから」
しかし先輩はきっぱり否定した。
二人組、ふつうに美女でしたけど。
相当理想が高いらしい。なぜか胸がずんと重くなる。
バイクで走って発散したいけれど、注文したマスカットスペシャルワッフルが運ばれてきてしまう。食べるしかない。
「きゃ」
口に詰め込んでいたら、僕たちの席のすぐ後ろで、また別の女性客がポーチを落とした。
リップや手鏡が散らばる。
でも、先輩は動かない。カウンターに頬杖を突いたまま。
(絶対気づいてるのに、なんで)
代わりに僕がスツールから降りて手伝った。
「これでぜんぶですか」
「……はい」
特に連絡先を聞かれることなく、座り直す。
女性には興味がないから別にいいとして。
先輩の様子が、これまでの距離を感じる態度と重なった。急に遠くなるのだ。
「先輩らしくなくないです……?」
それとなく訊いてみる。
すると先輩は、片頬だけ持ち上げて笑った。
「だってあれ、わざとだもん」
「へ?」
わざと、先輩の近くでポーチを落としたってこと?
「何ならポテト店にもいたし」
偶然じゃなく、ついてきてたってこと??
恋愛経験0の二.五軍には、そんな駆け引きの発想もなかった。
(ええー。でも今までは、ぜんぶわかった上で親切にしてあげてたような)
気もそぞろで、バニラアイスが溶けてふやけたワッフルを切り損ね、カチャン! と大きな音を立ててしまう。
すかさず叶斗先輩が僕の手からナイフとフォークを持っていき、ひと口サイズに切り分けていく。
「俺ね、両親が仕事人間で、子どもの頃いつも家でぼっちだったんよ。で、見兼ねて遊びに来てくれたじいちゃんに、『人に優しくすれば、周りに人が集まってきて、寂しくない。気持ちもあったまる』って教えられたの」
「……ああ、じいちゃんの教えってやつですね」
手さばきに見惚れ、時間差で相槌を打つ。
はからずも知れた先輩の幼少期は、意外だった。
先輩はたくさんの人に囲まれて育ってきたと、勝手に決めつけていた。
「うん。じいちゃんの言うとおり、寂しくなくなったし、喜んでもらえるの嬉しいって思うようになった。けど、大きくになるにつれて、相手に好きになられちゃうことが増えて」
かすかに呆れたような声色で続けながら、僕に持ち手を向けてカトラリーを置く。
好きになられちゃう。
(二人組とかポーチの人みたいに、か)
恋愛し放題でずるい、とは今は思わない。
石ころの僕相手なら取り繕わず話せるようなので、余計な口は挟まずワッフルを食べる。
「何も返してくれなくていいんだ。俺がしたくてしてるだけだから」
先輩がぽそりと言った。
最初は寂しさをまぎらわすためだったし、今も自分が嬉しいだけ、と。
彼が度々見せる、そっけない態度や表情の答え合わせが、できた気がした。
「俺は優しくないよ」って、たまに引き算しないといけないのだ。そうしないと、彼女が百人いる、なんて噂が流れる事態になる。
(優しさを打算って受け取られるの、不本意だよな)
ただし、イケメンならではの悩みとも言える。
こういうとき、何と言ってあげるのが正解だろう?
「……顔がいいと、大変ですねえ」
言葉を選んだ割に、捻りのない一言になった。
保育園児か。でも素直な感想はそれだ。誤解されるのは辛かろう。
先輩が僕を不思議そうに見つめる。
語彙力のなさに失望されたかと思いきや、「あはは」と笑った。飾らない笑い方だ。
「ほんとそう。『おれの彼女たぶらかすな』とか『オレもあの子狙ってたのに』とか、知らない間に恨みも買っちゃうし」
(ほんとそうって、顔がいいのは認めるんだ。……ん?)
もうひとつ、「なんで」の謎が解けたかもしれない。
僕の隣が「平和」なのは。
男として競ってこない、って意味じゃないか。
僕はこのとおり女子に興味がないので、「大変だなあ」って呑気に言っていられる。
「それで、サークルの飲み会でいつも僕の隣に座るんですね」
「え、いつもだった?」
「いつもです」
先輩本人は無意識ときた。
それに、僕は世話を焼かれても「好きになっちゃう」ことはない。
僕にだけ優しい一途な人が理想なので。
(世話、焼かれてあげようかな)
ひそかに思い立つ。
だって、イケメンだから親切にできないなんて、理不尽だ。
僕がゲイだから「好き」を表明しにくいのと、似てなくもないんじゃないか。
先輩の、周りから距離を取って寂しげな表情や、過剰な受け取り方をされて疲れたような様子を知っているのもたぶん、僕だけ。
むずむずとかもやもやは、先輩の優しさに差す影への違和感だったに違いない。
その正体を知ったからには。
「先輩は僕を好きなのかも」とか勘違いしたりせず、親切にされてあげよう。
なんで僕に打ち明けてくれたのかはわからないけど、これで借りも返せるし。
「いつでも隣座ってください」
「いいの? ……ぐお。なんでほっぺたにピース刺してきたの?」
「いいってことです」
最後に取っておいたマスカットを頬張った。
イケメンには悩みなんてないと思いきや、同じような悩みがあった。僕ばっかりうまくいかないわけじゃないって、勇気づけられた気分になる。
「僕は先輩を好きになっちゃわないので」
あくまで憧れで、恋愛が始まる可能性0の相手だ。問題はない。
目標は変わらず、他の先輩たちと話すこと。来月にはサークルの大きなイベントもある。
「……そうだね」
星川先輩の睫毛が複雑そうに瞬いたのには、気づかなかった。
助けて。東京の大学ってこわい。
なんていう僕のSOSは、誰にも届かない。
「男は六千円って言ったよな。早よ払え」
四月から通い始めた大学そばの、居酒屋の裏手。
テニスサークルの新歓から帰ろうとして、暗がりで先輩に呼び止められ――喝上げされています。
外灯の下、わいわい二次会の店へ移動する他の一年生を、恨めしく見やる。
(なんで僕だけ)
別に爆食いしたり、この先輩の機嫌を損ねたりはしていない。
数日前に大学の廊下で聞いた誘い文句を思い返す。
「新歓、一年生は無料、って聞いたんですが」
「だから何?」
おそるおそる指摘するも、先輩は譲らない。アルコールのにおいのする鼻息をふんと吐き、威圧的に見下ろしてくる。
(僕なら押しきれそうだって?)
僕は石田陽って名前どおり、その辺の石ころみたいな男だ。
身長は平均に数センチ足りない。顔面はふつう。前髪が目にかからないようにしただけの髪型もふつう。
頭の回転は、大学合格に一年多くかかったレベル。
性格も事なかれ主義というか、行動力に欠ける。
甘く判定して「二.五軍」ってところだ。
(そんな自分を変えたくて、勉強頑張って上京したんだけど……。あとであることないこと言われて、せっかくの新生活がつまずいたらいやだ)
小さく溜め息を吐く。財布からなけなしの仕送りを取り出そうとした、瞬間。
「おーい。かわいこちゃん困らすなよ」
朗らかな男の声が割り込んできた。
かわいこちゃん、って。まさか僕のこと?
「あ? 星川か、新歓の会費徴収してるだけだわ」
星川、と呼ばれた男を振り仰ぎ、息を呑む。
(なに、この――超絶イケメン)
顔が俳優並みに整っていて、アッシュブラウンに染めた髪を無造作に下ろすだけで様になっている。
小さなほくろのある口もとも、やたら水分量の多い切れ長の目も、何か物語が始まりそう。
おまけに身長も確実に百八十センチ以上ある。
まごうことなき「一軍」だ。
「会費」
イケメン先輩は喝上げ先輩の言葉を繰り返し、ふむ、と顎に手を当てた。
「この子おれが連れてきたから、サービスしたげて」
かと思うと、笑顔で僕の腰を抱き寄せる。
不意打ちで「ひょ」って変な声が出た。
(いやいや、初対面ですが。ていうかこんなイケメン先輩、さっきの新歓の席にいたっけ……?)
たとえ広い座敷の端と端でも気づくだろう。
近づいた横顔をぎこちなく見上げたら、
「これ、君の?」
低く囁かれる。
視線で示されたのは、外壁沿いに停めてある250ccバイク。
信じてもらえないかもしれないけど、僕の愛車だ。
こくこく頷けば、イケメン――星川先輩は長い脚でひらりと跨った。
映画の一場面みたい。
と見惚れる間に、エンジンも掛ける。
「行こ」
(えっ? バイクのキー、いつの間に)
ズボンの尻ポケットに手を当てる。ない。
抱き寄せたとき引き抜いたのか。
先輩は悪戯っぽく笑い、戸惑う僕にヘルメットを手渡してくる。――ええと。
「は? そうはいくかよ」
どこへ、って疑問がよぎったものの、喝上げ先輩の追及に縮みあがり、後部シートに飛び乗った。
「待て、……名前なんだっけ」
ぶつくさ言う喝上げ先輩を置き去りにして、大通りに出る。
星川先輩はバイクのスタンドを上げるのも、アクセルコントロールもスムーズだ。
(夢……?)
冷たい夜風に煽られる。
それでもこの数分の出来事が現実だと思えない。
超絶イケメンが、彼氏みたいに駆けつけて、石ころの僕を助けてくれた。
儚く消えてしまいそうで、背中にも掴まれない。
「ふう。たぶん二年生って勘違いされてたね」
少しして、信号待ちのタイミングで話し掛けられた。びゃっと肩が跳ねる。やっぱり僕の妄想じゃなく現実らしい。
って、勘違い?
規模の大きいサークルだと、メンバーの顔も曖昧なのか。それとも結構酔ってたとか?
どちらにしても、星川先輩が間に入ってくれなかったら、理不尽にお金を失うところだった。
「とりあえず駅のほう来ちゃったけどよかった?」
……あ。続く問いで我に返る。
「実は、大学の近くに、下宿してまして」
申し訳なさいっぱいで答えた。早く言えって感じ。
「まじ? じゃ、ちょっと流して大学戻ろっか」
なのに先輩はいやな顔ひとつしない。
「いえ。自分で運転して戻ります」
それでも丁重に辞退する。
先輩ともっとドライブしたくないって言ったら嘘になるけど。親切な人だからこそ、これ以上時間を取らせられない。
「……。了解」
バイクを路肩に停めてもらう。ヘルメットを預かり、先輩に替わってハンドルを握った。
「気をつけてね」
その作業まで見守ってくれていた星川先輩を、おずおず見上げる。
「あの」
「うん?」
ほら言え。変わりたいんだろ。
心の中で自分を焚きつける。
「あの……先輩はテニサーのメンバーですか?」
先輩にまた会いたかった。
先輩が所属しているなら、喝上げされかけたサークルに入るのも厭わない。
つい深刻になる僕と対照的に、星川先輩は軽い調子で笑う。
「や、隣の座敷でやってたツーリングサークルの新歓に顔出してたんよ」
なるほど、隣の座敷。謎が解けた。
それと発見がひとつ。
(うちの大学、ツーリングサークルがあるんだ)
知らなかった。それほど熱心には新入生勧誘していないのかもしれない。
ツーリングっていうのは、バイクであちこち旅すること。
先輩がバイクの扱いに慣れていたのも納得だ。
「そうだったんですね。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、発進する。
加速するとともに、期待がふくらんでいく。
(趣味が合うのは――運命なんじゃない?)
さっき「彼氏みたい」とか思ったけど、彼氏がいたことはない。恋愛経験0だ。
自分に自信がなくて、一度も「好き」って言えないできた。
大学で「この人!」って人を見つけたら、今度こそ「好き」って言って、相手にも好きになってほしい。
好きな人の隣で「大好き」があふれるまま振る舞って、好きな人にも丸ごと受け止めてもらいたい。
(そのために心機一転、新しい環境に飛び込んだ)
早速出会えた気がする。
もちろんあんな親切な一軍イケメン相手なんて、身の程知らずなのもわかっている。
それでも今までのように何もせず終えたくない。
新歓帰りの集団といくつもすれ違いながら、心を決めた。
星川先輩と同じサークルに入ろう。
翌週の講義後。足取り軽くサークル棟へ向かう。
ずらりと並ぶ扉のうち、「ツーリングサークル」の表札が掛かったひとつを、思いきって開けた。
心なしかガソリンのにおいがする。
「あの……入会したいんですが」
「お、一年生? こっち来な」
手前の長テーブルでくつろぐ男子の先輩が、気さくに手招いてくれた。
ほっとして足を踏み入れる。
「新歓は一回も来てないよな?」
「はい。でも、ツーリングが好きで」
「いいねぇ。俺は三年の佐藤。これ書いて」
促されるまま、入会届に連絡先を記入した。
それで終わりでなく、活動の説明もしてくれる。
全体ツーリングは月一回。でも強制参加じゃなく、楽しく走るのがモットー。
平日の飲み会も不定期で開催。などなど。
(この先輩も優しいし、いい雰囲気っぽい)
引き合わせてくれた星川先輩に会えたら、改めて御礼を言おう。
……と、わくわくしていたけれど。
数日後、日課のごとくサークル部室に立ち寄ると、女子があふれ返っていた。
驚いて、開けた扉をすぐ閉める。
(え、何!? メンバーはぜんぶで二十人くらいって聞いたけど、僕と先輩二人以外全員女子なの?)
女子にはとっつきにくいツーリングサークルで、その比率になることはなかなかない。
見間違いか、と再度扉を開けてみる。
やっぱり女子だらけ。それもみんなきれいに着飾って、圧がすごい。
男は唯一、奥のソファに腰掛けた――
「星川先輩、今度バイクの後ろ乗せてください♡」
「えー私が先だよ。ね? 星川くん」
星川先輩だ。
「順番に乗せてあげるから、喧嘩しないで」
満更でもなさげな笑顔。
ていうか、両隣の女子の腰抱いてませんか?
……そりゃあ、これだけのイケメンだし、モテるだろう。もう恋人がいるかも、と自戒もした。
でもこういうのじゃなくて。
「うわ。あいつ、彼女百人いるんだよなぁ」
立ち竦んでいたら、後ろから佐藤先輩の声がした。部室を占拠されて困り顔だ。
彼女、百人?
日替わりでも一年に三回しかデートできませんが。
耳を疑う間にも、星川先輩の両隣がさっきと別の女子に交代している。
もはやファンサ通り越して色恋ホスト。
(遊び人過ぎる! 僕の腰抱き寄せたの、先輩には何でもないことだったんだ……)
不意の温もりを感じた瞬間のときめきが、みるみるしぼむ。
親切な人だから恋人にも一途、って思い込んでしまった。そうであってほしかった。
いきなり入会するんじゃなく、新歓に参加して、先輩の人となりをもっと知っておくべきだったか?
(いやでもこんな落差あるとは思わないよ。詐欺だろこれ)
はっきり言って、僕の理想からいちばん遠い。
「あ、石田くん。サークル入ったんだ。よろしくね」
星川先輩がやっと僕に気づいて、呑気に手を振ってくる。
僕は石ころのごとき無の表情で会釈だけして、部室を後にした。
先輩とはこれきり深く関わらない。
……はずだった。
2 二十歳の誕生日
理想の彼氏になってくれそうと思った星川先輩は、期待と正反対の遊び人だった。
つくづく、東京の大学ってこわい。
でも、サークル副代表の佐藤先輩に「ツーリングが好き」と話した手前、
「やっぱりやめます」
というのも憚られる。
(ツーリングが好きなのは事実だし)
他の先輩や同級生とも話してみよう。ちゃんとした出会いがあるかもしれない。
そう気持ちを切り替え、五月の連休の全体ツーリングに参加した。
新入生初参加ってことで、お台場までの短距離コース。
星川先輩にはこれ以上がっかりしたくないから、なるべく距離を取る。
「星川さん~♡、こっち見て」
「叶斗くん、あっち行こうよ」
入会受付を打ちきるくらい集まった女子に囲まれていて近づけないとも言うが。
下の名前、「叶斗」っていうらしい。芸名か。
(あの中の何人が彼女なんだろ。まさか全員?)
つい先輩について考えてしまい、気が塞ぐ。
とはいえ、悪いことばかりじゃなかった。
「なんかおまえら、似てない?」
同級生の土橋と雰囲気が似てる、って佐藤先輩に並べられた。
顎が丸いほうが石田、四角いほうが土橋。
なんて揶揄われつつ話してみたら、学部は違うけれど同じ一浪とわかり、意気投合した。
「石田、肉取ってきたぞ」
「ありがとう」
お台場到着後、メンバーで入ったBBQ店でも、並んで肉を頬張る。
二.五軍仲間って感じで、落ち着く。
「星川先輩、すごいなー」
土橋はもぐもぐ咀嚼しながら、中央に陣取る先輩に言及した。
ぴくりと指が跳ねる。
土橋に他意はない。ただ目が吸い寄せられるだけ。
「確かに、な」
先輩は肉や野菜をせっせと焼き、群がる女の子たちに分け与えている。いつもの笑顔で。
(よくやるよ)
僕はあんなふうにモテなくていい。
たった一人が振り向いてくれたらいい。
そのためにも。
「自分を変えたいけど、何から手ぇつけたら……」
「単純よ。酒の力は、偉大」
むせた。青臭い悩みが声に出ちゃってた?
土橋は僕の羞恥も構わず、力説してくる。
二十歳になってすぐのサシ飲みで告白に成功し、めちゃくちゃ可愛い彼女ができた、と。
――それだ!
金曜、十八時。大学そばの居酒屋、サークル飲みでおなじみの座敷。
週に一・二回開催される、いつもの飲み会――ではない。
「石田、誕生日おめでと。はじめての酒、何飲む?」
入会届に書いた生年月日を覚えていてくれた佐藤先輩が、オーダー端末を差し出してくる。
「ええと……」
今日六月六日は、僕の二十歳の誕生日だ。
うちはツーリングサークルなのもあって、「お酒は二十歳になってから」をきっちり守っている。
飲酒運転は危険だし、そもそも交通違反。
(家でこっそり味見してみたこともないから、ほんとにはじめて)
つまり土橋に二.五軍の希望を伝授されて以来待ちに待った、酒を飲める日ってわけだ。
「カシオレとかにしといたら?」
僕が手間取るのを、人生初の一杯を迷っていると受け取ったのか。
隣に座る星川先輩が、端末をすいっと操作した。
色とりどりのカクテルメニューを示す、長い指。
目が吸い寄せられる。
しかも端末画面を覗き込んでくるせいで、僕の肩に二の腕が当たっている。
(……ずるい)
このサークルに落ち着いたはいいが、遊び人先輩とうまく距離を取れていない。
先月のBBQでも、突然水を持って寄ってきた。『むせてたよね』って。
そんな親切を実行できるのは、周りに好かれ受け入れられてきた自信があるからに違いない。
自信があれば恋愛なんて簡単で、し放題。
(やっぱり、ずるい)
少しの反発も込めて、星川先輩が指差したのとは違うものを選ぶ。
「もう決めてます。この、スピリタスってやつ」
「えっ」
「えっ?」
「結構、てか、かなり度数高いよ。一杯目は別のにしといたほうが」
先輩は酒解禁済みの三年生だからって、知ったことを言う。
まるで僕の意気込みを削ごうとするみたいに。
――酒の力を借りて、まだあまり話せていない先輩たちとの距離を縮める。そして、恋愛対象として見てもらう。
これが、今日の目標だ。
一緒に過ごす機会の多いサークル内は、はじめての恋愛が始まる可能性が高い。
自分を変えたい。酒力が大きいほど、変わり方も大きいはず。
「いいんですってば」
「いくない」
「いい」
「いくなーい」
僕が端末を右にスワイプしては、星川先輩が左にスワイプする。
他の先輩たちは、「石田強いかもしんないじゃん」って笑ってるのに。
(そうそう。僕は酒に強い、気がする。何となく)
星川先輩が「いやいや」と諫める間に、ぽちっと注文を済ませた。
先輩は一瞬眉をひそめたけれど、取り消して注文し直すおせっかいはしない。
開店直後の居酒屋はまだ混んでいなくて、すぐスピリタスが運ばれてきた。
「ストレートかい……」
星川先輩がぼそっと吐いた一言そっちのけで、僕を変えてくれる魔法の液体を見つめる。
テーブルに並ぶビールジョッキやウーロン茶のグラスよりずっと小さなショットグラス入りだ。
――変われますように。
「じゃ、石田の誕生日を祝って、かんぱーい!」
佐藤先輩の一声で、グラスを呷った。
(うわ、)
目を見開く。喉が焼けるような感覚がする。少量なのに飲み干しきれない。
「石田、どう? いけそう?」
せっかく先輩たちと話を広げるチャンスも、うまく声が出ない。
美味しいか不味いか、の前に。
「あつ、い、です……」
「ほおら。言ったでしょ」
すかさず星川先輩がショットグラスを取り上げ、テーブルの反対側へ避けてしまった。
アルコール臭がぶわっと鼻に抜けて涙目の僕は、なす術がない。
まだ酒の力を手に入れていないのに。
(まだ変われてない、よな?)
土橋の話を信じたものの、飲むのがはじめてなので、酒の力で変わる感覚もわからない。
「佐藤先輩、」
「桂花陳酒のお客様ぁ」
とにかく話の輪に加わろうとしたら、店員が再び歩み寄ってきた。
「あ、こっち。ありがと」
星川先輩が微笑み、丁寧にグラスを受け取る。
途端、女性店員の頬が上気した。
(無駄にきゅんとさすな)
じとりと先輩を睨む。
何より、先輩の恵まれているゆえの無駄な優しさが――ずるさが、好きじゃない。
でもちっとも効いた感じはなく、新しいグラスを目の前に置かれた。
「はい、口直し」
「……けいか、何です?」
「桂花陳酒。金木犀のお酒。ソーダ割りね」
複雑な気持ちを抱えたまま、先輩の良過ぎる顔と、淡い金色の液体を交互に見る。
スピリタスと異なり、花の薫りがやさしく漂った。
(まあ、酒ならいっか)
妥協の二杯目に口をつける。
おっ、これは――。
「美味しい。ジュースとも違うけど、飲みやすいし」
「でしょ」
さっぱりしていて、女子の先輩が頼む「甘くてジュースみたい」なカクテルとはまた違うようだ。
ただ、他の誰も頼んでいない。
「よくこんなの知ってますね」
「じいちゃんがバーテンダーなんよ」
先輩がほくろのあるほうの口角を上げてみせる。
(家族までお洒落か)
胸焼けした。
そんな一軍イケメン様が、どうして僕なんかの隣に座って世話を焼いているんだか。
次の全体ツーリングはどこ行く? といった話にまぎれて、疑念がふくらむ。
(食べ物目当てにしては、あんまり食べてないし)
首を傾げたら、佐藤先輩と目が合った。「そのまま星川の相手しとけ」って視線を送ってくる。
佐藤先輩はバズカットが似合う、精悍な印象の人だ。乗ってるバイクのセンスもいいし、マスツーリングを先導する姿は頼もしい。
にもかかわらずフリーで、新しく入った女子と仲良くなろうとしているらしい。
僕の誕生日祝いよりそっちが目当てとみた。
(荷が重いし、佐藤先輩たちと話したいんですが。って、先輩のほうはこんな僕より女子と話したいよな。いや、今日こそ……)
ぐるぐる考えるうち、桂花陳酒を半分消費していた。何だか指先がふわふわする。
「土……、星川せんぱい」
箸をうまく持てない。
佐藤先輩の指令もあるしで仕方なく、好きじゃない先輩を呼ぶ。
「うん? あ、明太マヨポテト取ってあげる。何か腹に入れたほうが酔い回りにくいよ」
星川先輩は逆隣の女子との会話を切り上げ、僕の取り皿にせっせとつまみを盛り始めた。
それも僕の視線に気づいたのか、好物のポテト多めで。
(遠くて手が届きそうになかったから嬉しい、けど)
先輩の、憎らしいくらい整った横顔を見上げる。
カメラアプリのエモいぼかしエフェクトがかかっている気がする。
「……なんで、僕の隣いるんですか」
御礼じゃなく、絡むみたいな問いがこぼれた。
思えばこれまでの飲み会も、気づいたら隣にいた。女子に呼ばれて席を外しても、またふらっと戻ってくる。
先輩は箸の動きを止め、顎に手を当てる。
「石田くんの隣は、平和だからかな」
――あ、ああ、そうですか。
答えを噛み砕くのに、少し時間がかかった。
(僕はいないも同じ、どうれもいいってことれすか、へえ)
桂花陳酒の残りとともに、やるせなさを喉に流し込む。
どうでもいい存在に甘んじない、と今日の目標を立てた。邪魔されたくない。
もう一杯酒を飲んで、仕切り直そう。
片手で顔を扇ぎながら、もう片方の手でオーダー端末を引き寄せる。なんか暑い。
(けいか……なんらっけ)
「チェイサーはこのタブの下のとこに、」
また先輩がおせっかいしようとしてきた。させまいと、ばっと端末を裏返してしまう。
ここはひとつ、はっきり言おう。一軍相手だろうとこわくない。
「陽ちゃんはなぁ」
「え、自分のこと陽ちゃん呼びなん?」
「ふえ?」
先輩が目を見開く。
何だその反応。陽ちゃん、日本語しゃべってるよな?
「『ふえ』って言う子、だいたいわざとらしいけど、君は違和感ないね。狙ってないからか」
「陽ちゃんのはなし、聞け」
「はいはい」
びしりと人差し指を突きつけてやるつもりが、指先が定まらない。
先輩が分身しているせいだ。
完璧な微笑み顔の星川先輩と。笑ってるのにぜんぜん笑ってないように見える星川先輩に。
「陽ちゃんはなぁ、ほしかわせんぱいのことが――」
3 先輩がずるい
「酔い醒めた? 石田くん」
「……ほし、川先輩?」
やわらかな声。ゆっくり目を開けたら、イケメンフェイスが視界を占めた。
下アングルでも整っている。背景できらきら瞬くのは本物の星だろうか。
(下、アングル?)
って、星川先輩に膝枕されてる!
慌てて起き上がる。
先輩の高そうなバギーデニムによだれを垂らしていないか、素早く確かめた。セーフ。
(それはいいんだけど、)
芝生に囲まれている。座っているのは居酒屋の座敷じゃなく、大学の中庭のベンチだ。
大学構内に入れるってことは、まだ日付は変わっていない。
……それしかわからない。混乱でいっぱいになる。
「いつの間に、どうやって、ここに、先輩と」
「三十分前に、俺のおんぶで。君ん家どこか知らないから、起きるの待とうと思って。はいどうぞ」
先輩がすべての疑問に的確に答えてくれた。
移動中に買ったのか、冷たいミネラルウォーターのペットボトルまで差し出される。
(う、うう、うわ~っ)
両手で顔を覆った。
何でもないふうに微笑まれるほど、申し訳なさで押し潰されそうになる。
酒に呑まれ、よりによって好きじゃない先輩に借りをつくってしまうなんて。
――ていうか、今日の目標。
「他の先輩たちは……」
「女子を駅まで送ってったよ」
うちの大学は、最寄り駅まで結構歩く。
路線バスも運行してるけど夜は本数が少ないから、飲み会後は男子が女子を護衛する流れになる。
(隣に座ってた星川先輩だけ残って、僕を介抱してくれたってわけか)
さぞ女子はがっかりし、男は僕に感謝したはず。
星川先輩にとっては、とんだとばっちりだ。
好きじゃないとか言っていられない。まだ少し火照っている頭を、勢いよく下げる。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ」
先輩は嫌味なく笑う。
はあ、それがずるいんですって。
(しっかし僕、あの二杯で潰れたのかよ)
頭が痛いとか吐きそうとかは、ないものの。潰れた瞬間をまったく思い出せない。
ちょっと、気になる。
学生が行き交う昼間と打って変わって静かな中、おそるおそる訊いてみる。
「……あの。僕、どうなってました?」
「酔っ払った石田くん? 可愛くなってた」
「はァ゙!?」
予想外過ぎる返答に、野太い声が出た。
可愛くなってた、だと?
途端、長い脚を投げ出した星川先輩が、「あはは」と吹き出す。
(この無駄イケメン、石ころで遊ぶな……!)
先輩は「可愛い」なんて「おはよう」並みに言い慣れてるだろうけど、僕には刺激が強い。冗談はやめてほしい。
(ふつう、男が男に可愛いとか言わないんだよ)
ぺち、と頬に手の甲を当て、切り替える。
「そうじゃなくて。変なこと言ったりしてなかったですか」
「変なこと……」
先輩は、今度はじっと見つめてきた。
何ですかその間は。そわそわするじゃないか。切り捨てるならひと思いにやってほしい。
かと思うと、無駄にさわやかな笑みを浮かべる。
「心配するようなことはなかったよ」
「そ、うですか」
何も憶えていないので、納得するほかない。
先輩がわざわざ嘘を言う理由もない。よな?
とりあえず、もらったミネラルウォーターをひと口飲む。ほっと息を吐いた。
でも、気持ちは沈んだままだ。
……結局、星川先輩以外の先輩とほとんどしゃべれなかった。
可愛い女の子ではないし、面白い話もできないしと行動しないできた僕にとって、今日は大きな転機だったのに。
(スピリタスは強過ぎたっぽい)
うなだれていたら、「それより、はい」と透明なプラスチックフォークを握らされた。
「何です?」
戸惑う僕をよそに、先輩は僕の反対側に置いたビニール袋をあさる。
薄暗い中、上下逆さまのジップロックコンテナを取り出した。
なんで逆? とますますいぶかしむ僕の前で、ぱかりと開けてみせる。
皿代わりの蓋に載っていたのは――大きなイチゴのショートケーキ。
「サプライズで、……三年生が用意してたんよ。捨てちゃうのもったいないから、店員さんに頼んで容れ物貸してもらった」
サプライズ。僕のために? ぜんぜん気づかなかった。
先輩たちは女子目当てばかりじゃなかったとわかって、じんわり胸が温まる。
「まだ当日だね。改めて、二十歳おめでとう」
星川先輩は、僕にこのケーキを渡すために残ってくれたに違いない。
イケメン効果で、中庭が映画のロケ地みたく見えてきた。
「……ありがとうございます」
蓋ごとケーキを受け取る。
甘い匂いのするスポンジに、いそいそフォークを差し入れ、口に運ぶ。
コンビニで調達したと思われる、いたってふつうのカットケーキだけれど。
「美味しいです」
「あは。クリームついてる」
不意に先輩が、僕の口の横を親指で拭った。当然のように、その指をぺろりと舐める。
(ま、またずるいムーブを……!)
頬か熱い。酔いがぶり返しかけている。
まぎらわすべく、ケーキをもくもくと食べ進めた。酒に潰れた後の胃に、もう少し頑張ってもらおう。
「石田くんって、ショートケーキのイチゴ最後に残す派なんだね」
なぜかにこやかに僕を眺めていた先輩が、おもむろに言う。
……訂正、「僕を」じゃなく「赤いイチゴを」だ。好物なので躊躇いつつも、フォークに刺す。
「食べます?」
「それは君のでしょ」
その割に食いついてこない。それもそうか。
自分で頬張る。甘酸っぱい。
言われてみれば、いつも好物は最後に食べる。食べ終わってもしばらく余韻を楽しめるのがいい。
ふとしたとき思い返せるよう、楽しい時間とか嬉しかったことだけ憶えておくのと似ている。
ケーキの最後のひとかけを、こくんと呑み込んだ。
「じゃ、帰ろっか」
僕が食べ終えたのを見計らって、先輩が立ち上がる。僕も腰を上げた。
ひとり暮らしのアパートに帰ったところで、誕生日を祝ってくれる人はいない。星川先輩のおかげで、ちょっと特別な思い出ができた。
意を決して声を掛ける。
「あの。今日の御礼も、まとめてしますから」
「いや、いらない」
(え――?)
外灯に照らし出されるのは相変わらずの笑顔なのに、有無を言わせない声だ。
何だか距離を感じる。
アクシデントで僕と一緒にいただけで、これ以上はわずらわしいとみた。
(それもそうだよな)
僕はその辺にいる大学生。
サークル一イケメンとの恋が芽生えたり、しない。
何なら星川先輩は、いちばん遠い存在だ。
(ふたりでいると忘れそうになるけど、遊び人だし)
食い下がりはせず歩き出す。
先輩は駅へ、僕は徒歩十五分のアパートへ。飲み会だからバイクは置いてきた。
正門前で分かれる。
「おやすみ、石田くん。飲み直しはしないでね」
「しませんよ」
こっそり振り返ったら、タイミングを読まれていて、ひらひら手を振られた。まっすぐ帰るんだよ、とばかりに。
(目標はぜんぜんだめだったけど。いい思い出だけ憶えとこ)
星川先輩のずるさを差し引いた気遣いと、好物のイチゴのケーキ。そのふたつを胸に刻んだ。
4 先輩は世話焼き
保育園時代、男の保育士さんに「陽ちゃんね陽ちゃんね」と一生懸命話し掛けていたらしい。
恋愛として同性が好きなんだな、と自覚したのは、中学生のときだ。
初恋の相手は――地理の先生。
先生は芯の通った声をしていて、他の授業の最中にその声を思い出しては胸がきゅんとした。
バレンタインに、先生に手づくりチョコを渡す子もいた。
けれど僕は、それに乗っかることもできず。
地理の成績トップを目指すわけでもなく。
(テストで一番取りました! で? って感じだもんな)
先生にとっては大勢いる教え子の一人のまま、中学を卒業した。
高校では俳優にどハマりして、推し活に勤しんだ。若手なのに演技が堂々としてるのがいいなと思った。
カレンダーお渡し会とかファンミーティングとか、直接会えるイベントはあるものの、そこで印象に残ることをするでもなく。
リアコが駄々漏れそうで手紙も書きづらい。
大学受験時のブランク以降は、出演作やSNSのチェックだけしている。
(ともかく、僕って歳上好きみたい)
実際、サークルの先輩たちは大人っぽくてかっこいいと思う。某遊び人を除き。
でも、なかなか輪に入っていけない。
(向こうは僕を単なる同性の後輩って思ってるし、迷惑はかけたくない)
僕が「好き」って言うには二重のハードルがある。
自信のない自分と、同性相手だとより勇気が必要な世界。
せっかく今までの僕を知る人のいない都会に出てきたのに、それらを乗り越えられそうな気配がない。
(飲み会も失敗に終わって、次はどうしよ)
はあ、と溜め息を吐いて教室に入る。
とりとめもなく片想い歴を思い返していたのは、この水曜一限の授業のせいもある。
学部を問わない一般教養科目で、土橋も履修していて、先月は一緒に受けていた。
寝坊したら助け合おう、なんて言っていたのが。
『石田ごめん。愛季ちゃんと一緒に受けさせて』
昨日、土橋にぱん! と手を合わせられた。
例の可愛い彼女は、この大学の二年生だったんだ。
愛季ちゃんのほうは「三人で受けようよ」と言ってくれたが、さすがにそこまで空気読めなくない。
(同じ高校出身の愛季ちゃんのが付き合い長いし、彼女との時間を優先したいのもわかるけどさ)
うらやましいような、切り捨てられたような……。
振られる格好になった僕は独り、教室中ほどの長机にリュックを置いた。
三人掛けのはじっこ。かつ、横にカップルや二人組の先客がいない席。
友達は多くない。同じ教育学部の面々が固まっているところに加わる気も起きない。今週からぼっち席――と思いきや。
「おはよ、陽ちゃん」
タブレットノート用のペンやらミニマウスやらを、盛大に落っことす。
(陽ちゃん!?)
聞き違いでなければ、この声は。
こわごわ振り返る。予想どおりの人物――朝でもさわやかな星川先輩が、背を屈めていた。
(先輩もこの授業取ってたんだ)
僕の落とし物を拾い、三人掛けの真ん中に置く。
「はいどうぞ」
……席を詰めろって? 僕のことはわずらわしいんじゃないのか。
先輩は社会学部で、学年も違う。手間をかけまくった誕生日の夜以降、顔を合わせるのははじめてだ。
「なんで、わわ」
腰でもぐいぐい押された。仕方なくはじっこを明け渡しつつ、小声で困惑を表明する。
「急なちゃん付けやめれます?」
「急でもないけど」
先輩は悪びれず笑った。
その肩越しに、教室の扉のそばとか窓際で立ち話していた女子が、ぞろぞろ席に着くのが見える。
あーあ、って残念そうな顔。
(みんな先輩の隣狙って、座らないで待ってたんだ)
僕が悪いみたいで居たたまれず、さらに声をひそめて告げた。
「彼女さんたちのお相手してください」
「彼女いないよ、今は」
「あ、え?」
思いもよらない答えに、頬を引き攣らせる。
(それ、モテる人間の答え方)
今はいないだけで基本います、みたいな。
いつでも彼女つくれますけど今は求めてません、みたいな。
(って、彼女百人いるんじゃ?)
そのずるさで勘違いさせてるってこと?
じゃあ、恋人でもない女の子の腰を抱いたりしてたのか。そっちのほうがたちが悪い。
……僕を転がして遊んでるんじゃなく、本当に?
(なんでだろ)
追及はできない。教授がやってきて、星川先輩は前に向き直った。
彼女と連番指定の土橋と違い、どこに座ってもいいのに、僕の隣で講義に耳を傾けている。
(なんか、どの女子も選ばず済ませる言い訳に使われた気がする)
そういうことか。やっぱりずるい男だ。
講義後、そーっと荷物をまとめ、星川先輩の反対側の通路から立ち去ろうとする。
遊……イケメン先輩の隣に居座る理由はない。二限は別々だし。
「陽くん、今日のサークルミーティング出る?」
でも、先輩に顔を覗き込まれ、いやでも目が合う。
(この仕草、癖なのかな。それに、ちゃん付けじゃなくなったけど名前呼び……)
「近づくとめんどう」判定されたら、たとえ相手が好きじゃない先輩でも、へこむ。
でもふつうに話されたら話されたで、罪悪感が募る。弱みを握られた気分で、神妙に答えた。
「今日は五限まで教職科目が入ってるので、出れないです」
「え、すごいね」
「別に……」
忙しいだけで何もすごくはない。視線が泳いだ。
「今週末の全体ツーリングの行き先決めるみたいだけど。ツーリングは来るよね?」
「あー、あとで、土橋に聞いときます」
なおも濁す。
実は今、サークルに顔を出すのが少々気まずい。
飲み会で潰れた僕を、星川先輩は「心配するようなことはない」って言ったけど。
月曜、佐藤先輩に行き合うなり「あの後だいじょぶだったんか?」って爆笑された。
やっぱり記憶のない間、陽気になって踊ったりとか、暗くなって呪詛を唱えたりとかしたんじゃないか。
もしそうなら、恋愛対象として見てもらうどころじゃない。
「土橋くんはデートで今日も週末も不参加だってよ」
「え」
しかし友は頼りにならないと、先輩の口から聞かされる。
うちは部活系サークルと違ってゆるい。ミーティングも毎回出席しないといけないわけじゃない。
でもそんな予定、聞いてないんですけど? 友よ。
口を尖らせていたら、先輩がすっとスマホを差し出してきた。
「俺が結果教えてあげる。LINE交換しよ」
「えっ?」
今日も今日とて整った先輩の顔とスマホ画面を、交互に見る。
その代わり、と何か要求してくるでもない。するなら介抱の時点でできるか。
「……はい」
もったいぶるのも自意識過剰みたいなので、ぽちぽちとIDを提示した。
先輩が素早く登録する。[叶斗先輩だよ]と初メッセージが届いたところで、
「おーい叶斗、教室移動すんぞ~」
社会学部の友達だろう、いかにも一軍な男子グループに連行されていった。
また独りになった僕は、スマホ画面に目を落とす。
(叶斗先輩だよ、だって。本物だ)
サークル一イケメンの連絡先を入手してしまった。
でもやっぱり、恋につながる予感はしない。
先輩はずるいし、地上の石と空の星では遠過ぎる。
[行き先、箱根に決まったよ]
その夜、先輩がミーティング結果を知らせてきた。
ああ見えて世話焼きだ。印象を少し改める。
シンプルな一文に、僕も[ありがとうございます]スタンプのみ返す。
(箱根かあ。絶景スポットも温泉もあって、鉄板だよな)
高校時代に繰り出したことがある。楽しい思い出がよみがえった。
(愛車、メンテナンスしとこ)
弾む足取りでアパートの駐輪場へ出向く。
ここだけの話、自動二輪の免許は、推し俳優が出演したドラマの影響で取った。
(教職といい、僕って単純)
少しでも好きな人に近づけたら、と考えのだ。
バイク本体はレンタルで足りるかと思いきや、ツーリングに出てみて、マイペースに寄り道したり季節を肌で感じたりできるのに惹かれた。もっと出掛けたくなって、バイトを頑張って購入した。
(それで浪人しちゃったかもだけど)
国産の、250ccタイプ。
高速道路も走れる中型バイクの中では、初心者でも扱いやすい。
都会では電車のほうが便利だとしても、連れてきてよかった。
「ん?」
チェーンを磨いていたら、ポケットのスマホが震えた。
見れば、今回のサークルツーリング参加者用のLINEグループがつくられている。
[星川と陽くん、参加ね]
先輩が僕のぶんも参加表明していた。
そこまでは頼んでいないが、まあいいか。
週末を使った全体ツーリングは一泊だから、夜は宿で部屋飲みだ。
(二.五軍な僕の恋は、自分から動かないと進まない。よし!)
一回の失敗でめげてはいられない。
先輩たちとの距離を縮める目標に、再挑戦しよう。
世話焼き先輩には邪魔されませんように。
5 二回目の飲み会
土曜朝。箱根山麓のコンビニ駐車場に、サークルメンバー十五人が集まった。
梅雨真っただ中だけど、晴れてよかった。
なんて空を見上げていたら、
「陽ちゃん、晴れ男だったりする?」
つなぎのバイクウェアが様になる星川先輩が、気安く話し掛けてくる。
「だからちゃん付けやめてくださいって」
いくら世話焼きでも、目標を邪魔されては困る。
なのに僕の愛車を「よく手入れされてんね」とか、しげしげ眺めている。
それだけに留まらず。
「後ろ乗せて」
「はァ? なんでですか」
このお願いには、さすがに目を丸くした。
うちのサークルは、自動二輪の免許がなくても、バイクを持ってなくても、ツーリングに興味があれば入れる。
特に一年生は教習所に通い中だったり、バイト代を貯めているところだったりする。
そういう子は上級生が後ろに乗せてやって、タンデムするそうだ。
(でも星川先輩はとっくに免許取得済みで、洋画みたいなでっかいバイクも持ってたよな?)
むしろ先輩の後ろに乗りたい女子だらけのはず。
「先輩のハーレーは?」
排気量1000ccもある、外国製の大型バイクをきょろきょろ探す。
「じいちゃんと共有で、今週はじいちゃんが乗ってんの」
「はあ、そう、ですか」
「ってわけで」
まだ「いいですよ」とは言っていないのに、先輩は僕の愛車の後部シートに跨った。
電車集合組の女子は当てが外れたような面持ちだ。
それを横目に、先輩が僕の手から鞄を取り、車体のサイドにするする括りつける。
「はいどうぞ」
革張りのサドルをぽんと示された。僕のバイクですってば。
(余計なことを……、でもないか)
先輩たちは、それぞれこだわりのカスタムバイクに乗っている。僕が後ろに乗せてあげる必要はない。先輩の誰かの後ろに乗ることもできない。
(だからってなんで僕?)
疑問は募るものの、断る理由もなかった。
しぶしぶハンドルを握る。
途端、星川先輩の長い腕にすっぽり包み込まれる。
(なんか、)
後部シートには、つかまるところがない。
走行中のバランスを取るため、運転手と同乗者はくっついたほうがいい。とはいえ。
(バックハグみたいだな)
体格差を見せつけられ、唾を呑み込まざるを得ない。
実際、この自然な密着によって、カップルに発展することが少なくないという。
(いやいや、先輩は僕なんか好きになるわけない。ていうか、僕だって別に好きじゃないし)
「彼女いないよ」というのが事実だったとしても、先輩は選り取り見取りだ。
小さく首を振る。運転に集中しないと。
背後で、先輩がくすりと笑った気配がした。
(石ころ転がして遊ばないでください)
別の意味でも遊び人め。
腹に回った大きな手をぺしりと叩いてから、エンジンをかけた。
四年の先輩を先頭に、風を切る。
峠道はうねうねとカーブが続くけど、スピード控えめで運転すれば問題なし。
先輩たちが全体を見てコントロールしてくれている。おかげで快適だ。
途中のパーキングエリアで、腹ごしらえがてら休憩を挟む。
「陽くんって、すごく安全運転だね」
ヘルメットをしていたのに、イケメン魔法なのか髪がぺちゃんこになっていない星川先輩が、当たり前のことを言ってきた。
「ふつうでしょう。後ろに先輩乗せてるんですし」
当たり前に返せば、ほんのり微笑みもする。
……それ、ずるいからやめてほしい。
また抱き込まれ――じゃない、つかまられ、走りを再開する。
見通しのいい道に差し掛かった。
今回のツーリングの、いちばんの見どころ。
(見えた!)
快晴の空を背景に、雄大な富士山がくっきりとそびえる。
「富士山ー!」
「富士山!」
ん? 被った。
ヘルメット越しでも、複数のエンジン音に囲まれていても耳に届いたのは。
意外にも、星川先輩のはしゃぎ声だ。
ひとつも共通点がなさそうな一軍イケメンが、同じ反応をするなんて。一ミリだけ親しみを感じた。
夕方には無事、温泉宿に到着した。
山間部に位置し、緑豊かで気持ちいい。
「運転お疲れさま、陽くん」
「これくらいぜんぜんです」
労いを口にする星川先輩の前では、見栄を張ったものの。
バイクの運転は結構筋力と体力を使う。
ハンドルはもちろん、車体も腿でしっかりホールドしておかないと安定しないんだ。
客室に荷物を置き、早速大浴場へ行く。
(目標に挑む前に、回復しないとな)
ここは学生やバックパッカー向けの簡素な宿だけど、浴場は広くて窓が大きい。
陽が暮れかけで、雰囲気二割増しだ。
「はあ゙~~~」
「誰だ、おっさんじみた声出したの」
佐藤先輩の笑い声がタイルに反響して、はっと口をつぐむ。
(二十歳、おっさんになっちゃった)
この湯は筋肉痛に効くとかで、アパートの風呂とはぜんぜん違うから、つい。
浴槽の縁に顎を乗せ、緑を見ながら静かに堪能することにする。
今日のツーリングで出会った、鮮やかな景色や先輩たちの頼もしさを思い返した。
星川先輩の体温とか胸板の感じ……は憶えとかなくていいんだってば、僕の脳みそよ。
「陽くん、のぼせてない?」
「え」
まさに星川先輩の声がして、ざばりと波を立ててしまう。
振り返れば、最後の一人になっていた。ゆっくり堪能し過ぎた。
「だ、だいじょうぶです」
着やせするのか、想像以上に立派な星川先輩の胸筋はなるべく見ないようにして、脱衣場へ逃げ込む。
(見せびらかすな、ずるいでしょうが)
火照った身体を浴衣で包み、早足で客室に取って返した。
男子の客室は、畳の大部屋だ。
泊まりならではの部屋飲みのために、缶ビールやサワー、ジュースをいっぱい持ってきてある。パーキングエリアでつまみ用のご当地菓子も買った。鞄から出さないと。
座布団を並べて、紙コップも配って……。
「遅いよ、星川くん」
「ごめんごめん」
視界の隅で、星川先輩が女の子たちに文句を言われている。女子部屋まで呼びに行く約束だったらしい。
(僕の長湯を心配したせいで、遅れた?)
ちょっと引っ掛かった。またも隣に座ってきた先輩の横顔を窺う。
けろりとしている。
(単に先輩ものんびり浸かってただけか)
意識し過ぎな気がして、素直に謝れない。
「先輩、あっち座ったらどうですか」
代わりに女子のほうを指さした。僕の世話を焼く必要はないです、と暗に示す。
「ここがいい。平和に飲みたいもん。だめ?」
しかし当の先輩は、こてんと小首を傾げる。
平和に、飲みたい……。
そうだ、僕は都合よく使われてるんだったな! 気を回して損した。
「好きにしてください」
「あ、ちょ、陽くん」
佐藤先輩の乾杯の音頭とともに、缶ビールをぐびぐび呷る。
……苦い。
(先輩たち、これを美味しそうに飲んでたんだ?)
怯むものの、目標を果たすべく、隣の無駄に甘いイケメンフェイスで中和して飲み進める。
今日こそ酒の力を借りる。そして、片想い歴を終わらせるきっかけをつかむのだ。
メンバーは今日の感想を話したり、バイクのカスタムを語り合ったりと、盛り上がる。
こじんまりした宿で、今夜は僕たちサークルの貸し切り。多少騒いでも構わない。
どうにか一缶飲みきった僕も、輪のひとつにお邪魔して、四年の先輩に「就活どうれしたか?」って尋ねてみた。
「石田は学校の先生目指してるんじゃないの?」
「実はまだ迷ってるんれす……へへ」
「面接、その調子でいけば勝機あると思うよ」
「そうれすか~?」
先輩たちがどっと笑う。
こんなにウケたの、はじめて。横にいた佐藤先輩の肩に頭をぐりぐり擦りつけて喜びを表す。
そこに、星川先輩が割って入ってきた。
「陽くん、次これ飲んで」
「らにこれ?」
いい感じだったのにまたあんたか、と透明な液体を睨みつける。
「ミネラルウォーター、の、お酒」
「あ、美味ひい。芋の菓子に合いそう。陽ちゃんが後で食べようって取っといたやつ……」
「はいどうぞ」
好物のスナック菓子を、さっと手渡された。気が利くじゃないですか。
その後もこまめにおかわりを注いでくれて、酒が進む。
「今日はぁ、後ろ乗っけたひとが、じゅーしんいどー上手かったから、山のカーブもよゆーらった!」
「陽ちゃんが運転上手だったんだよ」
「やっぱり~?」
楽しく話せてる。ありがとう酒の力。
――いつ寝たかは、定かじゃない。
でも翌朝、ぱちりと目を開けると、きっちり浴衣を着てきっちり布団に収まっていた。
その辺に芸術的な体勢で行き倒れている先輩たちとは違う。体調も良好だ。
「僕、結構酒強いかも!」
度数の高いものさえ避ければ、いい感じになれる。話の内容はぼんやりしているけど、ウケた覚えはある。
(この調子で、先輩たちとどんどん話そう。うん)
ふと、隣の布団に横たわる星川先輩の寝顔が、にやけているのに気づいた。
さては昨日、女子の誰かと仲良くでもなったんだろう。平和に飲むと言う陰で。
「……」
「ぐえ。ちょ、なんでいきなり殴ってきたの?」
他はまだ誰も起きていない部屋に、先輩の小さな悲鳴が響く。
無意識に手が出ていた。たぶん、にやけててもイケメンでずるい先輩が好きじゃないから。
「何となくです」
「ひど」
寝起きにしてはやたらはっきりした抗議は、受け流す。
(いくら優しくしたって、そうそう利用されてやりませんからね)
ひとつ前に進んだ手ごたえと、世話焼きぶる先輩に対する教訓を得て、帰路に就いた。
6 勘違いしない
バイクで思いきり走ると、自分の悩みがちっぽけに思えて、気持ちがすっきりする効果がある。
加えて、「酒の力を借りようと変われない」疑惑が晴れた。
どうにか恋愛の一歩目を踏み出せそうで、大学の廊下を歩く足取りも軽くなる。
「陽ちゃん」
出し抜けに呼び止められた。
この呼び方をするのは、大学中ただ一人。
教室のほうに身体を向ければ、扉際の最後列席に、案の定のイケメン――星川先輩が陣取っていた。
二限が終わってもそのまま残って、男友達と昼ごはんを食べていたらしい。学食だと女子に熱く見られて食べにくそう、ってのはさておき。
「だーかーら、ちゃん付けやめてください」
じとりと睨む。
誕生日の飲み会以来、何なのだ。
「あはは、むくれた顔可愛いからつい」
「はあァ゙?」
「出た、おっさん声」
一転、羞恥でかあっと顔が熱くなった。
前回のサークルツーリングで、佐藤先輩に「おっさんじみた声」って突っ込まれたの、掘り起こすな。
しかもまた「可愛い」とか揶揄ってくる。
僕で遊ばないでほしい。
「何の用ですかっ」
半ば喧嘩腰に問えば、先輩はすっと目を細めた。
「必修のプリント、見たくない?」
と、文系の一年生が履修しなければならない授業名を挙げる。ふむ。
「あれですか。担当教授が気難しくて」
「そ。テストミスると、出席足りてても容赦なく再履になるあれ」
手強い授業があるのだ。
噂を聞いたのに甘く考えた二年生の先輩が、見事に履修し直していた。
あと十日で、七月。
前期試験がすぐそこに控えている。
(あっと言う間に過ぎてくな)
ろくに進歩しないまま時間だけ経つかのようで、焦りがよぎった。
その隙に先輩に手首をつかまれ、どきりとする。
「御礼は、テスト終わったあと、俺のとっておきのツーリングコース一緒に行くのでいいよ」
内緒話みたいにささやかれた。
(……親切の押し売り?)
ただ要求されたのは金銭でなく、ツーリングの約束。
先輩にメリットがないように思う。何か裏があるんじゃないか。
「とっておき?」
腕を組み、詳細を求める。
「そ、海が見えんの。インスタとかには情報流れてなくて、渋滞少ない」
「はあ」
「美味いポテト専門店がある。トッピングの種類が多いんよ」
揚げたてポテトの香りを錯覚した。芋好きにはたまらない。
「あと、食べ放題の果樹園もある」
今度は果物の甘酸っぱさを思い出して、舌がとろける。好きな食べ物ツートップをちらつかされ、取引するほうに傾く。
ていうか、すごく食いしんぼうだと思われてないか?
(今、腹が減ってるのがいけない。学食に行こうとしてたんだ)
そこで、先輩の友達が「誰と話してんのー?」と身を乗り出してきた。
「後輩」
先輩は上体を伸ばして、僕の姿を隠そうとする。
……二.五軍な後輩と話してるところなんて、見られたくないか。友達のほうも、「さっさと切り上げて」と暗に言っているのかもしれない。
「考えときます」
短く言い置き、本来の目的地である学食へと急いだ。
教室で笑い声が起こるのを、背中で聞く。
(僕を、嗤ってるわけじゃ、ない)
そう自分に言い聞かせ、悪い想像を断ち切る。
先生が好き。俳優が好き。同性が、好き。誰にも言っていないから、誰にも嗤われたりしない。
『――くんて、――だよね』
『――って正直、迷惑だろ』
それでも耳に複数の声がよみがえる。いい思い出以外は捨てたはずなのに。
深呼吸して、星川先輩から持ち掛けられた取引のみ考える。
(プリントは魅力的だけど。見せてもらったら、実質的に借りが増える)
現時点でも、借りがひとつ多い。
喝上げから助けてくれたのは、授業時に隣を狙う女子避けで埋めた。
(誕生日に介抱してもらった御礼も、先輩はいらないって言ったけど、するとして。今回は……そうだ!)
頭を捻った末、小さく頷いた。
[明日、プリントお願いします]
数日後。星川先輩にLINEを入れた。
件の必修科目を担当する教授は、未だにアナログ派だ。資料を紙でしかもらえないので、ブツをやり取りする必要がある。
僕も僕で、タブレットノートのとあるデータを編集してから、布団に入った。
翌日、四限の教職の授業後にスマホを確認する。
[ラウンジにいんね]
先輩からメッセージが入っていた。
(待たせちゃったかな)
足早に校舎を移動する。
構内中央に位置するラウンジは、壁が全面ガラスになっていて、カフェみたいで居心地がいい。
飲食も作業も会話も可能で、学生の姿が多い。
それでも星川先輩はすぐ見つけられた。
暖色の照明が一人だけ多く当たっているかのごとく、浮かび上がって見える。
「先、ぱ……」
先輩が独占する四人掛けテーブルの手前で、はたと足を止めた。
真顔でスマホを見ているからか? 近寄りがたい。
(イケメンってそういうもんだよな)
そう思い込もうとしても、女子にも囲まれていないし、知らない人みたいだ。
……いや、僕が星川先輩の何を知ってる?
学年も学部も、生きる世界も違う。遠い一軍。
同じサークルに押し掛けて、ちょっとしゃべるようになっただけ。
ふと、夜の中庭での横顔が思い出された。
親切かと思ったら、線を引く。
「あ、陽くん。おいでおいで」
先輩は僕に気づくと、ぱっとワイヤレスイヤホンを外して笑みを浮かべた。いつもの星川先輩になる。
(考え過ぎだ、うん)
違和感を呑み込み、歩み寄った。
先輩が鞄からプリントの束を取り出すと同時に、僕もUSBメモリをテーブルに置く。
「水曜一限の授業の、メモ入り資料です。交換ってことで。では」
データで配られた資料に、ネットで調べた内容や教授が口頭でしか話さなかった補足もきちんと書き留めてある。
これを提供することで、貸し借りイーブンにしようと考えたのだ。
(先輩が真面目に授業受けてたら、たいした価値ないけど)
突っ込まれる前に帰ろうとした。
でも、きゅっとシャツの裾をつままれる。
「時間あるなら、座ってよ」
「っ、」
ずるい上目遣いをすな。
今日に限って五限はないし、家庭教師のバイトもない。咄嗟にうまい嘘を吐くトーク力も僕にはない。
「あー……」
緩慢に、先輩のはす向かいの椅子を引く。
よくよく見ると、セルフサービスのお茶のコップがふたつあった。僕のぶんも用意していたらしい。親切なことで。
その世話焼き先輩は、嬉々としてノートパソコンにUSBを差し込む。
「お、代返だけしてもらった週のもある」
やっぱり不真面目だった。
おおかた、前夜遅くまで女子と遊んでいて寝過ごしたに違いない。
「書き込みの字も可愛いし。さっすが陽くん」
字も可愛いし、だと? ふつうです。
呼吸みたいに吐かれる「可愛い」を、勘違いしたりしない。「はァ゙?」の声はお茶ごと飲み下す。
先輩は僕の気も知らず、メモを熟読している。
ラウンジは勉強するには気が散る、って人が多いけれど。
「話し声、気にならないんですか」
「ん? 俺は雑音あったほうがはかどるよ」
雑音て。
BGMとして何かしゃべってほしくて、僕を引き留めたのだろうか。
(それこそ、仲良いグループの人たちのほうが適任だよな。今日はひとりなんだ)
僕は先輩を眺めるくらいしかできない。
集中すると唇が尖るらしい。ほくろが際立つ。伏せた睫毛は長い。
「ふたりでツーリング行くの、楽しみだね」
切れ長の目が急にこちらを向いた。
反射的に顏を逸らす。目が合ったら危険な気がする。
「その資料……」
「これはこれ」
ガラス壁に映る先輩が、さらりと流す。
誰しも自分とツーリング行きたいに決まってる、って感じ。たいした自信だ。
そう、誰しも。なのになんで僕が誘われたのか。訊いてもさっきみたいに流されそうで、訊けない。
それにしても、ふたりか。
(デートみたい。……なんて! ないない)
自分で自分に突っ込む。そんなわけない。単なる取引です。
ていうか、「これはこれ」だと、依然として借りがある状態じゃないか?
「で、陽ちゃんはいつになったら俺を『叶斗先輩』って呼んでくれるのかな」
「え゙っ?」
今度は顔を覗き込まれる。
頭の中をお見通しかのようにねだられ、むせた。
そう言えばLINEでも、「叶斗先輩だよ」って強調してたっけ。
先輩はしてやったりの顔で、手のひらを返す。
「はいどうぞ」
「今ですか?」
親切な先輩。とはいえ利用されるだけの関係。名前呼びするほど親しくない。
だいぶ躊躇われる。
「今」
でも、借りがある。何より、切実な目と目が合ってしまった。
「叶斗、先輩」
「うん」
「……」
「ぐわ。ちょ、なんで今度はパーで殴ってきたの?」
「こっち見たからです」
「ひど」
先輩が頬をさするが、びんたしたわけじゃない。思わず押し退けたのだ。
名前を呼んだだけで、はにかむように微笑むのがいけない。遊び人は呼ばれ慣れているだろうに。
石は星に手が届かない。
では、星から近づいてきた場合は?
いやいやいや。二.五軍に勘違いさすな。
◆
――一時間後。
「陽くん、やっぱりぜんぜん俺のこと好きになんないな」
人影もまばらなラウンジで、椅子の脚を浮かせて揺らしながらつぶやく。
帰るなら送ると申し出たものの、あっさり断られた。
確かに俺は実家住みで電車通学。あの子はひとり暮らしでバイクか徒歩通学だけれど。
(女の子とは違う?)
俺は高校でも中学でも、同性から告られた経験がある。そういう人もいるんだなって感じで、嫌悪感とかはない。
ただ、男が好きなわけでもない。
(でも、ああ言われちゃったらね)
本人は憶えていないらしい、居酒屋での一言。
酔っ払って表に出た、本心に違いない。
かたん、と椅子をもとに戻す。
プリントの礼を口実に取りつけたペアツーリングは、久しぶりに楽しめそうだ。
7 取引デート?
大学の前期試験を片づけ、八月を迎えた。
※これからイケメンと会いますが取引です、恋愛の相手から最も遠い存在です。努力の方向を間違えないように。
……って注釈を自分で自分につけて、家を出た。
愛車でパーキングエリアにすべり込む。
途端、居合わせた人たちの目が集まる。
僕の隣に。
駐輪スペースに並ぶバイクの中で、いちばんでかいハーレー。
アメリカ製で、パーツもごつい。ガソリンタンクとタイヤの泥除けは、鮮やかな赤だ。
それに跨っているのが、目の覚めるようなイケメンときた。プロテクターが仕込まれたナイロンジャンパーと赤いライダーグローブが、また似合っている。
(待ち合わせただけで、この注目されよう)
今日は星川先輩との約束の日だ。
試験期間中お預けだったツーリング自体は楽しみだが、正直怯んでしまう。相棒の国産バイクとともに縮こまった。
「おはよ、陽ちゃん」
ヘルメットのシールドを上げた先輩のほうは通常運転で、僕の顔を覗き込んでくる。
「……次ちゃん付けしたら叶斗先輩って呼びません」
「え、それは困る」
憎まれ口に被って、いいなー、と僕をうらやむ通りがかりの女の子の声が聞こえた。
客観的には、僕は幸運な男だ。
(ほんとに、先輩とふたりでツーリングするんだな)
春先はこっちが距離を取っていた。
飲み会で迷惑をかけてしまって、避けられるかと思いきや、不思議なものだ。
「行こ。まずはポテト屋さん」
先輩がフェイスシールドを下ろす。きらりと午後の陽光が反射した。
「おはよう」って言ったけど、指定された集合時間は、日帰りにしても遅めだ。コンパクトな行程なのだろう。
(それはそう。単なる取引だし)
がっかりはしていない。
ただ、心臓の辺りがむずむずする。
試験期間中はラウンジや大学図書館でたまに見かけるくらいで、イケメンを間近にするのは久しぶりだからかな。
それより、とっておきだというポテトだ。
(この際だから、楽しませてもらおう!)
切り替えて、でかいハーレーについていく。
二台で走るときは、斜めに位置取る。お互いよそ見せずとも視認できて、距離も近い。
沿岸の国道に出た。
(真夏のぬるい風でも気持ちいいな)
クルマでのドライブと違い、走行中会話しなくても済むのは助かる。
「着いたよー」
目当てのポテト専門店は、入り組んだ道の先の丘に、ぽつんと建っていた。
見晴らしがいいが、国道からは死角だ。
なのに知る人ぞ知る店らしく、駐車場はほぼ埋まっている。
「陽くんはテーブルで座って待ってて」
「いやなんでですか」
「なんでって……」
田舎者でも、注文くらい自分でできる。
世話焼きが過ぎる先輩は無視して、蛇行する行列の最後尾に着いた。
ただ、小さなスタンドで、自然の中でのんびり経営するつもりだったのか、店員は二名のみ。
列の進みは早いとは言えない。じりじりする。
「ママぁ、まだ食べられないの?」
後ろに並ぶ家族連れの子どもが、ついにぐずり出した。
(すぐそばで香ばしい匂いがしてるのになかなかありつけないの、つらいよな)
列は日陰だけど、屋外だから暑いし。
なんて思っていたら、
「陽くん。順番譲ってもいい?」
星川先輩が、ハンディファンの音に隠して耳打ちしてきた。
はっとする。心の中で思うばかりの僕とは違う。
僕がこくこく頷けば、颯爽と振り返った。
「お先どうぞ」
「え、いいんですか?」
「俺たち急がないんで。あと、大人なので」
「ふふ。ありがとう、助かります」
悪戯っぽい声色で母親を笑わせ、申し出を受け入れやすいようにもする。
「やったー!」と喜ぶ子どもを、にこにこ見守る先輩が――眩しい。
真夏の日差しのせいだけじゃない。
先輩は、いつでもどこでも誰が相手でも、自信を持って行動する。
(こんなふうに、なりたかった)
でも、なれない。
僕には自信の素になるものがない。
バイクが好き。芋が好き。それと同じように、ふつうのことみたいに「同性が好き」っていうのは、僕には難しい。「陽ちゃんね」って無邪気でいられたのは遠い昔の話。
現実のしょっぱさをまぎらわすように、先輩の袖まくりした二の腕をはたく。
「先輩、イケメンで優しいとか何なんです?」
冗談めかして称えれば、先輩は少し考えるそぶりをした。
「……じいちゃんの教えなんよ」
「へえ、先輩はじいちゃん子なんですね。――あ」
バーテンダーでバイク乗りのじいちゃんだっけ。
どんな教えか聞いてみようとしたところで、メニュー表が回ってきて、話を中断した。
注文でもたつかないよう、外国の絵本みたいなメニュー表を熟読する。
「形は何だかんだプレーンタイプだよな。トッピングは二十種類もあって迷う……オリジナルBBQソースとガーリックパウダーで。飲み物は、うーんと、バニラシェイクにしよ」
「もっとさっぱりしてるのがよくない?」
先輩が口を挟んできた。じ、と見返す。
「しょっぱいポテトと甘くてクリーミーなシェイクの相性のよさ、知らないんですか」
「……前は水が合うって言ってたのに」
「はい?」
それから順番が来るまで、ポテトで頭がいっぱいになった。
前に並ぶお客さんがトルネードタイプとかアボカドマヨソースとか買っているのを見ると迷うけれど、初志を貫く。
「お願いします!」
ついに僕たちの番だ。よどみなく注文する。
会計を済ませ、窓越しに作業の様子を眺める。暑い中、頑張ってくれている。
ほくほくと湯気の立つポテトを受け取った。
(美味しそう)
トレイを手に、パラソルつきガーデンテーブルに着く。
「いただきます。……! ……っ!」
スマホで写真を取るのも待ちきれず、頬張った。
噛むと芋の甘さが染み出し、トッピングと引き立て合って、期待以上に美味しい。手が止まらない。
「気に入った?」
それはもう。はるばる食べに来たくなるのも納得だ。口いっぱいなので、何度も首を縦に振る。
「あはは。頬袋あるみたい」
先輩のほうは優雅にアイスコーヒーを飲みながら、さっき子どもに向けたような――何ならもっと優しい眼差しを向けてくる。
僕が喜ぶのを、喜んでいる。
(だから、それがずるくて、……)
先輩は僕にないものを持っていて、ずるくて好きじゃないなんて思って。
でも、ほんとうは、憧れてしまっている。
そう認めるや、胸がきゅうっとした。こうはなれないって口惜しさに違いない。
これ以上、可愛くもかっこよくもなく、そのせいで恋愛の一歩目も踏み出せない自分自身を突きつけられたくない。
もくもくとポテトを口に押し込んだ。
桃狩りもして大満足で果樹園を発つ頃には、空の色が変わり始めていた。
来た道を引き返しながら、ふと思う。
(サークルの先輩のうち、よりによって遊び人先輩とペアツーリングしたの、何これ)
酒の力を借りようとした結果、勢いよく横道に逸れている気がしてならない。
それがツーリングの醍醐味ではあるけれど……。
その間に、見通しのきく一本道に差し掛かった。
道路と地平線が並行する。空も海も茜色に染まっている。アスファルトも、先輩のバイクも、僕の身体も何もかも。
もやもやが一発で吹き飛ぶ、壮観だ。
「すご……!」
「でしょ」
感嘆の声を上げれば、聞きつけた叶斗先輩が得意げにする。
帰りにこの光景を見られるよう、逆算して集合を遅めにしたんだとわかった。
(こういう道はだいたい「サンセットライン」とか名づけられて、観光客がいっぱい集まるけど)
ここは単なる国道の一部で、地元民が仕事や買い物帰りに通るきり。こんなにきれいなのに。
それを先輩は、僕にだけ見せてくれた。
「連れてきてくれて、ありがとうございます」
空の色が替わっていくさまを目に焼きつけつつ、御礼を言う。
「……うん。何か食べて帰ろ」
新たな提案の前に、妙な沈黙があった。
きっと夕陽に見惚れていたんだろう。「どうしました?」と口には出さず、後を追う。
(寄り道に異論はないし、な)
8 先輩が寂しげ
星川先輩とじいちゃんの行き着けだという、国道沿いのダイナーに入った。
カウンターのハイスツールに着く。オールドアメリカン風の内装だ。
メニューもハンバーガーとかワッフルとか。そのいかにもな二種類を注文した。
「どっちもでっかいから、半分こしよっか」
「え、……はい」
なんで僕が誘われて、こんな世話を焼かれてるんだか。先輩に微笑まれ、疑問が再燃する。
(遊び人だけど憧れを認めたのもあって、落ち着かない)
そわそわテラス席を見やれば、ハーフパンツにサンダルというラフな恰好の、近くに住んでいるのだろうおじさまが、豪快に生ビールを呷っていた。
「ツーリングだから酒飲めなくて残念ですね」
「そうだね。せっかく俺と一緒なのに」
「?」
どういう意味だ。
首を傾げるうち、縦にも横にもでっかいハンバーガーが運ばれてきた。
ひとまずナイフで切り分けにかかる。……結構難易度が高い。
「ちょっとごめん」
悪戦苦闘のさなか、先輩がするりと立ち上がった。カウンターの陰に積まれたブランケットを手に取る。
店内はクーラーがしっかり効いてるけど、寒くはないよな……?
先輩は僕を通り越し、背後のソファ席に近づく。
「これどうぞ」
女性二人組が、驚きと嬉しさの入り混じった笑顔になった。細い腿にブランケットを広げ、安心したように食事を再開する。
ソファの座面がかなり沈むので、ミニ丈スカートで座ると下着が見えてしまうと困っていたらしい。
(ハンバーガーばっかり見てて、ぜんぜん気づかなかった)
気づいたとて、二.五軍に話し掛けられたくないかと躊躇って、僕には何もできなかったに違いない。
「交代」
席に戻ってきた先輩はひけらかしたりせず、ハンバーガーの残りを切ってくれた。
挟んだパティや野菜が飛び出しもせずきれいだ。
「……いただきます」
ありがたく齧りつく。美味しい。
お世話されて終わりにはしたくない。
でも、僕は先輩を見習うことすらできなくて。
ひたすらもそもそ咀嚼していたら、さっきの女性二人組が声を掛けてきた。
「あの。インスタ交換しませんかぁ?」
会計を済ませて帰りがてら、さらりと。
それでいてうっとり先輩を見つめている。
(ドラマかよ)
いつものごとく喜んで応じるだろう。
と思いきや、先輩は一瞬「しまった」みたいな表情を浮かべた。
「ごめん、インスタやってないんだ。スマホもナビに使ってバッテリー切れちゃって」
嘘だ。地図は先輩の頭にきっちり入っていた。
二人組はすごすご引き下がる。
彼女たちに同情せざるを得ない。一軍にあしらわれるの、死ぬほど居たたまれないんですよ。
華奢な背中が扉の向こうに消えてから、先輩の腕をつつく。
「夏休み中に彼女できたんですか」
「うん?」
確認しただけなのに、圧強めに聞き返された。知らせるほど仲良くないって? それはそう。
「その、断ってたので。それなら僕も配慮しますし」
歯切れ悪く弁明する。
優先すべき存在がいるなら、謎の取引だって今後は受けない。
「ううん。誰でもいいわけじゃないから」
しかし先輩はきっぱり否定した。
二人組、ふつうに美女でしたけど。
相当理想が高いらしい。なぜか胸がずんと重くなる。
バイクで走って発散したいけれど、注文したマスカットスペシャルワッフルが運ばれてきてしまう。食べるしかない。
「きゃ」
口に詰め込んでいたら、僕たちの席のすぐ後ろで、また別の女性客がポーチを落とした。
リップや手鏡が散らばる。
でも、先輩は動かない。カウンターに頬杖を突いたまま。
(絶対気づいてるのに、なんで)
代わりに僕がスツールから降りて手伝った。
「これでぜんぶですか」
「……はい」
特に連絡先を聞かれることなく、座り直す。
女性には興味がないから別にいいとして。
先輩の様子が、これまでの距離を感じる態度と重なった。急に遠くなるのだ。
「先輩らしくなくないです……?」
それとなく訊いてみる。
すると先輩は、片頬だけ持ち上げて笑った。
「だってあれ、わざとだもん」
「へ?」
わざと、先輩の近くでポーチを落としたってこと?
「何ならポテト店にもいたし」
偶然じゃなく、ついてきてたってこと??
恋愛経験0の二.五軍には、そんな駆け引きの発想もなかった。
(ええー。でも今までは、ぜんぶわかった上で親切にしてあげてたような)
気もそぞろで、バニラアイスが溶けてふやけたワッフルを切り損ね、カチャン! と大きな音を立ててしまう。
すかさず叶斗先輩が僕の手からナイフとフォークを持っていき、ひと口サイズに切り分けていく。
「俺ね、両親が仕事人間で、子どもの頃いつも家でぼっちだったんよ。で、見兼ねて遊びに来てくれたじいちゃんに、『人に優しくすれば、周りに人が集まってきて、寂しくない。気持ちもあったまる』って教えられたの」
「……ああ、じいちゃんの教えってやつですね」
手さばきに見惚れ、時間差で相槌を打つ。
はからずも知れた先輩の幼少期は、意外だった。
先輩はたくさんの人に囲まれて育ってきたと、勝手に決めつけていた。
「うん。じいちゃんの言うとおり、寂しくなくなったし、喜んでもらえるの嬉しいって思うようになった。けど、大きくになるにつれて、相手に好きになられちゃうことが増えて」
かすかに呆れたような声色で続けながら、僕に持ち手を向けてカトラリーを置く。
好きになられちゃう。
(二人組とかポーチの人みたいに、か)
恋愛し放題でずるい、とは今は思わない。
石ころの僕相手なら取り繕わず話せるようなので、余計な口は挟まずワッフルを食べる。
「何も返してくれなくていいんだ。俺がしたくてしてるだけだから」
先輩がぽそりと言った。
最初は寂しさをまぎらわすためだったし、今も自分が嬉しいだけ、と。
彼が度々見せる、そっけない態度や表情の答え合わせが、できた気がした。
「俺は優しくないよ」って、たまに引き算しないといけないのだ。そうしないと、彼女が百人いる、なんて噂が流れる事態になる。
(優しさを打算って受け取られるの、不本意だよな)
ただし、イケメンならではの悩みとも言える。
こういうとき、何と言ってあげるのが正解だろう?
「……顔がいいと、大変ですねえ」
言葉を選んだ割に、捻りのない一言になった。
保育園児か。でも素直な感想はそれだ。誤解されるのは辛かろう。
先輩が僕を不思議そうに見つめる。
語彙力のなさに失望されたかと思いきや、「あはは」と笑った。飾らない笑い方だ。
「ほんとそう。『おれの彼女たぶらかすな』とか『オレもあの子狙ってたのに』とか、知らない間に恨みも買っちゃうし」
(ほんとそうって、顔がいいのは認めるんだ。……ん?)
もうひとつ、「なんで」の謎が解けたかもしれない。
僕の隣が「平和」なのは。
男として競ってこない、って意味じゃないか。
僕はこのとおり女子に興味がないので、「大変だなあ」って呑気に言っていられる。
「それで、サークルの飲み会でいつも僕の隣に座るんですね」
「え、いつもだった?」
「いつもです」
先輩本人は無意識ときた。
それに、僕は世話を焼かれても「好きになっちゃう」ことはない。
僕にだけ優しい一途な人が理想なので。
(世話、焼かれてあげようかな)
ひそかに思い立つ。
だって、イケメンだから親切にできないなんて、理不尽だ。
僕がゲイだから「好き」を表明しにくいのと、似てなくもないんじゃないか。
先輩の、周りから距離を取って寂しげな表情や、過剰な受け取り方をされて疲れたような様子を知っているのもたぶん、僕だけ。
むずむずとかもやもやは、先輩の優しさに差す影への違和感だったに違いない。
その正体を知ったからには。
「先輩は僕を好きなのかも」とか勘違いしたりせず、親切にされてあげよう。
なんで僕に打ち明けてくれたのかはわからないけど、これで借りも返せるし。
「いつでも隣座ってください」
「いいの? ……ぐお。なんでほっぺたにピース刺してきたの?」
「いいってことです」
最後に取っておいたマスカットを頬張った。
イケメンには悩みなんてないと思いきや、同じような悩みがあった。僕ばっかりうまくいかないわけじゃないって、勇気づけられた気分になる。
「僕は先輩を好きになっちゃわないので」
あくまで憧れで、恋愛が始まる可能性0の相手だ。問題はない。
目標は変わらず、他の先輩たちと話すこと。来月にはサークルの大きなイベントもある。
「……そうだね」
星川先輩の睫毛が複雑そうに瞬いたのには、気づかなかった。



