だから、忘れていた。
いや、忘れるなんて、なんて恩知らずなんだと自己嫌悪する。
入学式の後、じいちゃんとばあちゃんに、友達と一緒に撮った入学式の写真を送った。すごく感動してくれたから、それで伝えることは終わりだと思ってしまっていた。
終わってない……。
俺、引っ越したこと、言ってない……。
「ごめんって! 色々あって伝え忘れてたんだよっ」
電話口でばあちゃんがギャンギャン怒る。心配してくれてるんだし、こんな大事なことを伝え忘れた俺が悪いのも分かる。事故物件だと知らなかったことまで言っちゃったから、仲介業者に対する怒りもプラスされてしまった。
全面的に俺が悪い。でもばあちゃん、最近ちょっと血圧が上がってきたって言ってたから、そんなに怒ると心配なんだけど!
「今は大丈夫だって! 大学の先輩とルームシェアしてて、いっぱい助けて貰ってるから!」
そう言ったら、今度は別の心配をさせてしまう。どこの誰で何歳で実家はどこで……と続いて、電話を代わりなさいと言われた。
「えっ? それはさすがに迷惑だって!」
これ以上鴫野さんに迷惑はかけられないよっ……。
そう思っていたら、部屋のドアがノックされた。
「ごめん、部屋の前通ったら聞こえた。俺、話そうか?」
「え……でも、そこまで迷惑は……」
スマホを離してても、あきちゃん!? と言うばあちゃんの声が聞こえる。
「別に迷惑じゃない。心配して当然だし。スピーカーでもいいけど」
押して、と言われるままにボタンを押すと、大音量でばあちゃんの声が響き渡った。
「お電話代わりました。由井君とルームシェアしています、鴫野 聖凪と申します」
『えっ、あら〜っ! 初めまして、由井 明良の祖母です〜』
ばあちゃんの声が急に可愛くなった。鴫野さん、声もイケメンだからなぁ。話し方も落ち着いてるし、挨拶だけでしっかりした大人だと思って貰えたみたいだ。
それから鴫野さんは、鴫野さんのせいじゃないのに、伝えるのが遅くなったことを謝罪してくれて、仲介業者のミスで知らずに事故物件に住んでいたこと、それを心配してルームシェアを提案したことを説明してくれた。
どこで出逢ったのかという質問には、俺がオープンキャンパスで大学を訪れた日だと答えてくれた。それなら大分前からの知り合いだと思って貰えるし、ばあちゃんも安心してくれたようだった。
『可愛い孫のことだから、つい心配になっちゃって。ごめんなさいね』
「いえ。由井君は純粋なので、俺も心配になってつい世話を焼いてしまっています。迷惑と思われてなければいいんですが」
「迷惑じゃないです! 迷惑かけてるの俺です!」
咄嗟に返したら、ばあちゃんと、後ろのじいちゃんも同意する声が聞こえた。いや、本当に俺、どれだけ迷惑かけてるんだよ……。
『鴫野さん、しっかりした人じゃないの〜』
「だからそう言ったじゃん」
『あきちゃんはぼんやりしてるところがあるでしょう? 都会で騙されないか心配だったのよ。鴫野さんみたいな人が一緒に住んでくれているなら、安心ね』
それからしばらく、ばあちゃんと鴫野さんの会話は続いて、最初の頃とは打って変わって上機嫌になったばあちゃんとの通話は終わった。
「……誠に申し訳ございませんでした」
「武士? おもしろ」
床に正座して頭を下げた俺に、鴫野さんはそう言って笑う。
「むしろ挨拶する機会を貰えて良かった。ルームシェアって初めてだから、挨拶するとか考えてなかったし」
「鴫野さんが優しすぎる……すみません、俺も考えてなかったです。鴫野さんのご家族にもご挨拶を……」
「うちはいいよ。放任主義というか、みんな自由に生きてるから。今度会った時に話すよ」
「そうなんですね。なんかかっこいい生き方ですね」
「ありがと。自由すぎて、父さんは衝動的にアマゾンに行って遭難しかけたり、母さんは買い物に行ったきり帰って来ないと思ったら北海道でカニ食ってる写真が送られてきたけど」
その翌日にタラバガニが送られてきて、お兄さんたちとカニ鍋をしたという。鴫野さん、お兄さんいたんだ……というか、自由の度合いが強すぎない?
「衝動的にアマゾンは、すごいですね……」
買い物に行ったはずが北海道にいたのもすごいのに、霞んでしまう。
「子供の頃からそうだから、それが普通だと思ってたんだよね。あまり一緒にいた記憶がないけど、家族仲はいいよ」
「そうなんですね……」
衝動的にアマゾンというパワーワードが後を引いて、他の情報がいまいち入ってこない。でも、家族仲がいいのは安心した。
「由井君のご両親は?」
「両親は……ずっと海外勤務で」
この話をしたら、近所の人やクラスメイトに可哀想だと言われてきた。じいちゃんとばあちゃんがいっぱい可愛がってくれたし、両親が生活費を送ってくれていたから困ったこともなかったし、友達もいたし、全然可哀想じゃないと思っていた。
「小学校高学年の頃だったかな。両親が日本に戻って来た時に、一年間だけこういうマンションで一緒に暮らしたことがあるんです。でも仕事が忙しかったみたいで全然会えないし、一緒に暮らしてる感じがしなかったです」
一緒に暮らしてから、両親に会えないことは寂しいんだと知った。可哀想じゃなくて、ただ、寂しかった。
「だから今、帰ったらおかえりって言って貰えるのがすごく嬉しいんです」
鴫野さんの方が帰宅が早い日は、部屋に電気がついてて、外から窓を見て嬉しくなった。
素直な気持ちを伝えたら、鴫野さんは俺の頭をポンポンと撫でる。弟がいたらこんな感じなのかな、と言って。
「せっかく一緒に住んでるんだし、時間が合う日は一緒にご飯食べようか」
「いいんですかっ? 嬉しいですっ」
こうして、特に干渉しない生活に、一緒にご飯という温かい内容が追加された。
これからも鴫野さんのことをいっぱい知っていけたらいいな。
その日のうちに、俺には決めたいことがあった。
オリエンテーションで貰った学生要項を見ながら、胸を躍らせる。
「大学の授業って、必須以外は好きなものを組み合わせていいんですよね。考えるのがすごく楽しいです」
履修登録という初めての経験は失敗への不安もあるけど、それ以上にワクワクする。シラバスを読みながら、これとこれと、とノートに書き出していった。友達と一緒に取ろうと話していた授業には赤で丸をつける。
「学科とまったく関係ない授業も選べるのは、俺も好き」
鴫野さんはそう言って、俺がノートにざっとメモした内容に視線を向けた。
「居酒屋のバイト、多分遅番だと帰る頃には日付変わるだろうから、一限取る予定のこことここ、前日はバイト入れないか早番にした方がいいかも」
「えっ、そうですねっ。ありがとうございますっ」
そういうの、全然考えてなかった。
居酒屋の店長がいい人で、バイトのシフトを出すのは履修登録が終わってからでいいと言ってくれた。先輩にも大学生が多いらしくて、そういう気遣いだったのかと今更ながら知った。
「それとここ、校舎が離れてるから移動がギリギリだと思う。二週目と三週目のを入れ替えた方がいいんじゃないかな」
「勉強になります!」
バイトの予定だけじゃなく、移動時間も考えて組まないといけないのか。履修登録、奥深いな……。
「これ、俺も同じ授業取っていい? 一緒に受けたい」
こういう言動なんだよなぁ……。俺が女性だったら絶対勘違いしてた。もちろんです、と言いながら思わず胸を押えてしまう。
「西洋文学史、俺の周りで取ってる奴聞いたことないんだよね」
「学部が違うと選ぶ授業も違うんですね」
「全然違うと思う。多分由井君の周りだと、金融市場論とか経済学説史とか取る奴いないだろうし」
「名前聞いただけで眠くなりそうです」
文系頭の俺にはまったく理解できないだろうなぁ。鴫野さんが書いてるレポートみたいなのを目にしたことがあるけど、全然分からなかったし。
それ以外にもアドバイスを受けながら、履修登録は完成した。友達と一緒に取ろうと話していた授業もきっちり入っている。アドバイスがなかったら、毎日バタバタの生活になってたんだろうな……先輩は偉大である。
「授業受けてみて変更したいとこがあったら教えて。期間内なら変更できるから」
「何から何までありがとうございますっ」
偉大すぎて崇めたい。鴫野聖凪様。最高神様。
思わず両手を合わせて頭を下げたら、おもしろ、と笑われる。無気力っぽいゆるっとした鴫野さんからこの笑顔が出ると、なんか嬉しいって思うようになっちゃったな。

