翌週、晴れて入学式を迎えた。
その後のオリエンテーションで早速友達もできた。その中で、留学の話で盛り上がった三人と一緒にカラオケに向かう。
「都会のカラオケ屋って、ご飯がすごい……」
定食屋並みのメニューに驚いた。地元はお酒が充実してて、料理はおつまみ中心だった。高校の頃はポテトや唐揚げばかり食べていたし、他にはサンドイッチくらいだった気がする。
「由井って地元こっちじゃないの?」
「うん。かなり田舎で……チキン南蛮定食、注文してもいい?」
酢豚定食やネギトロ丼も気になるけど、チキン南蛮の写真がすごく美味しそうだ。味噌汁とサラダとデザートまでついている。感動していると、佐伯君がタブレットで注文してくれた。
佐伯君は中高剣道部だったそうで、背筋がピンと伸びてて凛々しい。
その隣に座る大津君はバスケ部で、大柄で短髪の逞しい人だ。
俺の隣に座る三根君は陸上部で、手足が長い。黒縁眼鏡もとても似合う。
……俺はサッカー部だったけど、身長は平均的、筋肉はつきにくい、手足も長くはない……四人の中で一番小柄だ。いや、三人が大きいだけか。
気を取り直してドリンクのページを見ていると、大津君がしみじみといった風に言う。
「なんか由井って、純粋だな……」
「田舎者がみんな純粋ってわけじゃないから」
「田舎とかじゃなくて、由井が純粋だなって……」
まるで保護動物のように温かく見つめられた。三人とも、地元がこっちだもんな。
「じゃあ一人暮らしか」
「今は先輩とルームシェアしてる」
「高校の先輩?」
「高校じゃなくて、同じ大学の先輩。鴫野 聖凪さんって知ってる?」
そう言った瞬間、シンと静まり返った。
「え、由井……鴫野先輩とルームシェアしてんの……?」
「うん」
「まじか……」
三人とも同じ反応をする。視線を逸らして、言いづらそうに口を閉じた。
「俺、先週会ったばかりなんだけど、みんなは知ってるの?」
「先週? なんでそれでルームシェアしてんの?」
「えっと……契約した部屋が事故物件で……」
それを後から知って俺が怖がっていたから、隣人の鴫野さんが心配して部屋を探してくれて、二人の方が怖くないだろうからと一緒に住んでくれることになった。事情を整理して話すと、三人は訝しげな顔をした。
「事故物件って、本当に?」
「本当だった」
大家さんは仲介業者から、俺が事故物件ということを了承して契約したと聞いていたらしい。俺が持っていた契約書を見せたら、該当する一文が消されていたらしくて、大家さんはすごく怒っていた。その時にも、あの部屋は色々起こるから……と聞いた気がするけど、きっと気のせいだよな。
「由井を囲い込むために、鴫野先輩がついた嘘かと思った」
「鴫野さんは嘘をつくような人じゃないよ」
反射的に返すと、三人はお互いに目配せをする。
「信頼してるっぽい由井には言いづらいんだけどさ……俺たち、先輩と同じ高校だったんだよ。それで……先輩は、男女問わず食い散らかすって有名なんだよ」
「食い散らかすって?」
そういえば、さっきの囲い込むというのもなんのことか分からない。首を傾げていると、俺の隣に来た大津にガシッと肩を掴まれた。
「悪いことは言わない。今からでも引っ越せ」
「ごめん。それは無理。鴫野さんに迷惑かけるし」
あの家賃は一人で払うには高い。それに、鴫野さんは俺のために大家さんに相談してくれて、引っ越しのためにお友達に声をかけてくれた。今更やっぱりやめますとは言えないし、言いたくない。
「由井。食い散らかすってのは……」
三根君が、俺でも分かるようにその意味を教えてくれた。
まさかの内容に、顔が熱くなる。大学生にもなって耐性がないのは恥ずかしいけど、そういう経験がないんだから仕方ないと思う。高校までずっとサッカーに夢中で、彼女とか興味なかったし……。
「先輩は、由井のこともそういう意図で引き込んだのかなって」
「な、ないよっ……俺、男だしっ……」
「男女問わずだから」
「えっ……同性って、ここだと普通なの?」
「感じ方は人によるけど、俺は別に気にしない」
「俺も。珍しいことでもないしな」
「本人たちが良ければいいんじゃない?」
三人ともあっさりと言う。
俺のいた田舎は閉鎖的というほどでもなかったけど、中学の頃にクラスメイトが、男が好きなんじゃないかと言われて仲間外れにされていたことがあった。その子はすぐに彼女ができたから噂もすぐに消えたけど、同性が好きだと嫌悪されるんだと、すごく怖かった覚えがある。でもそれも、人によるんだ……。
安心したら、言いたかったことがすぐ口にできた。
「俺は、もし鴫野さんがそういう人だったとしても、鴫野さんのことを信じるよ。俺の命の恩人でもあるし、無理矢理そういうことをするような人じゃない」
「天使かっ!」
「あー、ピュアすぎて手が出せないかもね」
「ってか、男性が恋愛対象だとしても、俺みたいなのは好みじゃないって」
身長もスタイルも顔立ちも平凡。成績も平凡で、突出した特技もない。どこにでもいる大学生だ。
きっと鴫野さんが好きになるなら、すごくスタイルがいい美形で、オシャレなバーとかカフェとかモデルとかのバイトをしている人じゃないかな。まあ俺の偏見だけど。
「由井は可愛いんだから、気を付けろよ?」
「嬉しくないって」
「いい子だし」
「それはありがとう」
素直にお礼を言ったら、そういうところだと笑われた。
その後のカラオケは、今日が初対面とは思えないくらいに盛り上がった。
◇◇◇
夜十時を過ぎてしまった。
でも、遅くなる時は連絡する、などの決め事はない。ゴミ出しや共有場所の掃除は当番制に決めたけど、食事は各自だし、本当に気楽なルームシェアだ。緊張してたのはルームシェアの初日だけで、それ以降は本当に居心地がいい。
でも一応と思って、カラオケに行く前に、友達と遊んでくることを鴫野さんに連絡した。了解、という可愛い犬のスタンプが返ってきたけど、犬好きなのかな?
「……って、あんなこと聞いたら、気になるじゃん」
マンションのエレベーターの中で、つい呟いてしまう。
警戒するとかじゃなくて、俺がいたら彼女さんを連れて来られないんじゃないかなって心配だ。最初は派手で怖いと思ってたけど、鴫野さんってイケメンだし、自然に気遣いが出来るし、優しいし、モテない方がおかしいよな。
そんなことを考えているうちに部屋の前に着いてしまった。鍵を開けて、部屋の荷物置き場にしている棚にバッグを置いて、洗面所で手を洗う。この流れは身についてるから、やらないと気持ちが悪いんだよな。
リビングを覗くと、鴫野さんは寝る時用にしているグレーのスウェットでパソコンを開いていた。
「おかえり」
「ただいまです」
帰った時におかえりって言ってくれる人がいるの、嬉しいな……。小学校の時に一年くらい両親と住んでた時は、帰っても誰もいなかったことを思い出す。両親も生活のために働いてるんだし、仕方ないことなんだけど、やっぱり子供心に寂しかった。
「頬緩んでる。友達と遊ぶの、そんなに楽しかったんだ」
「えっ、顔に出てましたっ?」
「出てる。友達ができて良かったね」
「はいっ」
本当は、おかえりを言ってくれたから嬉しかったことを考えていた……と言ったら困らせそうだし、言わないことにした。
「その友達って、まともな人間?」
「まともですよ?」
笑い飛ばしたけど、鴫野さんは納得していない顔だ。俺との出逢いが事故物件だったし、また変な人に騙されたんじゃないかって心配してくれてるんだろうな。
「もしかしたら、知ってるかもしれません。鴫野さんと同じ高校だったって言ってました。バスケ部と剣道部と陸上部の人で……」
「何か聞いた?」
「え?」
「俺が、男女問わず食い散らかしてたとか」
これ……鴫野さんは確信して言ってるんだ。同じ高校だったと言っただけでこの話題が出るなんて、きっと学校中に広まっていたんだろう。
その頃の鴫野さんも、俺のクラスメイトみたいに傷ついてたのかな……。
「聞きましたけど、鴫野さんの恋愛遍歴がどうだったとしても構わないです。俺にとっての鴫野さんは、すごく親切で優しい人に変わりありませんから」
もしかしたら、恋人の入れ替わりが激しいからそう思われてたのかな?
一緒に過ごしてみて思ったけど、鴫野さんは本当に優しい。いつも俺優先なんじゃないかなってくらい。だから、「付き合って!」って言われて付き合ったけど「私のこと好きじゃないでしょ!」って言われてフラれるみたいな。
高校の頃にクラスの女子が騒いでた漫画のヒーローがそんな感じだった。鴫野さんはかっこいいし、本当にそんな感じだったのかも。
「……もし噂が本当だったとしても、構わないんだ」
「はい。鴫野さんなら、その……お相手の人とも、合意の上だと思うので。なので、俺は気にしません」
本当はどうだったか、まったく気にならないわけじゃない。でも、鴫野さんが話したくないなら聞かなくてもいい。
「あ、そうだ。彼女さんとか彼氏さんが来る時は、連絡してください。友達のところに泊まらせて貰うので」
大津君と佐伯君は一人暮しだと言っていた。住所も教えて貰って、いつでも泊まりに来ていいからと言ってくれた。こういうの、すごく大学生っぽくて嬉しい。
想像して楽しくなっていたら、鴫野さんは俺とは逆に不機嫌な顔と声で口を開いた。
「その友達がそうじゃないって言える?」
「え?」
「由井君、食い散らかされたりしない?」
「しませんよ」
「されるかもよ?」
「俺がですか? ないですって」
平凡なのにと笑い飛ばしたけど、鴫野さんは笑わない。そのまま会話が途切れてしまって、いつになく無言の時間に居心地の悪さを覚えた。
鴫野さんは、ただジッと俺を見据える。俺の、肩越しに……後ろの何かを、見据えるように。
「……後ろ」
「!?」
ビャッと跳ねて、思わず鴫野さんに飛びついた。
「どうした?」
「うしっ……」
「牛? 牛はいないけど。他に何もいないよ」
「何もっ……本当ですよね!?」
「本当。俺がいれば大丈夫だって」
「ううっ、信じてますよっ」
そう言ったものの、心臓がドキドキしすぎて鴫野さんから離れられない。むしろ鴫野さんの近くにいるほど安心感が増す。
「ごめん。後ろにバナナあるから、小腹が空いてたら食べてもいいよって言おうとしただけ」
「ありがとうございます……でもあのタイミングは、紛らわしいです……」
「ごめんって。思い出した時に言っておこうと思って」
鴫野さんって、こういうところあるんだよな……自由というか、器が大きいというか。
「由井君ってあったかいね。子供体温?」
「わっ! そうだ俺っ、お風呂入ってないのにすみません!」
「お風呂?」
「鴫野さん、もうお風呂入ったんですよね? 俺、外から帰って来たばかりですし」
「俺は別に気しないけど、由井君のそういう真面目なところ好きだな」
好き……もしかして、こういう言動で勘違いされて変な噂が立っただけじゃない? 勝手な想像だけど、まったくの間違いでもない気がした。
離れようとした俺は、逆にぎゅうぎゅうと抱き締められる。そういえば、テーブルの上にビールの缶が三本くらいあった。鴫野さん、酔ってるのかな? そうじゃないとさすがに俺をこんな風に抱き締めたりしないよな。
「由井君はすぐに他人を信じるし、疑いもしないし、騙されて大変なことになるんじゃないかって、心配」
「否定できなくて申し訳ないです」
「今度その友達連れて来なよ。噂のこともあるし、由井君が俺と一緒に住んでるのを心配してるかも。まあ、心配もしないような友達だったら俺は認めないけど」
鴫野さんって、なんかお兄ちゃんみたいだな。俺に兄弟はいないけど、いたらこんな感じじゃないかなと思う。
胸がぽかぽかして、くすぐったい。まだ一緒に住み始めたばかりだけど、俺、鴫野さんと出逢えて本当に幸運だったよなぁ……。
感動に浸っていたら、鴫野さんは俺から離れる。なんだか寂しいと思ってしまって、もう子供じゃないのにと少し恥ずかしくなった。
「言っておくけど、俺は彼女も彼氏もいないし、男は恋愛対象外だから安心して」
「え。そうなんですか?」
「男女問わずは、さすがに噂に尾ひれが付きすぎだから」
「そうだったんですね……でも鴫野さんかっこいいし、性別超えてモテても不思議じゃないから尾ひれがついたんだろうなって思ってました」
「純粋すぎて、本当に心配。なんでも好意的に捉えない方がいいよ」
「気を付けます」
「本当に分かってんのかな……」
そう言ってぼやく姿は初めてで、心配かけて申し訳ないのに、鴫野さんの新たな一面を知れてちょっと嬉しかった。
翌朝。バイトの面接のために早起きしたら、鴫野さんが出かけるところだった。
でも肩にかけた大きなバッグを下ろして、ちょっと待ってて、と言って部屋に戻る。それからすぐに、銀色の英字の書かれた黒い紙袋を持って戻って来た。
「昨日渡し忘れてたけど、これ。入学祝い」
「えっ! ありがとうございますっ! 出逢ったばかりなのにすみませんっ」
思わず紙袋を恭しく掲げてしまう。鴫野さんは楽しそうに笑って、開けてみて、と言ってソファに座った。
俺も隣に座って、綺麗にラッピングされた箱を取り出す。袋を見た時も思ったけど、めちゃくちゃ高そうな店だな……。
丁寧にリボンを解いて、箱を開けると、中身はシルバーのピアスだった。菱形をしたツヤ消しの銀色だ。鈍角になった角に、小さな赤い石が付いている。
「かっこいいっ……」
大きすぎないのに存在感があって、雑誌のモデルが着けていそうなデザインだ。
ピアス穴は、高校を卒業した日に地元の友達と空けた。じいちゃんとばあちゃんには前もって相談しなさいと怒られたけど、こんなにかっこいいピアスをプレゼントして貰えるなんて、空けてて良かったと興奮してしまう。
「気に入って貰えて良かった。それ、俺の誕生石だから、悪いものを弾いてくれるかも」
「付加価値もすごい! 嬉しいですっ、ありがとうございます!」
「そんなに嬉しそうにされると、プレゼントのし甲斐があるな」
そう言って笑った鴫野さんが自ら、俺にピアスを着けてくれる。こういうの、映画のワンシーンにありそうだ。相手が俺じゃなかったらすごく絵になるんだろうなぁ。
スマホの画面に耳を映すと、頬が緩んでしまう。鴫野さんに似合いそうなピアスだから、俺も鴫野さんみたいにかっこいい大学生に近づけた気がした。
鴫野さんは俺の頭をポンポンと撫でて立ち上がる。本当にお兄ちゃんみたいだ。
「面接頑張って」
「はい! ありがとうございます!」
元気に返して、俺もお見送りのために立つと、その元気さならきっとすぐに採用だよ、と優しく笑って言ってくれた。
ピアスと言葉に勇気を貰って受けた面接は、鴫野さんが言った通りに、翌日には採用の連絡を貰った。鴫野さんに伝えたら、その日の夜はご飯に連れて行ってくれた。それも、おごりで。
恐縮する俺に鴫野さんは「こういう先輩っぽいことしてみたかったんだよね」と言って笑う。本当に……こんなに恵まれてて、俺、明日死んだりしないよな? そんな心配をしてしまうくらいに、俺の新生活は順風満帆だった。
その後のオリエンテーションで早速友達もできた。その中で、留学の話で盛り上がった三人と一緒にカラオケに向かう。
「都会のカラオケ屋って、ご飯がすごい……」
定食屋並みのメニューに驚いた。地元はお酒が充実してて、料理はおつまみ中心だった。高校の頃はポテトや唐揚げばかり食べていたし、他にはサンドイッチくらいだった気がする。
「由井って地元こっちじゃないの?」
「うん。かなり田舎で……チキン南蛮定食、注文してもいい?」
酢豚定食やネギトロ丼も気になるけど、チキン南蛮の写真がすごく美味しそうだ。味噌汁とサラダとデザートまでついている。感動していると、佐伯君がタブレットで注文してくれた。
佐伯君は中高剣道部だったそうで、背筋がピンと伸びてて凛々しい。
その隣に座る大津君はバスケ部で、大柄で短髪の逞しい人だ。
俺の隣に座る三根君は陸上部で、手足が長い。黒縁眼鏡もとても似合う。
……俺はサッカー部だったけど、身長は平均的、筋肉はつきにくい、手足も長くはない……四人の中で一番小柄だ。いや、三人が大きいだけか。
気を取り直してドリンクのページを見ていると、大津君がしみじみといった風に言う。
「なんか由井って、純粋だな……」
「田舎者がみんな純粋ってわけじゃないから」
「田舎とかじゃなくて、由井が純粋だなって……」
まるで保護動物のように温かく見つめられた。三人とも、地元がこっちだもんな。
「じゃあ一人暮らしか」
「今は先輩とルームシェアしてる」
「高校の先輩?」
「高校じゃなくて、同じ大学の先輩。鴫野 聖凪さんって知ってる?」
そう言った瞬間、シンと静まり返った。
「え、由井……鴫野先輩とルームシェアしてんの……?」
「うん」
「まじか……」
三人とも同じ反応をする。視線を逸らして、言いづらそうに口を閉じた。
「俺、先週会ったばかりなんだけど、みんなは知ってるの?」
「先週? なんでそれでルームシェアしてんの?」
「えっと……契約した部屋が事故物件で……」
それを後から知って俺が怖がっていたから、隣人の鴫野さんが心配して部屋を探してくれて、二人の方が怖くないだろうからと一緒に住んでくれることになった。事情を整理して話すと、三人は訝しげな顔をした。
「事故物件って、本当に?」
「本当だった」
大家さんは仲介業者から、俺が事故物件ということを了承して契約したと聞いていたらしい。俺が持っていた契約書を見せたら、該当する一文が消されていたらしくて、大家さんはすごく怒っていた。その時にも、あの部屋は色々起こるから……と聞いた気がするけど、きっと気のせいだよな。
「由井を囲い込むために、鴫野先輩がついた嘘かと思った」
「鴫野さんは嘘をつくような人じゃないよ」
反射的に返すと、三人はお互いに目配せをする。
「信頼してるっぽい由井には言いづらいんだけどさ……俺たち、先輩と同じ高校だったんだよ。それで……先輩は、男女問わず食い散らかすって有名なんだよ」
「食い散らかすって?」
そういえば、さっきの囲い込むというのもなんのことか分からない。首を傾げていると、俺の隣に来た大津にガシッと肩を掴まれた。
「悪いことは言わない。今からでも引っ越せ」
「ごめん。それは無理。鴫野さんに迷惑かけるし」
あの家賃は一人で払うには高い。それに、鴫野さんは俺のために大家さんに相談してくれて、引っ越しのためにお友達に声をかけてくれた。今更やっぱりやめますとは言えないし、言いたくない。
「由井。食い散らかすってのは……」
三根君が、俺でも分かるようにその意味を教えてくれた。
まさかの内容に、顔が熱くなる。大学生にもなって耐性がないのは恥ずかしいけど、そういう経験がないんだから仕方ないと思う。高校までずっとサッカーに夢中で、彼女とか興味なかったし……。
「先輩は、由井のこともそういう意図で引き込んだのかなって」
「な、ないよっ……俺、男だしっ……」
「男女問わずだから」
「えっ……同性って、ここだと普通なの?」
「感じ方は人によるけど、俺は別に気にしない」
「俺も。珍しいことでもないしな」
「本人たちが良ければいいんじゃない?」
三人ともあっさりと言う。
俺のいた田舎は閉鎖的というほどでもなかったけど、中学の頃にクラスメイトが、男が好きなんじゃないかと言われて仲間外れにされていたことがあった。その子はすぐに彼女ができたから噂もすぐに消えたけど、同性が好きだと嫌悪されるんだと、すごく怖かった覚えがある。でもそれも、人によるんだ……。
安心したら、言いたかったことがすぐ口にできた。
「俺は、もし鴫野さんがそういう人だったとしても、鴫野さんのことを信じるよ。俺の命の恩人でもあるし、無理矢理そういうことをするような人じゃない」
「天使かっ!」
「あー、ピュアすぎて手が出せないかもね」
「ってか、男性が恋愛対象だとしても、俺みたいなのは好みじゃないって」
身長もスタイルも顔立ちも平凡。成績も平凡で、突出した特技もない。どこにでもいる大学生だ。
きっと鴫野さんが好きになるなら、すごくスタイルがいい美形で、オシャレなバーとかカフェとかモデルとかのバイトをしている人じゃないかな。まあ俺の偏見だけど。
「由井は可愛いんだから、気を付けろよ?」
「嬉しくないって」
「いい子だし」
「それはありがとう」
素直にお礼を言ったら、そういうところだと笑われた。
その後のカラオケは、今日が初対面とは思えないくらいに盛り上がった。
◇◇◇
夜十時を過ぎてしまった。
でも、遅くなる時は連絡する、などの決め事はない。ゴミ出しや共有場所の掃除は当番制に決めたけど、食事は各自だし、本当に気楽なルームシェアだ。緊張してたのはルームシェアの初日だけで、それ以降は本当に居心地がいい。
でも一応と思って、カラオケに行く前に、友達と遊んでくることを鴫野さんに連絡した。了解、という可愛い犬のスタンプが返ってきたけど、犬好きなのかな?
「……って、あんなこと聞いたら、気になるじゃん」
マンションのエレベーターの中で、つい呟いてしまう。
警戒するとかじゃなくて、俺がいたら彼女さんを連れて来られないんじゃないかなって心配だ。最初は派手で怖いと思ってたけど、鴫野さんってイケメンだし、自然に気遣いが出来るし、優しいし、モテない方がおかしいよな。
そんなことを考えているうちに部屋の前に着いてしまった。鍵を開けて、部屋の荷物置き場にしている棚にバッグを置いて、洗面所で手を洗う。この流れは身についてるから、やらないと気持ちが悪いんだよな。
リビングを覗くと、鴫野さんは寝る時用にしているグレーのスウェットでパソコンを開いていた。
「おかえり」
「ただいまです」
帰った時におかえりって言ってくれる人がいるの、嬉しいな……。小学校の時に一年くらい両親と住んでた時は、帰っても誰もいなかったことを思い出す。両親も生活のために働いてるんだし、仕方ないことなんだけど、やっぱり子供心に寂しかった。
「頬緩んでる。友達と遊ぶの、そんなに楽しかったんだ」
「えっ、顔に出てましたっ?」
「出てる。友達ができて良かったね」
「はいっ」
本当は、おかえりを言ってくれたから嬉しかったことを考えていた……と言ったら困らせそうだし、言わないことにした。
「その友達って、まともな人間?」
「まともですよ?」
笑い飛ばしたけど、鴫野さんは納得していない顔だ。俺との出逢いが事故物件だったし、また変な人に騙されたんじゃないかって心配してくれてるんだろうな。
「もしかしたら、知ってるかもしれません。鴫野さんと同じ高校だったって言ってました。バスケ部と剣道部と陸上部の人で……」
「何か聞いた?」
「え?」
「俺が、男女問わず食い散らかしてたとか」
これ……鴫野さんは確信して言ってるんだ。同じ高校だったと言っただけでこの話題が出るなんて、きっと学校中に広まっていたんだろう。
その頃の鴫野さんも、俺のクラスメイトみたいに傷ついてたのかな……。
「聞きましたけど、鴫野さんの恋愛遍歴がどうだったとしても構わないです。俺にとっての鴫野さんは、すごく親切で優しい人に変わりありませんから」
もしかしたら、恋人の入れ替わりが激しいからそう思われてたのかな?
一緒に過ごしてみて思ったけど、鴫野さんは本当に優しい。いつも俺優先なんじゃないかなってくらい。だから、「付き合って!」って言われて付き合ったけど「私のこと好きじゃないでしょ!」って言われてフラれるみたいな。
高校の頃にクラスの女子が騒いでた漫画のヒーローがそんな感じだった。鴫野さんはかっこいいし、本当にそんな感じだったのかも。
「……もし噂が本当だったとしても、構わないんだ」
「はい。鴫野さんなら、その……お相手の人とも、合意の上だと思うので。なので、俺は気にしません」
本当はどうだったか、まったく気にならないわけじゃない。でも、鴫野さんが話したくないなら聞かなくてもいい。
「あ、そうだ。彼女さんとか彼氏さんが来る時は、連絡してください。友達のところに泊まらせて貰うので」
大津君と佐伯君は一人暮しだと言っていた。住所も教えて貰って、いつでも泊まりに来ていいからと言ってくれた。こういうの、すごく大学生っぽくて嬉しい。
想像して楽しくなっていたら、鴫野さんは俺とは逆に不機嫌な顔と声で口を開いた。
「その友達がそうじゃないって言える?」
「え?」
「由井君、食い散らかされたりしない?」
「しませんよ」
「されるかもよ?」
「俺がですか? ないですって」
平凡なのにと笑い飛ばしたけど、鴫野さんは笑わない。そのまま会話が途切れてしまって、いつになく無言の時間に居心地の悪さを覚えた。
鴫野さんは、ただジッと俺を見据える。俺の、肩越しに……後ろの何かを、見据えるように。
「……後ろ」
「!?」
ビャッと跳ねて、思わず鴫野さんに飛びついた。
「どうした?」
「うしっ……」
「牛? 牛はいないけど。他に何もいないよ」
「何もっ……本当ですよね!?」
「本当。俺がいれば大丈夫だって」
「ううっ、信じてますよっ」
そう言ったものの、心臓がドキドキしすぎて鴫野さんから離れられない。むしろ鴫野さんの近くにいるほど安心感が増す。
「ごめん。後ろにバナナあるから、小腹が空いてたら食べてもいいよって言おうとしただけ」
「ありがとうございます……でもあのタイミングは、紛らわしいです……」
「ごめんって。思い出した時に言っておこうと思って」
鴫野さんって、こういうところあるんだよな……自由というか、器が大きいというか。
「由井君ってあったかいね。子供体温?」
「わっ! そうだ俺っ、お風呂入ってないのにすみません!」
「お風呂?」
「鴫野さん、もうお風呂入ったんですよね? 俺、外から帰って来たばかりですし」
「俺は別に気しないけど、由井君のそういう真面目なところ好きだな」
好き……もしかして、こういう言動で勘違いされて変な噂が立っただけじゃない? 勝手な想像だけど、まったくの間違いでもない気がした。
離れようとした俺は、逆にぎゅうぎゅうと抱き締められる。そういえば、テーブルの上にビールの缶が三本くらいあった。鴫野さん、酔ってるのかな? そうじゃないとさすがに俺をこんな風に抱き締めたりしないよな。
「由井君はすぐに他人を信じるし、疑いもしないし、騙されて大変なことになるんじゃないかって、心配」
「否定できなくて申し訳ないです」
「今度その友達連れて来なよ。噂のこともあるし、由井君が俺と一緒に住んでるのを心配してるかも。まあ、心配もしないような友達だったら俺は認めないけど」
鴫野さんって、なんかお兄ちゃんみたいだな。俺に兄弟はいないけど、いたらこんな感じじゃないかなと思う。
胸がぽかぽかして、くすぐったい。まだ一緒に住み始めたばかりだけど、俺、鴫野さんと出逢えて本当に幸運だったよなぁ……。
感動に浸っていたら、鴫野さんは俺から離れる。なんだか寂しいと思ってしまって、もう子供じゃないのにと少し恥ずかしくなった。
「言っておくけど、俺は彼女も彼氏もいないし、男は恋愛対象外だから安心して」
「え。そうなんですか?」
「男女問わずは、さすがに噂に尾ひれが付きすぎだから」
「そうだったんですね……でも鴫野さんかっこいいし、性別超えてモテても不思議じゃないから尾ひれがついたんだろうなって思ってました」
「純粋すぎて、本当に心配。なんでも好意的に捉えない方がいいよ」
「気を付けます」
「本当に分かってんのかな……」
そう言ってぼやく姿は初めてで、心配かけて申し訳ないのに、鴫野さんの新たな一面を知れてちょっと嬉しかった。
翌朝。バイトの面接のために早起きしたら、鴫野さんが出かけるところだった。
でも肩にかけた大きなバッグを下ろして、ちょっと待ってて、と言って部屋に戻る。それからすぐに、銀色の英字の書かれた黒い紙袋を持って戻って来た。
「昨日渡し忘れてたけど、これ。入学祝い」
「えっ! ありがとうございますっ! 出逢ったばかりなのにすみませんっ」
思わず紙袋を恭しく掲げてしまう。鴫野さんは楽しそうに笑って、開けてみて、と言ってソファに座った。
俺も隣に座って、綺麗にラッピングされた箱を取り出す。袋を見た時も思ったけど、めちゃくちゃ高そうな店だな……。
丁寧にリボンを解いて、箱を開けると、中身はシルバーのピアスだった。菱形をしたツヤ消しの銀色だ。鈍角になった角に、小さな赤い石が付いている。
「かっこいいっ……」
大きすぎないのに存在感があって、雑誌のモデルが着けていそうなデザインだ。
ピアス穴は、高校を卒業した日に地元の友達と空けた。じいちゃんとばあちゃんには前もって相談しなさいと怒られたけど、こんなにかっこいいピアスをプレゼントして貰えるなんて、空けてて良かったと興奮してしまう。
「気に入って貰えて良かった。それ、俺の誕生石だから、悪いものを弾いてくれるかも」
「付加価値もすごい! 嬉しいですっ、ありがとうございます!」
「そんなに嬉しそうにされると、プレゼントのし甲斐があるな」
そう言って笑った鴫野さんが自ら、俺にピアスを着けてくれる。こういうの、映画のワンシーンにありそうだ。相手が俺じゃなかったらすごく絵になるんだろうなぁ。
スマホの画面に耳を映すと、頬が緩んでしまう。鴫野さんに似合いそうなピアスだから、俺も鴫野さんみたいにかっこいい大学生に近づけた気がした。
鴫野さんは俺の頭をポンポンと撫でて立ち上がる。本当にお兄ちゃんみたいだ。
「面接頑張って」
「はい! ありがとうございます!」
元気に返して、俺もお見送りのために立つと、その元気さならきっとすぐに採用だよ、と優しく笑って言ってくれた。
ピアスと言葉に勇気を貰って受けた面接は、鴫野さんが言った通りに、翌日には採用の連絡を貰った。鴫野さんに伝えたら、その日の夜はご飯に連れて行ってくれた。それも、おごりで。
恐縮する俺に鴫野さんは「こういう先輩っぽいことしてみたかったんだよね」と言って笑う。本当に……こんなに恵まれてて、俺、明日死んだりしないよな? そんな心配をしてしまうくらいに、俺の新生活は順風満帆だった。

