恋のエンギ指導が本気(ガチ)すぎます!

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 個人レッスンまでを終えたその日の帰り道。
 香納と並んで校舎を出ながら、おれはおもむろに切り出した。

「……今日の、祥太たちのことだけど」

「……なに」

 香納は『まだ何かあるのかよ』とでも言いたげな、うっとうしそうな声を出す。

「ごめん、蒸し返して。でも、その……最後バタバタしちゃったから、話しておきたくて」

「だからなに」

「うん、えっと……あいつらも、悪気はないんだ。真剣にやってるから、前だけ見て視野が狭くなっちゃってるっていうか、余裕がないっていうか、そういう感じで」

「…………」

「だから……ムカついたと思うけど、許してあげてほしい」

「…………」

「……香納?」

「……頼み事するなら、代償払わないとな」

「へっ!?」

(ここでそれ来る!?)

 まさかの切り返しに、おれはカバンを落としそうになった。
 香納はあの顔をしている。おれをからかう前の、どこか艶っぽい楽しそうな顔を。

「許してやってほしいなら、条件のめ」

「ど、どんな……?」

「そうだな──」

 香納は前方を見た。校門が近い。もうあと1分ほどで解散という距離だ。

「俺んちに着くまでの間、恥ずかしい話を披露し続ける」

(え……?)

「香納の家って……」

「方向は同じだろ」

 意図をはかりかねたおれに、香納は短く告げた。
 たしかに、おれはバスに乗るけれど、香納と帰る方向は同じだ。途中までは道もまったく同じはず。

(香納が歩く15分間、余興を提供しろってことか)

「わかった。条件のむよ」

 おれがうなずいて間もなく、校門を抜けた。
 おれはいつものバス停には向かわず、香納と並んで歩き続ける。

「でも、恥ずかしい話って何を話せばいいの?」

「お題は俺が出す」

 そして香納は数秒思案し、再び口を開いた。

「今までにした、一番デカい失敗」

「失敗? うーん、失敗か……」

 山ほどしてるはずだけれど、急に言われると出ないものだ。しばらく悩んでから、おれは思いついたことを答えた。

「小6の時、作文のコンクールに入賞して表彰式で朗読することになったんだけど、緊張でしゃっくりが止まらなくなって、ちっとも上手に読めなかったことかな。恥ずかしかった……」

「へー。マジあがり症なんだな」

「うん。大勢の人を前にすると頭が真っ白になるよ」

「んじゃ、今までで一番怒られたこと」

「怒られた……うーん」

(おれ基本的に、怒られないように振る舞っちゃう小心者なんだけど……なんかあったかなぁ)

「あ、受験の日、行きの道で迷子になってるおばあさんに会って、案内してるうちに遅刻しそうになって……それを帰ってから母さんに話したら、『親切も時と場合を考えなさい』ってめちゃくちゃ叱られた」

「どんだけお人好しなんだよ」

「う。だってほっとけないだろ……!」

「次。何歳までサンタ信じてたか」

「サンタさんか。小5くらいまでは、いたらいいな、いるかもって思ってたなぁ。家にプレゼントを置いていくサンタさんが親なのはもっと前から気づいてたけど、あきらめきれなくて」

「純朴か」

「! いいだろ、夢見るくらい!」

「次。自分のこと3つ褒める。性格編」

「褒める? えーと……真面目、好きなものにはとことんはまる、好き嫌いしないでなんでも食べる……とか?」

「最後性格か? 次、外見編」

「え、香納の前で言わせるのそれ……」

「言え」

「うっ……言えるほどのことないけど……えっとぉ、耳の形が綺麗、膝小僧が綺麗、メガネ取ったらまぁまぁかわいい顔してる、は、言われたことある……」

 3番目を言ったのは、他でもない香納だ。

「そうだったな」

 ニヤリと笑った後で、香納はひょいっと手を伸ばしてきた。耳を隠していた髪を指先で払って、顔を近づける。

「……たしかに」

「っ! ちょ、息かかってくすぐったい……」

「今度膝小僧も見てやるよ」

 わざと耳に吹き込むように言って、香納は体を離した。おれはぶるっと震えそうになるのをなんとか我慢する。

「じゃあ次──初恋の話」

「え……?」

 おれはつい香納の横顔をまじまじと見てしまった。ちょっと意外なネタだと思ったからだ。
 それと……気のせいかもしれないけど、香納の声が、それまでより少しだけ硬かったような気がしたから。

「んだよ」

「いや、えっと……」

「時間稼ぎすんな。早く言え」

「時間稼ぎなんてしてないよ。でも、その……ごめん、それは言えないや」

「なんで」

「だって……多分まだ、経験したことないから」

 気恥ずかしさで目が泳いでしまうけれど、正直にそう話した。
 香納が一度瞬きして、驚きの浮かぶ眼差しを向ける。

「高2で?」

「こ、高2でもないものはないの! おれ小学校低学年からラノベにどっぷりで、好きなキャラとかはいたけど、それはまた違うと思うし……」

「違うな」

「うん。ていうか典型的なオタクだったから、女の子と話す機会も全然なかったし……。リアルでは……人を好きになるとか、正直、よくわかんなくて……」

「……ふーん。どうりで鈍なわけだ」

「え? なんか言った?」

「演劇バカもたいがいにしとけっつったんだよ」

「ご、ごめん……」

 これには返す言葉もなく、肩を落としてしゅんと謝る。
 香納はそれきり、次のお題を出してこなかった。しばらく無言のまま、ただ歩いていた時──

「あっ! おにいちゃんだー!」

 前方から、かわいい声がした。
 今はもうバスの通る大通りを外れ、住宅街に入っている。見れば、20mほど先の横道から出てきた親子連れがこちらを見ていた。お母さんらしき女性と、幼稚園児くらいの小さな女の子だ。

「アスミ」

 香納が歩を速めた。女の子もちょこちょこと駆け寄ってきている。
 香納が屈んで両手を広げると、女の子は勢いよくその中に飛び込んできた。

「おにいちゃーん! おかえりー!」

「おう、ただいま」

 女の子を優しく抱き込んで、香納はその頭を撫でてあげている。

(こ、これは……)

 この状況を見れば疑うべくもない。ここはもう香納の家の近所だろうし。

(この子が、香納のハイクオリティな読み聞かせを独り占めしてる妹さんか……!)

 そして今、ほこほこした笑顔で追いついてきた美しいご婦人がお母さんだろう。
 妹さんもすごくかわいい子だった。なんて顔のいい一家。うらやましい遺伝子だ。

「詩希、おかえり」

「ん」

「私たち今から買い物なのよ」

「あそ」

「あのねあのねっ! アスミにビスケット買ってくれるって! くまさんのやつー!」

「ああ、あのくまさんのな。よかったな」

「うんっ。おにいちゃんにもあげるね! 楽しみにしててね!」

「おう、楽しみだ」

 ぴょこぴょこ飛び跳ねそうな勢いで嬉しそうにしている妹に、香納も目を細め、優しい笑みを向けている。声も聞いたことがないくらい優しかった。

(学校とは全然違うじゃん。そっか、香納も家族の前だとこんな顔するんだ)

 斜め後ろに立って、おれは呆けたように仲睦まじい一家の姿を見守る。

(めちゃくちゃいいお兄ちゃんなんだろうな、香納)

「こんにちは。いつも詩希がお世話になっています」

「あ、こ、こんにちは」

 美人のお母さんにニコッとほほ笑まれて、おれはドギマギしながら挨拶を返した。
 と、香納が妹の乱れた髪を直していた手をピタッと止める。彼女をお母さんにあずけて、すくっと立ち上がった。

「……妹の明日美(あすみ)と、母親」

 横目でこっちを見て、むくれたような声でぼそっとしゃべる。なんだか気まずそうだ。

(もしかして、うっかり妹にデレデレなところ見せちゃって照れてる……?)

「ふっ」

 おれはこらえきれずに笑ってしまった。その途端、ぐいんと顔を向けた香納に鋭い眼光でにらまれる。

(こわっ。でも、これは我慢できないよ……!)

 照れ隠しに怖くなるところまで含めて、ちょっとかわいすぎる。

「こんにちわー!」

 明日美ちゃんのひまわりみたいな弾ける笑顔が、お兄ちゃんの殺気を霧散させた。おれも「こんにちは」と返す。

「明日美、はとのす幼稚園のもも組! えとえと、あそこの青い屋根のおうちが明日美のおうち!」

「そうなんだね」

 指さされた方向を見ると、別宅の庭の木越しに、青い屋根がわずかに見えていた。本当にごく近所まで来ていたようだ。

「おまえ、もう行け」

 相変わらずの仏頂面で香納が言った。早急にこの場をどうにかしたいという思惑が伝わってくる。

「あっ、私たちも急がなきゃ。タイムセール終わっちゃう!」

 お母さんがハッと思い出したように明日美ちゃんの手を取った。

「じゃあね、詩希。帰ったらちゃんと靴下カゴに入れるのよ!」

「わぁってるから行け!」

(ふむふむ、香納は靴下脱ぎっぱなしにしがちタイプなのか)

「おまえも帰れつってんだろ!」

「は、はいっ! さよならー!」

 いつになく余裕のない香納に急き立てられて、おれは最寄りのバス停まで駆け去った。