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翌日は、交代制で大道具制作を手伝う日だった。
今回も裏方専門の半幽霊部員に招集をかけ、それを春に引退したけれど裏方は手伝うという3年の先輩が取り仕切っている。
おれとその先輩で打ち合わせて、制作スケジュールもまとまっていた。
とはいえ役者たちも任せっきりにはできないので、やれる範囲で、みんなで作業するようにしているのだ。
「よし。ここまでにして、大道具のほう行こうか」
視聴覚室で練習を仕切っていたおれは、その場のみんなに声をかけた。
今いるのはながやん先輩、香納、麻青、1年の律だ。不在のくら先輩、2年の祥太と淳巳、1年の剣斗と大地が、大道具制作に加わっている。
「っと、本当だ。交代の時間だな。香納はどうするんだ?」
時計を見たながやん先輩が、視線を香納に移した。
「香納は……」
おれもそちらを見る。香納がどうしたいかに沿うつもりでいた。
(みんなとの差はもうほとんどないし、おれとしては一緒にやれたらいいなぁって思うけど……)
助っ人だし、『仲良くハリボテ制作なんてやってられるか』とか、いかにも言いそうだし。
「別にどうでも」
(えっ)
そっけなく吐き出された予想外の声に、おれはつい前のめりになった。
「大道具制作、やってもいいってこと?」
「そう言ってる」
「!」
(や、やったー!)
「じゃっ、じゃあ香納も行こう!」
前のめりじゃ足らず、おれは香納の傍まで駆け寄ってしまった。
「しっぽ振る犬かよ」
「だって、嬉しくて……」
「あそ」
「ふふ。あらたと香納、すっかり仲良くなったね」
傍らで麻青が笑った。
「え? そ、そうかな」
「うん」
(おれがほんとにワンコ化してるだけかもだけど。そう見えるなら……そうなら、いいな)
「時間なんだろ」
麻青とおれのやり取りなんてまったく気にしていない様子で、香納は扉に向かう。
「あ、待ってよ香納! みんなで行こう」
たしかにしっぽ振ってるかもしれないと思いながら、おれはその背中を追いかけた。
大道具チームがいる空き教室に向かう途中、おれと香納は急きょ他の3人と別行動することになった。
リーダーの先輩から『ペンキが足りない』とメッセージが来て、おれと香納で部室に取りに行くことにしたのだ。
「白と黄色と緑と青……うん、全部在庫ある。よかった」
「ん」
それぞれ2缶ずつ持って、空き教室を目指す。
こんなふうにいくつか使用中の教室もあるとはいえ、校舎内はとても静かだ。長い廊下を進むおれと香納の足音だけが響いている。
と、その足音に遠くからのかすかな声が重なった。
「けどさぁっ……!」
(あれ、この声……祥太?)
外から聞こえたような気がした。ここは1階だ。
どこだろうと見回して、右手前方、開いた窓の向こうに見える水飲み場に、複数のジャージ姿を見つけた。ちょうどこの廊下の先に、そこへ出られる鉄製の扉がある。
(ながやん先輩たちと交代して、水飲みに寄ったのか)
進みつつ確認すると、祥太、淳巳、大地、剣斗の4人だ。くら先輩だけはいない。
近づくにつれ、声もはっきり耳に届く。
「なんかあいつ、すましてるだろ。それが気に食わないんだよ」
「でも実際、僕はすごいと思うぞ。セリフはほぼ入っている。この短期間でよく入れたものだ。声量もあるし、体もよく動く。何より上手い。正直、あそこまでできるとは思っていなかった」
「俺も! 基礎トレやらないって聞いた時はそれで大丈夫なのかよとか、ずりーとか、ちょっと思っちゃったんですけど。あの演技見たら、文句言えないっていうか」
(!)
おれは足を止めた。
(これ……香納の話だ)
ワンテンポ遅れて香納も立ち止まっていた。その姿を、おれはおそるおそる見上げる。
「…………」
どこも見ていないような感情のない眼差しで、香納は顔を正面に向けていた。
「上手いのは俺だって認めるよ。るー先輩のタケルとはまた違うけど、あいつのタケルもいいと思う。けど、だからこそムカつくっつーか」
「んー。まぁたしかに、『才能見せつけてます』って感じはありますよねー」
最初からずっと不満げなのは祥太で、苦笑いで同意したのは剣斗だった。賛同を受けて、祥太はさらに気色ばむ。
「そう、そうなんだよ! 涼しい顔でこなして、助っ人でもこれくらいできるのにって、俺たちを下に見てる感じっていうか。あいつは全然本気じゃないのに、本気でこの大会にかけてる俺たちが馬鹿にされてるみたいで」
「いまだにオレたちとは雑談すらしてくれませんもんね。もしかしたらあの人には、長い夏の暇つぶし程度なのかなー」
「っ……!」
カッと体の奥が燃えて、体温が一気に上がったような気がした瞬間。
おれの足は、勝手に動いていた。
「っ、おい!」
後ろから香納の声が聞こえたけど、その直後に響いた大きな音でかき消される。おれが外に出る鉄扉を勢いよく開けた音だ。
「香納はそんなやつじゃない!」
水飲み場までの4段ほどの短い階段を駆け下りながら、おれは叫んだ。
扉が開いた時にビクッと盛大に驚いてこっちを見た4人は、その場で固まっている。
「あ、あらた……!」
祥太が瞳をこぼしそうなくらい目を丸くしていた。
続けて大地が「香納先輩……!」と小さくつぶやいたので、遅れて香納もついてきたことがわかった。
でもそれは頭の隅でチラッと意識した程度だ。
おれの体は熱いまま。視線は正面の祥太から外さない。
感情が、言葉が、奔流のように口からほとばしった。
「たしかに香納は無愛想だし、冷たく見えるし、人と群れるの嫌いっぽくて社交性ないけど! でも部のみんなを下になんか見てないし、馬鹿にしてもいないよ! 絶対に、そんなことしない!」
断言できる。ダイヤモンドより硬い確信で言い切れる。
だって、おれにはわかる。今日までずっと、香納を見てきたんだから。
(香納は、自分と違うなんていう理由で人に優劣をつけるやつじゃない)
「あらた……」
つぎにおれの名前を口にしたのは淳巳だった。彼も、気まずげに口を引き結んだ祥太も、剣斗も大地も、呆然とおれを見ている。
部員に対してこんなに声を荒げたのは初めてだった。おれ自身、どこかで冷静に驚いている。
でも、あふれ出す感情は止まらない。
「それに、『本気』なんてみんな違うだろ? 祥太の本気と淳巳の本気は違う。おれだって違うよ。おんなじ本気なんてない。香納の本気だって、おれたちとは違って当たり前なんだ。それが見えないからって、『本気じゃない』なんて決めつけるほうがおかしいよ」
おれは知ってる。香納が一人で筋トレを続けていること。睡眠時間を削ってセリフを暗記していること。
おれには知る機会があって、祥太たちにはこれまで気づく機会がなかったのかもしれない。
(でも、おれ以外だって、香納をちゃんと見てたら気づいたはずだ)
連日睡眠不足で来ている香納が、なんでもかんでも余裕でこなしているわけがない。
香納は感情や体温を持たないサイボーグじゃないんだ。
「涼しい顔してたって、楽にこなしてるわけじゃない。簡単にできてるわけじゃない。香納は香納なりに、本気でやってくれてるんだ。こっちが急に頼んだことなのに、一緒に頑張ってくれてるんだ」
見せないし、言わない。ひけらかしたりは一切しない。
でも、陰でやってくれている。応えてくれる。そういうやつなんだ。
対価を払えなんて意地悪みたいなことも言うけど、受け取ったからにはちゃんと返してくれる。むしろ、ちょっと恥ずかしい思いをするだけのおれより、もっと大変なことをしてくれている。
(だから、おれは……)
おれは軽く後方を振り返った。2歩分くらい斜め後ろに、香納は立っていた。
「おれは、100回ありがとうって言っても足りないくらい香納に感謝してる。香納を選んでよかったって思ってる」
無表情の香納を見ながら告げて、そしてまた正面に体を戻した。
4人の顔に、順番に視線を移していく。
「それに今、香納と練習してて楽しい。みんなだってそうだろ? 香納のタケル、好きなんだろ? 演技見てたらわかるよ、そんなの」
根底から認められない相手と、同じ舞台になんて立てない。そんな状態じゃ、創る世界はいびつなものにしかならない。
「それでいいじゃん。一緒にひとつの舞台を創るのが楽しい。それだけでいいじゃん。香納がすごくても香納だけじゃ舞台はできない。恋人役の麻青がいて、ライバル役の祥太がいて、淳巳も剣斗も大地もいて──みんながいて、やっと完成するんだよ。やきもちなんか焼かなくていい」
「っ……俺は……」
ぎくりと肩を震わせ、低い声を漏らしたのは祥太だ。目線はおれも香納も見ていられないといったように、地面に落ちている。
彼に対して、おれは憤りと同じくらい、申し訳なさも感じていた。だからおれは、頭を下げた。
「祥太、ごめん。部長として、統括者として、こういう話、もっと早くにちゃんとしておくべきだった」
代役は自分がと望んでいて、香納の抜擢に一番思うところがあった祥太。わかっていたのに、おれは香納の演技ですべて解決したと浮かれて、こんなふうに腹を割った話をできていなかった。祥太の心に耳を傾けられていなかった。
「いや……」
祥太はうつむいたまま視線を泳がせた。迷うように、何度か唇が開いてまた閉じる。
けれどやがて、心を決めたのか顔を上げた。
「……あらたの言う通りだ。俺……嫉妬してた」
おれと香納を交互に見て。時折声が震えるのをこらえるように息を詰めながらも、祥太は言葉を続ける。
「マジで、想像の数倍できるやつだったから……俺、2年のエースのはずなのに立場ねーじゃんとか思って……悔しくて……」
「祥太……」
「悪かった、香納。おまえにすごい失礼なこと言った」
最後はしっかりと香納を見て、そう謝罪した。
「……別に」
香納は祥太を見ていない。さっきまでの祥太のように地面を見ていて、おれとも視線は合わない。でも、その姿や声に険しい空気はなかった。
他の3人も口々に謝った。
香納はさすがにいたたまれなくなったのか、あいたほうの手でくしゃっと髪をかき上げて「もういい」と言う。
「ペンキ、早く持ってかねーと切れるんだろ」
「あっ」
指摘され、おれも左手に持った缶の存在を思い出した。
「そうだった、行かないと! みんな、また後で! 監督はくら先輩にお願いしてあるから!」
「お、おう」
4人に見送られて、おれたちは急ぎ足で校内へ舞い戻った。

