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「──あ。そういえば、夏休みの稽古の件だけど」
レッスン後、香納と校舎を出て前庭を歩いている時、ふと思い出した。
香納は徒歩通学で、おれは校門近くのバス停からバスに乗る。解散までの時間は、校舎内を入れて7,8分だ。思い出してよかった。
「セリフ覚えろって話?」
「うん。その……暗記、大丈夫そう……?」
(おれが、何か対価を払わないといけないのかってのも含めて……)
「無茶言うよな。数週間遅れて初めて台本見たやつに、他の部員と同じペースでセリフ覚えろとか」
「ぐ……それは、ほんとそう。ごめん」
「そんな要求するなら、おまえもそれに見合うだけの対価を払わないとな?」
意地悪い長し目をよこされる。やっぱりそうきたか。
「で、できることはするよ。大変だっていうのは、わかってるから」
「へー」
香納はちょっとだけ面白い話を聞いた時みたいに肩をすくめた。
「おまえ、ほんとMだよな」
「え……」
(Mって、あのM? マゾヒストのM?)
いや、状況的にやむを得ず色々要求をのんでるだけで、けっしてやりたくてやってるわけじゃないんだけど。
「ち、違うよ。全然そんなことないよ」
「ある。確実にドMだろ」
「ええっ……? や、違う……と、思うんだけど……」
(というか、そんなこと考えたことなかったからよくわかんないよ。ここまで断言されるってことは、そうなのか……?)
オタク気質のいじられ・いじめられキャラであることは確かだけど、そこに喜びを見出してはいないはずなんだけど……。
「ま、いんじゃね。俺Sだし」
ぼすっと、やや乱暴に大きな手が頭に載った。ぽんぽんと、2回バウンドしてから離れる。
「さっきので、よしとしてやる」
「……さっき?」
(セリフ暗記の対価の話だよな? さっきって……あ、泣けって言われたこと?)
困らせすぎたから、今日はあれで許してくれるっていうことか。
「あ、ありがと」
「できる範囲でだけどな。ま、やるだけやる」
香納は、右肩にかついでいた薄っぺらいカバンを左肩にかつぎ直した。
(教科書、ほとんど入ってなさそうだなぁ)
でも、これで香納は結構成績もいいらしい。
今はテスト順位の掲示なんてしないから正確なことはわからないけど、テスト返しの時に香納の答案を盗み見た生徒が驚くくらいの高得点を取っているようだ。全然真面目そうじゃないのに頭いいのかよ、って。
(器用な人間だって言ってたの、その通りなのかも。運動神経もよさそうだし、その気になったらいろんなこと、できそうなのに……)
「……香納は、高校では部活、何もする気なかったの?」
バス停までの残り数分、おれは思い切って尋ねてみた。
前から、気になっていたことでもあるんだ。
「ああ」
「そか。じゃあ……なんで演劇部に入ったの?」
「別に。どこか書くしかねーっつーから、適当」
予想通りの答えだった。でも。
「去年もそう言ってたね。けど、適当にしてもたくさんある中から演劇部を選んだのには、何か理由があるでしょ?」
部活一覧表にはずらっと20近くの部活が並んでいた。その中から、参加する気はなくても香納は選んだんだ。
ドラマを観るのが好きとか、読み聞かせするの楽しいからとか、わずかでも『演劇』の文字に目が行った理由があるのかもしれない。もしかしたら、『ど・れ・に・し・よ・う・か・な』で決めたのかもしれないけど。
「覚えてねー。マジ適当。たまたま目についたんだろ」
「……そっかぁ」
(うーん……ちょっと残念、かな)
9月までの助っ人とはいえ、香納ももうおれたちの一員だ。一緒に芝居を創り上げていく仲間だ。
だから……香納も、少しでも今を楽しいと感じてくれていたら嬉しい。そんなふうに思ったんだけど。
「……おまえは」
「ん? なに?」
何を聞かれたのかすぐにはわからなくて、おれは首を傾げた。
「おまえはなんで演劇部なんだよ」
「おれは……」
口を開きつつも、内心では軽く驚いていた。そんなこと、質問されるとは思っていなかった。
でも、友達のような、こんな普通の会話が香納と成立しているのはなんだか嬉しい。
「おれは、もともと小説を読むのが好きで。中学2年くらいから、自分でも書くようになったんだ。で、それを1年の時麻青に話したら、一足先に入部してた麻青が、演劇部で脚本を書いたりできるからどうかって誘ってくれて」
「へー」
「麻青も演技未経験だけど、あの外見がコンプレックスで、引っ込み思案な性格で……それを改善したくて、容姿を活かせそうな部に入ったんだって。おれも内気なほうで、演劇のことは何もわからないし、最初は不安でいっぱいだったんだけど……」
入部初日のことは今でも鮮やかに思い出せる。
自作の発表の場があるってことに惹かれて入ったものの、異世界に装備ゼロで飛び込んだ気分で、おれはガチガチだった。
そんなおれを迎えてくれた、明るい笑顔。
「るー先輩が、色んなことをひとつずつ、丁寧に教えてくれて。未熟なうちから、練習用の短い寸劇の脚本とか、書かせてくれて。おれ、あっという間に、部活が楽しくて仕方なくなったんだ」
「入院中のやつか」
「そう。すごく面倒見のいい人なんだよ。今も、ほぼ毎日メッセージ来て、みんなのこと気にかけてくれてるし」
「……ふーん」
「るー先輩が、文化祭の脚本をおれに任せるって言ってくれて。あの公演のお客さんの笑い声とか歓声、今でも耳に残ってる。泣きそうなくらい嬉しかった。演劇楽しいって、改めてお腹の底から思った」
「…………」
「おれ、演劇部に入ってなかったらもっと内向的で、人と話すのも苦手で、思ったことをうまく伝えられないままだったと思う。今でも人見知りするし、るー先輩みたいに明るくて社交的にはなれそうもないけど……でも演劇のおかげで、おれ自身もかなり変われた」
「そのようだな。えらく饒舌なことで」
「あっ。ご、ごめん」
本当だ。入部したきっかけを聞かれただけなのに、余計なことまでベラベラしゃべってしまっていた。
「演劇とかるー先輩のことになると、つい……」
恥ずかしくて、ぽりぽりと頬を掻く。香納は呆れ混じりの、冷めた半眼でおれを見下ろしていた。
「……好きなの、そいつ」
「もちろん! 大好きだし、感謝してるし、心から尊敬してるよ!」
あんなふうにはなれないだろうけど、あこがれの人だ。これからも前を歩き続けていてほしい人。
「……あ、そ」
香納はまた、大きな動きでカバンを持ち替えた。話題を変える合図みたいだった。
「おまえが予想以上の演劇バカだってのはよくわかった」
「はは……うん、否定はしないよ」
「役者はやったことねーの? 1年のあいつみたいに」
「大地だね。うん、彼はそうだけど、おれは最初から裏方一本。すごいあがり症だし、役者はおれには無理だと思う。演じる側になりたいって願望もないし」
「ふーん……」
そっけないあいづちを打ちながら、香納はなぜか数歩前に出て、おれのほうを向いた。
前に立たれて、おれは必然的に足を止めざるを得ない。
「香納?」
呼んだのとほぼ同時に、こっちに手が伸びてきている。
1秒後には、指先がブリッジをつまんで、メガネをすいっと奪っていった。
「!」
リアクションする間もなく、メガネを持ったままの手が、今度は器用にあいた指でおれの前髪をかき上げる。
「これ取ったら、まぁまぁかわいい顔してるけどな」
「……! か、かわいいって……!」
よく見えないけど、多分また距離が相当近い。あらわになった顔を覗き込まれ、観察されている。
「女役できんじゃねーの」
「しっ、しないってば! ていうか、メガネ返して……!」
取り返そうと腕を上げた。でも、香納の手は逃げていく。
「うわ、度きっつ」
「返してってって、もう! それないと見えないんだって……!」
落ち着かない。赤くなっていそうな熱い顔を、隠すものがないのが心許ない。
でも、見えないし身長ではかなわないし、ちっとも取り返せない。
「香納! いじめないでよ!」
「るせー」
しびれを切らして悲鳴みたいに叫ぶと、手の甲でコツンと額を小突かれた。そして、右手にメガネを押し付けられる。
「バス来てる。行けよ」
「えっ」
おれは急いでメガネをかけた。
本当だ、前の通りのバス停に、もうバスが停まっている。本数はそこまで多くなくて、逃すと10分以上待たないといけない。
「じゃ、じゃあまた明日!」
返事も待たずに走り出し、バスに滑り込んだ。乗った直後に発車する。
「はぁ……」
空いていたので座席に座って、深く息をついた。火照った体をエアコンの風が冷やしていく。
(もう……香納、おれのことからかいすぎ……)
ていのいいおもちゃなのかもしれないけど。おれで遊ぶの、そんなに楽しいんだろうか。
(……楽しい?)
自分で考えたことに、自分で首をひねる。
(さっきの香納は、楽しそうな顔してたかな……?)
演技してる時以外はあんまり表情の変わらない香納だけど。最近では、その小さな変化がわかるようになってきたんだ。嬉しそうだったり、楽しそうな時の、ちょっとしたゆるみがわかるように。
(でも……さっきはどうだったろう?)
わからなかった。視界を盗まれて、見えていなかったから。

