恋のエンギ指導が本気(ガチ)すぎます!





 翌日は、全体練習の最後に軽いミーティングを行った。
 週末から、いよいよ夏休みに突入する。期間中の練習スケジュールや内容、役割についての再確認のためだ。

「活動時間は月~木の10~16時。火・木の午後は大道具・小道具チームが作業してくれてるから、交代制でおれたちも参加します。おれも裏方仕事で練習を抜けることがあると思うけど──」

 輪になって集まるみんなに説明を続けながら、おれはチラッと香納を見た。

「それと、舞台練習については……夏休みからは、立ち稽古に移行したいと思います。この夏休みで、ほぼ仕上げなきゃいけないし」

 それを聞いて、他のみんなの視線も自然と香納に集中する。
 台本を見ないで行う立ち稽古。つまり、セリフが頭に入っていないといけない。
 助っ人の香納の存在を考えると、どうするかは結構悩んだ。でも、全体スケジュールを遅らせるのはやっぱり難しい。

「香納、大丈夫か?」

「あのセリフ量は厳しいんじゃ? 香納は、もうしばらく台本ありでも……」

 心配そうに呼びかけたのはながやん先輩で、次の意見は淳巳だ。
 そんな中、香納は手にした台本に目を落としていたけれど、すっと顔を上げた。

「部長次第かと」

 ほんの少し、楽しげに唇の端が弧を描く。

「!」

(それって……)

「個人レッスンか。そうだな、あらた。おまえも暗記に協力してやれ。そのうえで、できる範囲でということにしよう」

 くら先輩が言い、話はまとまる。でもおれの胸中には不安の嵐が巻き起こっていた。

(個人レッスンでおれが付き合うのは合ってるけど、絶対それ、ただの暗記練習じゃない……!)

 今度は一体、どんな要求を突き付けられるんだろうか。



「チビ」

 二人きりになった途端、香納は後ろからおれに抱きついてきた。肩の上から腕を回して、負ぶさってくるみたいな体勢だ。

「わっ……」
「ワンだろ」

 短くたしなめて、おれの髪に頬を擦り付けてくる。

(やっぱイッヌ認定続いてるんだ……)

「そ、そんなにロス、大きかったの……?」

「かわいいやつだったからな」

「お、おれはその仔みたいに、かわいくないと思うんだけど……」

「んー……」

 ああ、また吸われてる。でも絶対、犬とおんなじ匂いなんてしてないし。

「代わりにはなる。似てるとこあるし」

「え……どんなとこ?」

「直進しかできないバカなとこ」

「……あ、そう」

(やっぱりおちょくられてる……)

 日が経つにつれ、どんどんおれ、香納のオモチャ化していってる気がする……。

「──補充完了」

 しばらくすると、香納は何事もなかったように離れて台本を取りに行った。

「どこやんの」

「あ……えっと、三場やろうかと」

(今日はあれだけでいいんだ……?)

 フリスビー投げとかやらされたらどうしようかと思ったけど、今日はもう満足してもらえたらしい。

「ん」

 香納はいつも通りの涼やかな顔で台本をめくり、こっちを見た。

「始めろよ」

「う、うん」

(よし、切り替えて集中!)

 三場はタケルと、麻青が演じるタケルの恋人・ミユキのシーンから始まる。しかも気持ちがすれ違って、激しくぶつかり合うシーンだ。タケルのセリフにも、結構演技指導をつけたいと思っていた。

「じゃあ──」

 おれがミユキ役となって、半立ち稽古を始める。

『まだ迷ってるの?』

『……おまえは、なんの迷いもないっていうのか』

『ないわよ。あなたは何を……』

『……俺は臆病なんだよ! 今逃げられたとしても、これからのことを考えちまうんだ』

「いったん止めるね。んと、ここはもうちょっと語調、抑え気味のほうがいいかも。この後で一気に爆発ってイメージなんだ」

「わかった」

 香納が同じセリフを繰り返すと、指摘を受けて抑え気味の、がらっと雰囲気の変わったものになっている。

(そう、こういう感じ! やっぱり香納、センスある。すごい)

 動きをつけての稽古は順調に進んでいった。
 シーン終盤、タケルとミユキは互いに感情が高ぶり、ミユキは涙ながらにタケルへ駆け寄って、すがりつく。

『私はあなたと生きていきたいの! あなたのいない世界なんて、なんの意味もない!』

『……よせ。俺はっ……』

 一度、タケルはミユキを引きはがす。
 勢いで、ミユキは数歩後ろへふらついてまた距離が開く。

 『タケル……』と、泣きながら見つめるミユキ。

 タケルはミユキを求めるように腕を伸ばしかけて……でも、引っ込める。

「ごめん、ストップ。ここ、もっとはっきり葛藤出したい」

 香納は「んー」と、唸るような、ため息のような息を漏らした。

「本当は、好きって感情に任せて抱きしめたい。でも、今の自分にそんな資格はないと思って、苦悩しながら思いとどまる。そういうシーンなんだ」

「……言ってることはわかんだけど」

 香納は左手で無造作に髪をかき上げ、くしゃくしゃと乱した。

「むじーな」

「……難しい?」

「そもそも、好きで抱きしめたいって思うような相手、いたことねーし」

「え……」

「実経験ないから、イメージわかねー」

「! そ、それ言ったら……」

 おれは困惑して、へらへらした声で言い淀んだ。
 香納は「なんだよ」と鋭い目を向けてくる。

「実経験はないかもだけど……でも香納、そもそも大企業で堅苦しい家柄の息子でもないし、お酒とギャンブルにおぼれて堕落した時期なんかもないでしょ? でも、そういう過去を語るシーンはいい感じにできてるよ?」

(おれだって、そんな経験ないけど書いてるし……)

 想像した感情や、人柄を憑依させる。物語を作るとか、演技とはそういうもので、香納はそれがちゃんとできている人だ。

「他はできてても、ここは気持ちがのらねーんだよ」

 香納は隅の長机に台本を投げ置いた。そして、手ぶらになった両腕を俺に伸ばす。

(え?)

 ぐいっと腰を抱き寄せられ、至近距離に香納の顔が迫った。

「おまえ、抱きしめたくてたまらねーくらいかわいい顔で泣いてみ?」

「は……はぁ……!?」

 視界がチカチカして、頭がクラクラした。
 10㎝もない距離で、なんかとんでもないことを言われた気がする。しかも、妙に甘くていい声で。

「なっ、な、なっ……なに、言ってっ……」

「経験なくても感情のるくらい、その気にさせてみろっつってんの。泣いてすがってくるミユキがいとおしくてしょうがない、ってシーンなんだろ」

 片手であごをつかまれ上向かされた。
 ドゴンッて、耳の奥で音がした気がする。やばいこれ、脳みそ破裂してないか?

「ほら。泣きながらミユキのセリフ。俺が好きって言って」
「っ……」

 息が顔にかかった。心臓が暴走機関車だ。
 ラブシーンを演じる役者ってこんなの耐えてるのか。やっぱりおれは裏方しかできない。

「ごっ、ごめん……おれには、無理っ……」

「ダメ、泣け」

「っ……む、無理だよ……! おれ、役者じゃない、から……。そういうことなら、このシーンは麻青にも付き合ってもらって……」

「は? おまえが責任持つんだろ。投げ出すのかよ」

「な、投げ出すわけじゃないけどっ……おれは演出で、できることと、できないことがっ……」

「おまえじゃなきゃ意味ねー」

「……! か、勘弁して……」

 あごを固定されて、間近から瞳を見据えられて、視線も体もどこにも逃げられない。全身の血が熱い。気が遠くなりそうだ。
 その後、何秒くらいそのままだったのかはよくわからない。おれにとってはすごく長かったけど、多分実際はそうでもなかったのかもしれない。

「……わかったよ」

 香納はふっとおれを抱く腕を緩めて、やっと解放してくれた。
 緊張の糸が切れたおれは、ふらついて近くの長机にぶつかる。

「ここは一人でイメトレしてみる。明日まで待て」

 そう話す香納の姿は、ぼやけてはっきり見えなかった。

(あれ……おかしいな、目が……)

 緊張のあまり目が潤んでいるのと、メガネがくもっているからだと気づく。メガネを外し、目をゴシッとこすった。

「……ごめん、役に立てなくて……」

「…………うでもねー」

 背中を向けながら香納が何かつぶやいたけど、おれにはよく聞き取れなかった。