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翌日から、さっそく香納は練習に本格参加となった。
基礎トレ不参加という点については、何人かの部員から不満げな反応があったものの、そもそもありがたい助っ人なんだから無理強いはよそうという声もあって、容認された。
「じゃあ、香納にはまず動きを覚えてもらわないとだから、今日から順番に教えていくね」
練習の進度は、半立ちという台本を見ながらの立ち稽古に入っていた。
まだセリフは覚えきっていないので、台本を見ながらシーンごとに動きをつけていくのだ。第一場と第二場は、ほぼ動きを決め終わっていた。
そして、全体練習終了後に毎日45分、香納はおれとの個人レッスンもする。
みんなに追いつくため、動きのおさらいや、演技指導のための時間だ。
でもその前には……やっぱり毎回、香納が『対価』を要求する時間があった。
香納参加から5日目。個人レッスンの時間が近づいてきた頃に、おれはふっとこれまでの羞恥プレイを振り返る。
(変顔、モノマネ、尻文字、どじょうすくい……着実に『盛り上がる罰ゲーム20選』、消化していってるよな……)
さて、今日は何をやらされるのやら。なんかもう、順応してきちゃったけど。
それに、練習を重ねるごとに香納の演技はどんどんよくなっていく。
正直それが嬉しくて、羞恥プレイのマイナスを差し引いても個人レッスンは楽しかった。
「じゃ、お先に」
「おつかれさまでーす!」
「また明日な!」
「うん、おつかれさまー!」
練習を終えて、先に帰っていくみんなを見送る。
「いい調子だねえ。浅見君が入院と聞いた時はどうなることかと思ったが。ふぉふぉ、それじゃあ私もここで失礼するねぇ」
今日は顔を出していた顧問の兼光先生もそう言って帰っていった。
まあ、兼光先生は定年間近のおじいちゃん教師で、来てもお地蔵さんのように座って見ているだけなので、いてもいなくてもあんまり変わらないのだけど。ニコニコして「いいねぇいいねぇ」しか言わないし。
(さてと。おれたちはあともうひと頑張りだ!)
二人だけになった部屋で、おれは香納を振り返った。
「よし。ちょっと休憩したら、今日は第三場の演技レッスンしようか」
「ん」
香納は座ってペットボトルの水を飲んでいる。おれも歩いていって彼の正面に座った。
「……で、今日のミッションは?」
(さぁ、なんでも言えよ。虚無の心でやってやる!)
「んー」
(あれ、言わないの?)
いつもならすぐ指示を出すかスマホで罰ゲームを検索するのに、指令が出ない。
「一発芸系飽きた」
「えっ。じゃ、じゃあ……」
「方向性変える」
一瞬、今後は対価なしでいいのかと期待したのは即座に砕かれた。
(どういうことだよ! どういう方向性!? まさか痛いこととかされないだろうな!? そういうのはさすがに勘弁してほしいんだけど!)
内心おろおろするおれに、香納は涼しい顔でのたまった。
「今日からおまえ、俺の犬な」
「……へ?」
(えっ、え!? なんて?)
「犬だよ、イヌ。ワンコ」
頭に、ポンと手が置かれる。
「俺、去年ペットの犬死んでロスなんだよな。だからおまえ、俺の犬になれ」
言って、本当に犬にするようにわしゃわしゃと髪を搔き混ぜられた。
「えっ、ちょ、待っ……! 犬になれって言われても、具体的にどうしたら……」
「俺んちの犬は懐っこくてかわいいやつだった」
その声と同時に香納の体がぐっと近づいた。腰に腕が回ってくる。
何事かと思っている間に、おれは引き寄せられて、腰を持ち上げられて、くるりと回転させられて──
あぐらをかいた香納の上に、座らされていた。
「!? か、香納!?」
(いや、なにこの体勢!?)
「ハ、やっぱチビは軽いな」
後ろ向きに座らされたので振り返って叫ぶと、すぐ近くで香納は笑っていた。
その笑みの柔らかさについドキッとしたけれど、そんな場合じゃない。
「な、なん、なんでこんな──!」
「懐っこくてかわいい犬」
ギッと目つきを険しくされて、おれはひゅっと身をすくませる。
(こ、このまま犬プレイってこと……!?)
なんだそれ。懐っこくてかわいい犬って、どうやったらいいんだ。
「チビ。お手」
おれを足の上にのせて、片手は腰を抱いたままで、香納はもう一方の手を差し出してきた。
手のひらを上に向けて。……やるしかないらしい。
「…………ワン」
軽く握った手を、手のひらの上にのせる。
「できるじゃん。おかわり」
「……ワン」
「おりこうおりこう。もっとかわいく鳴いてみ?」
「キュ……キュウーン……」
「おー。よしよし」
あごの下をこしょこしょされた。思わず「ひゃっ」と叫んで逃げると、にらまれる。
「犬はここ撫でると喜ぶんだよ」
「っ……ク、クゥーン……」
(くっ……まさに、遊ばれてる……)
また頭をわしゃわしゃされたりもして、おれの髪はぐちゃぐちゃだ。
と、香納の腕が再び動く。
おれを包み込むように抱きしめて、彼はおれの首元に顔を埋めた。そして、深く息を吸い込む。
「はっ……か、かのっ……? な、何して……」
「犬吸ってる」
「はぁっ!?」
「動くな。じっとしてろ」
(いや無理!!)
首元で息を吸われて、吐かれて。呼気が触れてくすぐったい。ぞわぞわする。
「犬は癒しだな……」
「しゃ、しゃべんないで……」
だから、そんなゆるゆるした声で言われたって、こっちはくすぐったくて困るんだって。
「しゃべんなはおまえだろ。犬なのに」
ぎゅーっと、腕に力を込められた。身じろぎすら封じられてしまう。
(あつ……)
室内はしっかりエアコンが効いているんだけど、この火照りはちょっとだめだ。こんなおれを抱きしめてて、香納は暑くないんだろうか。
「犬はいいよな……」
「~~~~っ……」
(も、もう色々とムリー!)
「もっ、ももももういいだろっ! お、おしまいっ!」
おれは香納の腕をペシペシたたいて、力が緩んだすきに強引に立ち上がった。
「……んだよ。かわいくねー」
恨めしげに見上げられる。
「じゅ、充分頑張っただろ! 早く練習始めないと、時間なくなるよ!」
「へーへー。ま、多少はロス解消されたし、及第点にしてやる」
平然とした態度で、香納は台本を手に立ち上がった。おれの動揺なんて、なんとも思ってなさそうだ。
(ていうか、『今日から』って言ってたけど……もしかしてこれ、今後も続く……?)
おれの虚弱な心臓、もつだろうか……。

