恋のエンギ指導が本気(ガチ)すぎます!





 放課後。
 おれはいつも一緒の麻青とは別行動し、3組へ香納を迎えに行って、ふたりで視聴覚室に向かった。
 部室は着替えと荷物保管の部屋でしかなく、基本の活動場所は視聴覚室なのだ。
 香納が見たと言っていたように、外や他の空き教室を使うこともあるし、本番間際は体育館のステージを使うけれど。

「あの後すぐ、グルチャでみんなに伝えたから。多分、待ってると思う」
「あ、そ」

 香納の返事はそっけなく、相変わらず冷めた感じの無表情で心境が読めない。
 緊張しているようにも、やる気があるようにも見えないけれど……とりあえず普通に、ついてきてくれていた。

「……着いた」

 視聴覚室はカーペット敷きで、土足厳禁なので前室がある。下駄箱のある畳4畳ほどの狭い空間で、そこで靴を脱ぎ、左側の視聴覚準備室と正面の視聴覚室、どちらにも入れるようになっていた。
 おれと香納は上履きを脱ぐと、視聴覚室の重い扉を開ける。

「あ、来た!」

 中にいた、ジャージ姿の部員たちが一斉にこちらを見た。声を上げたのは1年の剣斗だ。
 くら先輩とながやん先輩が歩み寄ってくる。

「待っていたよ、香納」
「よく来てくれた。さあ、こっちへ」

 香納に目を付けた当人のながやん先輩は淡白ながらも嬉しそうな声で言い、仁義に厚い元柔道家・くら先輩も生真面目な顔で香納をみんなの輪に促した。

「ほんとに来た……」

 昨日の反応を知っている麻青は、半信半疑だったのか小さくつぶやいている。
 言葉のない他の部員たちも、それぞれに違う表情を浮かべながら香納に注目していた。
 おれは香納の隣に並んで、みんなを見回す。

「昼間チャットした通りだけど、こちら──2年の香納くんが、タケル役の代役を引き受けてくれました。えっと……まずは香納、みんなを紹介するね」

 1年以外は全員、去年の勧誘で会ってはいるんだけど、昨日の様子だと覚えていないだろう。
 おれは順番に、部員を紹介していった。

「3年の岩倉慎吾先輩と、長瀬秀先輩。公園で香納を見たのは長瀬先輩だよ」

 先輩たちは口々に「よろしく」と挨拶した。香納はあごを引いて会釈だけする。

「こっちが、2年2組の美濃部(みのべ)祥太(しょうた)

 次に手で示した祥太は、仏頂面をしていた。
 明るく元気で、部の盛り上げ役的な人物で、るー先輩とはまた違う、存在感のある男役。
 それだけに、彼は『代役なら俺がやるのに』と言っていた。正直、香納の登場は複雑なんだと思う。

「……どうも」

 それだけ言って、すいっと目線を外した。
 そのうち祥太とはちゃんと話をしないとと思いつつ、伸ばした手を隣に移す。

「同じく2年2組の、本間淳巳(ほんまあつみ)

「よろしく」

 ノンフレームの眼鏡をかけた淳巳は知的な笑みを浮かべた。
 同じ眼鏡族とはいっても、おれとは違ってしゅっとしたインテリ系って感じの生徒だ。
 運動嫌いなので消去法で演劇部に入ったらしいけど、「自己表現の一環としてこれはこれで面白い」と、今では楽しんでいるらしい。

「あと、昨日会ってるけど……こっちが穂村麻青」

 念のためもう一度紹介すると、麻青は上目遣いでペコッと頭を下げた。

 2年生は以上だ。おれは、彼らの反対側にいた1年生の紹介に移っていく。

「こっちが1年の三井剣斗(みついけんと)立川(たちかわ)(りつ)。二人は同じ中学の演劇部出身なんだ」

 それぞれを指し示しながら続けて紹介した。もともと友達同士だった二人で、剣斗が律を誘い、一緒に入部してきた演劇経験者だ。

「どもっす!」

 剣斗がにこやかに挨拶する。若干お調子者だけど、素直でいい子なんだ。
 夢は戦隊もののヒーローになることらしい。理由が「ママさんから子供まで、とにかく女の子にキャーキャー言われたい」なのがちょっとな……って感じだけど。

「よろしくお願いします」

 隣の律は礼儀正しく一礼した。
 身長165㎝の童顔男子で、麻青に次いでの貴重な女役だ。本人は男らしくなりたいようで、「背が伸びたら絶対男役やらせてくださいね!」と言われている。

「で、最後……同じく1年の茂城(もぎ)大地(だいち)。彼は裏方志望なんだけど、勉強のために今は役者もやってる」

「はじめまして、よろしくお願いします!」

 大地も元気よく頭を下げた。彼も真面目で勉強熱心な、とてもいい子だ。

「ここに、今入院してる前部長の浅見流音先輩を入れて、総勢10名。これが現役メンバー。3年の先輩は他にも何人かいたんだけど、春で引退したんだ。あと、顧問は兼光(かねみつ)先生。今日は職員会議で来れないけど」

 そう言って紹介を締めくくる。
 ここまでずっと、香納は会釈するか目線でうなずくかで、一言も発していない。全員の注目を受けて、最後にようやく「どうも」とだけ口にした。

 2、3年は香納のキャラをある程度わかっているからそこまででもないけど、1年からはあからさまな戸惑いが感じられる。
 やる気あんのかよ、とでも思っているのか、祥太の表情も依然険しい。

 おれは微妙な空気を払拭しようと、精一杯明るい声を出した。

「見ての通り、香納ならタケルのイメージにぴったりだと思うんだ! だから、無理なお願いを聞いてくれたこと、おれはすごく感謝してる。もちろん、まだ確定じゃないけど……」

「そうだな」

 すぐさま同意したのはくら先輩だ。彼は香納を見て続けた。

「主役のキャラを変えずに済むよう、君が代役を受けてくれたことはありがたく思っている。だが失礼を承知で言わせてもらうが、これまで一度も部活に参加したことのない君に主演が務まるのかという懸念も、この場にいる全員が持っている」

「くらせんぱ──」

 太い声での厳しい語調に、おれはとっさに止めようとしたけれど、やっぱりのみ込んだ。
 くら先輩は何も間違ったことを言っていない。その通りだ。
 おれも、香納ならなんだかできるような気がしたけれど、あくまで予感と期待だ。
 基本はくら先輩と同じ考えで、彼は言いにくいことをはっきり言ってくれているだけだ。

「こちらから頼んでおいて申し訳ないが、君でいけるかどうかは、芝居を見てから判断させてもらう」

「……そりゃそうでしょ」

 おれは香納がどう答えるか内心ドキドキしていたけれど、彼の返答はこれまたあっさりしたものだった。表情もまったく動かない。

(ほんとに、何考えてるかわかんないやつだな……)

 とりあえず、怒っているようには見えないのでそこにはほっとしたけれど。

「と、とにかく香納には、まず台本を見てもらおうかな」

 おれは、普段はたたんで部屋の両脇に寄せてあり、荷物置きと化している長机から予備の台本を取って香納に渡した。

「みんなは基礎トレ再開してください。くら先輩、みんなをお願いします」

 くら先輩に部員たちの取りまとめをお願いする。
 「おう」と応えてくれた彼がみんなを仕切って筋トレを始めるのを横目に、おれは香納と窓際に寄り、壁にもたれて座った。

「とりあえず、ゆっくり読んでみて」

 香納はまだ台本を開かず、閉じたまま表紙を見ている。

「どういう話?」

「えっと……うっすらロミオとジュリエットのオマージュなんだけど、設定を現代日本にして色々アレンジして……恋愛もあるけど、テーマとしては『自分らしく生き抜くとはどういうことか』を問う話、かな」

 聞いた瞬間、香納の目がいぶかしげに細まった。

「ピンと来ねー。面白いのかよ」

「面白いよ!」

 思わず叫ぶように反論した後で、おれは「あっ」と口を閉じた。自意識過剰なやつみたいになってしまっただろうか。

「お、おれはそう思ってる。みんなからも好評だし……」

「……ふーん」

「とにかく読んで。あ、人殺しネタはリスキーだからそこもアレンジしてあって、昼間言ったように乱闘とか、激しいアクションシーンはないから。体力使いまくるってほどじゃないはず」

 香納は無反応だったけれど、台本を開いて読み始めた。
 質問されたりするかもしれないと思ったけれど、しばらく待ってもそういう気配はない。
 おれは「また後で来る」と言い残し、基礎トレに加わった。
 みんなはくら先輩の号令でいつものメニューをこなしながらも、時々香納を気にしている。おれもそうだ。

 しばらくして、香納が台本を閉じたので、おれはトレーニングを抜けた。

「どうだった?」

「……まあ、言ってたことは理解した」

 抑揚のない声で言って、香納は中腰のおれを見上げる。

「これ、マジでおまえが一人で書いたのか」

「うん、そうだよ」

「……へー」

(また『へー』……どう思ったんだろ。つまんなかった……?)

 もしそう言われたら傷つくけれど、感想が一言もないのも不安だ。

「……どうかな。できそう?」

 諸々含めて遠回しに、恐る恐る聞くと、

「やる前からわかるかよ」

 と、身も蓋もないご返答だった。

「そ、そうだね、ごめん。じゃあ、まずはどれくらいの感じかなっていうのを確認するために、この後みんなで読み合わせしたいんだけど……」

「やだ」

「えっ?」

 間髪入れず断られて、おれはうろたえた。

「や、やだって。けど、やってみないと……」

「全員のジャッジなんか必要ねーだろ。おまえが聞いて判断しろ」

(あ……おれ一人でってこと?)

「で、でも、みんなも聞きた──」
「おまえが責任持つんだろ」

 にべもなく言われて、おれはぐぅと息をのみ込む。こう言われると返す言葉がない。

「……わ、わかったよ」

 おれはいったん部員たちのところに戻った。
 香納がいきなりみんなの前でやるのは緊張するから、まずはマンツーマンで練習したがっている──ということにして、くら先輩に引き続きの統括をお願いする。そして自分の台本を手に、香納と視聴覚準備室に移動した。

 準備室は機材や教材が置かれた狭い部屋だ。空いたスペースに、あぐらをかいて向かい合わせに座った。

「じゃあ、さっそくやろうか」

「待て」

「え?」

 まだ何かあるのかと、開いた台本に落としていた視線を上げる。
 右手に丸めた台本を持つ香納は、尊大に言い放った。

「対価払えって言っただろ」

「た、対価?」.

 一瞬なんだっけと考えて、すぐに昼間の会話だと思い出す。

 『俺の出した要求はのめ』
 『人一倍練習させるんだから、おまえも相応の対価を払え』

 たしかにそんなことを、香納は言っていたけれど……

「え……よ、読み合わせにも?」

(人一倍どころか、最初の一歩じゃない?)

「全部にだよ」

 おれの心中ツッコミが届くはずもなく、香納は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「俺に読み合わせさせたいなら──」

 言って、台本を床に置くとスラックスのポケットからスマホを取り出す。画面をタップし、何やら見始めた。

「これでいいか」

 ややあって、こちらに画面を向ける。
 ……早口言葉が表示されていた。

「これ言って」

「……は?」

「は、じゃねー。言えっつってんの」

「えぇ……」

(これが、対価?)

 もしかしておれ、おちょくられてる?

「なに。言えねーの」

 じゃあ、と香納は腰を浮かそうとする。

「! い、言うよ!」

 これが香納の言う対価なら、完全に遊ばれている。でも。

(裏方とはいえ、おれだってみんなと一緒に滑舌のトレーニングやってるんだからな! これくらいやってやる!)

 おれはキッと香納のスマホ画面をにらみつけた。

「ミスはペナルティ。3回でデコピンな」

「赤あぶりカルビ青あぶりカルビ黄あぶりカルビっ!」

(言えたっ)

 香納の脅しなんてものともせず、おれはばっちり言い切った。

「…………」

「さぁ、読み合わ──」
「次これ」
「!」

(く、くそー! 負けるもんか!)

「抜きにくいクギ、引きにくいクギ、引き抜きにくいクギッ!」

「次これ」

(ぐっ……え、演劇部の意地!)

「新出シャンソン歌手総出演新春シャンソンショー、手術室で殊勝に開催中っっ!!」

「…………」

「ぜぇ……ぜぇ……」

(し、舌吊りそう……。でも、どうだっ。演劇オタなめるなよ!)

「……つまんねー」

 香納はむっすりとスマホを引っ込める。数秒操作して、再びこちらを向けた。

「これいくか」

 『盛り上がる罰ゲーム20選!』という記事で、『⑤ラップで自己紹介』とある。

「はぁっ!? まだやらせるの!?」

(しかもなんだよ、ラップで自己紹介って!)

 まさに罰ゲーム。そしてほぼ嫌がらせだ。

「やらないなら──」

 また立ち上がろうとする香納の腕を、おれははしっとつかんだ。

(あーもうっ、こうなったらとことんやってやる!)

 おちょくられていようがなんだろうが、絶対に読み合わせさせてやるんだからな!
 香納を座らせて、代わりにおれが立ち上がった。
 こんなんだったっけ?という記憶を頼りに、ラッパーっぽいポーズをとる。

「へ、ヘイYO! おれは唯木、あらたダYO!
 お…おれのハート、ラブ演劇! 舞台のあと、マジ感激!
 み、見たいゼ芝居! 香納に期待!」

「自己紹介じゃなくね?」

「っ! ぁ、あっ~~……
 そっ、そこそこ近視! テスト前瀕死! 
 ぅぇっと……パ、パンよりコメ派! タレよりシオ派!
 ──こんなおれを、ヨロシクNE!」

 適当な手ぶりをジャカジャカやって、最後にビシッとポーズを決める。

「…………」

 香納はぽかんと、呆けたようにおれを見上げていた。

「…………」

(は、恥ずか死ねる……)

 気の遠くなるような無音の時間。ぐわぁっと、すごい勢いで顔が熱くなってメガネがくもる。

「……くっ」

 香納の表情がくしゃっとゆがんだ。片手で口を押さえる。
 けれど、あきらめたようにその手はすぐ離され──

「クッ……あ、あはっ……!」

 香納は上体を揺らして、盛大に笑い出した。

「ハ、ハハッ……! バカかよおまえ……マジでやるとか……!」

「え……えっ?」

 香納は苦しそうにお腹を抱え、ひーひー笑い続けている。おれはそれを呆然と見下ろした。

「あぁ、クソ……腹いてぇ……」

 言いながら、目尻に浮かんだ涙をぬぐっている。

「…………」

(香納って……こんなふうに笑えるんだ)

 一秒前まで、大笑いする香納なんて夢にも想像できなかったから、なんだかすごく不思議な気分になってしまった。

 だって、笑うと全然印象が違うんだ。
 冷めていてキツイ雰囲気が、南極辺りまで吹き飛んだようだ。そうすると、ただのキレイな顔のイケメンが残って、つい見惚れてしまう。

(いいな……笑顔、いい)

「はぁ……なに見てんだよ、そこそこ近視」
「!」

 やっと笑いを収めた香納にジロッと見られて、おれは我に返った。

「ご、ごめん。でも、ひどいよ……やれって言うからやったのにバカって……」

 適当なライムを蒸し返されて、羞恥もよみがえった。さすがに控えめながらも、文句を言わずにいられない。

「いや事実バカだろ。ヘボラッパー」

(ごふぅっ!)

 容赦ない言葉のカウンターパンチを食らって、おれはへなへなとその場に座り込んだ。

(うう、泣ける。もしかしておれ、香納に嫌われてる……?)

 だからこんな、対価なんて要求してくるんだろうか。

「まぁいい。満足したからやるわ」

 落ち込みかけていたおれは、その一言ですくい上げられた。姿勢を直した香納が台本をめくっている。

「や、やってくれるの!?」

「今そう言っただろ。早く用意しろよ」

 置いてあったおれの台本をつかみ、バサッと押し付けてきた。

「ちょ、ちょっと待って!」

 やってくれるなら、とりあえず今はいいとしよう。おれは急いで第一場のページを開く。

「……じゃあ、タケルのセリフ以外はおれがざっと流すから」

「ん」

 第一声はまさにタケルのセリフから始まる。だからおれはそれを待った。

「…………」

 音もなく、香納は静かに息を吸った。直後──

(……え?)

 香納の目つきが……いや、それだけじゃなく、雰囲気。それに、まとう空気まで変わった気がした。何かが明確に、切り替わった。
 驚くおれの目の前で、香納は第一声を口にした。


『運命なんて言葉を、俺は信じない。この世を動かす超常的な摂理がもしあるとすれば、それは──』


 そこからのおれは、瞬く間に二人で創る本の世界に引き込まれていった。

 香納は低い、でも澄んだ通りのよい声でタケルの言葉を紡いでいく。
 笑い、怒り、苦しみ、怯え、悩み……。
 粗削りなところもあった。芝居としてはセリフの速度や滑舌、間が気になるところも山ほどあった。

(でも……いい。生きてる)

 それは、ちゃんと『声』だったんだ。セリフだけど、ペラペラじゃない。
 ちゃんと、『香納の創るタケル』の厚みがある。そういう演技だった。


 最後、タケルは不慮の事故で倒れ、意識が薄れる間際に落とした言葉で終幕となる。

 『寒いな……ひどく、寒い。ああ、あいつは家であったかくしてるかな……。あいつには苦労ばかりかけたから……春が待ち遠しいっていつも言ってるあいつに、何かあたたかいものでも買って帰ってやらないと……』


 セリフを言い終わった後、また静かに呼吸をして、香納は台本を閉じた。

 おれは、身動きしなかった。できなかった。
 心が体を飛び出して空中をふわふわ漂っているかのように、舞台の世界からすぐには戻ってこれなかった。

「……おい?」

 放心状態のおれを、不思議そうに香納が覗き込んでくる。

「……! あ……え、と……」

 もう目の前にいるのは香納だ。タケルじゃない。
 さっきまでは、間違いなくタケルだった。

「よ、よかったよ、香納! よかった!」

 おれは台本を放り出して、香納ににじり寄った。
 高揚していた。香納の演技は、期待しつつも期待しすぎないよう意識していたおれの、期待以上だった。

「あ、そ」

「『そ』って。なんでそんなそっけないんだよ! 褒めてるのに!」

「ほっとけ」

 さらに詰め寄ったおれに顔をしかめ、香納は後ろにずり下がる。

「おまえ的には合格ってこと?」

「もちろん合格だよ!」

 気になったところは多々あれど、これから改善できるはずだ。練習期間は2カ月ある。

「ながやん先輩の耳は確かだった! これなら誰も不満なんて言わないよ」

 祥太だってきっと納得してくれるだろう。舞台を成功させて結果を出したい、その願いは同じだから。

「香納、本当に演技未経験なの?」

 去年の勧誘の時、彼は「適当に入っただけで演技なんて経験も興味もない」と言っていた。でも、信じられなくて再確認してしまう。

「ない」

「そうなんだ。ないのにこのうまさは、すごいよ」

「器用な人間なんで」

「器用?」

「妹が喜ぶように本読んでたら身についたってだけ」

「そっかぁ……」

(だとしたら、妹さんに感謝だなぁ)

 そんなことを考えていたら、準備室と視聴覚室をつなぐドアがガチャッと開いた。

「あらた先輩。そろそろ戻れるかって、くら先輩が」

 1年の大地が顔を覗かせる。

「あ、うん!」

 おれはすぐ戻る、と答えてから香納を見た。

「絶対みんなも賛成するから。みんなとも読み合わせ、してくれるよね?」

「へーへー」

 追加の対価は求められることなく、その後香納は全員での読み合わせも行い、正式にタケルの代役として決定した。
 早口言葉とラップ頑張ってよかったと、おれは充足感いっぱいでその日の部活を終えた。