「あらた」
「っ……香納に名前呼ばれると……ヤバい……」
重くないのかな、なんておれの懸念はどこ吹く風で、香納はおれを膝抱っこしたまま、何度もキスを繰り返した。
「ふ……耳真っ赤だな、あらた」
なんて、楽しげにおれの名前をささやいて。
重ねるだけだったキスは徐々に開かれて、もっと深くなっていく。
「んっ………」
おれは全身が麻痺したような感覚で満たされていて、もう完全に力が入らない。だから、両手を香納の背中に回して、懸命にすがっていた。
こうしていないと、体がぐずぐずに溶けてなくなってしまいそうで。
「ぁっ……かの……」
息を乱しながらまた降ってくるキスを受け止めようとした時、かすかにカチャッという硬い音が聞こえた。
「……邪魔だな」
香納の右手がおれのメガネをつまんでいる。布団の上に置いておいたのが、香納の手にぶつかったようだ。
(そういえば……)
以前、香納に『メガネを取ったらまぁまぁかわいい顔してる』と言われたことを思い出す。
(……今は外してるからいいかもだけど……それって)
急に心配になって、おれは臆しながらも尋ねた。
「あの……香納。メガネ外してないと、おれかわいくない……?」
「…………」
能面みたいな顔でおれを見る香納ののどが、ぐぅ、とくぐもった音を立てた気がした。息を止めた状態で、しばらく黙り込まれる。
「……香納?」
(やっぱりそうだったりする……?)
「……別に。どっちもかわいい」
呼吸を再開した香納は、目線を外してそう答えた。
照れてるみたいだ。嘘じゃないと思えたから、おれは心底ほっとした。
(よかった)
「けど、今は邪魔」
言って、香納はメガネをヘッドボードに置く。
「え。でもおれ、それないとよく見えないんだけど……」
至近距離にあれば見えるけど、正直少し離れるとぼやけてしまう。
(おれだって香納の表情、離れてても見たい)
ごく控えめな抗議をしたおれに、香納は大きなため息をついた。
「マジ恋愛偏差値低いな、おまえ」
「え?」
「邪魔だろ。めちゃくちゃすんのに」
「!」
わずかな隙間もなくそうとするように激しく搔き抱かれ、また唇をふさがれた。
ついばむように何度も繰り返した後、それは頬や目元へと場所を変えていく。
「っ……く、くすぐったい……」
「逃げんな」
思わず顔を背けようとしたけど許してもらえず、熱っぽいキスはさらに首筋へと降りていった。
「……っ」
(だ、ダメだ……なんかこれ、すごいゾクゾクするっ……)
「か、香納っ……」
「詩希」
上ずる声で呼ぶと、即座の切り返し。
(え。名前で呼べってこと?)
「いや、えっと、おれは……」
(ムリムリ、そんないきなり言われても恥ずかしいし!)
ご勘弁くださいと、丁重に固辞しようとしたのだけど。
「ご主人様か詩希。選べ」
「…………」
それ以外の選択肢は、用意してもらえないらしい。
「………………詩希」
頭のてっぺんまでますます火照るのを感じながら、消え入りそうな小声でぼそりと呼ぶと。
「いい子」
香納は、ご褒美のような軽いキスをくれた。
そしてまた、濡れた音を響かせながら、いろんなところに何度もキスされて。
そうしながら、香納はおれを自分の膝からゆっくりと下ろす。
でも、お尻がベッドのスプリングを感じた直後には体が大きく傾いていた。
背中でバウンドを受け止める。真上に香納の顔と、天井が見える。
「……押し倒したい」
「いやもう押し倒してるから!」
「もっとしたい」
「あっ……」
首筋にキスを埋めながら、香納の手がおれの体をなぞった。鎖骨から胸、脇腹へ。
「んんっ……」
耐え切れないくすぐったさに腰がはねてしまう。香納の大きな手は、まるでそれを待ちかねていたようにシャツの内側へ滑り込んで──……
「!! まっ、待って、香納っ……!」
(さすがにそれは心の準備がっていうか、刺激がっていうか、ハードルが……!)
「詩希だろ」
「そ、そこじゃなくて! ひぁっ……」
指先がじかに脇腹をたどって、たまらない衝動に体をひねった時。
──ヴィーッ、ヴィーッ、ヴィーッ
「っ!」
振動音が室内に響いた。おれは驚きで盛大にビクッとし、香納も手を止める。
(なんの音……? スマホ?)
窓際にあるデスクの上に置かれた、香納のスマホが鳴っているようだ。
香納は立ち上がり、確認しに行った。メッセージの着信だったようで、その場で見てからこちらを向く。
「母親が、早めに帰れそうだって」
「えっ」
(お母さんが帰ってくる!? うわあぁっ!)
おれは飛び起きて、猛スピードで服の乱れを直し、メガネをかけた。
「慌てすぎ。まだ帰ってこねーよ」
香納は呆れたように苦笑するけれど、おれの頭はすっかり冷えてしまった。
(お母さんの留守中にとんでもないことしちゃった。考えたら、隣では明日美ちゃんも寝てるっていうのに!)
「続きする?」
「しっ、しない!」
「冗談。そろそろ明日美も起きそうだし、今日はここまでだな」
香納は涼しい顔でお母さんとメッセージのやり取りを始めた。
突っ立ってぼうっとそれを見ていたおれは、ふいに思い出す。
(って、そういえばおれ、部活飛び出して来てるんじゃん!)
一番大事なことを忘れていた。おれもジャージのポケットからスマホを引っ張り出す。
誰からもメッセージや着信は来ていない。
(部活、今頃どうなってるんだろ……!)
戦々恐々としながら、るー先輩に『すみません、すぐに戻ります』とメッセージを送った。すると、1分も待たずに返信が来る。
『ちゃんと話せた? こっちは大丈夫。みんなにはうまいこと言ってあるから、一緒に来い』
(……やっぱりるー先輩、おれと香納が話せるようにあんな嘘言ったんだ)
「あいつか」
「わっ」
いつの間にか香納が傍に来ていて、横からスマホを覗き込んでいた。
「……おれたちのための嘘だもん。帰ったらお礼言わないとね」
「へーへー」
香納はダルそうな顔をしながらも、拒みはしなかった。
その後、香納のお母さんが12時頃に帰ってきたので、おれたちは入れ違いに家を出た。
視聴覚室に戻ったのは昼休憩の最中で、
「あ、お帰りー」
「お疲れさまでーす」
と、どう説明されたのかわからないけど、みんな普通に迎えてくれる。
(るー先輩に感謝だな。えっと、どこに──)
室内を見回していると、ちょうど準備室から彼が出てきた。目が合うと、ぱっと明るい表情になってこちらへ歩いてくる。
「よ、お帰り」
「るー先輩、あの……ありがとうございました」
「うまく収まったみたいだな。──いいアシストだったろ?」
悪戯っぽい笑みで片眼を閉じる。
(おれたちのこと、どこまで気づいてるんだろ。もしかして全部わかってる?)
そうだとしたら、かなり照れくささもあるけど……
「はい。先輩のおかげです」
おれは「ありがとうございます」と繰り返し、深く頭を下げた。
「…………ども」
渋々という感じだけど、香納もぽそっと告げる。
「へー、殊勝」
るー先輩は驚いたように左の眉を動かして、香納の肩にぽんと手を置いた。
「ま、オレにも責任あるしな。大サービスだよ」
そして──香納の耳元で、こそっと何かをささやく。
「引いてやったんだから、泣かせたら承知しないぞ?」
(……?)
何を言ったのかは、おれにはよく聞こえなかったんだけど。
「言われなくても」
強気な声で、香納はそう答えた。
「……?? なんの話……?」
「あらたは気にしなくていいよ」
きょとんとするおれの額を指先でツンとつついて、るー先輩は去っていく。
「……あのヤロ」
その場所を香納が手のひらでゴシゴシ拭いたので、おれは苦笑した。
どうやら、ずいぶん独占欲の強い恋人ができてしまったみたいだ。

