8月も半分ほどが過ぎた。
舞台はほぼ完成形に近づき、そろそろ通し稽古も始めていこうかという頃だ。
るー先輩の腕の治りも順調で、練習にはほぼ毎回参加してくれている。
大道具・小道具、衣装、照明、音響──各準備も、着々と進んでいた。
そんな、ある日の休憩時間。
「お疲れさまでーす。りょう先輩から、なぎ先輩こっちにいるって聞いて──」
「おおっ、あらた。ちょうどいいところに! これを見ろ!」
部室のドアを開けたおれは、興奮気味の声に迎えられた。
今日は火曜で、午後から大道具制作もある。
当日は照明担当のなぎ先輩も顔を出し、部室で休憩中だと聞いて、相談事のあったおれは会いに来たのだけど……
「あらた!」
もう一度おれを呼んだのはくら先輩だ。
室内のベンチにはなぎ先輩のほかに、彼とるー先輩が座っていた。
「どうしたんですか?」
くら先輩が『これ』とこっちに向けているのはスマホだ。
おれは促されるまま、テーブルを挟んだ反対側のベンチに座った。
隣にはなぎ先輩こと、円城寺渚先輩がいる。
色白の細面、長めの髪。いつも柔和な笑みをたたえている、穏やかな人だ。
その向かい側にはるー先輩。
彼がくら先輩の手からスマホを抜き取り、おれの前にすっと置いた。
「香納の話になったんだ。渚が、あの子すごいねって言うから」
「香納の?」
「流音が撮影してた稽古の動画を見せてもらったんだよ。それで、まさかここまでの逸材とは思わなかったって話を」
なぎ先輩が答え、さらにくら先輩が続けた。
「他にもまぁ、色々と……普段の様子なんかをな。それで俺が、あいつは肩を痛めているようだという話をしたら」
「えっ、そうなんですか!?」
くら先輩の話をぶった切って、思わず大きな声を上げてしまった。
(肩を痛めてるって……まさか、ケガしてるってこと!?)
「現在進行形じゃないぞ。過去にって話だ」
(ああ、そういうことか。いやでも、それだってケガってことには変わりないんだよな……?)
ざわつく胸を抑え、おれはくら先輩が先を続けるのを待つ。
「ほら、俺は中学の時、肩を痛めて柔道をやめただろう。覚えてるか?」
「はい、もちろん」
中学では柔道一筋だったくら先輩。やめた理由が肩の故障だというのは、去年聞いていた。休部中に後れを取ったから、そのままやめてしまったと。
「軽度だったから今ではなんともないが、1年くらいは後遺症があってな。その時の俺と、香納は時々よく似た肩のかばい方をしてる。だから気づいた」
「そう……なんですか……」
(肩をかばってた? おれ、そんなのちっとも気づいてなかった……)
「あいつが筋トレに参加しないのは、多分できないからだ。腕立てとか、肩に負担のかかる運動が難しいんだろう。それにあいつ、代役受ける時にアクションシーンはやらないと言ったんだろ? それも肩のことがあるからだろうな」
「え。くら先輩、どうしてそれ知って……」
「初日に話してたじゃないか。おまえがあいつに台本を渡した時に」
(そういえば……)
香納が部に来た日の記憶を呼び起こす。たしかに台本を渡す時、「激しいアクションシーンはないから大丈夫」的な発言をした気がする。
あの時、部のみんなは隣で筋トレをしてたけど……
(そっか。くら先輩、あれを聞いてたんだ)
「あえて言うことでもないと思って、おまえにも話してなかったがな」
結局、今こうして話しているのがやや後ろめたいのか、くら先輩は苦笑しながらそうまとめた。
おれも愛想笑いを返そうとしたけどうまくいかない。ひどく申し訳ない気分だった。
(基礎トレもアクションもダルいなんて言ってたけど……本当は、ちゃんとそういう理由があったんだ)
それを伏せて、香納は、やる気のないふうを装って……。
「おれ……全然、知らないで……」
「俺以外は誰も気づいてないよ。日常生活を送るぶんにはなんの問題もないだろう。同じ故障持ちしか気づかないレベルだ」
気に病むことじゃないと、くら先輩はおおらかに言う。
それでも罪悪感は消えなかったけれど、るー先輩がおれの注意を引くように、指でトントンとテーブルをたたいた。
目線を向けると、おれの前のスマホを指さす。
そうだ、見るように示されたのに、話に夢中でまだちゃんと確認していなかった。
おれはスマホを手に取る。表示されているのは、ネットのニュース記事のようだった。
数年前の古い記事だ。目で追い始めるのと同時に、るー先輩の声も届く。
「今まで気づいてなかったけど、この前香納と話してて、あの顔をどこかで知ってるような気がしたんだ。特に、あの目を。この学校じゃなく、もっと昔にどこかで、って」
(昔に……?)
『劇団春風、今秋公演予定の舞台稽古中に負傷事故。原因は機材トラブル』
「で、今慎吾から肩の話を聞いて、ようやく思い出した。昔、肩のケガの後に芸能界を引退した、印象的な子役がいたなって」
『主演子役は降板が決定。安全対策に問題はなかったのか? 劇団は外部の調査委員会を設け──』
「……! まさか……!」
おれはスマホを鼻先まで近づける。
記事には小さな写真がついていた。指先で拡大して、顔写真とその下の注釈文字を食い入るように見つめる。
『降板の決定した四季カオルくん(10歳)』
「──香納だよな」
静かなるー先輩の声は、そうと確信しているものだった。
おれも、画像の子供の細部にまで目を走らせる。
10歳という年齢を考えれば、大人びた少年だ。細めの二重、勝気そうな瞳、まっすぐな鼻筋──非のつけどころのない整った顔立ち。色素の薄い、茶色の髪。
今と比べればはるかに幼く、あどけない。でも、たしかに。
(……香納だ。間違いない)
「主な活動の場は舞台演劇やミュージカルで、テレビドラマにはあまり出てないから、世間での知名度は高くない。でも演劇好き界隈では注目の子役だったようだね」
なぎ先輩の声を、おれは画像を見続けながら呆然と聞く。
「オレも慎吾も、演劇に興味を持ったのは高校からだから知らなかったよ。この事故も当時は子供にケガをさせたってことでだいぶニュースになったようだけど、まぁ時が過ぎれば忘れられていくよね。でも流音は……」
「オレは中学から色々観始めて、過去の映像もだいぶあさったからな。この子が出ている舞台のDVDを観たことがあるんだ。親の敵討ちに出る男の少年時代役だったんだけど、憎い敵に対しての、怒りの演技が印象に残ってた。いい目をするなぁって。引退と聞いた時は惜しいと思ったよ」
「……、香納が……」
(舞台で活躍してた子役……小さい頃から、演技が好きだった……?)
記事の下部には、別の記事へのリンクがあった。
その中に、事故発生前の『四季カオル』くんが舞台への意気込みを語る記事を見つけ、そちらへ飛ぶ。
『僕は演技をしている時が一番楽しいので、今からワクワクして仕方がない。ステージの上で思いきり役を演じ切って、お客さんを笑顔にしたい。その笑顔で僕も元気をもらえる』
そんな内容と、意欲に輝く眼差しの写真があった。
「こんな経歴の持ち主なら、あの演技力も納得だ」
くら先輩の声は、いまだ高揚で弾んでいた。
でもそれをなぎ先輩に「慎吾、はしゃぎすぎ」とたしなめられて、バツが悪そうに咳払いする。
「悪い、あまりの驚きについ興奮してしまった。すごいやつだったんじゃないかと嬉しくてな」
「ここだけの話だよ?」
「もちろんだ。引退の経緯を考えれば、あいつも伏せておきたいんだろう。舞台統率者のあらたはともかく、これ以外に広める気はない」
「オレも、気がかりが解けてすっきりしたからこれでよし。この話はここまでにしようか」
るー先輩が立ち上がり、おれの手からスマホを取ってくら先輩に返す。
「それで、あらた。何かオレに用があったんじゃないの?」
「……! あ、はい。照明のことで──」
本来の用件を思い出してなぎ先輩と相談を始めつつも、おれは頭の半分でまだ香納のことを考えていた。
(やっぱり香納もおれたちと同じだったんだ。演技が好きで、舞台が好きで……)
ステージの上で別の人間として生き、物語を創り上げること。
その世界から生まれる感動を、観客に伝えること。
(観客の笑顔が何よりの喜びって……おれと同じ気持ちを持ってる人だったんだ)
おれと香納は、おんなじ。
それが、たまらなく嬉しい。
いつも不愛想でそっけなくて、本音を語らない香納に、近づけたようで。ポーカーフェイスの下の素顔を、覗けたようで。
すごく、嬉しかった。

