(あ、あの人のジャケットいいな。どこのだろ)
駅のホームで斜め前を横切った大学生くらいの男の人が着ている、深いブルーのジャケットが目に留まった。
腰の部分がきゅっと絞られたデザインで、丈が長めだ。シルエットが綺麗だし、品がある。カジュアルにも使えるし、ちょっとしたフォーマルにも使えそうだ。
季節は春。四月中旬にもなれば冬物の分厚いコートを着ている人はもうほとんど居ない。春という季節がそうさせるのか、冬服よりもずっとカラフルな服を着る人が増えるので、気持ちが浮き足立ってしまう。
耳に入れていたイヤフォンを外して改札を潜った時、前方に見知った顔がふたつあるのがわかった。
朝の駅なんて人でごった返しているのに、ふたりの姿が目についたのには理由がある。周囲から頭ひとつ抜き出てデカいからだ。
「琥珀」
そう言って俺に気付いた片方が手を上げた。それに合わせるようにもう片方も俺の方に視線を寄越した。
ぶつからないよう人の波をすり抜けながら、ふたりの元へと移動する。
「琥珀、おはよう」
手を上げていた片方……高槻優斗が言った。墨でも被ったのか、と聞きたくなるくらい、黒い髪と黒い瞳が印象的だ。「おー」と応じながら欠伸をひとつしたら、もう片方の生田遼平が「寝不足?」と聞いてくる。こちらは優斗とは対照的に日に透かすとベージュに見えるくらい、色素の薄い髪と瞳を持っていて、要するにふたり並ぶととても目立つ。
本人たちは気にも留めていないようだ。
「まぁ、そんなとこ」
適当に相槌を打ち、三人で歩き出す。俺たちが通う高校は駅から歩いて五分の場所にある。
「寝不足って?」
優斗の質問に「デザイン画描いてた」と答えた。するとふたりは納得したように頷き、優斗が「描けたら見せてくれ」と言う。「描けたらな」と軽く応じた。
「そういや今日、全クラスで英語のテストあるって」
遼平がげんなりした顔で言う。優斗はしれっと「どうにか受けずに済む方法考えるか」と言った。冗談なのか本気なのか、まるでわからない。
「そりゃ受けずに済むなら受けたくないけど、そんなわけにいかないだろ……優斗、頼むからサボんないでね」
「ハイハイ」
全然聞いてなさそうな優斗の返事を受けて、遼平ががっくり肩を落とした。マイペースな優斗にこれ以上、何を言っても無駄だと長年の付き合いで学んでいるんだろう。
高槻優斗と生田遼平、そして俺、住吉琥珀は子供の頃からの幼馴染みだった。
同じマンションの一階に高槻家が、二階に生田家があり、俺の家はその三階にあった。
生まれた時から一緒だ。幼稚園も小学校も勿論同じ。ところが中学生になろうというタイミングで、俺だけが地元を離れることになった。父親の転勤を機に中学受験することになったからだ。
当時は三人ともスマホを持っていなかったから、連絡手段は手紙か家電しかなく、ふたりとの腐れ縁はそこで終わるはずだった。
高校進学の際、俺は親の反対を押し切って外部校に進学することを決めた。中学からエスカレーターで進学出来る高校には、俺のやりたい部活がなかったからだ。
一時間半の通学時間が大変だということはわかっていたけれど、やりたいことが出来る高校に通えることの方が大事だと思った。
無事に合格し、志望校に入学したのが今から一年前だ。その入学式で後ろから肩を叩かれた。
振り返るとそこには、手足と共に身長がぐーんと伸びた優斗と遼平が立っていた。
まさか同じ高校に通うことになるとは。
こうして俺たちの腐れ縁は、三年のブランクを経てアッサリ復活した。
「じゃあな」
学校に到着すると、靴を履き替えるなり優斗が言う。
「また昼休みにね」と遼平が返事をした。ヒラヒラと手を振りながら優斗が自分の教室へと向かう。一年の時は三人とも同じクラスだったけれど、二年になって優斗だけが一組になった。俺は遼平と同じ三組だ。
「行こうか」
遼平が俺に向かって笑顔を向けた。「そうだな」と言って、自分たちの教室がある棟へ足を向けたけれど、何となく遼平の隣ではなく半歩後ろをついて歩く。
それに気づいているのかいないのか、遼平は何も言わなかった。
(……気づいてねーんだろうな。いや、気づいてても言うつもりないのかも)
アッサリ復活した腐れ縁だったけれど、何もかもが以前と同じというわけではなかった。
そりゃそうだ。離れたのは十二歳、まだ子供だった。優斗も遼平も俺より小さくて、優斗のマイペースはその頃から変わっていないけれど、遼平は泣き虫だった。
涙腺が緩いタイプらしく、怒っても泣くし、嬉しくても泣く。尤も、遼平は穏やかで優しいので基本的に怒ることなんてほぼないけれど。
いつも優斗と俺の後ろに隠れていた遼平が、あの遼平が、今では俺よりもデカくなった。俺だって175センチあるし、小さいわけでは決してないはずなのに、優斗の180センチには敵わないし、遼平の185センチには遠く及ばない。
再会した時は心底びっくりした。顔に若干の面影はあれど、別人じゃねーか、と思った。その点は優斗の方がずっと面影がある。顔がほとんど変わっていなかった。
なのに遼平ときたら、丸かった瞳は切れ長になったし、小さかった鼻はすっと鼻筋が通った。横顔は美術室の彫刻みたいで、そういえば遼平の母方の祖父は確かフランス人だった。
子供の頃はそうでもなかったのに、成長した遼平からは僅かに異国の香りが漂っている。栗色だった髪も瞳も、今ではほとんどベージュに近い。その色素の薄さがより一層、遼平の造形の美しさを際立たせる。
(あんなに小さくて、泣き虫で、可愛かったのに)
三年振りに会った遼平は、そんな「思い出の中の遼平」とはまるで違っていた。
だからなのか、遼平と接するのは妙に緊張するのだ。俺のその緊張が伝わっているからなのか、遼平も俺に対して一定の距離を保っている気がする。
(まぁ、……別にいいんだけど)
優斗とは昔と変わらずやれてるし、三人で居る分には問題ないし。
それに子供の頃から、元々遼平は俺よりも優斗を頼りにしていた。優斗は嫌なことは嫌だとはっきり断る性格で、遼平はどちらかといえば頼まれたら断れないタイプだったから、自分の意思をしっかり持っている優斗のことを、同じ歳なのに「お兄ちゃん」と思っているらしかった。
だから別に、多少のギクシャクが俺と遼平の間にあるからと言っても、それは大きな問題にはならない。三人一緒に仲良くやれてりゃ、それでいい。
「琥珀」
急に名前を呼ばれてハッとした。気がついたら教室に到着していた。いつまでも入らない俺に気づいて、遼平が俺を振り返る。
「悪い、何でもない」
「本当に寝不足なだけ? 体調悪いとかは?」
心配そうに遼平の眉が下がる。この顔は昔のままだなぁ、と思った。
「ねぇよ、マジで寝不足だけ」
「デザイン画、煮詰まってる?」
「んー……そうかも。イメージはぼんやりあるんだけど、まだ形になってない」
正直に言ったら遼平は、当たり障りのない笑顔を向けて「琥珀なら大丈夫だよ」と言い、自分の席に向かった。
(……ほんっと、アイツ、俺のことに無関心だよな)
「琥珀なら大丈夫だよ」という言葉は、一見したら俺を信じて応援しているように聞こえる。だけど実際のところ、遼平は特に関心がないんだろう。突っ込んで聞く気もないから、無難な言葉でこの場を乗り切っているに過ぎない。
(……いや、それは俺がちょっと捻くれ過ぎ?)
そう思う反面、優斗のことには興味示すくせに、などと思ってしまう。
優斗がちょっと前に音ゲーにハマった時なんか、それまでゲームなんて興味なかったくせに、遼平は同じゲームをプレイして遊び始めたし、優斗が飽きたタイミングで遼平もやめた。
(やめやめ。遼平のことなんか考えてる暇あるなら、デザイン画のこと考えなきゃ)
窓際の一番後ろにある、自分の席へと移動する。リュックからスケッチブックを取り出した。
表紙には『デザイン案 No.13』とある。つまり十三冊目のスケッチブックだ。
(煮詰まってんのは確かなんだよなぁ……)
一応、今回のコンテストに向けたデザイン画は完成している。だけど何となく、本当にこれでいいのか、と思ってしまって、未だにその答えを出せていない。締め切りまで一週間しかないので、かなり切羽詰まっている。
スケッチブックをパラパラ捲ると三枚目に、去年のコンテスト応募作のデザイン画があった。もう一年も前なのか、と思うと感慨深い。
俺が私立中学から外部受験した理由はコレだ。俺は服を作りたい。そのために選択授業で被服科を選べて、尚且つ被服部があるこの学校にどうしても進学したかった。
被服部のある学校は珍しい上、うちの被服部は高校生被服ヘアメイク大会という全国大会へ毎年出場している。
去年は俺も、毎年五月下旬に行われるその大会に向けて、入学当初から被服部で必死に活動した。
大会は一次がデザイン画の審査、それを通過すると一次のデザインを実際に服として作ることになる。縫製や生地選び、色の合わせ方なんかを細かくチェックされ、それに通過すれば最終審査はステージ上でのランウェイだ。二次審査と最終審査は同じ日に行われる。
俺が去年出した作品は無事に一次、二次と通過し、最終審査では佳作を受賞した。一年生でこの順位は快挙だと、顧問も部活の仲間も喜んでくれたし、遼平と優斗も盛大に祝ってくれた。
もちろん、佳作を受賞出来たことは嬉しかった。だけどやっぱり、出すからにはトップを狙いたい。この大会でトップになれば、新進気鋭のデザイナーを有する大手のアパレル企業への就職が見えてくる。
ゆくゆくは自分のブランドを持ちたいけれど、まずはきちんとどこか、出来れば名の知れた企業にデザイナーとして就職したい。服を作ることを仕事にしたいと思うなら、誰でも思うことだ。俺もそのひとりだった。
(少なくとも去年よりは結果残さねーと……)
去年は佳作を受賞したのに、今年は一次審査さえ通過出来ないとなれば、去年の成績はただのまぐれだと思われてしまう。
(って言ってもなぁ……そういうプレッシャーみたいなのを自分でかけて、結局煮詰まってんだよな)
スケッチブックをぱたり、と閉じた。煮詰まっているのはそれだけが理由ではなかったけれど、それについては深く考えたくなかった。
昼休みに入ると遼平が俺の席までやってきた。
「琥珀、今日お昼どうする?」
「パン。買いに行ってくる」
一階の学食の前に購買部がある。文房具の他に上履きなんかも売っていて、昼になるとパンとおにぎりが並ぶのだ。
「じゃあ俺、優斗連れて屋上に行っとくな」
わかった、という返事の代わりに手を上げてから教室を出る。
いつもあのふたりは弁当持参だ。俺は通学時間が長いので、朝はかなり早く家を出なければならない。最初の頃は母親も弁当を用意してくれていたが、入学から三ヶ月目で「お昼はこれで」と千円くれるようになった。
一時間半も電車に揺られながら弁当を持っていくのは、正直かなり怠かったので俺としてはラッキーだ。
購買部は人でごった返していた。パンの他に簡単な弁当も売っているけれど、人気商品なので既にない。
端っこから手を伸ばし、サンドイッチとメロンパンを買った。
購買部から戻る途中に靴箱がある。あんまり気は進まないけれど、足は自然と自分の靴箱へと向かった。
ふーっと息を吐いてから、靴箱を開ける。案の定、スニーカーの上には封筒があった。
(……またか)
チッと舌打ちしそうになる。封筒を乱暴に取り出して、靴箱の扉に隠しながら封を切った。
中には写真とメモがそれぞれ一枚ずつ入っている。どこで撮られたのかまるで覚えのない俺の写真と、メモにはお決まりの言葉が書かれていた。手書きじゃない、パソコンで出力してある。
『可愛く撮れたので贈ります』だ。
(気持ち悪過ぎるだろ)
ぐしゃっと握り潰し、制服の上に羽織っていたパーカーのポケットに突っ込んだ。
(あー、くそ、マジで気持ち悪ィな)
ぞわっと身震いする。不快さを振り払うように首を左右に振ってから屋上に向かった。
うちの高校では昼休みだけ屋上が開放されている。さすがに真夏と真冬は誰も利用しないけれど、今日みたいな春先と秋には結構な人数が利用していて、俺たち三人も風が気持ちいい季節にはここで昼を食うのが定番だ。
端の方にちょっとした段差があって、そこに優斗と遼平が居た。
「おかえり」と遼平が言って、優斗は卵焼きを頬張りながら「お、今日はメロンパンか」と言う。
「と、サンドイッチ。食えりゃ何でもいーよ」
優斗の隣に座る。遼平とは向かい合う形になった。
「で? お前、ちゃんとテスト受けたのかよ、英語のやつ」
朝、遼平が話していたテストのことだ。全クラスで実施された小テストで、俺のクラスは二時間目の終わりに行われた。
俺の質問に優斗はしらーっと視線をわざとらしく外すと、「テストなんて、受けなくても死なない」と言った。それを聞いていた遼平が焦った顔で「え、まさか本当に受けなかったの?」と言う。
「心配するな、ちゃんと受けた」
「名前だけ書いて提出したんじゃねーの」
揶揄うように言ったら図星だったらしく、「琥珀、鋭いな」と感心したように言われて、俺も遼平も項垂れた。
「何でそういうことするかなぁ……」
盛大な溜息と共に遼平が零すと、優斗は「小テストなんだから追試もないし、別にいいだろ」と開き直る。
側から見てたら我儘な亭主関白と苦労性の世話焼き女房だ。こうやって見ると、やっぱりこのふたりの関係性は変わっていない、と思う。
マイペースな分、どこか我関せずな優斗のフォローを、遼平は小さい頃から得意にしていた。物事に対して優斗みたいに自己主張しない代わりに、細かいことにはよく気がつくタイプだったから、優斗が忘れがちな提出物の日付や、よく失くしていたプリントなんかを遼平がフォローしていた記憶がある。
俺は特にそういう取り立てて特筆すべきところのない子供だったので、ふたりのやり取りを見ながら「大変だな、遼平も」とか「優斗も遼平が弟みたいで可愛いんだろうなぁ」などと思っていた。
昼飯を食い終えた後は、ただぼーっとするだけだ。ちょっと冷たい春の風は、頬に当たると気持ちがよかった。
何気なくスマホを取り出した、その時だ。
「何だ? これ」
優斗の声に目線を遣った。手にはクシャクシャになったあの封筒があった。
(しまった……!)
慌てて奪い返そうと手を伸ばす。
「何でもねぇよ、返せ!」
すると優斗は反対の手に封筒を持ち替えて、俺から遠ざけた。
「今時ラブレターなんて珍しい女子が居たもんだな」
「え! それラブレターなの? その割にはクシャクシャじゃない?」
優斗の言葉に驚いた遼平が言う。
「違ェよ、いいから返せ!」
「わかったわかった」
そう言って優斗が返してくれようとした時、運悪くメモと写真が分離してしまった。ぱさりと音を立てて写真が地面に落ちる。
ふたりの目が落ちた写真に釘づけになった。
「……え、これ……」
遼平が呟いたのと同時に、俺は写真を引ったくるようにして拾い上げた。ところが俺のただならぬ様子と写真の被写体を見て、何かを察知したんだろう。優斗がメモを開いた。
「『可愛く撮れたので贈ります』……おい、琥珀、これ何だ」
何だ、と言われても俺も答えられない。きゅっと唇を噛んだ。ふたりの視線が痛い。
「琥珀……、話してよ」
遼平の言葉に優斗も「話せ」と続ける。適当にごまかそうかと思ったけれど、このふたりに通用するとは思えない。観念することにした。
「……たまに、入ってんだよ、靴箱に」
はーっと息を吐いてから言った。赤茶色に染めたちょっと長めの髪をくしゃりと掻き混ぜてから続ける。
「一番最初は、多分……一年の冬だったと思う。四ヶ月くらい前か」
「四ヶ月も前から?」
遼平が驚いた声を上げた。隣の優斗が息を呑んだ気配があった。
冬休みに入る直前だったと思う。十二月の半ば過ぎ、部活の後に帰ろうとして靴箱を開けたら、封筒が靴の上に置いてあった。
宛名も差出人もなかった。誰かが入れ間違えたんじゃないか、と思ったので、封を開けるのは気が引けた。だけど読まずにゴミ箱に入れるのはもっと気が引けて、仕方なく中を確かめた。
中には写真とメモが入っていた。写真を見て、ギョッとした。私服姿の俺が写っていたからだ。
生地屋で布を選んでいる写真だった。撮られた記憶は全くない。恐らく隠し撮りだと思う。その前の週の土曜日、新しい服のための生地を行きつけの生地屋で探していた時に撮られたらしい。
メモには文字が印字されていた。『可愛く撮れたので贈ります』と書かれていた。
ぞっとした。気持ち悪かったし、正直にいえば怖かった。ぐしゃぐしゃに丸めて、リュックに突っ込んで家に帰った。その辺のゴミ箱に捨てて、誰かに拾われでもしたら堪らない。
「……中身は毎回同じで、写真とメモが入ってる」
「差出人に心当たりは?」
優斗の質問に、力なく首を左右に振った。
「被服部関係のヤツらじゃないのか? 琥珀のことを妬んでるとか」
「それはないと思うんだよな……妬まれるようなことも特にねーし」
優斗の指摘にそう返すと、優斗自身も「……まぁ、妬まれてるにしては、文章がちょっとおかしいよな」と言う。
「……『可愛く撮れたので贈ります』……琥珀、写真撮られたのは全く気づいてないの?」
今度は遼平が尋ねてきた。この質問にも俺は項垂れて頷くしかない。
送られてきた写真はどれも隠し撮りだと思う。その証拠にどの写真も、俺はカメラに目線を向けていない。
「隠し撮りか……気味悪いな」
遼平が小さく呟いた。声のトーンがいつもと違う。怒っているようなそんな声だ。遼平が怒るなんて滅多にないので、何だかギクリとしてしまう。
「どれくらいの頻度で靴箱に入ってるんだ?」
優斗の質問に、少し迷ってから「一週間に一回くらい」と答えた。ごまかしたところでいずれはバレる。それなら今、正直に話した方がいい。
「そんなに頻繁に?」
遼平が睨むような目で俺を見る。俺が悪いことをして怒られているみたいで、居心地が悪い。
(やっぱり、頻繁だよな)
自分でも思っていたことを指摘されて、首を竦めた。最初は一ヶ月に一回だったのに段々頻度は上がり、今では七日に一回は入れられている。
「毎回違う写真か?」
「うん。……メモの内容は毎回同じだけどな」
俺の返事を受けて、優斗は腕組みしてうーんと唸った。遼平はまだ封筒をじっと見つめている。
(まさかふたりにバレるなんて……)
迂闊だったと思う。俺はこの話を誰にも相談するつもりがなかったのに。
「大丈夫だって。ただの悪戯だろ」
敢えて笑って言った。ふたりも笑ってくれたらよかったけれど、神妙な顔のままだ。
「悪戯にしては、手が込んでない?」
遼平が言い出しにくそうに切り出す。
「これ、多分先週撮られてると思うよ。琥珀、先週の金曜日にこのカーディガン着てたし」
言われて初めて気が付いた。写真の俺はバターイエローのカーディガンを羽織っている。春休みに手編みしたものだ。なかなかよく出来たので気に入っている。
「メモは同じでも写真は毎回違う。しかも直近の琥珀を隠し撮りしてるってことじゃない?」
遼平の推理に冷たいものが背中をぞわりと撫でた。
その時、優斗が「ストーカーかもな」と言った。
「すとー……かー……」
あまりにも自分とは無縁の言葉過ぎて、思わず片言になる。だけどふたりはそんな俺とは裏腹に真面目な顔をしていた。
「気をつけろよ、琥珀。相手が男でも女でも、好意はひっくり返ることがあるから」
優斗の言葉にごくりと唾を呑む。遼平は優斗を嗜めるように「そんな怖がらせないでよ」と言ってから俺を見た。
「でも、優斗の言う通りだよ。気をつけて」
「気をつけるっつったって……相手がどこの誰かもわかんねーのに……」
そこまで言った時、あ、と声を出してしまった。思い出したことがあったからだ。
「何だ?」
「どうかしたの、琥珀」
ふたりに問いかけられて、う、と言葉に詰まる。余計なことを思い出すんじゃなかった、と思ったけれど、もう後の祭りだ。
「……いや、そういやさ、一枚、更衣室で撮られたやつがあったなって……思い出して」
俺の一言にふたりの目つきが鋭くなったのがわかった。
確か四通目の封筒に入っていたと思う。男子更衣室で着替えをしている俺の写真だ。アングルから考えて、更衣室の一番端にある掃除用具入れの中から撮られているように見えた。
後日、恐る恐る更衣室の用具入れを覗いたけれど、カメラの類は見つけられなかった。
「ってことは、相手は男か?」
優斗の一言に俺はわざと口を曲げて言う。
「やめてくれよ……女子の仕業でも最悪なのに、相手が男なんてゾッとする」
「でも男子更衣室にカメラを仕掛けられる人間なんだぞ」
優斗が言うと遼平も首を縦に動かして同意した。
「……まぁ、それもそうだけど」
俺としても歯切れの悪い返事をする他ない。言われなくても薄々はそうじゃないかと思っていたから余計だ。
話が途切れたタイミングで予鈴が鳴った。慌てて立ち上がる。
「とにかく、この件については放課後また話そう」
優斗の言葉に「わかった」と返し、屋上を後にした。
スケッチブックを開いて、ぼんやり窓の外を見ている。
家庭科室の窓からはちょうど正門が見える。何人かのグループに分かれて下校する人たちがよく見えた。
(……わかった、と返したものの……)
授業を終えて部活に行こうとしていた俺を呼び止めた、遼平の真剣な眼差しを思い出す。
「琥珀、部活終わったら連絡して。優斗とどこかで待ってるから」
どうやら優斗が昼休みに言った「この件はまた放課後に」を律儀に守ろうとしてくれているようだった。
(優斗が言ったから、待つことにしたんだろうな)
つまり遼平の自主的な発言ではない。
それに不満を持つ必要なんかないのに、どうにも心がモヤモヤした。モヤモヤしながらも「わかった」と返事をした。
(ほんっとにお人好しというか……優斗の言うことは何でも聞くもんな、アイツ)
それが遼平という男だ、とわかっているのに、何だかずっと気持ちが晴れない。
晴れないのには他にも理由がある。絶対に知られたくなかった、あの不気味な封書のことがバレてしまったからだ。
差出人に心当たりはまるでない。被服部関係じゃないのか、と優斗には聞かれたけれどいまいちピンとこなかった。
被服部の部員は男女合わせて十五人で、俺と同じ学年の部員は女子と男子が三人ずつだ。勿論その三人の男子の中には俺も含まれている。女子三人とはそれなりに仲良くやっているし、男子二人、三村と桐山とは休日に遊びに行ったりもする。三村はパタンナー志望で、桐山は「女子が多そう」というだけの理由で入部した。当然、ほぼ幽霊部員なので今日もサボりだ。
一年生は女子ばかり五人で、残りの四人が三年生の先輩だった。三年生は男子が三人、女子が一人という内訳で、その女子一人が花巻部長だ。
十五人も居る、と言えばいいのか、十五人しか居ない、と言えばいいのかはわからないけれど、全員とそこそこ話すし、俺が見る限りでは文化部にありがちな火花がバチバチなんてこともない。
つまり、部員を疑うには決定打に欠けると思っている。
(やっぱりただの悪戯だとは思うんだけどなぁ……)
気味の悪い封書ではある。それは確かだ。だけど例えば、危害を加えようとするような文面でもないし、俺に対しての嫌悪を感じるようなものでもない。
純粋に好意、……と思うには、ちょっと気持ちが悪いし、仮に本当に好意ならやり方を間違えているとは思うけれど、悪意100%かと聞かれれば何とも言えない気持ちになる。
(けどやっぱ気持ち悪いよな。マジでやめてくんねーかな……)
悪戯だというならそろそろ飽きて欲しい。盗撮されるのは怖いし、それを俺に知らせてくる理由もわからない。
得体が知れない封書は俺に地味にダメージを与えていて、最近は封筒を見つける度に落ち込むし、寝る前なんかにふっと思い出したりしてなかなか寝つけないこともある。
考えたくないのに、頭の片隅をいつもあの封筒が占領しているのだ。お陰でそろそろ一次審査の締切だというのに、未だに仕上がっていない。
開いたままだったスケッチブックをぱらりと捲っていると、そこに影が落ちた。顔を上げる。副部長の柳先輩が立っていた。
「住吉、デザイン案、固まった?」
「あ、いえ……まだです」
「一次審査まであんまり日にちないぞ、ちょっとスピード上げた方がいい」
はい、と頷くと先輩が一年生たちの元へと移動する。すると隣に座っていた三村が俺を見た。
「琥珀。今年のモデル、また柳先輩にお願いするのか?」
小さめの声でひそひそと言ってくる。俺もつられて小声になった。
「まだ何にも決めてない」
去年、一次審査を通過したのは俺と、当時はまだ二年生だった花巻先輩だけだ。花巻先輩はレディースのデザインで通過し、俺はメンズ部門だった。
コンテストでは一次審査を通過した場合、二次審査の結果がどうであれ、最終審査であるランウェイで作品を着用し、ウォーキングしてくれるモデルを探さなければならない。
花巻先輩は自らモデルを担当し、俺は部内で一番背が高い柳先輩にお願いすることになった。嫌な顔ひとつせず、後輩のためにモデルを引き受けてくれたことに感謝していた。
「琥珀も花巻部長みたいに自分で着たらいいのに。琥珀なら充分モデルで通用するよ」
三村の言葉に、いやいや、とかぶりを振る。ランウェイでウォーキングなんて想像しただけで恐ろしい。
「琥珀は自分が着たい服をデザインしてるんだろ? それならデザイナー自らモデルってのも話題になっていいと思うけどなぁ」
「そりゃまぁ、自分が着たいと思えることを前提でデザインしてんだけどさ。ランウェイを歩くことは想定してねーよ」
「お、住吉琥珀デザイナー、それは今年も最終審査に残るという自信から出た言葉ですか?」
茶化すように言った三村の頭を小突いてやる。三村は笑いながら続けた。
「冗談抜きでさ、今年も絶対俺にパターン引かせてくれよな。全力でサポートするから」
去年、俺の作品のパターンは三村にお願いした。三村のパターンは着る人のことをよく考えて、理解し、その上で俺が描いたデザインの細部に至るまでを忠実に再現してくれる。
「もちろん、今年も絶対お前に頼みたい」
俺がそう返すと三村は親指を立てて「任せとけ」と言った。
部活を終えてから遼平にラインを送った。すぐに既読がつく。『駅前のハンバーガー屋さんで待ってるよ』と返ってきた。
学校を出てハンバーガー屋に到着すると、一階の席にはふたりの姿はなかった。『着いた』とだけ先に遼平にメッセージを送り、ハンバーガーのセットを注文する。トレイを受け取ってからスマホを見ると『二階だよ』と返事があった。
二階に上がる。一番奥の席にふたりが座っていた。遼平はこちらに背を向けていたので、その向かいに座る優斗と目が合った。
近寄ると俺に気づいた遼平が席を立ち、優斗の隣に移動する。別に遼平が移動しなくても、俺が優斗の隣に座ればいいだけなのに、こういうところが遼平らしい。
「つか、マジで待ってたのかよ……」
俺が言うと優斗は「当たり前だろ」と言いながらドリンクカップを持ち上げた。
「もうない」
どうやら中身が空になっていたらしい。
「あ、俺、買ってくるよ」
遼平が立ち上がる。つくづく世話焼きだと思う。
「これ、一応まとめておいた」
遼平が席を立ってから、優斗がテーブルの上に広げていたノートを俺に向けて差し出してきた。
『琥珀のストーカー撃退大作戦!』などというフザケたタイトル文字が書かれている。
(こいつら……)
げんなりした顔を作って、優斗の鼻先をむにっと摘んでやった。
「お前な、ちょっと楽しんでるだろ」
「心外だな、琥珀」
こんなに心配してると言うのに、なんて空々しい言葉と共に優斗がバカ真面目な顔で俺を見る。
「幼馴染みの一大事だぞ」
「へーへー、そりゃありがとうございます」
ケッと毒吐きながら、コーラを一口飲んだ。
ノートに目を落とす。題字はふざけているものの、箇条書きにしてあるいくつかは確かに真面目に書かれているようだ。
「ひとりにしない、送り迎えをする、靴箱を見張って犯人を特定する……割とマジなことも書いてんな」
「だから言ったろ、幼馴染みの一大事だって」
ちょっと不貞腐れたみたいに顔をふいっと背ける優斗の頭を、クシャクシャに撫でた。
「サンキューな、優斗」
そんなことをしているうちに、ドリンクの追加注文を終えた遼平が戻ってきた。
「お待たせ。優斗、オレンジでいい?」
言いながら優斗の隣に座る。遼平がノートを見て、「琥珀も読んだ?」と聞いてきた。
「読んだ。タイトルはアレだけど、考えてくれたんだなってことはわかった」
遼平にも、ありがとな、と伝える。遼平は照れたみたいにはにかんだ。こういう表情も昔と変わっていない。
その爆弾発言が落とされたのは、ハンバーガーの包みを開き、一口齧った瞬間だった。
「考えたんだけど、琥珀に恋人が出来れば相手も諦めるんじゃないか?」
優斗の言葉にハンバーガーを食べる手が止まる。
恋人? 俺に?
「あのなぁ……」
突拍子もない発言に盛大に肩を落とした。
「出来ればって、お前、じゃあ作ります、出来ました、なんて無理に決まってんだろ……」
俺が言うと優斗は人差し指を立てて、解説でも始めるように続けた。
「何も本当の恋人じゃなくていい。誰かに偽の恋人を演じてもらうんだよ」
「偽の恋人ぉ?」
思わず眉が寄る。偽の恋人を作ったところで、一体どうなると言うのか。
すると優斗の隣で黙って話を聞いていた遼平が「あ、そうか」と言った。
「手紙の内容からして、琥珀への憎しみとかじゃなく好意かもって感じ、するもんな。琥珀に相手が居るってわかったら身を引いてくれるかも」
「お前まで何言い出すんだよ……」
目の前で幼馴染みふたりが同意し合っている。確かに一理あるかも知れないけれど……。
「っていうか、お前ら、彼女役を演じてくれそうな女子にアテがあるんだろうな?」
俺の一言にふたりはギクリと肩を跳ね上げた。居るわけがない。優斗も遼平も、そこそこモテる割に浮いた話を聞いたことがないのだ。
当然、俺にもアテはない。
「被服部の誰かに頼むとかは?」
遼平の提案に優斗が「後腐れのある相手はダメだ」と言う。俺もそれには同意見だ。
ハンバーガーの最後の一口を頬張っていたその時だ。
「遼平、お前がやれ」
優斗の提案に味わっていたハンバーガーが喉に詰まりそうになる。んー! と情けない唸り声を上げてしまった。慌てた遼平が「琥珀しっかり!」とドリンクを差し出してくれる。一気に飲み干してから言った。
「優斗、お前絶対楽しんでるだろ!」
「楽しいわけないだろ、大事な幼馴染みの」
「一大事、だろ。思ってもないこと言いやがって!」
優斗の言葉を途中から奪って捲し立てた。
冗談じゃない。何だって遼平にそんなことしてもらわなきゃならないんだ。
「俺は真面目に言ってるんだぞ、琥珀」
「白々しい」
「考えてもみろ。遼平以上の適任居ないだろ? お前とは旧知の仲だ。ストーカーが仮にどんなに大柄な男でも、遼平なら体格負けすることもない。遼平はビジュアルだっていいし、相手を諦めさせるにはもってこいだろ。何より後腐れがない」
理路整然と並べられた理由は、ひとつひとつは確かに的を得ているような気がしてくる。これだから優斗は厄介だ。三人の中では一番弁が立つ。
「何もずっと恋人のフリをしてろなんて言ってない。相手が封筒を送ってこなくなれば、それで充分だろ」
「だけど……!」
こうなったら優斗は絶対譲らない。自分の意見を曲げない頑固者でもある。
仕方がない、遼平を味方につけよう。
そう思ったのに。
「それって期間はどれくらい?」
あろうことか遼平がそんなことを言い出した。
「待て待て待て、ちょっと待て。お前、意味わかってその発言してんだよな?」
俺が突っ込むと、遼平は人差し指で頬を掻くようにしてから言う。
「もちろんわかってるよ。……そりゃ気乗りはしないけど、でも優斗の提案だし、ストーカーは撃退したいし」
気乗りはしないけど。
この言葉を聞いて、俺はつくづく自分が嫌になった。
そうなんだよな、俺だってこの提案は受け入れ難いけれど、俺より遼平の方がもっと嫌なはず。遼平は優しいので「嫌だ」という言葉を「気乗りしない」という丸い言葉に言い換えてくれただけだ。
「とりあえず一ヶ月でどうだ? 一ヶ月、相手が何もしてこなければ偽の恋人は解消、まだ続くならその時にまた作戦会議だ」
俺は一言も「やる」なんて言っていない。それなのに勝手に話がまとまっている。
抗議したい気持ちはやまやまだけど、俺より遼平の方がずっと気の毒だ、という思いが喉に引っかかって何も言えなかった。
(一ヶ月、遼平と……恋人の、フリ)
考えただけで憂鬱で気が重い。だけど俺がそう思うということは、遼平はもっと面倒くさいだろうし、もっと気が重いはずだ。
チラリと遼平を見た。目が合ってしまった。
ベージュ色の瞳を細めて、遼平が右手を差し出してくる。
「一ヶ月、よろしく、琥珀」
その手を力なく、おずおずと握り返した。
「……よ、ろしく」
こうして、俺と遼平の「一ヶ月の恋人ごっこ」
が始まった。
この選択がどんな風に転がるのか、この時の俺はまだ知らない。
駅のホームで斜め前を横切った大学生くらいの男の人が着ている、深いブルーのジャケットが目に留まった。
腰の部分がきゅっと絞られたデザインで、丈が長めだ。シルエットが綺麗だし、品がある。カジュアルにも使えるし、ちょっとしたフォーマルにも使えそうだ。
季節は春。四月中旬にもなれば冬物の分厚いコートを着ている人はもうほとんど居ない。春という季節がそうさせるのか、冬服よりもずっとカラフルな服を着る人が増えるので、気持ちが浮き足立ってしまう。
耳に入れていたイヤフォンを外して改札を潜った時、前方に見知った顔がふたつあるのがわかった。
朝の駅なんて人でごった返しているのに、ふたりの姿が目についたのには理由がある。周囲から頭ひとつ抜き出てデカいからだ。
「琥珀」
そう言って俺に気付いた片方が手を上げた。それに合わせるようにもう片方も俺の方に視線を寄越した。
ぶつからないよう人の波をすり抜けながら、ふたりの元へと移動する。
「琥珀、おはよう」
手を上げていた片方……高槻優斗が言った。墨でも被ったのか、と聞きたくなるくらい、黒い髪と黒い瞳が印象的だ。「おー」と応じながら欠伸をひとつしたら、もう片方の生田遼平が「寝不足?」と聞いてくる。こちらは優斗とは対照的に日に透かすとベージュに見えるくらい、色素の薄い髪と瞳を持っていて、要するにふたり並ぶととても目立つ。
本人たちは気にも留めていないようだ。
「まぁ、そんなとこ」
適当に相槌を打ち、三人で歩き出す。俺たちが通う高校は駅から歩いて五分の場所にある。
「寝不足って?」
優斗の質問に「デザイン画描いてた」と答えた。するとふたりは納得したように頷き、優斗が「描けたら見せてくれ」と言う。「描けたらな」と軽く応じた。
「そういや今日、全クラスで英語のテストあるって」
遼平がげんなりした顔で言う。優斗はしれっと「どうにか受けずに済む方法考えるか」と言った。冗談なのか本気なのか、まるでわからない。
「そりゃ受けずに済むなら受けたくないけど、そんなわけにいかないだろ……優斗、頼むからサボんないでね」
「ハイハイ」
全然聞いてなさそうな優斗の返事を受けて、遼平ががっくり肩を落とした。マイペースな優斗にこれ以上、何を言っても無駄だと長年の付き合いで学んでいるんだろう。
高槻優斗と生田遼平、そして俺、住吉琥珀は子供の頃からの幼馴染みだった。
同じマンションの一階に高槻家が、二階に生田家があり、俺の家はその三階にあった。
生まれた時から一緒だ。幼稚園も小学校も勿論同じ。ところが中学生になろうというタイミングで、俺だけが地元を離れることになった。父親の転勤を機に中学受験することになったからだ。
当時は三人ともスマホを持っていなかったから、連絡手段は手紙か家電しかなく、ふたりとの腐れ縁はそこで終わるはずだった。
高校進学の際、俺は親の反対を押し切って外部校に進学することを決めた。中学からエスカレーターで進学出来る高校には、俺のやりたい部活がなかったからだ。
一時間半の通学時間が大変だということはわかっていたけれど、やりたいことが出来る高校に通えることの方が大事だと思った。
無事に合格し、志望校に入学したのが今から一年前だ。その入学式で後ろから肩を叩かれた。
振り返るとそこには、手足と共に身長がぐーんと伸びた優斗と遼平が立っていた。
まさか同じ高校に通うことになるとは。
こうして俺たちの腐れ縁は、三年のブランクを経てアッサリ復活した。
「じゃあな」
学校に到着すると、靴を履き替えるなり優斗が言う。
「また昼休みにね」と遼平が返事をした。ヒラヒラと手を振りながら優斗が自分の教室へと向かう。一年の時は三人とも同じクラスだったけれど、二年になって優斗だけが一組になった。俺は遼平と同じ三組だ。
「行こうか」
遼平が俺に向かって笑顔を向けた。「そうだな」と言って、自分たちの教室がある棟へ足を向けたけれど、何となく遼平の隣ではなく半歩後ろをついて歩く。
それに気づいているのかいないのか、遼平は何も言わなかった。
(……気づいてねーんだろうな。いや、気づいてても言うつもりないのかも)
アッサリ復活した腐れ縁だったけれど、何もかもが以前と同じというわけではなかった。
そりゃそうだ。離れたのは十二歳、まだ子供だった。優斗も遼平も俺より小さくて、優斗のマイペースはその頃から変わっていないけれど、遼平は泣き虫だった。
涙腺が緩いタイプらしく、怒っても泣くし、嬉しくても泣く。尤も、遼平は穏やかで優しいので基本的に怒ることなんてほぼないけれど。
いつも優斗と俺の後ろに隠れていた遼平が、あの遼平が、今では俺よりもデカくなった。俺だって175センチあるし、小さいわけでは決してないはずなのに、優斗の180センチには敵わないし、遼平の185センチには遠く及ばない。
再会した時は心底びっくりした。顔に若干の面影はあれど、別人じゃねーか、と思った。その点は優斗の方がずっと面影がある。顔がほとんど変わっていなかった。
なのに遼平ときたら、丸かった瞳は切れ長になったし、小さかった鼻はすっと鼻筋が通った。横顔は美術室の彫刻みたいで、そういえば遼平の母方の祖父は確かフランス人だった。
子供の頃はそうでもなかったのに、成長した遼平からは僅かに異国の香りが漂っている。栗色だった髪も瞳も、今ではほとんどベージュに近い。その色素の薄さがより一層、遼平の造形の美しさを際立たせる。
(あんなに小さくて、泣き虫で、可愛かったのに)
三年振りに会った遼平は、そんな「思い出の中の遼平」とはまるで違っていた。
だからなのか、遼平と接するのは妙に緊張するのだ。俺のその緊張が伝わっているからなのか、遼平も俺に対して一定の距離を保っている気がする。
(まぁ、……別にいいんだけど)
優斗とは昔と変わらずやれてるし、三人で居る分には問題ないし。
それに子供の頃から、元々遼平は俺よりも優斗を頼りにしていた。優斗は嫌なことは嫌だとはっきり断る性格で、遼平はどちらかといえば頼まれたら断れないタイプだったから、自分の意思をしっかり持っている優斗のことを、同じ歳なのに「お兄ちゃん」と思っているらしかった。
だから別に、多少のギクシャクが俺と遼平の間にあるからと言っても、それは大きな問題にはならない。三人一緒に仲良くやれてりゃ、それでいい。
「琥珀」
急に名前を呼ばれてハッとした。気がついたら教室に到着していた。いつまでも入らない俺に気づいて、遼平が俺を振り返る。
「悪い、何でもない」
「本当に寝不足なだけ? 体調悪いとかは?」
心配そうに遼平の眉が下がる。この顔は昔のままだなぁ、と思った。
「ねぇよ、マジで寝不足だけ」
「デザイン画、煮詰まってる?」
「んー……そうかも。イメージはぼんやりあるんだけど、まだ形になってない」
正直に言ったら遼平は、当たり障りのない笑顔を向けて「琥珀なら大丈夫だよ」と言い、自分の席に向かった。
(……ほんっと、アイツ、俺のことに無関心だよな)
「琥珀なら大丈夫だよ」という言葉は、一見したら俺を信じて応援しているように聞こえる。だけど実際のところ、遼平は特に関心がないんだろう。突っ込んで聞く気もないから、無難な言葉でこの場を乗り切っているに過ぎない。
(……いや、それは俺がちょっと捻くれ過ぎ?)
そう思う反面、優斗のことには興味示すくせに、などと思ってしまう。
優斗がちょっと前に音ゲーにハマった時なんか、それまでゲームなんて興味なかったくせに、遼平は同じゲームをプレイして遊び始めたし、優斗が飽きたタイミングで遼平もやめた。
(やめやめ。遼平のことなんか考えてる暇あるなら、デザイン画のこと考えなきゃ)
窓際の一番後ろにある、自分の席へと移動する。リュックからスケッチブックを取り出した。
表紙には『デザイン案 No.13』とある。つまり十三冊目のスケッチブックだ。
(煮詰まってんのは確かなんだよなぁ……)
一応、今回のコンテストに向けたデザイン画は完成している。だけど何となく、本当にこれでいいのか、と思ってしまって、未だにその答えを出せていない。締め切りまで一週間しかないので、かなり切羽詰まっている。
スケッチブックをパラパラ捲ると三枚目に、去年のコンテスト応募作のデザイン画があった。もう一年も前なのか、と思うと感慨深い。
俺が私立中学から外部受験した理由はコレだ。俺は服を作りたい。そのために選択授業で被服科を選べて、尚且つ被服部があるこの学校にどうしても進学したかった。
被服部のある学校は珍しい上、うちの被服部は高校生被服ヘアメイク大会という全国大会へ毎年出場している。
去年は俺も、毎年五月下旬に行われるその大会に向けて、入学当初から被服部で必死に活動した。
大会は一次がデザイン画の審査、それを通過すると一次のデザインを実際に服として作ることになる。縫製や生地選び、色の合わせ方なんかを細かくチェックされ、それに通過すれば最終審査はステージ上でのランウェイだ。二次審査と最終審査は同じ日に行われる。
俺が去年出した作品は無事に一次、二次と通過し、最終審査では佳作を受賞した。一年生でこの順位は快挙だと、顧問も部活の仲間も喜んでくれたし、遼平と優斗も盛大に祝ってくれた。
もちろん、佳作を受賞出来たことは嬉しかった。だけどやっぱり、出すからにはトップを狙いたい。この大会でトップになれば、新進気鋭のデザイナーを有する大手のアパレル企業への就職が見えてくる。
ゆくゆくは自分のブランドを持ちたいけれど、まずはきちんとどこか、出来れば名の知れた企業にデザイナーとして就職したい。服を作ることを仕事にしたいと思うなら、誰でも思うことだ。俺もそのひとりだった。
(少なくとも去年よりは結果残さねーと……)
去年は佳作を受賞したのに、今年は一次審査さえ通過出来ないとなれば、去年の成績はただのまぐれだと思われてしまう。
(って言ってもなぁ……そういうプレッシャーみたいなのを自分でかけて、結局煮詰まってんだよな)
スケッチブックをぱたり、と閉じた。煮詰まっているのはそれだけが理由ではなかったけれど、それについては深く考えたくなかった。
昼休みに入ると遼平が俺の席までやってきた。
「琥珀、今日お昼どうする?」
「パン。買いに行ってくる」
一階の学食の前に購買部がある。文房具の他に上履きなんかも売っていて、昼になるとパンとおにぎりが並ぶのだ。
「じゃあ俺、優斗連れて屋上に行っとくな」
わかった、という返事の代わりに手を上げてから教室を出る。
いつもあのふたりは弁当持参だ。俺は通学時間が長いので、朝はかなり早く家を出なければならない。最初の頃は母親も弁当を用意してくれていたが、入学から三ヶ月目で「お昼はこれで」と千円くれるようになった。
一時間半も電車に揺られながら弁当を持っていくのは、正直かなり怠かったので俺としてはラッキーだ。
購買部は人でごった返していた。パンの他に簡単な弁当も売っているけれど、人気商品なので既にない。
端っこから手を伸ばし、サンドイッチとメロンパンを買った。
購買部から戻る途中に靴箱がある。あんまり気は進まないけれど、足は自然と自分の靴箱へと向かった。
ふーっと息を吐いてから、靴箱を開ける。案の定、スニーカーの上には封筒があった。
(……またか)
チッと舌打ちしそうになる。封筒を乱暴に取り出して、靴箱の扉に隠しながら封を切った。
中には写真とメモがそれぞれ一枚ずつ入っている。どこで撮られたのかまるで覚えのない俺の写真と、メモにはお決まりの言葉が書かれていた。手書きじゃない、パソコンで出力してある。
『可愛く撮れたので贈ります』だ。
(気持ち悪過ぎるだろ)
ぐしゃっと握り潰し、制服の上に羽織っていたパーカーのポケットに突っ込んだ。
(あー、くそ、マジで気持ち悪ィな)
ぞわっと身震いする。不快さを振り払うように首を左右に振ってから屋上に向かった。
うちの高校では昼休みだけ屋上が開放されている。さすがに真夏と真冬は誰も利用しないけれど、今日みたいな春先と秋には結構な人数が利用していて、俺たち三人も風が気持ちいい季節にはここで昼を食うのが定番だ。
端の方にちょっとした段差があって、そこに優斗と遼平が居た。
「おかえり」と遼平が言って、優斗は卵焼きを頬張りながら「お、今日はメロンパンか」と言う。
「と、サンドイッチ。食えりゃ何でもいーよ」
優斗の隣に座る。遼平とは向かい合う形になった。
「で? お前、ちゃんとテスト受けたのかよ、英語のやつ」
朝、遼平が話していたテストのことだ。全クラスで実施された小テストで、俺のクラスは二時間目の終わりに行われた。
俺の質問に優斗はしらーっと視線をわざとらしく外すと、「テストなんて、受けなくても死なない」と言った。それを聞いていた遼平が焦った顔で「え、まさか本当に受けなかったの?」と言う。
「心配するな、ちゃんと受けた」
「名前だけ書いて提出したんじゃねーの」
揶揄うように言ったら図星だったらしく、「琥珀、鋭いな」と感心したように言われて、俺も遼平も項垂れた。
「何でそういうことするかなぁ……」
盛大な溜息と共に遼平が零すと、優斗は「小テストなんだから追試もないし、別にいいだろ」と開き直る。
側から見てたら我儘な亭主関白と苦労性の世話焼き女房だ。こうやって見ると、やっぱりこのふたりの関係性は変わっていない、と思う。
マイペースな分、どこか我関せずな優斗のフォローを、遼平は小さい頃から得意にしていた。物事に対して優斗みたいに自己主張しない代わりに、細かいことにはよく気がつくタイプだったから、優斗が忘れがちな提出物の日付や、よく失くしていたプリントなんかを遼平がフォローしていた記憶がある。
俺は特にそういう取り立てて特筆すべきところのない子供だったので、ふたりのやり取りを見ながら「大変だな、遼平も」とか「優斗も遼平が弟みたいで可愛いんだろうなぁ」などと思っていた。
昼飯を食い終えた後は、ただぼーっとするだけだ。ちょっと冷たい春の風は、頬に当たると気持ちがよかった。
何気なくスマホを取り出した、その時だ。
「何だ? これ」
優斗の声に目線を遣った。手にはクシャクシャになったあの封筒があった。
(しまった……!)
慌てて奪い返そうと手を伸ばす。
「何でもねぇよ、返せ!」
すると優斗は反対の手に封筒を持ち替えて、俺から遠ざけた。
「今時ラブレターなんて珍しい女子が居たもんだな」
「え! それラブレターなの? その割にはクシャクシャじゃない?」
優斗の言葉に驚いた遼平が言う。
「違ェよ、いいから返せ!」
「わかったわかった」
そう言って優斗が返してくれようとした時、運悪くメモと写真が分離してしまった。ぱさりと音を立てて写真が地面に落ちる。
ふたりの目が落ちた写真に釘づけになった。
「……え、これ……」
遼平が呟いたのと同時に、俺は写真を引ったくるようにして拾い上げた。ところが俺のただならぬ様子と写真の被写体を見て、何かを察知したんだろう。優斗がメモを開いた。
「『可愛く撮れたので贈ります』……おい、琥珀、これ何だ」
何だ、と言われても俺も答えられない。きゅっと唇を噛んだ。ふたりの視線が痛い。
「琥珀……、話してよ」
遼平の言葉に優斗も「話せ」と続ける。適当にごまかそうかと思ったけれど、このふたりに通用するとは思えない。観念することにした。
「……たまに、入ってんだよ、靴箱に」
はーっと息を吐いてから言った。赤茶色に染めたちょっと長めの髪をくしゃりと掻き混ぜてから続ける。
「一番最初は、多分……一年の冬だったと思う。四ヶ月くらい前か」
「四ヶ月も前から?」
遼平が驚いた声を上げた。隣の優斗が息を呑んだ気配があった。
冬休みに入る直前だったと思う。十二月の半ば過ぎ、部活の後に帰ろうとして靴箱を開けたら、封筒が靴の上に置いてあった。
宛名も差出人もなかった。誰かが入れ間違えたんじゃないか、と思ったので、封を開けるのは気が引けた。だけど読まずにゴミ箱に入れるのはもっと気が引けて、仕方なく中を確かめた。
中には写真とメモが入っていた。写真を見て、ギョッとした。私服姿の俺が写っていたからだ。
生地屋で布を選んでいる写真だった。撮られた記憶は全くない。恐らく隠し撮りだと思う。その前の週の土曜日、新しい服のための生地を行きつけの生地屋で探していた時に撮られたらしい。
メモには文字が印字されていた。『可愛く撮れたので贈ります』と書かれていた。
ぞっとした。気持ち悪かったし、正直にいえば怖かった。ぐしゃぐしゃに丸めて、リュックに突っ込んで家に帰った。その辺のゴミ箱に捨てて、誰かに拾われでもしたら堪らない。
「……中身は毎回同じで、写真とメモが入ってる」
「差出人に心当たりは?」
優斗の質問に、力なく首を左右に振った。
「被服部関係のヤツらじゃないのか? 琥珀のことを妬んでるとか」
「それはないと思うんだよな……妬まれるようなことも特にねーし」
優斗の指摘にそう返すと、優斗自身も「……まぁ、妬まれてるにしては、文章がちょっとおかしいよな」と言う。
「……『可愛く撮れたので贈ります』……琥珀、写真撮られたのは全く気づいてないの?」
今度は遼平が尋ねてきた。この質問にも俺は項垂れて頷くしかない。
送られてきた写真はどれも隠し撮りだと思う。その証拠にどの写真も、俺はカメラに目線を向けていない。
「隠し撮りか……気味悪いな」
遼平が小さく呟いた。声のトーンがいつもと違う。怒っているようなそんな声だ。遼平が怒るなんて滅多にないので、何だかギクリとしてしまう。
「どれくらいの頻度で靴箱に入ってるんだ?」
優斗の質問に、少し迷ってから「一週間に一回くらい」と答えた。ごまかしたところでいずれはバレる。それなら今、正直に話した方がいい。
「そんなに頻繁に?」
遼平が睨むような目で俺を見る。俺が悪いことをして怒られているみたいで、居心地が悪い。
(やっぱり、頻繁だよな)
自分でも思っていたことを指摘されて、首を竦めた。最初は一ヶ月に一回だったのに段々頻度は上がり、今では七日に一回は入れられている。
「毎回違う写真か?」
「うん。……メモの内容は毎回同じだけどな」
俺の返事を受けて、優斗は腕組みしてうーんと唸った。遼平はまだ封筒をじっと見つめている。
(まさかふたりにバレるなんて……)
迂闊だったと思う。俺はこの話を誰にも相談するつもりがなかったのに。
「大丈夫だって。ただの悪戯だろ」
敢えて笑って言った。ふたりも笑ってくれたらよかったけれど、神妙な顔のままだ。
「悪戯にしては、手が込んでない?」
遼平が言い出しにくそうに切り出す。
「これ、多分先週撮られてると思うよ。琥珀、先週の金曜日にこのカーディガン着てたし」
言われて初めて気が付いた。写真の俺はバターイエローのカーディガンを羽織っている。春休みに手編みしたものだ。なかなかよく出来たので気に入っている。
「メモは同じでも写真は毎回違う。しかも直近の琥珀を隠し撮りしてるってことじゃない?」
遼平の推理に冷たいものが背中をぞわりと撫でた。
その時、優斗が「ストーカーかもな」と言った。
「すとー……かー……」
あまりにも自分とは無縁の言葉過ぎて、思わず片言になる。だけどふたりはそんな俺とは裏腹に真面目な顔をしていた。
「気をつけろよ、琥珀。相手が男でも女でも、好意はひっくり返ることがあるから」
優斗の言葉にごくりと唾を呑む。遼平は優斗を嗜めるように「そんな怖がらせないでよ」と言ってから俺を見た。
「でも、優斗の言う通りだよ。気をつけて」
「気をつけるっつったって……相手がどこの誰かもわかんねーのに……」
そこまで言った時、あ、と声を出してしまった。思い出したことがあったからだ。
「何だ?」
「どうかしたの、琥珀」
ふたりに問いかけられて、う、と言葉に詰まる。余計なことを思い出すんじゃなかった、と思ったけれど、もう後の祭りだ。
「……いや、そういやさ、一枚、更衣室で撮られたやつがあったなって……思い出して」
俺の一言にふたりの目つきが鋭くなったのがわかった。
確か四通目の封筒に入っていたと思う。男子更衣室で着替えをしている俺の写真だ。アングルから考えて、更衣室の一番端にある掃除用具入れの中から撮られているように見えた。
後日、恐る恐る更衣室の用具入れを覗いたけれど、カメラの類は見つけられなかった。
「ってことは、相手は男か?」
優斗の一言に俺はわざと口を曲げて言う。
「やめてくれよ……女子の仕業でも最悪なのに、相手が男なんてゾッとする」
「でも男子更衣室にカメラを仕掛けられる人間なんだぞ」
優斗が言うと遼平も首を縦に動かして同意した。
「……まぁ、それもそうだけど」
俺としても歯切れの悪い返事をする他ない。言われなくても薄々はそうじゃないかと思っていたから余計だ。
話が途切れたタイミングで予鈴が鳴った。慌てて立ち上がる。
「とにかく、この件については放課後また話そう」
優斗の言葉に「わかった」と返し、屋上を後にした。
スケッチブックを開いて、ぼんやり窓の外を見ている。
家庭科室の窓からはちょうど正門が見える。何人かのグループに分かれて下校する人たちがよく見えた。
(……わかった、と返したものの……)
授業を終えて部活に行こうとしていた俺を呼び止めた、遼平の真剣な眼差しを思い出す。
「琥珀、部活終わったら連絡して。優斗とどこかで待ってるから」
どうやら優斗が昼休みに言った「この件はまた放課後に」を律儀に守ろうとしてくれているようだった。
(優斗が言ったから、待つことにしたんだろうな)
つまり遼平の自主的な発言ではない。
それに不満を持つ必要なんかないのに、どうにも心がモヤモヤした。モヤモヤしながらも「わかった」と返事をした。
(ほんっとにお人好しというか……優斗の言うことは何でも聞くもんな、アイツ)
それが遼平という男だ、とわかっているのに、何だかずっと気持ちが晴れない。
晴れないのには他にも理由がある。絶対に知られたくなかった、あの不気味な封書のことがバレてしまったからだ。
差出人に心当たりはまるでない。被服部関係じゃないのか、と優斗には聞かれたけれどいまいちピンとこなかった。
被服部の部員は男女合わせて十五人で、俺と同じ学年の部員は女子と男子が三人ずつだ。勿論その三人の男子の中には俺も含まれている。女子三人とはそれなりに仲良くやっているし、男子二人、三村と桐山とは休日に遊びに行ったりもする。三村はパタンナー志望で、桐山は「女子が多そう」というだけの理由で入部した。当然、ほぼ幽霊部員なので今日もサボりだ。
一年生は女子ばかり五人で、残りの四人が三年生の先輩だった。三年生は男子が三人、女子が一人という内訳で、その女子一人が花巻部長だ。
十五人も居る、と言えばいいのか、十五人しか居ない、と言えばいいのかはわからないけれど、全員とそこそこ話すし、俺が見る限りでは文化部にありがちな火花がバチバチなんてこともない。
つまり、部員を疑うには決定打に欠けると思っている。
(やっぱりただの悪戯だとは思うんだけどなぁ……)
気味の悪い封書ではある。それは確かだ。だけど例えば、危害を加えようとするような文面でもないし、俺に対しての嫌悪を感じるようなものでもない。
純粋に好意、……と思うには、ちょっと気持ちが悪いし、仮に本当に好意ならやり方を間違えているとは思うけれど、悪意100%かと聞かれれば何とも言えない気持ちになる。
(けどやっぱ気持ち悪いよな。マジでやめてくんねーかな……)
悪戯だというならそろそろ飽きて欲しい。盗撮されるのは怖いし、それを俺に知らせてくる理由もわからない。
得体が知れない封書は俺に地味にダメージを与えていて、最近は封筒を見つける度に落ち込むし、寝る前なんかにふっと思い出したりしてなかなか寝つけないこともある。
考えたくないのに、頭の片隅をいつもあの封筒が占領しているのだ。お陰でそろそろ一次審査の締切だというのに、未だに仕上がっていない。
開いたままだったスケッチブックをぱらりと捲っていると、そこに影が落ちた。顔を上げる。副部長の柳先輩が立っていた。
「住吉、デザイン案、固まった?」
「あ、いえ……まだです」
「一次審査まであんまり日にちないぞ、ちょっとスピード上げた方がいい」
はい、と頷くと先輩が一年生たちの元へと移動する。すると隣に座っていた三村が俺を見た。
「琥珀。今年のモデル、また柳先輩にお願いするのか?」
小さめの声でひそひそと言ってくる。俺もつられて小声になった。
「まだ何にも決めてない」
去年、一次審査を通過したのは俺と、当時はまだ二年生だった花巻先輩だけだ。花巻先輩はレディースのデザインで通過し、俺はメンズ部門だった。
コンテストでは一次審査を通過した場合、二次審査の結果がどうであれ、最終審査であるランウェイで作品を着用し、ウォーキングしてくれるモデルを探さなければならない。
花巻先輩は自らモデルを担当し、俺は部内で一番背が高い柳先輩にお願いすることになった。嫌な顔ひとつせず、後輩のためにモデルを引き受けてくれたことに感謝していた。
「琥珀も花巻部長みたいに自分で着たらいいのに。琥珀なら充分モデルで通用するよ」
三村の言葉に、いやいや、とかぶりを振る。ランウェイでウォーキングなんて想像しただけで恐ろしい。
「琥珀は自分が着たい服をデザインしてるんだろ? それならデザイナー自らモデルってのも話題になっていいと思うけどなぁ」
「そりゃまぁ、自分が着たいと思えることを前提でデザインしてんだけどさ。ランウェイを歩くことは想定してねーよ」
「お、住吉琥珀デザイナー、それは今年も最終審査に残るという自信から出た言葉ですか?」
茶化すように言った三村の頭を小突いてやる。三村は笑いながら続けた。
「冗談抜きでさ、今年も絶対俺にパターン引かせてくれよな。全力でサポートするから」
去年、俺の作品のパターンは三村にお願いした。三村のパターンは着る人のことをよく考えて、理解し、その上で俺が描いたデザインの細部に至るまでを忠実に再現してくれる。
「もちろん、今年も絶対お前に頼みたい」
俺がそう返すと三村は親指を立てて「任せとけ」と言った。
部活を終えてから遼平にラインを送った。すぐに既読がつく。『駅前のハンバーガー屋さんで待ってるよ』と返ってきた。
学校を出てハンバーガー屋に到着すると、一階の席にはふたりの姿はなかった。『着いた』とだけ先に遼平にメッセージを送り、ハンバーガーのセットを注文する。トレイを受け取ってからスマホを見ると『二階だよ』と返事があった。
二階に上がる。一番奥の席にふたりが座っていた。遼平はこちらに背を向けていたので、その向かいに座る優斗と目が合った。
近寄ると俺に気づいた遼平が席を立ち、優斗の隣に移動する。別に遼平が移動しなくても、俺が優斗の隣に座ればいいだけなのに、こういうところが遼平らしい。
「つか、マジで待ってたのかよ……」
俺が言うと優斗は「当たり前だろ」と言いながらドリンクカップを持ち上げた。
「もうない」
どうやら中身が空になっていたらしい。
「あ、俺、買ってくるよ」
遼平が立ち上がる。つくづく世話焼きだと思う。
「これ、一応まとめておいた」
遼平が席を立ってから、優斗がテーブルの上に広げていたノートを俺に向けて差し出してきた。
『琥珀のストーカー撃退大作戦!』などというフザケたタイトル文字が書かれている。
(こいつら……)
げんなりした顔を作って、優斗の鼻先をむにっと摘んでやった。
「お前な、ちょっと楽しんでるだろ」
「心外だな、琥珀」
こんなに心配してると言うのに、なんて空々しい言葉と共に優斗がバカ真面目な顔で俺を見る。
「幼馴染みの一大事だぞ」
「へーへー、そりゃありがとうございます」
ケッと毒吐きながら、コーラを一口飲んだ。
ノートに目を落とす。題字はふざけているものの、箇条書きにしてあるいくつかは確かに真面目に書かれているようだ。
「ひとりにしない、送り迎えをする、靴箱を見張って犯人を特定する……割とマジなことも書いてんな」
「だから言ったろ、幼馴染みの一大事だって」
ちょっと不貞腐れたみたいに顔をふいっと背ける優斗の頭を、クシャクシャに撫でた。
「サンキューな、優斗」
そんなことをしているうちに、ドリンクの追加注文を終えた遼平が戻ってきた。
「お待たせ。優斗、オレンジでいい?」
言いながら優斗の隣に座る。遼平がノートを見て、「琥珀も読んだ?」と聞いてきた。
「読んだ。タイトルはアレだけど、考えてくれたんだなってことはわかった」
遼平にも、ありがとな、と伝える。遼平は照れたみたいにはにかんだ。こういう表情も昔と変わっていない。
その爆弾発言が落とされたのは、ハンバーガーの包みを開き、一口齧った瞬間だった。
「考えたんだけど、琥珀に恋人が出来れば相手も諦めるんじゃないか?」
優斗の言葉にハンバーガーを食べる手が止まる。
恋人? 俺に?
「あのなぁ……」
突拍子もない発言に盛大に肩を落とした。
「出来ればって、お前、じゃあ作ります、出来ました、なんて無理に決まってんだろ……」
俺が言うと優斗は人差し指を立てて、解説でも始めるように続けた。
「何も本当の恋人じゃなくていい。誰かに偽の恋人を演じてもらうんだよ」
「偽の恋人ぉ?」
思わず眉が寄る。偽の恋人を作ったところで、一体どうなると言うのか。
すると優斗の隣で黙って話を聞いていた遼平が「あ、そうか」と言った。
「手紙の内容からして、琥珀への憎しみとかじゃなく好意かもって感じ、するもんな。琥珀に相手が居るってわかったら身を引いてくれるかも」
「お前まで何言い出すんだよ……」
目の前で幼馴染みふたりが同意し合っている。確かに一理あるかも知れないけれど……。
「っていうか、お前ら、彼女役を演じてくれそうな女子にアテがあるんだろうな?」
俺の一言にふたりはギクリと肩を跳ね上げた。居るわけがない。優斗も遼平も、そこそこモテる割に浮いた話を聞いたことがないのだ。
当然、俺にもアテはない。
「被服部の誰かに頼むとかは?」
遼平の提案に優斗が「後腐れのある相手はダメだ」と言う。俺もそれには同意見だ。
ハンバーガーの最後の一口を頬張っていたその時だ。
「遼平、お前がやれ」
優斗の提案に味わっていたハンバーガーが喉に詰まりそうになる。んー! と情けない唸り声を上げてしまった。慌てた遼平が「琥珀しっかり!」とドリンクを差し出してくれる。一気に飲み干してから言った。
「優斗、お前絶対楽しんでるだろ!」
「楽しいわけないだろ、大事な幼馴染みの」
「一大事、だろ。思ってもないこと言いやがって!」
優斗の言葉を途中から奪って捲し立てた。
冗談じゃない。何だって遼平にそんなことしてもらわなきゃならないんだ。
「俺は真面目に言ってるんだぞ、琥珀」
「白々しい」
「考えてもみろ。遼平以上の適任居ないだろ? お前とは旧知の仲だ。ストーカーが仮にどんなに大柄な男でも、遼平なら体格負けすることもない。遼平はビジュアルだっていいし、相手を諦めさせるにはもってこいだろ。何より後腐れがない」
理路整然と並べられた理由は、ひとつひとつは確かに的を得ているような気がしてくる。これだから優斗は厄介だ。三人の中では一番弁が立つ。
「何もずっと恋人のフリをしてろなんて言ってない。相手が封筒を送ってこなくなれば、それで充分だろ」
「だけど……!」
こうなったら優斗は絶対譲らない。自分の意見を曲げない頑固者でもある。
仕方がない、遼平を味方につけよう。
そう思ったのに。
「それって期間はどれくらい?」
あろうことか遼平がそんなことを言い出した。
「待て待て待て、ちょっと待て。お前、意味わかってその発言してんだよな?」
俺が突っ込むと、遼平は人差し指で頬を掻くようにしてから言う。
「もちろんわかってるよ。……そりゃ気乗りはしないけど、でも優斗の提案だし、ストーカーは撃退したいし」
気乗りはしないけど。
この言葉を聞いて、俺はつくづく自分が嫌になった。
そうなんだよな、俺だってこの提案は受け入れ難いけれど、俺より遼平の方がもっと嫌なはず。遼平は優しいので「嫌だ」という言葉を「気乗りしない」という丸い言葉に言い換えてくれただけだ。
「とりあえず一ヶ月でどうだ? 一ヶ月、相手が何もしてこなければ偽の恋人は解消、まだ続くならその時にまた作戦会議だ」
俺は一言も「やる」なんて言っていない。それなのに勝手に話がまとまっている。
抗議したい気持ちはやまやまだけど、俺より遼平の方がずっと気の毒だ、という思いが喉に引っかかって何も言えなかった。
(一ヶ月、遼平と……恋人の、フリ)
考えただけで憂鬱で気が重い。だけど俺がそう思うということは、遼平はもっと面倒くさいだろうし、もっと気が重いはずだ。
チラリと遼平を見た。目が合ってしまった。
ベージュ色の瞳を細めて、遼平が右手を差し出してくる。
「一ヶ月、よろしく、琥珀」
その手を力なく、おずおずと握り返した。
「……よ、ろしく」
こうして、俺と遼平の「一ヶ月の恋人ごっこ」
が始まった。
この選択がどんな風に転がるのか、この時の俺はまだ知らない。
