オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない

 最後に会ったのはもう5年も前なのにまだ彼の熱が、吐息が耳から離れてくれない。

「オメガはオメガらしく生きろ」

 とオメガ寮の寮長から耳にタコができるくらい言われていた。

 ここはオメガのみが集うオメガ寮。ベータ もアルファもいないここだけがオメガにとって安全な秘密の花園だった。


 第2の性について中学生の時に診断を受けオメガと判定された。

 家系は全員アルファだったから、祖父からは「オメガの子が我が一族から産まれるわけがない。妾の子か」とアルファの一族から追い出された僕が家なき子になったのがきっかけだった。


 13歳のオメガには外の世界は一際狭く感じられた。

 アルファとして一族皆が疑いようもなく、アルファとしての教育を僕に受けさせてきたからだ。

「アルファはアルファらしく生きろ。決してベータやオメガにその地位を奪われてはならない。アルファの中でも最も誉高いアルファになれ」

 と祖父をはじめとする教育係数名が、僕がオメガとは思いもせずに熱心に教鞭を振るった。



 僕も自分の5つ上と3つ上の兄上のようにアルファだと信じて疑わなかった。

 恵まれた体躯と、13歳にしては175センチという高身長。

 しかし、これもアルファの一族の遺伝性質で特段気にすることでもない。顔つきも凛々しく、一匹狼のようにハングリー精神が強く、生存能力に長けている。


 しかし、それも昔の話。

 オメガと判定されてしまった僕は家を追い出された後、路上で靴磨きの仕事をし道行く人に物乞いをしていた。

 それを見兼ねたソーシャルワーカーの人がオメガ寮を紹介してくれた。

 初入寮の日。あの日のことは鮮明に覚えている。

 長らく風呂に入っていなかったから僕は相当臭かったようだ。

 それをオメガ寮長に指摘され、他のオメガの寮生に身なりを整えてもらった。

 オメガ寮ではオメガがオメガらしく生きるためのライフハックや危機管理能力を伸ばすための教育が施されていた。

 発情期を抑えるための抑制剤の種類、副作用。最適な服用タイミング。

 オメガ寮はオメガのために開かれた学園。豊富な研究データにより、オメガ自身の身を守る術を余すことなく学ぶことができた。

 僕は3年間勉学に明け暮れ、無事にオメガ寮を卒業することができた。首席だった。誰も褒めてくれる人はいないけれど、初めて自分に自信を持てた。

 その後、彼に出逢ったのだ。



「歯を見せてみろ」

 オメガとして初めて嫁ぐことになり、見合いの席(といっても、お屋敷の庭で5人のオメガを並ばせてアルファが吟味するお見合い)に参加した。

 由緒ある家柄の名家の一人息子。母は病で亡くなり、父は財閥の創始者。

 何の不足もないアルファの彼に僕は見初められた。背は僕よりゆうに高く、鋭くも瞳の中には慈愛の光が見えるような気がした。

 この人に身請けされたらどんなに幸せだろう。

 そう僕はお見合いの席で妄想した。

 彼に口を開いて歯を見せると

「八重歯が初いな」

 と無骨な手のひらが顎を掴んだ。

 驚いた僕はその手を振り払おうとしてしまって冷や汗がどっと溢れた。

 彼はそれに対して嫌な顔ひとつせずに僕を迎え入れることに決めた。



 明くる日、手荷物をまとめてお屋敷へ向かうと和装をした彼が門の前で待ち構えていた。

「さあ、おいで」

 手招きされるがまま、お屋敷に入り僕の新たな生活が始まった。

 オメガの僕に優しく甘やかしてくれる年上の彼のことがいつのまにか好きになっていた。

 アルファなのに人一倍優しい。人の痛みがわかる人。まるで夢みたいな幸せな生活。



 彼と別れた日は桜が降っていた。
 淡い雪も重なる。

 アルファの彼は、別れる時なんて言ったっけ。ショックが大きすぎてあまり覚えていない。

「愛してる。けど、いっしょにはいれない」

 今、なんと言ったの?

「お前をこれ以上傍に置いていたら、俺はいつかお前を傷つけてしまう」

 なんで。どうして?
 僕の問いに彼は目元だけ笑ってかぶりを振るだけ。



 最後に会ったのはもう5年も前なのにまだ彼の熱が、吐息が耳から離れてくれない。


 別れてから5年後、僕はオメガらしく生活を送っていた。彼と別れて荒んだ心とボロボロの雑巾のような身体。

 そんな僕を暗闇から救ってくれたのはやはりあなただった。


「ごめん。お待たせ。もう離さない。俺を許しておくれ」


 許さない、だなんて思わなかった。

 5年後に再会した時、彼は自分の決断を後悔しているように思えた。強張った頬、潤んだ瞳。

 僕は信じていた。いつの日か彼が迎えにきてくれる日のことを。

 僕のことを腕の中に抱きしめるとしんしん冷える雪の中で、僕の冷たくなった頬を両手で温めてくれた。

「ただお前だけを愛しているよ」

 僕を愛してくれた人は、温かい手のひらを持つ人だった。その温もりに溺れたら僕の心は溶かされてしまった。