俺の同居人は普通じゃない

(坂下side)


 俺、坂下 肇(さかしたはじめ)は、今日ほど親友の南尚弥という男を「説明なし」で理解させられた日はない。
 というか、理解させられたくなかった。

 昨日、大学を休んでいた南が今日から復帰した。
 登校してきた南は相変わらず、このクソ暑い陽気の中で、薄手のストールを首にぐるぐる巻きにしていた。
 
(まだ、()()()消えねーの?)
 
 呆れて観察を続けていると、あることに気づいた。
 二日前まで死にかけの幽霊みたいな顔をしていたはずの南が、やたらと肌ツヤが良く、瞳には不自然なほどの活力が満ち溢れているのだ。

「おはよ、坂下」
「……おはよ。南、昨日は休んでたけど大丈夫だったのか?」
「え、昨日? あー……色々あって、その、ちょっとした体調不良だ」
 
(こんなに血色いい病人なんているか? 何食べさせてもらったら一晩でそんなに元気になるんだ。……いや、聞きたくない。絶対に聞きたくないぞ)

「どうした? 坂下、お前こそ体調悪いのか?」

 南が心配そうに首を傾げた、その時。
 ストールの隙間から、数日前に見たものよりも明らかに色が濃く、鮮やかな「噛み跡」が覗いてしまった。
 
(うわ、出た。それ絶対、噛まれたてホヤホヤのやつだろ! もう『味見済み』のハンコじゃねーか)

 俺は深く、深く溜息をつき、すべてを視界からシャットアウトすることに決めた。詳細も言い訳も、俺の精神衛生上よろしくないからだ。

 **

 一限目の講義中。俺の隣でノートを取っていた南が、ふとペンを止めた。見れば、何やら幸せそうな、デレデレとした締まりのない顔をして小声で呟いている。

「……明日も一緒に食べような」
 
 俺は無言で南の耳元に顔を寄せた。
「……おい南。ついに見えない何かと交信を始めたのか?」
「っ!? な、なんでもない! 独り言だ!」

 南は顔を真っ赤にして、激しく首を振った。
 大体、その見えない相手が誰なのかは想像がつく。
 
 ……南。お前「普通」という名のレールを脱線して、誰も知らないどこかへと全速力で走ってるんだな。俺はもう、お前の背中すら見えねーよ。

 
 昼になり、学食でいつもの定食を南と食っていた時だ。
 突然、南が真剣な顔で相談を持ちかけてきた。
 
「なぁ、坂下。男同士ってさ……普通、どんなことで喜ぶと思う?」
 
 俺は唐揚げを飲み込みそうになった。
「知るかよ。……ていうか、プレゼントとかの話か? そういうのはお前の家の同居人に直接聞けよ」
「いや、宵はさ……俺が少し触るだけで喜びすぎるから、参考にならないっていうか……」
 
「お前、それ以上言うな!? 飯が喉を通らなくなるだろ!!」
「……坂下くらいしか、相談するやついないんだよぉ」

 縋るような目をしてくる親友。
 一週間前までは、こいつと一緒にいつか、女の子の話をして笑い合える未来を信じていた俺が馬鹿だった……。

 **

 午後の講義もすべて終わり、南と二人で校門へ向かう。
 そこには、もはや定位置となった白銀の青年が立っていた。
 
(今日もちゃんと来てやがる。影は……今日は重なってねーな)
 
 俺は、地面に伸びる自分と南の影をそれとなく確認しながら歩く。
 宵は俺たちの姿を認めると、静かに、そして優雅な足取りで寄ってきた。
 以前のように俺を敵視するような殺気はない。代わりに、余裕たっぷりの微笑みを向けてくる。
 
 宵は鞄の中から、一本のペットボトルを取り出すと、あろうことか、俺におずおずとそのお茶を差し出してきた。
 
「いつも尚弥をありがとうございます。……これ、つまらないものですが」
「「…………は?」」
 
 流暢すぎる言葉遣いにも驚いたが、何よりもその『贈り物』の内容に俺と南は同時に固まった。
 
(なんだこれ。完全に『うちの主人がお世話になっております』的な、妻かなんかの挨拶じゃねーか! これ受け取っていいのか? 毒とか入ってねーよな?)
 
「よ、宵!? 急にどうしたんだよ。そんなこと……!」
 
 南が狼狽えるのを無視して、宵はニコニコと俺にお茶を勧めてくる。俺は観念してそれを受け取ると、恐る恐る尋ねた。
 
「……今日は影のこととか、言わないのかよ」
「あぁ、ごめんね。サカシタは、尚弥の数少ない友人だって気づいたんだ。大事にすべき『備品』だと」
「…………」

 備品? 今、備品って言ったか?
 あまりの物言いとマウントに俺は言葉が出ないでいると、南が顔を真っ赤にして大声を上げた。
 
「悪かったな! 友達が少なくて!!」

 南は宵に手を引かれるまま、「じゃあな坂下! お茶ありがたく飲めよ!」と連行されていった。

 宵は最後に一度だけ振り返ると、王者の余裕を感じさせる笑みを俺に残して去っていった。

「……あー、もう。なんだよあいつ」

 手の中にある、まだ冷たいお茶を見つめる。
 どんどん俺の親友が『人間』のカテゴリーから、あの銀色の『所有物』へと書き換えられていく。

(明日からあいつ、タートルネックも導入するんだろうな……)

「南……。お前、今さら『普通』ぶる資格ないって自覚、さっさと持てよ。マジで」

 俺は夕暮れの校門前で、キンキンに冷えたお茶を一口飲み、そのあまりの『幸せの味』に、さらに深い溜息を吐き出した。