「行ってらっしゃい」
背後でおばあちゃんが小さく手を振る。
「人混みすごいから、気をつけるのよ」
「分かってるって。……ほら宵、離れるなよ」
「うん、はなれない」
宵は嬉しそうに頷くと、俺の手を迷わず包み込んだ。
指の間を埋める、宵の少し高い体温。そのまま俺たちは、祭りの喧騒へと足を踏み入れた。
通りに出ると、提灯の柔らかい灯りがどこまでも続いていた。
夜の空気の中に、甘い綿菓子の香りが混ざっている。並んでいる屋台のほとんどが、狐の面を売っていた。おばあちゃんが言っていた通り、祭りに参加する人たちは大人も子供も、当たり前のように狐の面をつけて歩いている。
「すご……」
思わず漏らすと、隣を歩く宵が小さく相槌を打った。
「ひかり、いっぱいね、なおや」
せっかくだからと、俺は宵の分と自分の分の面を買った。
宵はさっそくそれを頭の横に引っ掛けて、こちらを見てくる。
「宵、……それ似合いすぎ」
思わず言葉が詰まった。
紺色の浴衣に、宵の銀髪がよく映える。灯籠の光を受けて透けるような横顔は、夜の闇に溶けてしまいそうなほど綺麗だった。
正直、誰にも見せたくないと思ってしまう。
「顔が良すぎなんだよ。なんかムカつくな」
「なおや、うれしくない?」
「うれしくないって言いたいけど、無理。こっち見るなよ、もう」
そんなことを言いながら視線を逸らすと、遠くから力強い太鼓の音と、澄んだ鈴の音が響いてきた。
どん、どん、どどん。 ――りーん。
一定のリズムに合わせて、人の流れがゆっくりと動き出す。
手に灯籠を携えた人々の行列が、商店街の通りをゆっくりと、進んでいく。
「これが灯籠行列か」
俺は配られた灯籠を見下ろした。和紙越しの小さな火が、ゆらゆらと揺れている。
宵は、俺の持つ灯籠と自分のものを交互に見比べて微笑んだ。
「なおや、おなじひかり。いっしょ」
「はいはい、そうだな」
行列が進み始めると、足元に灯籠の淡い光が広がる。
何百人もの人が歩いているはずなのに、不思議と辺りは静まり返っているように感じた。ただ衣の擦れる音と、単調な太鼓の音だけが、この街を支配しているみたいだ。
宵が、自分の灯籠を少しだけ目の高さまで持ち上げ、じっと見つめながら言った。
「これ、きれい」
「うん、綺麗だな」
そう答えた俺の視線の先には、宵がいた。その横顔を見たとき、胸が締め付けられた。
灯籠の橙色の火が、宵の瞳に映ってゆらゆらと揺れている。
(――なんで、こんなに懐かしい気分になるんだ)
知らない光景のはずなのに、ずっと昔からこうなることを知っていたような、おかしな感覚だ。
行列が急な曲がり角に差し掛かり、人波が詰まった拍子に、宵の身体が俺の背中にぶつかった。
「……っと、大丈夫か?」
振り返ると、顔が近すぎた。
灯りに照らされた宵の琥珀色の瞳が、すぐそこにある。
宵は小さく息を吸い込んで、囁くような声で言った。
「なおや、はなさない」
心臓が、変な鳴り方をして跳ねた。
「……今言うことじゃないでしょ」
「いま、だから」
言い返そうとしたけれど、宵のまっすぐな視線に勝てそうもなく、俺は前を向いた。けれど、繋いだ指の力を緩めることはしなかった。
ふと、通りの突き当たり、川べりのところにひときわ大きな影が立っているのが見えた。灯籠の光を受けて、枝が揺れている。
――あの一本桜だ。
普段はただそこにあるだけの木なのに、今夜のそれは異様な存在感を放っていた。
この桜はずっと、ここに一本だけある。ちょうど今の春の時期に、珍しい白い花を咲かせる。もう少しで開花しそうだ。
宵が足を止め、その木を見つめる。俺もつられて視線を向けると――
(あ、今……)
この夜の闇の中、花なんてまだ咲いていないはずの枝から、白い何かがひらりと舞った気がした。
目を凝らしたが、そこには枝が揺れているだけだ。
……気のせいか。
風が吹き抜け、行列の先から鈴の音がりーん、と鳴った。
「このよる、……まもられてる」
「おばあちゃんも言ってたな。変なものは寄り付かないって」
「ちがう。かえってきた、かんじする」
宵のその一言に、また胸がぎゅっと締め付けられた。
俺は何も言わず、繋がる手の指を絡めた。宵は驚く様子もなく、当然のように握り返してくる。
灯籠の光が、二人分、重なって揺れた。
その瞬間、俺の胸の奥でも、何かが静かに重なった気がした。
昔から、二人でこうして歩いていたような。
手のひらの熱も、火の匂いも、鈴の音も。
知らないはずなのに、俺の魂が、全部『知っている』と叫んでいた。
「なんか……おかしいな、俺」
小さく呟くと、宵が首を傾げる。
「なおや?」
「なんでもない」
俺は、灯籠の柄を少し強く握った。
この光を、もう手放したくないと思ってしまったから。
行列は、深い宵の中へと続いていく。
灯火が、闇に一本の道をつくるように。
――まるで、帰る場所を示すみたいに。

