愛の中に、壁がある。他者を必要以上に踏み込ませない為の、分厚く高い壁だ。それは、自分の為でもあり、他者の為に愛が立てたもの。
そんな分厚い壁を通り抜けて、多々羅はいつも軽々と愛の手を掴んでしまう。
愛は不意に思い出す。小さな手が懸命にその手を掴み、優しい声が、以前、似たような事を言っていた事を。
ぎゅっと握った拳が、拠り所を探している。
胸の奥が知らず内に熱くて、愛は誤魔化すように口を開いた。
「…怪我したら、駄目だろ」
「助け合うのが友達じゃないですか。俺は、あなたの助手ですしね」
多々羅が笑えば、愛はきょとんとして顔を上げて、それから、力が抜けた様に笑った。
懐かしい小さな手が、今、愛を掴むこの手と重なる。
いつもこの手が、閉じこもった世界から連れ出してくれた。
楽しい事も、怖い事も、嬉しい事も、辛い事も。この手は、自分も普通の人なんだと思わせてくれる。恐怖に捕らわれるなと、勇気をくれる。
何も変わらないんだな、この手は。
そんな事、本人には言えないから、愛はなるたけ毅然を装い、不安を呑み込んだ。
「…分かった。ただ、今日みたいに倒れるような事があったら、もう」
「分かりました。これ以上負担にはなりませんから!」
多々羅は、笑顔で頷いた。食いぎみに頷いたその笑顔には、多々羅の決意が込められている。
危ない仕事かもしれない事も、愛の気持ちも、愛の瞳の事も、多々羅にはまだ分からない事だらけだ。けど、だからと言って、愛を一人にする理由にはならない。
愛の過去に何があったか分からないが、多々羅がそれで態度を変える必要はない。多々羅から見れば、傷跡のような瞳も綺麗だと思える。愛が恐ろしい存在だというなら、愛は怖くないという事を、多々羅は伝えられる筈だ。分かってもらえるまで、何度だって。
多々羅は、今の愛が、誰よりも誇れる物を持っている事を知っている。
多々羅は気合いを入れ直し、愛の手を引いた。
「じゃあ、早速ノカゼさん達に挨拶しにいかないと!」
「え?」
「倒れたから、心配してるかもしれないし」
「なら、俺から伝えとくから、お前は寝てろ」
「もう平気ですから、早く早く!」
多々羅がぐいぐいと手を引くので、愛はされるがままだ。焦りながらも多々羅の背中を見上げれば、ふと、いつかの坂道が過った。坂道を駆け下りる小さな背中、振り返って、躊躇う愛の手を掴むと、多々羅はいつだって、軽々と愛の作った壁を飛び越え、新しい世界へ連れて行ってしまう。
今も、そうなのだろうか。
過去と揺らがず重なる手に、愛は少しだけ鼻の奥が痛んで、胸の奥が温かくて。
愛は、唇を噛みしめて、多々羅の後を追いかけた。



