瀬々市、宵ノ三番地




多々羅(たたら)が新生活の為に持って来た荷物は、スーツケースとスポーツバッグが一つずつ。特別趣味もないので、服や日用品ばかりだ。彩のように、誰かに頼んでまで探して欲しいと思うような、大事な物も持ち合わせていない。物をぞんざいに扱う事はしないが、思い入れもない。こんな人間だから、物の化身を見る事も、化身に思われる事もないんだろうな、そう思えば、思い出に残る物の一つくらい見つけておけば良かったと後悔した。
それをした所で、愛のような物の化身が見える目を持てるかは分からないが、そもそもの資格がないように思えて、ちょっとへこんでしまう。

「いや!それだけが、この仕事の価値じゃないし!」

見えなくても、この店の為に、愛の為に出来る事はある筈だと、多々羅は無理矢理気持ちを切り替えた。それから「明日は…」と呟き、明日の予定を頭に思い浮かべる。明日は六時に起きて、朝ご飯を作って、洗濯や掃除をして。
そこで、多々羅は大きく溜め息を吐き、ベッドに寝転んだ。

「…俺、何か役に立てんのかな…」

どんなに気持ちを上向けようと、現状を見れば、気持ちは再び下降していく。
今日だって、愛が道に迷わないよう着いて行っただけだ。しまいには邪魔だったのか、調査の間スケートをさせられていた。

「おまけに仕事内容もちゃんと教えてくれないしな…」

物の化身が見えないから、戦力にならないから、多々羅は何の役にも立たない。もし、愛がそう思っているなら。

「…いや、家事だって仕事の内だし、うん」

だけど、やはり落ち込んでしまう。結子(ゆいこ)に「任せて」なんて言ったが、愛に信頼されていなければ、まさか家族の溝なんて、多々羅が埋められる筈がない。結子にも、そして正一(しょういち)にも期待に応えられず、がっかりされるだろう。

「…俺、嫌われてんのかな」

そして行き着いた答えに、多々羅は「いやいや…」と否定しつつも、その可能性は十分にあるのではないかと、再び落ち込んだ。こっちは切り札として、愛が嫌がる写真を持っている訳だし、嫌われない要素はないんじゃないか。そう考えれば、重い溜め息しか出なかった。

「…水でも貰おうかな」

多々羅はしょんぼり肩を落としながらキッチンへ向かった。
愛はもう眠ってしまったのだろうか、隣の部屋は静かで、多々羅は足音で起こしてしまわないように、そっと廊下を進む。だが、古い建物のせいか、どう歩いても床が軋む。瀬々市の財力でどうにかならないのだろうか、因みに壁も薄い。

瀬々市邸とは違い、少し歩いただけでリビングに着いてしまう。多々羅がキッチンに立ち、水切りに伏せていたコップを手にした時、カタン、カタン、と何かが倒れるような音が遠くで聞こえた。多々羅はコップを置いて振り返る。一度部屋を見渡したが、その視線はすぐに階段へと向かった。今の音は、階下から聞こえた気がする。店内の棚の商品でも倒れたのだろうか、そう思い、多々羅はひとり暗がりへと向かった。



階下へ下り、店内の電気をつけて、迷路のような棚を見て回る。店内は、棚の並びも棚の上の物達も雑に見えるが、床に物を置く事はなかった。なので、物が床に落ちていたり倒れていたら分かると思うのだが、そんな様子は見られなかった。

「…気のせいか?」

もしかしたら、家の外から聞こえたのかもしれない。そう思い直し、多々羅が二階へ戻ろうとすると、突然、点けた筈の電気が消えた。

「…え、停電?」

多々羅は驚きつつ、手探りで棚を伝い入り口へ向かった。店にはシャッターは無いので、外の様子はショーウインドウを覗けばすぐに分かる。周囲の建物には明かりがついており、ショーウィンドウの側は、ほんのりとそれらの明かりが差し込んでいた。
停電じゃないとしたら、ブレーカーでも落ちたのだろうか。そう思い、ブレーカーはどこにあっただろうかと考えつつ店の奥に戻れば、その途中、足に何かが引っ掛かり躓いてしまった。

「おっと、」

何だ、と足元を見るが、暗くてよく見えない。さっき店の中を見た時は、何もなかった筈だが。多々羅は首を捻ったが、とりあえず今はブレーカーが先だと、そのまま足をどかして先に進もうとする。しかし、今度はどういう訳か足が動かない。それどころか、足に何かがしがみついているような気がする。

「え、何で、どういう事…」

理解し難い事態に、突如として恐怖が背筋を駆け抜けた。多々羅は、見えない何かをどかそうと足元に手を伸ばす。屈んだ瞬間、今度は背中に、はっきりとした手の感触がした。

「え、」

驚くと同時にゾッとして、次いでその手が多々羅の体を思い切り押すので、多々羅は棚に体をぶつけながら派手に転んでしまった。

「いって、」

そう顔を上げて、多々羅は目を見開いた。ぶつかった棚が、グラッと大きく揺れ、自分の真上に傾いていたからだ。

「嘘だろ…!」

棚の下敷きにされる、そう思い、多々羅は咄嗟に頭を庇った。