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実を言うと、多々羅は正一と再会したあの日、瀬々市邸からの帰り道で、愛の義姉、結子と再会していた。
瀬々市邸は高台にあるので、住宅が建ち並ぶ帰り道は、いつも下り坂だ。子供の頃の多々羅は、この坂を上る時はいつだって楽しかった、だって愛達と会えるから。だけど下る時は、いつも少しだけ寂しい。明日まで愛達とは会えないし、小学生も高学年になると、弟の穂守との格差をより感じる事が多くなり、家に帰る事が憂鬱になっていた。
多々羅は、坂から顔を上げる。夕暮れが空を町を染め、多々羅が向かう明日を優しく包んでくれているように感じる。
あの頃とは、また違う感覚だ。この坂道の下りが、今は少しだけ希望に満ちていた。
そんな風に少しだけ前向きになれた夕暮れの帰り道、坂の下から、一人の女性が歩いてきた。
栗色の長い髪を後ろに結い、シルエットが綺麗なパンツスタイルのスーツ、手には鞄と一緒に有名なドーナツ屋の紙袋を持っている。
その姿を見て、多々羅は足を止めた。それに合わせるように、彼女も顔を上げる。二人の目が合えば、多々羅の中で、思い出と現実が瞬時に繋がっていく。そして、懐かしさに突き動かされるまま口を開けば、彼女も多々羅と同じ顔をして、「あ!」と声を上げた。
「たーちゃん!?」
「はは、結ちゃんだよね?」
お互い確かめるまでもなく、懐かしさに頬を緩めつつ、二人は互いに駆け寄った。
彼女は、愛の義姉の結子、二十八歳。幼い頃から美少女で大変愛らしかったが、大人になっても美しさは変わらず、それに加え色っぽくなった。背もスラリと伸び髪色も変わったが、面影はそのまま、優しく笑うその表情は変わらない。
「どうしたの?久しぶりだね!元気にしてた?」
「うん、結ちゃんは?」
「私も元気元気!ちょっと実家に顔出そうと思って、あ、うち寄って行ってよ!」
「あ、いや、正一さんに会って、今お邪魔してきた所なんだ」
「えーそうなの?おじいちゃんに先越されちゃったか…あ、ねぇ、まだ時間ある?」
多々羅が頷くと、結子は笑って「じゃあ、ちょっと寄り道に付き合ってくれる?」と、ドーナツの袋を掲げて微笑んだ。
坂の下には小さな公園がある、多々羅もよく遊びに来ていた公園だ。あの頃は広いと感じていた公園も、今見てみれば、こんなに小さい公園だっただろうかと、多々羅は時の流れを感じずにはいられなかった。滑り台もブランコも、ちょっとしたアスレチックも、記憶にあるより小さくて。鬼ごっこをするのにも最適に感じられた広い敷地も、大人になった多々羅には、顔を少し左右に向けただけで、その敷地が視界に収まってしまう。子供の頃は、端から端まで見えなかったのに。きっと今なら、端から端まで走っても、あっという間に着いてしまうだろう。
「よく、愛ちゃんと来てたな…」
「あの頃は、いつも一緒に遊んでたよね。愛ちゃん、家に帰ってからも、よく多々羅君のこと話してたんだよ」
「そうなの?」
結子の話に、多々羅は胸が温かくなっていくのを感じる。公園には、近所の子供達が、わーきゃあ言いながら駆け回っている。その姿にいつかの自分と愛を思い浮かべ、多々羅は自然と頬を緩めた。
懐かしさに浸っていると、結子がベンチを指差し手招いた。公園には池があり、それほど大きくはないが、池の上には橋がかかり、そこから池の中を覗く事も出来る。昔は鯉や亀や蛙がいたが、今も生き物はいるだろうか。
結子が手招いたのは、池の周囲に設置されたベンチだ。日向ぼっこには最適の場所で、いつも誰かしら腰かけていたイメージがあったが、今日は空いているようだ。
二人で池を前にベンチに腰掛けると、結子は手にしていた袋から、ドーナツを取り出し多々羅に手渡した。多々羅がそれを受け取りながら、瀬々市邸で春子特製のアップルパイをいただいた事を伝えると、結子は困ったように笑った。
「アップルパイか~、たーちゃんに会えて良かった。これ持って帰ったら、またおじいちゃんに甘い物食べさせるところだったよ」
「はは、甘い物控えろって言われてるみたいだね」
「そうなの!でも、おじいちゃん根っからの甘い物好きだからさ。普段我慢してる分、私がたまに帰って来た時には、お土産買っていってあげようって思って買ってきたんだけど」
「ダメね」と、結子は笑って肩を竦めた。
「でも、いいの?俺が食べちゃって…正一さん楽しみにしてたんじゃない?」
毎回手土産に甘いものを持っていってるなら、このドーナツを食べてしまったら、正一は残念に思うのでは。そう思い、口にするのを躊躇う多々羅に、結子は軽やかに笑って手を振った。
「良いの良いの。今日はもうアップルパイ食べてるし、それ以上は食べすぎになっちゃうもん。家に持って帰るとばれちゃうし。春ちゃんとこっそり食べても、僕の分はないのかって、見抜かれちゃうんだよ?だから、多々羅君に会えて助かった!食べて食べて!」
春ちゃんとは、春子の事だろう。それにしても、甘いものに対する正一の嗅覚は、なかなかのもののようだ。多々羅はそんな正一の姿を思い浮かべて苦笑い、「ご馳走さまです」と、有り難くいただくことにした。



