「実はねぇ、僕がやってた店あるでしょ」
「はい、探し物屋さんでしたっけ?」
「そうそう」
リビングに通されると、豪華な家具や広々とした部屋に改めて圧倒されながら、多々羅はソファーに腰かけた。ふかふかで、手触りも良い。こんなに良いソファーだったのかと驚くと同時に、このソファーの上でジャンプして遊び回っていた度に、大人達が顔を青くしていた理由も今ならよく分かる、当時を思い出した多々羅は、自分でも血の気が引く思いだった。
実家で、こんな上質なソファーの上で跳び跳ねようものなら、げんこつものだ。それ以外にも、豪華な壺やら置物やらが並ぶこのリビングで、鬼ごっこや隠れんぼをした記憶もある。それでも、青い顔を浮かべるのは瀬々市家以外の大人達ばかり。正一も愛達の両親も、よく怒らなかったなと、今頃その懐の深さを感じていた。
「それでね」という正一の声に、多々羅ははっとして顔を上げた。向かいに座る正一は、まだどこか困ったような苦笑いを浮かべていた。
「今はその店を愛に任せているんだよ。一応、店長代理としてるけど、今回の旅で帰って来たら、正式に受け継いで貰うつもりでね。だから、愛は今、一人暮らしをしてるんだ」
「え…」
愛が店を受け継ぐ事よりも、最後の一言に、多々羅は信じられず固まった。
そこへ、春子がトレイにカップとケーキを乗せてやって来た。眉を寄せて固まっている多々羅を見ると、春子はおかしそうに笑った。
「ふふふ、愛さんを知る人は、皆同じ反応をしますね」
笑いながら、春子は、湯気の立つコーヒーのカップと、香ばしく甘い香りで食欲を誘うアップルパイを差し出した。
「今日は大旦那様のリクエストで、アップルパイを焼いていてね、焼いておいて良かったわ」
「僕のおかげだね!」
「調子の良いことをおっしゃって。本当は、あんまり甘い物食べちゃいけないのよ?今日は皆さん居ないからって」
「幾つになっても、困った大旦那様でしょ」と、春子は仕方なさそうに多々羅に笑って言えば、「たまには好きな物食べたって良いじゃないか!」と、どこか拗ねたように正一が言う。ここでも変わらない二人のやり取りに、多々羅は笑ってしまった。
「と、まあ、そういう訳でね。愛は、僕が居る内に一人での仕事に慣れたいからって、今は店の二階で一人で暮らしてるんだ」
「あの、一人で大丈夫なんですか?仕事より、家事とか出来るんですか?」
多々羅の記憶に残る愛は、方向音痴に加えて典型的なお坊ちゃんというイメージだ。賢いし、偉ぶったりはしないが、世の中の事をよく知らないという印象がある。思い返せば、多々羅はあの頃からよく愛の世話を焼いていた。
多々羅の疑問は容易に想像出来たのだろう、正一は困り顔で笑った。
「まぁ、出来る訳ないよね。そのくせ、誰の手も借りたがらないんだ。スーパーに行っても買い物が出来るのか、そもそも帰って来れるのか…」
「それ、問題だらけじゃないですか」
「だからね、近所のお嬢さんに助けて貰ってるんだけど、あんまりウマが合わないみたいで…というよりも、愛が素直に頼らないから上手くいかないんだけどねぇ」
やれやれといった様子で、正一はコーヒーをすすり、その味わいに目を輝かせると、春子を振り返って、グーサインを出した。すると、春子も笑顔でグーサインでお返しをする。美味しいと起こるやり取りのようだ。
「それにね、ほら、多々羅君も知っての通り、あの店の仕事は普通じゃないし、もしまた一人で倒れたりしたら、あの子は誰にも助けて貰えないんじゃないかって」
「え、」
「だからね、店の仕事や家事をやってくれる子を探してるんだけど…ほら、誰にでも頼める事じゃないだろ?愛の事情を知ってる人で、信頼のおける人間じゃなきゃ。僕は研究の旅があるしねぇ…」
そう言いいながら、正一は何気なくを装い、多々羅をチラリと見上げる。その視線に込められた意図がありありと分かり、多々羅は瞳を彷徨わせた。
正一がこんな話をするのは、多々羅に店を手伝ってほしいからだ。多々羅は暫く会っていないとはいえ、愛の瞳の秘密を知っているし、正一が特殊な探し物屋をやっていることを知っている。多々羅は、それを今まで誰かに言いふらすこともしなかった。正一にとって多々羅は、愛を安心して任せられる存在なのかもしれない。
信頼されているのだろうか、そう思えば嬉しくなるが、それと同時に、正一には今の自分の状況が見抜かれているのではとも感じられ、多々羅は少し不安になった。
正一は、こんな自分をどう思っただろう、ただ楽な方へ逃げたいだけの臆病な人間だと思っているだろうか。正一がこんな事で人を見下す人間ではないと分かっていても、多々羅にとって正一はやはりヒーローで、不甲斐ない自分を見せて失望される事が怖かった。
「だから、どうだろう多々羅君。愛を助けてやってくれないだろうか?勿論、君にも仕事や生活があるのは分かっている、住み込みが無理なら、週に何度か通いでも良いんだ、何ならたまに様子を見てくれるだけでも良い。ちゃんと給料は払うよ、僕は結構お金持ちだしね、店の経営が難航しても、多々羅君の生活だけは保証する」
正一の熱心な言葉に、多々羅は戸惑いながら、俯けていた顔を上げた。



