部屋に入り、持って来た荷物を床に置く。トランクと旅行鞄が一つ。どれだけの物が必要になるか分からないが、なるべく物を取りに帰らないようにと、持って来れる範囲の物を選んで持ってきた。今は夏なので、服は薄い生地の物ばかり、かさばらないので助かった。
がらんとした六畳の部屋、まだテーブルもカーテンもないそこに、ギターを立て掛けた。
「よろしくお願いします」
なずなは、部屋に向かって頭を下げた。
誰かが使う日の為にと、毎日掃除していたが、まさか自分が使う事になるとは思わなかった。
部屋の窓を覗けば、そこからアパートの入り口と庭が見える。庭も草むしりの効果か、大分キレイになった。鬱蒼とした茂みがないだけで、見え方は随分変わるものだ。
聞けば、予備の布団があったので、借りる事にした。ただ、長年押し入れに眠っていたらしく、春風に手伝ってもらい、出掛ける前に干しておいたのだ。昨日、ハクの部屋に寝るよう勧められたのは、こういう理由もあったからだろう。
後は、カーテンがあれば、まあどうにかなるだろう。
「いつまで居るか分からないし…」
呟いて、思わず考え込む。新しい生活が始まるみたいで、ちょっとワクワクしているのも本音だが、いつまでこの生活が続く事になるのか、その不安があるのも確かだった。このアパートで暮らすのは、なずなが火の玉のあやかしに狙われたからだ。アパートの皆にとっても予想外の事だったろうし、何より、一人ではあまり出歩くなという話だ、それでは、いつまでも皆に迷惑をかける事になる。
「…考えても仕方ない!お仕事お仕事!」
先ずは、決められた家事をこなし、課せられたミッションを達成する事。このままいつまでも守られてばかりはいられない、新しい生活の一歩として、また、皆の為に自分が出来る事をしようと、なずなは決意を新たにした。
このアパートの住人が、二度と妙な噂をたてられないようにすること。
それには、人間の自分がアパートに居るだけでは、通いの頃の延長でしかなく、きっと押しが弱い、ここは、ご近所に溶け込む大作戦を決行するのだと。
そうと決まれば、このアパートに関する調査が必要だ。
なずなは割りと近所に暮らしていながら、このアパートの存在を知らなかった。駅やスーパーは、なずなの住んでいたアパートの方が近く、メゾン・ド・モナコに行くには、なずなの家を通り越さないといけなかったからだ。
果たしてご近所さんに、どんな目でこのアパートが見られているのか、評判がそれほど悪くないなら、あやかし達の勝手な言いがかりである。それなら、あやかし達に文句の一つでも言ってやる。なずなは、そう意気込んでいた。
足は痛むが、思い立ったら吉日。早速、調査も兼ね、買い物に行こうとしたのだが、買い物はフウカがして来てくれるそうだと、マリンに言われてしまった。申し訳なさと有難さに感謝しつつも、なずなは早速目的を失ってしまった。
仕方ないので、代わりに表でも掃いてこようと、足を引きずりながらもサンダルを借りてアパートを出ると、生け垣の側で、こそこそと話し声が聞こえてくる。不思議に思い、アパートの敷地を出て声がした方へ回ると、生け垣を覗く小学生の男の子が三人いた。彼らはなずなに気づくと、「うわ」と声を出し、「お化けだー!」「モナコのお化けだ!」と、騒ぎながら駆けていく。
その様を呆気に取られて見つめていると、その中の一人が、おずおずとなずなに歩み寄ってきた。
「…あの、」
「は、はい、なんですか?」
利発そうな顔をした男の子だ。年齢は、ハクの見た目と同じ位だろうか。黒いランドセルには、白い犬のキーホルダーが揺れていた。
だが、「何やってんだよ!早く逃げるぞ!」と、すぐさま一緒にいた友達の声が飛んできて、少年は迷いながらも、そのまま踵を返してしまった。
「…なんだろう…っていうか…お化け?」
なずなは思わず、アパートを振り返り仰ぎ見た。庭の草むしりは良いペースで進んでいるし、もう庭が鬱蒼とは見えない。だが、建物の壁は崩れているし、傍目から見れば、確かにお化けが出そうなアパートであり、そう呼びたくなるのも頷けた。
「それも、人と距離置いてるせいかな…」
人と極力接点を設けず、それにこの間まで、庭は草が伸び放題だった。ハクはお花見をしないと言っていたし、だからという訳じゃないが、このアパートからはひと気を感じさせなかったのかもしれない。アパートの住人達は、それぞれ何か抱えているようだし、人目からも隠れるよう、極力気配を消すように過ごしていたのかもしれない。
これは、早いところどうにかしなくては。
「モナコのお化けか…」
そういえば、モナコというアパートの名前に、意味はあるのだろうか。
何となくアーチに目をやると、脇にある赤いポストに、チラシが入っているのを見つけた。
チラシには、町のイベントに関するお知らせが書かれていた。色んな店舗や家にスタンプを置いて、集めたスタンプの数によって、貰える商品が決まるという。そのスタンプラリーを開催する為、スタンプを置く側の店や個人宅の協力を募っていた。
なずなは、この町に来て暫らく経つが、町内の催しに参加した事はなかった。
「…町内イベントか」
チラシの裏には、申し込み用紙がある。
これは、何やら明るい兆しが見えてきたぞと、なずなはびっこを引きながら、いそいそとアパートの中へ戻って行った。



