メゾン・ド・モナコ



「ダメよ、ギンちゃん。そうやって自分から線を引こうとするんだから」

穏やかな声に、なずなは恐る恐る目を開けた。そして、ぎょっとする。振りかざされた拳は、あろう事かマリンの肩にめり込んでいた。

「ひ、」

悲鳴がなずなの体の中を駆け抜けたが、声は出るその寸前で止まってしまった。

マリンの様子を見れば、痛がる素振りもなければ、その体に血が流れる様子もない。逆に、拳を振りかざしたギンジの方が、焦りを滲ませていた。

「…え、」

更に、マリンの体からは、まるで湧水のように水が溢れ出しており、肩にめり込んだギンジの腕を、その水が伝っていくのが分かった。その水は徐々にマリンの体からギンジの体へと流れ移り、なずなの前に居た筈のマリンは、気づけばギンジの肩に腕を回す形で、彼の背後に立っていた。

「それに、女の子に手を上げるなんて、もっての他よ」

マリンの体から発生した水は、更にギンジの体を這い上がり、ギンジの大きな口を塞いでしまう。

「どんな拳も私には効かないわ、私は水だから。このままあなたの息を止める事も出来るのよ」

囁き声は怪しく妖艶で、ギンジを見上げる瞳は鋭い、標的になっていないなずなまで身震いを起こした。彼女に服従しなくてはと、言い表せない圧が強い力を持って、なずなの体にまで降り注ぐみたいだった。
水で覆われたギンジの口からは、空気の泡が零れ出ている、このまま水に覆われ続けたら、ギンジは窒息してしまう。

「マ、マリンさん!」

焦るフウカの声に、マリンは肩を竦めて微笑むと、ギンジの口や体に這わせた水が、マリンの体へと戻っていく。ギンジは膝をつきさえしないが、大きく息を吸って咳き込んだ。

「私があなた達に手を掛ける事はないわ、ギンちゃんが身を引いてくれるならね。それに、人に手を上げたりしたら、あなた強制送還になるわよ」
「…分かった、悪かったよ」

ギンジにしてみれば、首にナイフを突き付けられているようなものだろう。大人しく身を引いたギンジは、人の姿へと戻っていく。満足したマリンは、ニコニコとギンジの肩に手を乗せているが、ギンジの顔は引きつったままだ。
その様子に、扇子を広げかけた春風もほっとした様子で、なずなへと目を向けた。

「という訳で、お嬢さん」

春風と目を合わせたのが、なずなが気力を保っていられる限界だった。

「お嬢さん!?」

なずなは、その場で気を失った。