水族館であいましょう


 天気:雨/風速:10m/s
 場所:キョートフ.エリア4.診療所

 :佐野涼太
 ――

 あれから定期的に診療所に通うことになり、早いものでもう梅雨の時期に突入した。
 屋根に雨粒が弾け飛ぶ音が、絶えず室内に降り注いでいる。

 そんな診療所の一室。
 佐野は目の前の楠見をじっと見下ろしていた。

 楠見の手には、佐野が城戸に話した内容を記録したカセットテープが握られている。耳につけたイヤホンのコードが、ちいさな長方形の機械に繋がっている。
 机の上にはカルテが散らばっており、何をしていたのかは一目瞭然だった。

「なにしてんだ……お前 」

「……調べてた 」

「俺のことをか 」

「うん、そう 」

 テープの再生を止め、イヤホンを外した楠見の肩を容赦なく掴む。

 嫌な記憶が蓋を開け、濁流のように溢れ出してくる。酷く痛む頭を、歯を食いしばって誤魔化した。

「なんの為にだ?なあ?お前はまた……!」

「裏切ってない 」

 裏切る相手もいない、と楠見は淡々と続ける。
 ぽちゃん、とどこかで水が跳ねる音がした。
 時間が止まったような感覚に突き落とされ、佐野は一瞬、呼吸すらも忘れた。心臓も動きを止めたような、そんな錯覚をする。

「お前……覚えてるのか?」

「……多分 」

 細い指先がスツールを指し、佐野は大人しく腰を下ろした。

 楠見は多分、と言った。
 自分の記憶に自信がないのか、それとも佐野を――原田左之助のことを警戒しているのか……。

 どっちにしろ、佐野は目の前の少年と話をすべきだと判断した。

「で、覚えてるんだな?楠小十郎のこと 」

「……断言、できない 」

「それは曖昧だからか?非現実的だからか?」

「都合、よすぎる 」

 散らばっていたカルテの一枚をペラリと佐野にも見えるようにテーブルに広げる。それは先日、佐野が城戸に答えたカウンセリングという名の情報提供の記述だった。
 次にスマートフォンを手繰り寄せ、楠見はカルテの隣に置く。画面には、歴史人物のエピソードを紹介するサイトが映し出されていた。

「あとは……話の内容、全部ネット、載ってるから 」

「……?そりゃあ載ってんだろ 」

 なにが不自然なのかと問いただすと、楠見はふるふると首を振る。

「それ以外、話してない 」

「は?」

「思い出話、全部ネットで知れるものだけ、なんて変 」

 静まり返った部屋に、雨音が響く。
 背筋に冷たい汗が流れ、佐野は指先でカルテとスマートフォンを掴み、内容を見比べる。
 比べる度に心臓が速くなり、まさかと他の記録も見比べた。
 
 楠見の言う通りだった。
 サイトに書かれてあることと同じ内容のみ語られ、それ以外は一言も話していない。どの日も同じ。
 つまり佐野は、何度も何度も同じ話を繰り返し話していたのだ。
 加えて、今までの話も一切していない。関連して出てくる話は、どれもこれも古書店で働き始めた四月からのことだけで、この街に来る前のことも、幼少期の話も、話していない。

 そもそも、四月以前の記憶が酷く曖昧で、これといったエピソードがなにもないのだ。
 高校を卒業し、大学に通うためにこの街に来て、卒業して、たまたま親しくなった古書店の店主に雇ってもらって……と大まかなことはわかるのに、細々としたこと、日々のなんて事ないエピソードがまるですっぽり抜け落ちたように思い出せない。

 最初からなにもなかったように……
 
 途端に襲ってきた吐き気を堪えるように、口元に手を当てる。
 気持ち悪い。
 身体中の血が一気に引いていく。寒気がして、首筋をゾワゾワと嫌な感覚が駆け抜けた。

「……こんな、こと」
 
「ね?覚えてる、なんて言えない 」

「そう、だな……」

 深く深く息を吐き、務めて冷静であろうとするが、なかなか上手くいかない。指先が震え、落とさないようにスマートフォンをテーブルに置き直した。

「……佐野さん 」

「……どうした 」

 真面目な、どこか真剣な、慎重に言葉を選んでいるように、楠見は佐野を見つめる。
 一度小さく深呼吸をして、重大な決断を下すように、丁寧に口を開いた。

「水族館、行こ 」

「…………は?」

△▼
 
 天気:雨/風速:10m/s
 場所:キョートフ.エリア6.廃墟

 :佐野涼太
 ――

 大量の資料がある廃墟のことを、楠見はどうやら水族館と呼んでいるらしい。
 なるほど確かに、その施設は水族館と言っても納得できる。そんな廃墟だった。

 外から見ると、真っ白で大きな謎の立方体をいくつか組み合わせたような歪な建物だったが、中は思ったより広く、鼻先に水族館特有のにおいが掠めた。
 入口からも見える位置に、水槽がある。奥にはもっと大きな水槽があるのだと、楠見は言う。

「……本当にここにあんのか?」
 
「うん 」

 佐野の言葉に頷く楠見は、どこか楽しそうな空気を醸しながら先へ進む。城戸が楠見はイタズラ好きだと言っていたが、佐野にはどちからというと好奇心旺盛な少年のように見えた。

「探検、ごー 」

「んな気楽な……」

 ぱたぱたと歩く楠見を追いかけ、佐野も施設の奥へと足を進める。
 
 廃墟らしく無機質で、人気がない。
 それなのに神経質なほどに清潔感があるこの場所は、水族館というよりも研究施設のような不気味さを醸し出していた。
 水槽の中には水が張られ……――

 ――水生生物と思わしき生命体が、悠々と揺蕩っていた。

「……は 」

 息が詰まる。
 それは、それらはどう考えても地球上の生き物ではない。

 佐野のことなど、オキアミのように飲み込んでしまえそうな巨大魚では飽き足らず、まるでAIがつぎはぎにして作り上げたような奇妙な生物。
 太古の海に生きていたとされる生物や、そもそも生きているのかすらも疑いたくなるようなものまで……

 それらは当たり前のように、当然のように、水槽の中で飼育されていた。

「くす、み……楠見、こいつらッ 」

「綺麗、でしょ?」

 振り向いて微笑みながら、楠見は泳ぐように水槽の間を歩く。佐野の感情などお構いなしに、水面の光が反射する通路を進んでいく。
 
 綺麗。コレが、綺麗?
 正気を疑うが、促されるまま、改めてしっかりと水槽の中を見る。
 確かに陽の光を反射した鱗は虹色にキラキラと瞬いているし、ひらひらと水の中を揺蕩う鰭は透き通っていて、幻想的にも見える。

「……透き通ってんな 」

「大人しい 」

「でも見るからに危ねぇだろ、こいつら 」

「この施設は安全、だと思う 」

「…………本気で言ってんのか?」

「先生、ここ調べてた 」

「……だから安全ってか 」

 佐野の言葉に頷く楠見に、酷い頭痛がのしかかる。城戸の言っていた、楠見の"欠陥"はこれのことだったらしい。

△▼

 楠見には、精神的に大きな欠陥がある。

 そう告げた城戸は、どこか悲しそうな顔を浮かべながら、言葉を続けた。まだ楠見と出会って、一ヶ月も経っていない頃の話だ。
 どこか歪で違和感のあった楠見の性格は、自分自身の心が壊れない為に行われている防衛本能によるものだ。と言い放たれた残酷な説明を、佐野はどう受け止めていいのかわからなかった。
 
「……周囲の人間に酷い扱いを受けた者の中には、恐怖の対象に対して愛想良く振る舞い、相手に取り入って身を守るという行動を取る者がいるんだ 」

 心を守るために「なにも考えず、なにも疑わずにいれば、なにも裏切らなくてすむ」という思考を無意識レベルで自身に強制している。
 たどたどしい話し方も、取ってつけたような敬語も、全て少し生きるのが下手な壊れた子どもでいれば、面倒くさがって離れるか、庇護欲が刺激され、自分が傷つけられる確率は減る。
 少なくとも、楠見の脳ではそういった答えが出されている。

「そうすれば、あの子の人懐っこさも、妙な警戒心のなさも、全て合点がいくのだよ 」

 ――それにしても珍しいね、あの子があんなにすぐ人に懐くなんて ――

 出会った日、城戸がこぼした言葉の意味が、重くのしかかる。
 楠見が人に懐くのは珍しい。そして懐くのは恐怖の対象から自分自身を守るため。
 
 ……なぜ佐野にすぐに懐いたのかの意味だなんて、もはや考えるまでもない。
 
 たとえ記憶がなくても、それが偽物だったとしても、今でも楠小十郎は原田左之助を怖がっている。

△▼
 
 さて、楠見にとってここは安全な場所、ということになっている。
 そしてここには、城戸が探索に足を運ぶだけのなにかがあり、おそらくはそれを楠見に見つけることを許している。
 
 なら、楠見はここの探索を止めないだろう。少なくとも、楠見本人が納得するまでは。
 なら、佐野が取る行動はひとつだけ。

 楠見の探索に付き合いつつ、安全にここから帰らせる。

 一瞬、なぜそこまでするのか、自分自身が気味悪く感じたが、その理由はすぐに見つかった。
 楠見を守ることができれば、いや、この先にあるなにかを知ることができれば、自分が抱える正体不明の罪悪感や嫌悪感を払拭できるのでないか。それは、大きな動機であり、今の佐野にとっては酷く重要なことだった。
 目に見えて不気味で、不穏で、なにかしらが潜んでいるだろう場所。

不安定で不確かな部分を明確にできるのなら、調べてみる価値はある。
 それに、楠見の付き添うという体なら、城戸もなにも言わないだろうと踏んだ。楠見にはわるいが、佐野は彼をおおいに活用させてもらう事にした。

 なにより、罪悪感や自己嫌悪の原因でもある楠の記憶を持っているらしい楠見を、ひとりで置いていくことは出来なかった。

 
 微かに良心が痛むが、気が付かないふりを決め込み、異世界の入口のようにぽっかりと口を開けた水族館へと、一歩踏み込んだ。