水族館であいましょう




 20⬛︎⬛︎/5/5.
 天気:晴れ/風速:5m/s
 場所:キョートフ.エリア4.路地

 :佐野涼太
 ――

 楠の事を思い出してからも、佐野の日常は変わらない。仕事は当たり前のようにあるし、人々の暮らしは回るし、作業用ロボットだって忙しなく動き回っている。

 佐野の住む街は大雑把に分けて6つのエリアで構成されている。人口は約三千人弱で、特別大きな街ではない。
 寄り道をせずにひたすら歩けば、一日で外周をぐるっと一周できる……かも?くらいの大きさである。

 エリア1は病院や役場等があるこの街のメインストリート。エリア2は飲食店がずらりと並び、エリア3は学生寮と学校が建ち並び、エリア4は娯楽施設なんかが多く店を構えている。エリア5は工業地帯。
 エリア6は……正直よくわからない、謎めいた場所だ。

 佐野の主な生活圏内はエリア1からエリア4。基本、家と職場の古書店を行き来して暮らしていた。
 

 今日、エリア4に赴いている理由は、単純に夢のことを少しでも薄くしたいからだった。特になにかするでもなく、賑やかな喧騒に身を任せていた。

 なにかで気を逸らしていないと、すぐに柔らかい笑顔と、絶望に染まって涙を流す楠の姿が脳裏に浮かんで、喉元を掻きむしりたくなるような、言いようもない衝動に駆られてしまう。
 

 そんな今の自分に、吐き気がするほどうんざりしていた。150年も前のことを、うじうじと悩んで悔やんで、一人前に被害者面をする自分自身が気持ち悪かった。
 そもそも後悔するようなことはなにもない。

 勝ち気な精神が、業を煮やして弱い心を嫌悪する。それでも、罪悪感が薄れることはなく、ただ日々をやり過ごす方法だけが豊富になっていた。




 5月の連休ということもあって、人が多い。さすがに少し人酔したらしく、軽く目眩のようなものがした。アイスコーヒーを手に立ち上がり、少し人の少ない道を歩く。
 
 個人経営の店が多い、表通りの裏。

 垢抜けた流行りや王道的な煌びやかさはないが、個人の趣味や好みがよく分かる店構えや、どことなくひっそりとした洒落た雰囲気と、独特な錆び付いたような空気感が、佐野はなんだか好きだった。

 道をゆく作業用ロボットも、なんとなく寂しげに見える路地をぼんやりと歩く。さほど距離は離れていないのに、遠くから聞こえるように感じる表通りの喧騒が心地よかった。


 だから、それはあまりに突然だった。



 静かな喧騒を殺すように、耳障りな機械音が上から降ってきた。
 すぐ後ろ。店ふたつ分の距離に、中型の無人作業用ロボットが着地した。



 どれだけ点検しても、どれだけ気をつけていても、事故や異常は起こるもの。だからこれは、誰の責任でもなく、誰の過失でもない。
 朝と昼、本日二度目の点検で異常なしだったロボットの冷却装置が、突然の故障。その結果、熱異常を起こして暴走する……。
 
 その先に、たまたま自分がいた。
 これは、そう、それだけの話なのだ。


 手から滑り落ちたアイスコーヒーのプラスチックカップの掠れた音は、軋んだモーター音に掻き消される。
 反射的に地面を蹴って全速力で駆け抜ける。


 これは結果論なのだが、この時幸運だったのは、その道には佐野の姿以外なかった、ということだ。
 大勢の命を巻き込む大事故にはならなかった、とだけお伝えしておこう。


 店の中に逃げ込めないかと咄嗟に見渡すが、目視できる限り、出入口の扉を開閉できる店はない。どこも人を迎え入れるために、フランクに開け放たれている。

 逃げ込めば、間違いなく店内の全てを巻き込んでしまうことが、容易に想像できた。


 
 ――……店内には逃げ込めない。


 
 特別足が速くはない佐野にとって、それは死の宣告のようにも思えた。
 
 店の中にいた人には目もくれず、ロボットは佐野目掛けてガタガタと歪な挙動で前進を開始する。
 対人においてはそれなりに強いと自負する佐野だが、いくらなんでもロボット相手は想定していない。

 機械音の奥で、人の悲鳴が聞こえてる。助けを呼んでくれているだろうが、果たして間に合うのだろうか。
 オイルの臭いがどんどん近くなり、耳をつんざくような音が大きくなっていく。

 喉がヒリつき、冷たい汗が肌を伝う。
 すぐ後ろから迫ってくる殺人兵器と化した鉄の塊に、喉元を締め付けるような恐怖と心臓を刺すような焦る気持ちが混ざり合い、悲鳴を上げる。

 左腕にアームの先端が掠め、引き裂くような痛みと共に、視界の端に赤色が映った。足元が一瞬ふらつき、もつれかけたが、なんとか再び走り出す。


 心臓の動きに合わせるように、左腕が痛みを主張する。目眩がするような痛みと、生臭いにおい。

 

 息も絶え絶えな中、脳裏によぎったのは幕末の記憶。

 鈍い刃物がぶつかる音。
 誰かの怒号。
 命のやり取りの、極限状態特有の高揚感。
 自分の息遣いと、相手の放つ音だけが全ての、無の世界。



 走馬灯のようなそれを搔き殺す、歪な機械音に現実に引き戻される。背後でなにかがそばを横切ったような気配に、喉元がヒュッと音を立てた。
 あまりの恐怖に、発狂しそうになる。
 

 なぜあの時、原田左之助は命のやり取りを、どこか楽しんでいられたのだろう。

 _____なぜ
 _____なぜ
 _____なぜ

 なぜ、死ぬのが怖くなかったのだろう。命を奪うのが、恐ろしくなかったんだろう。


 記憶はあっても、そこまでは、まだ思い出せていない。知らないものはわからない。想像すらできない。



 死の気配が目前に迫った時、酸欠で揺れ始め、汗で滲む掠れた視界の中に、不意に雪がチラついたように見えた。肌にまとわりついていた嫌な暑さが消え、冷たく涼しい風が、身を包んだ気がした。


 『原田先生 』


 耳鳴りと機械音で溢れて痛む鼓膜に、優しい声が鈴のように広がる。

 声――といっても幻聴だったけれど――の方へ目を向けると、細い脇道がぽっかりと口を開けていた。反射的に脇道へ滑り込み、奥へ奥へと走る。
 海の底のような静けさの道を、酷い轟音と共に駆け抜ける。今だに止まらないロボットに、もはや思考は機能を完全に停止させた。ただただ、道を進む。
 



 どれだけ走っただろう。
 一心不乱に駆けた道の先は行き止まり。それは、どこか前世の自分達を連想させた。
 パイプが行き交う白い壁に手を付き、乱れた息のまま愕然とする。命を刈り取る音が、すぐそこに迫っている。が、もうどうしようもない。

 諦めたように目を閉じ、左腕を抑えながら、その場に膝を着く。足に力はもう入らない。壁を上る気力も体力も、もう底を尽きていた。


 息が震え、喉がチリチリと痛みを訴える。身を固くして、その瞬間に備える。不定的に息が止まり、呼吸が難しくなる。
 心臓が痛いほどに悲鳴を上げ、生理的な、あるいは感情的な涙で視界が歪む。

 『原田先生…… 』

 脳裏に色鮮やかに蘇ったのは、楠の姿と声。
 死ぬ間際、縋るように自分の名前を呼んだ、震えた声。今にも泣き出しそうな程に潤んだ不安げな目には、それでも揺らぐことのない原田への信頼があった。

 真後ろの機械音と、罪悪感で軋んだ心の音が、重なった気がした。