クラスの中心にいる君と、隅っこにいる俺の話。

高校に入学して少し経った頃。
中学から環境が変われば、自分も少しは変われるかもしれないと…
そんな淡い期待を抱いていた時期だった。

けれど現実は甘くなかった。
感情が顔に出ないせいで、
周りに「冷たい」「怖い」と思われるのは小学校からずっと同じ。
この顔のせいで女子にはイケメンという見方しかされないし、男子はこの顔を羨ましがり陰で妬まれる。

そのせいで誰と話そうとしても会話が続かず、気を遣われるか、距離を置かれるかのどちらかだった。


だから入学してしばらくはひとりで過ごすしかなかった。

この日も体育館での全体練習が終わり、ひとり体育館を出たあと、騒がしい人の群れから自然と距離を置き、壁際を歩いていた。

「……どうやったら、うまくやれんだよ」
自分にしか聞こえないほどの小さな声でつぶやいたとき。

後ろから誰かが思い切り俺の背中をポンッと叩いた。
「ご、ごめん!!後ろから押されて…!」
慌てて俺に頭を下げてきたのは、
あの時、名前も知らない“誰か”



後に知る拓だった。


「大丈夫?痛かった?」
まっすぐ俺の目を見て、普通に心配してくる。
初対面なのに、距離感も壁も一切ない声だった。
「あ、あぁ……別に」

そう答えた俺の表情を見て、彼は首をかしげた。

「ほんと大丈夫?まさか怒ってる…?」

「大丈夫…」

「もともと無愛想なだけだから」
「そのせいで怖がられるし」

普段なら固まって会話を終わらせるのに、その日はなぜか、言葉が自然に出てきた。
だけど続いた言葉は、まったく予想していないものだった。

「そうかな?たぶん……本当の君をちゃんと見られる人って、まだあまりいないんだと思う。でも俺はさ、今、初めて会ったけど優しい人なんだろうなって思ったよ」

その瞬間、胸の奥がじわっと熱くなった。
誰もそんな風に言ってくれなかった。
俺が“そういう風に見える”なんて思ったこともなかった。

「おい!拓いくぞー」遠くから友達であろう男子が呼ぶ。

「すぐ行くー!ぶつかっちゃってごめんね、じゃあ」
そう言って
手を軽く振ってその場を去っていった。
去り際のあの横顔と笑顔。

そして、何気ないくせにやけに刺さる一言。

あの時、救われた。

誰にも見抜かれなかった“自分”を、
たったの数秒で見つけられた気がした。

「拓。」
その名前しか知らないはずなのに、
どうしてあの日から、こんなにも強く心に残っているんだろう。
あの入学式の帰り道、ぽつりと落とされたあの一言。
救われたなんて、本人には絶対言えない。
でも事実、あれから俺は変わってしまった。
それ以来、俺は体育館でも廊下でも、
無意識に“あいつ”の姿を探すようになっていた。
見つけるたび、胸の奥がすっと軽くなる。

話しかける勇気なんて、とてもなかったのに
視線だけは、どうしても追ってしまっていた。

忘れようとするほど、あの一瞬が、ますます鮮明に思い出される。

まるで、ずっと前から心に結び目を作られていたみたいに。
そんな昔の記憶に沈みながら、
放課後、拓と別れた道をひとり歩く。
二年になって、ようやく同じクラスになれた。
夢みたいな日常のはずなのに、
嬉しさよりも「早く言わなきゃ」という焦りの方が大きくなる。


だって


海斗が現れてしまったから。
拓の隣で、自然に笑う。
気づけば距離を縮めている。
俺が一年かけて踏み出せなかった場所に、
あいつはあっさり立っている。
胸がざわつく。
息が少しだけ詰まる。
……こんな気持ち、誰にも知られたくないのに。
「拓は、俺が一番大切に思ってるから。」


静かな声で呟いたその言葉は、
夕焼けに溶けるみたいに、誰にも届かず消えた。
だけど、心の奥では確かに響いていた。
まるで、自分自身に誓うみたいに。


負けるわけにはいかない。


絶対に手放したくない。


そう強く思うほど、指先が少し震えた。

ーーーーーーーーーーーーーー

次の日。
教室のドアを開けた瞬間だった。

「拓!」
明るい声とともに、海斗が一直線に俺のところへ来た。
昨日来たばかりとは思えないくらい、距離が近い。

「今日も一緒に行こ。まだ色々聞きたいし」

「え、あぁ……」

昨日案内で一日中一緒にいたせいで、
もう昔からの友達みたいな雰囲気になってる。
海斗は躊躇なく俺の腕を軽く掴んで笑った。
その瞬間だった。


背中の方から、ひやりとした視線が刺さる。
振り返ると
神代がこちらを見ていた。
表情はいつもの無表情に近い。
けれど目だけが、わずかに沈んでいる。

「……拓、ちょっと」
低い声で神代が言った。

「え?」

「今日、見せたい場所があるんだけど。昨日言ってたやつ」
海斗が俺の腕を離さなかった。
むしろ、ほんの少しだけ握る力が強くなる。

「神代くんはさ、これまでずっと拓と一緒にいたでしょ?」
海斗はにこっと笑う。
だけどその目は笑ってない。
「今日は俺の番でしょ。転校生特権ってことで」
教室の空気が、すうっと張りつめた。
神代がゆっくりと歩み寄る。
その歩幅は小さいのに、どういうわけか圧がある。

「……別に。拓が良いなら、いいけど」
その声は落ち着いていたけど、
奥底に小さな焦りが滲んでいるように聞こえた。
海斗は挑発するように笑いながら、俺を見る。

「ということで、今日は俺が拓を」

「え、ちょ、そんな急に……」
俺の心臓が一気に忙しくなる。
横を見ると海斗が明るく俺を見つめて、
もう片方では神代が静かに俺を待っている。
二つの視線が、俺を挟んで火花みたいにぶつかっていた。

なんだこれ。

昨日からこんなバチバチした空気
俺が答えようと口を開きかけたとき。


「みんな!ホームルーム始まるよー」
上羽の声が遠くから飛んできた。


俺はその声に救われたように、
とりあえず席に戻る。

海斗は満足そうに笑い、

神代は無言で視線をそらした。

胸の奥のざわつきだけが、消えないまま残った。

昼休みのチャイムが鳴った瞬間、俺はいつものように上羽と神代のところへ弁当を持って行こうとした

そのとき

「拓、一緒に食べよ」

海斗が俺の机に、当然のように自分の弁当を置いた。

「え、あぁ。いいけど」

「やった。昨日の続きも話したいし」

海斗は楽しそうに椅子を寄せてくる。
昔みたいに距離が近い。
むしろ昔より近い。

そのせいで胸が妙にそわそわしていた。

そこに、視界の端に神代。

神代は自分の席で弁当箱を開けていたが、
こちらの様子をちらりと横目で見ていた。

「あ、神代もここ来る?」
俺はなんとなく声をかけようとした。

でも、その瞬間。

「拓、これ食べる?」
海斗が俺の箸に煮物をひょいっと乗せてきた。

「ちょ、ちょっと、勝手に……」

「だって拓、こういうの好きじゃん。昔よく交換したよね?」

「そうだったけど」

記憶の中の海斗は、
いつだって俺より先に距離を詰めてくるやつだった。

それが、また戻ってきてる。

そのやりとりを、神代は黙って見ていた。

弁当の蓋を閉める音が、やけに大きく響く。

「(え、怒ってる?)」

海斗はそんな空気に気づく気配もなく、
俺の袖を軽くつかむ。

「ねぇ、午後の授業の場所分かんないから、ついでに案内して?」

「ん?あぁ、いいけど……」

「やった。拓が一番頼りになる」

その言葉に、海斗は微笑む。

それは“俺だけに向けられた特別な笑顔”みたいで、なんとなく嬉しくもあった。

でも、それ以上に
神代の視線が刺さってくる。

静かで、でもはっきりと怒っている。

彼は立ち上がると、
俺の机を一瞥して言った。

「……拓。午後の実験、ペアどうするか聞こうと思ったけど」

「え?あ、ごめん、後でで」

海斗が俺の肩に手を置く。

「拓は俺と回るから。ごめんね、神代くん」

その一言は柔らかく聞こえるのに、
妙に挑発的だった。

神代の足が一瞬止まる。

視線が鋭く海斗の手を見たあと、
俺にだけ静かな声で言う。

「……そういうことなら、いいけど」

いいけど、じゃない。
絶対よくないやつだ。

席に戻る神代の横顔は、
普段よりずっと寂しそうで、
悔しさを隠せていないようにも見えた。

気づきたくないけど。

俺のせいで、
二人の間に火がつき始めている。


そしてこんな状態が一日続いて、放課後、帰りの支度をしていたときだった。

「拓、帰ろう」
海斗が俺の肩を軽く叩いてくる。

「うん、ちょっと待って。教科書しまったら行く」

「じゃあ昇降口で待ってるね」

そう言って海斗が教室を出ていったその直後

「……拓」

小さな、けれど妙にはっきりした声で俺を呼ぶやつがいた。

神代だった。

席の横で立ち止まり、
他の誰にも聞こえないような声。

「ちょっと……来てほしい場所がある」

「え、どこ?」

神代は答えず、
俺の手首をそっとつかんで教室の外へ連れ出した。

力は強くないのに、
拒否できないほどまっすぐな引き方だった。

廊下を歩く間、
誰もいない静けさが妙にざわざわする。

向かったのは、
中庭へ続く非常階段の踊り場。

放課後の光が差し込んで、
神代の横顔を淡く照らしていた。

「ここなら誰も来ない」

「え、なんか怖いこと言う?」

「ちがう」

神代は深く息を吸い、
考えるように視線を落とす。

そして、ぽつりと言った。

「今日の昼休みさ」

「う、うん」

「あれ、嫌だった」

「え?」

神代はゆっくり顔を上げた。
怖いほど真剣な目。

「海斗が、おまえの隣にずっといて……
 楽しそうにして……
 おまえが、それを自然に受け入れてて……」

言葉を探すように、
でも抑えきれないように続ける。

「なんか、胸の奥がずっとざわざわして、見てるだけで気持ち悪くなるくらいだった」

俺は言葉が出なかった。

神代は普段、こんなふうに感情を出す人じゃない。
なのに今は、隠す気もないみたいで。

「……わかってる。海斗は拓にとって大事な幼なじみなんだろうし。俺が口を出すのはおかしいってことも」

そこで一度、息を飲んだ。

そして
俺の手首をそっと離して、
今度は手の甲に指先が触れるくらいの距離で、静かに言った。

「でもさ。拓が、誰かに取られそうなのがすげぇ嫌なんだ」

心臓が跳ねた。

「……神代?」

「たぶん俺さ。もう隠すの無理かもしれない」

その声は震えていた。
でも、覚悟を決めた人の声だった。

胸の奥が、熱くなる。
さっきまで海斗と笑ってた自分が、急に気まずくなるくらいに。

「拓は、どう思ってる?」

俺は答えようとして
喉が詰まった。

うまく言えない。
でも、何かが確かに動いていた。

神代は俺の沈黙を見て、微かに笑った。
寂しそうで、でもどこか期待している笑い。

「焦らなくていい。でも俺の気持ち、ちゃんと伝えたかった」

その言葉の直後、
昇降口の方から海斗の声が響く。

「たーく!どこー?」 

神代がそちらを一瞬だけ睨む。

そして、小さく俺に言った。

「……行っていいよ。でも俺の気持ちはこうだから」

そう言う神代の横顔は、
いつもよりずっと、俺の胸を締めつけた。

「俺も…まだちゃんと気持ちが分からないから、今は答えられないけど。でも!ちゃんと伝えるから」

その答えを聞いた神代はほっと安心した顔を見せて

「ありがと」

そう言って1人その場から去る。俺はその後ろ姿を見ることしかできなくて。

神代はこんなに自分と向き合ってくれてるのに。

でも俺なんかが神代と…

そんな気持ちで揺れ動く心を止めることは出来なかった。

ーーーーーーーーーーーーーー

そのまま答えを出すこともできないまま
気づけば、数日が過ぎていた。
状況は、まったく改善していない。

いや、むしろ悪化している気さえする。

海斗と神代は、相変わらず火花を散らしていた。
廊下でも、教室でも、何でもない瞬間に視線がぶつかっては、静かにバチッと火が走る。

本人たちは無言なのに、周りの空気がピリッと張り詰めるからわかりやすい。

そしてその度に、俺が巻き込まれる。

そんなある日の昼休み。
廊下を歩いていた俺は、背中越しに名前を呼ばれた。

「たくっち!」

振り向くと、サッカー部のユニの上に制服を羽織った上羽が、眩しいくらいの笑顔で手を振ってきた。

「明後日の土曜日さ、時間ある?」

「え? うん、あるけど」

そう答えると、上羽がニッと笑って俺の肩をぽん、と叩いた。

「じゃあ来てよ。サッカー部の練習試合。神代も出るしさ。拓が見てたら、あいつ絶対調子上がるから」

「え、俺が? なんで?」

上羽は「うんうん」と頷きながら、わざと意味深に笑う。

「理由はナイショ。でも、必要なんだよ。
拓が見てくれるってだけで、頑張れるやつがいることくらい……まあ、わかるだろ?」

胸がなぜか熱くなる。
けれど、意味がわからなくて言葉に詰まる。

その瞬間、横から影が差す。

「何話してるの?」

海斗だ。
たまたま通りがかっただけの顔をして、俺の隣にピタッと立つ。

無意識のように俺の手首を軽くつかみ、上羽との距離を遮る。

「拓、プリント取りに行くんじゃなかった?」

「あ、そうだった…」

海斗はちら、と上羽を見た。
笑顔なんだけど、静かに牽制しているような目。

上羽は気づいてるのか気づいてないのか、軽い口調のまま続ける。

「まあまあ、そんな怒んなって。
単純に“応援に来てほしい人”がいるってだけだからさ。拓が来てくれたら、その人きっと喜ぶよ?」

その “誰か” を濁す言い方に、海斗の眉がわずかに動く。

上羽は手をひらひら振りながら教室の方へ歩きだした。

「じゃ、期待して待ってる。神代、頑張れよって内心で応援してやって」

最後の言葉だけ、俺に聞こえるように小さく。
海斗には届かないくらいの声量で。

意味がわからないけれど、胸の奥がざわつく。

ふと見ると、実はさっきから教室の前に神代が立っていて、こっちを見ていた。

自分では近づけない。
声もかけられない。
だけど気になって仕方ない、そんな顔。

上羽が神代の背中を軽く押して通り過ぎる。


神代の耳が、うっすら赤くなるのが見えた。

海斗は腕を組んで不満げに呟いた。

「あいつ、何? 拓に絡みすぎじゃない?」

「いや、普通に部活の誘いじゃないかな」

「ほんとに?」

海斗の声がいつもより低い。

でも俺の目線は、神代の後ろ姿を追っていた。

“応援に来てほしい人がいる”

その言葉が、妙に胸に残る。


土曜日の朝。
まだ少し涼しい風が、家の前の通りをさらっと吹き抜ける。

「よし、そろそろ行くか」

サッカー部の試合を応援しに行くのは約束していたし、

上羽からも何度も「絶対来いよ!」と念押しされていた。

何より

神代の頑張ってる姿を自分の目で見たい、という気持ちが、胸の奥でずっとくすぶっていた。

靴を履き、玄関のドアを開けた、その瞬間。

家の前に誰かが立っているのに気づいた。





「……海斗?」

制服じゃなく、ラフな私服。
でも表情はどこか硬くて、胸の前でぎゅっと拳を握っている。

「拓……やっと出てきた」

声が震えている。

「こんな朝早く、どうしたんだよ?」

海斗は深呼吸をひとつして、俺の前に歩み寄った。

「少しでいい。どうしても話したいことがある」

真剣すぎる目に、思わず足が止まる。

「今じゃないと、ダメなんだ」

その気迫に押されて、俺はゆっくりうなずいた。

「わかった。話そう」

近くの公園まで歩く。
海斗はずっと黙っていて、その沈黙が胸に重く刺さる。
ベンチの前で、急に立ち止まった。

そして、振り返った。



「拓」

呼ばれただけで、心臓がぎゅっと締めつけられる。

「俺さ……ずっと言えずにいたことがあるんだ」

「え?」

海斗は一瞬、視線を落とし、でもすぐにまっすぐ俺を見る。

その瞳は震えていたけれど、逃げていなかった。




「好きだよ。拓のこと」



胸が大きく跳ねた。
予想もしていなかった言葉なのに、不思議と海斗の必死さが真っ直ぐ胸に届いてしまう。

「小学校からずっと、ずっと、気づいたら目で追ってた。久しぶりに再会して、また毎日近くにいられて……

気持ち、もう抑えられない」

海斗が一歩近づく。

「拓が誰を見てるのか、わかってる。でも、それでもいい。俺は、、諦めたくない」

心臓が痛いほど鳴っている。

何も言えないまま、ただ立ち尽くすしかなかった。


 



そのころ神代は
試合開始前、グラウンドの端で客席を何度も見上げていた。



「……まだ来てないのか」



上羽が声をかけても、うまく返事ができなかった。

胸がざわつく。
落ち着かない。
嫌な予感がずっと消えない。

試合の開始を知らせる笛が鳴る。


それでも
拓の姿はどこにもなかった。

ほんの少しだけ、視界が滲んだ。



「……なんで、いないんだよ」

誰にも聞こえないほどの小さな声が、静かにグラウンドに落ちて消えた。