長いキャンプが終わり、あっという間に夏休みも過ぎていった。
神代との距離が妙に縮まったあの夜を、俺はまだうまく整理できないまま。
「今日から新学期かぁ……」
教室へ向かう廊下を歩きながら、胸の奥がそわそわと落ち着かない。
教室に入ると、すでに朝からざわざわと噂が飛び交っていた。
「ねぇ聞いた? 今日転校生来るんだって」 「どこの学校から?」
俺はなんとなく視線をそらしつつ席に座る。 隣の席では神代がプリントを整えながら、ちらっと、俺を横目で見てきた。
「おはよ」
「おはよう」
キャンプの夜、ランタンの薄明かり、肩が触れそうな距離。 思い出すだけで、胸がくすぐったい。
「(……なんだこの気持ち)」
「たくっち、東真、おはよー!」
上羽がテンション高めに教室へ入ってくる。
「おはよ」
「今日さ、転校生来るって」
上羽は腕を組んで「予想しようよ!」と得意げだ。
「俺はね、男。それで高身長、黒髪!」
「おまえ、俺見て言ってない?」と神代が即ツッコミ。
「ちがうし!部活はバドミントン」
「すごい想像力だね」
「でしょ、俺天才だから!」 褒められて胸を張る上羽。
「たくっちは?どんな人だと思う?」
「え、俺は……」
言いかけた瞬間、チャイムが鳴った。
同時に担任が入ってくる。
「今日から新しい子がクラスに入ります。じゃあ、入ってきて」
教室がざわつくのが、息を飲むように静まる。
ドアがゆっくり開いた。
そこに立っていたのは、、、
背が高く、とても同い年とは思えないほど大人っぽい姿で、優しい目。
俺と目が合うと、転校生は目を丸くし、 次の瞬間、懐かしさが混じった笑みを浮かべた。
「……拓?」
ぼそっと転校生が俺の名前を呟く。
「(なんで俺の名前)」
驚いた拍子に、椅子にもたれかかっていた俺の体はビクッと跳ねる。 さっきまで机に突っ伏して半分寝ていたくせに、呼ばれた瞬間だけは妙に反応がいい。 胸の中がざわざわして、鼓動が早まる。
「じゃあ自己紹介お願いします」
そう先生から言われると、転校生は前へ出て挨拶する。
「今日からお世話になります。葵 海斗です。よろしくお願いします」
「……葵、海斗?あっ!」
小学校の頃、毎日のように一緒にいた幼なじみ。
葵 海斗(あおい かいと)。
「(なんで……海斗がここに?)」
横目で神代を見ると、 海斗のことをずっと真顔で見続けている。
女子たちの「かわいい!」「イケメンじゃん!」という声が飛ぶ。
「葵さんは後ろの空いてる席に座ってね」
そう言われた海斗は席に向かう途中、 迷うことなく、俺の机の横で足を止めた。
「ほんとに拓だ。久しぶりすぎて……なんか変な感じ」
「え、あ、うん。久しぶり」
海斗は昔と同じように、俺の頭を軽くポンポンと撫でる。
一瞬のことだったのに 教室の空気が、少しだけ止まった気がした。
俺はとっさに神代を見る。
神代は 笑っていない。 むしろ、明らかに機嫌が悪い。
まるで敵を見つけたみたいな鋭い目をしている。
「(……なんか怖っ)」
教室の真ん中で、空気が静かに揺れはじめていた。
海斗が席に座ったあとも、教室の空気はどこかそわそわしていた。
当の本人はというと、落ち着いた顔で教科書を開いているけれど、明らかに数人の女子がこっそり様子を見ているのが分かる。
「(……なんで海斗が転校してくるんだよ)」
胸の奥がざわざわして、落ち着かない。 懐かしさも嬉しさもあるのに、それ以上に“急に戻ってきた距離感”に、心がついていかない。
そんな俺の顔を、隣の神代はちらっと盗み見る。
「……幼なじみ?」
低くした声なのに、しっかりと刺さる。
「あ、うん。小学校のときに毎日遊んでた」
すると神代の眉がほんの少しだけ動いた。
「へぇ。仲良かったんだな」
その言い方が淡々としていて逆に怖い。 笑ってるようにも見えるけど、目だけがまったく笑っていない。
「そ、そんなに深い意味じゃ」
「別に。訊いただけだし?」
淡々とした口調なのに、どこか温度が低い。 上羽が隣からひょこっと顔を出してきて、小声で俺に囁く。
「神代、ちょっと機嫌悪い?」
「わかんない……なんか怖い……」
「ま、たくっちモテるから!今日の主役は転校生かたくっちだわ」
「いや俺関係ないし!」
焦って言い返した瞬間
「拓。」
後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、海斗が教科書を手に立っていた。
「席、近くてよかった。わかんないところあったから、教えてよ」
にっこり笑う海斗。 昔と同じ、柔らかくて人懐っこい笑顔。
「え、う、うん……」
戸惑って返事をすると、海斗は満足そうに頷いて席に戻っていく。
もやもやした気持ちを掲げながら海斗の席に行く。
その背中を黙って眺めていた神代は、ふっと息を吐き、上羽につぶやく。
「なんかさ」
「幼なじみって……強いよな」
「えっ?何言ってんだよ。たくっちに執着しすぎだよ、お前は」
「もぉ、東真らしくないなー。こういう時こそチャンスだろ」
「チャンスってなんだよ」
「さぁーね」
海斗のことも嬉しい。 でも、今は神代の表情が頭から離れない。
そして俺は気づく。
「(俺……なんでこんなに、神代の顔色気にしてんだ)」
チャイムが鳴り昼休みに入ると同時に、 「拓!」 海斗が迷いなくこっちへ走ってきた。
「ひさしぶりに会っといて、まだ話してないの変だろ?」 そう言って笑う海斗の顔は、昔と同じ。いや、少し大人っぽい。
「海斗、なんで転校してきたの?」
「んー、色々あってさ。でも拓がいるって聞いて、ちょっと嬉しかった」
そう言いながら、海斗は自然に俺の椅子の背もたれに腕を乗せて、距離を詰めてくる。
近い。 昔からこんな距離感だったっけ…… 妙に胸がざわつく。
「そういえばさ、拓さ」 海斗は懐かしそうな笑顔で俺の頬を指でつつく。
「まだこれ残ってる?小さいとき転んで作ったキズ」
「うわ、それ覚えてんの?」
「覚えてるよ。だって拓が泣いて、俺がずっと手つないで帰ったんだぜ?」
「やめろよ、それ言うなって!」
「えー、かわいかったのに」
海斗はくすっと笑い、俺の髪を軽くくしゃっと撫でる。
その瞬間。
ガタッ。
強い音がして、俺と海斗はそちらを向く。
神代だった。
プリントの束を机に雑に置き、こっちを睨むように見ている。
いつもの余裕なんて欠片もなく、露骨に不機嫌そうな顔。
「……楽しそうだな」 低い声。 ぞくっとするほど温度が違う。
「か、神代…?」
「拓の幼なじみだって聞いたから挨拶しようと思っただけ」
海斗は気まずそうに笑いつつ、神代に向き直る。 「えっと、神代くん?」
「何?」
一言がやけに刺々しい。
「拓の友達だよね。よろしく」
「ごめんごめん!俺ばっかり拓と喋っちゃって」 海斗が素直に謝ると、神代は短く返す。
「別に。拓が嫌じゃないなら」
「いや、その言い方は絶対嫌なやつだろ」 思わずツッコむと、神代は目をそらしながら小声でつぶやく。
「……別に。嫌じゃねぇけど」
海斗が俺の肩に手を置いた瞬間、 神代の眉がピクリと動いた。
「(え、そんな分かりやすく怒る?)」
海斗はまったく気づかず、楽しそうに笑っている。
「拓、あとで学校案内してよ。場所わかんねぇしさ」
「あ、いいよ」
「じゃ、決まり」
海斗の笑顔には どこか“俺を取られたくない”という昔からの独占欲がにじむ。
そっと横目で神代を見ると 彼は腕を組んだまま、明らかにムッとして、
「俺も一緒に行くよ」と強く張るように言う。
「えっ、まじ、ありがとう!」
「じゃあよろしく」そう言って海斗は自分の席に戻っていく。
そして小さく、誰にも聞こえない声で言った。
「アイツ、思ったより面倒そうだな」
あんな感情的になることあるんだな。 こんな神代を見るのは初めてで、複雑な気持ちだ。
そんな会話をじっと見ていた上羽が
「ちょっと、たくっち」と腕を引っ張られ、俺は半ば強制的に廊下へ連れ出された。
「ちょ、上羽……?」
教室のざわつきが遠くなる。 上羽は周りを確認して、誰もいないのを見ると小さくため息をついた。
「たくっち、気をつけて」
「え?」
さっきまでの軽い雰囲気とは違う、どこか真面目な顔。
「葵くん、あれ、ただの幼馴染じゃないでしょ?」
「え、いや、本当にただの幼馴染で、別に」
「だから“気をつけて”って言ってるの」
上羽は俺の肩を軽くつつく。
「たくっち、気づいてないのかもしれないけど。海斗くん、めっちゃ目で追ってたよ。ずーっと」
「そ、そんなこと……」
「しかもさ」
上羽が小さく首をかしげ、さらに声をひそめる。
「神代も、めっちゃ睨んでた」
「っ……!」
胸の奥がひゅっと縮まる。 言われるまで気づかないふりをしていたけど、確かに海斗が話しかけてくれるたびに、神代の視線が痛いくらい刺さっていた。
「たくっちは人たらしなんだから、自覚しないと危ないよ?」
「人たらしって」
「現に、幼馴染くんは懐いてるし、神代は明らかにピリついてるし。でしょ?」
図星すぎて何も言えない。
上羽はふっと微笑むと、少し優しい声になる。
「ま、困ったら俺に相談して。俺、たくっちの味方だから」
「う、うん……」
そう返事した瞬間、教室の中から大きな声が響いた。
「拓ー!ちょっと来て!」
海斗だ。
続いて、もう一つの低い声。
「……拓、こっち」
神代の呼ぶ声。
左右から引っ張られるみたいに、俺の胸がざわつく。
上羽は苦笑いした。
「ほら、早速取り合い。がんばれ、モテ男くん」
「いや、モテてないし!」
声だけは否定したのに、心の中は落ち着かなくてこの先、何かが動き出す予感がしていた。
放課後
チャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気にゆるむ。
机の間をすり抜けて帰り支度をする生徒たちの声がざわざわと響く。
「拓!学校の案内、行こ!」
海斗が無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
その声の明るさに、周りの何人かが思わず振り返るほどだった。
「あぁ、うん」
「神代くんも来てくれるんだよね?」
「まぁ……早く行くぞ」
神代の足はもう出口へ向いている。
完全に置いていかれそうになって、俺と海斗は慌てて追いかけた。
3人で歩き出す。 海斗は教室を出た瞬間から、俺しか見てないような目で話しかけてきた。
「拓、前より背伸びたよな。小学校のとき、俺が少し高かったのに」
「そうだっけ?覚えてないよ」
「覚えてないの?俺は覚えてるよ。拓のことはなんでも」
軽く笑いながら言う海斗。その声音はどこか柔らかくて、どこか特別だ。
隣で聞いていた神代は、微妙に顔が引きつっている。
「はいはい。で、海斗はどこを見たいんだ?」
「どこでもいいよ。拓が案内してくれるなら」
「俺もいるけど?」
神代の低い一言に、海斗はようやく視線を向けてきた。
「あ、うん。神代くんもよろしく」
「“も”ってなんだよ、“も”って」
口では文句を言いながら、なぜか歩幅をわずかに速めて俺の隣に寄ってくる神代。
海斗も自然と逆側に並ぶ。
俺を挟んで、左右にイケメン2人。
なんか……息苦しい。
「ここが体育館。授業以外にも、全校集会とかで使う」
「拓、まだ運動音痴?」
「えっ、まぁ」
「そっか。小学校の頃、一人だけめっちゃ真剣な顔でミスったりしてたのめちゃ面白かった」
「もぉー昔の話だから」
急に言われて動揺してしまう。
海斗は嬉しそうに笑う。
すると、右側にいた神代がすっと俺の前に出る。
「……体育館はそんなとこ。次、理科室な。行くぞ」
「え、ちょ、急……!」
強引な神代に腕を軽くつかまれて引っ張られる。
海斗は一瞬きょとんとしたが、すぐに追いかけてきた。
「神代くん、引っ張りすぎじゃない?」
「は?別に。案内してやってんだよ」
「ここ、試薬の匂いするよな」
「拓、苦手だったよね。“無理だー”って言って机に突っ伏してた」
「いやそれ覚えてんのかよ……」
ふっと笑ってしまう。 海斗は嬉しそう。
神代は、じっとこちらを見ている。
「拓、なんか昔より笑うようになったね」
「え、そう?」
「うん。前より楽しそう」
その言葉に、神代の眉がピクリと動いた。
「……そりゃ、今の学校が楽しいからだろ」
「そうだね。拓の周りに“特別な人”がいるのかもね」
海斗が意味深に言った瞬間、 横にいた神代と目が合う。
空気がピリッと張り詰めた。
「特別……ね」
神代はぼそっとつぶやき、 俺の方を一瞬だけ見る。
その目は、悔しさと、どこか決意みたいなものが入り混じっていて
胸がぎゅっと掴まれた。
「(何この空気。やめて…心臓がもたない)」
「まぁまぁ、学校案内はこんな感じかなー!」 焦った口調で俺は割って入り、空気を変えようとする。
「他に気になるところある?」
「いや、ないかな!ありがとう」 海斗は柔らかく笑う。
「そっか、良かった」
「俺にも礼言えよ」 神代が低い声でぼそっと言う。
「もちろん、ありがとう。神代くん」
海斗は神代に手を差し出し、握手を求める。
神代は海斗の手を握り返した
だが。
離さない。
いや、むしろ握力すごない? お互い、笑ってるけど目が全然笑ってない。
「(あの、やめて…火花散ってる…!)」
「はぁ…じゃあ早く帰ろ!」
俺が間に入ると、ようやく2人は手を離した。 手の甲、真っ赤じゃん。大丈夫かよ。
3人で昇降口を出る頃には、海斗の雰囲気はすっかり柔らかくなっていた。
「じゃあ、俺こっちだから。また明日、拓」
「うん。また明日」
海斗は優しい目で俺を見てから帰って行った。
「あいつ、昔からあんな感じなのか」
「うん、まあ。距離感がおかしい時あるよね」
「それって。拓だけにじゃなくて?」
「えっ!あぁ、どうだろ…俺以外仲良い子がいなかったしなぁ」
「ずる……」
そう神代がぼそっと呟くと
次の瞬間。
ぎゅっ。
「っ!?」
神代が俺を抱き寄せた。
横顔が近い。 肩に彼の胸元が触れる。 耳元に、熱い息が落ちてくる。
「さっきの、嫌だった」
「さっき?」
「海斗。お前のこと普通に触ってて、お前も素直にされて。ああいうの……嫌だ」
低い声。
怒ってるというより、拗ねてるみたいで、 でもどこか本気で 胸がくすぐったくて、苦しくなった。
「か、神代……」
「拓」
名前を呼ばれ、思わず喉が鳴る。
「拓が他の誰かに、持ってかれんの……俺が困る」
耳元で、それだけを落とすように言って、 神代は俺を包む腕にさらに力を込めた。
その体温に、心臓が壊れそうなほど跳ねる。
神代が自分の気持ちを隠していないことだけは、はっきりと分かった。
「(俺も、神代の気持ちに気づき始めてるのかもしれない。自分の気持ちにも)」
俺はそっと、神代の腕に手を添えた。
「……帰ろっか」
自然と、そんな言葉が出た。
神代は俺を離すと、ほんの少し笑った。 そこには、いつもの余裕じゃなく、 もっと近い、もっと正直な表情があった。
2人で並んで歩き出す帰り道。 夕焼けの下、つないでいないはずの手が、 妙に意識されて仕方がなかった。
ーーーーーーーーーー
「そうだね。拓の周りに“特別な人”がいるのかもね。」
海斗がそう言った瞬間、俺は自然と拓の方を見た。 拓も一瞬こちらを見たけど、すぐに視線を逸らしてしまう。
特別な人。
そんな言葉、他の誰にも言われたくない。 それがよりによって、いきなり現れた幼馴染の口からなんて。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「特別……ね」
気づけば、そう呟いていた。
拓は困ったように笑って場をつなごうとしている。
「まぁまぁ、学校案内はこんな感じかなー!他に気になるところある?」
「いや、ないかな!ありがとう」
その笑顔に、海斗は当たり前のように返す。
……当たり前じゃないだろ。なんでそんな自然なんだ。
「俺にも礼言えよ」
思わず口が動いていた。 自分でも、少し幼い言い方だと思いながら。
「もちろん、ありがとう。神代くん」
海斗は手を差し出してきた。 握手なんて本来どうでもいいはずなのに、俺はその手を握り返した。
強く。
離さない。
これくらいしないと、自分の気持ちが押しつぶされそうだった。
海斗も負けじと握り返してきた。 笑ってるけど、目は笑っていない。
どっちが拓の“隣”にいるのが当たり前か、分からせてやる。
海斗と別れ、帰る道を拓と二人で歩く。
少し風が強くて、拓の髪が揺れた。 その姿を見た瞬間、胸の中に溜め込んでいたものが溢れそうになる。
もう、抑えられなかった。
ぐっと腕を引き寄せて、拓を胸の中に抱きしめる。
拓の体温が触れた瞬間、心臓が跳ねる。
ずっと。 キャンプの夜からずっと。 触れたかった。
こんな無茶をするつもりじゃなかったのに。
「海斗。お前のこと普通に触ってて、お前も素直にされて。ああいうの……嫌だ」
こんなことを言う自分も嫌になる。
でも
「(俺の知らないお前、いっぱいあいつは知ってるんだなって思ったら)」
抱きしめる力も強くなる。
拓がそっと俺の腕に触れた。
拒まない。むしろ少しだけ近づいた気がした。
「……帰ろっか」
そう拓が言ったから、そっと離すと、拓は真っ赤な顔で固まっていた。
その表情を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
「(俺の気持ち…少しくらい伝わったよな)」
海斗が現れたことで、危機感と同時に覚悟が生まれた。
負ける気はしない。
俺は拓の横に並び、何でもないふりをして歩き出した。
神代との距離が妙に縮まったあの夜を、俺はまだうまく整理できないまま。
「今日から新学期かぁ……」
教室へ向かう廊下を歩きながら、胸の奥がそわそわと落ち着かない。
教室に入ると、すでに朝からざわざわと噂が飛び交っていた。
「ねぇ聞いた? 今日転校生来るんだって」 「どこの学校から?」
俺はなんとなく視線をそらしつつ席に座る。 隣の席では神代がプリントを整えながら、ちらっと、俺を横目で見てきた。
「おはよ」
「おはよう」
キャンプの夜、ランタンの薄明かり、肩が触れそうな距離。 思い出すだけで、胸がくすぐったい。
「(……なんだこの気持ち)」
「たくっち、東真、おはよー!」
上羽がテンション高めに教室へ入ってくる。
「おはよ」
「今日さ、転校生来るって」
上羽は腕を組んで「予想しようよ!」と得意げだ。
「俺はね、男。それで高身長、黒髪!」
「おまえ、俺見て言ってない?」と神代が即ツッコミ。
「ちがうし!部活はバドミントン」
「すごい想像力だね」
「でしょ、俺天才だから!」 褒められて胸を張る上羽。
「たくっちは?どんな人だと思う?」
「え、俺は……」
言いかけた瞬間、チャイムが鳴った。
同時に担任が入ってくる。
「今日から新しい子がクラスに入ります。じゃあ、入ってきて」
教室がざわつくのが、息を飲むように静まる。
ドアがゆっくり開いた。
そこに立っていたのは、、、
背が高く、とても同い年とは思えないほど大人っぽい姿で、優しい目。
俺と目が合うと、転校生は目を丸くし、 次の瞬間、懐かしさが混じった笑みを浮かべた。
「……拓?」
ぼそっと転校生が俺の名前を呟く。
「(なんで俺の名前)」
驚いた拍子に、椅子にもたれかかっていた俺の体はビクッと跳ねる。 さっきまで机に突っ伏して半分寝ていたくせに、呼ばれた瞬間だけは妙に反応がいい。 胸の中がざわざわして、鼓動が早まる。
「じゃあ自己紹介お願いします」
そう先生から言われると、転校生は前へ出て挨拶する。
「今日からお世話になります。葵 海斗です。よろしくお願いします」
「……葵、海斗?あっ!」
小学校の頃、毎日のように一緒にいた幼なじみ。
葵 海斗(あおい かいと)。
「(なんで……海斗がここに?)」
横目で神代を見ると、 海斗のことをずっと真顔で見続けている。
女子たちの「かわいい!」「イケメンじゃん!」という声が飛ぶ。
「葵さんは後ろの空いてる席に座ってね」
そう言われた海斗は席に向かう途中、 迷うことなく、俺の机の横で足を止めた。
「ほんとに拓だ。久しぶりすぎて……なんか変な感じ」
「え、あ、うん。久しぶり」
海斗は昔と同じように、俺の頭を軽くポンポンと撫でる。
一瞬のことだったのに 教室の空気が、少しだけ止まった気がした。
俺はとっさに神代を見る。
神代は 笑っていない。 むしろ、明らかに機嫌が悪い。
まるで敵を見つけたみたいな鋭い目をしている。
「(……なんか怖っ)」
教室の真ん中で、空気が静かに揺れはじめていた。
海斗が席に座ったあとも、教室の空気はどこかそわそわしていた。
当の本人はというと、落ち着いた顔で教科書を開いているけれど、明らかに数人の女子がこっそり様子を見ているのが分かる。
「(……なんで海斗が転校してくるんだよ)」
胸の奥がざわざわして、落ち着かない。 懐かしさも嬉しさもあるのに、それ以上に“急に戻ってきた距離感”に、心がついていかない。
そんな俺の顔を、隣の神代はちらっと盗み見る。
「……幼なじみ?」
低くした声なのに、しっかりと刺さる。
「あ、うん。小学校のときに毎日遊んでた」
すると神代の眉がほんの少しだけ動いた。
「へぇ。仲良かったんだな」
その言い方が淡々としていて逆に怖い。 笑ってるようにも見えるけど、目だけがまったく笑っていない。
「そ、そんなに深い意味じゃ」
「別に。訊いただけだし?」
淡々とした口調なのに、どこか温度が低い。 上羽が隣からひょこっと顔を出してきて、小声で俺に囁く。
「神代、ちょっと機嫌悪い?」
「わかんない……なんか怖い……」
「ま、たくっちモテるから!今日の主役は転校生かたくっちだわ」
「いや俺関係ないし!」
焦って言い返した瞬間
「拓。」
後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、海斗が教科書を手に立っていた。
「席、近くてよかった。わかんないところあったから、教えてよ」
にっこり笑う海斗。 昔と同じ、柔らかくて人懐っこい笑顔。
「え、う、うん……」
戸惑って返事をすると、海斗は満足そうに頷いて席に戻っていく。
もやもやした気持ちを掲げながら海斗の席に行く。
その背中を黙って眺めていた神代は、ふっと息を吐き、上羽につぶやく。
「なんかさ」
「幼なじみって……強いよな」
「えっ?何言ってんだよ。たくっちに執着しすぎだよ、お前は」
「もぉ、東真らしくないなー。こういう時こそチャンスだろ」
「チャンスってなんだよ」
「さぁーね」
海斗のことも嬉しい。 でも、今は神代の表情が頭から離れない。
そして俺は気づく。
「(俺……なんでこんなに、神代の顔色気にしてんだ)」
チャイムが鳴り昼休みに入ると同時に、 「拓!」 海斗が迷いなくこっちへ走ってきた。
「ひさしぶりに会っといて、まだ話してないの変だろ?」 そう言って笑う海斗の顔は、昔と同じ。いや、少し大人っぽい。
「海斗、なんで転校してきたの?」
「んー、色々あってさ。でも拓がいるって聞いて、ちょっと嬉しかった」
そう言いながら、海斗は自然に俺の椅子の背もたれに腕を乗せて、距離を詰めてくる。
近い。 昔からこんな距離感だったっけ…… 妙に胸がざわつく。
「そういえばさ、拓さ」 海斗は懐かしそうな笑顔で俺の頬を指でつつく。
「まだこれ残ってる?小さいとき転んで作ったキズ」
「うわ、それ覚えてんの?」
「覚えてるよ。だって拓が泣いて、俺がずっと手つないで帰ったんだぜ?」
「やめろよ、それ言うなって!」
「えー、かわいかったのに」
海斗はくすっと笑い、俺の髪を軽くくしゃっと撫でる。
その瞬間。
ガタッ。
強い音がして、俺と海斗はそちらを向く。
神代だった。
プリントの束を机に雑に置き、こっちを睨むように見ている。
いつもの余裕なんて欠片もなく、露骨に不機嫌そうな顔。
「……楽しそうだな」 低い声。 ぞくっとするほど温度が違う。
「か、神代…?」
「拓の幼なじみだって聞いたから挨拶しようと思っただけ」
海斗は気まずそうに笑いつつ、神代に向き直る。 「えっと、神代くん?」
「何?」
一言がやけに刺々しい。
「拓の友達だよね。よろしく」
「ごめんごめん!俺ばっかり拓と喋っちゃって」 海斗が素直に謝ると、神代は短く返す。
「別に。拓が嫌じゃないなら」
「いや、その言い方は絶対嫌なやつだろ」 思わずツッコむと、神代は目をそらしながら小声でつぶやく。
「……別に。嫌じゃねぇけど」
海斗が俺の肩に手を置いた瞬間、 神代の眉がピクリと動いた。
「(え、そんな分かりやすく怒る?)」
海斗はまったく気づかず、楽しそうに笑っている。
「拓、あとで学校案内してよ。場所わかんねぇしさ」
「あ、いいよ」
「じゃ、決まり」
海斗の笑顔には どこか“俺を取られたくない”という昔からの独占欲がにじむ。
そっと横目で神代を見ると 彼は腕を組んだまま、明らかにムッとして、
「俺も一緒に行くよ」と強く張るように言う。
「えっ、まじ、ありがとう!」
「じゃあよろしく」そう言って海斗は自分の席に戻っていく。
そして小さく、誰にも聞こえない声で言った。
「アイツ、思ったより面倒そうだな」
あんな感情的になることあるんだな。 こんな神代を見るのは初めてで、複雑な気持ちだ。
そんな会話をじっと見ていた上羽が
「ちょっと、たくっち」と腕を引っ張られ、俺は半ば強制的に廊下へ連れ出された。
「ちょ、上羽……?」
教室のざわつきが遠くなる。 上羽は周りを確認して、誰もいないのを見ると小さくため息をついた。
「たくっち、気をつけて」
「え?」
さっきまでの軽い雰囲気とは違う、どこか真面目な顔。
「葵くん、あれ、ただの幼馴染じゃないでしょ?」
「え、いや、本当にただの幼馴染で、別に」
「だから“気をつけて”って言ってるの」
上羽は俺の肩を軽くつつく。
「たくっち、気づいてないのかもしれないけど。海斗くん、めっちゃ目で追ってたよ。ずーっと」
「そ、そんなこと……」
「しかもさ」
上羽が小さく首をかしげ、さらに声をひそめる。
「神代も、めっちゃ睨んでた」
「っ……!」
胸の奥がひゅっと縮まる。 言われるまで気づかないふりをしていたけど、確かに海斗が話しかけてくれるたびに、神代の視線が痛いくらい刺さっていた。
「たくっちは人たらしなんだから、自覚しないと危ないよ?」
「人たらしって」
「現に、幼馴染くんは懐いてるし、神代は明らかにピリついてるし。でしょ?」
図星すぎて何も言えない。
上羽はふっと微笑むと、少し優しい声になる。
「ま、困ったら俺に相談して。俺、たくっちの味方だから」
「う、うん……」
そう返事した瞬間、教室の中から大きな声が響いた。
「拓ー!ちょっと来て!」
海斗だ。
続いて、もう一つの低い声。
「……拓、こっち」
神代の呼ぶ声。
左右から引っ張られるみたいに、俺の胸がざわつく。
上羽は苦笑いした。
「ほら、早速取り合い。がんばれ、モテ男くん」
「いや、モテてないし!」
声だけは否定したのに、心の中は落ち着かなくてこの先、何かが動き出す予感がしていた。
放課後
チャイムが鳴り終わると同時に、教室の空気が一気にゆるむ。
机の間をすり抜けて帰り支度をする生徒たちの声がざわざわと響く。
「拓!学校の案内、行こ!」
海斗が無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
その声の明るさに、周りの何人かが思わず振り返るほどだった。
「あぁ、うん」
「神代くんも来てくれるんだよね?」
「まぁ……早く行くぞ」
神代の足はもう出口へ向いている。
完全に置いていかれそうになって、俺と海斗は慌てて追いかけた。
3人で歩き出す。 海斗は教室を出た瞬間から、俺しか見てないような目で話しかけてきた。
「拓、前より背伸びたよな。小学校のとき、俺が少し高かったのに」
「そうだっけ?覚えてないよ」
「覚えてないの?俺は覚えてるよ。拓のことはなんでも」
軽く笑いながら言う海斗。その声音はどこか柔らかくて、どこか特別だ。
隣で聞いていた神代は、微妙に顔が引きつっている。
「はいはい。で、海斗はどこを見たいんだ?」
「どこでもいいよ。拓が案内してくれるなら」
「俺もいるけど?」
神代の低い一言に、海斗はようやく視線を向けてきた。
「あ、うん。神代くんもよろしく」
「“も”ってなんだよ、“も”って」
口では文句を言いながら、なぜか歩幅をわずかに速めて俺の隣に寄ってくる神代。
海斗も自然と逆側に並ぶ。
俺を挟んで、左右にイケメン2人。
なんか……息苦しい。
「ここが体育館。授業以外にも、全校集会とかで使う」
「拓、まだ運動音痴?」
「えっ、まぁ」
「そっか。小学校の頃、一人だけめっちゃ真剣な顔でミスったりしてたのめちゃ面白かった」
「もぉー昔の話だから」
急に言われて動揺してしまう。
海斗は嬉しそうに笑う。
すると、右側にいた神代がすっと俺の前に出る。
「……体育館はそんなとこ。次、理科室な。行くぞ」
「え、ちょ、急……!」
強引な神代に腕を軽くつかまれて引っ張られる。
海斗は一瞬きょとんとしたが、すぐに追いかけてきた。
「神代くん、引っ張りすぎじゃない?」
「は?別に。案内してやってんだよ」
「ここ、試薬の匂いするよな」
「拓、苦手だったよね。“無理だー”って言って机に突っ伏してた」
「いやそれ覚えてんのかよ……」
ふっと笑ってしまう。 海斗は嬉しそう。
神代は、じっとこちらを見ている。
「拓、なんか昔より笑うようになったね」
「え、そう?」
「うん。前より楽しそう」
その言葉に、神代の眉がピクリと動いた。
「……そりゃ、今の学校が楽しいからだろ」
「そうだね。拓の周りに“特別な人”がいるのかもね」
海斗が意味深に言った瞬間、 横にいた神代と目が合う。
空気がピリッと張り詰めた。
「特別……ね」
神代はぼそっとつぶやき、 俺の方を一瞬だけ見る。
その目は、悔しさと、どこか決意みたいなものが入り混じっていて
胸がぎゅっと掴まれた。
「(何この空気。やめて…心臓がもたない)」
「まぁまぁ、学校案内はこんな感じかなー!」 焦った口調で俺は割って入り、空気を変えようとする。
「他に気になるところある?」
「いや、ないかな!ありがとう」 海斗は柔らかく笑う。
「そっか、良かった」
「俺にも礼言えよ」 神代が低い声でぼそっと言う。
「もちろん、ありがとう。神代くん」
海斗は神代に手を差し出し、握手を求める。
神代は海斗の手を握り返した
だが。
離さない。
いや、むしろ握力すごない? お互い、笑ってるけど目が全然笑ってない。
「(あの、やめて…火花散ってる…!)」
「はぁ…じゃあ早く帰ろ!」
俺が間に入ると、ようやく2人は手を離した。 手の甲、真っ赤じゃん。大丈夫かよ。
3人で昇降口を出る頃には、海斗の雰囲気はすっかり柔らかくなっていた。
「じゃあ、俺こっちだから。また明日、拓」
「うん。また明日」
海斗は優しい目で俺を見てから帰って行った。
「あいつ、昔からあんな感じなのか」
「うん、まあ。距離感がおかしい時あるよね」
「それって。拓だけにじゃなくて?」
「えっ!あぁ、どうだろ…俺以外仲良い子がいなかったしなぁ」
「ずる……」
そう神代がぼそっと呟くと
次の瞬間。
ぎゅっ。
「っ!?」
神代が俺を抱き寄せた。
横顔が近い。 肩に彼の胸元が触れる。 耳元に、熱い息が落ちてくる。
「さっきの、嫌だった」
「さっき?」
「海斗。お前のこと普通に触ってて、お前も素直にされて。ああいうの……嫌だ」
低い声。
怒ってるというより、拗ねてるみたいで、 でもどこか本気で 胸がくすぐったくて、苦しくなった。
「か、神代……」
「拓」
名前を呼ばれ、思わず喉が鳴る。
「拓が他の誰かに、持ってかれんの……俺が困る」
耳元で、それだけを落とすように言って、 神代は俺を包む腕にさらに力を込めた。
その体温に、心臓が壊れそうなほど跳ねる。
神代が自分の気持ちを隠していないことだけは、はっきりと分かった。
「(俺も、神代の気持ちに気づき始めてるのかもしれない。自分の気持ちにも)」
俺はそっと、神代の腕に手を添えた。
「……帰ろっか」
自然と、そんな言葉が出た。
神代は俺を離すと、ほんの少し笑った。 そこには、いつもの余裕じゃなく、 もっと近い、もっと正直な表情があった。
2人で並んで歩き出す帰り道。 夕焼けの下、つないでいないはずの手が、 妙に意識されて仕方がなかった。
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「そうだね。拓の周りに“特別な人”がいるのかもね。」
海斗がそう言った瞬間、俺は自然と拓の方を見た。 拓も一瞬こちらを見たけど、すぐに視線を逸らしてしまう。
特別な人。
そんな言葉、他の誰にも言われたくない。 それがよりによって、いきなり現れた幼馴染の口からなんて。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「特別……ね」
気づけば、そう呟いていた。
拓は困ったように笑って場をつなごうとしている。
「まぁまぁ、学校案内はこんな感じかなー!他に気になるところある?」
「いや、ないかな!ありがとう」
その笑顔に、海斗は当たり前のように返す。
……当たり前じゃないだろ。なんでそんな自然なんだ。
「俺にも礼言えよ」
思わず口が動いていた。 自分でも、少し幼い言い方だと思いながら。
「もちろん、ありがとう。神代くん」
海斗は手を差し出してきた。 握手なんて本来どうでもいいはずなのに、俺はその手を握り返した。
強く。
離さない。
これくらいしないと、自分の気持ちが押しつぶされそうだった。
海斗も負けじと握り返してきた。 笑ってるけど、目は笑っていない。
どっちが拓の“隣”にいるのが当たり前か、分からせてやる。
海斗と別れ、帰る道を拓と二人で歩く。
少し風が強くて、拓の髪が揺れた。 その姿を見た瞬間、胸の中に溜め込んでいたものが溢れそうになる。
もう、抑えられなかった。
ぐっと腕を引き寄せて、拓を胸の中に抱きしめる。
拓の体温が触れた瞬間、心臓が跳ねる。
ずっと。 キャンプの夜からずっと。 触れたかった。
こんな無茶をするつもりじゃなかったのに。
「海斗。お前のこと普通に触ってて、お前も素直にされて。ああいうの……嫌だ」
こんなことを言う自分も嫌になる。
でも
「(俺の知らないお前、いっぱいあいつは知ってるんだなって思ったら)」
抱きしめる力も強くなる。
拓がそっと俺の腕に触れた。
拒まない。むしろ少しだけ近づいた気がした。
「……帰ろっか」
そう拓が言ったから、そっと離すと、拓は真っ赤な顔で固まっていた。
その表情を見た瞬間、胸の奥が熱くなる。
「(俺の気持ち…少しくらい伝わったよな)」
海斗が現れたことで、危機感と同時に覚悟が生まれた。
負ける気はしない。
俺は拓の横に並び、何でもないふりをして歩き出した。
