近くの施設でシャワーを浴びたあと、俺たちはそれぞれのテントに入った。
テントの広さは六畳ほど。男二人が寝るには十分だけど、寝返りを打つスペースはほぼない。
さっきまで花火の余韻で高ぶっていた胸の鼓動も、ようやく落ち着いてきて
その瞬間、ふと現実に気づく。
「(……俺、今から学年1のイケメンと寝るの!?)」
自然な流れでテントまで来てしまったが、数ヶ月前の自分に言っても絶対信じないだろう。 頭の整理が一切追いつかない。
「寝るか」
神代はそう言うと、ランタンの薄い光の中で寝袋を広げた。 強くも優しくもない、いつもの落ち着いた声。 だけど、その仕草はどこかぎこちなく見える。
「あ……うん」
返事をした途端、胸のドキドキが逆に加速してしまう。
そしてなにより寝袋が“カップル仕様”みたいなダブルサイズで、俺と神代が横並びで詰め込まれる羽目になった。
寝袋に潜り込むと、同じタイミングで神代も横になった。
その瞬間、神代がちらりとこちらを見た。
いつもの余裕たっぷりの笑みじゃない。 柔らかいけれど、どこか緊張したような、落ち着かないような…そんな目。
「……」
視線がほんの一秒絡むだけで、喉がひゅっと鳴る。
こんな近さで、こんな表情の神代を見るのは初めてで……
目を逸らしたのは、たぶん俺のほうが早かった。
「……なんか、狭いな」
「まぁ、テントってこんな感じだよね」
「いや、まぁ……うん。わかってるけどさ」
神代、目が泳いでる。
珍しい。
「なんか緊張してる?」
「え?してないけど」
即答なのに声が小さい。
「顔赤いけど」
初めて見る顔に思わずからかいたくなる。
「うるさい。……ちょっとだけだよ、ちょっとだけ」
ちょっとだけって言いながら、耳まで赤くなってんだけど。
神代はうつ伏せ気味に寝返りをして、顔半分だけこっちに向けた。
「お前とこうやって寝るの、初めてじゃん」
「だからってそんな緊張する?」
「するだろ。普通はするって」
言いながら視線を合わせてこない。 そのくせ距離はじわじわ近づいてくる。
「……今日さ」
「ん?」
神代が勇気を出すみたいに、ゆっくり言葉を続ける。
「花火の時、お前が笑ってるの見て……なんかすげーよかった」
「何それ」
「だから……その……」
言い淀んで、寝袋の端を握りしめてる。
「今日一緒に寝れるの、ちょっと……嬉しい」
小声すぎて、聞き返したくなるくらい。
「神代って」
「言わせんなよ……。恥ずいから」
その言葉に胸がきゅっとなる。
沈黙が落ちて、静かな夜が2人を包む。 緊張と甘さで、空気が重くなる。
やがて、神代がぽつりと呟く。
「……なぁ。近く、来ていい?」
「え?」
「寝る時だけでいいから。……落ち着かない」
こっち見ながら言ってくるくせに、目線はまったく合わない。
「……いいけど」
許可すると、神代は小さく息を吐いて、ほんの少しだけ身を寄せた。 ほんの少しなのに、体温が強烈に伝わる。
「……ありがと」
「やっぱ緊張してない?」
「ちげぇし……でも、うん。ちょっとだけ」
布の擦れる音がして、神代が目を閉じる。
「……おやすみ、拓」
その声があまりに優しくて、心臓が落ち着くどころか逆に暴れ出す。
「……おやすみ」
2人の距離は、さっきより少しだけ近かった。
テントの中は静かで、外の夜風が布を揺らす音だけがかすかに響いていた。
神代は寝袋に入って数分もしないうちに寝息を立て始める。 その横顔を見ながら、俺はまだ胸の鼓動を落ち着かせられずにいた。
「(いや、無理だろこれ。距離…近すぎるって)」
寝返りを打つとぶつかりそうなほど近い。 6畳くらいの広さでも、2人の寝袋を並べたら圧迫感がすごい。
目を閉じようとしたが、
“…っ”
神代が少し動いた。
そして、次の瞬間。
ふわ…っと俺の手の上に、何か温かいものが落ちてきた。
「……え?ちょ…」
見なくてもわかる。 神代の手だ。
寝返りを打った拍子なのか、自然と流れてきた手が、俺の手を軽く掴んで離さない。
「(うそだろ…!寝てるよな!?)」
ちらっと横目で確認すると、神代は完全に熟睡していた。
眉も口元もゆるんでいて、いつもの余裕のある表情とは違う、子どもみたいな顔。
「(いや、なんだよその顔…反則だって)」
驚きと、なんかよくわからない緊張で心臓が暴れている。
手のひらに感じる体温が、ジンジン伝わってきて、無意識だってわかってるのに、離すことができない。
「(これじゃ寝れない…)」
息をひとつ呑み込んで、俺はぎゅっと目を閉じる。そしていつの間にか深い眠りに入る。
朝の光が、テントの布をほのかに透かしていた。
神代はまどろみの中で目を開け、ゆっくりと息を吸う。 寝袋の中はふわっと温かくて、どこか動きづらい。
「……ん?」
胸のあたりに感じる重み。 視線を下げると…
拓が、神代の胸にしっかり抱きついたまま眠っていた。
腕は腰に回され、脚までぴったり絡んでいる。 寝息は規則的で、どうやら完全に熟睡しているようだった。
神代の心臓が、一瞬で目を覚ます。
「(ちょ……待て……これ……)」
昨日の自分なら、これでも平静を装えていたかもしれない。
でも、夜に近すぎる距離で眠ったせいか、今は落ち着ける自信が全然ない。
拓の指が無意識にぎゅっと神代のシャツを掴んだ瞬間
「……っ!」
神代は思わず息を呑む。 その小さな仕草ひとつで、胸の奥が跳ね上がる。
「(反則だろこれ……)」
逃げるどころか、むしろ動けない。
寝袋の中で拓を起こさないように、そっと体を固くしたまま様子を見る。
「……ん、……かみ…しろ……」
拓が微かに声を漏らし、顔をすり寄せてくる。 寝ぼけているのか、完全に無防備だ。
「お、おい……拓……」
神代は囁くが、返事はない。 代わりに、抱く腕の力がまた少し強くなる。
「(……朝からこれは心臓に悪いって……)」
結局、拓が目を覚ますまでの数分、 神代はひとり静かに悶え続けることになった。
そして 拓がゆっくり目を開けて最初に見たのが、すぐ目の前の神代の顔で。
「あっ……えっ……え!?なんで俺……抱きついて……!?」
飛び起きて、思いがけず神代を突き飛ばしてしまう。
「うおっ…!」
軽く神代が後ろによろめく
「あっ、ごめん!」
「なんで俺…」
「知らないよ。俺が聞きたい。」
神代は顔を逸らしながら、俺の顔をまともに見ようとしない。
「でも、神代だって俺の手……」
言いかけた瞬間。
「えっ?」
神代は本気で心当たりがない顔をしている。
「あ、俺もなんかしてた……?寝相とか……」 小さくつぶやく声が妙に恥ずかしそうで、余計に言いづらい。
「いや……いい。なんでもない。」
「(手を繋いで寝てたとか……言えるかよ……!)」
テントの中に気まずさと熱が溶け合ったような空気が流れる。
そんな中で、神代がぼそりとつぶやいた。
「でも……」 ふいに、視線が合う。
「寝言で俺の名前、呼んでただろ?」
「……えっ!嘘!?俺?」
「拓以外に誰がいるんだよ。」 神代は笑っているのに、どこか照れている。
「夢の中でもさ……俺のこと考えてたわけ?」
「えっ、いやそんなわけ!」
否定しようとして、言葉が喉でつかえる。
神代が俺の方へ近づいてくるからだ。
さっきまでただの“イケメン”だったのに、 今はどこか妙にやわらかい雰囲気をまとっている。
距離が近い。
息が触れそうな距離で、神代はそっと手を伸ばした。
そして。
俺の頭を、優しく撫でた。
「っ……!」
反射的に肩が跳ねる。
神代はその反応を見て、小さく微笑んだ。 いつもの余裕とは違う、どこかぎこちなくて優しい笑み。
「……今回は、これで我慢。」
その一言に、胸の奥がじんわり熱くなる。
「それって、どういう……」
神代の手が俺の頭にまだ触れている。その時
バッッ!!
突然、テントの入口が荒々しく開いた。
「おーい!起きてるかー!!」 的林の大声が響く。
「ちょっ!うるさいって。朝から元気すぎ」 上羽が後ろから呆れ顔で続く。
俺と神代は、固まった。
距離は近いまま。
俺の頭に触れていた神代の手は、逃げ場を失ったように空中で止まっている。
「……え、なに? 何してんの?」 上羽が目を細めて、じーーっと俺たちを観察する。
「ち、違う! 勝手に入ってくんな!」 俺は慌てて寝袋から飛び出す。
神代も咳払いしながら手を引っ込めた。 「髪にゴミついてたから。」
「いやいや、絶対なんかやましい雰囲気だったよね?」 上羽がにやにやしながら俺の横腹を突いてくる。
「ねぇ的林くん見た?今の距離感」
「見たけど、見なかったことにするわ。」 的林はそっと入口の布を下ろそうとする。
「ちょっ、帰るな!!」 俺は叫びながら布を押し戻す。
「でもさぁ、たくっち……」 上羽が顔を近づけ、こそこそ声で言う。
「寝起きの神代と距離ゼロとか、何その特等席」
「ちがうから!」
「まぁいいや。とりあえず朝飯の時間だから来い」 的林がそう言うと、上羽はまたニヤつく。
「はいはい、ラブテントさん、急いでー」
「いやラブって何!」
そんな俺の叫びを背に、 的林はため息つきながら、上羽を軽く小突いた。
神代は隣で小さく笑って、 寝袋を軽く叩いて整えながら言った。
「……行くか、拓。」
その笑顔は、誰にも見られたくないくらい優しかった。
外に出ると朝の空気はひんやりしていて、焚き火の残り香がまだ少し漂っている。
テーブルの上には、的林と上羽が急いで作ったホットサンドが並んでいた。
「俺たち寝坊だから早く食べねーと」
「子どもたちは先に先生達と食べたから」
川のあたりでは元気な子ども達とそれを見守る先生達がいた。
「ほら拓、これ。上羽が残り一枚の大切なパンを焦がしてるけど」 雑に渡してくる的林。
「いや、焦げてるって言うなよ」 上羽が横で文句を言う。
そんな二人のやり取りを見て、普段なら笑えるのに 今日は全然、頭に入ってこない。
だって。
すぐ隣に座る神代が、今朝のあの距離のまま、妙に落ち着かない表情でパンをかじってるから。
「……ん?」 目が合った。
だけなのに……
なにこれ。 こんな距離感、今まで意識したことなかったのに。
寝袋の中で感じた体温。 寝惚けた神代の腕の重さ。
俺が勝手に抱きついて なのに神代は優しく撫でてくれて。
思い出すたびに指先が熱くなる。
「拓?どうした、ぼーっとして」 神代がパンを片手に、少し顔を寄せてくる。
いや、近いって。 わざとじゃないのに、勝手に心臓が忙しくなる。
「い、いや、別に……!」
「なんだよその返事。変なの」 そう言って笑う表情が、 普段よりちょっと照れを含んでる気がして ますます意識する。
「おーい、たくっち?」 上羽が覗き込んでくる。 「さっきから神代の方しか見てないぞ。まさか恋?」
「見てない」
「はい出た、即否定」 にやにやが止まらない上羽を的林が後ろから小突く。
「じゃましてあげんなよ。君も朝からうるさい」
でも神代は、俺のパンをチラッと見て
「……拓、これ焦げてないからこっち食べたら」
そう言って、俺の皿に半分あるホットサンドと交換してくれる。
その指先が触れそうで。 息が詰まる。
「あ、ありがとう」
なんだよ。 なんでこんな些細なことでドキドキしてんだ俺。
「(落ち着け、俺。これはただのキャンプ。友達。同級生)」
だけど
隣で笑う神代の横顔を見た瞬間、 胸がキュッと締め付けられた。
あぁもう。 なんでそんな顔すんだよ。 これじゃ意識するなって方が無理だろ。
朝ごはんを食べ終えると、それぞれがキャンプ道具の片付けに散っていった。
空気はまだ少しひんやりしていて、火の後始末をする匂いが漂っている。
「せんせー!これゴミ袋どこ入れるのー?」 「拓せんせ、寝袋しまっていいー?なんか大きかったやつ!」
子どもたちの声が、相変わらずテント前に響き渡る。
俺はそれに返事をしながら、使っていたテントのファスナーを開け、ポールを外し始めた。
「テント片付けるか……」
小さく呟きながら作業を続ける。 思ったよりも骨が折れるし、誰かに頼むのも悪い。
みんな子どもたちの相手で手一杯だ。
「重っ……」
袋に押し込もうとしても、なかなか収まらずに腕が震える。
そのとき、遠くから名前を呼ばれた。
「拓!」
驚いて顔を上げると、神代がこちらに走ってくる。
「一人じゃ危ないだろ」
息を少し切らしながら、俺の横にしゃがみ込んだ。
「あ、ごめん……」
謝ったら、神代は短く首を横に振った。
「謝る意味わかんねーよ。ほら、持つから」
横顔がやけに頼もしくて、胸の奥が不意に熱くなる。
その反対側では
「ねぇ、上羽せんせー!荷物持ってー!」 「的林せんせ、これ重っ!」
上羽と的林が子どもたちに呼ばれ続け、完全に捕まっていた。
「……相変わらず人気だな、あの2人」
苦笑しながら、神代は器用にテントを畳んでいく。
2人で作業すると驚くほど早い。 あっという間にテントは袋に収まり、周りの荷物も残りわずかになった。
気づけば、子どもたちも上羽も的林も、車へ荷物を運びに行ってしまっていた。
テントの周りに残っているのは、俺と神代だけ。
静かすぎて、心臓の音がやけに拾われる。
神代は、テント袋の紐をポンと締め、 そのまま自然に俺の方へと視線を向けた。
その目に、いつもの余裕の笑みはなく…… 少しだけ、言いたいことがありそうな色がにじんでいた。
「……静かだな」
神代が、ぽつりと呟く。
いつも通りの声なのに、どこか緊張が混ざっている気がして、俺の心臓がまた変な跳ね方をした。
「さっきの……その、寝袋のこととか、忘れていいから」
俺が慌てて言うと、神代はクスッと笑って首を振る。
「忘れないよ」
「え」
「拓が……あんなふうに俺にしがみついてくるなんて、そうそうないでしょ」
「だから!無意識で……!」
必死に否定する俺を、神代は静かに見つめる。
さっきまで子どもたちとふざけていた顔じゃない。
妙に優しくて、落ち着いた、でもどこか照れてる顔。
「拓がさ」
神代が、自分の指でテントのポールを軽くトントン叩きながら言う。
「誰よりも真っすぐで、必死で、頑張ってて……そんなの見てたらさ」
一度、俺から目をそらした。
「……放っとけないよ」
「えっ」
「別に、特別って言葉は使わないけど」
俺の方へ向き直る。
「拓のこと、ちゃんと見てるから」
その言い方があまりにも自然で、 でも告白みたいで、 心臓が焼けるみたいに熱くなる。
なにか返さなきゃと思っても、声が出ない。
そんな俺を見て、神代はふっと笑う。
「……このくらいなら、気づかれない程度だろ」
「な、にが?」
「俺の気持ち、ちょっとだけ」
さらっと言われたその言葉が、胸に刺さる。
「行くぞ。戻らないと上羽たちに探される」
そう言って、神代は歩き出す。 でもその横顔は、、、 少し赤く見えた。
「あ、うん」
俺は、動揺を悟られないように深呼吸して、 その背中を追いかけた。
ーー今日、このキャンプが終わっても。 俺たちの“何か”は、まだ終わらない気がした。
テントの広さは六畳ほど。男二人が寝るには十分だけど、寝返りを打つスペースはほぼない。
さっきまで花火の余韻で高ぶっていた胸の鼓動も、ようやく落ち着いてきて
その瞬間、ふと現実に気づく。
「(……俺、今から学年1のイケメンと寝るの!?)」
自然な流れでテントまで来てしまったが、数ヶ月前の自分に言っても絶対信じないだろう。 頭の整理が一切追いつかない。
「寝るか」
神代はそう言うと、ランタンの薄い光の中で寝袋を広げた。 強くも優しくもない、いつもの落ち着いた声。 だけど、その仕草はどこかぎこちなく見える。
「あ……うん」
返事をした途端、胸のドキドキが逆に加速してしまう。
そしてなにより寝袋が“カップル仕様”みたいなダブルサイズで、俺と神代が横並びで詰め込まれる羽目になった。
寝袋に潜り込むと、同じタイミングで神代も横になった。
その瞬間、神代がちらりとこちらを見た。
いつもの余裕たっぷりの笑みじゃない。 柔らかいけれど、どこか緊張したような、落ち着かないような…そんな目。
「……」
視線がほんの一秒絡むだけで、喉がひゅっと鳴る。
こんな近さで、こんな表情の神代を見るのは初めてで……
目を逸らしたのは、たぶん俺のほうが早かった。
「……なんか、狭いな」
「まぁ、テントってこんな感じだよね」
「いや、まぁ……うん。わかってるけどさ」
神代、目が泳いでる。
珍しい。
「なんか緊張してる?」
「え?してないけど」
即答なのに声が小さい。
「顔赤いけど」
初めて見る顔に思わずからかいたくなる。
「うるさい。……ちょっとだけだよ、ちょっとだけ」
ちょっとだけって言いながら、耳まで赤くなってんだけど。
神代はうつ伏せ気味に寝返りをして、顔半分だけこっちに向けた。
「お前とこうやって寝るの、初めてじゃん」
「だからってそんな緊張する?」
「するだろ。普通はするって」
言いながら視線を合わせてこない。 そのくせ距離はじわじわ近づいてくる。
「……今日さ」
「ん?」
神代が勇気を出すみたいに、ゆっくり言葉を続ける。
「花火の時、お前が笑ってるの見て……なんかすげーよかった」
「何それ」
「だから……その……」
言い淀んで、寝袋の端を握りしめてる。
「今日一緒に寝れるの、ちょっと……嬉しい」
小声すぎて、聞き返したくなるくらい。
「神代って」
「言わせんなよ……。恥ずいから」
その言葉に胸がきゅっとなる。
沈黙が落ちて、静かな夜が2人を包む。 緊張と甘さで、空気が重くなる。
やがて、神代がぽつりと呟く。
「……なぁ。近く、来ていい?」
「え?」
「寝る時だけでいいから。……落ち着かない」
こっち見ながら言ってくるくせに、目線はまったく合わない。
「……いいけど」
許可すると、神代は小さく息を吐いて、ほんの少しだけ身を寄せた。 ほんの少しなのに、体温が強烈に伝わる。
「……ありがと」
「やっぱ緊張してない?」
「ちげぇし……でも、うん。ちょっとだけ」
布の擦れる音がして、神代が目を閉じる。
「……おやすみ、拓」
その声があまりに優しくて、心臓が落ち着くどころか逆に暴れ出す。
「……おやすみ」
2人の距離は、さっきより少しだけ近かった。
テントの中は静かで、外の夜風が布を揺らす音だけがかすかに響いていた。
神代は寝袋に入って数分もしないうちに寝息を立て始める。 その横顔を見ながら、俺はまだ胸の鼓動を落ち着かせられずにいた。
「(いや、無理だろこれ。距離…近すぎるって)」
寝返りを打つとぶつかりそうなほど近い。 6畳くらいの広さでも、2人の寝袋を並べたら圧迫感がすごい。
目を閉じようとしたが、
“…っ”
神代が少し動いた。
そして、次の瞬間。
ふわ…っと俺の手の上に、何か温かいものが落ちてきた。
「……え?ちょ…」
見なくてもわかる。 神代の手だ。
寝返りを打った拍子なのか、自然と流れてきた手が、俺の手を軽く掴んで離さない。
「(うそだろ…!寝てるよな!?)」
ちらっと横目で確認すると、神代は完全に熟睡していた。
眉も口元もゆるんでいて、いつもの余裕のある表情とは違う、子どもみたいな顔。
「(いや、なんだよその顔…反則だって)」
驚きと、なんかよくわからない緊張で心臓が暴れている。
手のひらに感じる体温が、ジンジン伝わってきて、無意識だってわかってるのに、離すことができない。
「(これじゃ寝れない…)」
息をひとつ呑み込んで、俺はぎゅっと目を閉じる。そしていつの間にか深い眠りに入る。
朝の光が、テントの布をほのかに透かしていた。
神代はまどろみの中で目を開け、ゆっくりと息を吸う。 寝袋の中はふわっと温かくて、どこか動きづらい。
「……ん?」
胸のあたりに感じる重み。 視線を下げると…
拓が、神代の胸にしっかり抱きついたまま眠っていた。
腕は腰に回され、脚までぴったり絡んでいる。 寝息は規則的で、どうやら完全に熟睡しているようだった。
神代の心臓が、一瞬で目を覚ます。
「(ちょ……待て……これ……)」
昨日の自分なら、これでも平静を装えていたかもしれない。
でも、夜に近すぎる距離で眠ったせいか、今は落ち着ける自信が全然ない。
拓の指が無意識にぎゅっと神代のシャツを掴んだ瞬間
「……っ!」
神代は思わず息を呑む。 その小さな仕草ひとつで、胸の奥が跳ね上がる。
「(反則だろこれ……)」
逃げるどころか、むしろ動けない。
寝袋の中で拓を起こさないように、そっと体を固くしたまま様子を見る。
「……ん、……かみ…しろ……」
拓が微かに声を漏らし、顔をすり寄せてくる。 寝ぼけているのか、完全に無防備だ。
「お、おい……拓……」
神代は囁くが、返事はない。 代わりに、抱く腕の力がまた少し強くなる。
「(……朝からこれは心臓に悪いって……)」
結局、拓が目を覚ますまでの数分、 神代はひとり静かに悶え続けることになった。
そして 拓がゆっくり目を開けて最初に見たのが、すぐ目の前の神代の顔で。
「あっ……えっ……え!?なんで俺……抱きついて……!?」
飛び起きて、思いがけず神代を突き飛ばしてしまう。
「うおっ…!」
軽く神代が後ろによろめく
「あっ、ごめん!」
「なんで俺…」
「知らないよ。俺が聞きたい。」
神代は顔を逸らしながら、俺の顔をまともに見ようとしない。
「でも、神代だって俺の手……」
言いかけた瞬間。
「えっ?」
神代は本気で心当たりがない顔をしている。
「あ、俺もなんかしてた……?寝相とか……」 小さくつぶやく声が妙に恥ずかしそうで、余計に言いづらい。
「いや……いい。なんでもない。」
「(手を繋いで寝てたとか……言えるかよ……!)」
テントの中に気まずさと熱が溶け合ったような空気が流れる。
そんな中で、神代がぼそりとつぶやいた。
「でも……」 ふいに、視線が合う。
「寝言で俺の名前、呼んでただろ?」
「……えっ!嘘!?俺?」
「拓以外に誰がいるんだよ。」 神代は笑っているのに、どこか照れている。
「夢の中でもさ……俺のこと考えてたわけ?」
「えっ、いやそんなわけ!」
否定しようとして、言葉が喉でつかえる。
神代が俺の方へ近づいてくるからだ。
さっきまでただの“イケメン”だったのに、 今はどこか妙にやわらかい雰囲気をまとっている。
距離が近い。
息が触れそうな距離で、神代はそっと手を伸ばした。
そして。
俺の頭を、優しく撫でた。
「っ……!」
反射的に肩が跳ねる。
神代はその反応を見て、小さく微笑んだ。 いつもの余裕とは違う、どこかぎこちなくて優しい笑み。
「……今回は、これで我慢。」
その一言に、胸の奥がじんわり熱くなる。
「それって、どういう……」
神代の手が俺の頭にまだ触れている。その時
バッッ!!
突然、テントの入口が荒々しく開いた。
「おーい!起きてるかー!!」 的林の大声が響く。
「ちょっ!うるさいって。朝から元気すぎ」 上羽が後ろから呆れ顔で続く。
俺と神代は、固まった。
距離は近いまま。
俺の頭に触れていた神代の手は、逃げ場を失ったように空中で止まっている。
「……え、なに? 何してんの?」 上羽が目を細めて、じーーっと俺たちを観察する。
「ち、違う! 勝手に入ってくんな!」 俺は慌てて寝袋から飛び出す。
神代も咳払いしながら手を引っ込めた。 「髪にゴミついてたから。」
「いやいや、絶対なんかやましい雰囲気だったよね?」 上羽がにやにやしながら俺の横腹を突いてくる。
「ねぇ的林くん見た?今の距離感」
「見たけど、見なかったことにするわ。」 的林はそっと入口の布を下ろそうとする。
「ちょっ、帰るな!!」 俺は叫びながら布を押し戻す。
「でもさぁ、たくっち……」 上羽が顔を近づけ、こそこそ声で言う。
「寝起きの神代と距離ゼロとか、何その特等席」
「ちがうから!」
「まぁいいや。とりあえず朝飯の時間だから来い」 的林がそう言うと、上羽はまたニヤつく。
「はいはい、ラブテントさん、急いでー」
「いやラブって何!」
そんな俺の叫びを背に、 的林はため息つきながら、上羽を軽く小突いた。
神代は隣で小さく笑って、 寝袋を軽く叩いて整えながら言った。
「……行くか、拓。」
その笑顔は、誰にも見られたくないくらい優しかった。
外に出ると朝の空気はひんやりしていて、焚き火の残り香がまだ少し漂っている。
テーブルの上には、的林と上羽が急いで作ったホットサンドが並んでいた。
「俺たち寝坊だから早く食べねーと」
「子どもたちは先に先生達と食べたから」
川のあたりでは元気な子ども達とそれを見守る先生達がいた。
「ほら拓、これ。上羽が残り一枚の大切なパンを焦がしてるけど」 雑に渡してくる的林。
「いや、焦げてるって言うなよ」 上羽が横で文句を言う。
そんな二人のやり取りを見て、普段なら笑えるのに 今日は全然、頭に入ってこない。
だって。
すぐ隣に座る神代が、今朝のあの距離のまま、妙に落ち着かない表情でパンをかじってるから。
「……ん?」 目が合った。
だけなのに……
なにこれ。 こんな距離感、今まで意識したことなかったのに。
寝袋の中で感じた体温。 寝惚けた神代の腕の重さ。
俺が勝手に抱きついて なのに神代は優しく撫でてくれて。
思い出すたびに指先が熱くなる。
「拓?どうした、ぼーっとして」 神代がパンを片手に、少し顔を寄せてくる。
いや、近いって。 わざとじゃないのに、勝手に心臓が忙しくなる。
「い、いや、別に……!」
「なんだよその返事。変なの」 そう言って笑う表情が、 普段よりちょっと照れを含んでる気がして ますます意識する。
「おーい、たくっち?」 上羽が覗き込んでくる。 「さっきから神代の方しか見てないぞ。まさか恋?」
「見てない」
「はい出た、即否定」 にやにやが止まらない上羽を的林が後ろから小突く。
「じゃましてあげんなよ。君も朝からうるさい」
でも神代は、俺のパンをチラッと見て
「……拓、これ焦げてないからこっち食べたら」
そう言って、俺の皿に半分あるホットサンドと交換してくれる。
その指先が触れそうで。 息が詰まる。
「あ、ありがとう」
なんだよ。 なんでこんな些細なことでドキドキしてんだ俺。
「(落ち着け、俺。これはただのキャンプ。友達。同級生)」
だけど
隣で笑う神代の横顔を見た瞬間、 胸がキュッと締め付けられた。
あぁもう。 なんでそんな顔すんだよ。 これじゃ意識するなって方が無理だろ。
朝ごはんを食べ終えると、それぞれがキャンプ道具の片付けに散っていった。
空気はまだ少しひんやりしていて、火の後始末をする匂いが漂っている。
「せんせー!これゴミ袋どこ入れるのー?」 「拓せんせ、寝袋しまっていいー?なんか大きかったやつ!」
子どもたちの声が、相変わらずテント前に響き渡る。
俺はそれに返事をしながら、使っていたテントのファスナーを開け、ポールを外し始めた。
「テント片付けるか……」
小さく呟きながら作業を続ける。 思ったよりも骨が折れるし、誰かに頼むのも悪い。
みんな子どもたちの相手で手一杯だ。
「重っ……」
袋に押し込もうとしても、なかなか収まらずに腕が震える。
そのとき、遠くから名前を呼ばれた。
「拓!」
驚いて顔を上げると、神代がこちらに走ってくる。
「一人じゃ危ないだろ」
息を少し切らしながら、俺の横にしゃがみ込んだ。
「あ、ごめん……」
謝ったら、神代は短く首を横に振った。
「謝る意味わかんねーよ。ほら、持つから」
横顔がやけに頼もしくて、胸の奥が不意に熱くなる。
その反対側では
「ねぇ、上羽せんせー!荷物持ってー!」 「的林せんせ、これ重っ!」
上羽と的林が子どもたちに呼ばれ続け、完全に捕まっていた。
「……相変わらず人気だな、あの2人」
苦笑しながら、神代は器用にテントを畳んでいく。
2人で作業すると驚くほど早い。 あっという間にテントは袋に収まり、周りの荷物も残りわずかになった。
気づけば、子どもたちも上羽も的林も、車へ荷物を運びに行ってしまっていた。
テントの周りに残っているのは、俺と神代だけ。
静かすぎて、心臓の音がやけに拾われる。
神代は、テント袋の紐をポンと締め、 そのまま自然に俺の方へと視線を向けた。
その目に、いつもの余裕の笑みはなく…… 少しだけ、言いたいことがありそうな色がにじんでいた。
「……静かだな」
神代が、ぽつりと呟く。
いつも通りの声なのに、どこか緊張が混ざっている気がして、俺の心臓がまた変な跳ね方をした。
「さっきの……その、寝袋のこととか、忘れていいから」
俺が慌てて言うと、神代はクスッと笑って首を振る。
「忘れないよ」
「え」
「拓が……あんなふうに俺にしがみついてくるなんて、そうそうないでしょ」
「だから!無意識で……!」
必死に否定する俺を、神代は静かに見つめる。
さっきまで子どもたちとふざけていた顔じゃない。
妙に優しくて、落ち着いた、でもどこか照れてる顔。
「拓がさ」
神代が、自分の指でテントのポールを軽くトントン叩きながら言う。
「誰よりも真っすぐで、必死で、頑張ってて……そんなの見てたらさ」
一度、俺から目をそらした。
「……放っとけないよ」
「えっ」
「別に、特別って言葉は使わないけど」
俺の方へ向き直る。
「拓のこと、ちゃんと見てるから」
その言い方があまりにも自然で、 でも告白みたいで、 心臓が焼けるみたいに熱くなる。
なにか返さなきゃと思っても、声が出ない。
そんな俺を見て、神代はふっと笑う。
「……このくらいなら、気づかれない程度だろ」
「な、にが?」
「俺の気持ち、ちょっとだけ」
さらっと言われたその言葉が、胸に刺さる。
「行くぞ。戻らないと上羽たちに探される」
そう言って、神代は歩き出す。 でもその横顔は、、、 少し赤く見えた。
「あ、うん」
俺は、動揺を悟られないように深呼吸して、 その背中を追いかけた。
ーー今日、このキャンプが終わっても。 俺たちの“何か”は、まだ終わらない気がした。
