テントが完成し、俺と神代は、ぐったりした様子の上羽と的林のところへ歩いていった。
「ぺ、ペグ打ち……二度とやらない……」 上羽は地面にへたり込み、魂が抜けたみたいな顔をしている。
「いや、ほとんど俺がやったんだけど?」
的林がぼそっと小声で突っ込むと、
上羽は「聞こえてるからな……」と弱々しく返した。
そのやり取りに、思わず笑いがこみ上げた。 「あの二人、あんな仲良かったっけ?」 「さぁ」
神代が首をかしげながらも、楽しそうに目を細める。
的林が手をパンと叩き、切り替えるように言った。
「よし。ちょっと休憩したら、釣り行くか」
途端に上羽の瞳がギラッと光った。 「釣り!? 行く!」
「急に元気だな……」 的林が呆れながら靴紐を締め直す。
川までは歩いて五分。 木々を渡る風が頬をなで、水面に光が揺れてきらきらと弾ける。
「うわ……めっちゃ綺麗じゃん」 上羽が感嘆の息を漏らし、俺の隣にいた子どもがパッと指さした。
「ここさ、魚いっぱいなんだよ!ぼく昨日見た!」
「へぇ、ほんとに?」
「ほんとほんと!」
子どもは胸を張り、「今日は絶対つれる!」と宣言した。
的林は竿を配りながら言う。 「はい、これは餌つけるやつ」
その瞬間、別の子が顔をしかめる。 「む……虫?」
「当たり前だろ~。魚のごはんだぞ」 的林が笑うと、子どもは竿を持ったまま上羽の後ろに隠れた。
「やだー虫こわい! お兄さんやって!!」
「え、俺!? いや、俺も……」
「ほら早く」 「無理! 絶対無理!!」
すぐに駄々をこね始めた上羽の背中を、的林が軽く押す。 「大丈夫大丈夫、“虫さんこんにちは”の気持ちで」 「そんな気持ち一生ならないから!」
そんな他愛ないやり取りが周りに響く中、神代がすっと俺の前に立ち、竿を差し出した。
「はい、これ拓の」
「あ、ありがとう」
受け取ると、餌がすでに綺麗に付けられているのに気付いた。
「あれ、餌つけてくれたの?」
「うん。虫苦手だろ?」
「え、なんで知ってるの?」
「さぁね」
曖昧に笑った神代は、そのまま水面に視線を落とし、竿をゆっくり構えた。
――なんだよ、その反応。
胸の奥に小さなもやが渦巻くのを感じながら、俺も釣り糸を投げる。
水の匂い、頬を撫でる風、にぎやかな声。 学校とはまったく違う時間が、ゆっくりと流れていく。
「お兄さんたち! 見てみて!!」 さっきの子が波打ち際でバシャバシャしながら叫んだ。
「魚の影っぽいのあった! ここ絶対つれるって!」
「ほんとかな~?」 俺が笑うと、子どもは目を輝かせながら言う。
「お兄さんと一緒なら絶対つれる!」
その無邪気さがくすぐったくて、思わず頭を撫でた。
とはいえ
「ぎゃああ! 的林!餌がこっち来た、来んなって!!」
「ちょっ!落ち着けって!これ餌!!」
結局いちばん騒いでいたのは上羽で、子どもたちまで一緒になって逃げ回り、上羽の悲鳴が川一帯に響き渡る。それを的林が困ったように必死に追いかけ回す。
俺と神代は思わず顔を見合わせ、吹き出した。周りにいた子どもたちも2人の様子を見て大笑い。
静かな川に、笑い声が弾ける。 そんな、くだらなくて、でもどうしようもなく楽しい時間だった。
1時間後
「……よし、そろそろ戻るか」
的林が腕時計をちらりと見て声をかけると、子どもたちが一斉に「えーーー!!」と大ブーイングを上げた。
「また明日でも出来るから。ほら、夕飯の準備しないと」 的林が言うと、上羽がわざとらしく大きなため息を吐く。
「はぁ、結局釣れなかった……」
「たくっちは何匹釣れたー?」
「俺?えっと……一匹だけ」
「まじ!? やっぱ釣れないのかぁ」
「でも……」
俺はちらりと、すぐ隣の高身長イケメンこと神代を見た。
その視線の意味を察した上羽が、そろりと神代のバケツを覗き込む。
「……うわ!! 釣りすぎだろ……!」
中には、元気に泳ぎ回る魚が十匹ほど。 さっきまで川にいた魚たちの半分はここにいるんじゃないかってぐらいだ。
「(さすがイケメン。魚まで惹きつけてる。なんなんだよ……)」
「なんで、こいつだけ……」
「誰が“こいつ”だと?」 神代が低い声で詰め寄り、上羽はあわあわと後ずさる。
「い、いやー……その……才能? うん才能!」
そう言いながらも小声で「俺もイケメンなのに」とつぶやく上羽を見て、なんだか笑ってしまう。
「ほらほら、帰るぞー!」 的林の一声で、わいわい言い合う一同がテントへ戻り始めた。
俺と神代も並んで歩き始める。 木漏れ日の道をゆっくり戻る途中、神代がクーラーボックスの片側を軽く持ち上げた。
「拓、これ持てる?」
「持つ持つ。……っていうか、二人で持ったほうが早いし」
「んじゃ、こっち」
差し出されたハンドルに手を添えると、自然に指が少し触れた。 その近さが、気恥ずかしいのに嫌じゃない。
前を歩く子どもたちはピョンピョン跳ねながら振り返る。
「お兄さんたち、今日カレーだって! お肉いっぱいだよ!」
「おい、前見て歩かないとあぶねーだろ」 的林が慌てて止めるけど、子どもはへへっと笑って走っていった。
「カレーか……」
「好き?」 神代がふいに聞いてくる。
「うん。好きだけど」
「……じゃあさ」 神代は、涼しい顔のまま少しだけ声を下げた。
「今日のカレーは楽しみにしてて?」
「えっ……神代が作るの?」
思わず足が止まりそうになる。 神代が生で料理してる姿を見れるとは
神代は肩越しに振り返り、口の端だけでふっと笑う。
「料理担当に名前書いといた。……言ってなかったっけ?」
「初耳なんだけど……」
「じゃ、もう逃げられないな。手伝いよろしく」
「えっ、うん……」
胸の奥がふわっと温かくなる。
なんだよ、この感じ。
テントの横に設けられた簡易キッチンでは、もう火が起こされ、鍋がぐつぐつと温められていた。
俺と神代は、その横で野菜と包丁を持って座り込む。
「じゃ、拓は野菜。俺、炒めるから」 神代が淡々と言って、まな板を俺の前に置いた。
「了解……って、これ全部切るの?」 玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが山盛りになっている。
「できるだろ?」
「いや、量がすごいから」
「文句言うなよ。これ子どもたちの分だから」
そう言って袖をまくった神代の腕が、やけに目の前で白くて、筋が綺麗で、思わず視線を奪われる。
…なんでキャンプなのにこんな無駄に爽やかなんだよ。
「たくっちー、これ切れてる?」
背後から上羽が顔を出し、にんじんをひょいとつまむ。
「あ、ちょっ、まだ切ってないから!」
「ねぇねぇ、ハートのにんじん作れる?」 近くで見ていた子どもがキラキラした目で聞いてくる。
「え、ハート……? どうやって……」
「拓ならできるだろ」 神代が俺の腰のあたりに手を伸ばし、包丁の持ち方を軽く直した。
「っ、ちょっ……近……」
神代の腕が、俺の肩越しにすっと伸びてきて、完全に後ろから抱き込まれるみたいな体勢になる。
心臓が跳ねる音がバレないか不安になるくらい近い。
「ここ切って、こう角度つければハートになる。見とけよ」
低い声が、首の後ろに触れそうなくらい近くで響く。
「え、ちょ、待、近いって……!」
「動くと危ない」
神代はあくまで冷静。 その落ち着きが逆にずるい。
「わぁー!!」 後ろで子どもが歓声をあげる。
「たくっちお兄さん、東真お兄さんとめっちゃ近いじゃん!」 上羽がニヤニヤしながら茶化す。
「近くないから!!」
「近いだろ。てか顔赤いぞ?」 的林まで参戦してくる。
「違うって!これはただ……その、包丁の持ち方教えてもらってるだけで!」
神代はそんな俺の横で淡々とにんじんを切りながら、むしろ少し楽しそうに言う。
「じゃ、次はじゃがいも。はい」 また俺の手元に自分の手を添えてくる。
「わざとだろ……!」
「別に?」 淡々としながらも、口元がほんの少し上がってる。
やっぱり絶対わざとだ。
まわりでは子どもたちが飯ごうをかき混ぜたり、的林が鍋の火加減を見ながら叫んでいる。
「ねぇねぇ、これ混ぜていいの?」 子どもがしゃもじを振り回しながら聞いてきて、俺は慌てて受け取る。
「うん、ゆっくりな。焦げたら怒られるから」
「だよなー、神代先生怖いもんな」 後ろから上羽が言い、同時に俺の背中越しに手を伸ばして鍋の蓋を開けた。
いや、近すぎる。 というか、普通に息かかってる。
「ひっ、近いって!」
「別にいいだろ、協力プレイじゃん」
「そういう問題じゃ」
と、俺が抗議しかけた時だった。
すっと影が差し込んできて、神代が鍋を覗き込みながら言う。
「お、いい匂いしてきたな。じゃあ——こいつも煮込むか」
そう言いながら、神代は上羽の首元をがしっと掴んで軽く引き剥がした。
「おいおいおい! 俺は煮込んじゃダメだからな!?」 「大丈夫。味はしないだろ」 「するわ!」
叩き返す上羽に、子どもたちが「ぎゃはは!」と笑い、和やかな空気が鍋の湯気と混ざって立ち上る。
しばらくして、カレーの蓋を開けた子どもが弾けるような声を上げた。
「できたー!!」
その声を合図に、みんなでテーブルに集まり、夜ご飯が始まった。
紙皿に盛られたカレーから湯気が立ちのぼる。
外で食べるカレーってだけで、なんかもう特別に感じる。 俺も皿を持って席に着くと、向かいに神代が腰を下ろした。
「いただきまーす!」 子どもたちが勢いよくスプーンを突っ込み、上羽が「熱っ!」と叫び、的林が「だから言ったろ」と笑う。
そんなにぎやかな中で、俺もひと口すくおうとしたとき
「拓、これうまいから食べてみ」
神代の声がふいに近くなる。
顔を上げると、神代が自分の皿からすくったカレーをそのまま俺の口元へ差し出してきた。
「えっ……いや、自分のあるし」
「いいから。ほら」
あくまで自然な動作で、でも距離はやたら近い。
断るスキを与えず、当然のように俺にスプーンを向ける。
……これ、完全に “あーん” じゃん。
周りは子どもたちの騒ぎで気づいていないし、上羽と的林はなぜか肉争奪戦に夢中だ。
「はいはい……」
抵抗したら逆に変に思われそうで、 俺は小声で文句を言いながらも口を開けた。
カレーの味が広がる。
さっきまで普通に食べてたのに、なんか……全然違う。
「どう?」
「……うまいけど。普通にうまいけど」
「ならよかった」
そう言って神代は軽く笑う。 ただそれだけなのに、火のそばより熱くなる。
続けざまに、神代は自分の皿に戻りながらもぼそっと言った。
「……もっと食べさせたいな」
「な、何言ってんの……」
聞き返した瞬間には、もう神代はいつもの無表情に戻っていた。
俺だけが、胸の奥まで熱いまま。
「おかわりあるぞー!」 的林の声とともに、カレー皿が何人かの手で次々と差し出される。
夕暮れがゆっくり落ちて、あたりはオレンジから濃い紺へ変わっていった。 風は少し冷えてきたが、焚き火の熱で心地いい。
料理も片付けもひと段落した頃。 子どもたちが、どこからともなく箱を抱えて走ってきた。
「ねぇ! 花火やろー!!」 「先生たち、早くーー!」
「花火?」 上羽が身を乗り出す。 「よし、やるか!俺、線香花火のチャンピオンだからな!」
的林が自信満々に名乗りを上げる。
「なに、その称号!俺も欲しいなー」 上羽が笑いながら、花火の箱を覗き込む。
俺は焚き火のそばで皿を洗った手を拭いていると、横から神代がひょいとライターを持ち上げた。
「拓、行くぞ」
「え、俺も?」
「当たり前だろ。ほら」 軽く袖を引っ張られる。 その力は強くなくて、でも拒否できないくらい自然だった。
川沿いの開けたところに集まると、子どもたちが歓声を上げながら手持ち花火を配り始める。
「はい、お兄さんの!」 目をキラキラさせた小学生が俺に花火を差し出してくる。
「ありがとう。火つけるの手伝う?」
「するー!」
火をつける間、神代が俺のすぐ隣に立つ。 暗がりでわからなかったけど……距離、近い。
「……さっきより顔赤くない?」
「うるさい、焚き火のせいだよ」
「ふーん、そうか」 神代が意味深に微笑む。 その顔が暗い中で余計に整って見えて、心臓が落ちつかない。
パチ、パチパチ…… 火花が弧を描いて、俺の花火も子どもの花火も一斉に光り出す。
「うわー!きれい!」 「見て見て、めっちゃ長い!」 子どもたちの声が弾む。
そんな中、ふと神代が俺の花火にそっと火を寄せた。 わざわざ、自分の花火の先を俺のに触れさせるように。
「……何してんの」
「いや。なんとなく、揃えたくなっただけ」
火花がふたつ、同じタイミングで散った。
その瞬間だけ、まるで二人だけの時間が切り取られたみたいに感じた。
「拓の、綺麗だな」
「花火が?」
「いや。まぁ、そんな感じ」
え、どういう意味?なんか変にあやふやな返しだし。問い返したいけど
子どもたちの「次は噴き出し花火ー!!」という声が割り込んで、そのまま流されてしまった。
花火の光が少しずつ弱まり、ラストの線香花火がポトリと落ちて消えると、「もう終わっちゃったぁー」としょんぼりとした雰囲気になる。
でも「さぁ、花火も終わったし、そろそろお昼寝の時間でーす」と同行していた先生の声がすると、子どもたちは一斉にテントに戻っていく。
「(眠たいだろうな)」素直な子どもの姿に穏やかな気持ちになる。
的林が手を叩いて言う。
「よし、俺らは片付けするぞ」
上羽は炭の片付けをしながら、 「今日めっちゃ楽しかった〜」と伸びをする。
神代は無言でバケツを運びながら、俺の横を歩く。 暗いからだろうか。 さっきより、肩と肩の距離が近い気がした。
「……ほら、手出せ」
「え?」
服についた火の粉や灰を、 神代が無表情でトントンとはたき落としてくれる。
「子どもに囲まれてたから、色々ついてる。じっとして」
「……ありがと」
なんとなく視線を外せなくて、 暗闇の中で黒髪が揺れるのを見ていると、、、
「おーい! このテント誰と誰だっけー!」
上羽の声が、空気を破った。
的林が名簿を見ながら言う。
「俺と上羽がこっち。で、」
一拍置き
「拓と神代は、あっちのテント」
「え」
「え?」
俺と神代の声が重なる。
「いや、元々その割り振りだし。問題あるか?」
的林は何にも気づかない顔で袋を縛る。
上羽がニヤニヤしながら寄ってくる。
「おー、たくっち、よかったじゃーん。夜はイケメン独り占めだぞ?」
「だからそういうんじゃないから!」
「はいはい、はい解散!寝ろ寝ろ!」 的林が笑いながら強制的に締める。
子どもたちの寝息が遠くから聞こえ始め、 テント周りは静けさに包まれていく。
俺は寝袋を抱えて自分たちのテントへ向かう途中、横で歩く神代の影をちらりと見る。
夜の湿気が、微妙に肌にまとわりつく。
どこか緊張している自分に気づいた頃、
神代がふいに俺の腕を掴んだ。
「……嫌なら、言えよ」
「えっ……何が?」
「同じテント。嫌なら、替わる」
声はいつもより低くて、 焚き火の残り香がまだ神代の服に残っている気がした。
「……別に。嫌じゃないけど」
そう答えると、神代が少しだけ息を吸う音がした。
そして。
「……そっか」
暗闇で、ほんの少しだけ緩んだ横顔。 その表情を見たら、胸の奥がくすぐったくなる。
テントの入り口に着き、ファスナーを下ろすと、 ひんやりした夜気が二人を包む。
狭い空間、二つの寝袋。 外から聞こえる虫の声。
神代がランタンを吊るしながら、 当たり前のように言った。
「じゃあ……入るぞ、拓」
心臓が跳ねるような呼び方だった。
そして、二人はテントの中へーーーー
「ぺ、ペグ打ち……二度とやらない……」 上羽は地面にへたり込み、魂が抜けたみたいな顔をしている。
「いや、ほとんど俺がやったんだけど?」
的林がぼそっと小声で突っ込むと、
上羽は「聞こえてるからな……」と弱々しく返した。
そのやり取りに、思わず笑いがこみ上げた。 「あの二人、あんな仲良かったっけ?」 「さぁ」
神代が首をかしげながらも、楽しそうに目を細める。
的林が手をパンと叩き、切り替えるように言った。
「よし。ちょっと休憩したら、釣り行くか」
途端に上羽の瞳がギラッと光った。 「釣り!? 行く!」
「急に元気だな……」 的林が呆れながら靴紐を締め直す。
川までは歩いて五分。 木々を渡る風が頬をなで、水面に光が揺れてきらきらと弾ける。
「うわ……めっちゃ綺麗じゃん」 上羽が感嘆の息を漏らし、俺の隣にいた子どもがパッと指さした。
「ここさ、魚いっぱいなんだよ!ぼく昨日見た!」
「へぇ、ほんとに?」
「ほんとほんと!」
子どもは胸を張り、「今日は絶対つれる!」と宣言した。
的林は竿を配りながら言う。 「はい、これは餌つけるやつ」
その瞬間、別の子が顔をしかめる。 「む……虫?」
「当たり前だろ~。魚のごはんだぞ」 的林が笑うと、子どもは竿を持ったまま上羽の後ろに隠れた。
「やだー虫こわい! お兄さんやって!!」
「え、俺!? いや、俺も……」
「ほら早く」 「無理! 絶対無理!!」
すぐに駄々をこね始めた上羽の背中を、的林が軽く押す。 「大丈夫大丈夫、“虫さんこんにちは”の気持ちで」 「そんな気持ち一生ならないから!」
そんな他愛ないやり取りが周りに響く中、神代がすっと俺の前に立ち、竿を差し出した。
「はい、これ拓の」
「あ、ありがとう」
受け取ると、餌がすでに綺麗に付けられているのに気付いた。
「あれ、餌つけてくれたの?」
「うん。虫苦手だろ?」
「え、なんで知ってるの?」
「さぁね」
曖昧に笑った神代は、そのまま水面に視線を落とし、竿をゆっくり構えた。
――なんだよ、その反応。
胸の奥に小さなもやが渦巻くのを感じながら、俺も釣り糸を投げる。
水の匂い、頬を撫でる風、にぎやかな声。 学校とはまったく違う時間が、ゆっくりと流れていく。
「お兄さんたち! 見てみて!!」 さっきの子が波打ち際でバシャバシャしながら叫んだ。
「魚の影っぽいのあった! ここ絶対つれるって!」
「ほんとかな~?」 俺が笑うと、子どもは目を輝かせながら言う。
「お兄さんと一緒なら絶対つれる!」
その無邪気さがくすぐったくて、思わず頭を撫でた。
とはいえ
「ぎゃああ! 的林!餌がこっち来た、来んなって!!」
「ちょっ!落ち着けって!これ餌!!」
結局いちばん騒いでいたのは上羽で、子どもたちまで一緒になって逃げ回り、上羽の悲鳴が川一帯に響き渡る。それを的林が困ったように必死に追いかけ回す。
俺と神代は思わず顔を見合わせ、吹き出した。周りにいた子どもたちも2人の様子を見て大笑い。
静かな川に、笑い声が弾ける。 そんな、くだらなくて、でもどうしようもなく楽しい時間だった。
1時間後
「……よし、そろそろ戻るか」
的林が腕時計をちらりと見て声をかけると、子どもたちが一斉に「えーーー!!」と大ブーイングを上げた。
「また明日でも出来るから。ほら、夕飯の準備しないと」 的林が言うと、上羽がわざとらしく大きなため息を吐く。
「はぁ、結局釣れなかった……」
「たくっちは何匹釣れたー?」
「俺?えっと……一匹だけ」
「まじ!? やっぱ釣れないのかぁ」
「でも……」
俺はちらりと、すぐ隣の高身長イケメンこと神代を見た。
その視線の意味を察した上羽が、そろりと神代のバケツを覗き込む。
「……うわ!! 釣りすぎだろ……!」
中には、元気に泳ぎ回る魚が十匹ほど。 さっきまで川にいた魚たちの半分はここにいるんじゃないかってぐらいだ。
「(さすがイケメン。魚まで惹きつけてる。なんなんだよ……)」
「なんで、こいつだけ……」
「誰が“こいつ”だと?」 神代が低い声で詰め寄り、上羽はあわあわと後ずさる。
「い、いやー……その……才能? うん才能!」
そう言いながらも小声で「俺もイケメンなのに」とつぶやく上羽を見て、なんだか笑ってしまう。
「ほらほら、帰るぞー!」 的林の一声で、わいわい言い合う一同がテントへ戻り始めた。
俺と神代も並んで歩き始める。 木漏れ日の道をゆっくり戻る途中、神代がクーラーボックスの片側を軽く持ち上げた。
「拓、これ持てる?」
「持つ持つ。……っていうか、二人で持ったほうが早いし」
「んじゃ、こっち」
差し出されたハンドルに手を添えると、自然に指が少し触れた。 その近さが、気恥ずかしいのに嫌じゃない。
前を歩く子どもたちはピョンピョン跳ねながら振り返る。
「お兄さんたち、今日カレーだって! お肉いっぱいだよ!」
「おい、前見て歩かないとあぶねーだろ」 的林が慌てて止めるけど、子どもはへへっと笑って走っていった。
「カレーか……」
「好き?」 神代がふいに聞いてくる。
「うん。好きだけど」
「……じゃあさ」 神代は、涼しい顔のまま少しだけ声を下げた。
「今日のカレーは楽しみにしてて?」
「えっ……神代が作るの?」
思わず足が止まりそうになる。 神代が生で料理してる姿を見れるとは
神代は肩越しに振り返り、口の端だけでふっと笑う。
「料理担当に名前書いといた。……言ってなかったっけ?」
「初耳なんだけど……」
「じゃ、もう逃げられないな。手伝いよろしく」
「えっ、うん……」
胸の奥がふわっと温かくなる。
なんだよ、この感じ。
テントの横に設けられた簡易キッチンでは、もう火が起こされ、鍋がぐつぐつと温められていた。
俺と神代は、その横で野菜と包丁を持って座り込む。
「じゃ、拓は野菜。俺、炒めるから」 神代が淡々と言って、まな板を俺の前に置いた。
「了解……って、これ全部切るの?」 玉ねぎ、にんじん、じゃがいもが山盛りになっている。
「できるだろ?」
「いや、量がすごいから」
「文句言うなよ。これ子どもたちの分だから」
そう言って袖をまくった神代の腕が、やけに目の前で白くて、筋が綺麗で、思わず視線を奪われる。
…なんでキャンプなのにこんな無駄に爽やかなんだよ。
「たくっちー、これ切れてる?」
背後から上羽が顔を出し、にんじんをひょいとつまむ。
「あ、ちょっ、まだ切ってないから!」
「ねぇねぇ、ハートのにんじん作れる?」 近くで見ていた子どもがキラキラした目で聞いてくる。
「え、ハート……? どうやって……」
「拓ならできるだろ」 神代が俺の腰のあたりに手を伸ばし、包丁の持ち方を軽く直した。
「っ、ちょっ……近……」
神代の腕が、俺の肩越しにすっと伸びてきて、完全に後ろから抱き込まれるみたいな体勢になる。
心臓が跳ねる音がバレないか不安になるくらい近い。
「ここ切って、こう角度つければハートになる。見とけよ」
低い声が、首の後ろに触れそうなくらい近くで響く。
「え、ちょ、待、近いって……!」
「動くと危ない」
神代はあくまで冷静。 その落ち着きが逆にずるい。
「わぁー!!」 後ろで子どもが歓声をあげる。
「たくっちお兄さん、東真お兄さんとめっちゃ近いじゃん!」 上羽がニヤニヤしながら茶化す。
「近くないから!!」
「近いだろ。てか顔赤いぞ?」 的林まで参戦してくる。
「違うって!これはただ……その、包丁の持ち方教えてもらってるだけで!」
神代はそんな俺の横で淡々とにんじんを切りながら、むしろ少し楽しそうに言う。
「じゃ、次はじゃがいも。はい」 また俺の手元に自分の手を添えてくる。
「わざとだろ……!」
「別に?」 淡々としながらも、口元がほんの少し上がってる。
やっぱり絶対わざとだ。
まわりでは子どもたちが飯ごうをかき混ぜたり、的林が鍋の火加減を見ながら叫んでいる。
「ねぇねぇ、これ混ぜていいの?」 子どもがしゃもじを振り回しながら聞いてきて、俺は慌てて受け取る。
「うん、ゆっくりな。焦げたら怒られるから」
「だよなー、神代先生怖いもんな」 後ろから上羽が言い、同時に俺の背中越しに手を伸ばして鍋の蓋を開けた。
いや、近すぎる。 というか、普通に息かかってる。
「ひっ、近いって!」
「別にいいだろ、協力プレイじゃん」
「そういう問題じゃ」
と、俺が抗議しかけた時だった。
すっと影が差し込んできて、神代が鍋を覗き込みながら言う。
「お、いい匂いしてきたな。じゃあ——こいつも煮込むか」
そう言いながら、神代は上羽の首元をがしっと掴んで軽く引き剥がした。
「おいおいおい! 俺は煮込んじゃダメだからな!?」 「大丈夫。味はしないだろ」 「するわ!」
叩き返す上羽に、子どもたちが「ぎゃはは!」と笑い、和やかな空気が鍋の湯気と混ざって立ち上る。
しばらくして、カレーの蓋を開けた子どもが弾けるような声を上げた。
「できたー!!」
その声を合図に、みんなでテーブルに集まり、夜ご飯が始まった。
紙皿に盛られたカレーから湯気が立ちのぼる。
外で食べるカレーってだけで、なんかもう特別に感じる。 俺も皿を持って席に着くと、向かいに神代が腰を下ろした。
「いただきまーす!」 子どもたちが勢いよくスプーンを突っ込み、上羽が「熱っ!」と叫び、的林が「だから言ったろ」と笑う。
そんなにぎやかな中で、俺もひと口すくおうとしたとき
「拓、これうまいから食べてみ」
神代の声がふいに近くなる。
顔を上げると、神代が自分の皿からすくったカレーをそのまま俺の口元へ差し出してきた。
「えっ……いや、自分のあるし」
「いいから。ほら」
あくまで自然な動作で、でも距離はやたら近い。
断るスキを与えず、当然のように俺にスプーンを向ける。
……これ、完全に “あーん” じゃん。
周りは子どもたちの騒ぎで気づいていないし、上羽と的林はなぜか肉争奪戦に夢中だ。
「はいはい……」
抵抗したら逆に変に思われそうで、 俺は小声で文句を言いながらも口を開けた。
カレーの味が広がる。
さっきまで普通に食べてたのに、なんか……全然違う。
「どう?」
「……うまいけど。普通にうまいけど」
「ならよかった」
そう言って神代は軽く笑う。 ただそれだけなのに、火のそばより熱くなる。
続けざまに、神代は自分の皿に戻りながらもぼそっと言った。
「……もっと食べさせたいな」
「な、何言ってんの……」
聞き返した瞬間には、もう神代はいつもの無表情に戻っていた。
俺だけが、胸の奥まで熱いまま。
「おかわりあるぞー!」 的林の声とともに、カレー皿が何人かの手で次々と差し出される。
夕暮れがゆっくり落ちて、あたりはオレンジから濃い紺へ変わっていった。 風は少し冷えてきたが、焚き火の熱で心地いい。
料理も片付けもひと段落した頃。 子どもたちが、どこからともなく箱を抱えて走ってきた。
「ねぇ! 花火やろー!!」 「先生たち、早くーー!」
「花火?」 上羽が身を乗り出す。 「よし、やるか!俺、線香花火のチャンピオンだからな!」
的林が自信満々に名乗りを上げる。
「なに、その称号!俺も欲しいなー」 上羽が笑いながら、花火の箱を覗き込む。
俺は焚き火のそばで皿を洗った手を拭いていると、横から神代がひょいとライターを持ち上げた。
「拓、行くぞ」
「え、俺も?」
「当たり前だろ。ほら」 軽く袖を引っ張られる。 その力は強くなくて、でも拒否できないくらい自然だった。
川沿いの開けたところに集まると、子どもたちが歓声を上げながら手持ち花火を配り始める。
「はい、お兄さんの!」 目をキラキラさせた小学生が俺に花火を差し出してくる。
「ありがとう。火つけるの手伝う?」
「するー!」
火をつける間、神代が俺のすぐ隣に立つ。 暗がりでわからなかったけど……距離、近い。
「……さっきより顔赤くない?」
「うるさい、焚き火のせいだよ」
「ふーん、そうか」 神代が意味深に微笑む。 その顔が暗い中で余計に整って見えて、心臓が落ちつかない。
パチ、パチパチ…… 火花が弧を描いて、俺の花火も子どもの花火も一斉に光り出す。
「うわー!きれい!」 「見て見て、めっちゃ長い!」 子どもたちの声が弾む。
そんな中、ふと神代が俺の花火にそっと火を寄せた。 わざわざ、自分の花火の先を俺のに触れさせるように。
「……何してんの」
「いや。なんとなく、揃えたくなっただけ」
火花がふたつ、同じタイミングで散った。
その瞬間だけ、まるで二人だけの時間が切り取られたみたいに感じた。
「拓の、綺麗だな」
「花火が?」
「いや。まぁ、そんな感じ」
え、どういう意味?なんか変にあやふやな返しだし。問い返したいけど
子どもたちの「次は噴き出し花火ー!!」という声が割り込んで、そのまま流されてしまった。
花火の光が少しずつ弱まり、ラストの線香花火がポトリと落ちて消えると、「もう終わっちゃったぁー」としょんぼりとした雰囲気になる。
でも「さぁ、花火も終わったし、そろそろお昼寝の時間でーす」と同行していた先生の声がすると、子どもたちは一斉にテントに戻っていく。
「(眠たいだろうな)」素直な子どもの姿に穏やかな気持ちになる。
的林が手を叩いて言う。
「よし、俺らは片付けするぞ」
上羽は炭の片付けをしながら、 「今日めっちゃ楽しかった〜」と伸びをする。
神代は無言でバケツを運びながら、俺の横を歩く。 暗いからだろうか。 さっきより、肩と肩の距離が近い気がした。
「……ほら、手出せ」
「え?」
服についた火の粉や灰を、 神代が無表情でトントンとはたき落としてくれる。
「子どもに囲まれてたから、色々ついてる。じっとして」
「……ありがと」
なんとなく視線を外せなくて、 暗闇の中で黒髪が揺れるのを見ていると、、、
「おーい! このテント誰と誰だっけー!」
上羽の声が、空気を破った。
的林が名簿を見ながら言う。
「俺と上羽がこっち。で、」
一拍置き
「拓と神代は、あっちのテント」
「え」
「え?」
俺と神代の声が重なる。
「いや、元々その割り振りだし。問題あるか?」
的林は何にも気づかない顔で袋を縛る。
上羽がニヤニヤしながら寄ってくる。
「おー、たくっち、よかったじゃーん。夜はイケメン独り占めだぞ?」
「だからそういうんじゃないから!」
「はいはい、はい解散!寝ろ寝ろ!」 的林が笑いながら強制的に締める。
子どもたちの寝息が遠くから聞こえ始め、 テント周りは静けさに包まれていく。
俺は寝袋を抱えて自分たちのテントへ向かう途中、横で歩く神代の影をちらりと見る。
夜の湿気が、微妙に肌にまとわりつく。
どこか緊張している自分に気づいた頃、
神代がふいに俺の腕を掴んだ。
「……嫌なら、言えよ」
「えっ……何が?」
「同じテント。嫌なら、替わる」
声はいつもより低くて、 焚き火の残り香がまだ神代の服に残っている気がした。
「……別に。嫌じゃないけど」
そう答えると、神代が少しだけ息を吸う音がした。
そして。
「……そっか」
暗闇で、ほんの少しだけ緩んだ横顔。 その表情を見たら、胸の奥がくすぐったくなる。
テントの入り口に着き、ファスナーを下ろすと、 ひんやりした夜気が二人を包む。
狭い空間、二つの寝袋。 外から聞こえる虫の声。
神代がランタンを吊るしながら、 当たり前のように言った。
「じゃあ……入るぞ、拓」
心臓が跳ねるような呼び方だった。
そして、二人はテントの中へーーーー
