4月 学校へと向かう道には桜が満開に咲き、川の上を花びらがピンクに染め上げている。高校2年の始まりとともに春休みで怠けた体を前に進めながら坂道を上る。
「拓ー!」
後ろから聞き慣れた声が
振り返れば爆速で自転車を漕ぎながらニッコニコの笑顔をした短髪野球男子。
「 (坂道だというのにあんな笑顔で) 」
「 (さすが体力お化け) 」
遠くからでも伝わってくる元気さにこっちのエネルギーも持っていかれそうだ。
「おっはー!なぁ俺ら今年も同じクラスだと思う?」
「いや流石に離れるんじゃね」
「いや、でもここまできたら記録更新したくね?だって今年も一緒だったら中学から5年連続だぞ!」
「なんの記録更新だよ」
「それに拓、俺以外友達いねーじゃん」
その言葉に一瞬ぎくっとした。確かに中学からずっと的林としか話せる相手がおらず、上羽が学校を休んだ日は一人ぽつんとクラスに残る陰キャの振る舞いだ。
「いや、もう俺は自立するから」
「自立?拓が?」
「無理無理」そういって俺の肩を叩きながら笑ってくる。
「痛いって、野球バカ」
「あーごめんごめん笑」
毎回、クラス替えの日は内心ドキドキなのはこいつだけには知られたくない
坂を登り切った先に校門が見えた。
「じゃあ俺、自転車止めてくるわ。先、看板のとこ行っといて」
「うん」
学校の校庭に大きな看板があり、そこに多くの人だかりができていた。
「わー!また一緒じゃん!」女子たちの歓喜の声
「うわーまたあかりちゃんと違うクラス」男子の恋の嘆きなどいろんな声が聞こえる
「お待たせ。よし、見るか」
「(緊張してきた)」
「緊張してるな?笑」
「えっ?…してねーよ」
人だかりの中をすり抜けるように表の前に向かう。クラスは4クラス。1組から順に探していく。
「あっ俺、3組だ」
「え、まじ。」
的林は"ま"から始まる。そのため50音順で、次は自分の名前の"み"がくるはず。
「えっと、的林…目黒…」
「うわー!三浦じゃないな!」
「えっ、まじ」
この瞬間、俺の高校2年生クラスぼっちが確定した。
「三浦、三浦…」
「あったぞ。1組じゃん」
1組…もうクラスなんてどうでもいい。ぼっち確定なのだから
「まぁそう落ち込むな。それをきっかけに新しいやつと友達になればいいだろ?」
「お前みたいにすぐ誰とでも仲良くなれないんだよ」
せめて誰か仲良くなれそうな人はいないものか、、落ち込んだ顔をもう一度クラス表に向ける。それと同時にやけに後ろが騒がしくなる。
「キャー!!今日もかっこいい!」
「やばい、神代くんと上羽くんはどこのクラス!?」
その歓声に思わず後ろを振り返った。 そこには、背が高くモデルのようなスタイルをした男子二人組が、女子たちに囲まれながらこちらへ向かってくるところだった。 二人は周囲に一瞥もくれず、まるでランウェイを歩くかのような足取りでクラス表の前に立ち止まる。 その瞬間、女子たちが一斉に押し寄せ、気づけば俺はクラス表と人の波のあいだに挟まれていた。 目の前には、イケメン二人組。間近で見ると、俺よりも頭ひとつ分は背が高い。
「(でけーな……)」
「あっ1組じゃん」
そうぼそっと茶髪のイケメンが隣の黒髪のイケメンに言う。
「それに同じクラスじゃん。中学以来だな」
ふっと茶髪が笑う姿に周りの女子たちの興奮も上がる。
「上羽くーん!!かっこいい!」
「(茶髪のやつが上羽くん…か?)」
隣の黒髪イケメンは何にも表情を変えず、「そうだな」とちょーー小さい声で返事をした。
それなのに女子たちは「ねぇ今神代くん喋った?!」などと興奮
「(イケメンはなんでも絵になるんだな…それに名前も"神代"って。カッコいぃ)」
改めて"イケメン"という重要さに気付かされた高校2年生である。
それよりも早く、この圧迫感から逃れたい――。
ちょっとだけ息を吸い込み、ほとんど聞き取れないほど小さな声で「すみません……」とつぶやきながら、人混みをかき分けて進んだ。
けれど、イケメンにしか目がない女子たちの壁は思ったよりも厚く、逆に押し戻され、バランスを崩してそのまま転んでしまった。
「痛っ」
床に手をついた瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。 「おいっ!」
俺が転んだのと同時に、誰かが怒鳴るように声を上げたのだ。ざわつく女子たちの視線が一斉にこちらへ向く。その人垣の中から、黒髪のイケメンが一歩前に出て、まっすぐ俺を見つめた。
「大丈夫か」
低くて落ち着いた声。 「えっ……」 思わず言葉を詰まらせた俺は、ただ彼の顔を見上げることしかできなかった。
「あっはい……」
突然起こった展開に自分自身何も理解が追いついていない。手を強くついたせいでジンジンと痛みが伝わってくるが、今はそれよりも女子たちの「え、何あいつ」的な目線が怖い!
足早にこの場を立ち去りたい!
「立てるか?」
「あっ……立てます。大丈夫なんで……」
慌てて手を前に出し、顔を直視しないようにしながら立ち上がる。 頬の熱を悟られないように、そっと視線を逸らした。逸らした先には、的林がこちらをじっと見つめながら、慌てた様子で小さく手を振っていた。
「早く来い、女子に殺されるぞ」という意味をこめた、気のないふりをした必死のジェスチャーだ。
「すいませんでした……」
小さくつぶやき、イケメンに軽く頭を下げる。
顔を上げるのも気まずくて、そのままそそくさと背を向けて的林の元に駆け寄った。
と、同時に女子たちの視線はまたあの2人に向かった。そっと後ろを振り返ると、女子たちに囲まれた黒髪が、まだこちらをじっと見ていた。
「(……まだ見てくるじゃん)」
「お前、目つけられたか?」 的林が肩を組みながら、ニヤニヤと笑ってくる。
「は? ただ転んだだけだし」
「いや、あの2人知らねーの?」
「……知らない」
「まじかー! あいつら、学校一のイケメン集団だぞ」
まぁ、あの女子たちの熱気を見れば、まぁそうなんだろうとは思っていた。
「“2Ray(トゥーレイ)”って言われてるらしいぜ」
「は? 何それ? とぅー……れい?」
「“2Ray”は、“2つの光”って意味。学園を照らす2人、ってことらしい」
「はぁ……すげー人気なんだな」
「ファンクラブあるぐらいだしなー」
「ファンクラブ…はぁ…俺らとは正反対だなぁ」
「おいおい、俺はモテるぞ?」
「は?"俺は"ってなんだよ、"俺は"って!」
そんな小競り合いをしていたらチャイムが鳴り始めた。
俺と的林は慌てて教室へと向かう。
「じゃ、またあとでな!」 的林が手を振りながら、廊下の角を曲がって自分のクラスへ消えていく。
「はぁ……朝から疲れた」 俺は肩を回しながら、自分のクラスの教室へ向かった。
ガラッ。
教室のドアを開けると、もうほとんどの生徒が席に着いていた。
「(席は出席番号順か)」
席は横から2番目の一番後ろの席
「(おっ一番後ろの席じゃん)」
特に目立つ奴もいない。 そう思って席に向かい、鞄を下ろした、その時。
ガララッ。
もう一度、ドアが開く音がした。 何気なくそっちを見た瞬間、息が止まった。
「(……あっ)」
さっき会った黒髪のイケメン。
「(名前は、神代…だったっけ…)」
アイドル風のゆるっとしたカバンの持ち方をして、無表情のまま教室に入ってくる。そしてその後ろには上羽も… 教室が一瞬で静まり返った。
「えっ、2Rayこのクラスじゃん!」 「まじ、やばい!」 女子たちの歓声が一気に広がる。
まじか、まじか、まじか
俺の心臓が、やけに早く鳴り始める。
その視線が、またこっちに向いた。 ほんの数秒、神代と目が合う。
「(やっぱり見てる……気がする)」
すぐに逸らしたけど、頬が妙に熱かった。 2Rayは何事もなかったように自分の席へ歩く。
2人はまっすぐ俺の方へ向かってきた。
そして、そのまま俺の隣の席。一番端の席と、その前の席に腰を下ろす。
「まさかの隣ー…」
思わず小声で声が漏れてしまう。周りの席の女子たちはキラキラした目で2人を見つめているが、本人たちは透明な壁で仕切られたみたいに、完璧な無視。
俺はちらりと隣を見た。 神代が、無表情のまま教科書を机に置いている。 上羽は、軽く腕を組んで俺の方に振り返った。
「なあ、お前、さっきの“転んでたやつ”じゃね?」
「え?」
「う、うん……まあ、そう……だけど」
「へぇー、大丈夫だった?災難だったねー」
軽い調子で笑う上羽に、神代が小さくため息をついて
「無駄口、減らせ」と手に持った教科書でポンっと上羽の頭を軽く叩く。
「痛っ」頭をさすりながらムスッとした顔をする上羽。その仕草は女子なら確実に落ちる可愛さだが、神代は一瞥もくれず、まっすぐ俺の方を見た。
「怪我はなかったか?」
低く、落ち着いた声だった。
目が合った瞬間、思わず息が詰まる。
「あっ、うん。大丈夫…さっきはありがとう…」
「そっか……なら良かった」
その顔が、ほんの一瞬だけやわらいだ気がした。
「なぁ、名前は?」 不意に上羽が俺に話しかけてきた。
「えっ、俺……ですか?」
「うんうん」軽いノリで頷く上羽。その笑顔がやたら眩しい。
「(なんで知りたいんだー……)」
心の中で叫びながらも、変に間を空けるのも気まずくて、口を開いた。
「三浦 拓です」
「へー!俺は上羽 陽」
「えっと拓だから、たく、"たくっち"だな!」
「え?」
「たくっち……?」
「その方がいいじゃん!かわいいし!」
「かわいいって……」
「なぁ、東真もそう思うよな?」 上羽が後ろの神代へと話を振った。
「(神代って下の名前、“あずま”なんだ。やっぱカッケーな……)」 そんなことを思っていたら、神代がふと黙り込む。
何か言おうとしているのかと思ったが、彼はただ、俺の顔をまっすぐ見つめてきた。
十秒ほど、無言のまま。
その視線に、なぜか心臓が落ち着かなくなる。
「……うん。可愛い」
ふっと口角を上げて、柔らかく笑った。
「(な、なんだ今の……?)」
「(名前のことだよな…可愛いって…真っ直ぐ俺の顔見ながら言ってなかった?名前か?…それとも……)」
「よろしくな、たくっち!俺のことは"陽"とか適当に呼んでくれていいから」
「俺も。"神代"とか"東真"とかテキトーに呼んで」
「あっ、はい…」
「(そんな気軽に下の名前で呼べるわけねーよ)」
今日俺たち会ったんだよな?初対面だよな?
まだ席に着いて数分も経ってないのに、
なぜかあだ名まで決まってしまった俺は、
妙なペースに巻き込まれている気がした。
そんなことを思っていたところで、 キーンコーンカーンコーンとチャイムの音が鳴り響いた。
前の黒板の前に立った女性が、手をパンと叩く。
「はい、みんな注目ー」
柔らかな声だった。 落ち着いた雰囲気の先生で、肩までの髪をひとつにまとめ、 少し笑うとえくぼができる。
「今日からこのクラスを担当します、"南 由花"です。国語の授業を持ちます。趣味は映画鑑賞とカフェめぐりです。毎年聞かれるので先に言うけど、年齢は非公開だからね?
これから1年みんなよろしくね」
教室のあちこちで小さな拍手が起こった。 先生はにこやかにうなずきながら、ゆったりと話を続ける。
「新しいクラス、緊張してる人も多いと思うけど、すぐに慣れるから大丈夫。みんなで仲良くやっていきましょう」
「(南先生、優しそうだな……)」
「じゃあ次は、みんなの自己紹介していこっか。出席番号順でいいかな?」
教室の空気が少しピリッと引き締まった。 ざわざわとプリントをめくる音。 前の席の女子が小声で「何言おう…」とつぶやく。
そして名前と部活、趣味がぽつぽつと続いていく。
「上羽 陽です。部活はサッカー部で趣味は…寝ることかなー。よろしくお願いします」
女子たちの大きな拍手を爽やかな笑顔で返す。その笑顔は、まるで春の日差しみたいに自然で、女子たちのあちこちから「キャー!」という歓声と拍手が上がった。
「(……人気あるなぁ、やっぱり)」
「じゃあ次は神代くん」
「神代 東真です。部活はサッカーで趣味は特にないです。以上です。」
その無愛想さに少し空気が止まったが、
女子たちの方から「かっこいい〜」という囁きと拍手が広がっていく。
「(いや、むしろ無愛想なのに何でそんな人気あるんだ……)」
俺は密かにそう突っ込みながら、自分の順番が近づいてくるのを感じていた。
「次は三浦くん」
呼ばれて立ち上がる。 視線が一斉にこちらを向いて、喉の奥がぎゅっと詰まる。
「三浦拓です。えっと……部活はしてなくて趣味は映画とかです。よろしくお願いします」
ぱちぱちとまだらな拍手。
うん、自分でも地味だと思う。けど、変にウケを狙う勇気もない。
「三浦くん、よろしくね」
南先生が優しく笑いかけてくれて、
なんとなく緊張が解けた。
ーーーーーーーーーーー
「じゃあ、これで自己紹介は終わりね。今日はホームルームだけで下校だから、配布物を配ったら自由にしていいわよ」
「やったー!」 誰かの声に、教室が一気にざわめきを取り戻した。
「(ふぅ……終わった)」
隣の席では、すでに女子たちの輪ができていた。
「ねぇ、連絡先交換しない?」 「このあと、カラオケとかどう?!」
昼下がりの教室は、チャイムの余韻よりもその声でざわついていた。 その中心にいるのは、もちろん上羽と神代。
上羽はというと、いつもの調子でにこにこと笑いながら
「今日は予定あるんだよねー。連絡先もさ、クラスのグループ作っちゃえばいいよね!俺、作っとくよ」 と軽やかにかわしていた。
その言い方があまりにも自然で、女子たちも「そっかー!」なんて笑って引き下がっていく。
一方で神代はというと、無言のままプリントをきっちり揃えている。誰かに話しかけられても「……うん」とだけ答えて、すぐ視線を戻す。女子たちもその姿に少しビビっている様に見える。
「(あの二人、タイプ真逆なのになんか合ってるよな)」
そんなことを思いながら、鞄を肩にかけて廊下へ出る。新しいクラス、新しいメンバー。 心のどこかがまだざわついている。
「三浦くん、さようなら」 廊下ですれ違った南先生が、柔らかく微笑んだ。
「あっ……さようなら」反射的に頭を下げた。
昇降口を抜けて、靴を履き替える。
外は、春の陽射しがやわらかく校庭を照らしていた。まだ入学式帰りの一年生たちが慣れない様子で写真を撮っていて、その横を俺はひとりで通り過ぎた。
「(はぁ…明日から大丈夫かなー…)」
鞄の持ち手を握り直して校門へ向かう途中、 背後からふと名前を呼ばれた。
「三浦」
振り返ると、そこには神代がいた。 制服のネクタイを少し緩めて、無表情のまま立っている。
神代は少し考えるように言葉を選んでいる。
「さっき、上羽がグループ作るって言ってたけど……クラスで交換してるやついる?」
「あっ、いない…かも」
「じゃあ俺と個人で連絡先交換してグループ招待しとく」
「えっ、ありがとう」
スマホを取り出し、QRコードを出すと、神代がすっとそれを読み取る。
その距離、思ったより近くて、ふわっとシャンプーみたいないい匂いがした。
「……登録できた」神代は画面を見て軽く頷く。
「お待たせー!女子たちがなかなか帰してくれなくて…」少しヘトヘト気味の上羽が走ってこちらに来た。
「たくっちもこれからカラオケ行く?女子はいないけどねー」
「えっ、俺も?」
「東真も行くでしょ?」
神代は少し考えるように視線を落とし、
「俺は別に…」
「えっ、まじ?じゃあ決まり——」
「あっ、俺、今日はバイトあって…ごめん!」
慌てて遮るように言うと、上羽が大げさに肩を落とした。
「えーー!たくっちの歌聴きたかったなー」
「バイトしてるんだな」
「うん、小遣い程度でね」
「そうか、頑張って」
その言葉とともに、神代がふっと優しく笑った。 一瞬、目が合って、思わず言葉が詰まる。
「…うん」
「えー、たくっちサボろうよ」
「ごちゃごちゃ言うな。ほら俺が行ってあげるから黙りなさい」
「なにそれ、ツンデレ?」
上羽が笑い、神代は無言で上羽を引っ張り連れだす。
「じゃ、また明日」彼は小さく手を上げた。
上羽も「またねー!たくっち!」と元気に手を振る。
「え、あ……うん。また明日」俺もつられて小さく手を振る。
返事をしたときには、神代はもう歩き出していた。夕方の光の中、その背中だけが妙に印象に残る。
「(……なんであんな俺に優しいんだ?)」
ーーーーーーーーーーーーー
翌朝、目覚ましの音にゆっくり目を開ける。 窓の外から差し込む光が、カーテン越しにやさしく広がっていた。
「拓ー、早く起きなー」 階下から母の声がする。その声に慌てて飛び起き洗面台へ行く。
鏡を見ると、寝ぐせが見事に立ち上がっていた。が、寝ぐせのまま洗面所に突っ込み、顔を洗う。
冷たい水が目にしみる。寝ぐせは手ぐしでなんとか整え、制服のシャツを引っ張り出し、鞄を肩にかけて階段を駆け下りる。
「ほら、お弁当!ごはんは食べなくていいの?」
母が弁当箱を差し出す。
「食べる時間ない!ありがと!」
「もー!学校始まってまだ2日目じゃない。遅刻だけはダメだからね?」
「はーい」
「行ってきます!」玄関で靴を履きながら言うと、母の声が背中に届いた。
「いってらっしゃい、気をつけてねー!」
冷たい朝の空気が一気に肌を刺す。
息を切らしながら坂道を駆け上がり、なんとか時間内に学校へ着く。
息を切らしながら坂道を駆け上がり、なんとか時間内に校門をくぐる。 「っはー……間に合った……」 胸を押さえながら下駄箱へ向かい、靴を履き替えようとしたその瞬間
ガシッ。 いきなり肩を組まれて、心臓が跳ねた。
「おはよー!拓!昨日は大丈夫だったか?」
「びっくりしたー……なんだ的林かよ」
「なんだってなんだよ!いつものことだろ」
的林はいつも通りテンションが高い。 寝不足の頭にその声が直撃して、少しだけ頭が痛くなる。
「それで?クラスはどんな感じ?友達できたか?」 教室に向かう廊下でも、的林は俺の肩から離れようとしない。 まるで昨日からの報告を今すぐ聞き出す気満々だ。
「別に、普通。友達は……」
「ぼっち確定か?しょうがねーな!俺が毎時間会いに行ってやるかー」
「はぁ?!いいから。仲良くなれそうな人たちはいるから!」 思わず声が裏返った。
「……仲良くなれそうな人たち?」 的林がニヤリと笑う。
「誰だよ、教えろよー!」 うわ、やっぱり食いついた。
「いや、だからまだ友達とかじゃなくて、昨日ちょっと話したぐらいの」
「だから誰だよー」
「うるさいなっ……!」
そんな小さな言い争いをしていると、後ろから明るい声が飛んできた。
「おはよー!たくっち!」
振り向けば、上羽が満面の笑みでこちらに手を振っている。 隣には神代。
「おはよ」 静かな声。けれど、その一言だけで周りの空気が少し変わる。
突然現れた二人に、的林は一瞬で口を閉じた。
「……は?」という顔で俺を見る。 視線が痛い。
「どういうこと」と口パクで言っている。
けど、挨拶を返さないわけにもいかなくて、
「お……おはよ」 と、小さく手を上げた。
なるべく的林に見られないように、そっと。
それでも横目で見れば、的林の眉がぴくりと動いた。
「(……やばい。これ、あとで絶対根掘り葉掘り聞かれるやつだ)」
2人が先に教室に入ったところを見ると同時
的林が「おい、今の二人、2Rayだよな?」と眉をひそめる。
「え、あぁ、まぁ……」
「さっき言ってた仲良くなれそうな人たちって……まさか」
「いや、俺もなんでか分からないだって!」
「“ちょっと話しただけ”であの距離感? お前、いつの間にそんな人気者に?」
「だから違うって」
問い詰めようとする的林の声をかき消すように、 ——キーンコーンカーンコーン。 始業のチャイムが鳴り響いた。
「ほら、もう時間。じゃ、またな」 そう言って、俺は半ば逃げるように自分のクラスへ向かった。 的林はまだ何か言いたそうだったが、渋々自分の教室へと戻っていった。
教室に入ると、すでに上羽と神代が席についていた。 「よ!ギリギリだねー」上羽が笑う。
「……うん。朝苦手で」俺も苦笑いをしながら軽く返す。
そのとき、隣の席の神代がふと俺の方を見た。
「……さっきの人、誰?」
「え?あぁ、的林っていう中学からの友達」
「……ふーん」
彼は一瞬だけ視線をそらし、何気ないふりで筆箱を開いた。 けど、その仕草はどこかぎこちない。
(なんだろ……怒ってる?)
「的林って野球のエースじゃなかったっけ?」上羽が的林の名前を聞いて思い出したかのように言う。
「あぁ、そうらしいよね。昔から野球ばっかしてたやつだから」
「仲いいんだな、そいつと」
「うん、まぁ……長い付き合いだから」
「……そう」
神代はそれ以上何も言わなかったけど、 その横顔はほんの少しだけ、不機嫌そうに見えた。
「へー!その子も結構モテるって女子から聞いたことあるわ」
「そうなの?確かにモテてるかもだけど…」
「まぁ俺らもサッカー部のエースだけど、な?神代」
「ん……まぁ」
「やっぱスポーツできる人はいいな」俺がなんとなく相槌を打つと、
「三浦も運動神経悪くなさそうだけど?」 上羽がそう言ってくる。
「いやいや!全然!」
「去年の体育のマラソン大会なんてビリだったよ」 「マジで?意外!」上羽は大げさに目を丸くした。
一方で神代は視線を窓の外に向けたまま、
「……そういうのも、別に悪くないと思うけど」と、ぽつりと小さくつぶやいた。
俺が様子を伺うように、ちらっと隣を見た瞬間、神代の視線とぶつかった。
「なに?」
「え、いや、別に」
「ふーん」
ほんの一瞬の沈黙。 そのあとチャイムが鳴って、教室に先生が入ってきた。
授業が始まっても、隣の神代はノートを取りながら時々ペン先を止めて、どこか遠くを見ているような顔をしていた。その横顔も、どこか整いすぎていて。 光の入り方のせいか、睫毛の影までくっきりと見えた。 思わず、目が離せなくなる。
「(……何考えてんだろ)」
ノートに視線を戻そうとしても、気になって仕方ない。無愛想なくせにモテるのが分かる。
「……なに、俺の顔になんかついてる?」
「えっ、いや!ち、違う!」 顔が一気に熱くなるのを感じた。 神代は少しだけ口角を上げて、視線を逸らす。
「そう」 その短い言葉だけ残して、またノートに目を落とす。
「(危険だ…こいつは)」
昼休み。1人机に弁当を出し「いただきます」と小さく手を合わせた。でも弁当を開けた瞬間、上羽がいきなり俺の机にドンと弁当を置いた。
「たくっち、今日から俺らとメシ!」
「え?ん?」
「拒否権はナシ。東真も来るから!」
「(いや、勝手に決めんなよ…)」
案の定、神代は静かに弁当を持ってやってきた。 俺の前に座ると、ふっと笑って言った。
「……悪くないな、こういうの」
神代のその言葉に、上羽がすかさずニヤリと反応する。 「おっ?珍しく東真が褒めた…?たくっち、やったじゃん!」
「い、いやいや、褒められたっていうか……」
「褒めてるよ」 神代が淡々と口を挟む。箸を動かしながら、ふと視線だけこちらに向ける。
「“かわいい”し、素直そうだから」
「……っ!?」 弁当の卵焼きを喉に詰まらせそうになった俺を見て、上羽が爆笑した。
「やっぱ気に入られてんじゃん、たくっち~!」
「そ、そういう意味じゃないよな!?なっ?」 慌てて神代を見るが、彼は静かに首を傾げるだけで、また弁当に戻った。
「(なにその反応!?)」
「それに、いつも上羽とかいう同じ顔ばっかり見てたから拓がいるのが新鮮でいい」
「え?俺の顔見飽きたってこと?このチョーゼツイケメンの俺の顔を?嘘でしょ!?」
「うるせーよ」
「てか、その卵焼きおいしそーだな!あずまくん、ちょーだい」 そう言って上羽は、神代の弁当から卵焼きをひょいとつまみ取り、ためらいもなく口に放り込んだ。
「おい」 短く制する神代の声。
「うま!今日も東真の手作り?」 「まぁ……」
「(手作り……?)」
意外な単語に、思わず耳が反応した。 「えっ、この弁当、自分で作ってるの?」 俺がそう尋ねると、神代は少し間を置いてから、短くうなずいた。
「ん?……まぁ」
上羽がにやにやと笑いながら、俺のほうを向く。 「東真は毎日料理するんだってよー。でもクールキャラだから、周りには知られたくないみたいだけどな笑」
「えっ、めちゃくちゃすごいじゃん!」 気づけば、素直に声が出ていた。 その瞬間、神代がわずかに目を伏せる。
「別に、凄くねーよ」 そう言って窓の外に視線を逸らしたけど、耳の先がほんのり赤い。
「(いや、絶対照れてるじゃん……)」
「ほらほら、たくっちも食べてみろよ!」 上羽が勢いよく神代の弁当を俺の前に押し出した。
「え、いや、それは悪いから!」
「いいからいいから。な、東真?」
神代は少しだけ考える素振りを見せてから、
「……別にいいけど」 と小さくつぶやいた。
「(まじでいいのか……?)」
箸を伸ばし、恐る恐る卵焼きをひとつ取って口に運ぶ。 ふわりとした甘みと、出汁の優しい香りが広がった。
「……うまい」 思わず口からこぼれた言葉に、上羽がニッと笑う。
「だろ!?東真の料理、マジでハイレベルなんだよ!」 隣で神代の肩をバンバン叩く上羽。
「おい、やめろって」 神代は眉をしかめながらも、どこか満更でもなさそうだ。
「ほんとにすごいな。料理できる男子って、かっこいいと思う」 そう言うと、神代がわずかにこちらを見た。 その黒い瞳が、さっきよりも少しやわらかい。
「……おう。ありがと」 短く、それでもはっきりと俺に向けられた声。
「おーい、二人で見つめ合ってんじゃねーよ〜!」 上羽が笑いながらからかってきて、俺と神代は同時に目を逸らした。
「ち、ちがっ……!」 「……陽、うるさい」
上羽の笑い声が、昼休みの喧騒に混じって響く。 気づけば、ひとりで寂しく過ごすはずだった昼休みが、少しだけあたたかく感じられていた。
放課後、昇降口を出ると、運動場から歓声が響いてきた。視線を向けると、サッカー部が練習をしている。 その中心には、上羽と神代の姿があった。
上羽はいつも通り明るく声を張り上げ、チームを盛り上げている。 一方、神代は無駄のない動きで、まるで風のようにボールを運んでいた。 ディフェンスを軽く抜き、迷いのないフォームで放たれたシュートが、きれいな弧を描いてゴールネットを揺らす。
その瞬間、女子たちの黄色い歓声が一斉に上がった。
「キャー!神代くんすごーい!」
「やっぱカッコよすぎ!」
グラウンドの端に立つ自分が、少しだけ場違いに感じる。 同じ教室にいる人間とは思えないほど、眩しい、キラキラとしたまさに主人公のような姿だ。
そんな中、不意に神代がこちらを向いた。 ボールを拾いながら、ふっと表情を緩める。
そして軽く手を振った。
「えっ……」
「(……俺?)」 思わず反射的に、俺も小さく手を上げて返す。
それを見た神代は、ふっと笑った気がした。
その一瞬、近くで見ていた女子たちが「え?」「誰?」とざわめく。 好奇と疑いの混ざった視線が、一斉に俺の方へ向いた。
「(やば……怖い)」 女子たちの目線を背中で感じながら慌てて足早にその場を離れた。
夜。 風呂場の湯気の中で、今日一日のことをぼんやりと思い返していた。
「(……なんで、あんなに優しいんだろ)」
教室でも、帰りのグラウンドでも。 神代はいつも自然に、当たり前みたいに俺に接してくる。 でも、俺みたいな目立たないやつに。
あんな人気者が、どうして。
湯船に沈めた膝の上で、指先をいじりながら考える。まるで湯気の中に神代の横顔が浮かんでくるみたいで、胸の奥が妙にくすぐったくなった。
「……って、俺なに考えてんだ」 小さく呟いた瞬間、頭がぼうっとしてきて、のぼせそうになる。
「たくー!いつまで入ってんの!早く上がりなさい!」 脱衣所の外から母さんの声が飛んできた。
「あっ、うん!」 慌てて湯船から立ち上がる。
鏡の前でほてった顔を見て、思わず苦笑した。
「(……ほんと、何やってんだ俺。ただあいつらはひとりぼっちの俺に声をかけてくれただけ!でも地味な俺を?なんで?)」
「(拓ー!上がったんならさっさと出てきなさいって!お風呂待ちで渋滞してるんだけど!)」
「("お風呂待ちで渋滞"ってなんだよ)」
相変わらず母さんのワードセンスは独特で、思わず苦笑する。
急いで服を着て、脱衣所を出た。
湯気の残る髪をタオルで拭きながら、ベッドに倒れ込む。 部屋の明かりはまだついたまま。 天井の小さなシミをぼんやりと眺めながら、 さっきまで風呂場で考えていたことがまた頭の中をぐるぐる回る。
(……なんで俺に、優しくしてくれるんだろ)
(そんなに話してもないのに)
「……もう、考えるのやめよ」小さくつぶやいて、枕に顔を沈める。
「……寝る。寝る寝る寝る」
けれどまぶたの裏に、あの横顔が一瞬また浮かんできた。
そのまま、ゆっくりと意識が遠のいていく。 静かな夜の中で、胸の鼓動だけがいつまでも鳴り続けていた。
「拓ー!」
後ろから聞き慣れた声が
振り返れば爆速で自転車を漕ぎながらニッコニコの笑顔をした短髪野球男子。
「 (坂道だというのにあんな笑顔で) 」
「 (さすが体力お化け) 」
遠くからでも伝わってくる元気さにこっちのエネルギーも持っていかれそうだ。
「おっはー!なぁ俺ら今年も同じクラスだと思う?」
「いや流石に離れるんじゃね」
「いや、でもここまできたら記録更新したくね?だって今年も一緒だったら中学から5年連続だぞ!」
「なんの記録更新だよ」
「それに拓、俺以外友達いねーじゃん」
その言葉に一瞬ぎくっとした。確かに中学からずっと的林としか話せる相手がおらず、上羽が学校を休んだ日は一人ぽつんとクラスに残る陰キャの振る舞いだ。
「いや、もう俺は自立するから」
「自立?拓が?」
「無理無理」そういって俺の肩を叩きながら笑ってくる。
「痛いって、野球バカ」
「あーごめんごめん笑」
毎回、クラス替えの日は内心ドキドキなのはこいつだけには知られたくない
坂を登り切った先に校門が見えた。
「じゃあ俺、自転車止めてくるわ。先、看板のとこ行っといて」
「うん」
学校の校庭に大きな看板があり、そこに多くの人だかりができていた。
「わー!また一緒じゃん!」女子たちの歓喜の声
「うわーまたあかりちゃんと違うクラス」男子の恋の嘆きなどいろんな声が聞こえる
「お待たせ。よし、見るか」
「(緊張してきた)」
「緊張してるな?笑」
「えっ?…してねーよ」
人だかりの中をすり抜けるように表の前に向かう。クラスは4クラス。1組から順に探していく。
「あっ俺、3組だ」
「え、まじ。」
的林は"ま"から始まる。そのため50音順で、次は自分の名前の"み"がくるはず。
「えっと、的林…目黒…」
「うわー!三浦じゃないな!」
「えっ、まじ」
この瞬間、俺の高校2年生クラスぼっちが確定した。
「三浦、三浦…」
「あったぞ。1組じゃん」
1組…もうクラスなんてどうでもいい。ぼっち確定なのだから
「まぁそう落ち込むな。それをきっかけに新しいやつと友達になればいいだろ?」
「お前みたいにすぐ誰とでも仲良くなれないんだよ」
せめて誰か仲良くなれそうな人はいないものか、、落ち込んだ顔をもう一度クラス表に向ける。それと同時にやけに後ろが騒がしくなる。
「キャー!!今日もかっこいい!」
「やばい、神代くんと上羽くんはどこのクラス!?」
その歓声に思わず後ろを振り返った。 そこには、背が高くモデルのようなスタイルをした男子二人組が、女子たちに囲まれながらこちらへ向かってくるところだった。 二人は周囲に一瞥もくれず、まるでランウェイを歩くかのような足取りでクラス表の前に立ち止まる。 その瞬間、女子たちが一斉に押し寄せ、気づけば俺はクラス表と人の波のあいだに挟まれていた。 目の前には、イケメン二人組。間近で見ると、俺よりも頭ひとつ分は背が高い。
「(でけーな……)」
「あっ1組じゃん」
そうぼそっと茶髪のイケメンが隣の黒髪のイケメンに言う。
「それに同じクラスじゃん。中学以来だな」
ふっと茶髪が笑う姿に周りの女子たちの興奮も上がる。
「上羽くーん!!かっこいい!」
「(茶髪のやつが上羽くん…か?)」
隣の黒髪イケメンは何にも表情を変えず、「そうだな」とちょーー小さい声で返事をした。
それなのに女子たちは「ねぇ今神代くん喋った?!」などと興奮
「(イケメンはなんでも絵になるんだな…それに名前も"神代"って。カッコいぃ)」
改めて"イケメン"という重要さに気付かされた高校2年生である。
それよりも早く、この圧迫感から逃れたい――。
ちょっとだけ息を吸い込み、ほとんど聞き取れないほど小さな声で「すみません……」とつぶやきながら、人混みをかき分けて進んだ。
けれど、イケメンにしか目がない女子たちの壁は思ったよりも厚く、逆に押し戻され、バランスを崩してそのまま転んでしまった。
「痛っ」
床に手をついた瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。 「おいっ!」
俺が転んだのと同時に、誰かが怒鳴るように声を上げたのだ。ざわつく女子たちの視線が一斉にこちらへ向く。その人垣の中から、黒髪のイケメンが一歩前に出て、まっすぐ俺を見つめた。
「大丈夫か」
低くて落ち着いた声。 「えっ……」 思わず言葉を詰まらせた俺は、ただ彼の顔を見上げることしかできなかった。
「あっはい……」
突然起こった展開に自分自身何も理解が追いついていない。手を強くついたせいでジンジンと痛みが伝わってくるが、今はそれよりも女子たちの「え、何あいつ」的な目線が怖い!
足早にこの場を立ち去りたい!
「立てるか?」
「あっ……立てます。大丈夫なんで……」
慌てて手を前に出し、顔を直視しないようにしながら立ち上がる。 頬の熱を悟られないように、そっと視線を逸らした。逸らした先には、的林がこちらをじっと見つめながら、慌てた様子で小さく手を振っていた。
「早く来い、女子に殺されるぞ」という意味をこめた、気のないふりをした必死のジェスチャーだ。
「すいませんでした……」
小さくつぶやき、イケメンに軽く頭を下げる。
顔を上げるのも気まずくて、そのままそそくさと背を向けて的林の元に駆け寄った。
と、同時に女子たちの視線はまたあの2人に向かった。そっと後ろを振り返ると、女子たちに囲まれた黒髪が、まだこちらをじっと見ていた。
「(……まだ見てくるじゃん)」
「お前、目つけられたか?」 的林が肩を組みながら、ニヤニヤと笑ってくる。
「は? ただ転んだだけだし」
「いや、あの2人知らねーの?」
「……知らない」
「まじかー! あいつら、学校一のイケメン集団だぞ」
まぁ、あの女子たちの熱気を見れば、まぁそうなんだろうとは思っていた。
「“2Ray(トゥーレイ)”って言われてるらしいぜ」
「は? 何それ? とぅー……れい?」
「“2Ray”は、“2つの光”って意味。学園を照らす2人、ってことらしい」
「はぁ……すげー人気なんだな」
「ファンクラブあるぐらいだしなー」
「ファンクラブ…はぁ…俺らとは正反対だなぁ」
「おいおい、俺はモテるぞ?」
「は?"俺は"ってなんだよ、"俺は"って!」
そんな小競り合いをしていたらチャイムが鳴り始めた。
俺と的林は慌てて教室へと向かう。
「じゃ、またあとでな!」 的林が手を振りながら、廊下の角を曲がって自分のクラスへ消えていく。
「はぁ……朝から疲れた」 俺は肩を回しながら、自分のクラスの教室へ向かった。
ガラッ。
教室のドアを開けると、もうほとんどの生徒が席に着いていた。
「(席は出席番号順か)」
席は横から2番目の一番後ろの席
「(おっ一番後ろの席じゃん)」
特に目立つ奴もいない。 そう思って席に向かい、鞄を下ろした、その時。
ガララッ。
もう一度、ドアが開く音がした。 何気なくそっちを見た瞬間、息が止まった。
「(……あっ)」
さっき会った黒髪のイケメン。
「(名前は、神代…だったっけ…)」
アイドル風のゆるっとしたカバンの持ち方をして、無表情のまま教室に入ってくる。そしてその後ろには上羽も… 教室が一瞬で静まり返った。
「えっ、2Rayこのクラスじゃん!」 「まじ、やばい!」 女子たちの歓声が一気に広がる。
まじか、まじか、まじか
俺の心臓が、やけに早く鳴り始める。
その視線が、またこっちに向いた。 ほんの数秒、神代と目が合う。
「(やっぱり見てる……気がする)」
すぐに逸らしたけど、頬が妙に熱かった。 2Rayは何事もなかったように自分の席へ歩く。
2人はまっすぐ俺の方へ向かってきた。
そして、そのまま俺の隣の席。一番端の席と、その前の席に腰を下ろす。
「まさかの隣ー…」
思わず小声で声が漏れてしまう。周りの席の女子たちはキラキラした目で2人を見つめているが、本人たちは透明な壁で仕切られたみたいに、完璧な無視。
俺はちらりと隣を見た。 神代が、無表情のまま教科書を机に置いている。 上羽は、軽く腕を組んで俺の方に振り返った。
「なあ、お前、さっきの“転んでたやつ”じゃね?」
「え?」
「う、うん……まあ、そう……だけど」
「へぇー、大丈夫だった?災難だったねー」
軽い調子で笑う上羽に、神代が小さくため息をついて
「無駄口、減らせ」と手に持った教科書でポンっと上羽の頭を軽く叩く。
「痛っ」頭をさすりながらムスッとした顔をする上羽。その仕草は女子なら確実に落ちる可愛さだが、神代は一瞥もくれず、まっすぐ俺の方を見た。
「怪我はなかったか?」
低く、落ち着いた声だった。
目が合った瞬間、思わず息が詰まる。
「あっ、うん。大丈夫…さっきはありがとう…」
「そっか……なら良かった」
その顔が、ほんの一瞬だけやわらいだ気がした。
「なぁ、名前は?」 不意に上羽が俺に話しかけてきた。
「えっ、俺……ですか?」
「うんうん」軽いノリで頷く上羽。その笑顔がやたら眩しい。
「(なんで知りたいんだー……)」
心の中で叫びながらも、変に間を空けるのも気まずくて、口を開いた。
「三浦 拓です」
「へー!俺は上羽 陽」
「えっと拓だから、たく、"たくっち"だな!」
「え?」
「たくっち……?」
「その方がいいじゃん!かわいいし!」
「かわいいって……」
「なぁ、東真もそう思うよな?」 上羽が後ろの神代へと話を振った。
「(神代って下の名前、“あずま”なんだ。やっぱカッケーな……)」 そんなことを思っていたら、神代がふと黙り込む。
何か言おうとしているのかと思ったが、彼はただ、俺の顔をまっすぐ見つめてきた。
十秒ほど、無言のまま。
その視線に、なぜか心臓が落ち着かなくなる。
「……うん。可愛い」
ふっと口角を上げて、柔らかく笑った。
「(な、なんだ今の……?)」
「(名前のことだよな…可愛いって…真っ直ぐ俺の顔見ながら言ってなかった?名前か?…それとも……)」
「よろしくな、たくっち!俺のことは"陽"とか適当に呼んでくれていいから」
「俺も。"神代"とか"東真"とかテキトーに呼んで」
「あっ、はい…」
「(そんな気軽に下の名前で呼べるわけねーよ)」
今日俺たち会ったんだよな?初対面だよな?
まだ席に着いて数分も経ってないのに、
なぜかあだ名まで決まってしまった俺は、
妙なペースに巻き込まれている気がした。
そんなことを思っていたところで、 キーンコーンカーンコーンとチャイムの音が鳴り響いた。
前の黒板の前に立った女性が、手をパンと叩く。
「はい、みんな注目ー」
柔らかな声だった。 落ち着いた雰囲気の先生で、肩までの髪をひとつにまとめ、 少し笑うとえくぼができる。
「今日からこのクラスを担当します、"南 由花"です。国語の授業を持ちます。趣味は映画鑑賞とカフェめぐりです。毎年聞かれるので先に言うけど、年齢は非公開だからね?
これから1年みんなよろしくね」
教室のあちこちで小さな拍手が起こった。 先生はにこやかにうなずきながら、ゆったりと話を続ける。
「新しいクラス、緊張してる人も多いと思うけど、すぐに慣れるから大丈夫。みんなで仲良くやっていきましょう」
「(南先生、優しそうだな……)」
「じゃあ次は、みんなの自己紹介していこっか。出席番号順でいいかな?」
教室の空気が少しピリッと引き締まった。 ざわざわとプリントをめくる音。 前の席の女子が小声で「何言おう…」とつぶやく。
そして名前と部活、趣味がぽつぽつと続いていく。
「上羽 陽です。部活はサッカー部で趣味は…寝ることかなー。よろしくお願いします」
女子たちの大きな拍手を爽やかな笑顔で返す。その笑顔は、まるで春の日差しみたいに自然で、女子たちのあちこちから「キャー!」という歓声と拍手が上がった。
「(……人気あるなぁ、やっぱり)」
「じゃあ次は神代くん」
「神代 東真です。部活はサッカーで趣味は特にないです。以上です。」
その無愛想さに少し空気が止まったが、
女子たちの方から「かっこいい〜」という囁きと拍手が広がっていく。
「(いや、むしろ無愛想なのに何でそんな人気あるんだ……)」
俺は密かにそう突っ込みながら、自分の順番が近づいてくるのを感じていた。
「次は三浦くん」
呼ばれて立ち上がる。 視線が一斉にこちらを向いて、喉の奥がぎゅっと詰まる。
「三浦拓です。えっと……部活はしてなくて趣味は映画とかです。よろしくお願いします」
ぱちぱちとまだらな拍手。
うん、自分でも地味だと思う。けど、変にウケを狙う勇気もない。
「三浦くん、よろしくね」
南先生が優しく笑いかけてくれて、
なんとなく緊張が解けた。
ーーーーーーーーーーー
「じゃあ、これで自己紹介は終わりね。今日はホームルームだけで下校だから、配布物を配ったら自由にしていいわよ」
「やったー!」 誰かの声に、教室が一気にざわめきを取り戻した。
「(ふぅ……終わった)」
隣の席では、すでに女子たちの輪ができていた。
「ねぇ、連絡先交換しない?」 「このあと、カラオケとかどう?!」
昼下がりの教室は、チャイムの余韻よりもその声でざわついていた。 その中心にいるのは、もちろん上羽と神代。
上羽はというと、いつもの調子でにこにこと笑いながら
「今日は予定あるんだよねー。連絡先もさ、クラスのグループ作っちゃえばいいよね!俺、作っとくよ」 と軽やかにかわしていた。
その言い方があまりにも自然で、女子たちも「そっかー!」なんて笑って引き下がっていく。
一方で神代はというと、無言のままプリントをきっちり揃えている。誰かに話しかけられても「……うん」とだけ答えて、すぐ視線を戻す。女子たちもその姿に少しビビっている様に見える。
「(あの二人、タイプ真逆なのになんか合ってるよな)」
そんなことを思いながら、鞄を肩にかけて廊下へ出る。新しいクラス、新しいメンバー。 心のどこかがまだざわついている。
「三浦くん、さようなら」 廊下ですれ違った南先生が、柔らかく微笑んだ。
「あっ……さようなら」反射的に頭を下げた。
昇降口を抜けて、靴を履き替える。
外は、春の陽射しがやわらかく校庭を照らしていた。まだ入学式帰りの一年生たちが慣れない様子で写真を撮っていて、その横を俺はひとりで通り過ぎた。
「(はぁ…明日から大丈夫かなー…)」
鞄の持ち手を握り直して校門へ向かう途中、 背後からふと名前を呼ばれた。
「三浦」
振り返ると、そこには神代がいた。 制服のネクタイを少し緩めて、無表情のまま立っている。
神代は少し考えるように言葉を選んでいる。
「さっき、上羽がグループ作るって言ってたけど……クラスで交換してるやついる?」
「あっ、いない…かも」
「じゃあ俺と個人で連絡先交換してグループ招待しとく」
「えっ、ありがとう」
スマホを取り出し、QRコードを出すと、神代がすっとそれを読み取る。
その距離、思ったより近くて、ふわっとシャンプーみたいないい匂いがした。
「……登録できた」神代は画面を見て軽く頷く。
「お待たせー!女子たちがなかなか帰してくれなくて…」少しヘトヘト気味の上羽が走ってこちらに来た。
「たくっちもこれからカラオケ行く?女子はいないけどねー」
「えっ、俺も?」
「東真も行くでしょ?」
神代は少し考えるように視線を落とし、
「俺は別に…」
「えっ、まじ?じゃあ決まり——」
「あっ、俺、今日はバイトあって…ごめん!」
慌てて遮るように言うと、上羽が大げさに肩を落とした。
「えーー!たくっちの歌聴きたかったなー」
「バイトしてるんだな」
「うん、小遣い程度でね」
「そうか、頑張って」
その言葉とともに、神代がふっと優しく笑った。 一瞬、目が合って、思わず言葉が詰まる。
「…うん」
「えー、たくっちサボろうよ」
「ごちゃごちゃ言うな。ほら俺が行ってあげるから黙りなさい」
「なにそれ、ツンデレ?」
上羽が笑い、神代は無言で上羽を引っ張り連れだす。
「じゃ、また明日」彼は小さく手を上げた。
上羽も「またねー!たくっち!」と元気に手を振る。
「え、あ……うん。また明日」俺もつられて小さく手を振る。
返事をしたときには、神代はもう歩き出していた。夕方の光の中、その背中だけが妙に印象に残る。
「(……なんであんな俺に優しいんだ?)」
ーーーーーーーーーーーーー
翌朝、目覚ましの音にゆっくり目を開ける。 窓の外から差し込む光が、カーテン越しにやさしく広がっていた。
「拓ー、早く起きなー」 階下から母の声がする。その声に慌てて飛び起き洗面台へ行く。
鏡を見ると、寝ぐせが見事に立ち上がっていた。が、寝ぐせのまま洗面所に突っ込み、顔を洗う。
冷たい水が目にしみる。寝ぐせは手ぐしでなんとか整え、制服のシャツを引っ張り出し、鞄を肩にかけて階段を駆け下りる。
「ほら、お弁当!ごはんは食べなくていいの?」
母が弁当箱を差し出す。
「食べる時間ない!ありがと!」
「もー!学校始まってまだ2日目じゃない。遅刻だけはダメだからね?」
「はーい」
「行ってきます!」玄関で靴を履きながら言うと、母の声が背中に届いた。
「いってらっしゃい、気をつけてねー!」
冷たい朝の空気が一気に肌を刺す。
息を切らしながら坂道を駆け上がり、なんとか時間内に学校へ着く。
息を切らしながら坂道を駆け上がり、なんとか時間内に校門をくぐる。 「っはー……間に合った……」 胸を押さえながら下駄箱へ向かい、靴を履き替えようとしたその瞬間
ガシッ。 いきなり肩を組まれて、心臓が跳ねた。
「おはよー!拓!昨日は大丈夫だったか?」
「びっくりしたー……なんだ的林かよ」
「なんだってなんだよ!いつものことだろ」
的林はいつも通りテンションが高い。 寝不足の頭にその声が直撃して、少しだけ頭が痛くなる。
「それで?クラスはどんな感じ?友達できたか?」 教室に向かう廊下でも、的林は俺の肩から離れようとしない。 まるで昨日からの報告を今すぐ聞き出す気満々だ。
「別に、普通。友達は……」
「ぼっち確定か?しょうがねーな!俺が毎時間会いに行ってやるかー」
「はぁ?!いいから。仲良くなれそうな人たちはいるから!」 思わず声が裏返った。
「……仲良くなれそうな人たち?」 的林がニヤリと笑う。
「誰だよ、教えろよー!」 うわ、やっぱり食いついた。
「いや、だからまだ友達とかじゃなくて、昨日ちょっと話したぐらいの」
「だから誰だよー」
「うるさいなっ……!」
そんな小さな言い争いをしていると、後ろから明るい声が飛んできた。
「おはよー!たくっち!」
振り向けば、上羽が満面の笑みでこちらに手を振っている。 隣には神代。
「おはよ」 静かな声。けれど、その一言だけで周りの空気が少し変わる。
突然現れた二人に、的林は一瞬で口を閉じた。
「……は?」という顔で俺を見る。 視線が痛い。
「どういうこと」と口パクで言っている。
けど、挨拶を返さないわけにもいかなくて、
「お……おはよ」 と、小さく手を上げた。
なるべく的林に見られないように、そっと。
それでも横目で見れば、的林の眉がぴくりと動いた。
「(……やばい。これ、あとで絶対根掘り葉掘り聞かれるやつだ)」
2人が先に教室に入ったところを見ると同時
的林が「おい、今の二人、2Rayだよな?」と眉をひそめる。
「え、あぁ、まぁ……」
「さっき言ってた仲良くなれそうな人たちって……まさか」
「いや、俺もなんでか分からないだって!」
「“ちょっと話しただけ”であの距離感? お前、いつの間にそんな人気者に?」
「だから違うって」
問い詰めようとする的林の声をかき消すように、 ——キーンコーンカーンコーン。 始業のチャイムが鳴り響いた。
「ほら、もう時間。じゃ、またな」 そう言って、俺は半ば逃げるように自分のクラスへ向かった。 的林はまだ何か言いたそうだったが、渋々自分の教室へと戻っていった。
教室に入ると、すでに上羽と神代が席についていた。 「よ!ギリギリだねー」上羽が笑う。
「……うん。朝苦手で」俺も苦笑いをしながら軽く返す。
そのとき、隣の席の神代がふと俺の方を見た。
「……さっきの人、誰?」
「え?あぁ、的林っていう中学からの友達」
「……ふーん」
彼は一瞬だけ視線をそらし、何気ないふりで筆箱を開いた。 けど、その仕草はどこかぎこちない。
(なんだろ……怒ってる?)
「的林って野球のエースじゃなかったっけ?」上羽が的林の名前を聞いて思い出したかのように言う。
「あぁ、そうらしいよね。昔から野球ばっかしてたやつだから」
「仲いいんだな、そいつと」
「うん、まぁ……長い付き合いだから」
「……そう」
神代はそれ以上何も言わなかったけど、 その横顔はほんの少しだけ、不機嫌そうに見えた。
「へー!その子も結構モテるって女子から聞いたことあるわ」
「そうなの?確かにモテてるかもだけど…」
「まぁ俺らもサッカー部のエースだけど、な?神代」
「ん……まぁ」
「やっぱスポーツできる人はいいな」俺がなんとなく相槌を打つと、
「三浦も運動神経悪くなさそうだけど?」 上羽がそう言ってくる。
「いやいや!全然!」
「去年の体育のマラソン大会なんてビリだったよ」 「マジで?意外!」上羽は大げさに目を丸くした。
一方で神代は視線を窓の外に向けたまま、
「……そういうのも、別に悪くないと思うけど」と、ぽつりと小さくつぶやいた。
俺が様子を伺うように、ちらっと隣を見た瞬間、神代の視線とぶつかった。
「なに?」
「え、いや、別に」
「ふーん」
ほんの一瞬の沈黙。 そのあとチャイムが鳴って、教室に先生が入ってきた。
授業が始まっても、隣の神代はノートを取りながら時々ペン先を止めて、どこか遠くを見ているような顔をしていた。その横顔も、どこか整いすぎていて。 光の入り方のせいか、睫毛の影までくっきりと見えた。 思わず、目が離せなくなる。
「(……何考えてんだろ)」
ノートに視線を戻そうとしても、気になって仕方ない。無愛想なくせにモテるのが分かる。
「……なに、俺の顔になんかついてる?」
「えっ、いや!ち、違う!」 顔が一気に熱くなるのを感じた。 神代は少しだけ口角を上げて、視線を逸らす。
「そう」 その短い言葉だけ残して、またノートに目を落とす。
「(危険だ…こいつは)」
昼休み。1人机に弁当を出し「いただきます」と小さく手を合わせた。でも弁当を開けた瞬間、上羽がいきなり俺の机にドンと弁当を置いた。
「たくっち、今日から俺らとメシ!」
「え?ん?」
「拒否権はナシ。東真も来るから!」
「(いや、勝手に決めんなよ…)」
案の定、神代は静かに弁当を持ってやってきた。 俺の前に座ると、ふっと笑って言った。
「……悪くないな、こういうの」
神代のその言葉に、上羽がすかさずニヤリと反応する。 「おっ?珍しく東真が褒めた…?たくっち、やったじゃん!」
「い、いやいや、褒められたっていうか……」
「褒めてるよ」 神代が淡々と口を挟む。箸を動かしながら、ふと視線だけこちらに向ける。
「“かわいい”し、素直そうだから」
「……っ!?」 弁当の卵焼きを喉に詰まらせそうになった俺を見て、上羽が爆笑した。
「やっぱ気に入られてんじゃん、たくっち~!」
「そ、そういう意味じゃないよな!?なっ?」 慌てて神代を見るが、彼は静かに首を傾げるだけで、また弁当に戻った。
「(なにその反応!?)」
「それに、いつも上羽とかいう同じ顔ばっかり見てたから拓がいるのが新鮮でいい」
「え?俺の顔見飽きたってこと?このチョーゼツイケメンの俺の顔を?嘘でしょ!?」
「うるせーよ」
「てか、その卵焼きおいしそーだな!あずまくん、ちょーだい」 そう言って上羽は、神代の弁当から卵焼きをひょいとつまみ取り、ためらいもなく口に放り込んだ。
「おい」 短く制する神代の声。
「うま!今日も東真の手作り?」 「まぁ……」
「(手作り……?)」
意外な単語に、思わず耳が反応した。 「えっ、この弁当、自分で作ってるの?」 俺がそう尋ねると、神代は少し間を置いてから、短くうなずいた。
「ん?……まぁ」
上羽がにやにやと笑いながら、俺のほうを向く。 「東真は毎日料理するんだってよー。でもクールキャラだから、周りには知られたくないみたいだけどな笑」
「えっ、めちゃくちゃすごいじゃん!」 気づけば、素直に声が出ていた。 その瞬間、神代がわずかに目を伏せる。
「別に、凄くねーよ」 そう言って窓の外に視線を逸らしたけど、耳の先がほんのり赤い。
「(いや、絶対照れてるじゃん……)」
「ほらほら、たくっちも食べてみろよ!」 上羽が勢いよく神代の弁当を俺の前に押し出した。
「え、いや、それは悪いから!」
「いいからいいから。な、東真?」
神代は少しだけ考える素振りを見せてから、
「……別にいいけど」 と小さくつぶやいた。
「(まじでいいのか……?)」
箸を伸ばし、恐る恐る卵焼きをひとつ取って口に運ぶ。 ふわりとした甘みと、出汁の優しい香りが広がった。
「……うまい」 思わず口からこぼれた言葉に、上羽がニッと笑う。
「だろ!?東真の料理、マジでハイレベルなんだよ!」 隣で神代の肩をバンバン叩く上羽。
「おい、やめろって」 神代は眉をしかめながらも、どこか満更でもなさそうだ。
「ほんとにすごいな。料理できる男子って、かっこいいと思う」 そう言うと、神代がわずかにこちらを見た。 その黒い瞳が、さっきよりも少しやわらかい。
「……おう。ありがと」 短く、それでもはっきりと俺に向けられた声。
「おーい、二人で見つめ合ってんじゃねーよ〜!」 上羽が笑いながらからかってきて、俺と神代は同時に目を逸らした。
「ち、ちがっ……!」 「……陽、うるさい」
上羽の笑い声が、昼休みの喧騒に混じって響く。 気づけば、ひとりで寂しく過ごすはずだった昼休みが、少しだけあたたかく感じられていた。
放課後、昇降口を出ると、運動場から歓声が響いてきた。視線を向けると、サッカー部が練習をしている。 その中心には、上羽と神代の姿があった。
上羽はいつも通り明るく声を張り上げ、チームを盛り上げている。 一方、神代は無駄のない動きで、まるで風のようにボールを運んでいた。 ディフェンスを軽く抜き、迷いのないフォームで放たれたシュートが、きれいな弧を描いてゴールネットを揺らす。
その瞬間、女子たちの黄色い歓声が一斉に上がった。
「キャー!神代くんすごーい!」
「やっぱカッコよすぎ!」
グラウンドの端に立つ自分が、少しだけ場違いに感じる。 同じ教室にいる人間とは思えないほど、眩しい、キラキラとしたまさに主人公のような姿だ。
そんな中、不意に神代がこちらを向いた。 ボールを拾いながら、ふっと表情を緩める。
そして軽く手を振った。
「えっ……」
「(……俺?)」 思わず反射的に、俺も小さく手を上げて返す。
それを見た神代は、ふっと笑った気がした。
その一瞬、近くで見ていた女子たちが「え?」「誰?」とざわめく。 好奇と疑いの混ざった視線が、一斉に俺の方へ向いた。
「(やば……怖い)」 女子たちの目線を背中で感じながら慌てて足早にその場を離れた。
夜。 風呂場の湯気の中で、今日一日のことをぼんやりと思い返していた。
「(……なんで、あんなに優しいんだろ)」
教室でも、帰りのグラウンドでも。 神代はいつも自然に、当たり前みたいに俺に接してくる。 でも、俺みたいな目立たないやつに。
あんな人気者が、どうして。
湯船に沈めた膝の上で、指先をいじりながら考える。まるで湯気の中に神代の横顔が浮かんでくるみたいで、胸の奥が妙にくすぐったくなった。
「……って、俺なに考えてんだ」 小さく呟いた瞬間、頭がぼうっとしてきて、のぼせそうになる。
「たくー!いつまで入ってんの!早く上がりなさい!」 脱衣所の外から母さんの声が飛んできた。
「あっ、うん!」 慌てて湯船から立ち上がる。
鏡の前でほてった顔を見て、思わず苦笑した。
「(……ほんと、何やってんだ俺。ただあいつらはひとりぼっちの俺に声をかけてくれただけ!でも地味な俺を?なんで?)」
「(拓ー!上がったんならさっさと出てきなさいって!お風呂待ちで渋滞してるんだけど!)」
「("お風呂待ちで渋滞"ってなんだよ)」
相変わらず母さんのワードセンスは独特で、思わず苦笑する。
急いで服を着て、脱衣所を出た。
湯気の残る髪をタオルで拭きながら、ベッドに倒れ込む。 部屋の明かりはまだついたまま。 天井の小さなシミをぼんやりと眺めながら、 さっきまで風呂場で考えていたことがまた頭の中をぐるぐる回る。
(……なんで俺に、優しくしてくれるんだろ)
(そんなに話してもないのに)
「……もう、考えるのやめよ」小さくつぶやいて、枕に顔を沈める。
「……寝る。寝る寝る寝る」
けれどまぶたの裏に、あの横顔が一瞬また浮かんできた。
そのまま、ゆっくりと意識が遠のいていく。 静かな夜の中で、胸の鼓動だけがいつまでも鳴り続けていた。
