湖辺の音味しいレストラン


「喧嘩の理由ぅ……ひひっうひひひっ、ひひーんっ!」

 うるせえな。と本日3杯目のピラフにがっつきながら、俺は小さな声でぼやいた。
 家出してから半日ほどになるけれど、まあまあ楽しくやってるぜ。
 ………………スイトのバカタレが。

「だって、モグリ先輩可愛いんだもん。オトメすぎん? うひひひっ」
「お前、そのセンパイってのやめれ。もう俺は組織の人間じゃねーんだぞ」

 小さい喫茶店だ。なんとなく“うちの”レストランに雰囲気が似ていたからつい入店してしまった。
 目の前に座っているOL風の格好をしたメガネの女性。こいつはクグリ。俺の元後輩で、一応は俺の追っ手……つまり刺客だ。
 俺がフリーの音源泥棒になるまで所属していたオトノメトリー結社『音の怪(オトノケ)』は、足抜けを許さない。だから俺もこの街に流れ着いた時は追ってにやられてボロボロで、それこそ命の危機に瀕していた。まあそのおかげで、アイツ……スイトに出会えたわけだが。

「というか、モグリ先輩。また可愛くなってませんか? いや、元々美少女男子だったけど、なんというかフワッと愛らしくなってるというか。あれですか? 恋ですか、ねぇ恋なんでしょ?」
「アイツとはそんなんじゃねえよ。誰があんなガキなんかに」

 クグリとは何度か()りあったが、今となっては友人のような関係になっている。
 というのも、こいつも俺との対決で死にかけて倒れていたところを、この街に住んでる男に助けてもらったらしい。それで恋に落ちたんだとか。
 なんでもいいけど、牙が抜けたってんならこっちとしては有り難い。

「そんなこと言ってぇ。だってそのカレが、先輩の味覚障害も治してくれたんでしょ?」
「ん。まあな」

 味覚障害か。つい半年前のことなのに、ずいぶん昔のことに感じる。
 しかしコイツは余計なことを……今は怒ってるターンなのに、俺にとって大事な思い出をつついてきやがる。あぁもう、ありありと浮かんできちまった。アイツが俺のために作ってくれた……というか、ふたりで作った音味しい料理。
 ……もう許してやろうかな。そんな考えがふと浮かんだが次の瞬間には。
 
「ね、ほら。大したことじゃないでしょ? ちょっと忘れてたくらい」

 本当に余計なことばかり言う。
 雪解けに向かうところだったのに、どっと雪崩に飲み込まれたように、またムキになってしまった。
 
「……ちょっと……だと?」

 テーブルの上で握った拳が震える。地震でも起こしてしまったのか、同期するように店にある皿という皿がけたたましく鳴り出した。

「アイツが……! 言ったんだよ……!」

 ────俺の浴衣姿が見たいって!


 *


「はぁ〜あ。そうだよな。大したことじゃない」

 すっかり日が落ちてしまった。夜の訪れは目と鼻の先だ。
 喫茶店でさんざっぱら奢らせて多少は気が晴れた。特にシメに食べたフルーツケーキは絶品だったな。バタークリームがぽてっと乗ってて可愛くて。
 
 そうしてクグリと別れてから行くあてのなくなった俺は、湖から吹く南風に乗って街の外れまで流れてきた。
 意図したものでもなかったが、なんと喧嘩の原因となった場所に来てしまったようだ。
 ────近代的なハコモノの呉服屋
 気がづけば、俺はあの日のようにショーウィンドウにぴったりと張り付いていた。
 紫を基調にした上品なデザインの浴衣。一目惚れだった。
 梅雨の明けた頃、アイツとこのあたりを通った時に虜になったのだ。
 ついつい目で追ってしまい、それに気づいたアイツが俺にこう言った。

「見てみたいなぁ、モグリンの浴衣姿」

 8月15日には、守矢市では毎年、全国でも有名な『守矢湖花火大会』が催される。
 人口10万人程度の街に、この時ばかりは県の内外を問わず人が押し寄せる一大イベントらしい。
 その時に、一緒に花火を見たいねと、スイトは言ったのだ。

「そう言ったくせに。俺だけそのつもりになってんの……ばかみたいじゃんかよ」

 浴衣の値段……けっこうする。
 そりゃあ、簡単に出せる金額でもないか。ただでさえ、借金で首が回らないってのに。
 
 ため息をひとつ。そしてショーウィンドウに映る自分の姿を見てみる。
 ────センパイ、また可愛くなってませんか?
 クグリに言われた言葉が、いまになって沁みてきた。妙に気恥ずかしいが、せっかくなので金髪おかっぱ頭の“この子”とにらめっこしてみることにした。

「うん。女の子にしか見えねーな」
 
 ……自分でも言うのもなんだが。
 歳は生まれてこのかた数えたことがないので、この際気にしないけど。見た目は10代後半といったところ。アイツと並んで歩いていると“妹さんですか?”なんて言われることも、ままある。
 自信はある。ちゃんと女の子に見える。なんて────

「何言ってんだか。そう見えるだけだろ」
 
 そうだ。
 どこまでいっても、所詮は“見える”止まりに過ぎない。今でこそアホ面してるけど、いつかアイツだって、好きな────

「Ooh, a cute girl spotted. I might just sneak a little taste~」
「可愛い子みっけ。いや、えぐない? ちょっと味見させてや……と観光客さまは言っている!」

 唐突に背後から投げかけられた英語。そして通訳するアホ。
 人数にして5、6人か。昨今のインバウンドだかなんだかで、こういう輩は日本全国に出没してると聞いたけど、事実のようだ。

「失せろ。俺はいま機嫌が悪いんだよ」

 一瞥もせず、言い放った。体温もなく、ただただ冷たく。
 いかに言語が違えども、その圧は十二分に伝わったようで、外人グループはおずおずと退散していった。
 やれやれ、とため息をつく。そしてもう一度にらめっこだ。

 思えば、逃げ回る生活をするようになってから、一つの街にこんなにも長く住み着くのは初めてだと気づいた。
 もう半年……半年か。

「そろそろ、潮時かな」

 このまま、この街を出るのもいいかもしれない。
 これ以上アイツのもとにいたら、きっともっと離れられなくなる。そうなれば余計に……現実を知って、苦しくなって。
 俺はそっと、パーカーのフードを被った。そしてポケットに手を突っ込み、人の波に逆らうようにして歩き出す。そうすればこの街から出られるような気がしたからだ。
 兎にも角にも、あのレストランから離れればいい。夜が明けるまで歩いて、流れ着いた街で適当になにか食べて、目についた宿に……あっ、俺は大事なことに気づいた。

「枕……持ってきてない」

 家(レストラン)に置きっぱだ。
 俺は枕にはこだわりがある。愛用の枕じゃないと眠れないほどだ。だから逃亡生活でも、武器は捨てても枕だけは持ち歩いたし、雨の日にアイツの寝室に行く時は必ず持参する。
 とにかく、俺にとってはマストアイテムなのだ。あれがないとダメなのだ。

「……取りに戻るか」

 ため息まじりに踵を返した。その時だった。

「あの、そんなつもりないので……本当に、やめてください」

 女の子の声が聞こえた。
 そのゆらぎから察するに、相当に怯えている。俺は声の主を探した。あそこか────

「Why do you hate it? Is that discrimination or what!?」

 先ほどの連中だ。
 大人しそうな女の子を路地裏に連れ込み、大の男5人がかりで取り囲んでいる。
 さすがに見て見ぬフリはできない。俺は今日、何度目かのため息をついて、奴らに声をかけた。

「なぁ、ちょっと聞いていいか?」

 外国人グループがじろりと睨みつけてきた。
 俺はイヤホンを耳に装着し、ウォークマンの電源を入れた。
 ちなみに、こいつは音楽鑑賞用じゃない。

「殴られる、蹴られる、折られる。どれがいい?」

 全部だな。よし、曲を選ぶとしよう。
 空手、カンフー、いや、ぴったりのがある。こいつにしよう。
 そう、このウォークマンは護身用だ────オトノメトリーの。いや、俺専用の。

 ※QRコード


 *


 ずいぶん遠くまで家出したつもりでいたが、意外とそうでもなかったようだ。
 あのあと、秒でチンピラどもをボコすと、助けた女の子がお礼にタクシー代をというのでご好意に預かった。すると、ものの5分足らずで湖畔に着いてしまったのだから驚きだ。

小女子(こうなご)かぁ」

 小女子。しらすに似た小魚。というか魚の稚魚だ。
 どうやら御使いの帰りだったようで、これも助けた女の子がくれたもの。
 ビニールの小袋いっぱいに詰められていて、一度には食べきれそうもない。

「なんかカラダ痛え。久しぶりだからナマってんのな」

 オトノメトリーにはいくつかのタイプがある。
 スイトは珍しいタイプで、音から記憶や感情を読み取れる「リーダー型」と、読み取ったデータを今度は楽曲として再構築できる「コンポーザー型」つまり編集できるタイプ、この2種を掛け合わせたキメラだ。これによって、アイツは音味しい料理のレシピ(曲)を作ることができる。
 俺はそのいずれでもない「プレイヤー型」だ。特定の条件で編まれた音、つまるところ、スイトのような人間が作った楽曲を聴くことで、そこに込められた技術や工程を再現できるタイプ。簡単に言ってしまえば、先ほどチンピラどもを蹴散らした古式ムエタイなんてイカつい格闘術をスイッチ一つで扱えてしまうというわけだ。これによって、俺はスイトの作った曲を聴けば、レシピ通りに完璧に音味しい料理を再現することができる。
 ちなみに、スイトのお母さんも、俺と同じタイプのオトノメトリーだったという。

「結局、帰ってきちまったな」

 そういうしているうちに、レストランに着いてしまった。
 降りようとしない俺に怪訝な目を向ける運転手さんに気付き、俺は慌てて下車する。
 遠のいてゆくエンジン音を聞きながら、ここに帰ってきたことに、ほっとしている自分に気がついて、俺は小さく舌打ちをした。


 *


 そろりそろり。脱いだ靴を手に持って爪先立ち歩きだ。
 この家はレストランと一体となっているのだが、家側の玄関を避け、レストラン側の入り口を選んだ。鍵がかかっていなかったのは、アイツが不用心なだけなのか、それとも俺を待っていたからなのか。
 いずれにしても、見つかると合わす顔がないので、泥棒よろしく物音を立てずに進んでゆく。
 こじんまりした家だ。寝室がある2階に行くには、キッチンの横を通らねばならない。

「あいつ、まさか……」

 キッチンに明かりが点いている。アイツは早寝早起きだから、この時間でも普通に寝ているのだが、起きている時はたいていキッチンで仕事をしている。
 レシピの作曲という、アイツにしかできない仕事を。

「やっぱりな」

 そこは、キッチン……というよりは、まるで締め切りギリギリまで追い詰められた小説家の執筆部屋みたいだった。
 とっ散らかった譜面は足の踏み場がないほど。壁という壁には「ああでもない、こうでもない」と、音を紡ぐ苦悩が溢れかえった呪詛のような殴り書きのメモが所狭しと貼られている。
 一体どこから引っ張り出してきたのか、作曲と何の関係があるのかわからない様々なジャンルの書籍があっちこっちに積み重なっている。その内のひとつを枕にして、スイトはまるで熱帯夜にでもいるかのように苦しそうな表情で眠っていた。

 ほんの数分の曲をひとつ作る。そのための労力はこうも凄まじい。
 俺はスイトと共に暮らすようになって、共に音味しい料理に携わるようになってはじめてそれを知った。
 正直……かっこいいと思っている。
 この曲はレシピだ。ヒットして金を稼いで……そういう類でもなければ、大勢に感動を与えるものでもない。ただひとりかふたりのため。ただそのためだけに、身を削って曲を作る。
 そんなアイツの姿が、どうしようもなく尊くて、愛おしい。
 俺は────

「あ゛ッ────!?」

 いかんいかん。このアホの寝顔を眺めていたらヘンな気分に。
 そうだ。許さないと決めている。
 というか、決心したろうに。さっさと愛用の枕を回収して、この街を出ると────

「……はぁ」
 
 無理みたいだ。

「おーい、帰ってきてやったぞ」

 返事はない。相も変わらず、苦しそうに眠っている。
 やっぱりダメだな。ここに戻ってきたが最後、コイツの顔を見たが最後。夜逃げはできそうもない。
 ……でもお灸は据えねば。

「今回は助けてやんねーからな。俺は一応、怒ってんだぞ?」
 
 どう足掻いても、俺なしじゃ音味しい料理は作れない。スイトと俺と、ふたりのオトノメトリーが合わさってはじめて完成まで辿り着けるからだ。
 つまり、生殺与奪のなんたらは、俺にこそあるということになる。
 
 じゃあな、俺も寝るから。と意地悪な笑みを湛えた横顔を向けてキッチンを後にしようとしたのだが、壁に貼られた一枚のルーズリーフが目に止まった。そこに魚の尾鰭みたいな字で書かれていた文言が俺を釘付けにしたのだ。

「女の子どうし……恋……」

 ふいに、壁に埋め込まれた鏡に映り込んだ自分と目が合った。ちょうど、呉服屋のショーウィンドウで睨めっこした時のよう。
 そして再び、眠っているアイツを見やる。

「……しゃーねえな」

 本当に。今日はため息をついてばかりだ。