ぼんやりと視界がひらけてきた。無機質な天井。カーテンで区切られた空間。そしてアルコールのニオイ。
ここって……
「あ、目ぇ覚めた。おはよ、アスミ」
「ッ────!?」
私はひどい人間だな。ほとほと自分が嫌になる。
“彼女”の声を聞いただけで、カラダが反応するようになってしまったのだから。それも、好意的なものではなく。
「……ア、アスミ。怖がらなくていいよ。ここ、病院だから」
私は腕に刺さった点滴の管が抜けてしまうほどの勢いで飛び起きていたのだ。
それはただ一つの理由のよるもの。リコを避けようとする無意識の反応だった。
「あ……ご、ごめん……私……」
「いいよ。びっくりしちゃうよね。あのね、アスミは熱中症で倒れてたの。私が見つけて、それで救急車でね」
「リコが……?」
「うん。室外機、回ってなかったから。アスミが部屋にいるのはわかってたけど、エアコン点いてないのおかしいなって」
最悪だ。そして最低だ。
こんなにも不快な思いばかりさせているのに、彼女はいまでも私を救ってくれている。
それに対して私は……
「大事にならなくてよかったね。でもさ、なんでエアコン消してたの? 故障はしてないって聞いたよ?」
「え、えっと……短歌を……」
「短歌……あ、そうそう。短歌ね、それも私が送っといたよ」
────えっ?
と、自分でも驚くほどの低い声が出た。
「送った……? ちょっと待って。私の書いた短歌を?」
「うん。タブレットが落ちてたから、拾ったとき電源触っちゃってさ。見えた画面がレストランの入力フォームだったの。あー、短歌送ろうとしたんだぁって思って。代わりに送っといた。週末に間に合わないと困るからさー」
「……見たの?」
「見たって?」
「歌だよ……私が書いた短歌……な……中身を見たの?」
「ふふ、左様ですな。大変お上手でしたぞ、アスミどの」
ダメだ。知られた。
リコに、一番知られたくない人に、“あの時”みたいに────
見られた───見られた────
ちょっと見てこれ、このアプリってさ。うわ……アスミってそっちなの?
え、一緒の部屋で寝るの怖いんだけど。このあとお風呂とかヤバない?
いやー、うち無理だわ。どうしよこれ。距離置くしかなくねー。
可愛けりゃまだね。それ言うの身も蓋もなくて草。つーか隠してたのが害悪だわ。
────見られた────見られた────
鐘楼の中に身を置かれているみたいに。
四方八方から反響する鐘の音に首を絞められて窒息しそうだ。ちぎれるほどに耳を塞いでも、防ぐことなぞできやしない。
「アスミっ! ねぇ、大丈夫? 頭痛いの?」
「……いかない」
「え?」
「行かない……私、行かないから……!」
腕の点滴を引きちぎってベッドから立ち上がる。血が飛沫となってシーツを染めた。
「レストランなんて……私いかない! リコとは……一緒には────」
「同性愛者だから?」
「ッ!」
「あの時に……みんなで旅行した時に。知られたから? それで私を避けてるんでしょ?」
「そ、そんなじゃな────」
「バカにしないでよッ!」
リコが立ち上がり、私の胸ぐらを掴み上げて言った。
「だからって、女の子が好きだからって……それでアスミのこと嫌うと思うの? 気色悪がって距離を置くような……そんな人間だって思ってたの?」
言葉の端々が震えている。見開かれたリコの大きな瞳から行き場を無くした涙がこぼれ落ちた。
リコは俯き、私にもたれかかるようにして続ける。
「大好きだよ……あたしは……アスミが大好き。だから……」
「違う」
「……え?」
「そうじゃない。そうじゃないから」
私はリコの手をそっと払いのけた。
裸足のまま、病室のドアへ向かう。
「じゃあ言ってよ。何が違うの? 何を思ってるの? なんで……あたしを避けるの?」
泣きながらリコが言う。
落ち着いていながらも、常に明るく振る舞う彼女が、子どもみたいに感情をむき出しにして追いかけてくる姿に胸が痛む。
「……言えないよ」
「じゃあ……レストランに来て」
「リコ……それは、騙されてるんだよ。そんなオカルトみたいな────」
「わかってる! わかってる……けど……時間がないの」
時間? その言葉に妙なざわつきを覚えた私は、半身だけ振り返り、彼女を見やった。
「あたしさ、上海の本社に行くことになったの」
上海……。
聞いてはいた。リコの就職先が上海に本社を置く家電メーカーだということ。とはいえ、日本の有名企業から白物家電部門を買収したのはつい先週のことで、リコも日本での勤務になると話していたのだが。
「会社がね、期待してるから今から研修に来てくれって。あたしはもう卒業単位は満たしてるし、卒論の添削もリモートでいいから行ってこいって教授にも言われて。チャンスだからって……」
ひとつ、長いため息をついてからリコは続けて言った。
「だから……来週には、もう上海にいる。次帰ってくるのは卒業式くらいだと思う。そのあとはずっと……向こうに住む」
「そんな……急に……そんなこと言われても」
「あたし嫌だよ。このまま、アスミと離れるの。このままじゃきっと……もう二度と会えない……話せない気がして……嫌だよそんなの」
私は、リコが言い終えるのを待たずに、騒がしい胸を押さえながら病室を後にした。
背後からは彼女の声が聞こえる。
────待ってるから! レストランで待ってるから!
暗い。どこにも街灯のない路地裏を歩いているようだ。雪の降る中、裸足のまま。
夏なのにどうして……あぁ、そうか。
リコという灯りが消えてしまったあとの、私の人生を見せてくれているのか。
暗い、暗い。私はどうすれば────



