「オトノメトリーとは、何か? 本日の講義では────」
出入り口にほど近い場所を陣取って、私は神経心理学の講義を聴講している。
友人のリコに誘われた“週末のレストラン”と、おそらくは関係しているからだ。いわゆる、オトノメトリーというやつが。
「サイコメトリーという言葉があります。物に手を触れることで、その物体に残る残留思念を読み取ることができるという超能力のことです。たしかに、これはオカルトですな。だが皆さんご存知の通り、オトノメトリーは実在する超感覚、第六感です」
講義の内容を要約すると────
オトノメトリーとは、楽曲や短歌などの特定の条件で編成された“音”の集合体に込められた『記憶』や『感情』を解読できる能力のこと。
現在、オトノメトリーを保持している“能力者”は、数える程度しか確認されていないというが、潜在的な母数は相当数に上るようだ。
能力にはいくつか種類があり、人によっては、読み取った記憶のイメージが“他人にも覗ける”ような形として分解・再構築できる者もいる。
さらには、オトノメトリーによって特定の動きを書き込んだイメージ(楽曲など)を聴くことで動作を再現……例えば、その曲を聴いている間は、訓練を受けずとも武術の達人の動きが再現できたり……するらしい。
「はぁ……」
まんまオカルトだ。私はため息をついた。
頭のカタイ法学部生ゆえ、多少の粗相は許してほしい。
「あ、もう時間っ────」
まずい。要約なんかしてたから、もう講義が終わってしまう。
こうしてはいられない。呪文のようにつぶやきながら、私はタブレットをバッグに仕舞い、教室を出た。その勢いのまま一階のエントランスまで駆け降り、自動ドアが開くのを待つ。そして空調の効いた講堂から半歩外に出た途端、覆い被さってきた溶けるような暑さに一瞬怯んで足が止まった。
東京の夏だけは本当に好きになれない。でも、こうしてはいられない。さっさと行かなければ────
「待ってよ、アスミ!」
あぁ、見つかってしまった……。
大股で何歩か進んだところで、私は立ち止まった。強烈な太陽光に射抜かれて息を吸い込むのも苦しいはずなのに、大学のキャンパスで私を呼び止めた彼女の声は、心の奥をそっと冷やしていくのがわかる。私自身の罪悪感のせいだろう。聞こえなかったフリをしたのだ。ここ最近は、ずっとそうしているから。
「……リコ。ごめん、ちょっと暑くてさ。気づかなかったの」
大学生活最後の夏。
お互いに卒業後の進路は決まっている。あとは卒論でコケたりしなければ、残り僅かなモラトリアムを悠々と消費できる……はずだった。“あんなこと”さえなければ。
「あはは、いーよ。アスミは太陽苦手だったもんね」
相元リコ。
彼女とは小中高校、さらには大学と同じ。
美人なのにまったく嫌味がなく、私のような陰キャとは似ても似つかない。だからこうして友人になったのも、同じ大学に通っていることがわかってからのことで、一緒にいて楽しいことなぞ大してないだろうに、この4年間リコは何かと私を構ってくれていた。
「このままじゃアスミ溶けちゃうね。ほら、これあげるよっ」
リコは被っていたキャップをさっと外して、私の頭に被せようとした。
────ッ!
反射的に、無意識に。気づけば私はその手を、虫でも払うかのように叩いていた……叩いてしまった。
「あ……ご、ごめん。ごめん、リコ。私、いま……」
「あはは、いーよ。あたしも不意打ちだったよね」
心中は穏やかでないだろうに、リコは向日葵みたいに笑って言った。
いつもと変わらない。可愛くて眩しくて、心の鼻先をくすぐるような笑顔。だからこそ私の胸の奥を余計に抉るのだ。
「ね、ところでさ。アレ、送ってくれた?」
「アレ……って?」
「今週末の。レストラン予約したでしょ。長野県のさ」
「あぁ、えっと……音味しい料理……だよね?」
リコから「どうしても一緒に」と誘われたのは、ほんの数日前のことだ。
マンションの部屋も隣同士。いかに彼女を避けようとしても、待ち構えられては逃げようもなかった。
「そうそれ。音味と書いてオイシイって読むやつ」
「えっと、送るのって……短歌だよね」
「そうそう短歌。料理作るのにね、必要なんだって。あ、まだ送ってない?」
「……ごめん」
つい視線を落としてしまう。ただでさえ陰湿なオーラを纏っているのに、こうするとさらに磨きがかかる。だからリコと仲良くなってからはしないように心がけていたのに。
「あのさ、リコ。どうしても行かなきゃダメ?」
そう言うと、ひと息間を置いてから、リコはきゅっと唇を噛んで視線を逸らした。まるで痛みを堪えるように。
「ダメ……絶対来て。逃げたら許さないから」
初めて聞いた彼女の声色に、私はナイフでも突きつけられたような気がして顔を上げた。
もうリコは目の前に立っていない。けれど離れてゆくその小さな背中は、じっと私を見据えているのがはっきりとわかった。
*
どうにも手持ち無沙汰になってしまい、夕方まで適当に時間を潰してから自宅マンションに帰ってきた私は、エアコンよりも先に、まずは遮光カーテンを閉めて部屋を真っ暗にした。
暗がりの中でひとり、深くため息をつく。
そして部屋着に着替えるまでもなく、カラダをベッドに投げうって、枕元にあるタブレットの電源を入れた。液晶画面のブルーライトが目に突き刺さって痛いけれど、かまわず操作してゆく。
────レストラン・オトナシ
音味しい料理とかいう謎の逸品を提供するという、そのレストランをネットで検索してみる。
といっても、もう何度目かになるが。
結果はいつも同じだ。グルメ系レビューサイトにも評価はゼロ件。旅系ブログにも該当はなし。
「所在地は……長野県守矢市……湖の街か……」
ちょうど長野県のど真ん中。3つの市に跨るほど広大な湖の畔にポツンと置かれている小さなレストラン。
ようやっと見つけた画像はひとつだけ。まるで絵本の挿絵みたいに可愛らしい佇まいだけれど。
「本当に存在するのかな?」
リコいわく、その“音味しい料理”とやらは、食べた人間の脳裏に「ミュージックビデオ」を流すチカラがあるのだとか。
そのために必要な調味料は依頼者の記憶……つまり、立場によっては「他人の走馬灯を見ることができる」ということ……らしい。なんともオカルトチックで、にわかには信じがたいが。
そうすることで、伝えたい想い誤解なく相手に“食べてもらう”ことができる……らしい。
短歌を送ってその先。こういった曲ができますよ。と、依頼者用入力フォームには、ご丁寧にサンプル再生用のQRコードまで添付されている。
※サンプル表示。
QRコードにアクセスしてサンプル曲を聴いてみる。
人間の歌は入っていない、こういうジャンルはなんていうんだろう……jazzy hiphop?
とにかく普通の曲だ。脳裏にはミュージックビデオは流れないし、オカルトの気配は感じない。
「そもそも、なんで短歌なのよ……」
レストランの依頼フォームに書いてある文言をいま一度見てみる。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.· ┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.·
氏名をご記名の上、短歌を一首書いて送ってください。
短歌には、特定の人に向けた“想い”を込めること。
上手くある必要はありません。真摯に気持ちを込めていただければ幸いです。
あなたの言葉にできない想いを、伝えたいあの人に料理として味わってもらうために────
必ずお送りください。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.· ┈┈┈┈┈┈┈┈┈⿻*.·
あぁ、そう言えば今日の講義で……オトノメトリーのこと。短歌からも記憶や感情を抽できるとかなんとか。
やはりオトノメトリーの能力者を自称する詐欺まがいのぼったくり店ということで落ち着きそうな気もするけど。
「想い……伝えたい人……か」
そんなの考えるまでもない。ひとりだけに決まってる。
「リコ……」
私はタブレットを放り投げ、枕に顔を埋めた。
その時、ガタンとドアの閉まる音が聞こえた。壁の薄い、安い作りの学生マンションだ。隣人の生活音もそれなりに響いてしまう。
だからわかってしまう。リコがいましがた帰宅したのだと。
思い出してしまう。つい最近までは、ドアの閉まる音が聞こえたならば「おかえり」だなんてメッセージを送っていたこと。それなのに……
「っ……」
ふいに、胸が締め付けられた。抑えることができず、どうしようもなく込み上げてきて、瞳からこぼれ落ちそうな“それ”を受け止めようと両手で目を覆うと、手のひらがじっとりと汗で湿っていた。
エアコン……点けるのを忘れていたのだ。
「あぁ、もうっ」
泣かせてもくれないのか。
流しそびれた涙を拭うと、落とした視線の先にタブレットが寝転がっている。
────想いを料理に
「短歌……五七五……七七……だっけ」
私はタブレットを持ち上げ、一息置いてからおもむろに書きはじめた。
たった一首。31文字の短歌。
これを書けば、私の秘密はリコに見られてしまう……いや、食べられてしまう。ということになるわけだ。
たぶん、リコが知りたがってるのは「どうして自分を避けているのか」それだと思う。
だからオカルトに頼ってでも、私の“本音”を知りたいのだろう。
「フェアじゃないよそんなの……」
────私の心だけ知りたいなんて
それからいったいどれだけの時間、一首書くのに費やしたのかわからない。
ただひとつ確かなのは、自分のカラダに起きた異常に気づくこともなく没頭していたということ。
「んん……?」
(重い……なんだか頭が……いや、肩が……痛い……)
こんな蒸し風呂みたいな部屋の中で、私は忘れてしまっていたのだ。
命に、関わることだというのに。
(そうだ……エアコン……あ、これ……ダメだ、まずい…………)
手から滑り落ちたタブレットの液晶が割れた音がした。
高かったのにな。なんて、こんな状況だというのに何を残念がっているんだろうと自分に呆れたのを最後に、私の意識はシャッターが降りたように途切れた。



