湖辺の音味しいレストラン


 カボチャとキノコのグラタン……音味しい料理を食べたあと、俺が一目散に目指したのは、以前浴衣をショーウィンドウ越しに眺めていた呉服屋さんだった。
 
「あの……浴衣のレンタルって今から間に合いますか?」

 誰も走ってる人なんていない。この花火大会の当日に。
 だから、呉服屋さんの店員さんは息を切らした俺を見て目を丸くしていた。
 レストランからここまで、一直線に走ってきたのだ。もちろんズルはした(競技用BGM・マラソン)

「もうほとんど貸し出しちゃってるけれど……そうねぇ。これとかどう?」

 店員さんが手にしていたのは黒を基調にした浴衣だった。
 喪服っぽいと不詳で残っていたという。でもシックで上品なデザインであなたには似合うわ〜金髪おかっぱ頭にもよくフィットするわぁ〜とさんざっぱらお世辞を言われてそれに決めた。
 というか、早くしないと花火が終わってしまう。
「急いでください」と店員さんを急かして着付けをしてもらい、代金を払うのを忘れて駆け出してから呼び止められてまた戻った。
 何をしてるのかと恥ずかしくなりながら、アイツのいる場所へと走りづらい浴衣と下駄のまま駆けて行く。

 こんな無様晒すくらいなら、最初から「出ていく」なんて言わないでおけばよかったのに。それは自分でもわかっているつもりだが、俺は俺でのっぴきならない葛藤があったのも事実だ。

 その正体はひとことで言ってしまえば────不安だ。
 いずれアイツもちゃんと女性を好きになるんじゃないのか。そうしたら俺はお払い箱だ。俺が男である事実は覆らないのだから。
 そんな単純な三段論法。
 ゆえに強固に心に奥底に張り付いてしまって、どうにも削ぎ落とすことができないでいた。

 それでも今はアイツの元に走っている。
 きっと、この先も。何度となく不安に駆られることだろう。それでも、音味しい料理を口にした今だけは、なにもかもかなぐり捨ててアイツの隣に立っていたい。
 
 湖畔が色とりどりの花火によって極彩色に彩られてはふっと夜の闇に紛れてゆく。
 その合間を縫うようにかける俺は、ぱっと咲く前の、尾を引いて空に向かって飛んでゆく打ち上げ花火のように見えることだろう。

 もうすぐだ。もうすぐで見えてくる。
 俺たちが出会ったところ。
 湖畔の船着場、桟橋の中程にアイツはいる。
 ────いた!

 
 *


「湖の上────」

 俺が声をかけると、アイツは……浴衣姿のスイトはまるで全てお見通しであるかのように穏やかな顔でそっと振り返った。

「歩いてきた方がよかったか? 湖の上を」

 俺たちはそうやって出会ったから。ふたりだけに通じる暗号みたいなもんだ。
 桟橋を歩いて、ゆっくりと近づいてゆく。いつもはもっと近くにいるはずなのに、想いを知ってからでは、こんな僅かな距離を縮めるだけでも命懸けだ。

「きてくれると思ったよ、モグリン」
「モグリンていうな」
「いつもそう呼んでるけど。まだダメなの?」
「あ? ダメに決まってんだろ、ガキの────あっ!?」

 不慣れな下駄。老朽化した桟橋の不安定な足場。
 これでは無理もないだろう。そう、俺は足を引っ掛けてしまい今まさに転倒しようとしている。前のめりに────

「おっと。大丈夫、モグリン?」
「ひゃ……」

 うまい具合にコイツの胸に飛び込んでしまった。
 心臓の音まで聞こえるほどだ。やけに落ち着いた拍動に、俺はむっとしてカラダを離した。
 顔を逸らしたまま、ささっと髪と浴衣の乱れを整える。

「ほら、こっちおいでよ。もうすぐ最後の花火だよ」

 スイトが朗らかに笑い、右の手のひらを差し出した。

「危ないから手つなご?」
「あう……」

 いちいち腹立つなコイツ。こっちの気も知らないで……!
 俺は差し出された手に対し、機嫌の悪いネコみたいにプイっと顔を逸らしてやった。それでも隣には立ってやる。今度は転ばないようにそろりそろりと。

「よかった。これで一緒に花火見れるね」
「ん……」

 途切れることなく打ち上がっていた花火がピタリと止まった。
 いよいよ最後の花火の準備に移っている。この静寂はこれより始まる「ナイアガラ」をより一層彩るための演出なのだ。
 守矢湖花火大会、ラストを務めるナイアガラ花火。それは湖を一本のワイヤーに繋ぐという壮大なもので、連発で花火を打ち上げるのではなく“一斉に落とす“すなわち「光の滝」なのだ。
 と、ネットで予習した。実物を見るのははじめてなのでかなりワクワクしている。
 ……胸が高鳴っているのは他の理由もあるのだが。

「ナイアガラ花火ってさ、対岸から対岸へと花火の橋がかかるでしょ。あれって、モデルがあるの知ってる?」
「夫婦の神様の伝説だろ。凍った湖を歩いて対岸へってやつ」
「正解。僕たちもそれに倣ってるわけだよ」
「そ、そうだな。うん」

 遠くアナウンスが聞こえる。湖畔に集まったギャラリーのひそひそ声もいまはひっそりと息を潜めているようだ。
 そんな静寂を貸し切るように、スイトがそっとささやいた。

「僕の想いは、キミに届いた?」

 あのグラタンの……音味しい料理の感想を聞きたいってことだろう。
 でも言葉にするまでもなく、答えはもう出ていることに気づいているだろうか。

「卑怯モンの想いなんて届かないかもなー」
「ヒキョウ?」
「おう。わざわざ音味しい料理なんて搦手(からめて)使ったんだ。そりゃ卑怯だろ」
「えー、いい線いってると思ったんだけどなぁ」
「ちゃんと自分の言葉で伝えてこそだろうが。そーいうのはっ」

 俺による意趣返しのイジワルに対し、ニコニコしながらうんうんと頷くスイト。
 やった。俺の勝ちだ。そんな油断をヤツはついてきた────

「いま、伝えようか?」

 示し合わせたようにはじまったのはナイアガラ花火。
 打ち上げ花火のような轟音ではなく、まるでシャワーの水音にも似た響きが湖畔を覆い尽くしてゆく。
 そして岸と岸を繋げるように引かれるのは光のカーテン。
 まさにその光景は、恋人に会うためにかけられた一本の橋のようだ。

 返事をするべく、もう一歩だけスイトに近づいてささやく。

「ちゃんと伝わってるよ。いまこうしてお前の隣に立ってるだろ」

 俺にはこれが限界だ。もう、じゅうぶん我慢した。
 だから────そっと伸ばした指先を、スイトの小指に絡ませた。