カミコちゃんが泣いている。
キッチンの隅で、膝を抱えながら。
その隣に腰掛けてぴったりと寄り添っているのはモグリさんだ。
立ち聞きしてはいけないと思ってはいるが、オトノメトリーとして生まれついた特性で聞き取れてしまう。キッチンとは扉ひとつで遮られたレストランのホールにいながらでも。
────師匠の占いは初っ端から大外れだ。
今日と明日で、飯どころ・音無は閉店となるからだろう、営業開始とともに、とにかく客足が絶えなかった。
いかんせんワンコインで食べられるランチが破格であるし、それ以上に客の目当てはやはり“あの子”────シカノちゃんだ。
「ねぇー、可愛い。ちょこちょこしててさー」
「頑張ってるよなぁ」
「すごい立派だよねぇ」
シカノちゃんは「マスコット」で、カミコちゃんは「いち従業員」────その扱いの差は顕著だ。
カミコちゃんは職業体験がはじまった初日からメモをとって、仕事を身につけようと努力してきた。
シカノちゃんは小さいから定食の乗った盆は運べない。だから代わりにカミコちゃんが配膳を行うのだ。無論、それだけではない。オーダーもテーブルの掃除も、さらには妹のちょっとしたミスに対して頭を下げることまで。全てにおいて抜かりなくこなしている。
それなのに。
────いらっしゃいませ!
元気よく客を迎えても。
────ありがとうございました!
気持ちよく客を送り出しても。
────申し訳ございません!
誠意を持って頭を下げても。
一瞥もしなかった。誰一人として。
ここ数日、カミコちゃんが妹に対して淡白に接している様子を目にした客たちにとっては「カミコは嫌な子。シカノは可哀想な子」という構図が出来上がってしまっていたのだ。
そうなれば人間は残酷なもので、ある種の正義感によって当然のように差別する。たとえ相手が子どもであろうとも。
本来であれば、常に気配りしてカミコちゃんをフォローすべきだった。
けれど客の多さに悪戦苦闘しているうちに、彼女を孤立させてしまったのだ。それが良くなかった。
カミコちゃんは普段では考えられないようなミスをしてしまったのである。
────配膳中の転倒。
ひっくり返ったお盆に、床にぶちまけられた料理。客の悲鳴が響いたのちに、しんと静まり返る店内。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
と呪文のように謝罪を繰り返しては、カミコちゃんは床に落ちた料理を手で拾い集めていた。
そんな彼女の真似をするかのように、一緒になって膝をつき、掃除をはじめたのはシカノちゃんだ。
僕はというと、物音を聞いてホールにきてみると、モグリさんが泣いているカミコちゃんを立たせて、肩を抱いてキッチンの隅へと連れて行っていた。
「今日は店じまいだな」
モグリさんはすれ違い際にそう言った。僕は言われた通り、食事途中の客にも返金して店から追い出した。
手を汚しているシカノちゃんには「僕が掃除するから、休んでいていいよ。手を洗ってからね」と諭してから、床掃除に従事している。
そうしていま、僕は下品ながら聞き耳を立てているわけだ。
明日の最終日を待たずして、店じまいした方が良さそうだなと思いながら。
*
────盗み聞きする僕の耳に届く声。
「説教……するんですか?」
カミコちゃんは、しゃくりあげながらモグリさんにそう言った。
自分が叱られると思っているようだ。
「説教だぁ? あははっ、俺はな、けっこうな悪党なんだぜ。人を脅したり、スカしたり。ハッタリかまして騙したり……そういうのなら得意だぜ。聞くか?」
さすがモグリさん。僕はやっぱりキミがだい好きだ!
ただ、小学生の相手としては少々センシティブではある。
「すんっ……モグリちゃんは、人を恨んだこと……ある?」
「山ほど」
「親を恨んだことは?」
「ある。それこそ、ぶっコロそうと思ってたくらいにな。具体的に計画まで立てたぜ?」
ふふっとカミコちゃんが笑う。
「私さ……お父さんとお母さんのせいで……ふたりが離婚して、私たちを捨てたせいで……私だけ苦しいんだって。だから……そうやってふたりを恨んでると、気が楽になるの……おかしいよね?」
「おかしくねえよ。みんなそうさ」
「みんな……?」
「あぁ。それにな、恨まれて当然のやつなんざ、恨むだけ恨んで気晴らしに使っちまえばいいのさ。そうすりゃ奴さんも多少なり徳が積めるってもんだぜ。こういうのオトナの世界じゃな、ウォール街でボランティアをするって言うんだぜ」
けけけっと含み笑いのモグリさん。
ウォール街……は謎だけど、彼による悪の道徳の授業は確実にカミコちゃんを“その道”に引きずり込んでいる気がする。
そろそろ止めるか? と浮き足だつが、それは杞憂だった。
「けどな、いっこだけ覚えとけよ」
まぁ、他人の受け売りだけどな。と続けるモグリさんの声色が変わった。やさしく、穏やかな質感へと。
「お前にもきっと、幸せだって思う時間が訪れる。そしたら、いまの恨みつらみはゴミ箱に捨てるんだ。綺麗な色の絵の具に、黒を混ぜたらキタネー色になるだろ? ま、そういうこった」
「……幸せって、どういう時に?」
「そうだなぁ……手っ取り早いとこで言えば……恋とか?」
僕のことかッ────!?
と、カラダが反応して床を踏み鳴らしてしまった。
うるせえな。とモグリさんの舌打ちが聞こえる。
「私、10歳だから……それに、こんな親を恨んでる女の子なんて……」
「そりゃもうちょい待ってからさ。ただ、自分は相手にされないなんて思うことはないんだぜ。友達でも恋人でも、どんな嫌われ者にも必ず支持者はいるもんだ。腸内フローラを見てみろよ、悪玉菌が絶滅することは決してねーんだわ」
「モグリちゃんにもいるの?」
「あー、なんかいるわな。きしょいヤツだけど」
モグリさんはすごいな……。ほんとうに。
ふたりが笑っている。伝わってくるそのゆらぎを感じ取るに、どうやらカミコちゃんの心を多少なり救うことはできたようだ。
さて、シカノちゃんはどこにいるだろうと見回すと、カウンターの席に座って足をブラブラさせていた。
僕はそっと近づいて顔を覗き込んだ。
「シカノちゃん、ココアでも飲む?」
と、彼女に語りかけたが……息を呑んでしまった。
俯いたシカノちゃんの表情が、とても子どものそれとは思えなかったからだ。思い詰めたような、何かを決意したような。
僕は怖くなって目を逸らしてしまった。
思い過ごしだろう。そう決めつけてはみたけれど、何も起きなければいいが……と心のどこかで不穏な気配を感じ取っているのは確かだった。



