湖辺の音味しいレストラン


 レストラン・オトナシ。もとい「飯どころ・音無」は、意気揚々と開店2日目を迎えていた。
 昨日から一週間。昼のみの限定営業。
 メニューは一品「日替わり定食」のみ。価格は驚異の500円だ。

 看板はそのまま。中身だけが別人だ。
 音味しい料理専門店、と書いてある下で、焼き魚がじゅうじゅう鳴っている。

「いらっしゃいませ!」

 三角巾に腰エプロン姿のカミコちゃんが客を出迎える。
 10歳とは思えない、少し背伸びした声。緊張しながらも大きい声が出せて立派だ。
 姉と同じ格好をしたシカノちゃんはその後ろで、小さく口を開ける。

「……いらっしゃい、ませ……」

 頬を真っ赤にして、なんとか絞り出した声。
 けれど、それがなんともいじらしいのだろう。
 来店する客はみなシカノちゃんに朗らかな笑みを向けてゆく。

 僕の作った料理の味はどうであれ、この姉妹が出迎えてくれるというだけで、客の入りは申し分ない。
 日常に疲れ果てた大人たちが、ふたりの笑顔を見ればぱっと表情が和らぐのだから。
 “癒し”こそがこの店最高のサブメニューだ。
 
 そして誰よりも忘れてはいけないのが────

「おらよ。お残ししたらコロスぞ」

 モグリさんだ。
 おかっぱデザインの栗毛色のウィッグを被り、黒いエプロンに白いブラウス、そして膝丈のスカートという(いで)たち。
 その姿は360度どこから見ても完全無欠の美少女だ。

耽美(かわいい)じゃん……」

 彼の働く姿を覗いては、つい言葉が漏れてしまうのはねじり鉢巻を巻いた僕だ。
 そう、このモグリさんの姿こそが“天啓”の正体である。

 あの夜、チーちゃんのメッセージから至った最適解。
 つまり「女装すればバレないんじゃ?」という提案は、大した抵抗もなくモグリさんに受け入れられた。
 意外にも彼はノリノリだったのだ(おかっぱウィッグも彼のリクエストだ)。
 そんなわけで、僕がもっぱら心配だったのは、女装しようがしまいが彼が“女の子にしか見えない”こと。
 金髪ベリーショートの美少女が、栗色おかっぱ美少女にイメチェンしただけ。そう警察が判断する可能性が無きにしもあらず。
 でもいまのところ、それは杞憂のようだ。昨日、ちょうど警官が挨拶がてら見回りにきたけれど大丈夫だったし。

「妹さんですか?って聞かれたら、妻です。って答えよう。そうしよう」
「おまえ、聞こえてんぞ」

 モグリさんがそう言って、扉を僅かに開けてキッチンで魚を焼いている僕を睨みつけた。
 独りごつのつもりが……プレイヤー型のオトノメトリーは特に耳がいいからな。

「よく似合ってるよ、モグリさん」
「うるせーよ、ちゃっちゃと働けや」

 日替わり3つ入りましたー!と、レストランのホールからカミコちゃんの声がする。
 僕は大きな声で了解と返事をした。お昼はまだはじまったばかりだ。


 *


「今日もお疲れ様。はい、まかないですよー」

 営業終了は少し早めの13時半。
 片付けは僕が行うので、お腹を空かせたみんなのために遅めの昼食を用意する。今日のメニューは「大阪風肉うどん」だ。おかわりもある。

「どう、モグリさん。美味しい?」
「知らねー」
「またそれだっ」

 レストランの隅っこでひとり、うどんをすするモグリさんに味の感想を聞くも、返ってくるのはいつもの答え。
 ならばと、姉妹の方を見れば、カミコちゃんはもう完食していた。美味しくて箸が止まらなかったのか、よっぽどお腹が空いていたのか。汁まで綺麗に飲み干してある。

「カミコちゃん。おかわりいる?」
「え……あ……あの……」

 俯いてしまった。僕、何か失礼なこと言っただろうか……。
 思考が固まったままの僕の横を通り抜けて、空になった丼をさっと手に取ったのはモグリさんだ。彼は何も言わず、キッチンの方へと下がると、おかわりを盛って戻ってきた。

「ほらよ」

 ぶっきらぼうにカミコちゃんのテーブルに置かれる丼。
 彼女は小さく「ありがとうございます」と礼を言った。

 完食するのに時間のかかったシカノちゃんを待ってから、姉妹は帰って行った。
 こんな感じで職業体験の一日は終わる。僕は残業でキッチンの清掃と後片付けだ。

「おまえ、気付かなかったか?」

 モグリさんが皿洗い中の僕に話しかけた。

「カミコ。相当無理してるぞあれ」
「どこか具合が悪い感じとか?」
「わかんねーか? 自分を押さえつけてるって。今日も見ただろ。おかわりすんのがガキっぽいと思って我慢してたじゃねーか」
「あぁ……そうだったのか」

 当然と言えば当然か。
 両親が自分たちを置いてどこかへ行ってしまったのだから。
 僕と似ている部分はあるかも知れないが、僕の場合はひとりだったからその点では幸運と言えるのかもしれない。カミコちゃんのように幼い妹がいれば、無理をしてでも背伸びして親代わりをしなければと思い込んでいたことだろう。

「客もちやほやすんのは、シカノばかりだからな。まあ、ああいうちっこいのが可愛いってのはわかるけどよ」

 モグリさんはモップを手に取り、キッチン床を掃除しだした。
 僕がやるからいいよ。と引き止めたが、彼はかまわずモップがけをしている。

「カミコのこと。わかってやれよ? もし爆発しちまっても、余計なこと言うんじゃねーぞ」

 ちょっと意味深だな……と胸につかえるものはあれど、モグリさんがあの姉妹のことをこんなにも気にかけてくれていたことが意外だった。
 もちろんそれはいい意味で。
 さらに言えば、モグリさんは間違いなく「いい人」なんだという確信が持てた瞬間でもある。

「ねぇ、モグリさんて優しいよね。本当はいい人なんでしょ? 指名手配も間違いだったり」
「指名手配の欄に罪状。書いてあったか?」
「あー、えっと……なかったと思う」

 リキさんにもらった指名手配書には、たしかに罪状が書いていなかった。
 普通であれば、窃盗だとか放火とか何かしら書いてあるものだろうけど、モグリさんの場合は何も書かれておらず、ただ指名手配中とだけ。

「お国の“アンタッチャブル”に喧嘩売るとな、そういう手配書になるんだよ。知らんけど」

 そう言って不敵に笑い、僕にモップを渡して2階へと上っていった。
 ほんのり漂う、すももの匂いの残り香の中、僕は安心していた。
 “たいした罪”じゃない。それがわかったからだ。


 *


 モグリさんの心配をよそに、定食屋の営業は四日めを終えてなお波風は立っていない。
 今日の営業中には例のヤクザたちがやってきて、レシピの作曲に必要な「短歌」を手渡しにきた。
 厄介ごとを起こさないかと少し気掛かりだったが、その際にも役に立ったのは姉妹、特に妹のシカノだった。
 ヤクザたちは可愛らしいシカノちゃんを見るや秒で骨抜きになり、「戦争が起きてもお嬢ちゃんの家は守ってやる」と、いらん約束をして帰っていくのだった。

「これはもう勝ち確ってやつだよ。僕の師匠も助けに来てくれるって言うしさ」
「そりゃよかったな。俺はもうシェフにならずに済むってわけだ」
「え、いやぁ……いつでも……大歓迎だよ?」

 夕方になり、僕はモグリさんと一緒に明日以降のメニューに使う食材の買い出しにきた。
 湖畔の道を歩く彼の足取りは軽快だ。多少足を引きずってはいるが、モグリさんはやはり怪我の治りが異常なほど早い。これも全て父の曲のおかげ……といいたいが、おそらくは彼が所持しているウォークマンに内蔵されている“BGM”の力だろう。
 兎にも角にも、ものの数日でこうして結構な距離を散歩できるのだから驚きだ。

「生姜焼き。焼き魚、肉じゃがに回鍋肉……この4日のおまえが考えたメニューって茶色多くね?」
「む……モグリさんだって男ならわかるでしょ。男の子は茶色い食べ物が好きなんだよ」
「知らんし。明日以降はもうちょいお洒落なヤツにしようぜ。カフェで出てくるようなやつ」
「……唐揚げじゃダメ?」

 ふたりで夕暮れの商店街を見て回る。
 ああでもない、こうでもないと言い合いながら。八百屋さんの前で立ち止まり、ついで魚屋へ。肉屋さんでコロッケをふたつ買って、歩きながら食べる。
 道ゆく豆腐屋さんがラッパを吹く音を聞きながら、僕は“いま”に浸っていた。
 こういう時間がずっと欲しかったんだ。なんでもない日常に散りばめられている、小さな幸せを拾い集めるような時間が。
 彼も……モグリさんも、ほんの少しだけでも僕と同じ気持ちでいてくれたら嬉しいんだけれど。

「どうした? なんかしんみりしてんじゃねえか」

 モグリさんが僕の顔を覗き込んでいる。普段より近い美少女フェイスの迫力に怯んでしまう。
 美人は3日で見飽きる。なんて大嘘だ。

「こ、コロッケ。美味しいなぁって」
「へー、知らねーなぁ」
「……またそれだ。モグリさんさ、美味しい時は美味しいって────」

 ────ごめんなさい!

 突如、平和なはずのこの空間に悲痛なゆらぎの声が割って入った。
 女の子の声。それも耳に覚えがあった。

「これ……」
「あぁ、カミコの声だ」


 *
 

 声を辿って行った先には、人だかりができていた。
 僕とモグリさんは人波を退けながらその中心へと向かう。
 ────いた。やはりカミコちゃんだ。
 異常な事態であることはすぐにわかった。カミコちゃんが仁王立ちしている警官に深々と頭を下げて必死に謝っているからだ。
 そのカミコちゃんの足にしがみつき、俯いているのはシカノちゃん。彼女は震えながら泣いているようだ。

「ごめんなさい! 私の責任です。ちゃんと言って聞かせますから」
「親御さんは? 早く連絡先を教えなさい」
「……お願いします。連絡されると困るんです。だから……」

 大柄な警官はわざとらしく「チッ!」と舌打ちすると、カミコちゃんの腕を乱暴に掴んだ。

「補導だ。交番まで来てもら────ゔっ!?」

 何事か。警官は突然その場に倒れ込んだ。
 僕もカミコちゃんも野次馬たちも呆然としている。その中でただ一人、悠々と歩くのはモグリさん。
 なるほど、彼の仕業か。と僕は気づいた。耳にはイヤホン、さっとポケットに閉まったのはウォークマンだろう。どんなBGMかわからないが、お手玉みたいに石を手のひらで弄んでいるのは、それが凶器だから。

「さ、行くぞふたりとも」

 そう言って、カミコちゃんを立たせると、シカノちゃんとふたりの手を引いて僕の立つ場所に戻ってきた。

「どっか店入ろうぜ。ここじゃ落ち着かねえし」


 *


「妹は信じてるんです。凍った湖を歩いて対岸まで辿り着けば、そこに会いたい人が……両親が待っていてくれるって」

 少し寂れた感じの喫茶店にみんなで入ってすぐ、僕の向かいに座ったカミコちゃんは話し出した。

 それは守矢市に伝わる神話。そしていつの時代にか生まれた都市伝説だ。
 まさに凍りついた湖のおかげでモグリさんに出会った僕が言えたことではないが、現実的ではないというのが正直なところ。
 さらに言うと、凍結した湖への立ち入りは禁止されている。これは命の危険があるからで、市と警察の双方から「立ち入り禁止」のガードレールが設けられている。だから見つけ次第補導されるのは致し方ない。
 それでもシカノちゃんは、凍った湖に立ち入ってしまったのだという。
 ちょうど、姉妹で言い争いになった直後のことだったようだ。「嘘だというなら証明する」と言い張って────

「わかってます。この子はきっとまだ、両親の離婚だって理解できてない。まだ小さいから……わかってるけど……」

 泣いてしまうだろうか。と思ったけれど、カミコちゃんの目に涙は浮かばない。
 モグリさんの言ったとおり、彼女は自分を押さえ込むことに慣れすぎてしまって、もはや感情を適度に抜くことができなくなっているのかもしれない。

「シカノちゃん。冬の湖にはね、入っちゃダメなんだ。どうしてかわかる?」

 僕はあやすようにして、俯いたままのシカノちゃんに語りかける。
 それに対して、彼女は小さく首を横に振って答えた。

「落っこちたら、寒くて死んじゃうんだ。シカノちゃんは小さいから、穴に落ちたら助けてあげられないんだ。わかるよね?」
「……うん」
「もし、シカノちゃんを助けようとして、お姉ちゃんが穴に落ちて死んじゃったら……イヤだよね?」
「……いやだ……やだ……んん……うぅ……」

 シカノちゃんは、それまで見てきた静かな印象を覆すようにわっと泣き出した。
 姉が自分のせいで死んでしまうと想像して怖くなったのだろう。ちょっと可哀想だったかもしれないが、これで考えを改めてくれるなら致し方ない。

「カミコちゃんも、いいね。今日のことは、誰にも言わないから。お爺さんとお婆さんに迷惑をかけたくなかったんだろ?」
「……ありがとうございます」

 そして、もうひとり。僕の隣で静かに佇んでいるモグリさんが気になるが、彼はなにも言わずに、ただメニューをじっと眺めていた。それこそ、退出するまで。
 結局、誰ひとり注文をする気配が無かったので、僕だけがコーヒーを一杯頼み、重苦しい空気の中でそれを飲み干してから喫茶店を後にした。