湖辺の音味しいレストラン


 さて、晩御飯は何を作ってあげようか。と、キッチンの冷蔵庫を開けてつぶやいた。
 そもそも、これには音味しい料理に使う食材が入るはずのものだが、いまや彼のための専用冷蔵庫だ。
 あらかた揃っている。肉や魚といった生鮮食品。卵は近所の養鶏場からタダでもらったふぞろい品だが、鮮度は申し分ない。
 野菜は……白菜が主役になるだろう。
 食後のデザートもまた何か出してあげたいな。

「ふむ……お金……か」

 彼が食べてくれる姿を想像しながら献立を考えるのは本当に楽しい。もっとあれもこれも。と品目が思い浮かべば想像は止まらなくなる。
 だが、そのために必要な材料を買うためには、やはりお金が必要になるのだ。

「ぅ……今月こんなにヤバかったのか……」

 通帳アプリで確認する残高。なかなかにグロテスクだ。
 そもそも収入源のレストランが開店閉業状態なのだから無理もないか。
 生活費を得る手段といったら、オトノメトリーの研究に協力と銘打っての「献血」で報酬をもらったり、あとは日雇いのバイトくらいだ。

「現場仕事は苦手……なんて言ってられないか」

 僕はバイト求人アプリに掲載されている、高収入を謳う工事現場のバイトをタップしようとした。
 その時だった。

 ────ごめんくださーい!

 元気な女の子の声が耳に届いた。
 家側の玄関じゃないな。これはレストランからだ。


 *


「職業体験、受けてもらえませんか?」

 件のヤクザが女児のフリでもして押しかけてきたのかと警戒したけれど、レストランの扉を開いてみると、ちゃんとランドセルを背負った女の子ふたりだった。
 見覚えがあるから、彼女たちはカタギの女の子で間違いない。

「キミたちはたしか……名取さんとこの?」

 姉のほうが一歩前に出て、胸の前でぎゅっと手を組んだ。

「はい。守矢小学校、四年の名取カミコです。十歳です。今日は職業体験学習の申し込みに来ました」

 ハリのある声、言い切るまで息継ぎなし。首尾が一貫しておりかつシンプルに……か。
 それだけで分かる。こういう子は、学校でも家でもよく“説明”をしているのだと。それも大人を相手に。
 たしか……ご両親が離婚して、いまは祖父母の家に預けられていると聞いた。
 その家は老舗の和菓子屋をやっているから、一応飲食関係者ということで噂は耳にしている。

 カミコちゃんをみれば、なるほどなと合点がいった。大人しい顔をしているのに、立ち方だけはやけにしっかりしている。背筋が真っ直ぐで、肩が少しだけ上がっていて。
 無理をしている人の姿勢だ。きっと強がっているのだろう。おそらくは妹の分まで────
 
 もうひとりの小さな影が、ぴたりとカミコちゃんの背中に貼りついていた。
 背丈は僕の腰より下。というか、僕の半分くらい。
 姉の袖を指先でつまんで、顔だけを少し覗かせる。

「……一年の……シカノ、です……」

 こすりすぎて消えそうな声。目も、僕の顔に届いていない。僕の靴のあたりを見ている。
 引っ込み思案の子の目線は、だいたい地面に落ちている。落としたまま、ちらちら上げようとして、また落とす。
 可愛らしい子だ。ゆるキャラ好きなリキさんが見たら無意識に誘拐することだろう。

「よろしくお願いします」

 カミコちゃんが言うと、シカノちゃんも遅れて、同じ形で頭を下げた。
 はい、どうも。と答える僕に、カミコちゃんが書類を差し出してきた。学校印のある、ちゃんとした紙だ。

「先生からです。これを渡すようにって」

 受け取った紙にざっと目を通すと、簡単な挨拶と共に、職業体験学習の意義やらなにやらがつらつらと書かれていた。
 ────期間は明日から一週間。
 お昼時に短い時間だが職場にお邪魔して業務を体験したり見学したりするのだという。

「キミたちが希望して、うちのレストランを選んだの?」
「はい。私というか、妹がここの建物を気に入って。可愛いからって」
「あぁ……そういう……」

 たしかにポツンとしてて可愛らしい造りではある。
 でももしかすると、レストランということも知らない可能性があるな。いや、そもそもウチには“体験できる仕事”がない。
 音味しい料理を作っている姿を見せようにも、シェフがいないからだ。

「あのね……大変申し訳ないんだけど────」
「いいぜ。受けてやるよ」

 背後からの声。そこにいるはずない人の声だ。僕はさっと振り返って確認した。
 モグリさんだ。2階で寝ているはずの。

「キミ……いや、勝手に決めないでよ」
「いいじゃねえか、昼間だけでも普通の飯屋やれば。金も稼げるし、いい宣伝になるんねーの。知らんけど」
「いややや、僕には音味しい料理専門店としての矜持というものがぁ……」
「俺も一緒に手伝ってやるよ」
「やります」

 コンマ0.001秒。それは思考を飛び越えた反応・反射による回答だった。
 

 *


「やっぱやめた」
「何言ってるのモグリさん────!?」

 その場で書類にサインして、手作りのプリンを渡してふたりを帰らせた。
 そうして扉を閉めて、彼の方をニッコニコで振り返った僕を出迎えたのが前言撤回の一言。僕はもうパニック状態だ。

「店には立てるぜ? 傷もほらこの通り。おかげさまで歩くくらいならできるからな」

 モグリさんはパジャマのズボンを持ち上げて縫合後の残る太ももを見せつけた。

「え、綺麗な脚……」
「とはいっても、俺な指名手配されてっからな。んなことしたらバレちまう。よって無理ってわけ」
「そ、そんな……あんまりだ……」

 オーナーとしての矜持を投げ打ってでも、キミとふたり働く道を選んだというのに……。
 いや、ここで諦めるわけにはいかない。
 ふたりで店を切り盛りする。それは僕の夢なんだ。目標としている父と母の姿そのものなんだ。
 なにかないか……目を欺くような、それでいて怪しさのない……

 ────ブルッ

 携帯がポケットの中で震えた。
 誰からの連絡か知らないが、確認するつもりなんてない。けれど悲しいかな、反射的に僕はスマホを取り出して確認していた。

《アホ弟子ぃ〜。メッセージ見たやで。すまんけど、いまブラジルにおるねん。わてはやはりラテン美少女やんなと再確認したとこや。でも一週間後には日本に戻ったるから、そしたら助けにいったるわ》

「なんだ、師匠(チーちゃん)か」

 こんなときに、見た目美少女のおじさんに構ってなんて……ん?

「待てよ……見た目美少女……」

 天啓が降った。
 最適解。というやつだ────