あなたを追って、その先で

 誰よりも、僕が大切に思った人が、そこには居なかった。

 教室には、前の席の短い髪のあなたが見えなかった。

 嫌な感覚が肌を滑る。いつかのあなたが言っていたことを思い出させる。

 私は、知らぬ花が芽吹く頃、静かに眠りにつきたい。

 まるで終わりを悟るように言ったあなた。初めて話した時の表情と被って仕方ない。

 そうだ。あなたは最初、僕にこう言った。「一緒に行こう」って。

 初めて、あなたと出会ったのは、登校中の電車の中だ。

 片田舎の地元では、学校の最寄りまで、20分に一本電車がくる。

 そうだ。あなたはその、間に合う最後の車両の中にいる。

 電車の扉が開いた瞬間に、そこにいた同じ服を着ている人々が飛び出すのに、あなたはずっと座っていた。

 僕は横目にそれを見て、どうしてか足を止める。

 空っぽの電車の腹の中。流れ込んだ朝日を浴びながら、紙にペンを走らせ続けて。

 そんな姿をぼうと見ていると、あなたは言った。

「私は気にしなくていい。早く行け」と。

 僕は、その言葉と、電車の発射合図で目を覚ます。

 ただ、なぜだか足が動かない。だのに脈拍は上がっているように思う。

 生唾を飲む。あなたから目を離せずにいた。

 ついには扉は閉じ、その瞬間に僕とあなたは遅刻が確定した。

 あなたは何も言わずにずっとペンを走らせる。

 僕は立ったままそれを見ていた。

「座りなよ」とあなたは言った。言われるがまま僕は座った。

 どうしても近くに座るのは憚られる。だからあなたの正面に座った。

 顔を見た。本当に美しかった。

 顔立ちとか、スタイルとか、そういう凡庸な美しさでは絶対にない。そんな一様な人枠で比べれるものか。

 それでも、それは美であるとしか言えなかった。

 逆光と、煙たい太陽の光が合わさって神秘すらも表していく。

 その間も、あなたはペンを止めることはない。

「何を書いているの」と僕が聞く。

「これは、詩だよ」とあなたが言う。

「詩?」と僕は聞く。

「うん。私の全部なんだ」とあなたが言った。

 今思えば、その時に僕の全部もそこにあったんだ。

 あなたが、僕の全てだった。

 でなければ、こんな死んでいくような感覚に苛まれることもないだろう。

 あなたはその後、五つ先の駅で降りた。

「行こうよ」とあなたは言った。

 だから僕も、その駅で降りた。

 そこは観光地というには余りにも寂れて、田舎というにはちらほらと人の姿が見えていた。

「ここには、面白いところがあるんだ」とあなたが言う。

 春の陽気がまだ芽吹く中、過ぎ去ったはずの冬枯れが首元を震わせる。

「来たことがあるの?」と僕は聞く。

「うん。ここは私の思い出なんだ」

 歩きながら、あなたは僕を見ることなく話している。

「私が死んだら、花を添えられるのは嫌なんだ」とあなたが言う。

「どうして?」と僕は聞く。

「きっと花が可哀想だから」とあなたが言った。

 僕にはよく分からなかった。

 あなたはずっと遠くを見ている。古く、自動ドアすらまだないような駅舎を通り過ぎた。

 あなたはずっと遠くを見ているんだ。古めかしい街並みにも目を向けず。

 あなたはずっと遠くを見ていた。僕が、まるで居ないように僕が感じた。

 一定の速さで歩いているのに、急いでいるように見えるのも、きっとあなたが遠くを見つめていたから。

 いつしか歩いてきた石畳は、舗装だけ()()()()でやられたようなアスファルトの道になっている。

 肩にかけた指定の鞄が、何度かずり落ちては僕の腕に落ちる。

 海の匂いがする。海沿いを走った電車の後、当たり前のことである。

 ただそんな潮の匂いとは別に、魚を焼き上げたような香ばしい匂いも流れ込んできている。

 近くには市場がちらほら見えている。きっとそこらの市場で焼き魚でも仕立てているんだろう。

 あなたもその匂いを感じたのか、お腹をさすっている。

 僕は可愛らしいと思う。人間らしさをようやく知れたのが、嬉しかった。

「嫌なものだね。食べる気力がなくとも、腹が空けばその為に力が湧くんだから」

 あなたは自嘲気味に言う。

 気づけば歩道は消えて、車通りが少ない道路を歩く。

 あなたは何かを見ている。

 少し小走りであなたに近づく。それは紙切れだった。

「それはなに?」と聞いた。

「これは、私の書いた詩だよ」と言った。

 あなたが言う、その詩は。僕のありきたりな人生では見たことのない姿をしている。

 ちょうど良いリズムを刻む訳でも、美しい情景を悲恋の感情で唄うものでもない。

 それは、僕が見たのは、巨大な皮肉だった。