そんなに見つめなくても、いつもそばにいるよ    ―大学生編

 引っ越し当日、晴矢は晴矢の家にある家具一式と小さな水槽と一緒に別便で部屋に到着し、俺とお母さんは実家からの荷物と一緒に到着した。
 自ずとお母さんと晴矢が顔を合わせることになるが、お母さんは拒否反応を示さなかった。

「おはようございます」

 晴矢がいつもと変わらずお母さんに挨拶をするが、お母さんは顔も見ずに軽く会釈をするとさっさと部屋に入っていく。
 俺と晴矢は顔を見合わせ、お手上げのゼスチャーをしながら後に続いた。
 十畳のワンルームはベッド、机、本棚などが配置してもそれなりに広く、晴矢が家から分けて持ってきた小さな水槽の置き場所もあり、快適に過ごせそうだった。
 お母さんは家電や食器をキッチンに配置していく。
 それほど物が無いため、引っ越しはあっという間に終わった。

「腹減ったなー。ちょっとコンビニ行ってこようかな」
「俺も行くよ」
「お母さんはちょっと待っていて」

 晴矢と部屋を出ようとすると管理人さんがやってきた。
 まだ契約書でチェックしたいところがあるから来て欲しいと言われ、俺は管理人室に向かい、晴矢一人でコンビニに行ってもらった。
 契約書のチェックだけかと思ったが、管理人さんが話好きなのか様々な話題を振られなかなか帰してもらえない。
 庄野のことも気が利いて良い学生さんだったという話になり、その話でまた時間を取られてしまい、気が付けば三十分も半ば監禁されていた。
 俺は急いで部屋に戻ると、晴矢の声が聞こえる。
 お母さんに話しているのか?
 俺は悪いと思いつつ、玄関で聞き耳を立てていた。

『俺が先に良樹のことを好きになったんです。中学の時バスケ初心者の俺に丁寧に教えてくれて、その時に良樹がココアをくれて。そのココア、おばさんが俺に持っていきなさいって渡してくれた物って聞いて、すごく嬉しくて。おばさんが優しいから良樹もこんなに優しいんだなって。俺の家族は機能不全家族だったからこんなに優しくされたことがなくて、それがきっかけです』

 晴矢が中学の時の話をしている。
 最初に好きになったのは俺の方かもしれないのに。

『おばさんにお弁当作ってもらって、親にされたことがないのにどうして他人なのに思いやってくれるのか不思議でした。良樹の家に行くようになってこんなに愛されて育ってきたからあんなに素敵な笑顔を人に向けられるんだって、俺には無い部分にすごく惹かれた。今もです。俺は良樹と一緒に居ることで人として成長できたし、精神的にも強くなれました。父さんのことも理解できたし、今では愛しています。全部良樹が教えてくれたことです。それはつまりおばさんやおじさんが良樹を愛情深く育てたからであって、だから俺は良樹とおばさんが仲違いするのが嫌です』

 晴矢、それ以上言うな。
 俺が部屋に入ると、お母さんは晴矢に背を向けて座っているその背中が小刻みに震えていた。
 泣いている……?
 お母さんの前に正座している晴矢も涙がこぼれないように身体に力を入れているのがわかる。

「お、お母さん。晴矢、もうこれ以上はいいから……」

 俺はお母さんの小さな背中をさすりながら晴矢が次に何を口にするのか身構える。
 
「本当は俺が良樹と別れるといえば全て解決することはわかっています。おじさんもおばさんもそれを一番に望んでいるって。でも、出来ません。俺は良樹とは別れたくない。良樹が悲しむから、俺は良樹を悲しませたくないし、ずっと笑顔で居て欲しいから。良樹はおばさんとも喧嘩は続けたくないんです。俺とおばさんと両方の気持ちを思いやって一番辛いのは良樹です。良樹の気持ちをわかってあげてください。俺のことを罵倒しても何しても構わないです。でも良樹は責めないでください」

 晴矢は頭を床にこするほど深く土下座をした
 俺は思わず晴矢を抱きしめた。
 泣きながら震えているのを感じる。
 晴矢にそんなことをして欲しくない、お前が悪者になる必要はないから。
 
「はぁ~ったく、何なのよ」

 振り向いたお母さんの目は赤く、頬に流れた涙はまだ乾いていない。

「ホントに晴矢くんが良い子過ぎて、嫌いになれないから困るのよ」
「え?」
「これで性格が悪くてどうしようもない子だったら、何が何でも引き離したところだったけど。本当に人間が出来ているのよね。良樹と同じように六年間の成長を見てきたんだもの。正直、すごく複雑。でもね、私も傷ついているの」
「おばさん……ごめんなさい」

 涙声の晴矢がまた頭を下げようとするのを止める。

「晴矢が謝ることじゃないよ。晴矢にここまで言わせた俺が悪い。俺はお父さんもお母さんも傷つけるつもりはなかった。俺は晴矢と同じようにお母さんたちも守りたいと思っている。でも一人息子として、お母さんたちの理想の息子になれなくて本当にごめんなさい」

 頭を下げても、泣きたくはなかった。
 泣きたいのはお母さんの方だから。

「理想の息子なんてものはないわ。良樹が健康でいてくれればお母さんたちは嬉しいの。ただね、あんたたちの気持ちはわかったけど、二人のことは受け入れられない」

 お母さんはハッキリと拒絶したが、その言葉の強さとは対照的に表情は穏やかに見えた。

「お父さんじゃないけど、良樹が本当の意味で独り立ち出来たらそこから考えさせて」
「わかった」

 晴矢はお母さんの顔を見て丁寧に頭を下げた。
 それを見つめるお母さんは微笑んでいるような、諦めているような複雑な表情をしていた。

🔸🔸🔸

「今度来る時までにこの子たち、大きくなっているかしら」

 お母さんが帰り支度をしながら水槽の中の金魚を見ながら話す。

「屋台の金魚はこれ以上大きくはならないよ。いかに長生きさせるかが大事だって言っていた」
「誰に聞いたの?」
「え? キーちゃん……」
「あ、ああ。先野さんのところの……」

 キーちゃんの名前を出したことを後悔した。
 またお母さんが余分なことを口にするのではないかと警戒する。

「色々な方がいるものね」

 そう言うと玄関に向かい靴を履く。
 俺は晴矢に駅まで送って来ると言い、お母さんと部屋を出た。

「お母さんだけでもちょこちょこ帰ってこようかしらね」
「え?」
「何よ、迷惑そうな感じね」
「嫌、そんなことないけど。一人で飛行機乗れるの?」
「それぐらい大丈夫よ。搭乗口までお父さんについてきてもらえば」
「俺の監視をしに来るってこと?」
「母親が息子の顔見に来て何が悪いのよ」
「いいよ、俺と晴矢を見に来てよ。俺たちがどれだけ相手が必要かを見届けてよ」
「ったく、本当に可愛げが無くなって。誰に似たのかしら」
「そりゃ、お父さんとお母さんだよ。俺が愛情深くなったのは二人が俺に十分な愛情を注いで育ててくれたからだよ。感謝している」

 晴矢に言われて、俺はあらためて両親に感謝したいと思った。
 晴矢とのことは譲れないけど、息子として両親には報いたいと思っている。

「お母さんたちもあなたを不幸にはさせたくないの。それだけはわかってね」
「うん。わかっている」

 何年先になるのかわからないが、歩み寄れる日が来て欲しいと願った。

🔸🔸🔸

 お母さんを駅まで送ると俺はダッシュして部屋に戻った。
 晴矢への愛情を示したくて。
 ドアを開けると部屋の中が静まりかえっている。
 靴を脱ぐのももどかしく部屋に入るとベッドで晴矢が寝ていた。
 俺はベッドの脇に座り、寝息を立てている晴矢の顔をじっと見つめる。
 引っ越しの片づけ作業と、告白の緊張とが混じって疲れてしまったのだろう。
 俺は頬を優しくなで、そのまま額にキスをした。
 起きる気配が無いため、キッチンで食器を片付け、冷蔵庫の中を整理しているといきなりバックハグをされた。

「俺の寝顔を盗み見た奴は誰だ」
「俺。いいもの見せてもらった」
 
 晴矢はバックハグのまま俺の肩に顎を載せると頬を寄せる。

「おばさん、大丈夫だった?」
「うん。喧嘩はしなかった」
「良かった」

 俺は向きを変えると晴矢を正面から抱きしめた。

「ごめん。晴矢を悪者にして。でもありがとう。別れる選択をしないでくれて」
「当たり前だろ。良樹を悲しませるようなことはしないって、ずっとそばにいるって言っただろ。最初から別れる選択肢は無かったよ」
「晴矢は強いな。ブチやキーちゃんが言っていた通りだ。一番近くに居た俺が一番わかっていなかった」
「そうだよ。言ったよね、俺も良樹を守るって。いつも守られてばかりだったけど、俺にも出来るんだよ。でも、おばさんが泣いているのを見たら、別れるって口から出そうになった」
「でもそうしなかった。最後まで晴矢が誠意を示してくれたから、お母さんにも少しは気持ちが届いた。勇気を出してくれてありがとう。俺の恋人は最強だな」
「じゃ、キスして」
「ん? うん」

 狭いキッチンで唇を重ねる。
 晴矢の細い首に手を回すと、晴矢が俺の頭をまさぐる。
 互いに激しくなるが、突然晴矢が唇を離す。

「金魚にエサやらないと!」
「ちょ……キスよりもエサかよ」

 晴矢は水槽の脇に置いてあるエサを掴むと水槽の中にパラパラと撒く。
 思い思いに泳いでいた金魚が一斉にエサに群がる。

「設置したらすぐにあげるつもりだったのを忘れていた」
「まあ金魚も空腹だったとは思うけどさ、このタイミングはないだろ」
「じゃ、続きはあっちでしよう」

 晴矢の視線がベッドを捉える。
 俺は呆れながらも笑っていると、晴矢の唇に口を塞がれた。