想いを込めるグラタン屋さん


 死んだと思ったら、未練が身体に絡みついてきた。真っ黒な煙のようなものが、私の行く先を拒む。
 至って普通の人生を送ってきたと思う。未練、と考えても、思い当たるのは好きな人に告白できなかったことくらいだ。「大学生にもなって、恋愛に現を抜かしてるなんて」という兄の言葉に苛立ったせいもあるかもしれない。
 呆然と立ち尽くす私の前にはレンガでできた暖かそうなお店があった。暖かな光に吸い込まれるように、店内へと足を踏み入れる。木々の中に佇んでいたそこは、暖炉があり、レトロな雰囲気の漂うお店だった。
「いらっしゃいませ」
 その声に顔を向ければ満面の笑みのクワッカワラビー。ぴょこぴょこと小さい耳が動き、にっこりと幸せそうな表情を見せる。世界一幸せなと呼ばれる生き物だ。
 カウンターキッチンの奥で、小気味良く音を立てながら野菜を切っている。小さい手が動いてる姿があまりにも可愛らしくて、ついじっと見つめてしまう。手が不意に止まって、こちらへと視線を投げかけてきた。
「あちらに行けなかったんですね」
 その言葉に、息が詰まる。気づかないふりをしていた。
「私、やっぱり、死んだんだ」
 今更ながら、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。大学生になり、自由を謳歌してる真っ只中だった。まだ先は長いと思っていたし、やりたいこともあったはず。それよりも、まだしっくりこない事実にただただ手が震えた。
 ぽんっと肩に優しい手が触れて、落ち着かなければと思いなおす。
「そこの席、とりあえず座りましょうか」
 肩を叩いた女性の店員さんが、私の右手をそっと掴む。そして、導くようにカウンターの端の席に座らせてくれた。
「はい、これでも飲んで」
 近くで見たクワッカワラビーは、世界一幸せな生き物なだけあって、少しだけ心の緊張を解きほぐしてくれた。つられて少し微笑めば、満面の笑みへと変わっていく。
「とりあえずグラタンでも食べていって! 想いを届けられるグラタンだから」
 その声に私は小さく頷く。死んだというのに、ごはんを食べるのも変な感じがするけど。それでも、死の事実を紛らわせるならなんだってよかった。
 目の前に置かれたグラスはレトロな雰囲気で、花柄が散りばめられていて可愛い。兄は、昭和レトロと呼ばれるものを集めるのが好きだったなと思い出す。誕生日のたびに、色々なアンティークを探しに街に繰り出したことが懐かしい。
「はい、熱いから気をつけてね」
 クワッカワラビーの笑顔を見てれば、少し心が落ち着いた。自分の置かれてる状況を確かめようと言葉にしようとすれば、グラタンが目の前に置かれる。
 とろとろに溶けたチーズ。焦げ目が程よく付いている。
「冷める前に食べちゃって。この後は、営業も終わるから」
 スプーンを差し込めば、ほかほかと湯気が立ち上る。中にはホタテに、見慣れた形のマカロニ。玉ねぎなども入っている。一口食べれば、舌が火傷しそうな熱さだ。
 食べながらこの状況を問おうと思っていたのに、熱くてそれどころじゃない。はふはふと、一口、一口、丁寧に食べ進める。
 いつのまにか頭の中の色々なことは、解けさっていた。
「おいしかった?」
「とっても……」
「よかった! 私の元気になってという想いが伝わったのね」
 クワッカワラビーの言葉に、頷く。一口食べるたびに、安心感が湧くようだった。本当に想いが伝わるグラタンみたいに感じる。
「あの、私、死んでるんです、よね」
 認めたくなくて、つい、口篭ってしまう。強いやりたいことがあったわけじゃない。それでも、死んでしまったことを認めるのは、まだ、胸が痛い。
「そうね、亡くなってるわ」
「ここはじゃあ、あの世じゃないってことですか」
 クワッカワラビーは確かに、「あちら」に行けなかったと口にしていた。それは、私が想定してるあの世であろう。行き先を拒んだ真っ黒な影。あれのせいだろうか。
「そうね……猫家さん、クローズ出してきてくれるかしら?」
「はーい、ちゃっちゃっと!」
 先ほどの優しいお姉さんは、猫家さんというらしい。名前まで可愛くて素敵だ。クワッカワラビーは、よいしょよいしょと小さい体を動かしながら、私の横に歩いてくる。手元にはクリームパスタが二つ。
「ご飯食べながら、話すわね。あっ、名前まだ聞いてなかったわね」
 思い出したようにクワさんは私を見つめる。そういえば、死んだことで気が動転していて名前どころじゃなかった。
「加須つなぐです」
「つなぐちゃん、ね。私はクワさんって呼ばれてるわ」
「クワさん……」
 名前を繰り返して呼べば、大きく頷いてくれる。そして、クワさんは机の上にパスタを置いてから、勢いをつけて椅子の上に乗る。外から戻ってきた猫家さんもその隣に座って、両手を合わせた。
「いただきます」
 私は二人が美味しそうにパスタを食べる姿を眺めながら、とめどない思考に埋もれていく。思い返すのは、人のことばかりだ。親に怒ったことも、お兄ちゃんが好きだったのに嫌いになってしまったこと。優くんに告白できなかったこと。いつも私の愚痴を聞いてくれていた友人のノゾミのこと。
 会いたい。猛烈に会いたいという気持ちだけが湧き上がる。
「お二人は、あの、生きてるんですか」
 ふと思い浮かんだ疑問を口にする。ご飯を食べるということは、生命活動を維持してるということ? でも、私は死んでるはずなのにグラタンを食べた。
「私も、猫家さんも、あなたより先に死んだ人間よ」
 淡々と事実だけを答える。そこにはどんな感情も籠っていないような気がした。
「えっ……」
「でも、ここには生きてる人もお客さんで来るの。だから、生きてる従業員も何人か居るわ」
 当たり前のことのように、死んでる人と生きてる人が交わっている。ならば、ここでなら、私も優くんに会えるってこと?
 いつも困ったような顔をして、私を見つめてくれた優くん。家族のことで苦労してる優くんは、私といる時は笑えると言ってくれていた。片想いではあったけど、私が死んで悲しんでくれてるかもしれない。優くんに会いたい……。
 淡い期待が胸の奥に湧き上がった。優くんに会って想いを伝えられれば、私の未練はあっという間に解消されて、あちら側へ行ける。
「まぁでも、私たちが死んでることは知らないし、死んだ人が幽霊として現れたら世界は狂っちゃうから」
 悲しそうな声に、言葉を詰まらせる。世界は狂っちゃうから。幽霊は存在していて、存在していない。心霊写真は大抵作られたものだった。そりゃあそうだ。
 猫家さんは両手をパンっと合わせて、ごちそうさまとつぶやく。そして、私の方を見つめて、自分の体を広げた。
「そうそう整合性を保つために、こんな見た目なのよね。クワさんなんか、クワッカワラビーよ、可愛くていいけど」
「クワッカワラビーに似てるとは生前から言われていたけどねぇ。でも、私はこの姿でよかったと思ってるわよ」
 クワッカワラビーは、死後の姿。そういえばしばらく、鏡を見ていないことに気づいた。いつもポケットにしまい込んでいた鏡を、手を突っ込んで探す。
「あぁ、見てないからわかんないか。ちょっと待ってて」
 そう言って猫家さんは、お皿を持ってキッチンへと戻っていく。クワさんは、まだちゅるちゅるとパスタを食べていた。食べてる姿すら可愛くて、死んだことへの痛みは薄れている。それに、ご飯も食べれて、誰かとコミュニケーションも取れて、死んだ実感すらあまり湧かない。
 戻ってきた猫家さんの手には、コンパクトな手鏡が乗っている。先ほど肩を叩いた時と同じ優しさで私の手のひらに、鏡が乗せられた。緊張しながら、鏡を開く。
 そこに映ったのは、見覚えのあるような知らない顔だった。
「知らない顔でしょ?」
「なんとなく、あの、名残りはありますが」
「そうなのよ、私も笑顔がモットーだったからクワッカワラビーにしてもらえたのかなぁ? 猫家さんもね、ほくろの位置は同じなんでしょ?」
 クワさんも猫家さんも、自分の顔を確かめるように触る。顔が変わっても自分自身だと思えるのは、すごいなと純粋に思った。私は今、違和感しかない。私は確かに私なのに、見た目はどことなく私に似た他人だ。
「そうそう、目の下のこのホクロ。娘とお揃いで大好きだったんだぁ」
 二人が自分のチャームポイントと言わんばかりに、名残り部分を見せ合っていた。鏡を覗き込んで確かめる。どこが、私に似てるように見えるんだろう。自分では、わからない。それでも、確かに私の名残りが確かにそこにいた。
 必死に鏡を見つめる私の手から、クワさんは鏡を取り上げる。そしてちっちゃな手のひらで、私の手を握りしめた。
「まぁまぁ未練を解消するまでは、寮に住めばいいよ」
「やっぱり、未練があるから、あっちに行けないんですか?」
「そりゃあそうよ! 私だって残してきた娘と猫が心配でずっとここにいるんだもん」
 クワさんではなく、猫家さんがきっぱりと口にする。未練というにはあまりに、明るい答え方だった。クワさんも、何か未練があるということだろうか。私の未練はやっぱり、優くんのこと。
「あの、私未練を晴らして、さっさとあちらに行きたいんです」
「そうねぇ、タイミングがねぇ、あればねぇ。猫家さん、とりあえず寮案内してあげて。隣の部屋開いてたでしょ?」
 クワさんは誤魔化すように、そうねぇ、そうねぇとばかり口にする。死んだことを認めたいわけじゃない。でも、こんなところでウジウジ悩むくらいならとっとと次に生まれ変わりたかった。私はもう、私じゃなくてもいい。
 クワさんはかちゃかちゃと音を立てながら、小さい手でお皿を運び出す。もう答えるつもりはないようだった。その代わりに猫家さんは私の前に立って、道案内をするようにまっすぐ前を手のひらでさし示す。
「こっち」
 猫家さんと同じ歩幅で店を出る。つんっと冷え切った空気が顔に当たって、感覚があることに驚いた。死んだというのに、生きてる時とほとんど変わらない。見た目だけが、違う。
「猫家さんは、家族に会いに行ったんですか?」
 他人になってるとはいえ、会おうと思えば会える環境だ。それなら、真っ先に会いに行くだろう。そう思って問いかけた言葉は、薄らと明るくなっている空に吸い込まれていく。
 猫家さんの方を窺えば、口を一文字に結んで空を見上げていた。聞いてはいけないことだったらしい。死んだ後も人間としてのコミュニケーションが続くのか、と少しうんざりした。それでも、猫家さんに優しく接してもらったから今は落ち込まずに居られることを思い出す。
「聞かれたくないことだったらごめんなさい」
 素直に謝れば、猫家さんはふふっと小さく笑った。そして、私の方を見て目を潤ませている。
「つなぐちゃんは、早めに解消した方がいいよ未練」
「猫家さんの未練は聞いても、いいんですか?」
「私は娘と愛猫を置いて死んじゃったこと」
 じゃあ会いに行けば解決するのではないだろうか。そんな単純な話でもないのかもしれない。だって、事実会いに行ってないのだから。これ以上深掘りするのは、またあんな顔をさせる気がしてしまって飲み込む。
 猫家さんは気まずそうな表情のまま、私の思いを汲み取ったのか言葉を続ける。
「幼かったの、娘がまだね。だから、死すらわからない子に会って混乱させるのもと思って、どんどん先延ばしにしてる」
 そして、頭をカリカリとかきながらまた前を向いて歩き始めた。先延ばしにしてるうちに、踏ん切りがつかなくなってしまったのだろう。私にもその気持ちはわかった。優くんと私は、恋人未満友達以上だったから。ずっと一緒にいて、でも、告白は先延ばしにしていた。そのせいで、タイミングがわからなくなって、曖昧な関係を続けていたから。
「ここだよ、寮」
 寮というよりは普通の見た目のアパートを指さす。家具や家電を買わなきゃいけなかったらどうしよう。お金なんて、持っていない。ズボンのポケットに手を突っ込んでも、なにも入っていなかった。
「で、これが鍵ね。つなぐちゃんは201。隣は私の部屋」
 階段を登りながら、猫家さんは振り返った。そして、小さなグラタンのキーホルダーがついた鍵を私に手渡してくれる。キーホルダーのグラタンには「グラタンスマイル」と書かれていた。あそこのグラタン屋さんの名前はスマイルというのか。
「無くさないようにね」
「ありがとうございます」
「とりあえず朝が来ちゃうから、寝ると良いよ」
 猫家さんの言葉に、小さく頷く。朝に寝る。昼夜逆転生活だなと思いながらも、夏休みはそういう生活を送っていたから変わりないかとも思った。
「前住んでた人の家具家電がそのままだから使えると思うけど、何か困ったことがあったら隣に来て」
「ありがとうございます」
 私の心配事は解消された。次に疑問が湧く。家具家電が残されたままの部屋。なぜ前の人はこの部屋を出たのだろうか。
 201と書かれた扉の前で、立ち止まる。夜逃げ? 事故物件? 想像してみて背中がぞわりと震えた。死んでいて幽霊みたいなものなはずなのに、事故物件が怖いなんておかしい。
「前の人はもうあっちに行っちゃったから大丈夫よ」
 部屋に入らない私に心配になったのか、猫家さんは開けかけた扉を閉めてこちらに歩いてきた。そして、一緒に鍵を、差し込んで扉を開けてくれる。扉の奥の部屋は綺麗に整頓されていて、生活感がない。あっちに行っちゃったのがどれくらい前かはわからないけど、人の気配は全然感じ取れなかった。
「ね、大丈夫でしょ?」
「たしかに、じゃあおやすみなさい」
「うん、おやすみなさい。明日はグラタン夜さんに一緒に行きましょうね。仕事とか教えるわ」
 いつのまにか、あそこで働くことになってる。まぁ、やることもないし、頼れる先もあそこしかないのだけど。
「ごめん、勝手なこと言った。でも、未練が解消できるまでは居場所が必要でしょ?」
 猫家さんのいうことはもっともだ。だから、私は「はい」と頷いて、部屋に入った。とりあえず、ベッドに潜り込む。色々なことがありすぎて頭が痛い。もう今は何も考えたくなかった。ただ、布団に体を預けて目を閉じる。

 ***

 グラタン夜さんでバイトをしながら知ったことは、多々ある。それを数えながら、まだ真っ暗な道を歩く。お店は前は違う方がやっていて、スマイルはその方がつけた名前だったこと。スマイルという名前でも良かったけど、夜しか営業していないことがわかるようにグラタン夜に変えたらしい。営業時間のこともあって、死んだ人たちは基本的にはみんな昼夜逆転生活だ。クワさんのこだわりとして、来てくれるお客様が元気になれるように想いをたっぷり込めている。
 私も想いを込められるようになるために、今はグラタンの作り方を学んでいる最中だ。今日はお客様も少ないから先に帰って良いよと帰されてしまった。
 少し明るくなった空を見て帰っているから、こんなに真っ暗なのは新鮮だ。数日のうちに、今の体に馴染んでいる。足も軽快に動く。だから、ちょっとだけ寄り道をしようと思った。
 私の知ってる町か、どうかも気になっていたから。まっすぐアパートに帰る道を、右に曲がってみる。周りをキョロキョロしながら歩いているから、だいぶ怪しいとは思う。
 それでも、何度か曲がった後に、見慣れた景色を見つけた。私の自宅。誰かが家から出てきたのが見えて、そっと曲がり角に隠れる。こつ、こつ、っと靴音が聞こえていた。こちら側は、一番近いコンビニに向かう道だ。きっと、こっちに来てしまう。隠れようと周りを見渡してから、今は私じゃないことに気づいた。
 顔も隠さずに、向かってきた人とすれ違う。あの日、喧嘩した兄だった。背中を丸めて、それでもまっすぐ歩いている。あの日、売り言葉に買い言葉で私は兄に酷い暴言を吐いてしまった。
 それを思い出したくなくて、つい早足になる。私ばかりが悪かったとも思わないけど、暴言は良くなかった。兄なりに、苦労して実家に帰ってきたのだし……
 そんな思いから逃げるように、足が早くなる。あの公園に行こう。夜中は誰も来ないから、優くんとよく語り合った公園。滑り台の上に登って、少し広くなってる空間でよく二人で話していた。
 懐かしくなって滑り台に近づけば、人影が見える。優くんだったりしないかな、そんな淡い期待は現実になった。
「あ……」
 私を見て、優くんは息を呑む。なんとなく似てる私を見て、私を思い出すだろうか? 思い出してほしいと、思い出さないでほしいが胸の中で交差していく。
「こんな時間に人が来るとは思っていなくて、あの怪しいものじゃないんです」
 優くんの手元には、私が好きだったお酒とお菓子。それに、目元には涙。私のことを思って泣いていたと思っていい? 暗くてちゃんとは見えないけど、前より痩せてしまってる気がする。私は優くんがずっと、ずっと……
「ずっと、好きだった」
 言葉の方が先に出て、優くんはギョッとした顔をする。目がまんまるに開いて、困惑したように唇をぱくぱく動かしてた。急に他人にそんなこと言われたら、怖いだろう。それなのに、優くんは優しい人だから、突き放すことも、逃げることもしない。
「ごめんなさい。あなたのこと、よく知らないので。それに、僕は好きな人がいるので」
「あ、いや、あの私ごめんなさい、急に」
「いえ、全然、その、ありがとうございます」
 別人としてでも、私は優くんに好きな気持ちを伝えられた。これで満足だ。そう思っても、あちらに行ける気配は全然ない。私の未練は、これではなかったということだろうか。先ほどすれ違った兄の顔が脳裏にちらつく。
 家族のことが、私の未練なんだろうか。気にしないふりをしていた。忘れたふりをしていた。最後にひどい喧嘩をして、私は持ちうる限りの悪口を暴言を吐いた。ひどい妹だと思う。死んでくれて清々したと思ってるだろう。その事実と向き合うのが嫌だった。だから、優くんのことだけが未練だと思い込みたかった。
 そんな自分に気づいて、ちょっとおかしくなってしまう。優くんのことも未練だった。好きだと伝えたかったのは、本当。それでも、別人として伝えられて、優くんが好きな人がいると断ってる事実で胸が温かい。私のことをきっと好きだったということを知れて嬉しい反面、哀しいとも思ってる。私は優くんともう普通の恋人のように寄り添えないから。私のことを覚えてほしいけど、幸せになってほしい。だから、私としては、優くんに想いを伝えたくないと思ってしまった。
「あの、グラタン夜って、ご存知ですか?」
 困惑する優くんに、また困らせるような言葉を紡ぐ。優くんが少しでも元気になってくれれば良い。そして、私が作ってしまった傷を癒して、生きててほしい。これも、未練になってしまうのかもしれないけど。それならそれでよかった。
「グラタン、夜ですか?」
「夜しかやってないグラタン屋さんなんですけど、元気が出るって噂なんです。私そこでバイトしてるので一度でいいので来てください!」
「えっと、絶対とは言えないですけど」
 絶対じゃなくていい、希望が繋げれればいい。きっと食べたら元気が出るから。
「それでいいです、いつか、来てください」
 そう言って、滑り台を滑り降りる。優くんがいつ来てもいいように、グラタンをうまく作れるようになろう。元気がとびきり出て、人生が楽しくなるようなやつ。
 足が軽い。スキップでもできそうなくらいの勢いで、帰り道を歩く。好きだった。今も好き。だから私は優くんに元気をあげたい。
 ずいぶん前向きな未練だなとも思うけど、それが誇らしく思える。