幼なじみが身も心もボロボロなので、ボクがお世話します

''俺はお前のヒーローなんかじゃない''

憧れの――恋をしてる人に否定されてしまった。
頭が真っ白になる。めちゃくちゃだ。
じわりと涙が出そうになるのを必死に堪える。

……言い過ぎたのかも。
やっちゃった。さっき、反省したばかりなのに……きっと、雪哉くんを傷つけた。
そのまま黙って二人して夜道を歩く。
そして、とあるマンションの前でピタリと雪哉くんは足を止める。
 
「……俺、ここのマンションだから」

「……え?」

その発言に驚いて、返事が少し遅れてしまう。

「ボクも、このマンションなんだ……」

「え……」

きょとんとした顔を見せる雪哉くん。
ちょっと可愛いと思ってしまう。

「……何階なんだ?」

「ご、五階」

「……俺も」

「えぇ!?」

すごい偶然だ。
夜なのに声量が大きくなってしまう。

「……とりあえず、エレベーター乗るか」

「う、うん」

雪哉くんに促され、エレベーターに乗る。
狭い箱の中、ドアが静かに閉まると、いっそう静かになる。
機械が上に運ぶ振動音と雪哉くんの微かな息遣いだけが空間を支配する。
肩が触れそうなほどの距離にいるのに、触れれば簡単に届く距離なのに……とても遠い。
さっきの言葉が雪哉くんとの間に壁を作っているみたいだ。
そのせいで、隣にいて嬉しいはずなのに、息苦しい。
視線を合わせるのが怖くて、階数表示をじっと見つめてしまう。
数字がひとつ、またひとつと増える度に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
……エレベーターは確実に上に進んでいるのに、ボクと雪哉くんの距離は離れていってる気がする。
何か言わないとって思うのに、喉の奥から言葉が全く出てこなくて困惑してしまう。
 
チン、と軽い音がしてエレベーターが止まった。
無言のまま、降りる。
無意識のうちにぎゅっと拳を作ってしまう。

「……春斗、お前何号室?」

「えっと、506号室」

「は……?」

雪哉くんは目が点になる。

「……俺、505号室」

一瞬だけ、言葉を失ったみたいに雪哉くんは固まる。
肩がわずかに寄って、視線が揺れる。
喜んでいいか、困るべきか――そんなふうに迷っているようにも見えた。
 
「え、と、隣の部屋……?」

ボクも目が点になってしまう。
……もしかして、運命ってやつなのかな?
偶然も重なると必然になると聞くけど……まさかね?

「……隣に誰かが引っ越してきたと思ったけど、お前だったのか」

「う、うん……ボクだよ?」

首をこてんと傾げて、はにかむ。

「と、隣だなんて……すごい偶然だね」

「そう、だな……」

明らかに雪哉くんは眉をしかめ、やはり困ったような顔をする。
……やっぱり、嫌なのかな。
ボクを突き放すようなこと言われたばかりだし……。
隣じゃ迷惑かもしれない――そんな嫌な想像ばかり浮かんで、胸をじわじわと締め付ける。

「……ボクと隣、嫌?」

勇気を出して思い切って、尋ねてみる。

「嫌……じゃない。ただ驚いただけだ」

頭をポリポリと掻きながら言う。
その表情は嘘を言っているようには見えなかった。
よ、よかった……。
胸がすっ、と軽くなる。
まだ不安は残っているけど、嬉しさが今は勝っていた。

「じゃあ、えっと……雪哉くん。不束なボクですけど、よろしくお願いします」

ぺこりと雪哉くんに頭を下げる。
瞬間、ぷっと雪哉くんは吹き出す。
氷みたいに冷たい顔が、朗らかに溶けていく。

「ははっ、お前……嫁入りのセリフかよ」

「え!?へ、変だった?」

「不束は嫁に来た女の人が言うセリフだよ」

「え、え!?へりくだった言葉じゃないの!?」

「違う。しかも今の時代じゃほとんど使わないぞ。一体どこで覚えたんだよ……どうせ昔の漫画で覚えたんだろ?」

「うっ……ち、違うもん」

……図星である。
古本屋で衝動買いした昔の少女漫画に載ってたセリフだ。てっきり、自分をへりくだった敬語なんだなと思っていたから恥ずかしい……。
顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。

「そうかよ……でもまぁ、良かったな。大勢の前で恥をかかずに済んだし」

「……うん」

恥ずかしくて月並みな言葉しか出てこなかった。
ぷるぷると肩を震わせ、立ち尽くしてしまう。

「ははは、お前がおバカなのは今に始まったことじゃないだろ?」

「……違うもん。大学に合格するためにたくさん勉強したもん」

「そうか。じゃあまた一つ賢くなったな」

ニッとからかうような笑みを見せる雪哉くん。

――ドキリ。

呼吸が一瞬、止まった。

''笑ってる方がお前には似合うよ''

雪哉くんに言われた言葉を思い出す。
……ねぇ、雪哉くん。
ボクにそう言ってくれたけど、雪哉くんも笑っている方が似合うよ?
だから、ずっと笑顔でいてほしい。
そう思うことは罪深いことなのかな。

「……もう遅いから部屋に入ろうぜ。お前、顔が真っ赤だし」

「っ……ゆ、雪哉くんのせいでしょ!」

「……あーそうだな、俺のせい俺のせい」

雪哉くんはスタスタと歩く。ボクも慌てて着いて行く。
505号室の部屋の前で止まると、ポケットから鍵を取り出して扉を開ける。

「……明日は何限からだ?」

「え……一限から」

「じゃあ、早く寝ろよ。お前朝弱いんだから」

「わ、わかってるよ……」

母さんみたいなことを言われて、ついムッとしてしまう。

「……じゃあ、おやすみ」

「う、うん……おやすみ、雪哉くん」
 
そう言うと、雪哉くんは部屋の中に入って行く。
さっきまで遠くに見えた背中が、今度は少し近くに見えた気がした。
扉がバタン、と閉まる。
一人取り残された廊下で、胸に手を当てる。
雪哉くん……昔みたいな笑顔を見せてくれた……。
見た目は恐ろしく変わっても、変わらないところはたくさんあった。

「……ヒーローを名乗る資格、あるに決まってる。君がヒーローでいてくれたから、ボクは何度も救われたんだよ。」

小さくそう呟くと、ボクは鍵を鍵穴に差し込んだ。