幼なじみが身も心もボロボロなので、ボクがお世話します

「雪哉くん……忘れていたわけじゃなかったんだ」

ぎゅうっと手紙を抱きしめた。

「――じゃあ、どうして」

約束のこと言ってくれないの?

「……おい」

ひゅっと乾いた音が喉から出た。
恐る恐る後ろを振り向く……。
ひどく冷たい顔をした――知らない雪哉くんが立っていた。

「ゆ、雪哉くん……?は、早いね」

ニコリと微笑みを浮かべた。
今のボクはきちんと笑えているだろうか。

「……お前の不審な態度が気になって早く出たんだよ」

「ふ、不審……?」

「食べてすぐは俺と嬉々として話してるやつが、風呂に入れなんて言うのは変だと思っただけだ……それにお前、クローゼットをチラチラ見てたしな」

雪哉くんはボクを見下ろして、淡々と言う。
自然に装ってたつもりだった……それでも、バレていたんだ……。
 
「ご、ごめん……」

反射的に謝っていた。

「…………お前には、見られたくなかったのに」

俯く雪哉くんの表情は見えなかった。
けど、声色はひどく落ち込んでいた。

「ゆ、雪哉くん……もしかして、ボクとの約束覚えてるの?」

そのことをどうしても、確認したかった。

「……そうだと言ったら?」

目を伏せて雪哉くんは、はっきりと口にした。

「え……?じゃ、じゃあなんで……?」

立ち上がり、雪哉くんにすがる。

「覚えてるんだったら……なんで、迎えに来てくれなかったの?」

雪哉くんの顔がくしゃりと歪んだような気がした。

「ボク、手紙も待ってたんだよ?……毎日ポストをのぞいて、まだかなって……なのに、どうして?」

泣きそうになるのをぐっと堪えた。
今泣いたら、全部台無しになるから……。

「ねぇ、雪哉くん、どうして……?」

「迎えに行けるわけないだろ!」

初めて聞く、雪哉くんの怒鳴りだった。

「え……?」

「……こんな、姿になったやつに迎えに行く資格なんてないだろ!」

雪哉くんは両手に拳を作り、強く握る。

「俺の家……壊れたんだよ。お前がいなくなったあとに……離婚、知ってんだろ?」

「う、うん……秋平先輩から……噂だけど」

「あのおしゃべり野郎め……どんな噂か知らないけど、まぁだいたい合ってるよ。父さんと母さんは大喧嘩して離婚した」

「なんで……?」

おじさんとおばさん……あんなに仲が良かったのに……。

「……父さんは古い価値観の人でさ……女は家守ってろって人だった。逆に母さんは子育てが落ち着いたらキャリアを積みたいと思ってる人で……そんな違う考えの二人だからぶつかった……」

雪哉くんは深く、息を吐く。

「それで離婚が決まってさ……そっからは泥沼だったよ。俺の親権争いでさ」

「し、親権?」

それって確か……子どもを両親のどちらが引き取るかってやつ……だよね?

「両親どちらも俺を引き取りたがってたよ……いや、あれは欲しがってたの方が近いか……俺を勝ち札みたいにしてた。
『父さんと一緒に暮らそう』
『母さんと一緒に暮らしましょう』
……って毎日毎日、同じ顔、同じトーンで言うんだよ。
俺が頷くと、片方が問い詰めてきてさ……呪いの言葉みたいだった。
母さんなんて、裁判中だってのに俺を無理やり連れ帰ろうとしてさ……。ほぼ軟禁状態でしばらく暮らしてたんだぜ?笑えるだろ……?」

笑えないよ。
そう言いたかったのに、声が出なかった。

――沈黙が、しばらく続いた。
 
「……そんな毎日送ってるやつがさ、迎えに行くなんて言ったら、全部……嘘になるだろ」

雪哉くんの拳が震えていた。

「結局、それが決め手で父さんが親権得た。」

はっ、と吐き捨てるように雪哉くんは笑った。
 
「……その頃にはなにもかもどうでもよくなった。気づいたら鏡を見なくなって、食べるのも億劫になった。部屋も……誰も来なくなったから放ったらかしになっていった。
手紙も……こんな俺が出したら笑いもんだと思って出せなくなってた」

「……そんなことない。雪哉くんのこと笑う人なんて殴ってやるんだから」

「……優しいな、お前は。でもさ、見ろよこの姿」

雪哉くんは、下手くそな笑顔で腕を大きく広げる。
声はひどく震えていて、胸が締め付けられるようだ。

「ボサボサで、ボロボロだ。風呂なんて面倒で入らない日なんてザラ。髪なんていつ切ったかなんて覚えちゃいない……。服も、買いに行くのがダルくて久しく買ってない。こんなんで……お前を迎えに行くなんて……バカみたい、だろ……」

雪哉くんは苦痛に満ちた表情を浮かべる。
それを見た瞬間、ズキりと胸の奥がひどく痛んだ。
泣いてる……いつも強かった雪哉くんが……。
ボクとの約束のせいで……。

「……雪哉くん、ごめんなさい。ボクのせいでずっと苦しかったんだね」

「……謝るな、お前のせいじゃない。俺が弱かっただけだ」

「ううん……それでも謝らせて。雪哉くんボク、なんにも知らないのに雪哉くんのことを責めて……待ってたなんて言ってごめん。――あの約束、今のままじゃ果たせないよね」

「……そうだな……今の俺じゃ守れそうにない……諦めた方ががいい。俺には……無理だから」

「ううん。雪哉くんはもう頑張らなくていいんだよ。いっぱい頑張ったから……だから、約束の形を変えるね?――ボクが、君を迎えに行くよ」

「え……?」

雪哉くんが、信じられないものを見るみたいに目を瞬かせる。

「雪哉くんはボクにとってヒーローだった。……でも、ヒーローを待ってばかりじゃダメなんだね」

雪哉くんの手を、ぎゅっと握りしめる。
お風呂に入ったばかりなのに……ひどく冷たかった。

にこっと笑って、真正面から向き合う。

「泣いていいよ、''雪哉''」

握った手に、もう一度力を込める。

「ボクが、今日は拭ってあげる。だから、泣いてもいいよ?ボクがそばにいるからさ」

「その、言葉……」

雪哉くんが息を飲む。

「えへへ……覚えてる?昔、雪哉くんがボクに言ってくれた言葉……ボクの一生の宝物。それを今度は雪哉くんに渡すね」

くしゃりと、顔を雪哉くんは歪ませる。

「なんで……そんなこと……言うんだよ。そんなこと言われたら、お前にすがりたくなるだろ……」

「いいんだよ?すがっても」

ボクはその場に立ったまま、そっと腕を広げた。

「あの時のボクみたいに、抱きついて泣いてよ」

眉をきつく寄せたまま、唇を噛み締める雪哉くん。
泣きそうになるのを、必死に耐えているのがわかった。

「……いいのか?俺の方が、年上なのに」

「年上って……今更なに言ってるの?ほら、雪哉くん……来てよ」

腕を広げて、雪哉くんを待つ。
来てもいいよ、と言葉にしないまま問いかけるように。
雪哉くんは一瞬躊躇い、視線をチラチラとあらぬ方向へ向ける。
そして、一度だけ足を止めてから、ゆっくりとボクのところへ歩み寄り、胸に体を預けた。

「……母さんが、さ」

ぽつり、と雪哉くんは言葉を零す。

「夕飯の時……父さんに言ったんだ。『雪哉も大きくなったんだから私も働きたい』って」

胸に預けられた重みが、少しだけ重くなった。
ボクは答えずに、そっと背中に手を置いた。

「そしたら父さん、カンカンでさ……『女は家のことしてろ』って、そっからは醜い言い争いだよ。俺の言うことなんて聞く耳も持たずで……母さんは物を投げ飛ばして、リビングは滅茶苦茶になってた」

雪哉くんの声が、掠れている。
ボクはうんと頷くと、背中をゆっくりと撫でた。

「二階の自分の部屋で怯えてた……このまま、明日を迎えたらどうしようって……。でもさ、心のどこかで明日になったら父さんも母さんも……元に戻ってるって信じてたんだ」

「……信じるしか、ないもんね。子どもだったんだから」

言った瞬間、自分の喉が震えているのがわかった。
雪哉くんの肩がぴくりと震える。

「……それで、どうだったの?」

雪哉くんは、黙ったままだった。
息を詰まらせて、喉から必死に声を出そうとしていた。

「…………なにも変わってなかった。リビングには割れた食器が床に散らばってて……父さんも母さんも黙ったままで、冷えきっていた」

抱き締めてるはずなのに、雪哉くんの体は冬のように冷たい。
ボクの温もりをあげたくて、ぎゅっと強く抱き締める。

「そっから、ずっとそんな毎日で……」

雪哉くんの声が細くなる。

「父さんも帰りが遅くなって、母さんはいつもイライラしてた……俺がなにしても、悪い方向に転がって……」

ひゅ、と声が漏れる。喉の奥が鳴って、言葉が一度途切れた。

「……ある日、二人に呼び出されてさ」

雪哉くんの指が、ボクの服をきつく掴む。

「『離婚する』って……言われた。あぁ、やっぱそうかって……思った自分が嫌だった」

震える声で、続ける。
 
「そのあと父さんが『雪哉はもちろん父さんと一緒に暮らすよな』って言って……母さんが黙ってるわけなくて、また、大喧嘩」

雪哉くんの肩が、ぐらりと揺れた。

「バカみたいに言い争ってた。終いには、どっちと一緒に暮らすのかって……俺に、問い詰めてきた」

少しずつ、嗚咽のような音が聞こえてくる。
 
「その時……思ったんだよ。俺、なんのためにここにいるんだろうって……俺はあいつらの''証明''のためだけに、生きてたのかって……」

ボクの腕に、思わず力が入った。雪哉くんの指は、ボクの服を掴んだまま震えていた。
''大丈夫だよ''って言いたかった。
でも、喉になにかが張り付いたように声が出なかった。

「……父さんはさ」

言葉が、掠れて途切れる。
無意識かもしれないけど、雪哉くんがボクの匂いを吸っていた。
 
「家のこと、ほんとに見てなくてさ……リビングも台所も荒れてった。片付けても、キリがなかった」

苦しそうに笑う声が混じる。

「それ見てたら……自分のことがどうでもよくなってった。風呂に入るのも、身なりを整えるのも……全部」

雪哉くんの髪をゆっくり撫でる。
湯気の匂いはするのに、体温だけは冷たかった。

「生きているのが……嫌になっていった」

「……でも、今も生きてるよね?雪哉くん」

「それは……」

雪哉くんが、口を噤む。

「……お前がいるから」

息が止まった。