ヴァンパイア・ライフのすゝめ

この夏の一週間を私は弘前のイシワタリとサキの元で過ごすことにしていた。ねぷた祭りを終え、繁忙期を過ぎて落ち着きを取り戻している旅館の部屋でノートパソコンを開き、溜まった仕事を処理して過ごす日もあれば、弘前公園を散歩した後、雑誌に掲載されていた市内の有名なカフェで一日を終えることもあった。その日、私はサキを助手席に乗せて行く当てもなくアクセルを踏み続けていた。

「青森って、キリストの墓とかあるんでしょ」と私は言った。

「ある、ある、ピラミッドもあるよ、新郷村って言う処でさ、十和田湖の東かな。今向かってる方角とは別方向だけど」

「何それ、ピラミッドもあるんだ、青森ってミステリー・ゾーンだね、サキみたいなのが育つ訳だ」

「うちの旅館から西に行くと岩木山ってあるじゃない、あそこ、UFO出るんだよ」

「え、そうなの」

「私、子供の頃から何回か見たことあるよ。私が見た時にはオレンジ色の三機編隊でさ、ずっと見てたらこっちへ近付いて来たんだよね。途中で引き返しちゃったんだけどさ。で、その日の夜は他の人もそのUFOを同時に見てて、新聞にも乗ったんだよね」

「サキは結構UFOの話、詳しいじゃん、そのせいか。私なんか、ニューメキシコ州まで行ったのに、結局見てないよ」

「じゃあ、来年モモカが来た時に一緒にミステリー・ツアーしよう」とサキは言って、開け放たれていたフロントサイドウィンドウから吹き込む風に黒髪を顔に張り付かせながら笑った。

真夏の午後の曇り空の下、弘前市内を離れて車は国道七号線を北へと走る。視界の端に暴風雪柵(ぼうふうせつさく)が広がり始めると次第に信号が少なくなる。さらにハンドルの隙間から見える走行距離の数値が増え続けて行くと海が近づいてきたのか、湿度が高くなったように思えた。眼の前に広がる景色はいつの間にか潮の香りがする漁村に変化していた。

「私達、どの辺りを走ってるの」

「五所川原だね、十三湖がある」

「ふうん」

「しじみラーメンが有名なんだよ」

「食べたい」

やがて私は湖沿いにある観光バスが駐車できる広いスペースを持つ食堂の駐車場に車を停めた。スマートフォンに着信があった。アメコからだった。

「お前、今、何処よ、あのさ、LINEに画像送るから、見て」

(しばら)くして届いた画像は、あのアンドラ公国の教会の前に停まっている数台の警察の車両と、正面の扉の前で銃を構えた警官達に連れ出される黒いスーツ姿の男達、更に男性に抱きかかえられている若い女性が画像の端に見切れて入っていた。それは西洋の宗教画のように完璧に計算されたかのような構図だった。解像度は低かったものの、タッピングして女性を拡大すると、紺のパーカーにジーンズのそれは明らかに私の姿だった。その写真データと次に送られてきたパソコンの画面を直接撮影したと思われる画像は、アメコの友人のスペインのアーティストが、わざわざアンドラ国立図書館まで出向いて入手してくれたアーカイヴの新聞記事だった。それらを見た瞬間、欠落していたパズルのピースが収まるように私は全てを理解した。

* * *

スペイン語で書かれた記事を翻訳してくれたイシワタリによると、あの朝、教会ではフランスの麻薬販売組織の会合が行われており、突入した警官隊によりその場に居た密売人達は全員逮捕されたのだという。白い霧は催涙弾によるものであり、蝙蝠の羽搏きは、武装した警官隊が突入した際の黒革のブーツの動きと音のイメージだった。更にアメコの友人の意見では、右手首の二つの傷跡は倒れていた私の手首を警官隊が誤って踏みつけた際にできたタクティカルブーツの靴底の跡だろう、ということだった。蝙蝠の群れではない、私は警官隊に起こされたのだ。祭壇の男が蝙蝠の群れに包まれる姿は彼が確保される瞬間で、最後に見た赤と青の残像は、催涙ガスにより失神していた私が教会の外に運び出された際に無意識の中で瞼の内側に浴びた警察車両のサイレンの色だ。

周囲は大きな騒ぎになっていたのだろう。「アイナズ」の主人は朝食の準備をしていながらも宿を出て行く私に気が付いていて、巻き込まれていないかと心配になり教会に駆け付けたのだ。彼は救急隊に手当を受けていた私を見つけて無事を確認すると、抱きかかえて宿まで戻り、部屋のベッドに寝かせてくれたというのが事の顛末だ。恐らくその日の夕方に食堂でオーナー夫人が手首の治療を行ってくれた際に説明をしてくれたのだろうけれど、早口のスペイン語を私が理解できなかっただけだ。

その日の夜、私はアメコに御礼の電話を掛けた。

「お前さ、スペインの友達、今度日本に来るから、ちゃんと御持(おも)()ししなさいよ、まあ、本人は結構面白がって車を飛ばしてアンドラ公国まで行っちゃったみたいだから良いけどさ」

「了解」

「肌荒れのことさ、調べたんだけど、膠原病じゃないのかな、ちゃんと血液検査した方が良いと思う。知り合いのクリニック、紹介するから」

* * *

八月十六日の夕闇の中、イシワタリが旅館の玄関先にある石畳の庭先に直径三十センチ程の鉄皿を置き、その上に数本の小割材を並べた。旅館の夕食の鍋に使用する小さな水色の丸い着火剤を中心に潜らせ、マッチを擦り、火を点けた。やがて木材に燃え移り立ち昇った炎は、しゃがみ込んだままその揺らめきを見続ける私の眼の水分を優しく奪っていく。

「アンドラ公国って言えばさ、去年泊まりに来たスペインの大学生の女の子、四人組の中にアンドラ公国出身の()が居たよね」と私の隣に並んでしゃがみ込んでいるサキがイシワタリに言った。

「あ、そうだね、写真あるね、ちょっと待ってて」

イシワタリはフロントに戻り、スマートフォンをスワイプしながら戻って来た。「あ、この()ですね」と言って私に画面を見せた。旅館の前で撮影された、笑顔で並んだ四人の写真の一番右に金色の髪をした美しい女性が写っている。白いティーシャツの襟元にノーブランドのサングラスを挟んでいた。見間違えることはない、アイナだ。

「このサングラス、私がプレゼントしたやつ、へえ、大きくなったなあ。細胞分裂速過ぎないかな、何で弘前にいるのかな、アイナ、私の連絡先知ってる筈なのに、何だ、連絡してくれれば案内したのに」

「ここで、ねぷた祭りを観てから、東京に行って、京都を回るんだって。四人だったから遠慮したんじゃないの」

「そうかなあ」

そうだよ、と彼女は鉄製のトングを使い、熱くなった皿の脇に積まれていた小割材を一本、炎の中に追加して入れた。穏やかになっていた火が再びその勢いを取り戻す。「皆、ちゃんと歳を重ねてるんだよ」とサキは私の肩に頭を寄せた。学生時代から変わらない彼女のリンスの香りが、私の身体に染み付きつつあった焦げた匂いを追い払い、包み込んだ。

「モモカ、ちゃんと歳を取りなさい、別に悪いことじゃないわ」

「そうだね」

いつの間にか周りの景色には黒のフィルターが重ねられていて、送り火の明かりだけが世界を照らしていた。眼の前で炎が弾けた。闇の中に無数の火の粉が生まれる。それらは競い合うようにして空に舞い昇って行き、一つまた一つ闇に溶けていく。最後に残った一際(ひときわ)大きな火の粉はまるで蛍のように飛び回り、傍に立つイシワタリの頭上を越えて更に夜空を目指したけれど、やがてその光は夏夜の闇の中に消えて、命を終えた。