ロズウェルには予定通り午後一時に到着した。小さなバスターミナルのチケットブースには窓口が一つあり、中で受付の中年女性がゴシップ雑誌を読んでいる。彼女にこの近くのモーテルを探していることを伝えると、大通りを挟んだ向かい側にシビックセンターがあるからそこで尋ねると良いと教えてくれた。案内された方向に眼を向けると、東京のスーパーで売っている豆腐のプラスティックの容器を逆さまにした形の、学校の体育館ほどの大きさの白い建物があった。
入口の自動ドアを通ると、二人の若い金髪の女性が受付のカウンターテーブルの後ろで向かい合い会話をしていた。話しかけると共に電気が流れて、スイッチがオンになったアンドロイドを思わせる動作で姿勢を正し、二人同時に私の顔を見る。私は観光客でモーテルを探しています、と最早定番になってしまった台詞を言った。「ちょっと待ってて」と言って、右側に座っていた女性がバックステージからいくつかのモーテルのパンフレットを持って来た。どのモーテルも同じ宿泊料金だったので、ここから一番近いチェーンのモーテルに行ってみることにした。それから私は「ロズウェルのUFO墜落現場に行きたいのだけれど、誰か連れて行ってくれる人はいないかしら」と、彼女達に尋ねると、モーテルの案内をしてくれた右側の女性が「ああ、それならこの建物を出て、メインストリートを右手に十分ほど歩けばUFOミュージアムがあるから、そこで問い合わせてみるといいわ」と言い、左側の女性は首を縦に何度も振った。
* * *
サン・モーテルはシビックセンターからメインストリートを五分ほどの距離にあった。サンタフェの件があったので、宿探しにはもっと苦労するのではないかと覚悟していた分、拍子抜けしてしまった。街は通り沿いに雑貨店や中古車販売店などが数件あるけれど、東京と異なり有線のBGMが各店舗から氾濫している訳ではない。時折通過する車のエンジン音と、鋭く冷たい風が口笛を思わせる音を立てるくらいで、殆ど無音と言っても良かった。
二階建てのモーテルは一階と二階にそれぞれ八つの部屋があった。横長の建物には等間隔でスチール製のドアとアルミ枠の窓が並んでいて、私が東京で通勤に使っていた山手線の車両を思わせた。モーテルの並びに小さなログハウスがあり、そこが受付になっている。チェックイン後、突き出た腹を覆い隠すように大きなズボンを穿いた初老の男性スタッフが二階の部屋を案内してくれた。建物の端に設置された鉄製の外階段から二階のフロアに上る。彼はドアの前でカードキーの説明を終えると、重力に悪戯されて度々ずり落ちてくるズボンをたくし上げる動作を繰り返しながら階段を下り、ログハウスに戻って行く。
部屋に入って一通り設備を確認した後、洗面台に水を溜めて粉末の洗剤を溶かし、その中でこれまで着ていた下着を揉み洗いした。絞った後に布を両手で挟み叩くとアイロンを使わなくてもある程度は皺にならずに済む。後は折り畳み式の携帯用ハンガーに洗い終えた下着を掛け、カーテンのレールに吊るして乾燥させる。モモカは一人暮らししたことがないから知らないでしょ、と以前サキから教えて貰った方法だった。部屋はシャワー室とトイレが分かれていた。時計を見るとまだ十四時だったので、シャワーを浴びた後、新しい服に着替えてUFOミュージアムに行ってみることにした。
歩道の両脇には溶け残った雪が小さく積まれていた。ミュージアムに向かうにつれてメインストリートの両側に店舗が増えてきた。レストランの看板にはフォークとナイフを持った、灰色の肌に大きな頭と大きな黒い目をした宇宙人が描かれていたり、楽器店のショーウインドウの中には宇宙人のマネキンがドラムセットに陣取っている。円錐状の屋根のマクドナルドも見つけたけれど、これも宇宙船の形状を意識しているのかもしれない。
ロズウェルの街がミス・ポーラの言う通り、UFOと宇宙人を利用して観光地化されていると分かると、子供の頃に叔父から貰った誕生日プレゼントの箱を開けた時に、既に持っているオモチャを見付けてしまった記憶が不意に蘇ってきて、気が付くと何度目かの軽い溜息を漏らしていた。
* * *
廃館になった小さな映画館の建物を改修して運営されているミュージアムに着くと、今日は何かの記念日らしく無料開放されていた。館内は走り回る数人の子供の声が高い天井に反響して、屋内動物園の鳥類の檻の前で過ごしている錯覚を覚えた。展示物は当時の新聞や軍から発表された資料、ドキュメンタリー映画のポスター、解剖医が手術台に横たわる宇宙人の周りを取り囲む場面を再現したマネキンなどで構成されていたけれど、それが何かのテーマに沿った順番で示されている訳でもなさそうだった。映画館のスクリーン前の客席が全て撤去され、床にボルトの跡が残る広い空間に、不時着して破損したUFOの大きな模型が展示されている。
模型の隅にスタンド看板を見つけた。深緑色の盤面に黄色のチョークで「UFO墜落現場へ行きたい方はオフィスへ」というメッセージと、白いチョークで縁取られて強調された大きなピンク色の矢印が描かれていた。「オフィス」と書かれた小さなプレートがドアノブにぶら下がっている白いプレハブ小屋の中では、机に向かった老人が老眼鏡を額に乗せたまま何かの書類を確認している。老人が手にした書類の確認を終えて次の書類を探し始めたタイミングを見計らってドアをノックした。
ドアのガラス越しに老人と眼が合う。彼が手招きをしたので私はプレハブ小屋に入った。彼は小さな溜息を繰り返し、机の上の書類を片付けながら言った。
「君はジャパニーズかな」
イエス、と答えると老人は「じゃあ、墜落現場に行きたいんだね。インターネットでロズウェル事件や都市伝説でも配信しているのか」と、そんなことを考えている東洋人は日本人に決まっている、という口ぶりで言った。私は彼に同意した。
「ああ、いいよ、でも明日は雪かもしれないから、もし降らなければオーケーだ。雪が降ると現場に案内ができないんだよ。明日、晴れたら朝九時にここにおいで」
それから、と老人は机の引き出しから取り出した地図を広げた。人差し指でなぞりながら説明を始め、地図上の一点を差して「ミュージアムはここ」と言った。次に右に指を移動させ、その先に示した一点の周りで指先を回転させる。
「墜落現場はここ。ミュージアムからだと車で大体三十分くらいかな。現場は道路から外れた牧場の中でね、私有地なんで牧場のオーナーに許可を取らなきゃならないからな。彼に電話しておくよ。それから二十ドル貰うけど、いいかな。燃料代とガイド代だな」
老人は説明を終えた後、額に引っ掛かっていた老眼鏡をあるべき位置に戻し、私の顔から足元までをスキャンするように見た。そして初めて笑顔を見せて右手を差し出してきたので握手を交わした。私は「マイネームイズ、モモカ、明日はよろしくお願いします」と頭を下げると老人は「私はジョセフだ。ミュージアムの館長をしている」と眉毛を吊り上げて更に笑顔を作った。
* * *
モーテルに戻ると薄い壁越しに聞こえる隣部屋の宿泊客の大きな笑い声を聞きながら、マクドナルドで買ったビッグマックミールを口にした。テレビを点けるとコメディー番組が映り、隣部屋からの声が画面から聞こえる効果音の笑い声とシンクロしていたので、同じ番組を見ているのだと分かった。番組が終わると隣からは音が全く聞こえなくなったので、恐らく早々と寝てしまったのかもしれない。
トイレに入ると、目の高さに曇りガラスの小窓が付いていることに気が付いた。その窓を開けると冷たい空気が堰を外されて流れ込む川の水の勢いで入って来る。窓の外を覗くと左半分は隣の建物、右半分は野球のグラウンドが見えて、水銀灯の明かりの下でキャッチボールをしている十人ほどのユニフォーム姿が見えた。寒さで背筋に軽く痙攣が起きたので窓を閉めた。ベッドに入ると、サキの為に何かを手に入れられるのか、現実的に明確な当てもないままアメリカに来ている自分を発見してしまい、無力感という大きな波が押し寄せてきた。私はそれを締め切るように眼を閉じる。もしも、万が一本当にUFOの破片を手に入れることができたなら、彼女に何と言おうか。そんな微かな想像を抱くと身体が暖かくなり、そのまま眠りに落ちた。サキと最後に会ってから、もうすぐ三か月が経とうとしていた。
* * *
朝八時に窓のカーテンを開けると空は薄い水色で、雪も降っていなかった。車も人も疎らなメインストリートを通り、UFOミュージアムに向かう。指定された九時より少し前に建物に到着すると、まだ入口のドアが施錠されていたため、ミュージアムの向かいにある開店前の家具店の暗いショーウインドウを眺めたり、空を見上げては何か不審な物体が飛行していないかとも思い、眼を凝らしながら過ごしていた。
いつの間にか革のライダースジャケットを着た黒人女性が隣に並んでいた。細い脚にぴったりと貼りついたジーンズを履き、首に緩く赤いマフラーを巻き付けた彼女の姿は、まるでストリートスナップ撮影に登場しているファッション雑誌のモデルに見えた。彼女は正面の家具店のショーウインドウに飾られた、消灯している“OPEN”と描かれたネオンサインのあたりに眼を合わせたまま動かない。緩く曲がりくねった茶色い髪が鎖骨のあたりまで広がっていた。
背後から聞こえた金属音と共に入口の扉が開くと、女性スタッフが私達二人に中に入るように促した。UFOの模型の前を通り、昨日ジョセフと話したオフィスの裏に案内されると、そこにはスチール製の扉があり、ここで少し待っていて、と言って女性スタッフは去って行った。暫くすると扉が開き、グッドモーニング、と言いながらジョセフが顔を出した。扉の向こうはミュージアム裏の屋外駐車場に続いている。老人は赤いジープの後部座席のドアを開け、掌で扇ぐ仕草で私と黒人女性に車に乗るように導いた。
* * *
三人を乗せたジープはメインストリートを私が歩いて来た方向へと引き返す。マクドナルド、シビックセンター、サン・モーテルを順番に通過して行く。やがてフロントガラスに映るのはアスファルトの道路だけになった。視界の左右は乾燥した黄土色の大地の上に電信柱が等間隔で立っており、その間を黒く細い電線が垂れ下がっている。変化を見せない静止画の景色に飽きてきた頃、ジョセフは目印も何も無い場所でハンドルを突然左に回転させて、その黄土色の景色の中へ車を飛び込ませた。振り返って見たリアウインドウの先では車輪に巻き上げられた薄黄色の煙幕が視界を塞いでいる。
「あのさ、何でロズウェルに来たの」
黒人女性は私の方を何度か見た後、話しかけてきた。
「ああ、ええと、墜落現場で破片を探そうと思って」
彼女は大きな声で笑った後、クール、クールと言った。
「私はマリア。ヘルプするわ」
「モモカです。よろしく」
マリアはロサンゼルスに住むダンサー志望の大学生で一人旅の最中だった。小刻みに揺れる車の中で暫く続いていた沈黙を破るように、右の前輪が大きな石を撥ねて車体が左に傾く。彼女が上げた小さな悲鳴を合図に、更に大きく左右に揺れ続ける車内は私とマリアの叫び声で賑やかになった。
「ここは本来、車が通れる道じゃないんだ。酷い場所もあるから、何処かに掴まっていてくれ」
ジョセフが後部座席に顔を振り向けながら言った。途中からマリアは連続して起こる大きな衝撃がアトラクションに思えてきたようで笑いが止まらなくなってしまい、両腕を自分の腹に巻き付けながら、車の動きに合わせて顔を上に向けたり下に向けたり激しく動かし声を上げ続けている。アトラクションが終了すると車は比較的平坦な道を進むようになった。やがてジープは小高い丘の前で止まった。ジョセフは車を降りて後部座席のドアを開け、私達二人に降りるように促した。丘の隅には茶褐色の石を積み上げて作られた、高さ二メートルほどのオベリスクを思わせるオブジェが建てられている。
「こいつが目印なんだ」
老人はオベリスクに触り、次に丘の中腹のあたりに向かって右手を手刀の形にして何度か打ち付ける仕草を見せ、ここにUFOが突き刺さっていたんだ、と言った。マリアと一緒に示された丘の表面を暫く観察してみたけれど、全く何も発見できなかった。
「ミスター・ジョセフ、私、UFOの破片を見つけなければならないの」
ジョセフは両掌を胸の高さまで上げるジェスチャーをしながら「それは無理だな。破片は当時、大勢の軍隊がやって来て、全て拾ってしまったんだ。何しろ百人以上が横一列に並んで半径二キロ以上をクローリングしたからな」と言った。
まあ、好きにすればいい、と老人は呟いて両腕を後ろに組み、足元の小石を爪先で転がしながら丘の周りを散策し始めた。ねえ、探しましょう、とマリアが笑顔で私の背中に手を当てた。私とマリアは丘から続いている、明るい黄土色の地面に眼を凝らし続ける。時折変わった形状の鈍く光る塊が見つかるので、指先で摘まみ砂埃を払ってみるけれど、それらは全て石だった。日差しが強くなってきたので、ジープに置いていたリュックサックから折り畳まれたテンガロンハットを取り出してマリアに手渡した。
しゃがみ込み、延々と亀の歩みで移動を続ける私達二人にジョセフが近づいて来て、ゆっくりと口を開いた。
「ここに来る人間は皆、不穏な自分の未来を変えてくれる何かを求めているんだ。お前達と同じく破片や痕跡を探したり、自分が変わり者だと証明する為に記念写真を撮って帰る人もいる。だが、本当に考えなければならないのは墜落した機体の中に居た連中のことだ。我々人類はお互いに殺し合い、ただひたすらに争いを続けてきた。恐らく彼等はそんな凶暴な生物をずっと観察していて、背筋を凍らせていたのだろう」
私とマリアは動きを止めて老人の話に耳を傾けていた。私の眼には夜中に目を覚まし、布団の上で「怖い、怖い」と呼吸を荒げていたサキを抱き締め、長く黒い髪に沿ってゆっくりと頭を撫でていた自分の姿が映っていた。
「彼らからしたら猛獣だらけのサファリパークに裸同然で放り込まれたようなものだ。瀕死の彼らが感じたであろう恐怖を想像できるかい。案の定、我々は彼らの遺体を解剖し、切り刻んだ。機体を回収して技術を盗み、新たな兵器を開発し、更に戦いを続けようとしていたんだ。それは今も変わらないよ」
私達は彼らに何ができたのかしらね、とマリアが屈伸運動を行う動きで両膝に手を置き、立ち上がりながら言った。
「“神”はわざと彼らの機体を墜落させたのさ。それは人類への試験問題だったんだ。そして我々はクリア出来なかった。少なくとも生き残った乗員がいたのなら、我々はもっと優しく接するべきじゃなかったのかな」
老人は私にも理解できるように、口をゆっくりと動かし、単語をはっきりと区切って話し続けた。
「正義を、正しい世界を、などと言ってる奴らがこの世界には溢れていて、そいつらが自らの正義を振り翳し、お互いに争い、虐げ、殺戮している。無理だ。この世界で、本当に大切なことに気が付いている優しい人間達は子供だろうが大人だろうが皆、閉鎖病棟に入れられてしまう。平和な世界なんて夢のまた夢。それに“神”がまた試験をしてくれるかなんて誰にも分からない。もう二度とチャンスは無いかも知れない」
マリアが差し伸べた両手が私の眼の前にあった。彼女は私と手を結ぶと上体を引き起こしてくれた。炭酸水を注入されたように痺れていた両脚が次第に回復していく。
私は丘を背にして、水色と黄土色で上下半分に分割された世界を、ゆっくりと、その地平線の果てに向かい、何処までも歩き始めた。緩やかに流れていた風が止み、砂利と靴底との摩擦で起こる音だけがそこにあった。
いつしか私はサキと一緒に観た映画『ノスタルジア』を思い出していた。あの映画のラストシーンで主人公の男が広い浴場の端から端までを歩いた距離は、私にとって東京からロズウェルまでの行程のように思えた。私もあの男も、結局は何も得られないのだろうか。
やがて私は歩みを止めた。
違う、と思った。私達の人生は映画ではないのだ。次第に血液の流れが速度を上げ、身体中の細胞が悲鳴を上げた。
私は一刻も早くサキを迎えに行かなければならなかった。あなたはこの世界に存在しても良いのだから。
伝えたい言葉が、いくつも、いくつも、溢れ出した。
「探し物は見つかったかしら」
いつの間にか傍に立っていたテンガロンハットのマリアが微笑みを浮かべながら囁いた。
「そろそろ帰ろう」
遠くで叫ぶ老人の声が乾いた空気を震動させた。
風が再び吹き始めた。
入口の自動ドアを通ると、二人の若い金髪の女性が受付のカウンターテーブルの後ろで向かい合い会話をしていた。話しかけると共に電気が流れて、スイッチがオンになったアンドロイドを思わせる動作で姿勢を正し、二人同時に私の顔を見る。私は観光客でモーテルを探しています、と最早定番になってしまった台詞を言った。「ちょっと待ってて」と言って、右側に座っていた女性がバックステージからいくつかのモーテルのパンフレットを持って来た。どのモーテルも同じ宿泊料金だったので、ここから一番近いチェーンのモーテルに行ってみることにした。それから私は「ロズウェルのUFO墜落現場に行きたいのだけれど、誰か連れて行ってくれる人はいないかしら」と、彼女達に尋ねると、モーテルの案内をしてくれた右側の女性が「ああ、それならこの建物を出て、メインストリートを右手に十分ほど歩けばUFOミュージアムがあるから、そこで問い合わせてみるといいわ」と言い、左側の女性は首を縦に何度も振った。
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サン・モーテルはシビックセンターからメインストリートを五分ほどの距離にあった。サンタフェの件があったので、宿探しにはもっと苦労するのではないかと覚悟していた分、拍子抜けしてしまった。街は通り沿いに雑貨店や中古車販売店などが数件あるけれど、東京と異なり有線のBGMが各店舗から氾濫している訳ではない。時折通過する車のエンジン音と、鋭く冷たい風が口笛を思わせる音を立てるくらいで、殆ど無音と言っても良かった。
二階建てのモーテルは一階と二階にそれぞれ八つの部屋があった。横長の建物には等間隔でスチール製のドアとアルミ枠の窓が並んでいて、私が東京で通勤に使っていた山手線の車両を思わせた。モーテルの並びに小さなログハウスがあり、そこが受付になっている。チェックイン後、突き出た腹を覆い隠すように大きなズボンを穿いた初老の男性スタッフが二階の部屋を案内してくれた。建物の端に設置された鉄製の外階段から二階のフロアに上る。彼はドアの前でカードキーの説明を終えると、重力に悪戯されて度々ずり落ちてくるズボンをたくし上げる動作を繰り返しながら階段を下り、ログハウスに戻って行く。
部屋に入って一通り設備を確認した後、洗面台に水を溜めて粉末の洗剤を溶かし、その中でこれまで着ていた下着を揉み洗いした。絞った後に布を両手で挟み叩くとアイロンを使わなくてもある程度は皺にならずに済む。後は折り畳み式の携帯用ハンガーに洗い終えた下着を掛け、カーテンのレールに吊るして乾燥させる。モモカは一人暮らししたことがないから知らないでしょ、と以前サキから教えて貰った方法だった。部屋はシャワー室とトイレが分かれていた。時計を見るとまだ十四時だったので、シャワーを浴びた後、新しい服に着替えてUFOミュージアムに行ってみることにした。
歩道の両脇には溶け残った雪が小さく積まれていた。ミュージアムに向かうにつれてメインストリートの両側に店舗が増えてきた。レストランの看板にはフォークとナイフを持った、灰色の肌に大きな頭と大きな黒い目をした宇宙人が描かれていたり、楽器店のショーウインドウの中には宇宙人のマネキンがドラムセットに陣取っている。円錐状の屋根のマクドナルドも見つけたけれど、これも宇宙船の形状を意識しているのかもしれない。
ロズウェルの街がミス・ポーラの言う通り、UFOと宇宙人を利用して観光地化されていると分かると、子供の頃に叔父から貰った誕生日プレゼントの箱を開けた時に、既に持っているオモチャを見付けてしまった記憶が不意に蘇ってきて、気が付くと何度目かの軽い溜息を漏らしていた。
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廃館になった小さな映画館の建物を改修して運営されているミュージアムに着くと、今日は何かの記念日らしく無料開放されていた。館内は走り回る数人の子供の声が高い天井に反響して、屋内動物園の鳥類の檻の前で過ごしている錯覚を覚えた。展示物は当時の新聞や軍から発表された資料、ドキュメンタリー映画のポスター、解剖医が手術台に横たわる宇宙人の周りを取り囲む場面を再現したマネキンなどで構成されていたけれど、それが何かのテーマに沿った順番で示されている訳でもなさそうだった。映画館のスクリーン前の客席が全て撤去され、床にボルトの跡が残る広い空間に、不時着して破損したUFOの大きな模型が展示されている。
模型の隅にスタンド看板を見つけた。深緑色の盤面に黄色のチョークで「UFO墜落現場へ行きたい方はオフィスへ」というメッセージと、白いチョークで縁取られて強調された大きなピンク色の矢印が描かれていた。「オフィス」と書かれた小さなプレートがドアノブにぶら下がっている白いプレハブ小屋の中では、机に向かった老人が老眼鏡を額に乗せたまま何かの書類を確認している。老人が手にした書類の確認を終えて次の書類を探し始めたタイミングを見計らってドアをノックした。
ドアのガラス越しに老人と眼が合う。彼が手招きをしたので私はプレハブ小屋に入った。彼は小さな溜息を繰り返し、机の上の書類を片付けながら言った。
「君はジャパニーズかな」
イエス、と答えると老人は「じゃあ、墜落現場に行きたいんだね。インターネットでロズウェル事件や都市伝説でも配信しているのか」と、そんなことを考えている東洋人は日本人に決まっている、という口ぶりで言った。私は彼に同意した。
「ああ、いいよ、でも明日は雪かもしれないから、もし降らなければオーケーだ。雪が降ると現場に案内ができないんだよ。明日、晴れたら朝九時にここにおいで」
それから、と老人は机の引き出しから取り出した地図を広げた。人差し指でなぞりながら説明を始め、地図上の一点を差して「ミュージアムはここ」と言った。次に右に指を移動させ、その先に示した一点の周りで指先を回転させる。
「墜落現場はここ。ミュージアムからだと車で大体三十分くらいかな。現場は道路から外れた牧場の中でね、私有地なんで牧場のオーナーに許可を取らなきゃならないからな。彼に電話しておくよ。それから二十ドル貰うけど、いいかな。燃料代とガイド代だな」
老人は説明を終えた後、額に引っ掛かっていた老眼鏡をあるべき位置に戻し、私の顔から足元までをスキャンするように見た。そして初めて笑顔を見せて右手を差し出してきたので握手を交わした。私は「マイネームイズ、モモカ、明日はよろしくお願いします」と頭を下げると老人は「私はジョセフだ。ミュージアムの館長をしている」と眉毛を吊り上げて更に笑顔を作った。
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モーテルに戻ると薄い壁越しに聞こえる隣部屋の宿泊客の大きな笑い声を聞きながら、マクドナルドで買ったビッグマックミールを口にした。テレビを点けるとコメディー番組が映り、隣部屋からの声が画面から聞こえる効果音の笑い声とシンクロしていたので、同じ番組を見ているのだと分かった。番組が終わると隣からは音が全く聞こえなくなったので、恐らく早々と寝てしまったのかもしれない。
トイレに入ると、目の高さに曇りガラスの小窓が付いていることに気が付いた。その窓を開けると冷たい空気が堰を外されて流れ込む川の水の勢いで入って来る。窓の外を覗くと左半分は隣の建物、右半分は野球のグラウンドが見えて、水銀灯の明かりの下でキャッチボールをしている十人ほどのユニフォーム姿が見えた。寒さで背筋に軽く痙攣が起きたので窓を閉めた。ベッドに入ると、サキの為に何かを手に入れられるのか、現実的に明確な当てもないままアメリカに来ている自分を発見してしまい、無力感という大きな波が押し寄せてきた。私はそれを締め切るように眼を閉じる。もしも、万が一本当にUFOの破片を手に入れることができたなら、彼女に何と言おうか。そんな微かな想像を抱くと身体が暖かくなり、そのまま眠りに落ちた。サキと最後に会ってから、もうすぐ三か月が経とうとしていた。
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朝八時に窓のカーテンを開けると空は薄い水色で、雪も降っていなかった。車も人も疎らなメインストリートを通り、UFOミュージアムに向かう。指定された九時より少し前に建物に到着すると、まだ入口のドアが施錠されていたため、ミュージアムの向かいにある開店前の家具店の暗いショーウインドウを眺めたり、空を見上げては何か不審な物体が飛行していないかとも思い、眼を凝らしながら過ごしていた。
いつの間にか革のライダースジャケットを着た黒人女性が隣に並んでいた。細い脚にぴったりと貼りついたジーンズを履き、首に緩く赤いマフラーを巻き付けた彼女の姿は、まるでストリートスナップ撮影に登場しているファッション雑誌のモデルに見えた。彼女は正面の家具店のショーウインドウに飾られた、消灯している“OPEN”と描かれたネオンサインのあたりに眼を合わせたまま動かない。緩く曲がりくねった茶色い髪が鎖骨のあたりまで広がっていた。
背後から聞こえた金属音と共に入口の扉が開くと、女性スタッフが私達二人に中に入るように促した。UFOの模型の前を通り、昨日ジョセフと話したオフィスの裏に案内されると、そこにはスチール製の扉があり、ここで少し待っていて、と言って女性スタッフは去って行った。暫くすると扉が開き、グッドモーニング、と言いながらジョセフが顔を出した。扉の向こうはミュージアム裏の屋外駐車場に続いている。老人は赤いジープの後部座席のドアを開け、掌で扇ぐ仕草で私と黒人女性に車に乗るように導いた。
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三人を乗せたジープはメインストリートを私が歩いて来た方向へと引き返す。マクドナルド、シビックセンター、サン・モーテルを順番に通過して行く。やがてフロントガラスに映るのはアスファルトの道路だけになった。視界の左右は乾燥した黄土色の大地の上に電信柱が等間隔で立っており、その間を黒く細い電線が垂れ下がっている。変化を見せない静止画の景色に飽きてきた頃、ジョセフは目印も何も無い場所でハンドルを突然左に回転させて、その黄土色の景色の中へ車を飛び込ませた。振り返って見たリアウインドウの先では車輪に巻き上げられた薄黄色の煙幕が視界を塞いでいる。
「あのさ、何でロズウェルに来たの」
黒人女性は私の方を何度か見た後、話しかけてきた。
「ああ、ええと、墜落現場で破片を探そうと思って」
彼女は大きな声で笑った後、クール、クールと言った。
「私はマリア。ヘルプするわ」
「モモカです。よろしく」
マリアはロサンゼルスに住むダンサー志望の大学生で一人旅の最中だった。小刻みに揺れる車の中で暫く続いていた沈黙を破るように、右の前輪が大きな石を撥ねて車体が左に傾く。彼女が上げた小さな悲鳴を合図に、更に大きく左右に揺れ続ける車内は私とマリアの叫び声で賑やかになった。
「ここは本来、車が通れる道じゃないんだ。酷い場所もあるから、何処かに掴まっていてくれ」
ジョセフが後部座席に顔を振り向けながら言った。途中からマリアは連続して起こる大きな衝撃がアトラクションに思えてきたようで笑いが止まらなくなってしまい、両腕を自分の腹に巻き付けながら、車の動きに合わせて顔を上に向けたり下に向けたり激しく動かし声を上げ続けている。アトラクションが終了すると車は比較的平坦な道を進むようになった。やがてジープは小高い丘の前で止まった。ジョセフは車を降りて後部座席のドアを開け、私達二人に降りるように促した。丘の隅には茶褐色の石を積み上げて作られた、高さ二メートルほどのオベリスクを思わせるオブジェが建てられている。
「こいつが目印なんだ」
老人はオベリスクに触り、次に丘の中腹のあたりに向かって右手を手刀の形にして何度か打ち付ける仕草を見せ、ここにUFOが突き刺さっていたんだ、と言った。マリアと一緒に示された丘の表面を暫く観察してみたけれど、全く何も発見できなかった。
「ミスター・ジョセフ、私、UFOの破片を見つけなければならないの」
ジョセフは両掌を胸の高さまで上げるジェスチャーをしながら「それは無理だな。破片は当時、大勢の軍隊がやって来て、全て拾ってしまったんだ。何しろ百人以上が横一列に並んで半径二キロ以上をクローリングしたからな」と言った。
まあ、好きにすればいい、と老人は呟いて両腕を後ろに組み、足元の小石を爪先で転がしながら丘の周りを散策し始めた。ねえ、探しましょう、とマリアが笑顔で私の背中に手を当てた。私とマリアは丘から続いている、明るい黄土色の地面に眼を凝らし続ける。時折変わった形状の鈍く光る塊が見つかるので、指先で摘まみ砂埃を払ってみるけれど、それらは全て石だった。日差しが強くなってきたので、ジープに置いていたリュックサックから折り畳まれたテンガロンハットを取り出してマリアに手渡した。
しゃがみ込み、延々と亀の歩みで移動を続ける私達二人にジョセフが近づいて来て、ゆっくりと口を開いた。
「ここに来る人間は皆、不穏な自分の未来を変えてくれる何かを求めているんだ。お前達と同じく破片や痕跡を探したり、自分が変わり者だと証明する為に記念写真を撮って帰る人もいる。だが、本当に考えなければならないのは墜落した機体の中に居た連中のことだ。我々人類はお互いに殺し合い、ただひたすらに争いを続けてきた。恐らく彼等はそんな凶暴な生物をずっと観察していて、背筋を凍らせていたのだろう」
私とマリアは動きを止めて老人の話に耳を傾けていた。私の眼には夜中に目を覚まし、布団の上で「怖い、怖い」と呼吸を荒げていたサキを抱き締め、長く黒い髪に沿ってゆっくりと頭を撫でていた自分の姿が映っていた。
「彼らからしたら猛獣だらけのサファリパークに裸同然で放り込まれたようなものだ。瀕死の彼らが感じたであろう恐怖を想像できるかい。案の定、我々は彼らの遺体を解剖し、切り刻んだ。機体を回収して技術を盗み、新たな兵器を開発し、更に戦いを続けようとしていたんだ。それは今も変わらないよ」
私達は彼らに何ができたのかしらね、とマリアが屈伸運動を行う動きで両膝に手を置き、立ち上がりながら言った。
「“神”はわざと彼らの機体を墜落させたのさ。それは人類への試験問題だったんだ。そして我々はクリア出来なかった。少なくとも生き残った乗員がいたのなら、我々はもっと優しく接するべきじゃなかったのかな」
老人は私にも理解できるように、口をゆっくりと動かし、単語をはっきりと区切って話し続けた。
「正義を、正しい世界を、などと言ってる奴らがこの世界には溢れていて、そいつらが自らの正義を振り翳し、お互いに争い、虐げ、殺戮している。無理だ。この世界で、本当に大切なことに気が付いている優しい人間達は子供だろうが大人だろうが皆、閉鎖病棟に入れられてしまう。平和な世界なんて夢のまた夢。それに“神”がまた試験をしてくれるかなんて誰にも分からない。もう二度とチャンスは無いかも知れない」
マリアが差し伸べた両手が私の眼の前にあった。彼女は私と手を結ぶと上体を引き起こしてくれた。炭酸水を注入されたように痺れていた両脚が次第に回復していく。
私は丘を背にして、水色と黄土色で上下半分に分割された世界を、ゆっくりと、その地平線の果てに向かい、何処までも歩き始めた。緩やかに流れていた風が止み、砂利と靴底との摩擦で起こる音だけがそこにあった。
いつしか私はサキと一緒に観た映画『ノスタルジア』を思い出していた。あの映画のラストシーンで主人公の男が広い浴場の端から端までを歩いた距離は、私にとって東京からロズウェルまでの行程のように思えた。私もあの男も、結局は何も得られないのだろうか。
やがて私は歩みを止めた。
違う、と思った。私達の人生は映画ではないのだ。次第に血液の流れが速度を上げ、身体中の細胞が悲鳴を上げた。
私は一刻も早くサキを迎えに行かなければならなかった。あなたはこの世界に存在しても良いのだから。
伝えたい言葉が、いくつも、いくつも、溢れ出した。
「探し物は見つかったかしら」
いつの間にか傍に立っていたテンガロンハットのマリアが微笑みを浮かべながら囁いた。
「そろそろ帰ろう」
遠くで叫ぶ老人の声が乾いた空気を震動させた。
風が再び吹き始めた。



