ロズウェルにUFOの破片を探しに行った件

ユナイテッド航空のサンフランシスコ行きは二〇一九年三月二十日の午後四時五十分に成田空港を離陸した。窓側の座席だったので空を眺めることができた。電車の窓から見える景色に高揚していた幼い頃の記憶が蘇ってくる。少し開いた車窓から吹き込む風に飛ばされて、車内を転がり続ける私の小さな麦藁帽子を父親が追う白昼夢を見た。

黒人女性のキャビンアテンダントが、通路を挟んだ席に座る白人の少年が注文したジュースを運んできた。彼女はオレンジ色の液体が入ったプラスティックの容器をテーブルに置き、笑顔で少年に小さな玩具を手渡す。振り返り、私と眼を合わせると人差し指を唇に当てる仕草の後、テーブルに小さなトランプの箱を置いて行った。二十五歳になっても友人達からは、陶器というよりもまるで求肥(ぎゅうひ)みたいな肌だ、と揶揄(からか)われていたくらいなので、子供と勘違いされたのかもしれない。

機内はアルコールが自由に提供されていたので、別の白人女性のキャビンアテンダントにワインとビールを何度か注文していると、先程の黒人女性がワインのミニボトルを持って来て言った。

「御免なさい、お若く見えたものだから」

彼女はワインをテーブルに置き「トランプは差し上げます」と言って戻っていった。三杯目のワインを食道に通過させる。紫色の液体が胃酸と混じって発熱を始めると、次第に血流の速度が上がり始め、やがて両眼の焦点が合わなくなってくる。

「あのさ、前、西麻布のバーでドッグズ・ノーズを三杯飲まされて瀕死の状態で私の家に来たじゃない、モモカに死なれたら困るよ」

脳裏に聞こえたサキの声に従い、アルコールを切り上げてコーヒーを注文したけれど、その後の記憶がなくなっていた。次に気が付いた時にはテーブルの上に冷めたコーヒーが残されていて、身体には毛布が掛けられていた。

* * *

サキと過ごす週末の夜は、彼女のアパート近くのレンタルビデオ店に行き、お互いが見たい映画を借りてくるという習慣があった。どちらかが疲れていたり、或いは内容が退屈で鑑賞中に寝てしまっても文句は言わない、というルールを決めていた。その夜に彼女が選んだのはアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』で、私はスティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』だった。『ノスタルジア』は私が在学していた美術大学の友人達の間でも有名な作品で、映画好きの同級生にも度々勧められていたので良い機会だと思った。『未知との遭遇』は子供の頃にテレビの映画番組枠で何度か放送されていて、見逃していたので今更ながら触手が動いたのだ。

二人で洗濯したばかりのシーツを柔軟剤の薔薇の香りを撒き散らしながら布団に張り、その上に腹這いになった。枕元に置いたポテトチップスを摘まみながら穏やかに点滅を繰り返すモニターを眺める。時折スナックを噛み砕く音が台詞に覆い被さるけれど字幕なので気にならない。一本目の『ノスタルジア』が終わると、デッキの口から自動的にディスクが吐き出されてきた。サキは枕代わりにした自分の右腕の上に頭を乗せ、彼女の左側に寝そべる私を見つめながら話しかけてくる。

「最後さ、狂人というか老人がさ、温泉が湧いてる結構広いプールみたいな浴場の端から端までを、蠟燭の火を消さないで、灯したまま渡り切れば世界は救われるからって、主人公の男に蝋燭を手渡して、それを託したじゃん。で、映画の最後に男はそれを実行したけどさ、でも肝心の浴場はその日は清掃中でお湯が空っぽだったじゃん。だから、ほら、主人公はさ、服を着たまま普通に歩いて、まあ、途中で風に邪魔されて何回か蠟燭の火が消えたりするけど、最後には端から端まで渡りきったから、一応、成功したっていうことにはなるんだろうけどさ」

映画の前半に、湯が張られている浴場では煙草の火でさえすぐに消えてしまう、という模写があったことを思い出した。私は「お湯が入ってないんだったら何だか片手落ちっていうか、結局世界は救われない、まあ、比喩みたいな感じなのかな」と返事をした。

そうそう、と彼女は身体を回転させ、うつ伏せに寝ている私の下半身に脚を巻き付けた後、首に腕を回して私の右肩に唇を軽く押し当てた。

「ねえ、『未知との遭遇』観ようよ」

サキは逆方向に身体を回転させ私の身体から離れて、腕立て伏せをするように上半身を起こし、這い歩きながらビデオデッキに辿り着くとディスクの交換を手際よく進める。「結局、平和な世界なんて、この先もずっと来ないのかもね」と、再生を始めた画面に映るコロンビア・ピクチャーズのロゴを眺めながら、私の口が勝手に言葉を発していた。

布団の上に戻ったサキは「人類が仲良く平和に暮らす世界なんて、もう、ロズウェルで墜落したUFOの破片を見つけちゃうくらい、可能性は無いってことっす」と言い、パチンコ台の開いたプラスティック製のチューリップの花弁の形に広げた掌の上に顎を乗せて画面を観ている。

映画のエンドロールで『星に願いを』の旋律が流れていた。サキは枕元のポテトチップスの袋の中を覗き込み、空になっていることを確認すると袋を丁寧に小さく折り畳み、台所のゴミ箱に捨てに行った。布団に戻った彼女は仰向けになり、両腕を天井に向かって差し出したまま固まっている。私はエンドクレジットを眺めながら、奥歯の窪みに詰まったポテトチップスの残骸を舌先で掘り起こして味わい、口の中に溜まっていた塩味の唾液を絡め取っている。サキは「あ、歯、磨いてない」と言って垂直に伸ばした腕を振り、勢いを付けて起き上がり洗面所に消えた。

* * *

サキは美術大学の同学年で、私は絵画科で彼女は映画学科だった。彼女とは大学で映画撮影の課題の手伝いをしていた絵画科の友人に駆り出された現場で出会った。切れ長の眼と鎖骨のあたりまで伸びたストレートの黒髪が印象的で、眉毛のすぐ上で一直線に切り揃えられた前髪がまるでドイツ軍のヘルメットだと周りに揶揄(からか)われていた。線の細い体形はバレリーナを思わせる。撮影の休憩中に彼女と挨拶を交わしてから、好きな映画の話、美術や文学、音楽について話し始めると、遠く離れて暮らす幼馴染と(ようや)く電話回線が繋がった感覚に包まれ、次々と洪水の如く言葉が溢れ出して会話が止まらなくなってしまい、撮影が終わってからも二人でファミリーレストランに移動して、お互いの二十年ほどの短い歴史を深夜まで話し続けた。

彼女は青森の弘前の出身で、元々友人も少なく、中学生までは弘前城の公園のベンチで小説を読んで過ごしていたらしい。高校に進学すると映画に興味を持ち、専ら近所のレンタルビデオ店で端からDVDを借りていったそうだ。上京後は大学に通いながら渋谷のミニシアターでヨーロッパの映画を観たり、下北沢の小劇場で無名の劇団の芝居を鑑賞したり、という生活を送っていた。

サキが課題で制作した映画の打ち上げに参加した夜、終電を逃した実家暮らしの私を彼女が自分のアパートに泊めてくれて以来、週末の夜は一緒に過ごすようになった。「モモカさん」と呼ぶ声も「モモカ」に変わっていった。ある夜に、私は隣で身体を横たえていた彼女の激しい呼吸音で眼を覚ました。

「怖い、怖い」

私はサキの(うな)されている身体を抱きかかえて上体を起こし「大丈夫、大丈夫」と背骨に沿って掌を上下に動かし彼女を温める。呼吸の波が穏やかになると、彼女は高校二年生の時に入院していたことを話し始めた。時折他の人には見えない、動く影らしきものが見えてしまったり、真夜中に周りから大勢の声や聴いたこともない歌が聞こえてきて、そのまま朝まで眠れなくなってしまうのだった。その他にもテレビで殺人や事故、戦争のニュースを見ると体調が悪くなり、学校を休むことになってしまう。心配した両親が病院に連れて行き、(しばら)くの間投薬治療とカウンセリングを続けたけれど改善せず、入院することになった。退院後、自宅療養を経て復学したものの、一学年留年した影響で上手く友人を作ることも難しくなってしまった。テレビを観なくなった彼女は、借りてきたDVDで頻繁に映画を観るようになった。またある時には布団の上で胡坐(あぐら)をかきながら、中空の一点を見つめながら言った。

「あのね、私、両親が教師で、入学した高校にお父さんが務めてたの。で、私、それが嫌だったからお父さんに他の学校に移って、ってお願いしたんだ。そうしたらお父さん、他の高校に異動してくれて。でもお父さん、私の高校では人気があったみたいで、上手くやってたのよね。でも異動先の高校では難しかったみたいで、いつも不機嫌だった」

悪いことしたなって、いつも思ってる、と腫れて膨らんだ瞼を動かすと、睫毛に溜まった涙が溢れ落ち、眼尻から頬骨の形に沿って筋を作っていく。暫くして落ち着いた彼女は鏡を見ながら、蝸牛(かたつむり)が這った跡みたい、と顔を左右に動かし鈍く光を残した筋跡を部屋の明かりに反射させて少し笑った。

* * *

大学を卒業して、私は企業のホームページやイベント広報用のデータを手掛ける会社に入社してデザインを担当していた。サキは映画の配給会社で広報の部署に配属されていた。今年に入り、抱えていたプロジェクトの納期に追われてサキとは三週間、会うことができなかった。度々連絡を取ってはいたけれど、携帯のスピーカー越しの彼女は元気がなく、元々の小さな声に加えて発する言葉の語尾の音が更に小さくなり、聞き取れなくなることが次第に増えていった。そして二月を過ぎた頃には電話を掛けても繋がらなくなった。私は頭皮から急激に汗が蒸発する感覚を覚え、何かあればすぐにでも駈けつけられるのだから大した問題にはならないだろうと考えていた自分の甘さに腹が立った。

電話番号を控えていた彼女の弘前の実家に連絡を取ると、母親が電話口に出た。サキは体調を崩して弘前に戻っていて、勤務先の会社は回復の様子を見て難しいようであれば退職する方向だということ、それから私から電話があっても取り次がないで欲しい、と言われていると話してくれた。

「何だか、サキみたいな子は、この世界では生き(づら)いのかもしれないね」

会話の最後に、母親が何かを諦めている様子で呟いた。

* * *

二月末に手掛けていたプロジェクトの納品を済ませると私は会社を辞めた。大学の先輩が起ち上げたベンチャーが軌道に乗り、誘われていたので四月から転職することにしたのだ。しかし何よりもサキを心配していた私は、三月一杯を彼女の為に使おうと考えていた。彼女の部屋へ合鍵を使って入ると、いつも私が訪れる時と何も変わらない、適度に整理整頓された空間が眼の前にあった。小さなテーブルの上に空になったポテトチップスの袋が残されている。普段の彼女であればゴミ箱に捨てる筈なので最後に菓子を食べ、そのまま衝動的に弘前に帰郷してしまったのかもしれない。

私は両親に転職することになったので、(しばら)くの間は何も考えずに休みたいから放っておいて欲しいと頼んだ。この数日は全く何も手に付かず、腕を組み、空間認識機能を抜き取られた掃除ロボットを思わせる動作で部屋の中をぶつかり歩いては、ベッドの上に倒れ込んでしまう。食事と排泄以外は部屋から出ることがなかった。

その夜、仰向けに身体を投げ出していたベッドから、天井の壁紙に染み付いた汚れの輪郭を眼で追っていると、太平洋の向こうの見慣れた大陸の形状に見えてきた。サキが幸せに生きて行ける世界は何処にあるのだろう。彼女がその世界で生きて行ける為の、証明書、免罪符を手に入れたかった。最早冗談じみた方法でも、何でも良かった。三月の二週目の月曜日、私はアメリカ行きの航空券を手配した。