あのサボりの翌日は、当然ながら担任や生活指導担当にこっぴどく叱られた。
それでも、俺の日ごろの行いと『担任から夜月のことを頼まれていた』という事実が免罪符となり、反省文と罰掃除で済ませてもらえることになった。
数日が経ち、夜月のほうに明らかな変化が現れた。
その日の数学の授業中、ふと最後列の席に目をやった。
いつもなら机に伏しているはずの夜月が、顔を上げて黒板を眺めていたのだ。ペンを握ってノートを取る様子はややぎこちない。けれど、確実に《こちら側》に自分の足で立ち始めていた。
「夜月、さっきの問題分かった?」
「……さっぱり。宇宙語かと思った」
休み時間に声をかけると、夜月は不機嫌そうに鼻を鳴らしたけれど、その目は眠気で淀んではいなかった。
「……最近あんまり眠くならないんだ。昼間起きてるほうが、夢を見るより疲れるんだけどさ」
「そうなのか?」
「あの海でのことを、ずっと考えてた。……現実のことを考えてると、眠れなくなるんだね」
夜月が、ふっと笑った。
夢の中の不敵な笑みじゃない。少しだけはにかんだような、年相応の笑顔。
「じゃあ、あとで今日のところ教えてやるよ」
放課後のファミレスで、俺たちはそれぞれ問題集とノートを開く。
俺は数学の解き方を教えてやり、夜月がうんうん唸りながら問題に取りかかるのを見届けると、俺もノートにペンを走らせた。
「君は何を書いてるの?」
「……これは、文化祭の劇の脚本」
「劇?」
今年の文化祭で、クラスの出し物は演劇に決まっていたのだ。夜月は今までホームルームもずっと寝ていたから、知らないのも無理はない。
「もしかして押しつけられて断れなかったとか?ほんと優等生は大変だね」
「うるせえよ、邪魔すんな」
とはいえ、ほぼ図星なのだから言い返せない。
すると夜月は正面の席から手を伸ばしてノートを取り上げて、俺の書きかけの脚本を読み始めた。
「……ねえ、このシーン。なんで王子は急に立ち止まるの?」
夜月がグラスの氷をカラカラと鳴らしながら、あるページを指さした。
内容は、王子が正しい選択を迫られるというありがちな童話風ファンタジー物で、王位継承か己の自由かを選ぶクライマックスのシーンだ。
「そりゃ、ここで葛藤を見せないと物語が成立しないだろ。王子としての責任とか、正しさとか……」
「つまんない。真面目なのは君だけで十分だよ」
夜月は俺のペンも奪うと、余白にさらさらと何かを書き込んでいく。
「ここで王子は自分の影を切り離して、影と一緒に夜の街に遊びに行っちゃうんだ。責任なんて全部放り出して、朝までダンスするの」
「……それ、ストーリーとしてめちゃくちゃじゃないか?」
「でもワクワクするでしょ?正しいだけの話は誰も救わないよ」
そう言ってさらにペンを動かし続ける。
夜月が紡ぐ物語は、支離滅裂で幻想的で、でも心臓がぎゅっと掴まれるほど自由だった。
「……悔しいけど、夜月のアイデアは最高に面白い」
「ちゃんと原稿料もらうからね」
夜月はストローを噛みながら、照れくさそうにそっぽを向いた。
「君に言われるとさ、本当にそうなんじゃないかって気がしてくる。……夢の中ではひとりでなんでも作れたけど、誰かに面白いって言ってもらえるのって……変な感じがする」
ドリンクバーを何度もおかわりしながら、日が暮れるまで語り合った。
窓の外がゆっくりと暗くなっていく中でも、俺たちはハイテンションで「このセリフはもっと叫ぶべきだ!」とか「ここで爆発シーンを入れたい」とか、実現不可能なことばかりを言って笑い転げた。
現実って、こんなに賑やかで、不完全で、愛おしいものだったのか。
夜月の横顔を見ながら、俺は心の中であの退屈だった自分に別れを告げた。
それでも、俺の日ごろの行いと『担任から夜月のことを頼まれていた』という事実が免罪符となり、反省文と罰掃除で済ませてもらえることになった。
数日が経ち、夜月のほうに明らかな変化が現れた。
その日の数学の授業中、ふと最後列の席に目をやった。
いつもなら机に伏しているはずの夜月が、顔を上げて黒板を眺めていたのだ。ペンを握ってノートを取る様子はややぎこちない。けれど、確実に《こちら側》に自分の足で立ち始めていた。
「夜月、さっきの問題分かった?」
「……さっぱり。宇宙語かと思った」
休み時間に声をかけると、夜月は不機嫌そうに鼻を鳴らしたけれど、その目は眠気で淀んではいなかった。
「……最近あんまり眠くならないんだ。昼間起きてるほうが、夢を見るより疲れるんだけどさ」
「そうなのか?」
「あの海でのことを、ずっと考えてた。……現実のことを考えてると、眠れなくなるんだね」
夜月が、ふっと笑った。
夢の中の不敵な笑みじゃない。少しだけはにかんだような、年相応の笑顔。
「じゃあ、あとで今日のところ教えてやるよ」
放課後のファミレスで、俺たちはそれぞれ問題集とノートを開く。
俺は数学の解き方を教えてやり、夜月がうんうん唸りながら問題に取りかかるのを見届けると、俺もノートにペンを走らせた。
「君は何を書いてるの?」
「……これは、文化祭の劇の脚本」
「劇?」
今年の文化祭で、クラスの出し物は演劇に決まっていたのだ。夜月は今までホームルームもずっと寝ていたから、知らないのも無理はない。
「もしかして押しつけられて断れなかったとか?ほんと優等生は大変だね」
「うるせえよ、邪魔すんな」
とはいえ、ほぼ図星なのだから言い返せない。
すると夜月は正面の席から手を伸ばしてノートを取り上げて、俺の書きかけの脚本を読み始めた。
「……ねえ、このシーン。なんで王子は急に立ち止まるの?」
夜月がグラスの氷をカラカラと鳴らしながら、あるページを指さした。
内容は、王子が正しい選択を迫られるというありがちな童話風ファンタジー物で、王位継承か己の自由かを選ぶクライマックスのシーンだ。
「そりゃ、ここで葛藤を見せないと物語が成立しないだろ。王子としての責任とか、正しさとか……」
「つまんない。真面目なのは君だけで十分だよ」
夜月は俺のペンも奪うと、余白にさらさらと何かを書き込んでいく。
「ここで王子は自分の影を切り離して、影と一緒に夜の街に遊びに行っちゃうんだ。責任なんて全部放り出して、朝までダンスするの」
「……それ、ストーリーとしてめちゃくちゃじゃないか?」
「でもワクワクするでしょ?正しいだけの話は誰も救わないよ」
そう言ってさらにペンを動かし続ける。
夜月が紡ぐ物語は、支離滅裂で幻想的で、でも心臓がぎゅっと掴まれるほど自由だった。
「……悔しいけど、夜月のアイデアは最高に面白い」
「ちゃんと原稿料もらうからね」
夜月はストローを噛みながら、照れくさそうにそっぽを向いた。
「君に言われるとさ、本当にそうなんじゃないかって気がしてくる。……夢の中ではひとりでなんでも作れたけど、誰かに面白いって言ってもらえるのって……変な感じがする」
ドリンクバーを何度もおかわりしながら、日が暮れるまで語り合った。
窓の外がゆっくりと暗くなっていく中でも、俺たちはハイテンションで「このセリフはもっと叫ぶべきだ!」とか「ここで爆発シーンを入れたい」とか、実現不可能なことばかりを言って笑い転げた。
現実って、こんなに賑やかで、不完全で、愛おしいものだったのか。
夜月の横顔を見ながら、俺は心の中であの退屈だった自分に別れを告げた。
