真昼の夢を、君と歩く

 電車を三回乗り継いで俺たちが辿り着いたのは、神奈川の端にある寂れた海岸だった。

 「……僕、今確信した。君ってほんとは頭悪いだろ」

 防波堤の上に立った夜月が、制服の襟を立ててガタガタと震えている。

 季節はもう、秋も半ばだ。海水浴シーズンはとっくに終わっていて、人気(ひとけ)がない。
 空は低く垂れ込めたグレーで、夢の中のような極彩色の光景なんてどこにもない。吹きつける海風は容赦なく体温を奪い、波の音は癒しとは程遠く、轟々(ごうごう)という地鳴りのような音を立てている。

 「なんだよこれ、超寒い!風強すぎ!夢の海はもっとこう、いい匂いがして温かかったんだぞ!」
 「……っ、分かってるよ!俺だってこんなに寒いとは思わなかったんだ!」
 「学級委員のくせに計画性なさすぎだろ!」

 夜月が思いっきり俺に向かって怒鳴った。
 寒さのせいか、鼻の頭が赤く染まっている。その瞬間、俺は思わず吹き出してしまった。

 「……なんだ。お前、そんなふうに怒れるんじゃん」
 「はあ……!?」
 「夢の中じゃいつも余裕ぶって、綺麗に笑ってるだけだった。……でも、今の夜月はすごく人間っぽい」

 言葉に詰まった夜月は、そのままバツが悪そうに顔を逸らす。

 「……当たり前だろ。寒いんだもん」

 ひと際強い風が吹きつけて、夜月が体を縮こませる。鼻の頭だけでなく頬も赤い。
 俺は自分のマフラーを夜月の首にぐるぐると巻いてやると、夜月は「ありがと」と言ってマフラーに顔を埋めた。

 俺は靴を脱ぎ捨て、靴下をポケットに突っ込んで波打ち際へと走り出した。

 「ちょっと、何してんの!死ぬって!」
 「いいからお前も来いって!こんなの夢の中じゃ絶対にできない経験だろ!」
 「~~もう、どうなっても知らないからな!」

 夜月もやけくそになったように靴を脱ぎ、俺のあとに続いた。

 「――冷たっ!!」

 波が足首を洗った瞬間、二人で同時に絶叫した。
 冷たい、なんてレベルじゃない。足の感覚が一瞬で消えるような、暴力的なまでの氷水。

 「痛い!冷たすぎて痛いってこれ!」
 「ほら、夜月、これが現実の海だ!全然優しくないだろ!」
 「サイテーだ!夢の海のほうが百万倍マシだ!」

 俺たちは、逃げる波を追いかけ、寄せてくる波から必死に逃げた。
 びしょ濡れになったズボンの裾に砂まみれの足。鼻水が出るほど寒くて、指先は感覚がない。明日はもしかしたら二人で風邪をひいて寝込んでいるかもしれない。

 それでも。

 「……はは、あははは!」

 夜月が、お腹を抱えて笑い出した。
 喉を震わせ、涙目になりながら、こらえきれずにあふれ出したような笑い声だった。

 「……負けたよ。こんなの、夢じゃ絶対に作れない」

 夜月は荒い息をつきながら、灰色の海を見つめていた。



 「……本当に、これ以上いたら死ぬ。足の指がもげる……」

 砂浜に這い上がった夜月が、濡れたズボンの裾を絞りながら弱音を吐く。俺も隣で震える手で靴を履こうとするも、指先がかじかんで紐がうまく結べない。

 「さっきまであんなに威勢よく波を追いかけてたくせに」
 「うるさい……夜月こそ唇が紫になってるぞ」

 俺たちがそんな情けない言い合いをしていたときだった。

 「おい、坊主たち。こんな寒空の下で心中(しんじゅう)でもする気か?」

 太い声に驚いて顔を上げると、そこには防波堤の上で釣竿を片手に持った、ガッシリとした体格のおじさんが立っていた。日焼けした顔に深い皺を刻んだ、いかにも海の男といった風貌だ。

 「あ、いえ……!その、遊びに来たらはしゃぎすぎちゃって」

 俺が慌てて立ち上がると、おじさんは呆れたように鼻を鳴らした。

 「遊ぶっていっても限度があるだろ。そのままじゃ風邪ひくぞ」

 おじさんは近くの自動販売機まで歩いていくと、ガコン、ガコンと二回、大きな音を立てて何かを買った。そして、戻ってくるなり、俺と夜月の手にそれを押しつけた。

 「これ飲んでとっとと帰れ。あんまり海舐めてると痛い目見るぞ」

 手の中に残されたのは『とろけるホットココア』。

 「ありがとうございます。でも、お金……」
 「出世したら返せ。じゃあな」

 おじさんは背中を向けてそのまま砂浜を歩いて行く。
 俺たちは呆然と、その後ろ姿を見つめるしかなかった。

 「……夢の中には、あんな人いなかっただろ?」

 俺が問いかけると、夜月は温かい缶を両手で包み込んでじっと見つめていた。
 やがて缶のプルタブを開けると、ごくりと飲んだ。

 「……熱っつ!何これ、舌やけどしたんだけど!?」
 「そりゃ缶だからな。でも夢で飲むココアより絶対美味いぞ」

 夜月はおそるおそる、もうひと口飲んで少しだけ笑った。

 「……『他人』って僕の頭の中にはないものを持ってるんだね。だから怖くもあるけど……嫌なことばかりじゃないのかも」
 「おじさんに感謝だな」
 「……おじさんだけじゃないよ」
 「え、今なんて言った?」

 波の音でよく聞き取れず聞き返すと「なんでもないよ」と言って、夜月はココアの缶を傾けた。

 「……寒くて痛くて、死ぬほど最悪なのに。……めちゃくちゃ生きてる感じがする」

 そのとき、雲の切れ間からほんの一筋だけ光が差し込み、鉛色の海面を金色に染め上げた。

 夢の中の光景には遠く及ばない、控えめで不完全な光。
 けれどその美しさは俺たちの網膜に、一生消えない色彩として焼きついた。



 俺たちは、遠くで釣りをしているおじさんに深く頭を下げてから、海岸をあとにした。

 「……お腹空いた。海で暴れたら胃袋が空っぽになった気がする」

 夜月が駅への道すがら、お腹をさすりながら言った。

 「昼、何も食べてなかったしな。駅前にファミレスかハンバーガー屋がないか、検索してみるか」
 「ハンバーガー、食べてみたい」
 「お前食べたことねえの?……ああ、この辺りにはないな」
 「ええー」

 不満げに口を尖らせる様子は、子どもみたいだ。

 「今度、学校帰りに連れて行ってやるよ」
 「本当に?約束だからね」

 俺たちは笑い合いながら、駅前の賑やかな明かりを目指して歩き続けた。

 そのまま駅前の商店街へと繰り出して、総菜屋でコロッケと唐揚げを買い食いした。
 それからゲームセンターに飛び込み、リズムゲームで俺が完璧なコンボを決めると、夜月が「うわ、性格出るなあ」とちゃかしてくる。逆にクレーンゲームでは、夜月が驚異的な集中力でぬいぐるみを一発で仕留め、俺が「なんでだよ!」と叫んだ。

 息を切らして、笑って。
 俺たちはどこにでもいる、少しだけ――いや、かなり自由を謳歌している高校生だった。