真昼の夢を、君と歩く

 翌日の教室内。

 俺と夜月の間には、昨日までとは質の違うヒリヒリとした沈黙が流れていた。
 一度も目を合わせることはなく、授業中も休み時間もずっと机に突っ伏して眠り続けている。

 俺は、昨夜の自分の言葉を反省していた。
 ここは孤独だなんて――夜月が一番分かっていることを、土足で踏み込んで指摘してしまった。
 
 それと同時に、夜月に押しつけていた『正しい高校生活』も、結局は俺の都合でしかなかった。
 夜月を引き戻すため――なんて綺麗な理由じゃない。夜月睡という異物を否定し、俺と同じ『平凡な世界』に引きずり戻すことで、俺自身の退屈を肯定したかっただけなんだ。

 昼休み。俺は学校の売店で、普段なら昼飯に選ばないジャンクなスナック菓子と炭酸飲料を二つずつ買った。
 そして、夜月がひとりでいる裏庭のベンチへ向かった。

 「……また来たのか」

 夜月が嫌悪感を隠さずに言った。
 俺は何も言わずに彼の隣に座ると、炭酸飲料の缶をひとつ差し出した。

 「……何、これ」
 「コーラ。あと、ポテトチップス」
 「まさかこれが昼食?不健康だよ、学級委員様」
 「いいだろ別に。あと、あのスケジュール表は捨てた」

 夜月が少しだけ驚いたように俺を見た。

 「今日から教えるのをやめる。お前を更生させようとするのも、全部やめだ」
 「ふぅん。愛想が尽きたって言いたいわけ?」
 「違う。代わりに……ただの退屈な時間を過ごす。お前と一緒に」

 俺はプシュッ、と音を立てて缶を開けた。ぬるい炭酸が喉を刺激する。

 「うわ、全然冷えてないなこれ」
 「冷えてない炭酸なんて最悪なんだけど……あーあ、やっぱり夢のほうがマシだね」
 「かもな。……でも、こっちのほうがちゃんと味がする」

 夜月は黙って缶を見つめていたが、やがて小さくため息をつき、彼もまた缶を開けた。

 「……変なやつ。急にキャラ変しちゃってさ」
 「自分でもそう思う」

 俺たちはそれから、ぬるい炭酸を飲み、ポテトチップスの袋を漁りながら、風に揺れる木々を眺めた。
 作ったスケジュール通りなら、《午後の授業に備えて英単語を確認する時間》のはずだった。これまでの俺であれば、この沈黙に耐えられなかっただろう。何か有意義な話題を提供しなければ、相手を退屈させてはいけない、効率的に交流を深めなければ――。
 そんな強迫観念が、いつも俺を急かしていた。

 この時期にしては日差しが少し強くて、どこかの教室から聞こえる笑い声が耳障りだった。けれど、昨夜のあの完璧な夢の世界よりも、ずっと空気が美味しく感じられた。

 「……本当に、これだけでいいの?」

 隣から夜月が不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。

 「いいんだよ。今日は何もしないって決めたから」

 風が吹き抜け、近くのポプラの木がザワザワと音を立てる。
 それを見て、そういえば、と――俺は頭にひとつ思い浮かんだことがあった。

 「この前図書室でさ。あの木の色が違うって言ってたよな」

 夜月が、ほんの一瞬だけ目を瞬かせた。

 「……覚えてたんだ」
 「忘れるほど前じゃないだろ。お前ってけっこう目がいいんだな」

 少し間があって、夜月が肩をすくめる。

 「別に大してよくないよ。1.0もないし」
 「視力の話じゃねえよ。葉っぱの色の微妙な違いとか、そういう繊細なところに気づくんだなって思った」
 
 夜月は、わずかに視線を泳がせた。

 「……なんだよ急に。やっぱキャラ変?」

 夜月は目を逸らしてから、それきり口を閉ざした。
 風に揺れた木の葉が、かさりと音を立てる。

 しばらく俺たちの間に言葉はなかった。
 まるでそれを見かねたかのように、蝶が一匹、どこからともなくひらひらと飛んできた。

 「夜月」
 「……ん?」
 「あの蝶、どこに行くと思う?」
 「知らないよ、そんなの蝶に聞いてよ」

 夜月はそっぽを向いたまま、呆れたように言った。

 「……夢の中の蝶はさ、宝石でできてるんだ。飛ぶたびにキラキラした粉をまき散らしながら、空が虹色に染まるんだよ」
 「へえ、綺麗だろうな」
 
 夜月は、目の前を飛ぶ蝶を見つめた。

 「あいつらはあんなふうに勝手な方向には飛ばない。僕が『右に行け』と思えば右に行く。……でも、ここの蝶は全然言うこと聞かないね」
 「それが、現実だろ」

 俺がそう言うと、夜月は少しだけ驚いたように俺を見る。

 そして、夜月から俺のほうへと――ほんの少しだけ距離を詰めてきた。
 錆びたベンチがわずかに軋む音が、やけにはっきりと耳に残る。

 その日、俺たちの間に初めて『共通の話題』が生まれた気がした。
 
 それは教科書には載っていない、俺たちだけの不器用な沈黙の共有だった。