真昼の夢を、君と歩く

 翌日の放課後。
 俺は挑戦状を叩きつけるかのように、一晩かけて作成した更生プログラムを夜月の机に広げた。

 「まず、これが今日のスケジュールだ」

 勉強のスケジュールはもちろん、適度な運動、放課後の交流、寄り道の推奨。俺が考える充実した高校生の日常のテンプレートを詰め込んだものだ。

 「……何これ、本気?」
 「当たり前だ。タイトルもちゃんと考えた」
 「青春チャレンジプログラム……って寒すぎ。自分で書いてて恥ずかしくないわけ?」

 夜月は表紙のタイトルと、びっしりと書き込まれた文字を眺めてため息をついた。

 「文句言うな。とにかく夜月は省エネすぎる、もっと頭と体を動かせ」

 正しい生活リズムで過ごし適度に頭と体を動かせば、体は心地よく疲れる。疲れれば自然と深い眠りになる。深く眠れば夢も見ない――それが、俺の考えた作戦だった。

 「一週間この通りに動いてみろ。まず、このあと図書室で一緒に現代文の課題をやる」

 俺は夜月の腕を掴んで、半ば強引に立たせる。
 夜月は「えー……」と不満げな声を漏らしながらも、意外と大人しくついてきた。ただ単に、抵抗するエネルギーを使うのさえもったいないと思っているのかもしれない。


 図書室は、静寂と古い紙の匂いに包まれていた。
 ちらほらと勉強している生徒たちを横目に、俺たちは窓際の席を陣取ってノートを広げる。

 「ここは、こうやって正解を導くんだ。作者の意図を読み取って……」
 「作者の意図なんて、本人に聞かなきゃ分かんないじゃん」
 「そういう問題じゃない。論理的に考えるんだ」

 俺たちの会話は、うんざりほど噛み合わない。
 夜月はどういうわけか屁理屈をこねることだけは達者で、とにかくああ言えばこう言う。次第に俺のほうがイライラしてきて、早々に匙を投げそうになる。

 夜月はすでにシャーペンを置いて、窓の外を眺め始めていた。

 「ねえ。あそこの木って、昨日はあんな色じゃなかったよね」
 「いいから課題を見ろ。……ったく、じゃあ現代文はやめて先に数学だ」

 翌日も、俺は夜月を連れ回した。

 友達を作ろうと提案してクラスのグループに混ぜようと試みたが「今の話の何が面白いのか分からない」「くだらないね」と歯に衣着せぬ物言いのせいで、空気は氷点下まで冷え込んだ。

 次に「部活見学に行こう」と誘ってみたが、夜月は体育館の隅でいつのまにか居眠りを始めてしまった。

 そして夕暮れ時。
 校門を出た俺は、すべてが徒労に終わり無駄に気疲れしたことで足取りが重かった。

 「……疲れた。早く帰って寝たい」

 夜月が大きくあくびをする。
 疲れたはこっちの台詞だ、と俺は内心で悪態をついた。

 「まだ最後の寄り道が残ってる。コンビニで新作のアイスを買って公園で食べる。放課後の定番だからな」

 コンビニの冷凍ケースの前で、俺は真剣に新作のポップを見つめる。

 「期間限定、はちみつ焦がしバターサンドか」
 「名前がうるさいね」
 「うるさいとか言うな。こういうのが青春の味なんだよ」
 「そう?もっとシンプルでよくない?」

 気づけば、夜月の手には一番ノーマルなバニラバーが握られていた。

 「もっと冒険しようとか、楽しもうって気はないのかよ」
 「義務でやる寄り道なんて全然楽しくないよ」

 コンビニを出てからも、俺は何も言い返せなかった。
 確かにそうだ。俺が提供しているのは記号化された青春のパッケージにすぎない。その中身が空っぽなのは、俺自身が一番よく分かっていた。

 「……お前が非協力的なのがいけないんだ」

 焦燥感から、声が尖る。
 
 「せっかく俺が考えて時間を作ってるのに」
 「当たり前だよ。だって君自身が楽しそうじゃないから」

 そう言って、夜月が立ち止まった。
 点灯した街灯が、彼の顔を半分だけ照らし出す。

 「君の言う『正しさ』ってすごく窮屈そうだ。そんなに必死に自分を縛って、何が楽しいの?」
 「……楽しいとか、そういうことじゃない。正しくあることは、安心することなんだ。道から外れないように、傷つかないように」

 言いかけて、俺は口を閉ざした。傷つかないように――それが、俺の本音だった。
 退屈な日常は、俺を守ってくれる(おり)でもあったのだ。

 「……やっぱり、君には夢が必要だね」

 夜月は静かに言った。

 「今度は、俺の夢に君を招待してあげる。……君が本当は何を欲しがっているのか教えてあげるよ」
 「……いい加減にしろっ」

 俺は夜月の言葉を振り切り、逃げるように走り出した。
 背後で、夜月の視線が刺さるのを感じながら。

 夜の冷たい空気が肺に流れ込む。家に着き自室のドアを閉めても、鼓動は収まらなかった。

 その夜――時計の針が、深夜零時を指す。
 眠るのが怖い。けれど、それ以上にあの鮮やかな世界をまた見てみたい、と思っている自分がいる。

 俺は逃げるようにベッドに潜り込み、固く目を閉じた。
 意識が遠のく中、闇の向こうから波の音が聞こえ始めていた――。


 そして俺は、夜月の夢に招かれた。
 いや、招かれたというよりは――俺の心が無意識に、あの鮮やかな色彩を求めてしまったのかもしれなかった。

 昨夜と同じ、(いびつ)な美しさを持つ世界。けれど、まったく違う場所だった。
 昼みたいに明るいのに空には月が浮かび、重力を忘れた並木道がどこまでも続いている。夜月は宙に浮かぶ巨大な砂時計の上に腰かけて、指先で星を弾いていた。

 「ようこそ、僕の夢の世界へ」
 「……ずいぶんファンタジーな世界だな」
 「それは僕次第。今日はちょっとそういう気分だから」

 夜月が砂時計から飛び降りると、足元に波紋のように光が広がった。
 そして、俺を案内するように夢の世界を歩き始める。
 
 そこは文字通り、なんでも思い通りになる世界だった。

 「今日は海が見たいな」

 夜月がそう言うと、頭の上をクジラが泳ぎ、遠くに聞こえていた波の音が近づいてくる。足元はキラキラと輝く宝石の砂に変わり、透明な波が寄せては返すけれど、足は少しも濡れていない。

 どれだけ歩いても疲れることはない。そのせいか、時間の感覚が曖昧になる。

 夜月は、ずっと先を歩いていて振り返らない。
 追いつこうとして足を速める。けれど、距離は縮まらない。

 「ちょっと海に飽きたな」

 夜月が立ち止まると、クジラも宝石の砂も一瞬で消えて、景色が街並みに変わった。建物の壁には色があり、道の先には小さな広場がある。音楽が流れているが、うるさくはない。

 「さっきより賑やかだな」
 「街だからね。少し人も配置した。そのほうがそれっぽいでしょ」

 確かに、誰かがいる。
 ただ顔ははっきりしない。輪郭が曖昧で、表情が読めない。

 「話しかけてみなよ」

 ひとりに声をかけると、相手は笑ったような気配を残して消えた。
 夜月は満足そうだった。

 「必要な分だけいればいいんだ」
 「……本当に、なんでもできるんだな」
 「そうだよ。失敗しないし誰にも否定されない、自分を演じる必要もない。楽しいことだけを残せる」

 確かに、ラクだった。
 普段現実で感じるような、ちょっとした緊張や気まずさがない。

 負けている――そう、はっきり分かった。
 昼間に俺が用意した『正しい青春』は平凡で退屈で刺激がない。到底、太刀打ちできない。
 この夢のほうが、(まさ)っている。

 「……完璧だな」

 思わずそう口にしていた。
 夜月は立ち止まり、こちらを見た。

 「でしょ?だから僕は、昼も夜もここにいる」

 夜月は誇らしげに胸を張った。

 そうして、俺たちは夢の街を散策した。
 街には夜月が望んだとおりの物がすべて存在していて、食べ物や飲み物もなんでも美味しい。

 けれど、俺はだんだんと奇妙な息苦しさを感じ始めた。
 
 景色はどこまでも美しく、夜月との会話も弾んでいるはずなのに――そこまで思い至って、ようやく気がついた。

 俺と夜月との会話が《弾んでいる》のだ。
 そんなこと、現実では決してあり得なかったこと。

 「……なあ、ここってケンカとか起きないわけ?」
 「するわけないじゃん。僕の世界なんだから」

 夜月は、さも当たり前のことのように言った。

 「じゃあ……もし俺が、お前の意見に反対したら?」
 「そしたら、世界が君を説得するか、君の意見が僕の望む形に書き換えられるだけだよ」

 夜月は指先をぴんっと振ると、通りを歩いていた何人かが一斉に振り向く。
 そして、同じ笑い方をしたような気がした。

 その光景に、背筋が冷たくなった。
 そしてようやく分かった、息苦しさを感じていた理由が。

 「……それじゃ、ずっとひとりみたいなもんだな」

 夜月の表情から、笑みが消えた。

 「俺が何を言っても、お前の望む通りの反応しかしないってことだろ?」

 この夢の中にいる俺自身も、知らず知らずのうちに夜月の思う通りに変えられているのだ。

 「それじゃ鏡の中の自分と話してるのと変わらない」
 「……何が言いたいわけ」
 「ここには自分以外の『他人』がいない。お前は自分の都合よく調整された世界で、ずっとひとりで遊んでるだけだ。……綺麗だけど、世界で一番、孤独な場所だ」

 俺の言葉に、夜月は心底失望したような顔をした。

 「……ひとりで、何が悪いんだよ」

 夜月が冷めた声で言い放った瞬間、空の月が真っ赤に染まり、地面が激しく揺れた。
 彼の感情が、ダイレクトに世界を壊そうとしている。

 「誰かといれば、面倒なことが増える。期待も、失望も。ここで一人で王様をしてるほうが、何万倍もマシだ」
 「夜月……」
 「帰れよ。君みたいなやつには、ここにいてほしくない」

 夜月が強く手を振ると、視界が激しい光に塗りつぶされた。


 次に目を開けたとき、俺は自分の部屋の天井を見上げていた。

 心臓が早鐘を打っている。
 窓の外からは、朝を告げるカラスの鳴き声が聞こえてきた。