昼休み。
授業中や休み時間は寝ている夜月が、ふらりと立ち上がって教室を出て行った。ずっと話しかけるタイミングを見計らっていた俺は、少し間を空けてあとを追う。
夜月は校舎の裏手にある古びたベンチに腰を下ろした。
人気もなく、校舎の影になって陽も当たらないその場所は、ひんやりとしていた。
「ずっと見てたでしょ」
あとをつけて来た俺を待ち構えていたかのように、夜月が言った。
「……別に」
「朝も目が合ったよね。授業中も何回か視線を感じたけど」
「寝てたんじゃないのかよ」
夜月は小さく笑った。
「それで?聞きたいことがあるんじゃないの」
「昨日の夜」
「うん」
「あれは……」
本当にお前だったのか――そう口にするのが躊躇われた。
だってそんなの、《《まともなやつ》》がする質問じゃない。
夜月はそんな俺を一瞥してから、ふと空を見上げた。
「現実の天気はうっとうしいね。そう思わない?」
頭の中に、あのエメラルドグリーンの空が浮かんだ。
「青い百合に虹色の魚も綺麗だったでしょ?それから君、僕の胸倉を掴もうとしたよね?ここでは優等生なのに、案外乱暴なんだ?」
背中から、すっと熱が引いた。
俺の夢の中で起きた、俺しか知り得ないことを夜月が知っている。
つまりそれは――
「……本当に、あれはお前だったのか?」
「今さら?」
俺の単刀直入な問いにも、夜月は平然と答えた。
「あんなこと、毎晩やってるのか?」
「どういう意味?」
「人の夢に入ることだよ」
「ううん、昨日は特別に見せてあげたんだよ。僕は、夢の中ではなんでも思い通りにできるから」
夜月は夢の中で見せたようにパチンと指を鳴らした。
俺は一瞬、また極彩色の花が咲くのかと地面に目をやるが、そこは湿った土があるだけだった。
夜月が薄く笑ったような気配がして、俺は眉をひそめた。
「俺には悪夢だったけどな」
俺がそう言うと、夜月は「心外だなあ」と笑った。
クラスメイトが夢へ入り込んできて好き勝手するなんて、悪夢以外のなんだっていうんだ。
「勝手に人の夢に入るな」
「別に何も盗ってないよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「余計なことが起きないし、現実よりずっと楽しいよ」
「そうやって夢の中で遊んでるから、昼間ずっと寝てるんだろ。不健康にもほどがある」
夜月はベンチにもたれかかって、つまらなそうにあくびをした。
「じゃあ聞くけど、何が健康なの?退屈な教室で周りの顔色を窺って、死んだ目をしながら将来のために今を殺し続けることが、君の言う健康?」
「屁理屈言うな。みんなそうやって、折り合いをつけて生活してるんだ」
「みんなだって、現実逃避してるじゃん」
夜月は眠たそうにしながらも、俺の目を捉えている。
「SNSを見てみなよ。加工された写真、切り取られた日常。あれだって現実逃避じゃん」
「あれは、現実でつながるためのものだろ」
「本当に?見たいものだけ見て、見せたい自分だけ見せて、画面越しに承認欲求を満たし合ってるだけじゃん」
夜月は薄く笑った。
「みんな、起きたまま夢を見てる。僕は脳内で完結させて、誰にも迷惑をかけてない。こっちのほうが、よっぽど健全だと思わない?」
言葉に詰まる。夜月の言い分は屁理屈だ。
そう分かっているのに、俺の中の空虚さが夜月の言葉に共鳴してしまう。
俺が守ろうとしている『正しい現実』が、砂の城のように脆いもののように思えて仕方がなかった。
「……夢はいつか覚める。そのときお前はどうするんだよ」
「覚めなければいい。ずっと眠り続ければ、そこが僕の現実になるから」
夜月の瞳に、一瞬だけ深い孤独の色が混ざった。
ずっと眠り続ける――夜月はこれまで、どんな暗闇にいたのだろう。
何がきっかけで、そこまで現実を拒絶するほどの力を得てしまったのだろうか。
今の俺には、そこまで踏み込む勇気も優しさもなかった。
何より、その暗闇に触れるのが恐ろしかった。
それでも、俺にはやらないといけないことがある。
『夜月をこちら側に引き戻してやってほしい』
担任に夜月のことを頼まれている。一度引き受けた以上、途中で放り出すわけにはいかない。
あの世界を綺麗だと、一瞬でも思った。
夜月の言うように、確かにみんなも現実逃避をしているのかもしれない。
『でも認めちゃったら、君の負けだもんね?』
夜月の言うとおりだ。認めるわけにはいかない。
夜月にも、あの夢にも、好き勝手にされたまま終わるのはごめんだった。
「……分かった。それなら、俺がお前に教えてやる」
俺は正面から夜月を見据えた。
「教えるって何を?」
「『正しい現実の生き方』だ。お前が逃げているこの現実が、夢なんかよりもずっと価値があるってことを証明してやる」
夜月は呆れたように目を丸くし、それから喉を鳴らして笑った。
「……優等生様直々に教育実習ってわけ?」
「ああ、覚悟しろよ。お前の夢なんて、俺がぶっ壊してやるから」
授業中や休み時間は寝ている夜月が、ふらりと立ち上がって教室を出て行った。ずっと話しかけるタイミングを見計らっていた俺は、少し間を空けてあとを追う。
夜月は校舎の裏手にある古びたベンチに腰を下ろした。
人気もなく、校舎の影になって陽も当たらないその場所は、ひんやりとしていた。
「ずっと見てたでしょ」
あとをつけて来た俺を待ち構えていたかのように、夜月が言った。
「……別に」
「朝も目が合ったよね。授業中も何回か視線を感じたけど」
「寝てたんじゃないのかよ」
夜月は小さく笑った。
「それで?聞きたいことがあるんじゃないの」
「昨日の夜」
「うん」
「あれは……」
本当にお前だったのか――そう口にするのが躊躇われた。
だってそんなの、《《まともなやつ》》がする質問じゃない。
夜月はそんな俺を一瞥してから、ふと空を見上げた。
「現実の天気はうっとうしいね。そう思わない?」
頭の中に、あのエメラルドグリーンの空が浮かんだ。
「青い百合に虹色の魚も綺麗だったでしょ?それから君、僕の胸倉を掴もうとしたよね?ここでは優等生なのに、案外乱暴なんだ?」
背中から、すっと熱が引いた。
俺の夢の中で起きた、俺しか知り得ないことを夜月が知っている。
つまりそれは――
「……本当に、あれはお前だったのか?」
「今さら?」
俺の単刀直入な問いにも、夜月は平然と答えた。
「あんなこと、毎晩やってるのか?」
「どういう意味?」
「人の夢に入ることだよ」
「ううん、昨日は特別に見せてあげたんだよ。僕は、夢の中ではなんでも思い通りにできるから」
夜月は夢の中で見せたようにパチンと指を鳴らした。
俺は一瞬、また極彩色の花が咲くのかと地面に目をやるが、そこは湿った土があるだけだった。
夜月が薄く笑ったような気配がして、俺は眉をひそめた。
「俺には悪夢だったけどな」
俺がそう言うと、夜月は「心外だなあ」と笑った。
クラスメイトが夢へ入り込んできて好き勝手するなんて、悪夢以外のなんだっていうんだ。
「勝手に人の夢に入るな」
「別に何も盗ってないよ」
「そういう問題じゃないだろ」
「余計なことが起きないし、現実よりずっと楽しいよ」
「そうやって夢の中で遊んでるから、昼間ずっと寝てるんだろ。不健康にもほどがある」
夜月はベンチにもたれかかって、つまらなそうにあくびをした。
「じゃあ聞くけど、何が健康なの?退屈な教室で周りの顔色を窺って、死んだ目をしながら将来のために今を殺し続けることが、君の言う健康?」
「屁理屈言うな。みんなそうやって、折り合いをつけて生活してるんだ」
「みんなだって、現実逃避してるじゃん」
夜月は眠たそうにしながらも、俺の目を捉えている。
「SNSを見てみなよ。加工された写真、切り取られた日常。あれだって現実逃避じゃん」
「あれは、現実でつながるためのものだろ」
「本当に?見たいものだけ見て、見せたい自分だけ見せて、画面越しに承認欲求を満たし合ってるだけじゃん」
夜月は薄く笑った。
「みんな、起きたまま夢を見てる。僕は脳内で完結させて、誰にも迷惑をかけてない。こっちのほうが、よっぽど健全だと思わない?」
言葉に詰まる。夜月の言い分は屁理屈だ。
そう分かっているのに、俺の中の空虚さが夜月の言葉に共鳴してしまう。
俺が守ろうとしている『正しい現実』が、砂の城のように脆いもののように思えて仕方がなかった。
「……夢はいつか覚める。そのときお前はどうするんだよ」
「覚めなければいい。ずっと眠り続ければ、そこが僕の現実になるから」
夜月の瞳に、一瞬だけ深い孤独の色が混ざった。
ずっと眠り続ける――夜月はこれまで、どんな暗闇にいたのだろう。
何がきっかけで、そこまで現実を拒絶するほどの力を得てしまったのだろうか。
今の俺には、そこまで踏み込む勇気も優しさもなかった。
何より、その暗闇に触れるのが恐ろしかった。
それでも、俺にはやらないといけないことがある。
『夜月をこちら側に引き戻してやってほしい』
担任に夜月のことを頼まれている。一度引き受けた以上、途中で放り出すわけにはいかない。
あの世界を綺麗だと、一瞬でも思った。
夜月の言うように、確かにみんなも現実逃避をしているのかもしれない。
『でも認めちゃったら、君の負けだもんね?』
夜月の言うとおりだ。認めるわけにはいかない。
夜月にも、あの夢にも、好き勝手にされたまま終わるのはごめんだった。
「……分かった。それなら、俺がお前に教えてやる」
俺は正面から夜月を見据えた。
「教えるって何を?」
「『正しい現実の生き方』だ。お前が逃げているこの現実が、夢なんかよりもずっと価値があるってことを証明してやる」
夜月は呆れたように目を丸くし、それから喉を鳴らして笑った。
「……優等生様直々に教育実習ってわけ?」
「ああ、覚悟しろよ。お前の夢なんて、俺がぶっ壊してやるから」

