別れ道


……ちっこいくせになんやこいつのパワーは⁉

 和馬が初めて龍斗と手を合わせたときの印象である。道場では大人をのぞいては敵なしだった和馬の前に龍斗が現れたのは今から七年前、和馬が十一歳のときであった。

九月の新学期から和馬と同じ学校にやってくる転入生、それが龍斗だった。向こうでもしていた空手を続けるために和馬の通っていた道場に見学にきたところ同じ学年の和馬と組手をさせられることになった。それはその道場の手荒な歓迎方法であった。

組手は初め和馬のペースで進んだ。変幻自在な和馬の足技に龍斗は防戦一方、受けるだけで手一杯である。そして、和馬の足払いからの中段蹴り(和馬はその技を「大蛇(オロチ)」と勝手に名付けていた)が決まった。
いつもの道場生相手ならそこからは和馬の一方的な試合になるはずだった。しかし、今回は違った。龍斗は和馬の足技にめげず、間合いをどんどん潰しながら下から突き上げてくる。和馬は小学生にしては体が大きい方である。当然、今まで同じ年齢相手では当たり負けしたことがなかった。その和馬が……押されている、それだけ龍斗の突きは腰や肩が連動した正確なフォームで繰り出されているのだった。

結局その日の組手は和馬の勝ちだった。しかしながら、後半、和馬はかなり追いつめられていた。時間があと一分長ければどうなっていたかわからない。当然、和馬はこの突然やってきた転入生に興味を持った。

「お前、なかなかやるやん。大人以外でこの道場でここまで俺とやれる奴は初めてやで。名前なんてーの?」

「吉川龍斗。龍が(たたか)うで龍斗。そっちは?」

「俺は奥田和馬。和馬でえーで」

 にっと笑いながら和馬は言った。

「……俺も龍斗でいい」

「りょーかい。これからこの道場かようんやろ?」

「いや、まだわからないけど……」

「ここにしとき。俺とコンビ組もうや、俺の技と龍斗の力、これがそろったら誰にも負けへんで」

 和馬が龍斗の前に手を差し出す。笑顔を浮べて真っ直ぐ龍斗を見つめる和馬。龍斗は少し考えた後、差し出された手をしっかりと握りしめた。それからもう七年になる。



 互いの拳と拳、蹴りと蹴り、一発ずつに互いの七年間がつまっていた。それは二人だけに伝わる言葉である。ここまでポイントは三対三の同点、初めての対決の時と同じように前半は和馬のペースだったが、後半からじわじわと龍斗が追いかけてきたのだった。

 残り時間はもう三十秒を切っているだろう。和馬は軽やかなステップで間合いをはかりながら、最後に大技をねらっていた。和馬の数ある足技の中でも最も得意な……そして、あの日初めて龍斗からポイントを取った技、「大蛇」である。

 お互いの間合いのぎりぎりのところで最後の駆け引きが行なわれる。この技が交錯した後には二人の決着もついているだろう。龍斗は前拳の左手でプレッシャーをかける。和馬はステップ、視線、あらゆる動きで龍斗を揺さぶる。タッタタ、タッタタと小刻みにステップを踏む音が道場に鳴り響く。その場の空気が二人を中心に集まっていくかのような瞬間、動きがあった。

 最初に動いたのは和馬。彼の右足が地をはうようにして龍斗に襲いかかる。強力な足払いで体の自由を奪われた瞬間にはもう一方の足が体に食らいつく和馬の「大蛇」。この足払いが成功するかが鍵になる。うなりをあげた和馬の足が龍斗にかかる。

……獲った‼

 和馬がそう思った瞬間である。気がつくと和馬の体は空中に浮いていた。激しい衝撃と共に道場の床にたたきつけられる和馬。すかさずそこに龍斗の上段突きが襲いかかる。道場内に龍斗の気合いが鳴り響く。完全な一本である。その後に続く静寂、和馬は天井を見上げたまま動かない。

 ぼんやりとした天井の照明が見える。体の自由はきかないが頭の中はひどく透きとおっている。天井を見上げたまま顔は動かさず、独り言のように和馬は尋ねた。

「……やられてもーたな、俺の負けや。最後の『大蛇』……読んでたんか?」

「ああ、なんとなく最後は『大蛇』な気がしてた」

「……そうか、それにしてもあんなに完璧に『大蛇』を返されたのは初めてや。一つ目の足払いを透かして、そのまま投げるなんてなぁ……龍斗にしかできん芸当や」

 そんな和馬を見ながら、龍斗はもう一度静かに問いかける。

「……なあ」

「んん?」

「お前、本当に空手やめちまうのかよ……」

 和馬は少し困ったような顔をして考えた後、こう答えた。

「……俺、親父の後を継ぐことにしたんだ」

「えっ⁉」

「今まで自分の進路なんて適当に考えてた。どこでも入れる大学入って、入れる会社入って適当に生きていけばいいって。でも、親父の仕事みてて思ったんだ。俺も親父みたいになりたい……親父は反対したけどな。大変な世界だって知ってるから。でも、もう決めたんだ。卒業後には修行に入る」

 和馬の目は一点の曇りもなく澄んでいる印象を龍斗に与えた。起き上がろうとする和馬に龍斗は手を差し伸べた。

「さんきゅ……でもな、龍斗、俺がここまで決心できたのはお前がいたからやで。空手もそうやけど、それ以外のことでも何でも俺はお前に刺激を受け続けてきた。龍斗は俺にとって最高の相棒であると同時にライバルやった」

「……」

「そういうわけやから龍斗は空手で日本一を目指せ。俺は日本一の板前を目指したる!今度は二人でじゃなくて、どっちが先に日本一とるか勝負ってことで」

 いつものようなおどけた調子に戻って、立ち上がった和馬はもう一度龍斗の前に手を差し出した。少しのためらいの後、強くその手を握る龍斗。それはまるであの日と同じように……。

 時には重なったり、また離れたり、いつかはくる別れ道。互いに同じ道を選んでも、選ぶ道は違っても、変わらぬつながり……そんなものもあるのかも知れない。