俺の静かな高校生活は終わってしまったのかもしれない。
やたらと女子から声を掛けられ、話したこともない奴から親し気な態度を取られるようになったのが、先週の月曜日。
最初は一体何が起きたんだと思っていたら、どうやらあの音楽イベントにクラスの女子が来ていて、しかも俺だと気が付いたのだという。
どういうことだ。学校では極力気配を消しているのに……。
まさか神崎がバラしたのかと思ったら、違ったらしい。なんで。絶対に分からないと思っていた。
しかもダンスチームの中にクラスメイトの友達がいたらしく、そのルートで俺のダンス動画が学校に出回ってしまった。それが決定打となって、教室にいると、誰かしら話しかけてくるようになった。自分のダンス動画を見せられても恥ずかしいし、戸惑っている。
やたらと一緒にカラオケに行こうとか、踊ってくれとか、そんなことを言われるけど、どうすればいいのか分からない。俺は陽キャじゃないんだ。
この状況は中学校の頃を思い出す。これがしんどかったから、知り合いがいない高校に進んだのに……。
(次は、日本史だ)
元々一番楽しみにしていたけど、今は唯一息ができる時間になった。
神崎がいるから。
「神崎」
「おぉ、永瀬!」
席に座る俺に、にぱ、と歯を見せて笑う神崎。
可愛い、と思う。男友達に持つ感想ではないと分かっているけど。
「なぁ、永瀬。これ……」
「え?」
神崎は顔を寄せると、いつになく小声で声をかけてきた。
後ろから差し出されたのは、小ぶりなクリーム色の封筒だった。
うそ。もしかして、神崎が俺に手紙を書いてくれたのか?
スマホの連絡先を聞いてくれたときも嬉しかった。ラインをくれたときも。神崎が俺に何かを伝えてくれるだけで嬉しい。でもこんな風に改まって手紙を書いてくれるなんて。どうしよう、嬉しい。
俺は舞い上がった。
でも——。
「お前に渡してほしいって言われて」
急転直下、気分は一気に奈落の底に落とされた。
「高木から。結構可愛い子だと思うけど……」
そんな話は聞きたくない。こんな手紙は読みたくもない。
しかし、ほら、と更に手紙を突き出され、それを受け取るしかなくなる。
他の誰よりも、お前からだけは受け取りたくなかった。
授業が始まってしまった。こんな風に絶望的な気持ちで日本史の時間を過ごしたのは初めてのことだ。
渡された封筒をよく見てみると、薄くピンクのイラストが描かれていて、明らかに神崎からの手紙ではなかった。舞い上がってよく見えていなかったのか。
中身は想像通りだった。
高木さんのことは知っているけど、話したこともない。なのになぜ俺のことを好きだと言えるのか。俺のどこが好きなのか——。きっと顔だろう。顔だけを見て、俺の中身なんてよく知りもせずに好きと言っているのだ。これまでもそうだった。
なんで神崎を介したんだ。
顔だけで好きになったとしても、直接俺に言ってくれたらいいのに。そうしてくれたら、俺だってこんな気持ちを知ることはなかったのに。
授業の内容が全く頭に入らないままチャイムが鳴り、神崎が席を立った。
「なぁ永瀬。ダンス、めっちゃカッコよかった」
「……! ありが、とう」
「お前スゲーな。またなんか出るときは教えてくれよ」
じゃあな、とまた笑って神崎は歩いていった。先ほどまでざわついていた俺の心は簡単に浮上した。
だって神崎にカッコよかったと言って貰えたから。
神崎からだったら、顔だけで俺を好きだと言って貰えても、きっと俺は……。
そうか。俺、神崎のことが好きなんだな。
他の女の子からのラブレターを渡されてようやく自分の気持ちに気が付くなんて俺はなんて間抜けなんだろう。
これ以上ないほど、お前なんか脈無しだと突き付けられて初めて。
黒木たちと笑っている神崎を見ながら、俺は自分の馬鹿さ加減にうんざりしてしまった。
◇
最低なことに、神崎から他の女の子のラブレターを渡されるのは高木さんで終わりではなかった。
俺は声を掛けにくい空気を出しているらしい。そんな俺と学校で親しくしている唯一の相手が神崎で、その神崎が親しみやすく優しい奴で、肝心の俺があまり会話が得意じゃないから。
ダンスのこともバレてしまった今、もう意味がないので俺は眼鏡を外し、顔を隠すのを辞めた。そうしたら、厄介なことに他のクラスや学年の子からのラブレターまで神崎が渡してくるようになった。
やっぱり顔を隠したままにすればよかったと後悔したけど、もう遅かった。
「永瀬君ってほんとにモテんだねー」
「えっ、いや……」
「あんま永瀬のこと揶揄うなよ、黒木」
最近、神崎に呼ばれて昼を一緒に食べるようになった。これは俺が色んな奴に話しかけられて困っていたから、きっと神崎が気を利かせてくれたのだ。優しい。
黒木のほかにも数人クラスメイトがいて、このメンバーは異分子の俺が入っても気にしないらしい。それぞれスマホをいじったり、本を読んだり、駄弁ったりと、自由に過ごしている。
黒木も、何というか嫌味がある言い方ではないので、本当に悪気はないのだろう。
中学時代、あまり気の合う相手がいなかった俺は、こういう大人数の場が苦手だった。何か話さないといけないのかと気を張っていた俺はなんだか拍子抜けして、こんな風に良い奴らが集まるんだから、やっぱり神崎は凄いなと思ったのだ。
「よく知らない子ばっかりだから……好きって言われても」
「贅沢者め! モテない俺からすると死ぬほど羨ましい悩みだな!」
「そうだそうだ! 知らない子からでも好きって言われたらもう好きになるだろ!」
「そうなると、永瀬君は女の子全員を好きにならないと駄目じゃん」
ぽんぽんと会話が交わされ、思わず俺は笑った。
するとまた「イケメンが笑ってんじゃねぇー!」とよく分からない抗議をされ、他の奴らが爆笑する。
神崎も一緒に笑っている。
楽しい時間を一緒に過ごせている。嬉しい。でも苦しい。
◇
水曜日の五限終わり、俺は教室のベランダでポリ、と音を立てフリスクを食べていた。
雲が浮かんでいる空を見上げ、これから俺はどうすればいいだろうと思いを馳せる。
あれから一月が経ち、神崎から渡されるラブレターは、片手を超えた。毎回律儀に傷ついてしまい、正直もうキツイ。
しかももっと辛いのは、最近どことなく神崎がそっけないことだ。
ダンス終わりのコンビニでレジを避けられることもあるし、前は絶対なかったのに、日本史の時間に寝ていることもある。
あんなに待ち遠しかった日本史が、少し憂鬱になってしまった。
「あ、いた。永瀬」
「神崎……」
「お前、なんで外にいるんだよ。寒いだろ」
ガラリと開いた扉から神崎が出てきて、後ろ手で閉める。
神崎が言うとおり、冬に入った近頃のベランダは肌寒い。だからこそ、誰も来ないと思ってここにいたのだ。一人になりたくて。だって次は日本史だから。
「なんとなく。どうした?」
「これ」
差し出されたのは、可愛らしいリボンの柄があしらわれた白い封筒だった。名前が書いていあるが、知らない名前だ。俺が受け取らずにそれを見ていると、神崎が苦笑した。
「どうした? ほら」
「……いらない」
「はぁ? なに言ってんだ……」
頑として俺が受け取らないので、戸惑った様子の神崎が封筒を持った手を下げた。
今までは嫌々ながらに受け取っていたけど、今日はもう無理だと思った。限界だ。
「なんで神崎を通すんだ。そういうものは、直接本人に渡すべきだ」
「まぁそれはそうだけど……でも、お前を思って書いたんだろうし、受け取るだけ受け取ってやれよ」
ほら、とまたリボンの封筒を差し出す神崎にも、俺は苛立ちがつのった。
「いらないって言ってるだろ」
「おい永瀬。お前、これを書いた子の気持ちを考えろよ。さぞ勇気を出したんだろうに」
すり減っていた心に更に追い打ちをかけられ、俺は反論した。
「じゃあ神崎は、俺の気持ちを考えたことはあるのか」
「は?」
「お前から、こんなものを渡される俺の気持ちだよ」
もううんざりだ。
望んでもいない好意だったとしても、向けられれば全てに誠実に返さないといけないのか。よりによって神崎を巻き込むような相手でも。
なんでこんなことで俺たちがこんなやり取りをしないといけないのだ。
これを書いた子だって、俺が好きだというなら、何も言わないでほしい。それも無理なら直接ぶつけてほしい。神崎を頼らないでほしい。
「お前の気持ちってなんだよ。分かんねぇよ」
「好きな奴から、他の奴からのラブレターを渡される俺の気持ちだよ!」
「………………は?」
しまった。
俺はパッと片手で口を覆う。
言って、しまった。
時が止まったように、俺達は立ち尽くした。足が震えてきた。
最悪だ。最悪だ。最悪だ!
神崎は猫目をぱちぱちと瞬かせ、「え? え?」と混乱している。
そこで、丁度チャイムが鳴った。6限が始まる合図のチャイムだ。俺たちはハッと我に返る。日本史が始まってしまう。
神崎は扉をガラガラと開けた。
「永瀬。授業始まる。行こうぜ」
「あ、あぁ……」
その手には俺に渡されなかった知らない子のラブレターがある。やっぱり夢ではない。
あぁ、もう。本当に最悪だ……。
